駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇花組『For the people』

2016年02月16日 | 観劇記/タイトルは行
 シアタードラマシティ、2015年2月14日ソワレ。

 1841年、アメリカ合衆国イリノイ州スプリングフィールド。弁護士で州下院議員のエイブラハム・リンカーン(轟悠)は無実の罪で訴えられている黒人を助けるべく、今日も法廷に立っていた。無罪を勝ち取ったものの、エイブは釈然としない気持ちでいた。人種に優劣などあるはずがない。黒人というだけで不利な立場を強いられる現状を見るにつけ、奴隷制をなくす以外に解決策はないとエイブは考える。ある日エイブは地元社交界のパーティで、トッド家の令嬢メアリー(仙名彩世)と知り合う。メアリーには奴隷制を容認する民主党の気鋭スティーブン・ダグラス(瀬戸かずや)がかねてより妻にしようと言い寄っていたが、メアリーはパーティで黒人の召使いの窮地を救ったエイブに心惹かれるようになる。一方マサチューセッツでは、黒人奴隷解放運動家フレデリック・ダグラス(柚香光)が演説を行っていたが、無許可で集会した罪で連行され…
 作・演出/原田諒、作曲・編曲/玉麻尚一、振付/麻咲梨乃、AYAKO、装置/松井るみ。全2幕。

 まず、ポスターがあまりにあまりで…リンカーン本人の肖像画ですよね?って感じの出来なんですけど、そんなムサくてゴツいおじさんのリアルを追求しても宝塚歌劇を観に行くるんるん気分になれないよ、とか、そもそも花組子を誰ひとり出さないんだ?とか、つっこみたいことは多々ありすぎました。でもまあ私には「観ない」という選択肢はナイので一応おとなしくしていました(あれで?というつっこみはナシでお願いします)。(あと脱線しますが、たとえば最近だと博多座の配役とか、観に行く予定がない人ほどガタガタ言うよねってことに最近私はやっと気づきました。観に行く人はガタガタ言っても仕方ないので言わないんですね、あと否応なく行かざるをえないくらいファンなのでいろいろ言えないんですね。ホントやっとわかったわ…行けない事情は人それぞれだし観たくなきゃ観なくて全然かまわないんだけど、「ま、行かないけど」とか簡単に言いつつガタガタ言う人とはおそらくお友達になれないしそういう人の言動は気にしても仕方がないんだとやっとわかってきたのです…何かあったのだと察してください。あ、でも私も、必要以上にリピートする価値が私にはないと判断した演目についてはけっこうガタガタ言うか。すみません…あくまで自分に甘い。こんな私とお友達でいてくださる方々、ありがとう…)
 しかし「歌劇」の座談会がホントーにおもしろくなくて(個人の感想です)、さんざん口を酸っぱくして言ってきた「観客は偉人伝が観たくて劇場に出向くんじゃないんだからね? わかってるんだろうねダーハラ?」というような呪詛(笑)を年明けからずっとつぶやいていました。
 初日に好評レポツイが流れてきても、正直言って半信半疑でした。暴れる気満々で、しかしなるべくフラットな気持ちで観よう…と、友会が当ててくれたバレンタイン最前列におとなしく座ってきました。
 まさか、まさかうっかり泣くことになろうとは…!
 幕間に動揺し、終演後にさらに激しく動揺したことはツイッターでもつぶやき済みでご存じの方も多いかもしれませんが、ホントにちゃんとしていたと思いました。よくできていた、よかった、おもしろかった。どうしたんだダーハラ!と失礼な叫びが止まらない程度には動揺しました、ええマジで。
 よくよく考えると、ごく基本的なことをしっかり抑えて作られている、まったく平均的で及第点的な作品であり、佳作でも傑作でも全然ナイとも思うのですが、『るろ剣』『アーネスト』と観た遠征でこれが一番ストレスがなかったことは確かでしたし、『華日々』といい『白夜』といい『アル・カポネ』といい最近のダーハラ作品には煮え湯を飲まされまくってきて、ハードルを下げた分もあったとはいえやればできるときもあるんじゃん!とホントに感心したので、そこは素直に評価し褒めておきたいと思います。毎度エラそうですみません。しかし宝塚歌劇150周年観劇を目指すファンとしては、脚本家育てもがんばらないとなりませんからね。こういう無駄な義務感がウザいのかもしれませんが、これが私です、すみません。
 以下つらつらと語ります。

 
 さて、リンカーンといっても、私ははるか昔に学校で勉強したような、「人民の人民による人民のための政治」という演説をした大統領で奴隷解放宣言をした人、という程度の知識しか持っていませんでした。彼を主人公にした映画なども近年いくつかありましたが、まったく観たことがなく、彼がどんな生まれでどんな育ちでどんな人でどんな恋をしどんな生き方をしたのか、まったく知りませんでした。
 彼がどんな政治家で何を成し遂げたのか…そんなことだけを見せられるような舞台になることを心底恐れていたのですが、杞憂でした。ちゃんと彼の人となりが描かれ、恋と青春、理想と現実との葛藤、挫折や成功といった生き様、ドラマが描かれていました。
 理想に燃え、進歩的な考えを持ち、その一方で信心深く、熱く血気に逸る青二才…前半の髭ナシのイシちゃんは、そんな青年像をキラキラと演じてくれていました。さおたさんがまたよくて、彼が勤める弁護士事務所の上司なんだけれど、彼を慈しむ視線が優しくて、エイブが「スチュアートさん!」と懐く様子がまたいじらしくて。こういう関係性をきちんと描いて登場人物たちの人となりを表現し、特に主人公を魅力的に見せる手腕がまさか原田先生にあるなんて…!というレベルで驚愕しました。本当のことを言えばこんなこと劇作の基本中の基本なんですけれど、今までそれができていないものばかり見せられてきたわけですからね…!
 また、ゆきちゃんメアリーのヒロイン力が素晴らしいわけですよ。スカーレットもかくやという白いドレスで現れる、名家の令嬢、そのあたりを払うばかりの美貌! そして黒人の召使いが飲み物を落としたときに、彼女を糾弾するのではなく彼女のエプロンに付いた汚れをぬぐってあげる優しさを見せたエイブに、メアリーは好印象を持つのでした。彼が汚れをぬぐったままポケットに戻したチーフを外させ、代わりに自分の髪飾りから花を抜いて彼のポケットに差してあげるメアリー。しばらくして洗ったチーフを事務所まで届けに行っちゃうメアリー。可愛い、カワイイよ! お嬢さま育ちで周りの男性たちからちやほやされ慣れていてちょっと気が強くて、でも実は父親が黒人奴隷を働かせてプランテーションで財をなしたことに心を痛めていて、黒人の使用人を使役することに疑念を感じている、聡明で優しい乙女。そんな彼女が、やっと志を同じくできそうな男性と出会ったときのときめき、恋の始まりを、こんなエピソードで素敵に表現する力量がまさか原田先生にあるなんて…と以下同文。
 彼女に言い寄っていた恋敵にして、のちにエイブの政敵となるあきらスティーブンがまたよくて、こんなにちゃんとした三角関係を構築できる力がまさか原田先生にあるなんて…と以下同文。
 エイブとメアリーは駆け落ち同然に結ばれ、エイブは国政に打って出て奴隷解放を訴えるも、なかなか支持は得られず苦戦する。黒人の解放運動家であるれいちゃんフレデリックと知り合うも、一度は故郷に帰って出直して…
 何故最初のうちはダメだったのに共和党を立ち上げたら急に支持が集まったのかは謎でしたが(^^;)、まあ主人公には風が吹くものだからいいとしよう。スティーブンとのディベートに勝ち大統領の座を射止め、息子ボビー(少年時代は聖乃あすか、二幕は亜蓮冬馬)が勧める髭を蓄えたエイブは人種差別撤廃に向けて邁進する。だが南北戦争が勃発し…というところで幕、続く。ちゃんとしてます!
 スティーブンの論戦が一本調子なのは、いつもなら「ダーハラめ!」とイラつくところなのですが、今回に関しては話の流れから言っても現代の視点から見ても、スティーブンの論拠がそもそも曖昧なのだと思えるから、問題ありませんでした。
 二幕になってからも、政敵だったスティーブンがエイブの真摯さに徐々に打たれて考えに賛同するようになったり、国を分断する内戦である南北戦争をなんとか終結させようとする緊迫のドラマがありました。劣勢だった北軍があっさり勝利に転じるのもやや謎でしたが(^^;)、戦闘を表す定番のダンスシーンも力強く華々しく、よかったです。
 弁護士時代からの後輩のエルマー(水美舞斗)が参戦して戦死したり、父と折り合いの悪かったボビーが父に反抗するかのように入隊したり、それを止めないエイブを詰るメアリーとのドラマがあったりと、ストーリー展開も秀逸でした。また、このあたりは今なお戦争というものがなくなっていない現代でも考えさせられる問題でした。
 メアリーを慰め、エイブと和解するよう勧めるスティーブンがもう完全に二番手で、それが病魔に倒れちゃったりするもんだからもう爆泣きでした。ナニこのおいしい役! これこそ王子様よ、みんながこの人の嫁にこそなりたがるわよ…!
 主人公はヒロインのもの、これは鉄則。だからこそ観客が恋人になりたがる二番手ヒーローを上手く作れるかが勝負だったりもするのです。まさか原田先生に以下同文。さらに言えば、史実として不仲説があろうが悪妻説があろうが、宝塚歌劇として上演し妻をヒロインとする以上、ふたりのロマンスをきっちり描かなきゃダメですし、途中イロイロあろうが最後はラブいゴールを迎えなくちゃダメです。『Shakespeare』同様、それがきちんと抑えられていたのは素晴らしい。まさか原田先生に以下同文。
 スティーブンが祖国を想って歌う歌がまた、あきらが花組に対して歌っているようにも聞こえて、もう泣くしかありませんでした。
 さて、「アメリカ合衆国」とはよく言ったもので、アメリカは当時はまだまだ「ひとつの国」という意識が少なく、人々は生まれ故郷である州にこだわりこそすれ、国としては分裂したり脱退したりとまだまだおちつかなかったのでしょう。一幕では無駄遣いに思えたリー将軍(英真なおき)も二幕ではいいドラマを展開し、エイブは山越え谷越え南北戦争をなんとか終戦に持ち込み、奴隷解放宣言もし、家族とも和解し、未来に向けて再び歩き出そうとして…そして凶弾に倒れたのでした。
 エイブがフレデリックに「いつか黒人の大統領が」と言ったその人は、今現在その国の大統領です。そして世界は今なおテロの脅威にさらされている。人種差別はないとされているけれど実際にはまだまだ根強く、世界は困惑に充ちています。すべて現代につながる問題で、でもかつてこうして戦った人がいて、だから私たちも戦っていかなくてはならない、理想と平和の未来のために…という、とてもシンプルなテーマが、定番である白いお衣装で再登場した主人公とともに歌われ、特に押しつけがましくなく表現され、素直に感動できました。

 原田先生はいつもわりとセンスのいいセットを展開しますが、今回の木の階段もとても素敵でした。ラストに階段を星条旗にするアイディアは、思いついたときはしてやったり、だったでしょうね。最前列からはやや見づらくはありましたが、美しく、効果的でした。
 開幕したばかりだからか芝居の密度はまだまだ薄く感じられるところもあり、これから花組子が埋めていくのでしょうが、いっそ巻いて5分でも10分でも尺を捻出してフィナーレをつけてほしかった、とも思いました。
 というのも、れいちゃんとべーちゃんが完全に役不足だったからです。
 ふたりは冒頭で黒人奴隷として手錠のダンスを激しく踊りますし、それぞれ目立つソロ歌ももらっていますが、役としてはまったくしどころのない役であり、ストーリーにも絡めていません。これはスター生徒の扱いとしてかなり問題があると思われます。せめてフィナーレで黒燕尾でも着せてビシバシ踊らせてほしかった。理事特出を引き受ける組のファンへのフォローだってしてほしいです。
 ゆきちゃんのヒロイン、あきらの二番手は素晴らしいけれど、プロローグやパレードで二番手扱いしているれいちゃんのこの扱いはひどいし、好演していたPちゃんやマイティーもホントはこのくらいはお手のもので役不足なんです。まして下級生たちにおいておや。生徒の起用に関してはもう少し考えてほしかったです。
 それにそもそもリンカーンを主人公にして作品を作るのだから、人種差別に関する作家の見識が問われるというか、作家の主張が作品に表れるはずだと思うのですよね。そこに一番関係するはずのこのフレデリックという役が、ほとんど何も書かれていないことが一番の大問題です。そして私が思うに、原田先生はそこにおそらくなんの考えも持ってないのではあるまいか…でなきゃこんなことにならないもん。
 人種に優劣なんてないことは科学的にも証明されているしある種自明のことであり、人種差別イコール狭量であり愚劣であり悪である、という教育を受けて育ってきている現代日本の我々にとって、過去の時代の黒人差別という問題が微妙に遠くかつむず痒い題材であることはわかります。でもあえて取り上げるんだから、そこは考えようよ。考えがないなら、考えられないなら、安易に触るべき問題ではなかったと私は思う。
 ま、これは宝塚歌劇であり、必要以上に社会派の問題作に仕立てる必要はないので、いいっちゃいいですけれどね。でもこのあたりが、クリエイターとしての原田先生を完全に見直せない点でもあります。全体にもう少しより夢々しくロマンチックにタカラヅカらしく仕上げられていれば、そっちに振ってあえてそこには踏み込まないことを選択したのだな、と目をつぶることもできたのですけれどね…
 そんなわけで、全体にやや無骨すぎて真面目すぎた芸のない作りになってしまってはいますが、及第点はクリアしている作品になっているのではあるまいか、と私は感じました。演目発表時に「もう観た気になった、つまんなかった」とか嘯きましたすみません。やっぱり観ないといろいろ語れないよね! なので私は今後も万難を排して観続けていこうと思っています。

 …神奈川公演ではフィナーレが追加されてたり、すればいいのにな…!



 

コメント (4)
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