駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『TATOO 14』

2013年07月06日 | 観劇記/タイトルた行
 シアタークリエ、2013年7月4日マチネ。

 サンフランシスコのライブハウス「パープル」で出会ったラム(保坂知寿)、ビー(水夏希)、ローズ(シルビア・グラブ)、オーロラ(大塚千弘)、ジンジャー(今枝珠美)、キャンディ(Miz)、ファーファ(ジェニファー)は身寄りのない孤児で、屋上のプレハブ小屋で本当の姉妹のように暮らしていた。姉妹の証として胸に七人の頭文字のタトゥーを彫り、ショー・カンパニー「TATOO 14」として活動し、パープル・フェスで優勝することを夢見ていたが…
 作・演出/小林香、音楽監督・作曲/前嶋康明。2012年初演からオーロラ役のみ変更しての再演。

 カッコいいショー・アクトでした。歌って踊れる女優がこれだけそろうとこんなこともできるのですねえ。女性プロデューサーが作るオリジナル・ミュージカル、ちゃんとしていました。
 ただ歌唱という点ではミズが一番怪しい気がしたので(^^;)、たとえばキムで観てみたいわ、とも思わなくはなかったのですが…ともあれあいかわらずカッコよかったし、みんな素敵でした。
 スカイ役は日替わりで、この回は知念里奈。ただゲスト俳優は男性の方が多いようで、確かにちょっと見え方が変わってくるかな?とも思いました。
 『若草物語』でも次女のジョーはボーイッシュだったりしますが、次女とはそういう役周りなのでしょうか…妹たちに「ビー兄ちゃん」と慕われ、「姉ちゃんです」と言い返すところがとってもキュートなんだけれど、事件から2年がたってそれぞれ新しい夢を見つけて新しい生活を始めている姉妹たちに比べてビーだけがひとり元のままの場所にいて昔の夢を追っているようでもあり、その空っぽさや停滞感、今現在の悩みは、こんなボーイッシュな外見やさっぱりした気性だからこその色恋沙汰なのではなかろうか…とか私には思えたのですね。
 スカイがその相手であろう、とかそんな単純なことではなくて、ただ色恋沙汰に行き詰っているのであればそんなビーが尊敬するシンガーに再会できて喜ぶときにそれが男性、男友達でもあるとなると、ちょっとまた場面の意味が変わって見えるだろうなあ、と思ったのでした。
 実際にはどうなのかなあ…?

 プレアデスなら六姉妹だけれど北斗七星で七人姉妹、虹の七色、彫ったタトゥーと心に残る傷で倍の14。『キンキーブーツ』がトニー賞を席巻した年にシンデイ・ローパーの「True Colors」が響きました。肌の色のことなのかな?と思っていましたが、LGBTのテーマカラーはレインボーでもありますし、そういう多種多様性、を示しているのだろうなと思うと、泣けました。

 二幕ラストはコンサート状態になってみんなで立ってペンライト振る、という演出は楽しいのですが、そのわりには主題歌というかメインテーマというかラストの楽曲が良くなかった。メロディラインがマイナーだし覚えづらくて盛り上がらないも跳ねない、もったいない。
 最終的には音楽が課題となるのですかねえ、日本のミュージカルというものは…むうう。
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『ドレッサー』

2013年07月06日 | 観劇記/タイトルた行
 世田谷パブリックシアター、2013年7月2日ソワレ。

 1942年1月、第二次世界大戦中の英国・イングランド地方の劇場。空襲が激しくなる中、とあるシェイクスピア劇団が『リア王』を上演しようとしている。だが主演俳優にして劇団を率いる老座長(橋爪功)は戦時下の心労で心神喪失状態。座長夫人(秋山菜津子)やベテラン舞台監督マッジ(銀粉蝶)は公演中止を主張するが、座長の付き人兼衣装係(ドレッサー)として長年座長に仕えてきたノーマン(大泉洋)は座長を舞台に上げられるのは自分だけだと奮闘する…
 演出/三谷幸喜、作/ロナルド・ハーウッド、翻役/徐賀世子、美術/松井るみ。1980年マンチェスター初演、83年映画化、二本初演は81年。全2幕。

 2005年のスズカツ版を観ているのですが、10年の公演ではノンちゃんが座長夫人を演じていたのですねえ、似合いそう!
 なんか『銀ちゃんの恋』にも通じるな、と思いながら観ていたのですが、ヤスは大部屋とはいえ俳優ですが、ノーマンは裏方であり、座長にとっては結局ノー・マン、誰でもない男だった、という話なのですねこれは。
 だからソーントン(浅野和之。オクセンビー役の梶原善といい、もったいないというか盛大な無駄使いというか…素晴らしかったです)にはビールをおごるのに、ノーマンを食事に連れて行ったことはかつて今まで一度もなかった。もちろん自伝の献辞に名前を挙げることもなかった…
 せつないとか悲しいとか虚しいとかより、怖い話だな、とか思いました。

 ただなー、やはり個人的には肌に合わないドライな笑いの芝居だなあ、とも思いました。
 なのに観客の多くは大泉洋だというだけで笑っているように見えたし、嵐の場面のドリフばりの展開にただ笑っているように感じました。
 そして演出家はまさに言うだけ野暮な笑いについての解説をプログラムに書いている…わかってるっつーの、そこがにやりとするところだってことは。
 でも観客を信じきれていないんだよね、だから書いちゃうんだよね。そして実態はそうだったと思いますよ、この台詞ににやりとした人がどれだけ会場にいたことか、怪しいと思います。
 このメンタリティの違い、国民性の違い、文化のあり方の違いは簡単には埋められないし必ずしも埋めなくてはいけないものでもないと思うし…難しいですよねえ。
 とりあえず、思ったほど楽しめなかったという愚痴であり、なんで再度観に行こうと思ったのか思い出せないよ過去の自分…という愚痴でした、すみません。

 あ、カーテンコールは改善されていました(笑)。もちろんたまたまだろうけれど。
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