駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『CHESS IN CONCERT』

2012年01月28日 | 観劇記/タイトルた行
 青山劇場、2012年1月27日マチネ。

 イタリアのメラーノでチェスの世界選手権が開催される。時の世界チャンピオンはアメリカ合衆国のフレディ(中川晃教)、傍らにはセコンドを務めるフローレンス(安蘭けい)がいる。対戦相手はソビエト連邦のアナトリー(石井一孝)。自由奔放なフレディはフローレンスの忠告にもかかわらず記者会見でアナトリーを罵り、記者たちから非難される。フレディは天才の栄光と孤独に苦しみ、アナトリーは国家を背負ってプレイする重圧に苦しんでいたが…
 作曲/ベニー・アンダーソンネビョルン・ウルヴァース、原案・作詞/ティム・ライス、演出・訳詞・上演台本/荻田浩一、音楽監督・Piano/島健。1986年のウエスト・エンド初演に先駆けて84年にリリースしたコンセプト・アルバムが大ヒットした作品『CHESS』のコンサート版上演。

 私はオペラでもコンサート版はあまり好きではなく、できれば全部観たい派でして…これも、ちゃんとした舞台でまた観てみたいなと思いました。
 複雑な楽曲を歌いこなすプリンシパルたちは素晴らしいし、セットも素敵だし、6人で支えるコーラスも出番が多く見どころは多いです(特に役名が振られていないのですが、チェスの精霊のような、白と黒の道化ふうのお衣装のダンサー・大野幸人が出色。アナトリーの妻スヴェトラーナにも扮したAKANE LIVは2プリンシパルたちに比するとさすがに分が悪くパンチが足りなく感じたかなー)。
 でも、台詞や状況説明がわずかしかなく、ドラマ部分というか芝居部分は省かれて歌の羅列で進むので(もちろんいかにもミュージカルというダンスナンバーもない)、歌詞をきちんと聴いてキャラクターやエピソードやストーリーを類推しなくてはならない、というのがけっこうしんどいわけですよ。周りではけっこう舟漕いでいる人もいましたしね(^^;)。
 それに、二幕になると話が俄然おもしろくなったと感じたし、ラストにいたってはいろいろと思うところがあったので、ぜひきちんとした物語を把握したい、全幕版(とは言わないのかな?)が上演されるならまた観たい、と思ったのでした。

 ヒロインを巡る男性ふたりはチェスの新旧世界チャンピオンですが、これはチェスの話ではなくて、あくまで戦争とか対決とか人生とかゲームとかの比喩としてチェスは用いられているのですね。
 「この世はすべてゲーム、ルールの乱れたゲーム」という歌詞はなかなかに厳しい。ルールあってこそのゲームですが、確かに人生はルールのないゲームのように思えることもあるものです。
 「Nobody’s on nobody’s side」というのはいかにも英語的な表現ですが、どう訳すといいのだろう、「誰も誰の味方ではない」という感じ? これも怖い。人は誰かを愛し誰かのために何かを取捨選択したりしながらも、それでも自分自身の人生をひとりで生きていかなければならないものなのでしょう。

 以下、ネタバレ。
 というワケで細かい設定がよくわからなかったのですが…
 てかそもそもチェス・プレイヤーのセコンドって何するんでしょうかね? ボクサーにセコンドがつくのは知っていたけどチェスにもあるなんて知りませんでした。囲碁や将棋にはそんなものはありませんよね。どんな役目なんだろう?(ググるほどの興味はない)
 そしてフレディとフローレンスが恋仲でもあるということが記者たちに詮索されるということは、そういう関係になるのはよくないとされるようなパートナーであるということ? たとえばタレントとマネージャーのような? でも普通はそれだけ近くにいて一緒に仕事していたらそらデキるよね(^^;)。
 何がいけないこととされていて、何故ふたりの関係がオープンにできないのかがよくわからなくて、そういう意味ではつまづきました。
 アッキーはやっぱりロックテイストの歌は絶品だし素晴らしいんだけれど、上背がないのもあってやはりいつも少年のように見えてしまいます。栄光と孤独に苛まれる天才少年、という役どころで、実際にフローレンスよりも年下なのか、それがネックになっているのか、それともたまたまそう見えるだけで本当はそうではないのか…そういう点がよくわかりませんでした。
 家庭的にも恵まれた育ちをしていないようで、フローレンスの愛情はやや母性的に過ぎたものもあったようにも見え(どうしてもトウコさんがお姉さんに見えるし)、それもまた屈託の種だったのかもしれませんが。
 でもフローレンスだって幼いころハンバリー動乱で両親を失って亡命してきたりしている身の上なわけで、家族には恵まれていないはずだし、後に明らかになるように彼女は明らかに「父の娘」だったのであって、そうそう母性なんか発揮できそうにないキャラクターにも思えます。
 それからすると彼女がアナトリーに惹かれるのは、彼が年長者だったからでもあったのでしょうか。もちろん今フレディとの関係に悩んでいるので、彼とは対照的なおちつきのあるところに惹かれて、ということなのかもしれませんが…
 そしてアナトリーにはソビエトに妻子がいた。しかしフローレンスのためにそれらをすべて捨てて、亡命してしまう…
 国家を背負って戦うことの重圧も、その国家や故郷や家族すべてを捨ててまったく見知らぬ土地に移ることの重大さも、現代の我々にはぴんときづらい部分もあり、そういうところも具体的な台詞劇で観たかったかなと思いました。
 一幕はここまでですが、要するに誰にも感情移入しづらいまま、一応お話を追っていた…という感じだったわけですね、少なくとも私は。

 二幕はその一年後、今度はタイのバンコクで世界選手権が開かれる。
 世界チャンピオンはアナトリー、セコンドはフローレンス。対戦相手はソビエトのプレイヤー。そしてフレディはテレビ業界に転進していて、インタビューやリポートをする…
 アナトリーの妻スヴェトラーナも現れる。アナトリーのもとをKGBが訪れ、フローレンスの父親は生きていてシベリアにいると告げる。アナトリーが試合に負けるかソビエトに帰国すれば解放してやると言う…
 アナトリーは試合に勝ち、そしてスヴェトラーナとともにソビエトに帰ります。フローレンスを残して。
 それはフローレンスのために、フローレンスに父親を返すためにした行為かもしれません。しかし条件は、「負けるか、帰るか」でした。つまり彼は試合にわざと負けることもできたはずなのです。試合か以上に現れないという不戦敗でも、手を抜くという負け方でも、なんでも。
 でも彼はそうはしなかった。チェスに対して真剣だったのでしょう。でも何故? それは愛よりも人生よりも大切なものなの? たかがボードゲームなのに?
 ここに来て初めて、タイトルにある「チェス」には、チェスというこのゲーム、競技には大きな魅力と魔力があるのだろう、と思わせられるのですが、それがどういうものなのか何故そんなにも夢中になるものなのか、といった説明はまったくないので、形としては捨てられたことになるヒロインがかわいそうに見えてぽかんとする…というところがなくもなかったです、私は。
 フローレンスがアナトリーに父性を見ていたのだとしたら、アナトリーに去られても父親は帰ってきたわけで、それでいいということなのかもしれません。アナトリーとの恋は本物の愛ではなかったのだ、と。フレディとの恋もそうだったように。
 本物の愛はこれから訪れるのかもしれない、訪れないのかもしれない…
 ラストシーンは個々がそれぞれ立ち尽くすような、特にハッピーエンドともバッドエンドとも言えないもので、それはそれで私は嫌いではないのですが、やはり気持ちよく納得するにはもう少しキャラクターとストーリーを理解したかった。その要素が歌だけ並べられたコンサート版では私には足りなかった…ということかな、と思いました。

 もうひとりのプリンシパルは浦井健治のアービター。試合の審判でもあり、狂言回しのような役どころでもある。これも素敵でした。
 トウコさんは、二幕の白いドレスは素敵だったんだけれど、一幕の黒のパンツスーツがなんか妙にバランスが悪く見えて残念でした。
 石井さんはこういう優男が絶品だと思います(^^)。堪能しました。
コメント
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