あうるすぽっと、2011年2月6日マチネ。
宇宙大学の入学試験最終テストは、外部との接触を断たれた宇宙船で、10人一組が53日間の宇宙飛行を成し遂げるというものだった。非常信号の発信ボタンを押して外部と接触すれば、生命は保障されるが、連帯責任で全員が不合格となる。しかし宇宙船・白号には何故か11人いた。受験生たちの試練が始まる…
原作/萩尾望都、脚本・演出/倉田淳。スタジオライフの萩尾作品の舞台化は『トーマの心臓』『訪問者』『メッシュ』『マージナル』に続く5作品目。
初めてのスタジオライフでした。
『トーマの心臓』を舞台化した、男性だけの劇団、というだけの認識しかありませんでした。
今年で創立26年と意外と歴史があるのだなとか、ほぼすべての作品を書いている脚本・演出家さんはひとりの女性だったんだなとか、今回初めて知りました。
いやあ、なんでも観てみるものですね。いろいろとおもしろかったし、考えさせられました(^^)。
スタジオライフの観劇歴がある知人に連れて行っていただいたのですが、
「漫画をほぼそのまんまやります。台詞もほぼそのまんまです」
と聞いてはいました。実際、今回は休憩なしの二時間半でしたが、この劇団の作品としては短い方だそうです。
「そのまんまやる」と聞いて覚悟はしていたのですが、原作漫画の最初の見開きにある、宇宙開拓史みたいなものから始まったのにはビックリしました。私はSF者なんで大好きだし、ある意味では重要だと思える部分ですが、耳で聞いてもとらえづらい言葉も多く、しかもあまり滑舌の良くないナレーションで、のっけから不安になってしまいました…
そのまま、原作漫画はなんと言っても1975年のもので、科学考証的にいろいろとごにょごにょ…な宇宙服がこれまたそのまんま登場し、またマスク越しだからというのもあるでしょうが聞き取りづらい棒読みの台詞が応酬され、ますます不安になり…
キャラクターの顔が見え出しても、仕方ないんでしょうがヌーム(林勇輔)に笑いは起きちゃうし、タダ(山本芳樹)のカチューシャも漫画まんまなんだけど実際に見るとひやややだし、フロル(及川健)の鬘もやたら長いしであわわわわとなり、なんか観ていくのが耐えがたいかも…と冷や冷やしました実は。
が、簡素なセットを意外に上手く使っていたり、フォース(仲原裕之)やガンガ(船戸慎士)が意外にていねいな演技をして締めてくれていたり、というのにだんだん慣れてきて…
そうしたら、やっぱり原作はよくできているし、ストーリーもオチもわかっていても話の展開にはドキドキさせられるし、だんだんワクワクしてきて、普通に見入ってしまいました。
最終的には、稚拙な部分も含めて、でも熱くまっすぐ一生懸命に演じている役者さんたち、というのにジンときちゃいましたし、それは最終試験に全力で挑むキャラクターたちの青春模様と完全に重なっていて、最後はほとんどホロリとさせられちゃいました。
最後にみんなで手を合わせるとこなんて、ホント青春!って感じで、いいですよね。
明るく未来に羽ばたいて終わる、素敵な作品になっていたと思います。
ま、個人的には、せっかく舞台化するんだから、漫画のまんまにやらずとも、もっと省略したり誇張したりすればよりいい舞台になったんじゃないの?と思わなくもありませんでしたが、それは多分そういうスタンスでは作品を作っていない、ということなのだと思うので、それならそれでいいのではないか、と最後は納得してしまったのでした。
ただのイケメンを愛でているだけの空間なんでしょ、なんて斜めに見る気持ちもなくはなかったのですが、そんなことを言ったら宝塚も同じだし、実際に似ている部分も多いのだろうな、とも思いました。
でも一番似ているのかもと思ったのは、性別はちがえど美形を愛でる、という部分ではなくて、一生懸命やっている人を応援する、役者のその熱い姿勢込みで鑑賞するファン・観客の見方かな、と思いました。これは外部の、一般的な舞台にはあまりないことなのではないかしら。
もちろん一般の舞台作品でも、演じている俳優さんそのもののファンというスタンスの観客もいるとは思いますが、ある演目のために立ち上がるカンパニーは、当然その演目、戯曲、芝居の世界を見せるために芝居をするのが大前提で、中の人・俳優はそれを体現する器にしかすぎない、という部分が大きいと思うのです。
でも、スタジオライフも宝塚歌劇も、それはある意味で真のプロフェッショナルではないということなのかもしれませんが、役と同じくらい役者を見せることにも意味があると思って作られている舞台ですよね。だって特に意味のない、あれだけ漫画そのまんまにやっているのに漫画にない、役者の顔見せだけのための場面とかがあったもん。それはそういうファンサービスであり、そういう舞台姿勢なわけですよね。
それがカンパニー制度というものの真髄なのかもしれません。
それはいいとか悪いとかではないということです。
逆に、宝塚とちがうなーと思った点は…宝塚歌劇では男性キャラクターも女性が演じるわけですが、だから普通の男性以上に素敵な男性になるように作るし、そういう男役が演じている男性キャラクターをより男性らしく見せるために、女性キャラクターを演じる娘役もまた普通の女性以上に素敵な女性になるように作っています。
そういう工夫を、スタジオライフではしていないように見えました。すごく簡単に言うと、ビジュアルがそんなに素敵ではなかった、ということです。いやファンの方すみません、怒らないで! 最後まで聞いて!!
男性が男性キャラクターを演じるのだから、そのまんまでよくてかっこよく補正する必要はない、という考え方ももちろんあるでしょう。しかしこれは原作が少女漫画です。キャラクターたちは少女漫画に出てくる少年、青年たちなのです。それは普通にしたってビジュアルがいいってことなわけですよ。
11人もいるし美醜の問題以前の異星人もいますし、明らかに美形とされているのはフロルくらいですが、しかし少女漫画において「普通の」キャラクターは「普通に」美しいものなのです。それが少女漫画の少女漫画たる所以です(言い切ったよオイ)。それを体現できていたとは私には思えなかった。
端的に言って、たとえば肩とか腰とか、体の補正をするだけでももっと素敵に見える人もいたはずなのに、そういうことをしていなくて、それが残念でした。
男性キャラクターがそのまんまだと、女性キャラクターは…まあフロルは正確には女性ではないわけですがしかし、それに準ずる存在として意味を持っているキャラクターなわけですが、扮する男優さんは背が低くて小柄だしなで肩なんだけど、でもそれはそういうタイプの男性だってだけで「女性らしい」ということとは違うし、私にはただただ普通の男性に見えました。
タダたちがそのまんまだから、フロルもそのまんまただの男性に見えた、ということです。でもそれじゃ違うんじゃないのかなあ、と思ったのです。たとえばこの演目を外部で上演するなら、フロルは女優が演じ、アルトの声であのべらんめえ台詞をやんちゃにしゃべって、それがいい、って役ですよね。それと同等か、それ以上のことをやれているようには私には見えなかった。
だから、ああせっかくなのにもったいないな、って思ってしまったのです。歌舞伎の女形が本物の女性以上に女っぽいと言われるように、宝塚歌劇の男役が本物の男性以上に素敵だと言われるように、単性の劇団でしかできないことがあるはずだよな、と私は思っているからです。
でも、これだけ言っておいてなんなんですが、最後の最後、カーテンコール(幕なしだったけど)のフロル笑顔には単純に「わあ、可愛い人」と思えたので、もしかしたら慣れなのかもしれませんすみません…
ところで、ということはやっぱりこれはよりディープにハマればBL的に楽しむものになるってことなんですかね。それも女性ばかりで演じられる宝塚歌劇が百合要素と表裏一体(そうなのか)なのと同じなんですかね。
ただ私は、男になれないと落ち込むフロルにタダが「僕と結婚しなよ」と言うくだりは、純粋にいいシーンだと思うし、ある種のラブシーンであり胸きゅんポイントで、しーんとして真面目に見なきゃいけないシーンだと信じていたのですが、今回客席からは笑いが起きていたのが衝撃的でした。
そりゃフロルのまばたきがオーバーだったけど、でも!
笑ったらラブじゃないじゃん、真面目だからラブなんじゃん、笑ったらギャグになっちゃうじゃん!って悲しかったんだけどなあ…それともテレ隠し?
二度目と言うかラストの「熱があるかも…』の絡みは笑っていいんだと思うんですけれど。感覚の違い? 私がスタジオライフ初心者だから??
うーん、いろいろと深そうです…
とりあえず『ファントム』にも興味あるし、またひとつ世界が広がった観劇体験となりました。
あ、ダブルキャストでその日舞台に出ていない役者さんが物販の売り子をしていたり、チケットのモギリをやっていたりするのも、小劇場ではわりとあたりまえなのかもしれませんが、私には新鮮で楽しかったです(^^)。
宇宙大学の入学試験最終テストは、外部との接触を断たれた宇宙船で、10人一組が53日間の宇宙飛行を成し遂げるというものだった。非常信号の発信ボタンを押して外部と接触すれば、生命は保障されるが、連帯責任で全員が不合格となる。しかし宇宙船・白号には何故か11人いた。受験生たちの試練が始まる…
原作/萩尾望都、脚本・演出/倉田淳。スタジオライフの萩尾作品の舞台化は『トーマの心臓』『訪問者』『メッシュ』『マージナル』に続く5作品目。
初めてのスタジオライフでした。
『トーマの心臓』を舞台化した、男性だけの劇団、というだけの認識しかありませんでした。
今年で創立26年と意外と歴史があるのだなとか、ほぼすべての作品を書いている脚本・演出家さんはひとりの女性だったんだなとか、今回初めて知りました。
いやあ、なんでも観てみるものですね。いろいろとおもしろかったし、考えさせられました(^^)。
スタジオライフの観劇歴がある知人に連れて行っていただいたのですが、
「漫画をほぼそのまんまやります。台詞もほぼそのまんまです」
と聞いてはいました。実際、今回は休憩なしの二時間半でしたが、この劇団の作品としては短い方だそうです。
「そのまんまやる」と聞いて覚悟はしていたのですが、原作漫画の最初の見開きにある、宇宙開拓史みたいなものから始まったのにはビックリしました。私はSF者なんで大好きだし、ある意味では重要だと思える部分ですが、耳で聞いてもとらえづらい言葉も多く、しかもあまり滑舌の良くないナレーションで、のっけから不安になってしまいました…
そのまま、原作漫画はなんと言っても1975年のもので、科学考証的にいろいろとごにょごにょ…な宇宙服がこれまたそのまんま登場し、またマスク越しだからというのもあるでしょうが聞き取りづらい棒読みの台詞が応酬され、ますます不安になり…
キャラクターの顔が見え出しても、仕方ないんでしょうがヌーム(林勇輔)に笑いは起きちゃうし、タダ(山本芳樹)のカチューシャも漫画まんまなんだけど実際に見るとひやややだし、フロル(及川健)の鬘もやたら長いしであわわわわとなり、なんか観ていくのが耐えがたいかも…と冷や冷やしました実は。
が、簡素なセットを意外に上手く使っていたり、フォース(仲原裕之)やガンガ(船戸慎士)が意外にていねいな演技をして締めてくれていたり、というのにだんだん慣れてきて…
そうしたら、やっぱり原作はよくできているし、ストーリーもオチもわかっていても話の展開にはドキドキさせられるし、だんだんワクワクしてきて、普通に見入ってしまいました。
最終的には、稚拙な部分も含めて、でも熱くまっすぐ一生懸命に演じている役者さんたち、というのにジンときちゃいましたし、それは最終試験に全力で挑むキャラクターたちの青春模様と完全に重なっていて、最後はほとんどホロリとさせられちゃいました。
最後にみんなで手を合わせるとこなんて、ホント青春!って感じで、いいですよね。
明るく未来に羽ばたいて終わる、素敵な作品になっていたと思います。
ま、個人的には、せっかく舞台化するんだから、漫画のまんまにやらずとも、もっと省略したり誇張したりすればよりいい舞台になったんじゃないの?と思わなくもありませんでしたが、それは多分そういうスタンスでは作品を作っていない、ということなのだと思うので、それならそれでいいのではないか、と最後は納得してしまったのでした。
ただのイケメンを愛でているだけの空間なんでしょ、なんて斜めに見る気持ちもなくはなかったのですが、そんなことを言ったら宝塚も同じだし、実際に似ている部分も多いのだろうな、とも思いました。
でも一番似ているのかもと思ったのは、性別はちがえど美形を愛でる、という部分ではなくて、一生懸命やっている人を応援する、役者のその熱い姿勢込みで鑑賞するファン・観客の見方かな、と思いました。これは外部の、一般的な舞台にはあまりないことなのではないかしら。
もちろん一般の舞台作品でも、演じている俳優さんそのもののファンというスタンスの観客もいるとは思いますが、ある演目のために立ち上がるカンパニーは、当然その演目、戯曲、芝居の世界を見せるために芝居をするのが大前提で、中の人・俳優はそれを体現する器にしかすぎない、という部分が大きいと思うのです。
でも、スタジオライフも宝塚歌劇も、それはある意味で真のプロフェッショナルではないということなのかもしれませんが、役と同じくらい役者を見せることにも意味があると思って作られている舞台ですよね。だって特に意味のない、あれだけ漫画そのまんまにやっているのに漫画にない、役者の顔見せだけのための場面とかがあったもん。それはそういうファンサービスであり、そういう舞台姿勢なわけですよね。
それがカンパニー制度というものの真髄なのかもしれません。
それはいいとか悪いとかではないということです。
逆に、宝塚とちがうなーと思った点は…宝塚歌劇では男性キャラクターも女性が演じるわけですが、だから普通の男性以上に素敵な男性になるように作るし、そういう男役が演じている男性キャラクターをより男性らしく見せるために、女性キャラクターを演じる娘役もまた普通の女性以上に素敵な女性になるように作っています。
そういう工夫を、スタジオライフではしていないように見えました。すごく簡単に言うと、ビジュアルがそんなに素敵ではなかった、ということです。いやファンの方すみません、怒らないで! 最後まで聞いて!!
男性が男性キャラクターを演じるのだから、そのまんまでよくてかっこよく補正する必要はない、という考え方ももちろんあるでしょう。しかしこれは原作が少女漫画です。キャラクターたちは少女漫画に出てくる少年、青年たちなのです。それは普通にしたってビジュアルがいいってことなわけですよ。
11人もいるし美醜の問題以前の異星人もいますし、明らかに美形とされているのはフロルくらいですが、しかし少女漫画において「普通の」キャラクターは「普通に」美しいものなのです。それが少女漫画の少女漫画たる所以です(言い切ったよオイ)。それを体現できていたとは私には思えなかった。
端的に言って、たとえば肩とか腰とか、体の補正をするだけでももっと素敵に見える人もいたはずなのに、そういうことをしていなくて、それが残念でした。
男性キャラクターがそのまんまだと、女性キャラクターは…まあフロルは正確には女性ではないわけですがしかし、それに準ずる存在として意味を持っているキャラクターなわけですが、扮する男優さんは背が低くて小柄だしなで肩なんだけど、でもそれはそういうタイプの男性だってだけで「女性らしい」ということとは違うし、私にはただただ普通の男性に見えました。
タダたちがそのまんまだから、フロルもそのまんまただの男性に見えた、ということです。でもそれじゃ違うんじゃないのかなあ、と思ったのです。たとえばこの演目を外部で上演するなら、フロルは女優が演じ、アルトの声であのべらんめえ台詞をやんちゃにしゃべって、それがいい、って役ですよね。それと同等か、それ以上のことをやれているようには私には見えなかった。
だから、ああせっかくなのにもったいないな、って思ってしまったのです。歌舞伎の女形が本物の女性以上に女っぽいと言われるように、宝塚歌劇の男役が本物の男性以上に素敵だと言われるように、単性の劇団でしかできないことがあるはずだよな、と私は思っているからです。
でも、これだけ言っておいてなんなんですが、最後の最後、カーテンコール(幕なしだったけど)のフロル笑顔には単純に「わあ、可愛い人」と思えたので、もしかしたら慣れなのかもしれませんすみません…
ところで、ということはやっぱりこれはよりディープにハマればBL的に楽しむものになるってことなんですかね。それも女性ばかりで演じられる宝塚歌劇が百合要素と表裏一体(そうなのか)なのと同じなんですかね。
ただ私は、男になれないと落ち込むフロルにタダが「僕と結婚しなよ」と言うくだりは、純粋にいいシーンだと思うし、ある種のラブシーンであり胸きゅんポイントで、しーんとして真面目に見なきゃいけないシーンだと信じていたのですが、今回客席からは笑いが起きていたのが衝撃的でした。
そりゃフロルのまばたきがオーバーだったけど、でも!
笑ったらラブじゃないじゃん、真面目だからラブなんじゃん、笑ったらギャグになっちゃうじゃん!って悲しかったんだけどなあ…それともテレ隠し?
二度目と言うかラストの「熱があるかも…』の絡みは笑っていいんだと思うんですけれど。感覚の違い? 私がスタジオライフ初心者だから??
うーん、いろいろと深そうです…
とりあえず『ファントム』にも興味あるし、またひとつ世界が広がった観劇体験となりました。
あ、ダブルキャストでその日舞台に出ていない役者さんが物販の売り子をしていたり、チケットのモギリをやっていたりするのも、小劇場ではわりとあたりまえなのかもしれませんが、私には新鮮で楽しかったです(^^)。