駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』(集英社ジャンプコミックス全23巻)

2020年12月23日 | 乱読記/書名か行
 時は大正時代。炭を売る心優しき少年・炭治郎の日常は、家族を鬼に皆殺しにされたことで一変する。唯一生き残ったものの、鬼に変貌した妹・禰豆子を元に戻すため、また家族を殺した鬼を討つため、炭治郎と禰豆子は旅立つ…血風剣戟冒険譚。

 最終巻をちゃんと予約して買った後輩が、すぐ全巻貸してくれました。
 話題を耳にし始めたのは、やはり去年でしたかね。テレビアニメの出来がいいんだってね、それで原作漫画も売れてきているんだってね、コミックスの重版部数がすごいんだってね、みたいな…で、今年になってアニメ劇場版も大騒ぎになり、最終巻発売に関してもたいそうなニュースになりましたね。
 以前テレビでやっていた総集編みたいなのを一応録画して見たんですけど、1本目は立ち上がり編みたいな感じで見やすかったのですが、2本目の蜘蛛の話は退屈して途中で再生をやめて録画ごと消してしまいました。でも絵は確かに綺麗だなと感心しましたね。とはいえ私は最近のテレビアニメをほとんど見ていないので(最近見たもので『推し武道』くらいか…?)、クオリティのレベルとかはわからないのですが…
 職場周りの評判としては、「おもしろいけど、そこまで売れるほどでは…」というようなものが多く、そういう意味でも今まで今ひとつ手が伸びなかったのでした。でも、貸してもらえるというなら一応抑えておかなくてはね、という感じで、フラットに読んでみた次第です。

 で、やはり、「おもしろいけど、そこまで売れるほどでは…」と思いました。主人公ががんばり、仲間たちと助け合い、敵と戦う。必殺技とか出ちゃう。泣かせる。笑わせる。キャラの立った登場人物が何人も出てきて、それぞれにドラマがあったりする。…そんな大枠だけで言えば、これまでにも似た作品はたくさんありましたし、もっと出来がよかったものだってたくさんあったと思います。主人公の在り方含めて特に目新しいと感じたところは私はなかったし、画力がむちゃくちゃ高いというわけでもないと感じました。よく残酷な描写が云々と言われることがありますが、そもそもリアルめな絵柄ではないしそんなに上手くもないので、生々しいとか怖いとか教育上良くないというほどのこともないのでは、と思いました。
 ただ、わりに展開がスピーディーでストーリーがさくさく進み、23巻という近年のヒット作では短めの長さできっちり完結したのはよかったんだろうな、と思いました。あとはアニメの出来が良くて原作コミックスに人気が波及したときに大人買いしやすい巻数だったことや、その後のコロナ禍のステイホーム期間にもネット通販など購入が進んだことも大きいのだろうし、今は売れるものがより売れる傾向にあるので、みんなが「そんなに人気なら読んでみるか」となってのこの部数だったんだろうな、とも推測されます。そういう読者は近年の、あるいは歴史的にすでにある似たタイプの作品は履修していないことが多いので、ほぼ初めて出会ったこの作品にすこんとハマったのでしょうね。
 それを揶揄するつもりはもちろんありません。テレビアニメを見ること、コミックスを買うこと、書店に行くこと、週刊漫画誌を買うこと、劇場用アニメを映画館に観に行くこと…をこの作品で初めてしたという人がたくさんいて、もしその一部でも習慣化されるなら、業界としてこんなにありがたいことはありません。何よりそこまで愛し夢中になりハマれる作品に出会えた喜びを人として、オタクとして寿ぎたいです。その作品が冷静に考えたら、長い目で見たら、そんなに傑作でも名作でもないかもよ、なんてことは言うだけ野暮です。
 でも作家さんには、次回作があるのだとしたらまたがんばってみていただきたいです。子孫とか生まれ変わりとかで落とすラストはアリだなとか思っていたのですが、まさかキメツ学園ってこのネタ振りだったの…!?みたいなところには才能を感じたので。ただ、1作で燃え尽きちゃう作家さんってのも意外に多いものですからね…と、嫌みな古参として不吉なことを言っておきます。
 個人的には、マイ萌えキャラが得られなかったのも、この作品がそんなに響かなかった原因かもしれません。私はメガネ参謀タイプとかノンシャラン天才ライバルみたいなキャラが好みなんですが、意外とそういうタイプのキャラがいませんでしたしね…あとは不憫な優等生というのも大好物なので、いっそ村田さんかな、とかなりました(笑)。←「(笑)」とか失礼だな…(笑)
 タイトルになるほど刀剣にものすごく意味があったわけでもないところもなかなかに不思議に感じました。また少し時間が経つと評価もいろいろ変わってくるのかもしれませんが、とりあえず私の感想はそんなところです。萌え萌えで大好きで世紀の傑作だと考えている方々には、申し訳ありませんでした…


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島田明宏『絆』(集英社文庫)

2020年10月19日 | 乱読記/書名か行
 拓馬の家は福島県南相馬の競走馬生産牧場だ。2011年3月11日、東日本大震災の津波で牧場は壊滅、愛馬シロは子馬を産み落として事切れた。恋人も失った拓馬に唯一残された希望でもある子馬は「リヤンドノール(北の絆)」と名付けられ、競走馬として成長していくが…相馬野馬追の地を舞台に描く、人と馬の祈りの物語。

 正直、ルポルタージュも書ける競馬記者が取材して着想を形にしただけの小説で、文芸とまで呼べるほどの深みはないかな…と思ってしまいましたが、それでもこうした馬ものを読むのが久々だったので、けっこう楽しくのめり込んで読んでしまいました。恋人を亡くした主人公の前に次々美女が現れてモテモテになる…みたいな展開がないのもよかったです(笑)。まあそうした人間模様がきちんと描ければもっともっと深い作品になったのかもしれませんけれどね。でも、できすぎだろうがなんだろうが、それはお話だからいいのです。ワクワク読んだし感動しました。
 なので以下は、本の感想ではなくただの自分の思い出語り、覚え書きです。私が競馬にハマっていたことろの観戦記や日記その他を上げていたサイトはもうなくなってしまっていて、デジタルのテキストデータとしてはもうないからです。まとめた同人誌はまだ実家にありますけれどね…(笑)

※※※

 私は騎手の武豊と同じ年の生まれ、向こうが早生まれなので一学年下になります。向こうは中卒で2年か3年競馬学校に学んで騎手デビューしたんでしたっけ? ジェンヌか!って感じですよね。なので先輩のミッキーともどもヤングでイケメンでまあまあ勝てるスター騎手が揃ってきたときに世はバブル真っ盛りないし終宴間近、JRAは競馬場に女性客を呼び込もうと大々的なキャンペーンを張り、それに「いっちょ覗いてみようか」となった当時の女子大生のひとりが私だったのでした。
 で、ホントーにハマりました。平日は大学の授業と家庭教師のアルバイトに明け暮れ、週末はラジオの競馬中継を聞きながら一日中同人誌の原稿を描く日々になりました。私が初めてコミケに行ったのは中学の時だったかもう高校に入っていたか、とにかくまだ晴海で世はキャブ翼全盛期だったんですけれど、私はオリジナルSFなんかをコツコツ描いていたのでした。もちろんディスコを覗いたこともあったしワンレンボディコンでしたがなんせ地味な大学だったし苦学生でもあったので、ひたすらバイトと趣味に生きていたわけです。
 そして好きになった馬がレースに出るとなれば北は札幌競馬場から南は九州、小倉競馬場まで、夜行バスや新幹線や飛行機で観戦に出かけていったものでした。宝塚歌劇にハマる前の私にとって関西とは、淀と仁川と栗東トレセンだったわけです。買う馬券は数百円で、当たりゃしないし、交通費の方が全然高くて、レースは本公演3時間どころか長くても3分ないわけですが、それでも生でその場にいることが大事だったわけで、腰軽くどこへでも行きました。
 地味な大学でも世はバブル、大学を卒業して就職するまでの春休みにはクラスメイトは三々五々アメリカだヨーロッパだと一週間ほどの卒業旅行に旅立ちましたが、私は静内の競走馬の生産牧場で二週間の住み込みバイトをして過ごしました。実家のそばに乗馬クラブがあったので乗馬も始めていたのです。家族経営の牧場がほとんどでしょうがそこはわりと大きめで、全国から馬産に情熱を抱く若者が働きに来ていて寮もあって、私もお客さん扱いされることなくフツーに働かせてもらいました。ただ東京から来た女の子、という面も確かにあって、冗談でしょうがうちの跡取りの嫁に来いと何人もの牧場主から声かけられたりもしました。けれど私はもう今の会社の内定が出ていたので、予定どおり帰京し、就職したのでした。
 仕事が忙しくなると週末の休日は貴重になって、競馬場へ出かけたりテレビ観戦したりすることは少なくなっていきました。都内でひとり暮らしも始めましたが、週末には実家に帰って上げ膳据え膳一番風呂のウィークエンド・パラサイト生活を送っていて、昼間は乗馬クラブで犬の散歩をし愛馬に跨がり、ときどきローカルな競技会に出ては落馬執権を繰り返すような日々を結局20年過ごしました。馬仲間と千葉や軽井沢や盛岡や青森や旭川に外乗旅行に出かけましたし、オーストラリアにも行きました。モンゴルに行っておけばよかったなーと今でも思っています。
 四十歳になったときにトートツに家を買おうと思い立ち、都内に新築マンションを買って、それで週末に実家に帰る生活はやめて、合わせて愛馬も手放し乗馬クラブも退会しました。鞍も長靴もヘルメットも乗馬クラブに寄付してしまいましたが、キュロットとチャップスは取ってあるので、そのうちハワイででもまた乗りたいです。自転車と同じで、乗馬も乗るとなったらまた思い出して乗れるだろうと信じています。
 小学校に上がったときに父が犬をもらってきてくれてずっと飼っていましたが、乗馬を始めたのと入れ替わるように天国へ旅立ちました。犬と馬はずっと好きです。猫も好きだけど飼ったことがないので触り方や可愛がり方がよくわかりません。でも犬と馬は、わかる。馬は犬のようには表情豊かではないけれど、耳はもちろん、全身の仕草で感情や考えを伝えてきます。何より人に添おうとしてくれる動物です。愛しい生き物です。
 この小説は震災の年に生まれた子馬を巡って前後数年を描いていますが、私は架空の一年間の物語を考えていたことがありました。春の桜花賞から暮れの有馬記念まで、そしてまた春へ…という一年間です。若手騎手の青年が主人公で、競馬記者の卵がヒロインで、獣医の女性や若い馬主や恩師の調教師やライバル騎手や生産牧場や育成センターやのキャラとドラマとレースを考え、4分の1ほどは描いたんだったかなあ…全体の構想をすべて書き付けたノートが、まだ実家にあるでしょうか? オタクとしてはやっていることが四十年前から変わらないのでした。
 仕事で凱旋門賞にも英仏ダービーにも行きました。今でも馬モチーフのアクセサリーなんかには目がなくて、エルメスにもグッチにもどれだけ散財したかわかりません。馬具屋スタートのハイブランド、恐るべし。
 今は馬の歳の数え方も違うし重賞体系も馬券の種類も違うんだそうですよね。それでもまたたまには競馬場へ、牧場へ、乗馬クラブへ、外乗へ、馬術競技場へ行きたいです。






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あだち充『KATSU!』(小学館少年サンデーコミックス全16巻)

2020年08月18日 | 乱読記/書名か行
 里山活樹、15歳。光葉高校の一年生。水谷香月、15歳。活樹のクラスメイト。父親は水谷ボクシングジムの会長だが、現在は別居中。母親とふたり暮らしで、大のボクシング嫌い。そんな水谷家の事情を知らず、香月に近づこうとして水谷ボクシングジムに入会してしまった活樹だったが…

 引き続き「あだち充夏祭り」を開催中で、『虹色とうがらし』『いつも美空』『QあんどA』と読みました。珍しくもなんちゃってSFをやってみた『虹色~』は悪くなかったと思うのですが、いかんせん時の将軍とはいえ腹違いの子供を7人も8人も作る父親像が個人的には受け入れがたく、評価対象外としたいキモチになりました。後者2作にいたっては作品として完全に破綻していて、けれども担当編集者がおもしろいアイディアを出せなかったのだろうしそれでも編集部は人気作家の連載が欲しかったのだろうし、という事情が透けて見えて悲しかったので、ここでは取り上げません。
 この作品も、全体として見ると出来は決して良くない気もするのですが、おもしろいことをやっているとは思うので、ちょっと語りたくなりました。水泳だった『ラフ』に続いてスポーツは野球ではなく、ボクシングです。これは担当編集者にプロボクサー出身者がいたからだと思うのだけれど、そういうのがなくても格闘技はまた別枠で好きという男性は多いので、もともと作者の興味はあったのかもしれません。
 でも、ヒロインにもやらせるのはなかなか珍しい趣向だと思います。『ラフ』でヒロインが主人公と同じ水泳部だったのとはワケが違います。なので香月はいわゆる南ちゃんタイプの、女神ヒロインではありません。これだけ腕力が振るえる女性キャラクターというものは、決してそれが単なる暴力ではなくあくまでスポーツに則ったものだとしても、引く男子読者は多いことでしょう。
 しかも、彼女にどんなに才能やセンスがあって幼い頃から親に教わって十分な鍛錬を続けてきたのだとしても、そこらの男子相手のただの喧嘩ならまだまだ勝てても、ちょっとちゃんとした男子がそれなりに練習して試合するとなったら、あたりまえですがもう勝てない。体力、ウェイト、パンチ力…それはもう、明らかな性差によるものなので、太陽が西から昇っても覆らない。でもそれを描いたとて、ヒロインの悔しさや無念さを描いたとて男子読者には1ミリも響かないんですよね。なのに描く。不思議な展開です。
 そして香月は女子ボクシングで勝ちたいとか男子になりたいとかいうのとも違って、ただ男子ボクシングが好きで自分でもやっていただけなので、どこかでその死に場所みたいなものを探していたのでした。そんなヒロインに、普通の男子は明らかにどうとも絡みようがない。まあ活樹はだいぶ無頓着で、彼女に対しても可愛い顔に惹かれての一目惚れみたいな体たらくで、いろいろ因縁があったりなんたりして結果として彼女の夢や理想を負うことになってもなおそれに対してあまり頓着しないという、いたってザッツ・あだち主人公な男性キャラクターなので、なんとかお話が成立したのかもしれません。
 ともあれ作者としては香月ってけっこう描きづらかったのではなかろうかとか、そもそもヒロインとしてあまり読者の人気がなかったんじゃなかろうかとか、読んでいてけっこう心配になるレベルだったのですが、特に破綻したりキャラブレしたりしていない感じなのはすごかったかな、と思います。ま、単なるラッキーだったのかもしれませんが。
 ただ、主人公に対するライバル、恋敵として今回もザッツ・あだちキャラの紀本くんが設定されていて、彼が珍しくいわゆる「メガネくん」なことと、にもかかわらずザッツ・あだち恋敵キャラとして機能しているので、しかもそれが物語の前半だけで一山越えちゃうとキャラ変とまでは言わないまでもポジション変えしてラストなんか全然出てこなくなっちゃうので、ちょっとオイオイってなってしまった、というのは、あります。ホラ私メガネくん推しだからさ。あと、彼と活樹との試合に対して香月がしたことは、けっこうひどいことだと私は思うんですよね。自分は手加減されることをあんなに嫌っていたのに、彼らに対して同じことをしていて謝りもしないし、男子ふたりもそれをよしとしていることが納得いきませんでした。私はこの試合もラストの岬くんとの試合も、どちらも活樹は負けることにした方が良かったのではなかろうかと思っているので、ちょっと納得しづらかった、というのもあります。
 活樹って結局サラブレッドなので、あだち主人公としては珍しい設定です。この作者は天才とか二世とかではない、普通の、まあちょっと情熱はあったり努力したりはするかな、程度のスポーツマンを主人公にすることがほとんどだからです。でも今回の活樹の設定はほとんど卑怯なくらいだと思うし、それが私には、そもそもボクシングをしていたのはヒロインの方だった、という捻れに対する鏡のようなものにも思えるのでした。
 ボクシングって結局殴り合いで、拳で戦うっていうのは本当に男性的というか野蛮っていうか動物的っていうかで、いや男なら本能的にそうやって戦うもんだよとか言われても、それって女性に対して子供を持ったら必ず母性本能が発揮されるんだよみたいな、嘘くさい、信仰とか思い込みに近い性差別な気がしちゃうんですよね。そんなボクシングを当初ヒロインにやらせて、でも天地がひっくり返っても彼女は男子に勝てなくて、それは天地がひっくり返っても男性には子供が産めないのと同じ摂理で、あくまで性差によるものなんだけれど、だからその流れで、活樹は実の父親の血から才能を受け継ぎ、義理の父親の教育によって開花させたんだとなっているようで、はっきり言ってちょっとぞっとするのでした。
 ちょっと話がズレますが、こういう才能とか能力の遺伝、もっと言ってプレイスタイルみたいなものまでが遺伝するとする考え方って、とっても男性っぽいと私には思えます。それくらい男って、自分の女が産んだ子供が自分の種か自信がないんだな、と思う。自信がないのは当然で、当の女だって毎日違う男と交わって一週間過ごすことだってないこともないわけでその場合は誰の種かなんてやっぱりわからないわけですが、自分が産んだ子が自分の子であることにはあたりまえですが絶対的な自信が持てますよね。たいていの場合は自分の身体から出てきたところを目撃しているんですからね。けれど男は自信が持てない。どんなに婚姻で相手を縛ろうと、別姓を認めないくらいに支配しようと確証は決して訪れません。だからこそ、こういう能力の遺伝みたいなドリームを抱くんだと思うのです。
 それでいいのかよ、当人の個性は無視なのかよ、とか言いたくなります。今まで、そういう普通の、市井の、個性あふれるスポーツマンをたくさん描いてきたのに…この作者はそんなにマッチョな方ではないけれど、それでも格闘技というどうしてもマッチョにならざるをえないものを扱うとなると、こういうマッチョなことになるのだな、と私は思いました。親世代に因縁があって…というのは最新作『MIX』でもやっているけれど、あちらは遺伝云々に関してはここまで響かせないのでは…と私はむしろ祈るように思っています。
 これが尾を引いているせいなのかなんなのかわかりませんが、これまた作者はこれまであくまでアマチュアスポーツというか、青春模様を描くための部活動の延長のような競技ばかりを描いてきていて野球ですらプロについてはほとんど扱ってこなかったのに(
『アイドルA』などある種のプロ野球漫画がないこともないのですが)、今回に関してはプロ転向があるかないかみたいな話も終盤ぶっ込まれていて、そして完全に中途半端に終わるのが、作者自身の中で完全に意見がまとまらなかったんだろうなという気がして、作品としての完成度を著しく落とす要因のひとつにもなっていると思いました。プロ競技はなんでもそうですがボクシングの甘くなさ加減は本当にそのとおりで、少年漫画の夢あるビジョンとして提示するにはそれこそ作者自身の知見もあるだけに簡単にはできなかったのではないでしょうか。ならそれこそ活樹はあっさり岬くんに負けて、そしてやっぱりボクシングは高校までで終えるよと宣言したって、別にお話になんの変わりもなかったと思うんですよね。岬くんの生き方は岬くんのもので、またどうとでも描けたと思いますし、負けたからあきらめられるとか甘っちょろいなーとか私は正直思っちゃいましたよ。勝っちゃって、でも辞めざるをえない、という状況はありえるし、そのしんどさを描けよ、と思ってしまったのです。紀本くんに対しても岬くんに対してもコレなんだもん、いくら少年漫画の主人公は勝つものだって言ったって、あだち作品はそういう王道とはちょっと違うところに位置するからこそいいんだし、活樹がそれこそプロ転向するなら理屈としてはこの先も一生好きなだけボクシングをできるわけで、だったらそっちでいくらでも勝てるんだからここは譲るのが筋だろう、と思えてしまうのです。紀本くんも岬くんも活樹とは違う、それでもかなり重いものを背負って戦っていただけに、私は悲しくなりました。活樹は香月とくっつくんだから、せめてボクシングに関しては彼らと同様に、「ここまでね」ってなってもよかったんじゃないの? 香月も別に活樹にプロボクサーになってもらいたかったわけではないと思うんだけれど…どーにもならなくなって出したのがバレバレの理子の在り方とか、ホント許しがたいくらいです。それで言うと活樹のビジュアル(というか髪型程度、ですが)も登場時は変えようという気合いが見えたのに、すぐに手癖のいつものビジュアルになってしまっていたのも残念でした。それは甘えだよさすがに…てかキャラがかわいそうです。
 そういういろんな揺れとかブレとか不完全燃焼とか迷走とかを含んだ、でも崩壊しているというほどではなく不思議になんとなくまとまって収まった、ちょっと変わった一作だと感じました。






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荒川弘『銀の匙』(小学館少年サンデーコミックス全15巻)

2020年06月30日 | 乱読記/書名か行
 目的も夢もなく大蝦夷農業高校に入学した八軒勇吾。将来の目標が定まっているクラスメートたちに劣等感を抱きつつ、実習や部活に悪戦苦闘…

 人気を博しているのは知っていましたが、やっと読んでみました。
 私は武豊と同い歳で(学年は向こうがひとつ上)、大学時代に彼ら若手騎手をニンジンにJRAが女性を競馬場に呼ぼうと大々的に始めたキャンペーンに乗っかって友達とともに初めて競馬場に行ってみて、わかりやすくハマり、大レースを生で観るために北は札幌から南は小倉まで夜行バスやらなんやらでどこへでも出かけ、『優駿』編集部でバイトをし、近所の乗馬クラブに通い、静内の競走馬の生産牧場に泊まり込みでバイトさせてもらったこともあるのでした。今考えると、あれが青春でしたね…やがて社会人になって忙しくなると競馬を追うのはやめてしまったけれど、40歳でマンションを買って週末の実家パラサイト生活をやめるまで、乗馬はずっと続けていました。小障害の完走もできないようなへっぽこウィークエンド・ライダーでしたが、十勝や軽井沢に外乗旅行に行ったりもしました。車は持っていませんでしたが、馬は持っていたのです(笑)。
 それ以外はまったくの町っ子の、ひ弱な育ちで、田舎も怖いし農業ののの字も知りません。それでも、楽しく読みました。わかる、と感じるところがたくさんありました。
 主人公の3年間の高校生活をきっちり描いた漫画で、クラスメイト始めたくさんのキャラクターが出てきますが、キャラ萌えとかストーリーテリングとかいうよりは個々のリアルで具体的なエピソードのおもしろさで読ませるタイプの作品ですね。もちろんいろいろ取材もしているのでしょうが、作者の育ちと環境を生かしたレアな作品かと思います。学生起業にいたる農業の問題点とか未来とかも描いているのですが、お説教臭さはなくて、人はいずれ夢に出会うよ、がんばってごらん、というのが根本的なテーマでしょうか。別に彼女を甲子園に連れて行くために野球がんばる!とか海賊王になって世界の海を制する!とか秘宝の珠を集めて世界の運命を変える!とかじゃなくても、ちゃんと少年漫画なんだな、と好感を持ちました。初回と最終回のイントロが同じ、というのも好もしい。というか行き倒れかけた主人公が馬上のヒロインと出会う、ってのがゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』と同じ、というのが確か連載スタート時に話題になりませんでしたっけね…懐かしい。今どきかなり清い主人公の恋と、やっとやっとのキスシーンの可愛らしさ、美しさも特筆ものでした。お幸せに!
 『鋼の錬金術師』からすると、絵柄の変わり方が、なんというかちょっと珍しい感じでしたが…目か手をどうにかしたのか?という気すらしましたが、嫌な感じではなかったので、何か試行錯誤があったのかな? 特にヒロインの顔なんか、もっと可愛く描けるだろう、という気がしたのですが…
 実写映画にもなったんですよね、機会があれば観てみたいです。

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田辺イエロウ『結界師』(小学館少年サンデーコミックス全35巻)

2020年06月03日 | 乱読記/書名か行
 妖怪退治の専門家、結界師。22代目当主予定の中学二年生・墨村良守は妖の類を呼び寄せる不思議な土地・烏森を守ることを先祖代々伝わるおつとめとしていた。お隣に住むもうひとりの結界師、雪村時音とは、どちらが正統な後継者かを争っている。しかし、過去に自分の失態によって時音に大けがを負わせてしまった良守は、時音を二度と傷つけないために強くなることを誓い…

 いい絵だな、とずっと思っていて、人気があるとも聞いていたので、そのうち読みたい…と思ってから、長い年月が経ってしまいました。
 この漫画家さんも、こんなペンネームですが女性ですよね。でも別に性差は感じない絵、作品だと思いました。ただ、人間性は出てると思いました。
 絵はとても上手い。デッサンが確かだし、多彩なキャラクターをきちんと描き分ける画力があるし、水彩ふうのカバーイラストのセンスもいい。異能力とか妖怪とかのイマジネーションと、それを描き出せるだけの力量もある。とても端正で、達者な絵です。
 ただ、端正すぎて色気とか愛嬌とかの味わいには欠ける…かもしれない。これはおそらく漫画家さんの性格によるもので、未だテレがあるんじゃないのかなー。ちょっとカッコつけすぎちゃうところがあるというか。もうこれは性格だろうからしょうがないんだろうけれど、ちょっともったいない気がしました。
 あと、絵は上手いけどネームは普通。ものすごく上手い、ということはない。そして残念ながらストーリーテリングはあまり上手くないと見ました。
 初連載作品なのでどこまで続けられるかわからず、どうストーリーの風呂敷を広げていいか悩む…というようなことはあったかと思います。それでも作家の中にはわりと最初から構想がいろいろあったのでしょう。人気が出て、続けられるとなって、じゃあ、と順に出していったのでしょうが、でも、その出し方がどうにも良くなかった気がするのです。
 おそらく良守の祖父か時音の祖母をもっといわゆるヨーダに仕立てて、彼らがなんでも知っていてコントロールしていて、良守たちの成長を見越して順々に解き明かし、時にふいに襲い来る敵たちの動向についても達観して解説する…というようなポジションに置けると、もっと読者がスッキリ読みやすかったんだろうと思います。でも、そういう工夫がなく、いろんな立場のいろんなキャラクターが敵味方ともに次々出てきてはみんな違うことを次々言う、という構造になってしまっているので、たとえ良守自身は広い心で受け入れていくんだとしても、我々読者としてはワケがわからず、ついていきづらいものを感じてしまうわけです。良守はああいう性格だから流せてるけど、騙されてるんじゃない? 本当はどういうことなの? ってつい物語の世界全体をつかもうとしてしまうのが読者だと思うんですけれど、その全貌とか理屈とかシステムとかがきちんと説明されることがないままにストーリーがどんどん展開してしていってしまうので、なんとなく納得しきれず、なので盛り上がりきれないまま、同調しきれないままに一応つきあって話を追っかける…みたいな形にならざるをえない。そこが、弱かったなと思いました。
 こうした異能力とか、妖怪とか、魔法とか、ESPとか、とにかくそういう超常現象というかリアルじゃないものを扱う作品においては、そのルール作りが肝要です。なんでもアリになっちゃったら、つまらないからです。それじゃ主人公がピンチになっても「なんか必殺技で逃げ切るんでしょ?」ってなっちゃって親身になって心配できないし、たとえ死んでも「魔法で生き返るんでしょ?」ってなったら泣けもしない。それじゃ感動できないし、心は揺さぶられません。オールマイティーなパワーになんかしちゃ絶対ダメで、できることとできないことをきちんと決め、それを作中で読者に上手く説明する必要があります。この作品はそれがわりとゆるい。そもそもこの世界の普通の「人間」ってなんなのか、すら定義が怪しい。「結界」という概念はよくあるものですが、この作品のそれはなかなかおもしろいアイディアだっただけに、そのあたりが残念でした。
 ヒロインが年上の幼なじみで、かつて彼女に怪我を負わせてその痕が残ってしまったので主人公はそれを気に病み、彼女に負い目を感じ、常に彼女を気遣い、もう傷つけたくない、守りたいと思い、淡い恋心を抱いている…というのは少年漫画としてはちょっとレアなケースで、でもとてもラブくエモい設定で、とてもよかったと思うのです。良守のキャラクターも時音のキャラクターも良かったし、時音の方はあくまで良守を弟分くらいにしか思っていないし、傷跡のこともたいして気にしていない…というのも良かった。同業者として家同士はライバルとして反発し合っているんだけれどこのふたりは意外と仲良し、というのもとてもおもしろく、ゆっくり変化していく関係もよかったんだけど…まあ、もうちょっと進んでほしかったかな、と個人的には思います。
 でも少年漫画としてラブはやはり脇の話で、メインのストーリーは烏森という土地を巡るドラマにあったはずなんだけれど、結局なんだったの? これで勝ったの、負けたの、終わったの、これで良かったの…?って感じのオチだったし、何より途中に「こうなればゴールだ、勝利だ、これを目指すのだ」というものの提示が漠然としかなくて、そうだそれが正しい!それを成し遂げようとする主人公を応援する!みたいな心情に読んでいてなれなかったのが、もったいなかったんですよね…そのあたりがものすごく、もの足りないというか、下手な作品で、残念でした。
 あと、これは私のごく一方的な、勝手な意見ですが、キャラクターの敵味方がわかりにくいというか、時音以外はそれこそ良守含めて基本的に実はあんまりいい人間じゃないっぽい描き方をされている点に、私は作家の女性性をものすごく感じました。男性作家で人間をこういうふうに捉える人、描く人ってあんまりいない気がするんですよね…真の人の悪さ、意地悪さは女に宿りがちなんじゃないかと思う。少年漫画を描こうという女性だけに、余計に。私はフェミニストなんですけど、だからこそ、そう思うのでした。
 そしてそこが、勧善懲悪でスッキリした方がいい少年漫画に今ひとつフィットしきれていない原因かもしれません。絵は少年漫画向きだけれど、もっとクールにして、テーマも選んだら、青年漫画の方が向いているテイストの作家なんじゃなかろうか…バカだけどいいヤツ、みたいなキャラクターを信じられない人、信じて描けない人に少年漫画は向かないと思うんですよね…
 作家が一番シンパシーを感じてノリノリで描いていたのって、実は良守母なんじゃないのかな…でもそれじゃやっぱ、ねえ…
 それで言うと、正統後継者の印が弟に出ちゃった兄の立場、みたいなものにもものすごくドラマを感じて描いていたんだろうとも思うんだけれど、やはり少年漫画の軸からしたら「ソコじゃない」感しかしませんでしたよね。だったらもっとわかりやすく敵方になってラスト実は真の見方でした、とかになる展開、とかさ。ベタでいいんですよ、ベタが大事なんですよ、ベタってことは王道ってことで、まずそれがちゃんとで来てなきゃダメなんですよ。このあたりの中途半端さももったいなく、萌えづらく(強面すぎるだろう!)、残念でした…
 この次の作品とか今の作品とかは、どんな感じなんでしょうか。この画力はそれこそもったいない気がするので、機会があれば読んでみたいと思います。


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