こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第6主日(マタイ5:17-37)わたしが来たのは堅信を受けるあなたのためである

2023-02-09 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/2/12(No.1221)
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年間第6主日(マタイ5:17-37)
わたしが来たのは堅信を受けるあなたのためである
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今日は、今年堅信を受ける中学生、来年堅信を受ける中学生のために話したいと思います。日曜日にここで話している内容を「説教」と言います。あまり聞いたことのない言葉でしょうね。「お父さんお母さんに説教された」そういう経験ありませんか?

たまに中田神父もお父さんお母さんがするような「説教」をすることもありますが、ミサの中での「説教」は、直前の福音朗読、イエス様のみことばを「解き明かして教える」ということです。

イエス様のみことばを「解き明かす」と言っても、中田神父がイエス様より偉いわけではありません。イエス様の言いたいこと、伝えたいことを10分の1でもいいから、伝えようとしているのが「説教」です。

ですから、できるだけ、その日の朗読を繰り返し読んで、「イエス様は何を伝えたいのだろうか」と考え、それを毎日の生活と結び付くように工夫して中田神父は説教をしています。結構苦労して準備しているので、頭はこんなに禿げてしまいました。

今週の朗読箇所、長かったのですが、鍵になっているみことば、全体をまとめるようなみことばが最初に語られています。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(5・17)今日はここで終わりです。この一節を味わうために、いろいろ話したいと思います。

イエス様は「わたしが来たのは(中略)廃止するためではなく、完成するためである」と言っています。今週朗読しているイエス様の物語はマタイ福音書から取られていますが、福音書は四つありますから、福音書全体で、「わたしが来たのは、◯◯のためである」という言い方を何回しているのでしょうか。

福音書全体を見渡すと、重なっている箇所を除いて、5箇所、見つけることができました。5つとも、並べてみましょう。

マタイ5:17「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
マタイ9:13「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マタイ10:34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」
ルカ12:49「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」
ヨハネ10:10「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」

これから堅信を受ける、中学生の皆さんに当てはめてみましょう。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」イエス様は堅信の秘跡で、中学生のあなたを完成するために来るのです。知恵と理解、判断と勇気、神様を知り、神様を愛し、神様を敬う。これらはまだまだ十分ではありませんでした。けれどもイエス様がおいでになって、聖霊によって堅信の恵みを注いでくださり、あなたを完成させてくれるのです。

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」堅信を受ける中学生は直前に赦しの秘跡を受けました。正しい人、立派な人だから堅信のお恵みを受けるのではないのです。自分の力だけではとても正しい道を歩けないので、イエス様が導いて聖霊によって堅信のお恵みを授けてくださるのです。

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」剣は何かをぶった切るためのものです。テレビゲームをなかなか止めず、お父さんお母さんに頼まれたことを後回しにし、しまいには果たさなかったことがないでしょうか。

テレビゲームの誘惑をぶった切るために、イエス様は堅信を受ける中学生のもとに剣を用意します。「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」これも同じようなものです。誘惑から離れないときに、誘惑を燃やしてしまって離れることができるように、イエス様は堅信を受けるあなたのもとに火を投げ込むのです。

そして最後に、「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」イエス様は堅信を受けるあなたが命を受けるために、それも豊かに受けるために、聖霊を通しておいでになるのです。

ここまで話した四つ五つのことが、堅信を受ける中学生に豊かに命を与えてくれるのです。口から食べるものばかりではなく、ミサに来て読み聞かせてもらったイエスのみことばと、私たちの中に来てくださる御聖体が、堅信を受けた中学生を豊かに命を育んでくださいます。信頼して、2月19日の堅信式に臨むことにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第7主日(マタイ5:38-48)
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ちょっとひとやすみ
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▼長崎新聞のコラムに、LGBTの発言で更迭された総理秘書官のことが取り上げられていて、この秘書官が「総理に申し訳ない」と言ったそうだが、「誰を向いて申し訳ないのか」と厳しく質していた。もっともなことだ。
▼司祭もミサの中で説教する。思い上がった説教や理屈ばかりの説教は「誰を向いて話しているのか」そういうことになる。信徒に向けて話しているなら、上から目線の説教などできるはずがない。信徒の中にいるイエスに向かって説教しているならなおさらである。
▼誰に向かって説教しているのか。誰に、理解を得ようと話しているのか。「誰それ」ではないはずだ。説教はすべて、そこにおられるイエスに向けてである。「わたしはお前の説教を聞くためにここに来た。」

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今週の1枚
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第828回目。亀の手。味噌汁でも、そのまま生でもいける。五島が懐かしくなる

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† 神に感謝 †
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