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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
09/11/29(No.446)
‥‥‥†‥‥‥‥
待降節第1主日
(ルカ21:25-28,34-36)
おいでになる主を準備して待つ
‥‥‥†‥‥‥‥
もしかしたら、以前、話の例に挙がったかも知れません。浦上教会の助任司祭時代に、長崎原爆病院にいる病人のお見舞いに出かけていました。当時は訪ねていく時間が朝早くて、確か朝の7時頃に見舞っていた気がします。
いろんな人を見舞いましたが、その中で1人、今でも忘れない人がいます。寝たきりのおばあちゃんでしたが、この人はなぜか、同じ原爆病院内にいるカトリック信者の人を聞きつけては、わたしに連絡してくれていたのです。それも、同じ階の人ばかりではなくて、違う階の、おそらく本人とは会ったこともないのに、どの階に誰それという病人がいて、その人にもご聖体を運んであげてくださいと教えてくれていたのです。
今になって考えると、わたしが受け持つ必要のある病人かどうかという問題もありましたが、当時は20代でしたので、ただただ感心して、「よくまぁこのおばあちゃんは、新しい人を見つけてくるなぁ」と思っていたのでした。
わたしには、いまだにこのおばあちゃんが別の病人を探して、教えてくれる謎が解けません。まったく動けないのですから。ベッドで起き上がることすらできない人なのですから。もしかしたら、看護士にあれこれ尋ねて情報を集めているのかもしれません。
けれども、確認はどうやって取っていたのでしょう。わたしが、言われるまま訪ねて行ってみると、紹介された人がちゃんとそこにいました。若い人だったり、割合年配の人だったり、男性・女性、いろんな人をこのおばあちゃんから紹介してもらいました。あまりにも見事なので、手品でうまく丸め込まれているのではないかと思ったくらいです。
このおばあちゃんは、新しく紹介してくれた人のことも、どんな様子だったのか次の見舞いの時に聞いてきます。ある時などは、紹介してくれた人が最終的には亡くなられ、亡くなったことが言い出せずに、元気でしたよと嘘をついたこともありました。
わたしは、このおばあちゃんから何かを学んだ気がします。それは、福音宣教ということです。おばあちゃんは、ベッドからまったく起き上がれない人でした。それなのに、原爆病院内を縦横無尽に、宣教活動していたのです。
趣味の合う人を病院内で探しているわけではありません。見ず知らずの、男性女性分け隔て無く、折が良くても悪くても、探してくれていたのです。福音宣教の基本を、すべてわきまえていると思いませんか?わたしは今も、このおばあちゃんの態度が忘れられないのです。
1つ、このおばあちゃんに謝らないといけないことがあります。いつも通りお見舞いに行ったある日、おばあちゃんはそこにいませんでした。空きベッドになっていました。看護士の人に聞いてみると、おばあちゃんは亡くなっていたのです。いまだに、さようならを言えなかったことが心残りです。
わたしは、このおばあちゃんを活動に駆り立てていたものは何だったのだろうかと考えました。誰かを見つけてきてわたしに知らせても、彼女に何の得もないのです。もちろん神さまの前には功徳を積み上げているでしょうが、目に見えるメリットは何もないのです。
それでも、何のメリットもないのに何かをするはずがないのですから、何かがあったはずです。亡くなるまで、カトリック信者を訪ねて回っていたのですから。そこで2つ考えました。1つは、自分自身の生きがいを持つために、できることをしていた可能性があります。もう1つは、意識していなかったかも知れませんが、深い信仰が、彼女を動かしていた可能性があります。
自分自身の生きがいのために、病院内の信者を探していたと仮定しましょう。見つけるたびに、わたしに報告すると、わたしは喜んでいました。それがひいては自分の喜びにもなって、役立っているという気持ちが増していたかも知れません。寝たきりで、何にもできないのではないか、迷惑ばかり掛けているのではないかという気持ちに、大きな勇気を与えていたかも知れません。
もう1つ、彼女が知らず知らずのうちに信仰を土台にしてものを考えていたと仮定しましょう。彼女にはすでに、医学的なお世話はもはや何も残されていなかったかも知れません。ただじっと、生きている。そんな思いの中で、自分が生かされているのは、神の憐れみによると感じていたかも知れません。神の憐れみに、そのご恩に、どうにかして報いたい。そんな気持ちになって、何とかしようとして、思い付いた可能性もあります。
どちらの可能性にしても、彼女は困難をものともせずに、福音宣教をなし遂げたのでした。彼女に約束されているのは、父なる神からの「よくやった。主人と喜びを共にしてくれ」という慰めだろうと思います。
さて福音に入りたいのですが、朗読箇所はイエスが再びおいでになる時、「再臨」の時を描いています。不安と、恐怖が渦巻く中で、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくる」(21・27)のです。その時、解放の時が近づいている人々は身を起こして頭を上げることになります。不安と、恐怖は、すべての人が体験しますが、再臨の時に身を起こして頭を上げる人々は、再臨の時までに何かを準備していたのです。
同じように、福音朗読後半でも、「その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる」(21・34)とあります。その中でも、「起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができる」(21・36)という人々がいるのです。何かを準備して、「その日」を迎えることができた人々です。
わたしは、再臨の日に準備ができていた人とは、少なくとも、自分の喜びのためではなく、周りの人の喜びのために何かをしてきた人だと思います。できれば、自分が今日を迎えることができるのは神の憐れみのおかげだから、神にどうにかして自分を使いたいと思って生きてきた人だと思います。
もっと短く言うと、再臨の日に準備ができていた人とは、再臨の主を待っていた人のことです。ただぼやっと待っているのではなく、神の憐れみにこうやって応えていこうと、何かを実行して待つことです。それはそのまま、今日お話ししたおばあちゃんに当てはまることでした。
待降節に入りました。わたしたちは救い主がおいでになることを確信を持って待ちます。街角ですでにクリスマスに浮かれている人々は、何の準備もせずにクリスマス気分を味わっています。わたしたちはそうであってはいけません。ぼやっとして待つのではなく、準備をして待ちます。身を起こして頭を上げる人々、人の子の前に立つ人々でありたいものです。
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ちょっとひとやすみ
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▼話をしてなかったかも知れないので、マリア文庫の30周年記念ミサのこと。マリア文庫とは、視覚障害者のために長崎を拠点にして音声サービスを行っているボランティア団体である。30周年の記念ミサを、11月18日に馬込教会でささげた。司祭がもう1人招待されていたが、高齢と健康上の理由で海を渡ることができなかった。
▼わたしは説教で、お祝いに2つのことを話した。1つは、30年の間に音訳養成講座の第27期卒業生を出したということ、1つは、30年を支えた功労者は、疑いもなく代表を務めているシスターだということだ。30年で27期生が卒業しているというのはすばらしいと思う。
▼もう1つの、シスターについての話は、こうじ神父の味付けをしてみた。シスターがのんびりした人だったので、30年も続いたのではないかと話したのである。前日から先発隊が来ていたが、その中にシスターも含まれていた。信徒会館でお祝いの品を小分けする作業をみなでしていたようだが、何か聞きたいことがあったようで、同行している信徒のケータイ電話を借りてこうじ神父のケータイに電話がかかってきた。
▼当然ながら、わたしはすぐに「もしもし、もしもし」と返事をする。ところが電話の向こうでは、ケータイ電話を手に持ったまま、「○○さん、この電話はどうやってかけるのかしら?」「電話をしてからシスターには渡してますよ」「あら、それなら、このケータイはつながっているの?」「つながっていると思いますよ」「じゃあ話し掛けてみようかしら。もしもし?もしもし?」
▼この間、わたしは15回くらい「もしもし!」と言ったと思う。それはいいとして、これくらい気の長い人でないと、何かの活動を円滑に回していくことはできないのではないかと思った。
▼30年を、30分であるかのように突っ走る気の短い人間、つまりわたしのような人間ではなく、30年を、300年であるかのようにゆったりと歩くシスターだったからこそ、30周年を迎えたのではないかと。もし興味があったら、「話の森ホームページ」の中の動画の説教を探してほしい。
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新企画今週の1枚
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第53回目。マリア文庫結成30周年で贈り物としていただいた胡蝶蘭。
詳細は、ホームページ:http://hanashi-no-mori.news-site.net/にて。
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‥次の説教は‥‥
待降節第2主日
(ルカ3:1-6)
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===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===
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こうじ神父
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(ルカ21:25-28,34-36)
おいでになる主を準備して待つ
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もしかしたら、以前、話の例に挙がったかも知れません。浦上教会の助任司祭時代に、長崎原爆病院にいる病人のお見舞いに出かけていました。当時は訪ねていく時間が朝早くて、確か朝の7時頃に見舞っていた気がします。
いろんな人を見舞いましたが、その中で1人、今でも忘れない人がいます。寝たきりのおばあちゃんでしたが、この人はなぜか、同じ原爆病院内にいるカトリック信者の人を聞きつけては、わたしに連絡してくれていたのです。それも、同じ階の人ばかりではなくて、違う階の、おそらく本人とは会ったこともないのに、どの階に誰それという病人がいて、その人にもご聖体を運んであげてくださいと教えてくれていたのです。
今になって考えると、わたしが受け持つ必要のある病人かどうかという問題もありましたが、当時は20代でしたので、ただただ感心して、「よくまぁこのおばあちゃんは、新しい人を見つけてくるなぁ」と思っていたのでした。
わたしには、いまだにこのおばあちゃんが別の病人を探して、教えてくれる謎が解けません。まったく動けないのですから。ベッドで起き上がることすらできない人なのですから。もしかしたら、看護士にあれこれ尋ねて情報を集めているのかもしれません。
けれども、確認はどうやって取っていたのでしょう。わたしが、言われるまま訪ねて行ってみると、紹介された人がちゃんとそこにいました。若い人だったり、割合年配の人だったり、男性・女性、いろんな人をこのおばあちゃんから紹介してもらいました。あまりにも見事なので、手品でうまく丸め込まれているのではないかと思ったくらいです。
このおばあちゃんは、新しく紹介してくれた人のことも、どんな様子だったのか次の見舞いの時に聞いてきます。ある時などは、紹介してくれた人が最終的には亡くなられ、亡くなったことが言い出せずに、元気でしたよと嘘をついたこともありました。
わたしは、このおばあちゃんから何かを学んだ気がします。それは、福音宣教ということです。おばあちゃんは、ベッドからまったく起き上がれない人でした。それなのに、原爆病院内を縦横無尽に、宣教活動していたのです。
趣味の合う人を病院内で探しているわけではありません。見ず知らずの、男性女性分け隔て無く、折が良くても悪くても、探してくれていたのです。福音宣教の基本を、すべてわきまえていると思いませんか?わたしは今も、このおばあちゃんの態度が忘れられないのです。
1つ、このおばあちゃんに謝らないといけないことがあります。いつも通りお見舞いに行ったある日、おばあちゃんはそこにいませんでした。空きベッドになっていました。看護士の人に聞いてみると、おばあちゃんは亡くなっていたのです。いまだに、さようならを言えなかったことが心残りです。
わたしは、このおばあちゃんを活動に駆り立てていたものは何だったのだろうかと考えました。誰かを見つけてきてわたしに知らせても、彼女に何の得もないのです。もちろん神さまの前には功徳を積み上げているでしょうが、目に見えるメリットは何もないのです。
それでも、何のメリットもないのに何かをするはずがないのですから、何かがあったはずです。亡くなるまで、カトリック信者を訪ねて回っていたのですから。そこで2つ考えました。1つは、自分自身の生きがいを持つために、できることをしていた可能性があります。もう1つは、意識していなかったかも知れませんが、深い信仰が、彼女を動かしていた可能性があります。
自分自身の生きがいのために、病院内の信者を探していたと仮定しましょう。見つけるたびに、わたしに報告すると、わたしは喜んでいました。それがひいては自分の喜びにもなって、役立っているという気持ちが増していたかも知れません。寝たきりで、何にもできないのではないか、迷惑ばかり掛けているのではないかという気持ちに、大きな勇気を与えていたかも知れません。
もう1つ、彼女が知らず知らずのうちに信仰を土台にしてものを考えていたと仮定しましょう。彼女にはすでに、医学的なお世話はもはや何も残されていなかったかも知れません。ただじっと、生きている。そんな思いの中で、自分が生かされているのは、神の憐れみによると感じていたかも知れません。神の憐れみに、そのご恩に、どうにかして報いたい。そんな気持ちになって、何とかしようとして、思い付いた可能性もあります。
どちらの可能性にしても、彼女は困難をものともせずに、福音宣教をなし遂げたのでした。彼女に約束されているのは、父なる神からの「よくやった。主人と喜びを共にしてくれ」という慰めだろうと思います。
さて福音に入りたいのですが、朗読箇所はイエスが再びおいでになる時、「再臨」の時を描いています。不安と、恐怖が渦巻く中で、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくる」(21・27)のです。その時、解放の時が近づいている人々は身を起こして頭を上げることになります。不安と、恐怖は、すべての人が体験しますが、再臨の時に身を起こして頭を上げる人々は、再臨の時までに何かを準備していたのです。
同じように、福音朗読後半でも、「その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる」(21・34)とあります。その中でも、「起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができる」(21・36)という人々がいるのです。何かを準備して、「その日」を迎えることができた人々です。
わたしは、再臨の日に準備ができていた人とは、少なくとも、自分の喜びのためではなく、周りの人の喜びのために何かをしてきた人だと思います。できれば、自分が今日を迎えることができるのは神の憐れみのおかげだから、神にどうにかして自分を使いたいと思って生きてきた人だと思います。
もっと短く言うと、再臨の日に準備ができていた人とは、再臨の主を待っていた人のことです。ただぼやっと待っているのではなく、神の憐れみにこうやって応えていこうと、何かを実行して待つことです。それはそのまま、今日お話ししたおばあちゃんに当てはまることでした。
待降節に入りました。わたしたちは救い主がおいでになることを確信を持って待ちます。街角ですでにクリスマスに浮かれている人々は、何の準備もせずにクリスマス気分を味わっています。わたしたちはそうであってはいけません。ぼやっとして待つのではなく、準備をして待ちます。身を起こして頭を上げる人々、人の子の前に立つ人々でありたいものです。
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ちょっとひとやすみ
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▼話をしてなかったかも知れないので、マリア文庫の30周年記念ミサのこと。マリア文庫とは、視覚障害者のために長崎を拠点にして音声サービスを行っているボランティア団体である。30周年の記念ミサを、11月18日に馬込教会でささげた。司祭がもう1人招待されていたが、高齢と健康上の理由で海を渡ることができなかった。
▼わたしは説教で、お祝いに2つのことを話した。1つは、30年の間に音訳養成講座の第27期卒業生を出したということ、1つは、30年を支えた功労者は、疑いもなく代表を務めているシスターだということだ。30年で27期生が卒業しているというのはすばらしいと思う。
▼もう1つの、シスターについての話は、こうじ神父の味付けをしてみた。シスターがのんびりした人だったので、30年も続いたのではないかと話したのである。前日から先発隊が来ていたが、その中にシスターも含まれていた。信徒会館でお祝いの品を小分けする作業をみなでしていたようだが、何か聞きたいことがあったようで、同行している信徒のケータイ電話を借りてこうじ神父のケータイに電話がかかってきた。
▼当然ながら、わたしはすぐに「もしもし、もしもし」と返事をする。ところが電話の向こうでは、ケータイ電話を手に持ったまま、「○○さん、この電話はどうやってかけるのかしら?」「電話をしてからシスターには渡してますよ」「あら、それなら、このケータイはつながっているの?」「つながっていると思いますよ」「じゃあ話し掛けてみようかしら。もしもし?もしもし?」
▼この間、わたしは15回くらい「もしもし!」と言ったと思う。それはいいとして、これくらい気の長い人でないと、何かの活動を円滑に回していくことはできないのではないかと思った。
▼30年を、30分であるかのように突っ走る気の短い人間、つまりわたしのような人間ではなく、30年を、300年であるかのようにゆったりと歩くシスターだったからこそ、30周年を迎えたのではないかと。もし興味があったら、「話の森ホームページ」の中の動画の説教を探してほしい。
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