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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
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こうじ神父
「今週の説教」
2018/8/26(No.960)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第21主日
(ヨハネ6:60-69)
主よ、だれのところへ行きましょうか
‥‥‥†‥‥‥‥
「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」(6・68)ペトロの信仰告白です。これまで何週かに渡ってイエスは誰であるかを言葉と態度で見て、学んだ弟子たちの代表として、信仰を表明しました。私たちも同じように「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか」という信仰を再確認したいと思います。
今週火曜日と水曜日で、侍者と先唱者を連れて五島の福江に行ってきます。五島と言うと上五島も下五島もひっくるめて一つの五島と思っている方もいらっしゃると思いますが、上五島のほとんどのひとは下五島の人と交流がありません。
下五島の人も上五島の人や暮らしぶりを知りません。同じように上五島で生まれ育った私は、下五島の地理をまったく知りません。五島にいながらそういう状態でしたので、この機会に下五島のことを学んで帰ろうと思います。
「五島の福江に行くそうですね。ついでに野崎島のレンガの教会の写真を撮ってきてください。」これは一つの例ですが、福江から野崎島にはついでで行けるような距離ではありません。私自身、下五島についての知識は、似たようなものです。ぜひ頭の中に地図を描いてきたいと思います。
かつて私は、五島に生まれたことをひどく負い目に思っていました。都会に生まれていたら、私はもっと社会的に成功していたに違いない。そう思っていたからです。五島でとれた魚は都会に持っていかれ、五島の人が食べるのは売れ残りの魚だった記憶があります。五島の人が汗水流して育てたものを食べるのは都会の人。だから五島は嫌いだとしんけんに思っていたのです。
今はどうか。今は考え方が変わりました。五島に生まれたから、都会の人がたまに体験したいという田舎暮らしを知っています。五島の信仰も、古臭いものではなく都会に多大な影響を与えることのできる宝だと知りました。島本大司教様、前田枢機卿様、白浜司教様、これら高位聖職者は都会に影響を与えた五島の信仰の結晶です。
捨ててしまいたいとさえ思ったものの中に宝物があった。私にとってのペトロの信仰告白は「わたしたちは五島を捨ててどこに自分の原点があるでしょうか」ということです。娯楽も少ない、情報も少ない、生活も選べない。そんな環境でしたが、かけがえのない宝をいただいたのだと思います。ここまで誇りに思えるようになったのは最近のことです。
福音朗読、イエスと弟子たちに不協和音が生じ、ある者たちはイエスを離れてしまいました。朗読で読まれた場面は、一日の出来事ではないかもしれません。何年、何十年という教会の始まりの時期に起こった分裂を、一日の出来事の中に埋め込んだのかもしれません。
弟子たちの中には、自分が弟子である源泉がイエス・キリストであるにもかかわらずイエスを捨てて、別の道を歩み始める者も現れました。それでもペトロのようにイエス・キリストのもとにとどまる弟子は、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか」この言葉をそのたびに確認してイエス・キリストにとどまったのです。
私たちは一時的な思いで故郷を否定したり捨てたりします。私を形造ってくれたものなのに、自分と結びつけたくない時期があるわけです。故郷の良さを理解するには若すぎるということもあるでしょう。理解できる感性が育っていないこともあるでしょう。残念ながら、故郷を否定する時期を多くの人が通っていくのです。
信仰においても私たちは同じ経験をします。信仰の良さ、ありがたさを一時期否定し、捨ててしまうことがあります。信仰に頼らなくとも自分で生きていける。信仰は卒業した、信仰は幼い頃に一生涯分務めを果たした。いろんな口実を設けて信仰を遠ざける時期があります。
ですが、私たちの始まりは神なのです。ここに集まっている人は、そのことを理解しています。そして自分の信仰を言い表しに来たのです。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」(6・68-69)
いのちを与えてくださったのは神です。ですから出発点も神です。神に始めを与えていただいた人生、どこに行くというのでしょうか。私たちはこの信仰を表明しにここに来たのです。そしてミサに与り、御言葉と聖体をいただき、生活に戻って、「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と繰り返しながら日々を送るのです。
ある時期、信仰を否定し、捨てた人も、その信仰が私たちの出発点であり、宝物のある場所だと再確認できるよう願いたいと思います。私たちが何度も繰り返し「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか」この言葉を口にするなら、遠ざけた信仰の宝を見直してくれるかもしれません。
私たちも繰り返し思い出して、ペトロの信仰告白に続きましょう。そして私たちの信仰告白に続く人を、私たちも育てましょう。信仰の伝達は、実はそれほどたやすいものではないからです。
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‥次の説教は‥‥
年間第22主日
(マルコ7:1-8,14-15,21-23)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼司祭の性的虐待がニュースでも取り上げられる事態となってきた。個人の傾向も原因にあるだろうが、神学生時代の養成のあり方にも問題があるかもしれない。男性だけの共同生活で歪む部分があるかもしれない。フランシスコ教皇も心を痛めておられる。加害者、被害者、どちらのためにも祈りたい。
▼お勧めいただいた日本語変換ソフトも、能力の限界を感じている。最終的にはATOKを買うことになるかもしれない。具体例は控えるが、同じ読みをする漢字を果てしなく検索させられ、疲れることがある。「文脈から考えてはくれないのか?」と思う場面があり、限界に来ている。
▼ただ問題は、ATOKだけ買うのと、ワープロソフト「一太郎」と一緒に買うのと、どちらが良いか、という問題だ。一太郎はほとんど使用する場面はないからATOKだけで構わないのだけれども、ATOKだけだとお得感はない。
▼「お得感を求めて買うのか?」と言われるわけだが、それがまったくないとも言えない。どこかに良い解決法がないだろうか。少し古めの「一太郎」をインストールしたら、「すでに別のPCで認証をされたものなので、使えません」となるのだろうか。パソコンソフトには「ダビング10(テン)」という仕組みはないのだろうか。
▼持っている物の価値は下がる。これは自然の流れだ。たまに、「価値が上がる」ものもある。両方あれば、あなたはどうするか。私は「価値が下がる」ものを、価値を見つけてくれる人に手放す。近いうちに実行することになりそうだ。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第567回目。ネコ派?イヌ派?実家は圧倒的にネコ派。一度だけ犬も飼ったが。
ホームページもご覧ください。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/
【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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こうじ神父
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主よ、だれのところへ行きましょうか
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「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」(6・68)ペトロの信仰告白です。これまで何週かに渡ってイエスは誰であるかを言葉と態度で見て、学んだ弟子たちの代表として、信仰を表明しました。私たちも同じように「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか」という信仰を再確認したいと思います。
今週火曜日と水曜日で、侍者と先唱者を連れて五島の福江に行ってきます。五島と言うと上五島も下五島もひっくるめて一つの五島と思っている方もいらっしゃると思いますが、上五島のほとんどのひとは下五島の人と交流がありません。
下五島の人も上五島の人や暮らしぶりを知りません。同じように上五島で生まれ育った私は、下五島の地理をまったく知りません。五島にいながらそういう状態でしたので、この機会に下五島のことを学んで帰ろうと思います。
「五島の福江に行くそうですね。ついでに野崎島のレンガの教会の写真を撮ってきてください。」これは一つの例ですが、福江から野崎島にはついでで行けるような距離ではありません。私自身、下五島についての知識は、似たようなものです。ぜひ頭の中に地図を描いてきたいと思います。
かつて私は、五島に生まれたことをひどく負い目に思っていました。都会に生まれていたら、私はもっと社会的に成功していたに違いない。そう思っていたからです。五島でとれた魚は都会に持っていかれ、五島の人が食べるのは売れ残りの魚だった記憶があります。五島の人が汗水流して育てたものを食べるのは都会の人。だから五島は嫌いだとしんけんに思っていたのです。
今はどうか。今は考え方が変わりました。五島に生まれたから、都会の人がたまに体験したいという田舎暮らしを知っています。五島の信仰も、古臭いものではなく都会に多大な影響を与えることのできる宝だと知りました。島本大司教様、前田枢機卿様、白浜司教様、これら高位聖職者は都会に影響を与えた五島の信仰の結晶です。
捨ててしまいたいとさえ思ったものの中に宝物があった。私にとってのペトロの信仰告白は「わたしたちは五島を捨ててどこに自分の原点があるでしょうか」ということです。娯楽も少ない、情報も少ない、生活も選べない。そんな環境でしたが、かけがえのない宝をいただいたのだと思います。ここまで誇りに思えるようになったのは最近のことです。
福音朗読、イエスと弟子たちに不協和音が生じ、ある者たちはイエスを離れてしまいました。朗読で読まれた場面は、一日の出来事ではないかもしれません。何年、何十年という教会の始まりの時期に起こった分裂を、一日の出来事の中に埋め込んだのかもしれません。
弟子たちの中には、自分が弟子である源泉がイエス・キリストであるにもかかわらずイエスを捨てて、別の道を歩み始める者も現れました。それでもペトロのようにイエス・キリストのもとにとどまる弟子は、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか」この言葉をそのたびに確認してイエス・キリストにとどまったのです。
私たちは一時的な思いで故郷を否定したり捨てたりします。私を形造ってくれたものなのに、自分と結びつけたくない時期があるわけです。故郷の良さを理解するには若すぎるということもあるでしょう。理解できる感性が育っていないこともあるでしょう。残念ながら、故郷を否定する時期を多くの人が通っていくのです。
信仰においても私たちは同じ経験をします。信仰の良さ、ありがたさを一時期否定し、捨ててしまうことがあります。信仰に頼らなくとも自分で生きていける。信仰は卒業した、信仰は幼い頃に一生涯分務めを果たした。いろんな口実を設けて信仰を遠ざける時期があります。
ですが、私たちの始まりは神なのです。ここに集まっている人は、そのことを理解しています。そして自分の信仰を言い表しに来たのです。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」(6・68-69)
いのちを与えてくださったのは神です。ですから出発点も神です。神に始めを与えていただいた人生、どこに行くというのでしょうか。私たちはこの信仰を表明しにここに来たのです。そしてミサに与り、御言葉と聖体をいただき、生活に戻って、「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と繰り返しながら日々を送るのです。
ある時期、信仰を否定し、捨てた人も、その信仰が私たちの出発点であり、宝物のある場所だと再確認できるよう願いたいと思います。私たちが何度も繰り返し「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか」この言葉を口にするなら、遠ざけた信仰の宝を見直してくれるかもしれません。
私たちも繰り返し思い出して、ペトロの信仰告白に続きましょう。そして私たちの信仰告白に続く人を、私たちも育てましょう。信仰の伝達は、実はそれほどたやすいものではないからです。
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▼司祭の性的虐待がニュースでも取り上げられる事態となってきた。個人の傾向も原因にあるだろうが、神学生時代の養成のあり方にも問題があるかもしれない。男性だけの共同生活で歪む部分があるかもしれない。フランシスコ教皇も心を痛めておられる。加害者、被害者、どちらのためにも祈りたい。
▼お勧めいただいた日本語変換ソフトも、能力の限界を感じている。最終的にはATOKを買うことになるかもしれない。具体例は控えるが、同じ読みをする漢字を果てしなく検索させられ、疲れることがある。「文脈から考えてはくれないのか?」と思う場面があり、限界に来ている。
▼ただ問題は、ATOKだけ買うのと、ワープロソフト「一太郎」と一緒に買うのと、どちらが良いか、という問題だ。一太郎はほとんど使用する場面はないからATOKだけで構わないのだけれども、ATOKだけだとお得感はない。
▼「お得感を求めて買うのか?」と言われるわけだが、それがまったくないとも言えない。どこかに良い解決法がないだろうか。少し古めの「一太郎」をインストールしたら、「すでに別のPCで認証をされたものなので、使えません」となるのだろうか。パソコンソフトには「ダビング10(テン)」という仕組みはないのだろうか。
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文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
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† 神に感謝 †