こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第4主日(マタイ5:1-12a)山上の説教を生活のあちこちで響かせる

2017-01-29 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/170129.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2017/1/29(No.867)
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年間第4主日
(マタイ5:1-12a)
山上の説教を生活のあちこちで響かせる
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年間第4主日、今週選ばれた福音朗読箇所は「山上の説教」です。今耳を傾けたイエスの招きが、自分の生活にどうすれば当てはまるのか考えてみましょう。あわせて、わたしが出会う人に、この招きを語って聞かせることができるか、考えてみましょう。

今週の福音朗読に合わせて、山上の説教の教会の写真を掲載してみました。ここはガリラヤ湖畔の、少し高い丘の上にあります。以前ここを訪問した時、「あー、『心の貧しい人は幸い』とそれに続く八つの幸いが八角形の屋根にラテン語で書かれている。なるほどー」と頷いて帰りました。しかし今回二度目の訪問をしてみると、八角形の屋根に八つの幸いがラテン語で書かれているのは十分理解した上でこの場に訪れていますから、もっと何か吸収して帰りたいと思いつつ訪問の時を過ごしました。

結果的に、その場では新しい学びはありませんでした。がっかりしました。しかし田平に戻ってみて、説教を準備するためにもう一度思い出してみたとき、新しい気付きがありました。それは、「自分は小高い丘の上でこのみ言葉を味わい、そして持ち帰ってきた」ということです。前回はその場の雰囲気に圧倒されて、その場に立てたことで満足して帰ってきました。ただその喜びや感動は、その場限りで、言ってみれば丘の上に置いてきたのでした。

ところが今回は、たしかに持ち帰って来たという実感があります。その場に立つことができない方々にも、山上の説教の教会でイエスが語りかけてくださった言葉は、あの丘の上だけで響いているのではない。この地上のあらゆる場所で響いてこそ、本当に意味ある幸いの言葉に生まれ変わる。そのためには持ち帰ったものをどう生かすかが大事だ。田平に帰ってもう一度考えてみて、そのような答えにたどり着きました。

以前気付かなかったことに改めて気付くことができるのは、たいてい一つの場所を二度三度訪ねてみて理解できるようになるのです。なかなか一度ですべてを理解できるものではありません。あえて違う場所から眺めてみたり、時間を置いて眺めてみたりしなければ、そこに込められた多くの思いを汲み尽くせるものではないと思うのです。

そういう意味でも、わたしは今回のイスラエル巡礼は大きな収穫があったと思っています。17年前、ほとんどすべての場所を「わぁ、すごい」と感嘆して帰って来たのですが、その体験をほとんど持ち帰ることができませんでした。今回は、体験をある程度まで説明できるのです。本当にありがたいことだと思います。

み言葉に戻ってみましょう。「心の貧しい人々は、幸いである」この招きから「義のために迫害される人々は、幸いである」に続く八つの幸いは、互いに関連があります。そのあとの11節「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなた方は幸いである」は、わたしはそれまでの八つの幸いをまとめる一言だと考えています。それについては最後に触れたいと思います。

そこで最初の八つの「幸いである」という招きですが、最初の四つ「心の貧しい人々」「悲しむ人々」「柔和な人々」「義に飢え渇く人々」は、迫害の中でじっと耐えている人々のことです。例えるなら畑の作物が雨に打たれたり強風にさらされたりして、じっと雨風をしのいでいる様子で、迫害にもへこたれず、神がきっと計らってくださると信じて日々を過ごす人たちです。

後半の四つ「憐れみ深い人々」「心の清い人々」「平和を実現する人々」「義のために迫害される人々」は、迫害の中にあっても正しいことのために行動する人々です。

魚の中には、自分が生まれた川に遡上して、卵を産み付ける種類がいます。なぜそんなに自分が生まれた場所にこだわるのか分かりませんが、どんな困難をもはねのけて、子孫を残して息絶えます。迫害の中でも平和のために働き続ける人も、どんなに活動を妨げられても、否定されても、正しいことのために行動することをやめないのです。

こうした生き方が、11節以下でまとめて言われているのだと思います。「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」(5・11-12)

山上の説教で説かれた生き方の招きは、わたしたちが生きるとき、本当に意味ある幸いの言葉になります。わたしたちが、カトリックの信仰のためにへこたれそうになる。雨に打たれたり、強風にさらされるような思いをするかもしれませんが、イエスはそんなわたしたちを必ず助け起こしてくださると信じ、一日ずつ積み上げていきたいものです。

迫害の中で行動を起こすとなると、さらに困難を感じることになるでしょう。いのちを守るために、いのちを大切にしましょうと声を上げたり立ち上がったりすること。学校の話し合いの中で、カトリック信者としてわたしはこう思うと意見を述べること。それらは相当風当たりが強いかもしれません。わたしたちが風当たりをものともせずに立ち上がるなら、イエスはわたしたちに答えて報いを与えてくださいます。

わたしたちがイエスの示す幸いを生きようとするとき、山上の説教は山の上だけで響くのではなく、生活のただなかで響く福音となります。わたしたちはイエスの神秘体の一部として、生活のあちこちで、山上の説教を生きていきましょう。山上の説教に生きるわたしに報いてくださるのは、他の誰でもない、真の幸いを語ったイエス・キリストです。

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‥次の説教は‥‥
年間第5主日
(マタイ5:13-16)
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ちょっとひとやすみ
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▼ハングルにはまっている。以前「ハングルを勉強する」という内容で「ちょっとひとやすみ」を書いたかもしれない。一般的なハングルの勉強はぼちぼちしながら、聖書の一節とかを「読み」「聞き」「書く」作業を通してハングルに親しもうとしている。
▼長続きするかが問題だが、幸いここ田平教会にはひっきりなしに韓国からの巡礼団が訪問してくれて、ミサをささげてくれている。彼らが田平教会を訪ねて来た時、少しでも話しかけたり話を聞いたりしたい。それが当面のモチベーションになっている。
▼何が正解かはよく分からないが、いろいろ試してみて、身に付きそうな方法を最後に選んで続けてみたい。できれば、この1年で、聞き取りと読み書きの両方ができればいいなと願っている。ハングルは系統立てて編み出された文字なので、慣れれば書物やメモを書き写すくらいはすぐにできるようになる。
▼もう一つありがたいことは、日本語と語順がよく似ている(らしい)ということだ。それは韓国人にとっても同じなのだと思うが、語順の違う英語やその他のヨーロッパ言語に比べれば、ハードルは相当低いと言える。
▼ハングルを覚えたいと思った理由はもう一つある。巡礼で田平教会を訪ねてくれる人たちが、ほとんど英語を話してくれないという点だ。英語が話せないのかもしれないが、同行する司祭に英語で話しかけてもたいていの司祭が英語を話そうとしないのである。少しは意思疎通を図りたいと思っているのに、これではどうにもならない。
▼それなら自分が汗をかいて、ハングルを覚えることにしよう。そう決意したわけだ。どこまでたどり着けるかは分からないが、長らく経験していない「今やっと分かった」「今はっきり分かった」そういう経験ができそうなので、大いに楽しみだ。

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今週の1枚
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第474回目。マタイ福音書による「主の祈り」の初めの一節。手書き。

ホームページもご覧ください。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/

【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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日本カトリック神学院東京キャンパス講話(1)

2017-01-24 | Weblog
日本カトリック神学院東京キャンパス 月の静修
「将来の司祭に望むこと」

【なぜわたしはここにいるのか 新たな挑戦のため】

田平教会の中田輝次神父です。3月で50歳になりました。叙階24年目を歩んでおります。田平教会は1918年に献堂されたレンガ造りの教会です。2018年には献堂百周年です。当時の主任司祭は中田藤吉師、わたしは藤吉神父様の親類なので、「ちゃんと系図を知っての粋な計らいだなぁ」と思っておりました。直接お尋ねする機会がありましたので尋ねてみましたら、「そうだったのかね」と言われました。偶然そうなったのであれ、神の摂理であれ、田平教会に赴任したのは、わたしにとって恵みだったと思います。
前任地浜串教会は、赴任した当初は小学生が15人くらい、中学生も同じくらいいたと思いますが、離れる時には教会に籍を置いている小学生は5人くらい、中学生も同じくらいに減っていました。田平教会は、それからするとにぎやかです。小学生が25人くらい、中学生も20人くらいいます。それに加えて育成会という組織がしっかりあって、頼もしいなぁと思っています。
ただ、にぎやかな子供たちの声は、ある意味挑戦状でもあります。つまり、50歳を迎えたおじさんが、小学生とまっすぐに向き合えるのだろうか?そんな疑問があったわけです。結果から言うと子供たちはそんなに難しくは考えていませんでした。心を開いてくれる司祭であるかどうかを子供たちは求めているのであって、年齢ではないことが分かりました。もちろん、さらに若い30代の主任神父さまにかなわないことは十分承知です。
ほかにも、自分がここに遣わされてきた、この務めを託されたのは、どんな意味があるのだろうかと考える場面がいくつもありました。でもそれは、すべてわたしが「空の手で」イエス・キリストについていくための挑戦だったのだと思います。
何か、道具を持っているからこの場所で務めることができるとか、何かの経験や知恵があるからこの任務ができるというのではありません。なぜわたしがここにいるのか、考えさせる材料はすべて、驕りを捨てて、初めから、空の手になった時に教えていただける。常にそれは「イエスについて来るように」と教えているのだと思いました。


【なぜわたしはこの静修に呼ばれたのか 神が呼ばれたから】

一回目の話は、司祭として感じていることを話しますので、そこから「こうなってはいけないな」とか、「この取り組み・姿勢は参考になりそうだ」ということを汲み取っていただければと思います。二回目の話は司祭が「祭司」としてささげなければならないものについて話そうと思っています。
O型の人間はお調子者なのでしょうか。何か頼まれたらそれに見合う能力があるかどうかも考えずに「はいはい」と引き受けてしまうのですが、今回は事情が違います。ある意味、わたしは頼まれてもいないのにここに来ているのです。
2016年の長崎教区司祭黙想会の時のことです。東京キャンパスに派遣されている中島誠志神父さんがそこに参加していまして、声をかけられました。「神父さん、東京キャンパスの神学生のために月の静修を引き受けてくださってありがとうございます」「え?何の話?」「またまたぁ。電話で依頼されて、引き受けてくれたんでしょ?」「電話?知らん知らん」「神学院にはちゃんと中田神父って、名前が貼ってありますよ」「えぇ?本当に知らないって」「おかしいなぁ」その時はそれで終わりました。
今度は汐留という神父さんが登場します。汐留君と中島君が次のような話をしたようです。「月の静修を東京キャンパスの副院長さんに依頼されて『わたしでよければ引き受けます』と答えましたが、何をすればいいんですか?」「え?浜串は異動があったか?」
「はい。四月の異動でわたしが浜串に行きました。そしたら『浜串教会ですか?月の静修をお願いしたいのですが』という電話があって、どうしてわたしなのかなぁと思ったけれども、わたしでよければと思って引き受けました」「違う。中田先輩に依頼したんだよ。まさか異動があっているとは・・・」「え!そうなんですか?」
そして次の場面は、汐留君がわたしに恐る恐る近寄ってきて、こう話しかけます。「先輩、落ち着いて聞いてくださいね。実は浜串教会に東京の神学院から月の静修の依頼の電話がかかって来て・・・」「それを引き受けたのはお前だろ。俺は知らん」「いやいや先輩、それは困ります。ぜひ先輩が行ってきてください」「俺は依頼は受けてない。お前が行け」
もうこの頃には笑いながら話しているわけですが、東京にいる間に田平教会で何か起こったらどうするんだと冗談言ったら、「その間はわたしが田平にいます。それでいいですか?」とか言われました。つまり、東京の神学院の副院長様は浜串教会にわたしがいるものと思って依頼をし、浜串に後任で入った汐留君は自分に白羽の矢が立ったと理解して引き受けたわけです。
しかし、どのような形であれ、神さまがわたしに頼んできたのだから、神さまがきっと話す材料も用意してくれると思って、探し続けていました。今回、お話の材料を見つけたのは、定期的にカトリック信者を見舞っている中に、病院に入院している一人のシスターがいまして、そのシスターとの出会いで考えるヒントをいただきました。
わたしが田平教会に赴任して間もなく、そのシスターは入院されました。「通常の病人訪問は月に一度です」と引継ぎを受けていましたが、シスターには月に2回、御聖体を授けに行っていました。このシスターと出会った中で、考える材料が降ってきて、それから今日まで温めてきた話です。
皆さんの多くは、健康に多少の自信がある人ばかりでしょう。そもそも、病気がちな人は、召命の道のりの中で自分自身をふるいにかけているはずです。養成担当者も、あえて病気がちな子を選び出すということはしないと思います。そうした、健康に多少の自信がある皆さんが、ある時入院して、一般の入院患者と一緒に寝起きをし始めるわけです。
どんなに心細いことでしょう。隣のベッドには、初めて見る人がすでに入院しています。神学院での規則に従った生活を望んでも、隣の人は構ってくれません。テレビを観たい時にテレビを観るし、ラジオを聞いたり、神学院の生活をそのまま持ち込める場所ではないわけです。
ですからせめて、御聖体だけはあまりにも間隔が開かないように、修道院にとどまれなくても、聖体に養われているという実感を持たせたいと思って時間を取るようにしました。十字架を背負っているのですから、十字架も含めて、恵みとして受け取ることができるように、御聖体だけでも頻繁に受けてもらおうと思ったのです。
「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」(ルカ14・27)病院に入院しているシスターは、奉献生活者に期待したいことのほとんどを背負っていると思いました。病院で苦しんでいる。なのに御聖体をいただくときにとても笑顔に溢れている。司祭・修道者に期待されているのはこの「右の手のすることを左の手に知らせない」そんなおささげなのだと思います。


【これがわたしの生きる道】

中田神父は面白おかしく暮らしてきましたし、この性格は変わることがないと思います。「神父様には悩みとかないのですか?」とも言われます。ですから中田神父と出会った人の中には、生き方を許し難いと思う人も出てくるでしょうし、親近感を持ってくれる人も出てくると思います。
中田神父は万人向けの、だれにでもそつなくこなすような生き方はできないかもしれません。虫の合わない人とは突っかかってしまうこともたびたびです。そういう人間であることを踏まえて、今日の講話は耳を傾けていただければ幸いです。
どんなことでも楽しく話せるようになれたらいいですね。皆さんは泥棒と出会ったり、強盗に押し入られたりした経験はあるでしょうか。金目の物をあまり持たない皆さんには、泥棒も強盗も縁のない話かも知れません。中田神父は、これまで何度も泥棒にお金を取られましたが、ある時こんなことがありました。親戚の葬式に出た帰りに、全身水色の服を着た女性と出会いまして、その女性はわたしにこう言ったのです。
「葬式の帰りにみんなで食事をしたいのだけれどもお金がありません」。わたしは1万円その女性に渡しましたが、あとで考えると泥棒ではなかったかと思っています。葬式に出る女性が全身水色の服を着ているはずがありません。お金をさしあげる理由は何もなかったのに、ありがとうの一言でもぎ取られてしまいました。聞くところによると、一緒に葬式に出ていたわたしの父ちゃんからもふんだくったという話です。とんでもないです。
それでも泥棒被害は限定的です。ですが強盗となると、少々の被害では済みません。かつて赴任したことのある伊王島には毎週司祭館にちびっ子強盗が押し入って来ていました。教会学校の子どもたちです。連中は毎週やって来ては冷蔵庫や水屋を開けて、「なんかなかー(何かないか)」と言って押し入るのです。水色の服の泥棒はありがとうと言いましたが、強盗はありがとうと言いません。
さらにこの強盗団の中で最年少の男の子は、司祭館に入る時何と言って入ると思いますか?ふつう司祭館に入る人は「おじゃまします」とか「失礼します」とか言うものです。ですがこの子は、「ただいまー」と言って司祭館に入るのです。「ただいまー」と言って侵入するのですから、ありがとうを言うはずもありません。わが家と思っているのですから。中田神父がこの小教区にいた間の被害総額は1万円では済みません。大損害です。
またわたしは人と接する時、その人ができること・ちょっと考えたら気付くことにはいっさい手を貸しません。病人訪問で玄関まで迎えてくださる車いすの老人がいまして、この方は自分の部屋に戻って聖体拝領をするのですが、車いすを押してあげればささっと連れて行くことができますが、わたしは絶対にそんなことはしません。
考え方はいろいろでしょう。神父様を長く待たせてはいけないと、付き添いの人が先回りして早く連れて行くということも考えられます。でも中田神父は、困っているのでない限り、ご自分でらくらくと車いすを押している場合は決して手を触れません。
考え方はいろいろなので、わたしを冷たい人だと思う人も当然いらっしゃると思いますが、わたしは何と言われようと、その人が自分で押していこうとしているのに、遅いから代わりに押してあげるというのは、その人を尊敬していないと思うからです。
「自分で車いすを押していては時間がかかるので、代わりにわたしが押してあげます。」親切な態度のような気もしますが、その人は傷ついているかも知れません。あなたは遅いと、烙印を押されてしまったのですから。
中田神父はそのような考え方の人間ですから、少し考えれば分かるようなことを間違う人には、腹が立ってしょうがないのです。腹を立てることは罪なのですから、この場で罪を皆さんに告白して、赦しを願いたいと思っています。
ほかの例を挙げましょう。中田神父のところに、とある修道院からFAXが届きました。わたしの名前を間違っていました。見ず知らずの人ならともかく、そのFAXの送り主は教会の祝日表も手元にあったでしょうし、隣の姉妹には中田神父の姓名をはっきりと知っている姉妹もいたに違いありません。
ほかにも「カトリック教報」が手元にあれば、中田神父は当時教区広報委員会の委員長だったので1面の左上にちゃんと中田神父の名前が書いてあります。三つの方法で確かめることができるのに、名前が間違っていた。これは気分悪いです。
このあとのテーマである「人間の成長」ということと関わってきますが、人間は自分の知恵や努力だけでは成長にも限界があるのです。人と関わって、たえず助けられて、成長する。そういうふうに創造されているのです。間違った名前でFAXを送った。振り返って考えると、FAXする前に、人に聞こうとしなかったのではないでしょうか。謙虚に人に尋ねていれば防げたのではないでしょうか。
自分に助け船を出してくれる人を寄せ付けない。知らないうちにそんな雰囲気を作ってしまっていたのではないでしょうか。FAXの人は何の気なしに間違っただけかも知れませんが、慎重に考えれば、ちょっとしたミスからでも何かの収穫があるのではないでしょうか。


【常に成長を願い求めて日々を過ごす】

人間は、常に成長を願い求めることで神さまにお役に立てるものとなれると思います。神さまの道具として、本当にお役に立てるようになるためには、たえず使いやすい道具へと変わっていかなければなりません。
料理の包丁は、買ってきてすぐは何も手が加わっていませんが、使い続け、砥石で研いでいくうちに、手に馴染む道具へと変わっていきます。使い続けるので、少しずつすり減ってはいますが、使いやすく変わっていくのです。
あらためて人間は、常に成長し続けることができるのでしょうか。わたしという人間は、すり減っていきながら、本当に使いやすい人間へと変わっていけるものなのでしょうか。
中田神父の髪の毛は、十年前と比べると悲しいくらいに減ってきました。では中田神父という人間は神さまにとって使いづらいものになったかというと、この場合はたぶん使いやすい道具になったと思います。ハゲおやじになったので、今から華やかな世界に気を散らすこともないですし、女性に鼻の下を伸ばすこともなくなるでしょうし、女性が近寄ってくることも少なくなるだろうと思うからです。
昔からするとずいぶん減ってはいても、時間を掛けて神さまのより使いやすい道具となっていく。これは大事なことです。皆さんはより使いやすい道具へとこれまで変わってきたでしょうか。長い時間をかけて、人の話を聞き入れない頑固な人間に変わってきた。時間とともに、人を蹴落としても何とも思わないようになってきた。この数年で立場が逆転した途端に、周囲の人のことを人とも思わない横暴な人間になった。何か一つでも当てはまるとしたら、悲劇的なことだと思います。
常に成長し続けるために最後まで役に立つのはわたしの努力でしょうか。そうだと思いますか?わたしはそうだとは思いません。わたしの努力で成長し続けるのは困難です。むしろ、人と出会って刺激を受けることや、豊かな書物を通して教えてもらうことのほうが、最後まで役に立つものだと思います。
身近なところで言うと、わたしたちは転勤をするたび、違った兄弟司祭と触れ合います。まったく知らなかったことや、まったく接したことのない種類の司祭と出会うでしょう。新しいその司祭は、わたしに何かを成長させるために、神さまが送ってくださったのです。
書物は、たくさん手にとって読むということは難しいと思います。今この場で、一つの本を薦めるとしたら、中田神父は「希望の道」という本を薦めたいと思います。大司教に選ばれた直後に投獄され、十年以上ものあいだ恐ろしい迫害を受けても大司教としての司牧の務めを牢獄の中から立派に成し遂げたベトナムの教会の枢機卿の手記です。
全体は、1001回のメモ書きの集まりです。牢獄からは、三行か四行か、それくらいのメモしか外に届けることができなかったのでしょう。そのメモが書き写されて、教区民は導きを受けていたのです。この本を、一日につき三つのメモを読み続けるとしましょう。およそ一年で、読み終えることができます。ほかの本を一年間横に置いたとしても損はしないほど豊かな内容です。わたしはそう思っています。人を通して、また書物を通して(書物の中には結局、人がいるのです)、常に成長を目指していくことを忘れないようにしましょう。


【右の手のすることを左の手に知らせない】

伊王島・馬込小教区に赴任した時、チャンスがあって司祭館建設の経験を積ませてもらいました。大司教様によって司祭館は無事に祝別され、落成式の運びとなりました。この日まで順調に進んだのですが、一つ困ったことがありました。落成式の日に一人の経済問題評議委員に大司教様に感謝の言葉を述べてくださいとお願いしていたのです。3か月前くらいにはお願いしたと思います。
ところが司祭館祝別・落成式の2~3週間前、別の経済評議委員から「神父様。○○さんは挨拶が書けなくて眠れないと言っていますよ。何とかなりませんか?」と言うのです。「いいよ。わたしが書くよ」と言ってわたしが感謝の言葉を書きまして、その人に言わせたのです。まぁ、自作自演です。
落成式の当日、わたしはその作文を経済問題評議員に読んでもらってわたしもそばで聞いているという場面を想像してください。そこへ「主任神父様からも一言お願いします」と言われたので、「経済問題評議委員の方、よくぞこのような挨拶を言ってくれた」とねぎらいました。
わたしの作文を読んで、よくぞ言ってくれたとは、よくまぁ言えたものだと思いますが、右の手のすることを左の手に知らせない。この作文が主任司祭の自作自演だと気付かれないために、わたしはそのように言ったわけです。またその経済問題評議員も偉かった。わたしの作文を前もって30回練習して、完璧に自分の作文のように読み上げてくれました。その時の原稿を、読み上げてみたいと思います。

感謝の言葉

敬愛するヨゼフ高見三明大司教様、

このたびはわたしたち馬込小教区の司祭館落成にあたり、信徒との交わりのミサと司祭館祝別のためにおいでくださり、心より感謝申し上げます。小教区の信徒を代表して、ひと言述べさせていただきます。
わたしたち小教区民にとって、司祭館建設は長年の懸案事項でした。先代、先々代の主任神父様の頃から、司祭館の老朽化は目に見えて進んではいたのですが、なかなか行動に移すことができませんでした。まずはこれまで赴任してこられた主任神父様方にご不便をおかけしたことをお詫びしたい気持ちです。
またこのたび、十年ぶりに若い主任神父様をいただくことになり、喜ばしいと思うと同時に、またもこれまでの旧司祭館にお迎えしなければいけないことに心を痛めていたところでした。こうして司祭館を無事に落成してみると、もっと早くから歴代の主任神父様に住みやすい司祭館を提供すべきであったとつくづく感じております。
いつも気さくな現在の主任神父様は、赴任する直前に訪ねて来られた時のことを「海岸の道路沿いに、建てて間もないと思える信徒会館を見た時、これなら司祭館はもっと期待できる建物に違いないと思った」と仰っていました。そのように聞かされて、おそらく初めて旧司祭館を訪ねた時は言葉に詰まったのではないかと役員一同肝をつぶしたのでした。
司祭館そのものは、十一月の地鎮祭から数えても四ヶ月ほどで完成しておりますが、この「目に見える建物」を完成させるためには、ほぼ一年にわたる主任神父様のご苦労と、わたしたち信徒相互の一致と協力の時間が必要でした。一人ひとりは、「主任神父様にもっと住みやすい家を提供したい」と思っていましたが、心一つにして物心両面で協力体制を立ち上げるためには、時間が必要でした。
見えない建物である馬込小教区信徒の気持ちを一つにまとめ上げるための主任神父様の苦心は、日曜日毎の説教にも、結婚式や葬儀の典礼からも十分伺うことができました。主任神父様と一つになって、仕事を成し遂げることができるのはこの時を置いてほかにはない、そう感じたのです。
振り返りますと、高見大司教様のご英断によって決まった一年前の転勤が、司祭館新築をなし終えたいちばんのみ摂理であったと考えております。神様はわたしたちの小教区の再建・再生の見えるしるしとして、若い主任神父様を派遣してくださり、同時に司祭館建設を一つのチャンスとしてお与えくださったと思います。
無事完了しました新司祭館は、総額二千三百五十万円の大がかりな事業でしたが、その四割は大司教区からの支援であります。これから二年間にわたって、教区の支援なしにこの計画は完成できなかったことを噛みしめていきたいと思っております。
それと同時に、わたしたちは行動力ある主任神父様としっかり力を合わせていくなら、まだまだできることがあるということも学ばせていただきましたので、できますなら、これから先何年も現在の主任神父様と共に小教区の活性化・再生のために力を尽くしたいと思っております。大司教様の寛大な御理解をいただければ幸いです。
どうしても聖書の言葉を一つ挨拶に折り込みたくて、主任神父様にお知恵を拝借に行った所、旧約聖書の「コヘレトの言葉」を入れなさいとのことでしたので、旧約聖書の一節で挨拶を結びたいと思います。

「何事にも時があり
   天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
     生まれる時、死ぬ時
     植える時、植えたものを抜く時
     破壊する時、建てる時
 神はすべてを時宜にかなうように造り、
 また、永遠を思う心を人に与えられる。」

司祭館の祝別を通して、わたしたち小教区民も大司教様とお会いする時を与えていただきました。神が与えてくださった素晴らしい時をわきまえて、これからも主任神父様と一致協力し、見えない建物である神の家の完成のために一歩ずつ歩を進めていくことをお約束いたしまして、挨拶に代えさせていただきます。

平成十七年 四月十日
カトリック馬込教会
経済問題評議員


【神さまはすべてを準備してくださる】

「神様はすべてを準備してくださる。」これは信じるかどうかにかかっています。信仰の問題です。神さまはすべてを準備し、必要なものはすべて与えてくださいます。それが信じられるか信じられないかは、信仰の問題です。信じられないとすれば、あなたの信仰はその程度のものです。神さまが必要なものはすべて与えてくださると信じて疑わない人には、神さまはきっとその通りに答えてくださることでしょう。
先ほどの司祭館建設を例に挙げましょう。馬込教会に着任した時、司祭館建設のために小教区会計には1円の積み立てもありませんでした。司祭館に残された賽銭通帳にも、通帳を維持するためだけのお金1万円しか残されていませんでした。離任した太田尾教会の賽銭通帳には300万円残してきたというのに、です。
チャンスを与えられて新築した司祭館は2350万円かかりましたが、神さまは必要なものはすべて用意して、与えてくださいました。わたしは当時の司祭館建設を通して、それを体験として学び、確信を持っています。神さまは必ず必要なものは与えてくださいます。反対に必要のないものは、一切与えてくださいません。
信仰によって、必要なものはすべて与えていただけると確信していますし、必要のないものには1円たりとも与えていただけないとも思っています。そこで話の要点を確認したいわけですが、神学院の皆さんは、必要なものはすべて神さまが与えてくださると固く信じているでしょうか。
教会に限らないことですが、どんな組織も協力者が必要です。指導者が必要です。素晴らしい出会いや、示唆に富む書物が必要です。この世のものについても、時には必要となるでしょう。それら一切を、神さまが必要だと思えば与えてくださると、固く信じているでしょうか。
召命の恵みが与えられることを信じる必要があります。司祭への道を歩み始めた神学生が健やかに育つことを信じる必要があります。司祭候補者になり、朗読奉仕者になり、祭壇奉仕者になり、いよいよ叙階の秘跡を受けた助祭になり、彼らが健やかに育つことを信じる必要があります。
許せないと思っている人を許す力をお与えくださると信じる必要があります。信じて疑わない人にしか、神さまの力を示すことはできないのです。疑っている人に、神はご自分の偉大な力を示すことができないのです。
今日この時から、全面的に神さまを信頼いたしましょう。飢え、渇いているわたしを満たしてくださることを決して疑わないように。神学生、司祭でありながら決して赦されるはずのないことをしでかしたとしても、神の憐れみに心を開けば赦してくださることを決して疑わないように。
いなくなった羊もあきらめずに探し回れば必ず見つけて肩に抱いて喜んで帰ることができることを、疑ってはいけません。「天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました」と泣いている兄弟を、神が喜び迎えてくださることを疑ってはいけないのです。
必ず、与えてくださいます。成長するために必要な出会い・書物・何かのきっかけ。必要なものは必ず与えられます。あとは信仰の問題です。あなたと神が正面から向き合って、あなた自身の信仰を問い直すことが求められているのです。


【共同体とともに、共同体のうちに育ててもらう】

とっさのことをできる人とできない人といますよね。
たとえばミサの時によく仕えてくれる教会の侍者を例に挙げましょう。言われてすぐ動ける子と全く動けない子がいます。香部屋で「めずらしい小学生がミサに来ている。今日はその子も侍者に使いたいからその子を香部屋に連れて来なさい」と言いました。
その教会の香部屋に、右側のドアと左側のドアとありました。
「神父さま。どっちのドアから行くのですか?」と言うわけです。
「俺が知るや!自分で行け!はよっ」と言ったら・・・
「いや。あのぉどっちから行けばいいんですか」
「右側から行け!」で、行った。行ったのはいいのですが、この子はとっさのことができません。「あの~あの~」ってその子供の前で黙っています。何とかして連れて来いよと思うのですが。思い通りにいかない子もいます。ある子は「連れて来て」と言ったら「はーい」と返事して連れて来る。
皆さんの中でもとっさのことができる人と、とっさのことは無理で、きちんと打合せをして準備したものでないとできませんという方、いらっしゃると思います。それぞれ良いところを生かして共同体を豊かにしていただければいいのではないでしょうか。
それに関連してなんですけど、共同生活をしている中で、もちろんお互いに良いものを与え、影響を受けながら自らの完成を歩んで行くと思うのですけれど、一緒にいるからといって一人ぼっちでないという保証はありません。一緒にいても一人ぼっちという人はいるかもしれません。そう考えると、ある時間、何かこうお互いに良いものを出し合うような工夫を、こういった月の静修でもいいんですけど、試してみたらいいのではないかなぁと思います。
共同の時間というのもあります。共同の時間に共同の場所にいれば孤独でないかというとわたしの経験ではそうでもないです。共同の場所に一緒にいても一人きりということがありえます。
例えば一つの案ですけれども、聖書の分かち合いというのがありますね。与えられた朗読箇所に「立ち上がる」という一つの動作があるとしましょう。この一つの動作をお互いに分かち合ってみる。全員が忌憚なくみ言葉から受けたものを分け合う。そういう取り組みを時に入れてみれば、『あ~この人はこういうところに目が行くんだなぁ』とか、わたしの知らないところで立ち上がるという動作に光が与えられた。今までずっと聖書読んでいたつもりだけどあの神学生のおかげでわたしは新しいところを見つけた。そういうことが少しできるんじゃないかなと思っています。
ちなみに、立ち上がるというのはキリストの復活に関連のある言葉ですね。ですから、ある場面で「立ち上がって行動を始めた」とあれば、その人は信仰を持って、キリストへの信頼を置いて何か動き始めたというふうに受け取っていいと思います。
あるいは、朗読箇所は特に定めずに一つの動作を取り上げて分かち合うことも面白いかもしれません。「座って」とか、「座らせて」とかそういうところを皆さん出し合ってみましょうと呼びかける。ある人は パンと魚の奇跡で人々を50人ぐらいずつ座らせた、あそこを思い出す人がいるでしょう。もしかしたらまた違うところを思い出す人がいるかもしれません。あ~なるほど。こういう所でも座るというのが出るんだなぁ。あの仲間のおかげでわたしは知らないことを知ることができたんだなぁとなる。
一人で聖書を読んで一人で発見できることって限られています。たかだか60年70年80年ぐらいの時間で見つけた箇所です。ですから、たぶん一人で見つけるよりもほかの仲間に見つけてもらったものを吸収する。そういうことをするともっともっとこの学生生活でお互いに助け合って養成しあうことができる。お互いにお互いを育て合うということができるのではないでしょうか。一人ではない、そう感じて、慰められ、力を得ていく仲間もいるかもしれません。
一例ですよ。一例。慎重に考えて綿密に準備してしゃべっているわけじゃないんです。ですからこれが唯一だと断定されては困りますので、あくまで参考として考えてください。共同でいますけれど、一人きりにならないように。共同の時間に一つ部屋に集合していますけど、一人きりということが無いように何か工夫を考えてみてはいかがでしょうか?
いろんな役割分担をして、一つのことを成し遂げ、一体感を味わうというのは素晴らしい体験ですね。一人ぼっちにならない効果的な方法でもあると思いますが、わたしはそれを教皇様の来日の時に味わいました。当時はほろ苦い思い出でしたが、今となっては得難い体験です。
教皇様が日本においでになったのは1981年でした。中学3年生だったと思います。雪が降りました。高校生になった先輩神学生たちや大神学校の先輩たちは祭壇のそば近くで何か仕事がありました。当時わたしはそれを指をくわえて見ていました。高校生だったら良かったのになぁと思って。またそういう機会がもしかしたらあるかもしれませんが、中学生は何をしていたと思います?プラカード持ちだったのです。
松山競技場では、正面スタンド側に祭壇が設けられていました。そこに大神学校の上級生は近くでお手伝いをしたと思いますけれど、高校生以上は何かしらお手伝いがあって、正面スタンドに上がっていたわけです。松山競技場のグラウンドではA-1・A-2・A-3と区画になって参列者が入ってましてそこにわたしたち中学生もいました。
記憶のある方は覚えていると思うんですけど、プラカード(案内板)を持っていた坊やたちがいたと思います。わたしたちは案内板を持つのが仕事だったのです。案内板を持つわたしたち神学生は、皆さんはスタンドの方を見ているんですけれど、プラカードを持って背中を向けて立たないといけなかったんです。
わたしは後ろを振り向きながらずっとミサにあずかったのを覚えています。「このように立て」と言われたので。わたしも中学のときは純粋だったので、立っていなさいと言われるとそのままでした。じゅかじゅか濡れる中、ズック靴です。布製なので、どんどん濡れてしみ込んでいくのです。冷たいなぁ冷たいなと思いながら、プラカードを持って一生懸命立っていました。
前日叙階式がありました。もう30年も前なので皆さんは記憶のない方々なのかもしれません。神学生は特別な配慮をしていただいて中央の通路に寄せて席を用意してもらっていました。「今諫早を通過しました。」「後何分でおいでになります。」「教皇様おいでになりました」と言って浦上教会の正面の扉が開かれて教皇様が中央の通路を通ります。わたしたちは、「あっ来た」と思ったんですけど、その瞬間、同じ服を着たひとかたまりの女性の方々が「どいてぇぇぇ」と言って殺到してきて、わたしたちは押しやられていって「あぁぁぁ」っと言う間もなく中央の通路からどんどん後ろにやられ、「教皇様ぁぁぁぁぁ~」教皇様の姿ではなく、バーゲンセールに群がる同じ服を着たひとかたまりの女性の姿しか見えなくなりました。
誰とは言ってませんよ。同じ服を着たひとかたまりの集団の女性です。ちなみにわたしが「どいてぇぇ」と言われたのは紺色の服でした。それ以上は言わないことにしておきましょう。そこは典礼用品の買い物をする付き合いもあり、買い物をするときに値段を吹っ掛けられても困るので、紺色の服を着た一団とだけ言っておきます。握手できるぐらいのところに置かせてもらっていたのに、あっという間に後ろに追いやられて・・・それが教皇様の思い出です。
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日本カトリック神学院東京キャンパス講話(2)

2017-01-23 | Weblog
【司祭は神によってしか、存在意義を示せない】

わたしは自分のことを「家造りの捨てた石」と自覚しています。中学一年生の夏休みのことです。長崎の小神学校に入学して、一学期を過ごし、初めての夏休みです。久しぶりに郷里の平日のミサにあずかり、そして神学生として初めて、郷里で日曜日のミサを迎えました。
教会の玄関にカトリック信者のおじさんたちがたむろしていました。その脇を通って行く時、たまたまおじさんたちの会話が聞こえたのです。こんなふうに言っていました。「輝あんちの息子の神学校に行ったって?」「おう」「何のそ~ん。輝あんちの息子の神父様にならうっとっちかよ。」中学一年生の少年だったわたしは恥ずかしさで顔が真っ赤になり、おじさんたちが誰だったのか、確認することすらできませんでした。
ミサにあずかっている間、おじさんたちの言葉がグルグル頭の中を回っていました。「何のそ~ん。輝あんちの息子の神父様にならうっとっちかよ。」通訳が必要かもしれません。「どうして輝兄貴の息子が、神父様になれるはずがあろうか。なれるはずがない」そういう意味です。次第にわたしの中に怒りがこみ上げて来まして、「見とれよ」という気持ちになりました。
わたしは来年司祭叙階25年の銀祝なのですが、あの時あの会話をしていたおじさんたちをこの機会に見つけ出そうと思っています。「あの時、『何のそ~ん』と言った奴は出て来い。名を名乗れ」と言いたいです。
しかし、よくよく考えると、あのおじさんたちには死ぬまでに一度感謝の気持ちを表したいと思っています。あの言葉がなかったら、歯を食いしばって辛抱することはできなかったでしょう。反抗期の時に、とっくに召命の道を放棄していたことでしょう。ありがたい言葉でした。
「輝兄貴の息子が司祭になれるはずがない。」これは事実です。詳しいことは言えませんが、わたしは小学校卒業を間近に控えて警察に補導された身です。ですからわたしは、「家造りの捨てた石」なのです。けれども神は、このわたしを使ってくださり、「隅の親石」としてくださいました。大なり小なり、司祭は神によってしか、その存在意義を示せないのです。


【司祭・修道者は祈る人である】

ここからは非常にまじめな話です。司祭・修道者は祈る人でなければなりません。知識は枯渇します。祈りも枯渇します。学び直したり、学び続けるのは、知識を枯渇させないためです。昔身に付けた知識にあぐらをかくと、痛い目に遭います。同じように祈りも、若いころにたくさん祈ったからもう祈る必要などない。そんな理屈は通りません。祈りの枯渇した司祭・修道者は、知識の枯渇した司祭・修道者よりもあわれでみじめです。
みなさんの考える祈りはどのような姿でしょうか。わたしが思い描くのは「手を合わせている」という姿です。基本的に人間は活動するというとき、両手を使い、両手を開いて活動するものです。手がふさがっていては、何もできない、というのが一般的です。
ただし、一つだけ、手を閉じて、手を合わせて行う活動があります。「祈り」だけは、手を閉じて、手を合わせて行う活動です。それは、一つの姿を現しています。自分のためには何もしないで、神様のために活動するという姿です。
もう少し言いますと、祈りは、自分のための活動をいったん止めて、神様に心をあげ、神様のために時間を使います。手を閉じているというのは、自分のためには働きません、という思いが形に現れたものです。自分のための活動には手を使いませんという意思表示なのです。
これは司祭・修道者の立っている場所も表しています。自分のためには手を使わない、時間を使わない。そういう生き方を世に示すのです。神と人々のために自分の手を使い、時間を使いますということです。祈る司祭・祈る修道者は、手を閉じて生きることの意味と価値を、生涯にわたって世に示し続ける存在だと思っています。


【司祭・修道者の「あかさたな」(1)】

何か皆さんにお話ができればと思うのですが、もちろんわたしたちは神様に何かの形で自分をおささげしてそして神様から全てをいただいてこの日々を生きていく者だと思います。
わたしたちの方から神様に何かおささげできるものがあるか?もちろん全身全霊をおささげすると思いますが、それをいくつかの言葉に置き換えると、まず一つめはわたしたちの愛を神様におささげする必要があると思います。
興味があるかどうか、この講話を録音したものをCDにしてお届けしますので、よかったら後でゆっくり聞いてください。愛を神様におささげするのがまずはわたしたちの大切な使命だと思います。
神様が男性なのか女性なのかあるいは男性女性気にしなくていいのかいろいろあると思いますが、“父よ”と呼びますのでどちらかというと男性として意識していいと思うのですが、本当に人間の世界の愛し合っている男女を少しイメージして何か考えてもいい、と思うのです。
愛する男女はお互いに与え合いますしお互いに全てを欲しがるのではないかと思います。小さい子供の面倒を見るときに、時々子供が思いがけず泣いたりします。最近泣いている子供を見てもかわいいと思うようになりました。わたしも年をとったかな?と思う瞬間です。
20代のときは、うるさいなぁと思ったと思いますが、今ではかわいいなぁと思います。泣いている時でもかわいいと思う。変なことですけれども、何をやってもかわいいわけです。何でも、それは目に入れても痛くないというか目に入れておきたいと思っているわけです。
そういう方にわたしは愛されている。そういう方に精一杯の愛をお返しするというわたしたちと神様の結びつきではないかなぁと思います。神様がわたしたちの全てをほしがるのであれば、期待するのであれば、わたしの方からいろいろあれこれ注文をつけないほうがいいと思います。
「あなたの何でもわたしは好きなんだ。愛しているんだ。あなたがどんなことをしていても、あなたはわたしにとって輝いているんだ。」そういうつもりで神さまがわたしたちを見ているとしましょう。そうなるとわたしたちは条件を付けない方がいいと思います。
例えば一般的な男性と女性の場合、「いやぁ~もう今日は準備できていないからデートできない」「今日は美容院に行ってないから何とかかんとか」と条件を付けて会話をしている。そういう様子をちょっと考えてみると、わたしたちの方が条件を付けるとするなら、こうゆう様子ならわたしの美しさ・良さ・魅力が出せるから、神さまこういう条件の時に見てください、わたしを愛してくださいと、あれこれ条件を付けるのはいかがなものかなと思っております。
愛する神はわたしたちがあらゆる状態にあるのをどんな状態でも目に入れても痛くない。本当にかわいらしいと思う。そういうふうに見ておられるのではないでしょうか?
なるほどそうだなぁと思ってくださるなら、もう少し話したいことがあります。それぞれ置かれている場所はいろいろです。こんなことをしてくれと言われ、その務めを果たしている。あなたはこういう位置にいてくれ。例えば、何か「長」の付く責任のある立場についてくださいと言われた。いろいろ考え付くでしょう。
そういう中で「個人的にはわたしはこういう中ではわたしの良さ・魅力を発揮できないのになぁ」と不満を持っている。いろんなことを思っている方々いらっしゃると思いますが、神さまから見ていてどうなんでしょう?わたしはこうゆう時こそ魅力があるから、魅力がない今は見ないでと言うのは、神さまの方からどうなんでしょう?
「わたしはあなたを愛しているからあなたがどんな務めであっても、たとえば寝たきりであっても、わたしにとっては魅力的だよ。あなたが祈っている姿、悪戦苦闘している姿、何を見てもわたしにとっては非常に喜ばしいよ」と神さまの方は思っているのでは?とわたしは思うわけです。愛し合っている人、愛している人の方からはそうではないかな?と思います。
途中で話したのですが、子供が泣いているのがかわいいなぁと思う。それは泣いている子供にとっては迷惑な話です。ですが、愛している人、かわいいなと思っている人にとってはそれはどんな状態であっても目に入れても痛くない魅力的な姿なんじゃないでしょうか?
そう思うとわたしたちのいろんな心配事、不満とはちょっと横に置けるのではないでしょうか?わたしは不満ばっかり。悩んでばっかり。こういう起用の仕方、こういう使われ方をわたしは耐えられないと思っている。神さまは「あなたがそうやって悩んで転げまわっていても、それでもいいんだよと。わたしにとってはあなたの良さ・魅力は何も変わっていないよ」とおっしゃってくださるのではないか?そう思います。
そのような方にわたしたちは愛をお返しする、愛されているんだなということを知って日々の務めに専心する。一生懸命心を向けていく。そういうことを期待されているんじゃないでしょうか。愛する。愛を返すために、わたしたちから条件を付けないようにしましょう、ということです。


【司祭・修道者の「あかさたな」(2)】

2つめは感謝です。
結婚式を引き受けることがあります。ある結婚式、両者ともカトリックではない方の結婚式でした。わたしはその方々にはなむけの言葉として「お互いに感謝することは当然ですが、感謝のもう一つ先にあるものに気がつくような、そんな夫婦であってほしい。そんな家庭生活を歩いていってください」とお話しました。感謝の先にあるものはわたしに言わせると「賛美」です。感謝で終わらずに、賛美する。何かを素晴らしいと言える。そういう人になってくださいとお話ししました。
感謝というのは、わたしの印象ですが、目の前の相手にする行為です。例えばこのような配偶者を与えていただいた。このような方とめぐり合うことができてありがたい。あるいは、わたしたち夫婦に新しい命をいただいた。この子を見て新しい命がやってきてありがたいと心から感じる、など。目の前の相手に感謝すると思うのです。


【司祭・修道者の「あかさたな」(3)】

もう一つ先に賛美というのが生まれてくるなら、もっと素晴らしい。
わたしはこういう生活に置かれた、こういう人とめぐり合った、あるいはこういう方々と知り合うことができた。ありがたいと思うと同時に素晴らしいと思う。そこまで気持ちが向くようになると目の前の相手ではなくもう一つ向こうにあるものを賛美できるようになる、讃えることができるようになるのではないでしょうか。そんなことを、花婿・花嫁さんに話しをしたわけです。
まったくカトリックではないので神様とかそういうことは話しませんでしたが、気持ちとしてはその先にあるあなたとあなたをめぐり合わせてくださった神様を讃える。そこまで気づいてほしいですというふうに言いたかった。あなたがたご夫婦に新しい命を授けてくださった、目の前にあるこのか弱い命を送り届けてくださった、もう一つ向こうにあるものに気がついて讃えてほしい。賛美してほしいと言いたかったのです。
どこまで伝わったか分かりませんが、わたしの気持ちとしては神への感謝と賛美に夫婦を向けたい。そういう面がありました。実は、この言葉にはもう少し裏がありまして・・・わたしはおぎゃぁっと生まれたときから洗礼を受けましたので他の宗教のことを良く分かりません。他の宗教の中で賛美するというような言葉・活動があるのかなと。
もしも、賛美するという活動があまり他の宗教に見られないとしたら、それはキリスト教にとっては一つの発見ではないでしょうか。わたしたちは賛美するという活動や言葉を十分に知っています。聖体賛美式というのがありますよね?賛美するこということについてわたしたちはある程度一日の長があるわけです。少しわたしたちに分があるかなと思っています。
もちろん、わたしは他の宗教のことを良く知りません。だから「いいえわたしたちにも賛美するという言葉があって賛美する働き・活動がありますよ」と言われると、もういちどわたしは勉強しなおす必要があると思います。わたしたちには初めから賛美するという働きがあります。まことの愛をお返ししたいという気持ちから、こういう場所に置かれたことを心から感謝する。今まで気持ちの問題で、置かれた場所を納得できなかった、不安に思っていた、苦しんでいたけれども、ちょっと楽になった。もしも楽になったのであればまずは感謝の気持ちを持っていただきたいと思います。
結婚を控えている方々にも話をする機会があります。20代30代の人たちです。みなさん明日目が覚めるというのは当たり前だと思っていますか?と聞きます。どうしてですか?という顔をしています。
もちろんそうでしょう。命にみなぎって本当に充実した時間をすごしているでしょうから、なぜ明日がやってくるのが不思議ですかという顔をしています。実際は20代・30代の方が例えば日本に150万人いるとして明日全員目が覚めるという保障はありません。昨日のうちに交通事故でなくなる方もいるかもしれません。何が起こるかわかりません。ということは次の日、目が覚めることにあなたはありがたいなぁと思いませんか?というふうに話をします。
わたしたちもそうだと思います。日常に感謝できるようになるのはどこかで神様に気がつくときだと思います。置かれた場所が非常に厳しい場所で、何も喜びを感じない、どれだけ頑張っても満足できないと思っていた人が、あるときどこかで神様を感じて、こんな厳しい場所でも神様はそばにいてくださったんだと気がついて感謝できるようになる。
感謝するときは、わたしたちにとって神様に気がついたときではないでしょうか?もちろん日常の感謝もありますが、突き詰めて深いところでは神様に気がついたとき、当たり前と思っていたことが感謝できる。そこに神様の何かを気づいたとき感謝できるようになるのではないでしょうか?
朝、目が覚めて皆さん何とも無いかもしれませんが、「良かったなぁ。今日一日また貰ったんだ」と思うならそれは感謝とか、祈りに結びついて良いのではと思います。この難しい問題にわたしたちは一生懸命取り組んだ。何とかこの問題を乗り越えていったというときに感謝できるのは当然だ!と思うか感謝できるかの違いは、どこかで神様を感じるかではないでしょうか?
そういうことが常々できるようになってくるともっともっと賛美する気持ちが芽生えてくるのではないかなぁと思います。
愛し、感謝し、感謝が深まって賛美する。そこまでわたしたちの神様への働きを考えてみました。今度はわたしたちが神様から何かを受けて溢れさせる。わたしの信念ですが、あふれ出ないことには外に向かっていかないと思っています。神学生の皆さんは料理の経験はあるでしょうか。伊王島に異動したとき初めの2ヶ月間自炊しなければならず、苦労しました。軽量カップなんていうものも初めて触りましたが、スプーン一杯、箸ですりきりいっぱいでは絶対こぼれません。溢れ出るから外に行くのではないのでしょうか?
わたしたちの思い。何かお返ししたいというのは溢れ出てからが始まりだと思います。皆さんの魂が探求心でどんどんいろんなものを吸収していく。吸収することはとても大切なことですが、吸収して積みあがっていくなら、溢れ出てようやく外に向かっていくのではないかなと思います。
ある日、お風呂で失敗しました。タンクにお湯がたまってから浴槽へ入れるシステムのものだったのですが、21時頃タンクの蛇口をひねりました。気がついたのは夜中12時半。悪いことをしました。行って浴槽に手を入れてみたら冷たかったんです。やってしまった。経済評議委員に「すまん。このタンク丸々一杯分お湯を失ったよ」と言ったところ、「仕方ないです神父さん。今度から注意して下さい」と言われました。
じゃんじゃん溢れ出ました。これくらい溢れ出るようにやってください。そうすると皆さんの働きはどんどん外へ向かっていく、また空になったら溜めたらいいんです。溢れ出るということはこういうことでしょうねと思いました。


【司祭・修道者の「あかさたな」(4)】

あふれ出るという思いは大事だと思います。あふれ出たら一つの形にしていってください。わたしたちの多くの人がしなければいけない、あふれ出て外に向かって行う働きは種まきだと思います。
刈り取りばっかりの人がいればそれはうれしいことです。例えば、行った先の教会に助祭さんがいた。助祭さんがいたということはもう間もなく司祭になるわけです。ありがたいことです。刈り取りだけ、種まきはしていないのです。この教会で。そういうことはありえます。
最初から最後まで刈り取りばかりの勤めという人はたぶんいないと思います。そういう中で、ほとんどの教会でみなさんが行うことは種まきではないかなぁと思います。皆さんのあふれ出る思い神様に愛をお返しした、感謝した、賛美した。当然それ以上のもので包んでいただける、満たしていただいていると思うのですが、そういう神様からいただいたものを種まきという形でこの世に届けていく。収穫の当てのない種まきかもしれません。それでもよいではありませんか。種まきのためにわたし自身を神におささげしましょう。
実はわたしはまだ「神学校に行け」と神学校にやった子はいません。入学に手を貸した子は一人います。滑石にいるとき入学手続きを手伝った川端君です。意識して神学校に行けと誘って行かせた子で、はっきりこの子だと意識している子はいません。川端神父さんはお兄さんが行っていたので、兄さんにあこがれて行ったようなものですから、なんとなくわたしから勧めて行ったというわけではないので、まだまだたくさん種まきが必要だなぁと思っています。
わたしは男の子の侍者の子とじゃんけんをしてその子が負けたら「神学校に行こうか」と言うのですが、きっぱり「嫌です」と言われます。「いいやんか。じゃんけんで負けたぐらいの子が行ったほうがうまくいくとって神学校は」とよく言います。そんなに優秀で模範的な生徒を送ったからといって確実になるということでは無いです。
じゃんけんでいいんです。じゃんけんで負けたから神学校に行けと。お父さんお母さんにそう言ってこいと。じゃんけんで負けたら神父様から神学校に行けといわれたと。なかには「面白いことをいう神父さんだなぁ」と言って行ってみようかなぁとか、親がこの神父さんのときに手なずけて欲しいなぁって思うような人もいるかもしれません。
いろんな種まきを通して、皆さんの働きを世にお返ししていってください。収穫の時、同じ人が刈り取るならそれは素晴らしいことですが、また違う人が刈り取りをするかもしれません。育て、芽を出させてくれるのは神様です。わたしたちはその時に期待されていることのために精一杯自分をささげればよいのです。
刈り取る人が違うかもしれませんが、それを悔やんだり、ねたんだりする必要は無いです。たまたまそこにいただけです。神様が芽を出させ、育ててくださるのを花婿の介添人は眺めて喜ぶ。それで良いのではないでしょうか。


【司祭・修道者の「あかさたな」(5)】

そして最後は「慰め」のために奉仕するということです。
慰めにつて、2つ考えていいと思います。1つは神様がお一人お一人を慰めてくださる。もう1つはわたしたちも誰かを慰めてあげる必要がある。泣いている人がいる。希望のもてない人がいる。そういう中でわたしたちはキリストの慰めを届ける者として出かけていく必要があると思います。
神様からの慰めについて、当然わたしたちはいただくことができると思うんです。慰めを届けに行くほうが問題です。希望の持てない人がいるんです。神様がいるならどうしてこんなにつらい日々を送らなければならないのか。神様なんてあったものじゃないと思っている人がいるんです。
そういう方々にわたしたちは出会うことがあります。わたしたちがそのときに届けてあげられるものは物質的な何かではありません。神様の慰めだと思います。あなたにも神様の慰めが必ず届きますという言葉を届けてほしい。敷居の高い司祭館にやっとの思いでやってくる人々は、ほとんどが誰からも慰められず、打ちひしがれてやってくる人々です。司祭が慰めを語ることがなければ、彼らは絶望してしまうでしょう。希望を失った人にキリストを語る。結婚が破たんしてしまった人に慰めと新しい道への希望を語る。家族を失い、祈り方を知らずにさまよっている遺族に、泣かなくともよいと近づいていく。そのために司祭は、身をささげる者なのです。
わたしたちはいつくしみの特別聖年を過ごしてきました。亡くなった聖ヨハネ・パウロ二世教皇様が復活節第2主日を神のいつくしみの主日として推奨なさいました。めぐり合わせでしょうか。この数年間亡くなられた教皇様のために神の慈しみが十分に注がれますようにとわたしたちは願い、祈って、ついに列聖されました。
教皇様ご自身定めてくださった神のいつくしみは、ますます重要になってきました。わたしたちが慰めを語る司祭となる必要性も、ますます高まっている感じがします。

最後に、まとめたいと思います。一回目の話は、こうなってはいけないという反面教師として受け取って結構です。二回目の話は、司祭は祈る存在であるということと、司祭が生涯かけてささげていくものは、「愛」「感謝」「賛美」「種まき」「慰め」ということでした。
これ、「あかさたな」の順番です。気がついた人いらっしゃいます?気がつかなかったでしょうか?これは何かを話すときのちょっとしたコツです。みなさんが何か話す機会があるなら、役に立つと思います。話がそれていっても、元に戻しやすいですね。
今後、時間が経って、講話の内容はぜんぜん思い出せなくても、皆さんなりの「あかさたな」のような「あいうえお作文」で組み立て直してください。「遊ぶ・買い物をする・さんざん寝る・たらふく食べる・なけなしの金をパチンコですってしまう。たしかこういう話だったかな」どうかこうならないことを願っています。
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年間第3主日(マタイ4:12-23)イエスは一人ひとりを弟子として呼ばれた

2017-01-22 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/170122.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2017/1/22(No.866)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第3主日
(マタイ4:12-23)
イエスは一人ひとりを弟子として呼ばれた
‥‥‥†‥‥‥‥

年間第3主日、イエスがガリラヤで伝道を始める場面が朗読されました。イエスは「ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」(4・13)とあります。せっかくイスラエル巡礼をしてきたのですから、カファルナウムで見たことを初めに紹介したいと思います。

カファルナウムでは、イエスがこの地を活動の拠点とされたことを記念して、教会が立てられていました。現代的な教会で、発掘によって見つかった古い住居のあとをそのまま残すために、高床式の建物のように教会を建てています。

さらに聖堂の中央部分はガラス張りになっていて、古代の住居跡が見えていました。イエスが活動の拠点にしたカファルナウムに残る遺跡から、イエスが住まわれた場所もこのようなものだったかなと思い巡らしながらしばらく祈ってきたのでした。

ついでですが、ここは17年前にも訪ねた場所でした。ところがほとんど記憶がなくて、この巡礼を企画してくれた旅行会社の野口さんから、「神父さま、本当に覚えてないのですか?困りますねぇそんなことでは」と言われてしまいました。よくよく考えると、聖堂内に入ったような記憶はありますが、床がガラス張りで、当時の住居跡が確認できるようになっていたことは思い出せませんでした。

このカファルナウムは、ガリラヤ湖の北に位置しています。ガリラヤ湖は海抜マイナス210mで、地中海などと比べるとはるかに低い場所なのです。そのため、「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(4・16)と光が届かない地底に例えられるのも無理はありません。

そういう地理的条件にあるカファルナウムの町に、イエスは伝道の拠点を置きました。光は、光源から遠ざかるほど弱い光になります。「暗闇、死の影の地」と例えられたガリラヤの町々は、地の底でしたから光が届くころには弱い光になるはずなのです。

しかしマタイ福音記者は、イエスがカファルナウムに住まわれた様子を「光が届かないはずの場所に、光の方から近づいてこられた」と理解したのです。ガリラヤの人たちも同じだったでしょう。自分たちの住む場所に、光の方から近づいてこられるなど考えられないと思っていたはずです。そこへイエスはやって来てお住みになり、ガリラヤ周辺の人々の希望の光となってくださったのです。

このような背景を踏まえてイエスが宣べ伝えた言葉を考えると、当時のガリラヤの人々がどのように受けとめたかが分かってきます。見捨てられた町、光が差し込まない町と考えられていた町々に、光であるイエスが直接降りて来て、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(4・17)と言われたのです。それはきっと、「わたしたちに特別に目をかけてくれる人が現れた。わたしたちを見捨てないお方が現れた」そう受けとめたのではないでしょうか。イエスの呼びかけは、すんなり聞き入れられたと思います。

こうした伝道の中で、イエスはご自分の弟子をお呼びになりました。シモンとその兄弟アンデレの召命、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネの召命、それぞれ別々の場面ですが、呼ばれて弟子となる流れは驚くほど似ています。「イエスが彼らのところに行き→二人の兄弟をご覧になって→彼らに声をかけると→彼らは網や父親を残して→イエスに従った」。この流れです。

もっと言うと、召命とは「イエスに呼ばれること」です。生き方が180度変わるのは、それがイエスに呼ばれたからです。今までの生き方は自分のために生きる生き方でしたが、イエスが呼ばれたのはイエスにすべてを委ねるためにお呼びになります。湖の底の潜んでいる魚を引き上げる仕事から、光の届かない闇、死の影の谷に住む人に光を届け、かれらを引き上げるために呼ばれたのです。

実はわたしたちも、イエスに呼ばれて、呼びかけに答えた者です。司祭は「わたしとわたしの後継者に、尊敬と従順を約束しますか」と呼ばれて、「はい」と答えました。修道者も清貧・貞潔・従順の誓願によって神に呼ばれました。結婚した人たちも、「あなたは○○さんを夫としますか、妻としますか」と呼ばれて、「はい」と答えたのです。

だれもが、神のお住まいになるこの聖堂で、それぞれの生き方に入るために呼ばれたのです。堅信の秘跡を受けた時点でわたしたちは「神の賜物である聖霊のしるしを受けなさい」「アーメン」と答えて、キリストの兵士として、キリストを生き、証しするよう呼ばれているのです。

イエスに呼ばれたのですから、呼びかけに答えたわたしたちはすっかり変えられたはずです。「わたしはシモン・ペトロやアンデレではないから」とか「わたしはヤコブやヨハネとは違うから」と考えて、イエスの呼びかけを軽んじたりしていないでしょうか。

わたしたちはこの聖堂で、あるいはほかの聖堂で、神がおられる場所から呼ばれ、「はい」と答えた者なのです。ぜひもう一度、自分が呼ばれた生活でイエスに自分を委ねて生きてきただろうかと振り返ってみてください。「イエスよ、あなたの呼びかけにこうして答えてまいりました」と申し上げながらこの人生を完成させたいと思います。

もちろん答えられない場面もあるでしょう。それらはゆるしを願いながら、一つでも二つでも、「喜んでください。わたしはこんな形であなたに答えることができました」という報告をしながら日々を送りましょう。

子どもたちに特にお願いしたいことがあります。イエスさまはさらにまさった生き方を用意しています。もし、イエスさまのもっとそば近くでお手伝いしたいと感じたなら、主任神父さまやシスターにその気持ちを伝えてください。イエスさまのそば近くで働く子どもたちを、主任神父さまやシスターたちは心待ちにしています。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第4主日
(マタイ5:1-12a)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼カトリック神学院東京キャンパスに「月の静修」の中の講話をするために東京に出張した。日本におけるカトリック司祭の養成は、かつては東京と福岡の二つの神学院が別々に養成をしていたのだが、現在はそれが統合され、両方での時間をすごしたのちに司祭に叙階され、巣立っていくことになっている。
▼東京キャンパスは、そのうち最初の二年間(哲学コース)と最終年度(助祭コース)を過ごす場所となっている。前もってどんな人たちがいるのか尋ねもしないで行ったが、行ってみるとイメージとは違った学生たちが神学生ライフを送っていた。
▼わたしたち長崎教区の神学生は、前提として「小神学院生活」あるいは「コレジオ生活」をしたのちに東京キャンパスに行くことになっている。だから神学生としての生活は通算で十年目、短くても四年目という状態で進んでいる。それは顔つきにも出るわけで、場所が変わっても落ち着きがある。
▼大神学院だから、そういう顔をイメージしていたが、そうではなかった。初めて神学生ライフを始めた人たちがいて、召命について悩み始めるのも初めてという学生たちがそこにはいた。わたしの講話は「将来の司祭に期待すること」という内容だったが、どこかに長崎スタイルの養成を受けた大神学院の神学生をイメージしていたかもしれない。
▼そう言えば、カトリック神学院東京キャンパスに行ったことを証しする写真を撮影してこなかった。武蔵関という駅から500mくらい歩いた場所で、上智大学神学部のそばである。聖堂は落ち着いた雰囲気で、山上の説教の教会、あるいは受胎告知の教会をイメージさせる造りだった。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第473回目。東京行きの便は666便。黙示録を思わせるおもしろい便名だった。

ホームページもご覧ください。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/

【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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年間第2主日(ヨハネ1:29-34)だからわたしも証しする

2017-01-15 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/170115.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2017/1/15(No.865)
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年間第2主日
(ヨハネ1:29-34)
だからわたしも証しする
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「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(1・29)洗礼者ヨハネは、目の前においでになったイエスを見て、自分はこの方がイスラエルに現れるために、呼び出され、使命を授かり、悔い改めの洗礼を授けているのだと証言しました。「わたしはこの方を知らなかった」と繰り返していますが、「世の罪を取り除く神の小羊」と確信するまでの洗礼者ヨハネの心の動きを探ってみましょう。

無事にイスラエル巡礼を終えてきました。17年前にも一度行ったのですが、覚えていない場所もありました。パレスチナ自治区の領土にあるベツレヘムにも行きました。降誕節にイスラエルを巡礼しましたので、文字通り「ベツレヘムの飼い葉桶に眠る幼子イエス」を拝みに行きました。文字通りって、すごくないですか?

何よりありがたかったのはご公現の祭日のミサをささげたことです。17年前のイスラエル聖地巡礼で、島本大司教様の引率のもと、長崎教区の青年と各地区代表の同行司祭とでイスラエル各地を巡礼し、いろんな教会でミサをしました。

今回ミサをささげたのは「ペトロの首位権の教会」と言われるところです。17年前、それぞれのミサの中での説教を「この教会ではあなたが説教してください」と割り振ってもらったのですが、わたしの記憶に間違いがなければ、中田神父が頼まれたのは山上の説教の教会での説教でした。できれば17年を経て、もう一度同じ教会でミサをささげ、説教したかったのですが、今回は叶いませんでした。ですが同じイスラエルの地でミサをもう一度ささげる。それだけでも幸運と言うべきでしょう。

わたしは、出来事は単なる偶然で起こるものではないと思います。再びイスラエルの地でミサをささげ、説教ができたのは単なる偶然ではなく、神さまの深い計らいだったと思っています。今回、カトリック司祭はわたしだけだったという巡り合わせが一つありました。

巡り合わせはほかにもありました。イスラエル巡礼のお誘いが降誕節中だったということです。当日1月8日はご公現の祭日で、占星術の学者たちが「東方で見た星」に導かれ、はるばる旅をして幼子イエスを拝みに来たことを祝う祭日です。わたしも、はるか東の国日本で目には見えない光に導かれて降誕節にイスラエルに赴き、救い主を礼拝することができた。そう考える時、決して偶然の重なりとは思えないのです。

福音に戻りましょう。ヨハネはヨルダン川で水を用いて悔い改めの洗礼を授けていましたが、彼には一つの確信があったと思います。それは、自分が神に呼ばれて、この使命を果たしているということです。単に立派な行いだからとか、生き方を突き詰めてみたいとか、そういうことで悔い改めの洗礼を授けているのではなく、「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」(1・23参照)そう呼びかけられたから、使命を果たしている。この確信があったのだと思います。

更に何を語り、どのように悔い改めさせるのかも、呼びかけてくださった神に準備を整えてもらったのです。そのヨハネの活動は、決定的な場面を目撃して完成を迎えます。「しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」(1・33-34)

ここでヨハネが体験したことは三つです。使命のために呼びかけられたこと。活動のために準備を整えてもらったこと。先駆者としての使命が成し遂げられたと悟る場面を目撃したことです。そして今週、この三つにわたしたちの生活を重ねて考えてみたいのです。

わたしはちょうど、先週この体験を積ませていただきました。人間的にはつまらない者でありながらも、司祭召命に呼ばれました。そして司祭として何にもまして大切なミサをささげる祭壇を、山上の説教の教会で二度も整えていただきました。

そして山上の説教の教会祭壇でミサをささげながら、イエス・キリストの身分においてささげることで、このイスラエルでも、世界中のどの教会でも、もちろん田平教会でも、同じいけにえがささげられ、同じ効力と恵が与えられると目撃して帰って来たのです。

皆さんお一人お一人にも、使命のために神は呼びかけ、準備を整えてくださり、使命が成し遂げられたことを悟らせてくださいます。ときには人間が思い描く形ではないかもしれません。けれども神が呼びかけ、準備を整えて、完成させる働きは誰にでも与えられ、体験させていただけると思っています。

先に、出来事は偶然の積み重ねではないと話しましたが、会うべき人に会わせてもらえるとか、見たかった場面をとうとう見たとか、どれほど偶然を積み重ねても起こらないような出来事を、神はわたしたちを使って成し遂げてくださるのです。わたしたちが「このことは神の深い計らいだったのだ」と気付いたなら、ぜひそれは証ししてほしいと思います。

昨年一年、わたしが説教台から話したことは、ひとことで言うなら「福音に書かれていることは、わたしたちの今の生活の中に見つかります」ということでした。今年はみなさんと共に歩く二年目です。もう一歩踏み出して、「わたしたちの今の生活に見つかった福音を身近な人に証ししましょう」このように位置付けたいと思います。

証しする福音の種は、二千年前にあるのではなく、今のあなたの生活の中にあるのです。

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‥次の説教は‥‥
年間第3主日
(マタイ4:12-23)
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ちょっとひとやすみ
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▼イスラエル巡礼から戻って「ちょっとひとやすみ」を書こうかと思ったが、説教案が書けそうだったのでこのコーナーも前もって書いておくことにした。イスラエル巡礼記はおいおい書いていくことにしたい。
▼ここ15年ほど、目の不自由な人、読書に支障を抱えている人のための情報提供ボランティア活動の一つ「声の奉仕会・マリア文庫」に関わっているが、今年からさらに新しい段階で関わることになった。マリア文庫のスタッフは、おもに「音訳」(本や情報の音読)を通して利用者に情報提供をしている。
▼音訳された情報は、「校正」と「編集」を通って利用者に届くが、「校正者」にはある程度のめどが立っているが、「編集者」の絶対数が足りず、活動に支障をきたしていた。「編集作業」は一般的な雑誌編集とかの編集作業ではなく、現在標準となっているデイジー図書編集基準に沿って「音訳された図書情報を整える」仕事である。
▼と言っても難しいと思うので、もう少し平たく言うと、音訳された音源は例えるなら材料から型抜きされた製品のようなもので、指先で触ると出っ張りがあってそれをヤスリでていねいに削ってケガをしないように整える。そういう作業がデイジー図書に関する「編集」である。
▼音訳者は音訳する図書や雑誌を一度ですべて録音するわけではない。言い間違えたり雑音が入ったりくしゃみをしたりすれば録り直しをする。そうした作業を何度もしていくと、つなぎとつなぎの部分で「プチッ」とか「ガサッ」とかいう音が入ったりする。それらをできるだけ取り除き、録音された状態もできるだけ平準化して利用者に届ける。そのための編集作業である。
▼昨年末に大まかな手ほどきを受け、今年から即実践ということになった。経験がないので今後もいろいろ指導を仰ぎながらのお手伝いになると思う。ただ困ったことに、この手の作業はわたし好みの作業であり、本業をそっちのけにしてものめり込みたくなりそうな魅力がある。うまく本業とのバランスを取りながら、続けていきたい。

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今週の1枚
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第472回目。依頼された本(今回は臨死体験)に何十カ所も編集を加える。

ホームページもご覧ください。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/

【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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主の公現(マタイ2:1-12)いつかは自分も「東方で見た星」になる

2017-01-08 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2017/1/8(No.864)
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主の公現
(マタイ2:1-12)
いつかは自分も「東方で見た星」になる
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過越の神秘の祭儀に次いで教会がおこなってきた最古の祭儀は、主の降誕の記念と、主の初期の公現の追憶です。日本では主の公現の祭日は1月2日から8日の間の主日に祝われます。ついでですが、主の洗礼の祝日は主の公現の祭日直後の主日に祝われますが、主の公現の祭日が1月7日か8日の場合はその翌日の月曜日に祝われます。今年はこの条件に当てはまっています。

さて、占星術の学者たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(2・2)と言ってヘロデにあいさつに来ました。ヘロデがどのようにしてユダヤを支配しいていたかを考えると、ひそかに幼子を訪ねてひそかに帰るほうがよいと考えたかもしれません。ですが事実はそうはならず、さまざまな危険を引き寄せた格好です。

占星術の学者たちの言葉はわたしが辿ってきたカトリック司祭としての歩みをもう一度振り返る機会を与えてくれました。一つの印象深い体験を話させてください。伝統的な司祭養成をしている長崎では、中学生から神学生の道を歩み始めます。わたしもその道を歩み始め、およそ1年が過ぎた2月5日、西坂という場所で日本26聖人の殉教記念ミサに参加しました。2月の寒空での野外ミサでした。それほど広くない公園に、2千人がひしめき合ってミサに参加していました。

ミサの説教が始まりました。少年だったわたしは、何という名前の司祭だったのか全く知りませんでしたが、冒頭次のように呼び掛けたのです。「あなたがたは何を見に、ここへ来たのか。しなやかな服を着た人か。殉教者か。そうです。みなさんは殉教者に会うために来たのです。」実はここしか覚えていないのですが、当時は「立派な説教をする司祭がいるなぁ」と思って、そんな司祭になりたいとずっと思い描いていたのです。長い道のりがあって、わたしは司祭になりました。

司祭になって最初の赴任地は浦上教会でした。6千人以上の信徒を抱える教会でした。クリスマスのある夜、主任司祭と、助任司祭が集まって遅くまで祝っていまして、それぞれ何かとっておきの召命の話をしなさいということになりました。わたしは助任司祭の末っ子でしたので、最後に順番が回って来て、「西坂でのミサで、とても印象深い説教を聞き、まだ見ぬその司祭を追いかけてわたしは司祭になりました」と話したのです。

すると黙って聞いていた主任司祭が声を上げました。「その説教をしたのはわしだ。よくぞ司祭になってくれた。」わたしは胸が熱くなりました。姿も知らず追いかけてきた司祭が、わたしにとって最初の主任司祭だった。本当に不思議な巡り合わせ、神の不思議な計らいに、心を打たれたのでした。

だれでも、主を信じ、主に従っていく決定的な契機となる出来事があると思います。占星術の学者たちにとっての「東方で見た星」です。わたしにとって、それは中学1年生の26聖人殉教記念ミサで聞いた説教、その説教をした司祭でした。その時からおよそ13年、ときにはその星の導きを見失いながらも、司祭召命の道を一歩ずつ進めてきたのでした。そしていよいよ司祭になってみて、任命を受けた教会に赴任してみると、「東方で見た星」がそこでわたしを待っていてくれたのです。

信仰者はみな「東方で見た星」の導きを信じて旅をしているのだと思います。まだ見ぬ救い主を、いつかどこかできっと会えると信じて、旅をしているわけです。しかし星の存在を口にしたとき、さまざまな摩擦を生じるかもしれません。「あの人はクリスチャンなんだって。」何か偏見の目で見られることになるかもしれない。それでも、わたしたちはその星が指し示すお方に信頼して人生を歩いていきます。

そして、長い旅を続けていく中で、ある時「あなたが膝をかがめるべきお方はこのお方だ。さあ礼拝しなさい」そういう体験をするのではないでしょうか。もう思い残すことはない。そんな喜びを手にすれば、「黄金、乳香、没薬」とも言えるわたしの人生のすべてをイエスにささげて、希望を持って旅をする、あるいは宣教の旅に出ることも可能なわけです。

ただ、救い主を信じてから始まる人生は、多くの人の人生と比べると「別の道を通って自分たちの国へ帰って行く」旅になることでしょう。「イエスを信じて何になるのか。イエスをすべての判断の物差しにしてこの人生の荒波が乗り越えられようか。」そうした声にも怯まず、きっぱりと「わたしはヘロデを通って行かない。わたしは歩むべき道を授かったので、もはやこの道以外にない。」そう言える人生でありたいと思います。

わたしにとっての「東方で見た星」は、数年前に引退され、一線から退いておられますが、今でもその先輩司祭はわたしの心の中にいて、「救い主を告げ知らせよ」と励ましてくださっています。いつかわたしも、誰かにとっての「東方で見た星」になり、その人が唯一の道・真理・命であるイエス・キリストをまっすぐに歩く姿を見たいものだと思っています。

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‥次の説教は‥‥
年間第2主日
(ヨハネ1:29-34)
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ちょっとひとやすみ
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▼予定では今イスラエルにいて、山上の説教の教会でミサをささげ、説教をしていることになっている。あくまで予定だが。この日の説教は1時間くらいで一気に出来上がった。ピント外れだと思われるならそれはお詫びする。しかしすぐに思い付いた。
▼思い付きで説教をしているとのご指摘もあるだろうが、わたしはある程度「説教は降ってくる」と思っている人間なので、「この切り口で福音を紐解いてみたい」というアイディアが降ってくれば、今回のように1時間で準備できることもあるし、何日かかっても進まないこともある。
▼イスラエルにいるということは、イスラエルに行く前に準備をして出かけたということだ。何を持って行ったか?その中のいくつかは紹介したい。衣類は当然として、まず日本の味「梅干し」を持って行くことにした。きっと当地の食べ物もおいしいとは思うが、やはり日本人は日本の味を恋しがる。
▼それから「正露丸」も持参する。これも「日本代表」みたいな薬だ。あとは適当な風邪薬。身支度をするためのシェーバーとか歯磨き歯ブラシ、衣類とミサセットと祈りのために聖書とか時課の典礼(聖務日課)など。それから書物。本は厳選しなければならない。調子に乗ってあれもこれもスーツケースに入れると置いてくるわけにもいかず泣く目に遭う。
▼何を持って行くか。考えた末に決めたのは洗礼の勉強をしている人に使っている教科書だった。実質5日間の旅で、どのみち読むことができるのは1~2冊だ。後どうしても必要なものはPDF形式でiPhoneで持って行こう。これでおおよそ荷物は決まった。最後に迷っているものがある。ノートパソコンだ。これは最後の最後まで悩みそうだ。

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今週の1枚
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第471回目。山上の説教の教会はこんな感じ。20年前もここで説教したかも。

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http://hanashi-no-mori.news-site.net/

【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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