こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第13主日(マタイ10:37-42)その順番を、一つ下げることができますか

2020-06-27 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/6/28(No.1069)
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年間第13主日(マタイ10:37-42)
その順番を、一つ下げることができますか
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(ミサ再開のため、現在は古いもののみ視聴可)
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「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(10・42)宣教に放り出されたかも知れない弟子が不安に思っているところに、「冷たい水の一杯」はどれだけありがたい差し入れだったでしょう。私たちが差し出す温かい手を、神は必ず報いてくださいます。

これから、私の中学生の時の体験を紹介したいと思います。今から四十年も前の話です。すでに話を聞いたことがある人も、どうかもう一度耳を傾けてください。

当時私はすでに神学生した。夏休みの終わり、8月31日、五島から神学校に帰る日のことです。前の日に私は荷物を準備し、明日いつものように神学校に帰る予定でした。ところが前の晩、8月30日の夜中に、弟がひどい熱を出して、病院に運ばれていきました。

母もいっしょに病院に行きました。その時母は、「自分で何とか帰りなさい」と言って病院に行ったのです。けれども困ったことになりました。私は母親からお金を1円も預かっていなかったのです。バス代も、船賃もありませんでした。

悪いことは続きます。バス停に行ってみると、もうバスは出発していました。当時、フェリー港に着くためには、バスに2時間以上乗らなければなりませんでした。お金は持っていないので、もうほかに港に行く方法はありませんでした。

悲しくなって、バス停に立ち尽くしていると、知らないおじさんが声をかけてきました。「あんた、輝明さん家の神学生やろ」「はい」「神学校に今日帰っとね?」「はい、けれども、行けなくなりました。」私は前の日からのことを話して、もうバスもいないし、帰ることが出来なくなったと話しました。泣きたい気持ちでした。

すると、そのおじさんはポケットからお金を出して、私に握らせてくれました。見ると一万円でした。四十年前の一万円です。おじさんは私に、「タクシーばつかまえてすぐ港に行かんね」と言ってくれました。

私はお礼を言わなければいけないので、「おじさん、名前を教えてください」と言いました。するとそのおじさんは、「おじさんはおじさんたい。子どもは心配せんでよか。はよう行け」と言って、いなくなってしまったのです。

今でも、そのおじさんの名前は分かりません。元気なのかどうかも分かりません。けれども、そのおじさんは神学生になったばかりの私、海の物とも山の物とも知れぬ私に大金をくださったのです。四十年前の一万円を、あたかもコップ一杯の水であるかのように、惜しげも無く、「イエスの弟子だ」という理由で差し出してくれたのです。

そのおじさんは、信仰のことをとやかく言いませんでした。けれどもおじさんは、イエスの教えを完全に実行したと思っています。イエスが打ちひしがれている弟子に声をかけて、生きた水を与えるように、あのおじさんは私を見つけて、「わたしの弟子だという理由で」手を差し伸べてくれたのです。

そのおじさんのことを、私は決して忘れません。おじさんは、本当に私がイエスの弟子になって、イエスに固く結ばれる手伝いをしてくれたのです。あのおじさんは、わたしの心の中に、説教の冒頭に触れたイエスの声を届けてくれたのです。「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

大金を持たせてくれたおじさんに、私は返すものが何もありませんでした。一万円よりも尊いものを、私は持っていなかったのです。けれども、私が司祭を目指している、イエスのために長崎で勉強している、それだけで、大金を冷たい水の一杯として与えてくれたのです。

イエスは今でも、私たちに声をかけて、「わたしについて来なさい」と言っていると思います。父や母を愛することは当然のことです。親が、息子や娘を愛することも当然のことです。それでも、神のことを優先する人がいます。神の招きが何よりも大切だと感じた人は、今までいちばん大事だと思っていたものでも、順番を一つ下げることができるのです。そしてそれはイエスの時代だけでなくて、今でも続いているのです。

最近司祭になられた青田神父様、また現在三ツ山教会におられる山田良明神父様、いずれも社会人として立ち位置があった人でした。能力もあり、社会で成功できる人でした。それを、神のために順番を一つ下げて、神の招きを最優先にして司祭となられたのです。

私たちも何かを見倣うことができると思います。イエスが期待しておられることに照らして、自分の生活の優先順位を変えること。いざとなったら、目の前の今まで最重要だったものの順番を一つ下げる。それは痛みを伴うかも知れませんが、私たちが信仰の証をするとき、圧倒的な証になると思います。

この世のものの価値を、永遠のものの価値と置き換えることはできない。この一言だけ、イエスに返事をして今週は生活に戻っていきましょう。その答えがあれば、生活すべてに、神の心にかなう順番を付けることができるようになるはずです。

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‥次の説教は‥‥
年間第14主日(マタイ11:25-30)
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ちょっとひとやすみ
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▼週末、九州北部に猛烈な雨が降った。田平教会聖堂でも雨漏りが散見され、初めてだそうだが「砂」の堆積も見られた。天気図や気象予報士の解説を見ながら、心は新上五島町の実家に向かっていた。新上五島町の実家には十分高齢と言える母親と、次男が住んでいる。
▼母の日になにがしかの物を送っていたが音沙汰なし。あまり世間の流行に関心が無いようだが、いちおう念押しのために電話をかけてみた。何のことはない。届いていたのを忘れていたそうだ。何かあっているのではなかろうかと、いちおう気にしたのに。
▼大雨の後、天気が回復する。災害が発生していなければ、大雨で山の恵みは川に流れ、海に下る。そうして自然は豊かになっていく。大自然の営みは、いつも神の深い配慮を思い出させ、尊敬の念が湧いてくる。人間ができるのは神の偉大な計らいをたたえることだけだ。
▼だが人間の知恵は、利害を伴ってしばしば自然の偉大さに逆らっている。物理学の成果を戦争に持ち込み、原子爆弾を作り、相手をねじ伏せる。誰が誰を押さえつけたか、歴史をとやかく言うつもりはないが、人間は人間を押さえつけるためにときに神の知恵を乱用するのである。
▼今年、被爆75周年。黙想会では小学生中学生と、戦争がもたらすもの、戦争してはいけない理由、いろいろ考える。紙芝居が長崎大司教から送られてきたのでそれを使う。登場する主人公には浦上教会助任時代に高校生がたいへんお世話になった。私も、当時の高校生も、決してその人のことを忘れない。

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今週の1枚
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第676回目。最近買った替えのパジャマ。これを着て二日目でうなされた(T_T)

ホームページもご覧ください。
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今週の「笑える」
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「この人病気が『じゅうあつ』なんだね」「重たそうだけど、『じゅうとく』」
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† 神に感謝 †
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年間第12主日(マタイ10・26-33)人々を恐れず「言い広めなさい」と励ましている

2020-06-19 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/6/21(No.1068)
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年間第12主日(マタイ10・26-33)人々を恐れず「言い広めなさい」と励ましている
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「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。」(10・27)私たちはいただいた信仰を、人々を恐れることなく、「明るみで」「屋根の上で」言い広める必要があります。

先週は忘れ物に振り回された一週間でした。信徒会館のマスターキーをスータンのポケットに入れたままクリーニングを依頼して、信徒会館の鍵がないと大騒ぎしました。どこにも当てが無く、たまたま鍵の紛失に気づいたのが6月13日「聖アントニオ」の記念日でしたので、無くした物を見つけ出すために取り次ぎを願う有名な聖人である聖アントニオに、「鍵が見つかりますように」とお祈りしました。

すると1分も待たずに勝手口のチャイムが鳴り、「クリーニングに預かっていたスータンができあがりました。ポケットに鍵が入ったままだったそうです」と、鍵も一緒に届きました。まさに聖アントニオの記念日に、祈りの効果がすぐに与えられました。油断したのか安心しすぎたのか、数日したらまた大きな忘れ物をしました。

今度は6月15日、月曜日なので釣りに行く日です。朝ご飯のあとすぐにJAのガソリンスタンドに行き、船外機の燃料を10リッター買いました。最近はガソリン缶に小分けしてもらうのも免許証を見せて住所と名前、使用目的を書いてからでないと携行缶に分けてもらえません。いつもの通り免許証を出して書類を書いて、無事ガソリンを分けてもらって生向(いけむこ)から平戸瀬戸に出て半日釣りをして帰りました。

木曜日の晩、10月に結婚を予定している人の勉強会を終えて何気なく財布を触ったら、いつも車の免許証を入れているところにボートの免許証が刺さっていたのです。いろいろ探しますが見つからない。その晩はずいぶん探しましたがダメでした。

そこで藁にもすがる思いで「聖アントニオ!頼む!」とお祈りしたら思い当たる節がありました。ガソリンを10リッター買ったときに、免許証を財布から出しています。きっと月曜日に忘れたまま、木曜日になっていたのでしょう。

金曜日は「イエスのみ心」の祭日でした。祝い日のミサを終えて朝7時に恐る恐るガソリンスタンドに電話すると、「軽トラックでガソリンを10リッター買いに来られたお客さんですか?免許証預かっていますよ」という返事でした。

肝を冷やしましたが、私がガソリンスタンドを去ったあと電話帳を当たったが、小手田免19番地で「中田輝次」という名前が見つからなかったので動けなかったということのようです。「聖アントニオに祈れば間違いないから、これからも熱心に祈りなさい」と、イエスのみ心が私の心に語りかけてくれたのだと信じております。

材料はどんなものでも構いません。私はイエス・キリストを信じ、聖なる公教会を信じ、使徒たちから受け継いできた伝統を信じている。そのことを、人々を恐れずに言い広めなさいと、イエスは呼びかけておられるのです。私のようなドジを踏んだ話でも構わないのです。皆さんのこれまで生きてきた中で、自分が信仰に支えられて生きていると体験したことを、恐れずに言い広めて欲しいのです。

けれども、これだけ言ってもある人は口を開けないのかも知れません。人々を恐れているかも知れません。人を恐れるのは「今」恐れているか「将来のこと」を恐れているか、どちらかでしょう。イエスはそのどちらも恐れる必要はない、恐れを取り除いてあげると言います。

「今」恐れている人にイエスは言います。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」(10・28)「今」イエス・キリストを言い広めると、たくさんの妨害を受ける。そう感じて恐れているのでしょうか。私たちの証を「今」妨害する人も、私たちの見えない心の部分まで妨害することはできません。目に見える物に害を加えることができても、最も重要な神への信頼とか、神への愛にまで害を加えることはできないのです。

「将来のこと」を恐れている人にイエスは言います。「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。」(10・32)今、妨害しないかも知れませんが、私たちの証を不満に思って何年後かに苦しめるかも知れません。あるいは私たちの後の世代を苦しめる人がいるかも知れません。けれども私たちは天の父の前でイエスから「仲間である」と言ってもらえる約束を受けています。約束を決して破らない方の言葉に信頼できるなら、「将来のこと」も恐れる必要はありません。

「将来のこと」で一つ思い出しました。宗教にまったく興味を持たない人たちの集まりに「宗教者」という形で呼ばれたことがありました。呼ばれた人たちに次のような質問をされました。「もし、来世がなかったら、宗教は無駄ではないでしょうか?」と。

その時私は「確かに、来世がなければ宗教は無駄でしょう。ですがもし、次の世界があったときに後悔したくありませんし、今の生き方にも神を信じていることで道を逸れないようになるとか、十分恩恵を受けていますよ。」それ以上のやり取りはありませんでしたが、宗教にまったく関心のない人にカトリックの司祭として証した最初の出来事でした。

信仰に根ざして、誠実に生きてきた人は、学問なんか関係なく、立派にイエス・キリストを人々に言い広める力を持っている人です。「今」恐れがある人にも、「将来」に恐れを感じている人にも、イエスは必ずそばに寄り添い、恐れを取り除いてくださいます。「神様に感謝しない千日よりも、神様に感謝する一日のほうがすばらしい時間です。」これだけでも十分な証です。

教会に集まって、ミサの中で聞いたことを、明るみで言いましょう。ミサの中でイエスが耳打ちしてくれたことを、屋根の上で言い広めましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第13主日(マタイ10・37-42)
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ちょっとひとやすみ
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▼身体が思うように動かないなと感じるのは、年齢を実感する場面だ。この前一人で食べる昼食に、めったに食べない「インスタントラーメン」を用意した。ネギ山盛りが私の好み。思う存分ネギを入れて、少し硬めに仕上げ、喜びつつ盆に載せて食堂に運んだ。
▼盆に載せたのはとても熱かったからで、そのままでは食べづらい。マナーにももとるかも知れない。それで盆からテーブルのシートに移動させようとした。その時どんぶりの底がどうやら盆のフチに当たったらしい。勢いよく中身がテーブルにこぼれ、床まで落ちた。
▼「あっ!」と言ったが覆水盆に返らず。一口も食べず、泣きながら床とテーブルを拭き、インスタントラーメンを口にすることなく勉強部屋に戻った。「ふて寝」して、気がついたら夕暮れになっていた。夕食を作る気力も無く、やや不自由な右手を恨めしそうに見つめた。怒りがこみ上げ、この日の晩はいったい何を食べたのか、記憶が無い。
▼それでも、食べる喜びが奪われることはなかった。木曜日に先輩の司祭を招いて、「キーマカレー」をご馳走した。たいした料理でもないが、先輩は無類のカレー好き。箱に書いてあったとおりに調理したカレーを完食し、満足そうに帰ってくれた。
▼自由が利かなくなりつつある右手を気にして、MRI検査まで受けた。結果に問題は無いそうで、様子を見ましょうとだけ言われた。宅急便が来てサインを求められるが右手がかすかに震える。
▼証明写真や集合写真で「動かないでください」と言われて待つ間に顔の右側が揺れる。腕を伸ばし、両手を合わせてスクワットすると右腕が震える。いろいろ心配なのだが、はっきりした原因が分からない。歳を取るとはこういうことなのか。

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今週の1枚
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第675回目。料理は楽しい。面倒だし、粗相をして悔しいこともあるけど楽しい。

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今週の「笑える」
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「鳥の名前で、えーと、『シジュウ何チャラ』」「・・・シジュウカラ」
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キリストの聖体(ヨハネ6・51-58)いつか、御聖体のイエス様を届ける人に

2020-06-11 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/6/14(No.1067)
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キリストの聖体(ヨハネ6・51-58)
いつか、御聖体のイエス様を届ける人に
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キリストの聖体の祭日、9時のミサで三人のお子さんの初聖体を迎えます。この説教は、初聖体を迎えるこどもたちのため、保護者と関わりあるすべての方々のために話したいと思います。

三つのことを話したいと思います。一つ目は「御聖体に養われる人」、二つ目は「御聖体を探し求める人」、三つ目は「御聖体を届ける人」です。説教の最後にもまとめますので、覚えていてください。

初めに、「御聖体に養われる人」です。今年初聖体を受ける三人は、これまで初聖体を準備してきた誰よりも長く、御聖体をいただく日を待ちました。3月の初聖体の予定からもう100日くらい経ちました。とても長かったと思います。

今日、御聖体のイエス様を受けることができます。聖体拝領は今日が初めてですが、これからずっと、長く御聖体のイエス様をいただいて、イエス様から心もからだも養われて生きていきます。

どんな人も、身体に必要な物を外から取らなければなりません。これからできるだけお休みせず日曜日のミサ、土曜日の繰り上げミサに来て、「御聖体に養われる人」になってください。

二つ目は、「御聖体を探し求める人」です。「御聖体を探しに行くって、神父様は変なことを言うなぁ」と思っているかも知れません。御聖体はたしかに聖櫃に収められています。けれども御聖体がここに収められていても、皆さんがいつもここにいるわけではありません。ですから「ミサに行って、聖体拝領したい」そう思い続けなければ、御聖体をいただくことは難しくなるのです。

今年は3月の終わりから5月まで、御ミサが中止になりました。学校も、長い間お休みになったでしょう。「御ミサに早く行きたいなぁ」と思わなければ、御ミサが始まってもサボってしまうかも知れません。休校中は「小学校に早く行きたいなぁ」とずっと思っていたでしょう?「早く学校のお友だちに会いたい。」学校とお友だちを探し求める人だったから、学校が始まった時、とても嬉しくなれたのです。

初聖体を受ける皆さんも、「また日曜日に教会に行って、御聖体を受けたいなぁ」そんな、「御聖体を探し求める人」でいて欲しいです。いろいろグズグズ言って教会に行きたくない人にならないで欲しいと思います。「御聖体を探し求める人」は、御ミサに行くのが楽しくなるはずです。

最後に、「御聖体を届ける人」です。「御聖体を届ける第一の人」は神父様ですが、実は御聖体を拝領した人はみんな、御聖体のイエス様を届ける人なのです。初聖体を受けたなら、皆さんにも御聖体のイエス様がおいでになりますね。初聖体を受けた皆さんが、御聖体のことを知らない人、まだ初聖体を受けていない小さな子のところに行くことは、御聖体のイエス様を届けに行く人なのです。

日曜日、9時から、田平教会ではミサがあります。日曜日の9時、お家でゲームをしたりアニメを観たりしている他のお友だちがいるかも知れません。そのお友だちと日曜日に会う約束をしたら、何時に約束しますか?日曜日の朝9時ですか?違いますよね。たぶん、お昼前とか、昼からになるでしょう。そのお友だちが「朝の9時においでよ」と言われたらどうしますか?

その時は正直に言ってください。「僕は(私は)、日曜日の9時は教会のミサに行って御聖体を受けるから、ほかの時間がいいな。」これだけで、あなたはお友だちに御聖体のイエス様を届ける人になっているのです。お友だちは日曜日9時のミサを初めて知り、御聖体を受けることも初めて知ります。それだけで、皆さんは立派に御聖体のイエス様を届けているのです。これは、お父さんお母さんも、すべての大人の人も同じことです。

初聖体を受ける皆さんは、今日から御聖体のイエス様がおいでになり、留まってくださいます。でも皆さんが御聖体をいただいたのに、御聖体のイエス様をすっかり忘れてしまったら、御聖体のイエス様を届ける人にはなれません。教会を一歩出たら、御ミサのこと、御聖体のことをすっかり忘れるような人になってはいけません。そうではなくて、御聖体のイエス様が自分の中におられることを思い出せる人でいて欲しいと思います。

神父様は4月と5月の間、この田平教会聖堂で、一人でミサをしていました。世界中には司教様が5千人くらいいます。神父様も50万人くらいいます。もし司教様、神父様がミサをしてなかったら、神父様一人であっても、ミサがなかったら、この世に「御聖体に養われる人」「御聖体を探し求める人」「御聖体を届ける人」はいなかったかも知れません。

たった一人でミサをしながら、「今は一人だけれども、それでも私がミサをしているから、御聖体に養われる人がここにいる。御聖体を探し求める人がここにいる。御聖体を届ける人がここにいる。」そんなふうに思って、気持ちを切らさないでミサをしていました。

今日の初聖体で御聖体のイエス様をほかの誰よりも大切にしたいと思ったなら、その人は神父様か、シスターになってください。またいつか、たとえば50年後に教会で公式のミサが中止になったとき、初聖体を受けた皆さんの誰かが神父様、シスターになってくれたら、世界中のたくさんの人がミサに参加できなくても、「御聖体に養われる人」「御聖体を探し求める人」「御聖体を届ける人」は生き続けると思います。

さあ、お話しの最後です。神父様は三つのお話をしました。一つ目は「御聖体に養われる人」、二つ目は「御聖体を探し求める人」、三つ目は「御聖体を届ける人」でした。御聖体にはイエス様がおられます。初聖体を受けて、これからはずっとイエス様の恵みの中で生きるようにしましょう。これからずっと御聖体を受けて、イエス様と同じ背丈にまで成長することにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第12主日(マタイ10・26-33)
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ちょっとひとやすみ
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▼とうとう九州北部も梅雨に入った。マスクが欠かせない生活の中で、梅雨の蒸し暑さはかなり影響する。ミサで考えると、司祭が唱える部分はかなり多い。説教もマスクをしたままだとメガネが曇り、聞く人も真っ白いメガネの説教師が気になって説教どころではないだろう。
▼そんなところに「アベノマスク」が届いた。小さいとは聞いていたが、子供用なのではないだろうか?洗濯をすればきっと更に縮むだろうから、木曜日に届いたマスクを日曜日のミサで使用する頃には、「ビキニマスク」になっているだろう。
▼冗談みたいな話だが、先輩は「これだとマスク二枚ずらして着用しないと使えないな」と言っておられた。二枚着用して上下にずらす。あり得る話だ。それとも二枚を縫い付けて一枚にして使うか?
▼夏用のマスクが出始めている。「アベノマスク」は夏を意識して作られていないから口元が暑く感じる。外出するときにはとてもではないが使えそうにない。司祭館での結婚講座とか、信徒会館での評議会や教会学校とか、室内であまり熱がこもらない場所限定で使うか。
▼室内と言えば、梅雨が始まって心配なのが湿気対策。カビが生えたり、食品をダメにしたり、いろいろと心配事が出てくる。ここで話すようなことではないなぁ。

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今週の1枚
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第674回目。二重にしてみた。こうしてみると意外と使えるかも。意味が違う!

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今週の「笑える」
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「かたこうこつの可動域が大事」「えっと、『けんこうこつ』だよね?」
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三位一体の主日(ヨハネ3・16-18)父なる神について

2020-06-06 | Weblog
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2020/6/7(No.1066)
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三位一体の主日(ヨハネ3・16-18)父なる神について
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三位一体の主日を迎えました。「三密」とは真逆の、父と子と聖霊の深い絆、多様性がありながら完全に一致している神秘へと、「御父」のお姿を黙想することで近づきたいと思います。与えられた朗読箇所から、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(3・16)ここを手がかりにしたいと思います。

中学生と教会学校での勉強は、司祭になってからずっと続いています。小学生のお勉強はこれまで4年間お休みしていましたが、中学生は途絶えることなく続けてきました。特にたくさんの子供達と接してきた助任司祭時代は、中学生の理解力に大きな幅があることを不思議に思っていました。

ときどき中学生は、義務教育の学校のことを話してくれます。中間試験の点数がどうだったとか、いろいろ聞かせてくれるわけですが、私が初めのうち信じられなかったのは、「30点取った」と聞いたときに、「50点満点で、か?」と確認すると、「100点満点で、です」と答える生徒がいたことでした。

私はにわかには信じられなかったのです。私自身、南山中学校の一学期の中間試験で67点を取ったのが人生で最も低い点数でした。どんなに理解できない科目でも(中学高校一貫して数学は理解できませんでした。それ以上に高校の生物は、まったく理解できませんでした)、それでも、67点以下は取りませんでした。私自身の経験がそうなのですから、100点中30点というのは、理解できなかったのです。

しかし現実は、30点どころか8点しか取れなかったという生徒もいました。どんな努力をすれば8点しか取れないのか分かりませんが、実際に目にしました。「こりゃダメだ。救いようがない。」本心はそう思って話を聞いていたのでした。

しかし、私たちが信じる三位一体の神、その父なる神は、「8点?救いようがないな」とは仰らないはずです。何せ、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」心を砕くお方だからです。私たちは「独り子を信じる者が一人も滅びないように、永遠の命を得るように」心を砕くお方を、「父なる神」と呼んでいるのです。

人間は見えるものでいろんなことを知ろうとします。点数がそうでしょうし、点数以外にも出席率とか、質問に返ってくる答えとか、感覚で分かるものを通してしか相手を知ることができません。これだと、必ず「救われない人」が出てきてしまうのです。「一人も滅びない」と言うからには、人間の物差しではない何かが、御父の手元にあるはずです。

御父にあって、私たちにない物差しとは何でしょうか。それは独り子イエス・キリストです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(3・16)御父の独り子であるイエスは、我が子を地上で十字架にかけた人々も含めて、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」人類に愛を注いでくださったのです。

独り子イエス・キリストを通して御父の愛を理解するようにと計画されましたが、独り子イエスを信じるには信じたけれども十字架につけた人々から、最後の十字架の場面で理解して自分を委ねた犯罪人まで、多種多様でした。「独り子を信じる者」の幅は、私のたとえで言えば8点の人から満点に近い人までいたのです。

それでも御父は、一人も滅びることをお望みになりませんでした。人間の努力で足りないと見るや、独り子の犠牲までいとわずに人間の救いに心を砕かれたのです。御父のあわれみ深さはどれほどでしょうか。独り子を与えてしまえばもはや何も残らないのに、それでも与えてくださったのです。

今年、かなり長い期間公式のミサを中止しました。教会学校も連動して休みました。いちばん心配しているのは堅信組です。今後コロナウィルスの第二波がやってくれば、更に堅信の秘跡の準備は追い詰められることになります。そこで堅信組に当たっている中学2年生には、「君たちが心配する必要はない。信仰宣言の祈りを口頭でも筆記でも、確実に答えられるようにしておいて欲しい」とだけ伝えました。

けいこに来て勉強できることは、現実にはもう少し増えると思います。けれども今年に限っては、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(3・16)と書かれている聖書のことばに信頼したいと思うのです。まんべんなく勉強はできないかも知れない。中田神父の努力不足で、神様の前に8点と評価されるけいこの内容かも知れない。それも承知で、今年は堅信を授けてくださる司教様の前に受堅者を立たせてあげようと思っています。聖霊が、その後長い時間をかけて、子供達を教えてくれることでしょう。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」この聖書の言葉が誤りない真理であるなら、理解力の程度に関係なく、独り子を信じる者は一人も滅びません。もし私たちが、信仰を表現する理解力が弱ってきて、ほとんどの祈りを忘れたとしましょう。それでも、十字架のしるしはできるだろうと思います。

万が一、十字架のしるしさえ思い出せない状態になったとしても、家族のだれかに十字架のしるしをしてもらうだけでも十分です。私たちが十字架のしるししか、信仰を表現できなくなったとしても、あなたのその十字架のしるしが三位一体の神を信じている証しです。

父と子と聖霊の神は、通常は私たちが十字架のしるしをしなければ世の人々に示すことができません。私たちは世に対して、「父と子の聖霊の神」を現す道具になれるのです。
面倒くさがって十字架のしるしをすれば、三位一体の神は人々に安っぽい神として映るかも知れない。ぜひ堂々と、あるいはゆっくりとした動作で、十字架のしるしをしてください。そうすることであなたは、どんな状況にあっても三位一体の神を現す道具になれるのです。

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‥次の説教は‥‥
キリストの聖体(ヨハネ6・51-58)
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ちょっとひとやすみ
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▼6月に入った。「イエスのみ心」の月だ。イエスの心は、御父の心だ。「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」その心だ。この世界には同じ時間同じ機会が与えられても、人が理解する程度は違ってくる。更に言うと、理解するために与えられた賜物の違いは埋めようがない。
▼「逆立ちしても勝てない」と言える人を見てきた。だから自分の能力を使い切って用意できるものを神様の前に置く。それしかできることはない。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マタイ22・21)私はすべての能力を使っていただいたものを神にお返しするまでだ。
▼一万タラントン借金して返す当てのない僕という話がある。ひょっとするとこれは人間すべてのことではないだろうか。返済できない人間を、父なる神は赦してくださった。それなのに人間は、他の人間に「借金を返せ」と言う。自分が抱えている負債の大きさに気づかないので、人に返せと言うわけだ。
▼私もようやく、自分が神にどれだけ負債を抱えているかを考えるようになった。だからもはや他人にとやかく言ってはならない。一万タラントンに比べれば、腰を抜かすような金額も、たいした借金ではない。もうとやかく言うのはよそう。

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今週の1枚
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第673回目。最近作っうち最大の失敗作。冷製トマトうどん。うーん、まずい。

ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/
詳細は、ホームページ:http://ss104313.stars.ne.jp/
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今週の「笑える」
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「この布巾は標白中です」それを言うなら「漂白中」。お世話になります(笑)
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† 神に感謝 †
コメント
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