こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23)「聖霊来てください」と祈る

2020-05-30 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/5/31(No.1065)
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聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23)
「聖霊来てください」と祈る
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。
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(ミサ再開のため、現在は古いもののみ視聴可)
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聖霊降臨の主日を迎えました。今日を終えると教会の季節も「年間」の季節に変わっていきます。本日、ミサの派遣の祝福には、「アレルヤ」を加えて、「行きましょう。主の平和のうちに。アレルヤ」「神に感謝。アレルヤ」と答えてミサを終わります。

聖霊の賜物を受けて、今年の典礼暦年に信仰の証ができるように、願わくは信仰を同じくする兄弟姉妹が与えられるように、福音の学びを得たいと思います。朗読では、復活したイエスが弟子たちに現れ、「平和があるように」と声をかけた点と、派遣にあたり「聖霊を受けなさい」と仰って、「罪のゆるし」について強調している点が目立っています。

先に、イエスと生活を共にしている間、弟子たちがどんな場面で「平和」「罪のゆるし」を教えられ、体験したのか確かめましょう。「平和」については、弟子たちを宣教に派遣する場面が思い出されます。「実習体験」といったところでしょうか。マタイ福音書の「弟子たちの派遣」、ルカ福音書の「七二人の派遣」ですが、マタイ福音書を取り上げます。

「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。」(マタイ10・12-13)

実習体験ですから、弟子たちは派遣してくださったイエスへの信頼の上に立って「平和があるように」と願います。弟子たちが平和の源なのではなく、遣わしてくださったイエスが平和の源です。常に師であるイエスが後ろ盾になってくださることを感じながら、弟子たちは「平和」を願い続けることができました。

聖霊降臨の主日の福音朗読でも、イエスは「あなたがたに平和があるように」と声をかけます。すでにイエスは十字架上の死を経て、復活して声をかけておられます。ここでの「あなたがたに平和があるように」との宣言は、最初に宣教実習に派遣されたときとは違って聞こえたでしょう。このたびの「平和」の源はどこにあるのでしょうか。

もちろん、かつてと変わらず「イエス・キリスト」が平和の源なのですが、私はその保証として、聖霊が与えられた、聖霊降臨の出来事があったと考えました。弟子たちがこれから宣教に出かけていく所は、必ずしも友好的な場所ばかりではありません。イエスの復活を証言することで、対立や分裂を生じるかも知れません。かつての、いわば実習の時とは違います。そこで自分たちが「平和の使者」であることを保証してくれるのが聖霊なのです。

もう一つの、「罪のゆるし」を強調している点も考えてみましょう。弟子たちと宣教生活に出かけたイエスは、どんな場面で、「罪のゆるし」を宣言なさったのでしょうか。ルカ福音書第7章で、罪深い女として登場する女性に、「あなたの罪は赦された」と仰っています(ルカ7・48参照)。もっと特徴的なのはマタイ、マルコ、ルカ福音書で共通に取り上げられている「中風の人をいやす」場面です。「あなたの罪は赦される」または「あなたの罪は赦された」と仰って、中風の人本人と、周囲の人を驚かせいたのです。

居合わせた弟子たちも、きっと驚いたことでしょう。だれもできない宣言を、大勢の人の前でおこなったからです。神お一人のほかに、罪を赦すことはできないのに、そのことばを目の前で聞いたわけです。そして今、復活したイエスは弟子たちに息を吹きかけて言われました。

「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(ヨハネ20・22-23)聖霊が、これから出かけていって神のわざを取り扱う弟子たちの保証、後ろ盾になってくださるのです。

聖霊が降臨する。聖霊が与えられる。使徒言行録の記事を読んでいると、何だか特殊撮影とか、アニメでなければ実現できないような光景が描かれています。けれどもその中心にあるのは、「復活したイエスが、いつも弟子たちと共にいてくださる保証として、聖霊が与えられる」ということであり、そのことをドラマチックに描いているのです。

ちょっと横道に逸れるかも知れませんが、使徒言行録のドラマチックな描き方を何かと比べてみましょう。たとえばそれは、結婚している夫婦のプロポーズの思い出です。海辺の公園で、燃えるような夕日が沈む直前、夕日を背にして「結婚してください」と言った。ロマンチックな場面を用意してくれたことに感激して「プロポーズをお受けします」と言った。たとえるならこういうことです。

実際には燃えるような夕日ではなかったかも知れませんが、プロポーズの経験の無い私でさえも、これくらいの描き方はできるし、大切な出来事を記憶にとどめるために、これくらいの描写はすると思います。こういう描き方が事実に反するとか大げさであるとか、私はまったく思いません。こういう描き方は有りだと思います。

とにかく、「共にいてくださる復活の主」を聖霊が理解させてくれる。そのことを記憶にとどめるために、使徒言行録のような描き方をしたと思いますし、ヨハネ福音書のように、イエスと行動を共にしたことと、聖霊を受けることとを結びつけて説明したりしているのです。

私たちに当てはめましょう。私たちにも、聖霊が与えられます。聖霊は、事あるごとに「復活した主が、共にいてくださる」と実感させてくれるお方です。道を見失ったとき、成功の陰で自分を見失ったとき、誰が本当に頼れる人なのかまったく分からなくなったとき、いろんなときに聖霊が見分ける力を与えてくださり、「自分で言うのも何だけど、イエス様っているんだなぁ」と感じさせてくれるのです。

意外と身近な所で、聖霊を受けている体験に巡り会います。気づかないことが多いかも知れません。だからこそ、私たちは機会あるごとに祈るのです。「聖霊来てください。」意識的に、このように祈ることにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
三位一体の主日(ヨハネ3・16-18)
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ちょっとひとやすみ
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▼2008年6月2日(日)の説教は、赴任していた馬込教会の説教ではなく、郷里の鯛ノ浦教会で6月1日におこなったミサ説教を掲載している。この年の5月31日(金)に肺がんを患っていた父が亡くなり、当日通夜、6月1日(土)に葬儀ミサをおこなったのだった。
▼息を引き取る前から会話はできなくなっていたので、これといって遺言もなかった。テレビドラマで観るような最期は、通常は生じないのだとこの時実感した。ただ思い出されることはたくさんあり、最期が平凡であったとしても、波乱に満ちた生涯だった。
▼5月31日が日曜日と重なり、少し「父のことを説教で書こうかな」と思う気持ちもあったが、結果はそうはならなかった。説教は「風の吹くまま」である。聖霊の風が、説教を説教にしてくれる。だから司祭たちは、いつも聖霊に心の窓を開き、聖霊の導きを受け入れる。
▼ある司祭はそのことを「私は原稿を書いたりしない。聖霊の導きのままに話すからだ」と言っていた。私は原稿を用意していないと恐ろしくて説教台に立てない。準備しないで立つことはまずないが、原稿は私にとってはギリギリまで話したいことを確認する大切な道具だ。父の葬儀ミサ説教さえ、父と向き合いながら準備した原稿を手に握っていた。
▼もちろん、それでも「この説教は使えない。この話では伝わらない」と、直前に切り替えることもある。なぜそうなるのかは分からないが、実際に原稿を捨てて、降ってきた言葉を伝えた日もあった。原稿があってもなくても、聖霊は説教者に降るのである。
▼一度だけ、父が夢枕に立ったことがある。話がしたくて、私は懸命に話しかけたのだが、一言も返事はなかった。起きたときはがっかりしたが、夢枕に立ったことが嬉しかった。何が言いたかったのかは分からないが、次に現れたら教えてくれるかも知れない。あるいはいつも「一度だけだぞ」という人だったから、二度目はないのかも知れない。

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今週の1枚
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第672回目。本当に初めて、「ジギング」をした。3時間で釣れたのはエソ一匹。

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今週の「笑える」
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「何だっけ?典礼の『アルファとベータ』」「惜しい。『アルファとオメガ』」
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† 神に感謝 †
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主の昇天(マタイ28:16-20)その栄光は天にそびえる

2020-05-23 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/5/24(No.1064)
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主の昇天(マタイ28:16-20)
その栄光は天にそびえる
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55日ぶりに公開ミサが再開されました。「天にも昇る喜び」という言い方がありますが、今年の主の昇天は、それほどに喜ばしい日になりました。主イエスのご昇天の喜びを、自分のためだけでなく、ミサに参加できないすべての人、もはや参加が叶わない生ける人死せる人、たくさんの人々のため持ち帰りたいと思います。

これに加えて、脳梗塞で入院して危険な状態にある駐日教皇大使ジョセフ・チェノットゥ大司教の一日も早い回復と、新型コロナウィルスの患者の回復のためにも、ミサを献げたいと思います。

この日までの公式ミサ中止期間、個人的なミサを献げてきました。その間、中止期間でも構わないのでとミサをお願いに司祭館を訪ねてこられた方が4名(5名いたかなぁ)おられました。嬉しかったです。中止期間は新たなミサの意向がないので、4月の終わりには手元に保管してあるミサは全部献げ尽くしました。5月は個人から依頼された意向をほとんど持たないままミサを献げておりました。これから皆さんがミサを依頼してくださることを期待するばかりです。

当然公式のミサがありませんから、ミサの献金もありません。およそ7週間、ミサ献金はゼロです。何と言いますか、張り合いのないミサ、ただ義務を果たすだけのミサを献げる状態に陥る危険は大いにあったと思います。そこで、ミサの最も中心部に当たる「奉献文」を、ふだんは第二奉献文ばかり唱えていたので、この機会に第一奉献文から第四奉献文まで日によって変えて使いました。

また、私自身の人生の記憶のために、ラテン語のミサ、英語のミサ、韓国語のミサを試してみました。実は韓国語のミサはまだ棒読みで意味を追いながら献げることができません。それでも「キリストによってキリストと共にキリストのうちに」の部分は、ある程度心の通う祈りを献げることができました。

誰もいない中で、諸外国語でミサを献げながら、こんなことを思いました。天に昇られたイエスは、どんな言葉を使っておられるのだろうか。地上での公生活中は、ユダヤ人に語りかけるために、ユダヤの国の言葉を語ったでしょう。けれども天に昇られたあとは、ユダヤ人ばかりではありません。日本語や韓国語を話す人は割合としては少ないでしょうから、天に昇られたイエスが話す言葉は日本語や韓国語ではないかも知れない。

ミサは、この地上だけでなく、天でも献げられていると思うのです。できれば、天上でイエスが献げているミサ、イエスがささげている言葉でミサに連なりたい。そう思うのです。天の国で、偶然にも、私が献げることのできる国の言葉でミサが献げられているならいいのになぁ。そう思いながら、外国語でのミサを没頭して献げてみよう。そんな思いで一人のミサを献げておりました。

さて、今年「主の昇天」を黙想するに当たって、第二朗読「使徒パウロのエフェソの教会への手紙」を参考に黙想しました。朗読された中から1章20節と21節を取り上げてみたいと思います。「神は、(中略)キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来たるべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。」

特に前半部分です。「神はキリストを復活させ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置いた」と仰います。これが「イエスは天に昇られた」ということを理解させてくれると考えたのです。「天に昇られた」という意味を、今年は一から考え直してみました。

私たちの日常から出発しましょう。特別に優れた人に「高い」という表現を使うことがあります。名前を知らない人はいないという意味で「高名な方」と言いますし、人徳に優れた人を「徳の高い方」と言います。「高い」という表現で、特別な存在であることを言い表すのです。

エフェソの教会への手紙の一節も、これをヒントに考えることができます。「神はキリストを復活させ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置いた」今やキリストはすべての支配、権威、勢力、主権の上にあります。パウロにとって復活したキリストは、すべての上に高く上げられた存在だというのです。

主の昇天は、復活したキリストが私たちと同じ状態ではなく、「高名な方」「徳高い方」のように高い方になられたということではないでしょうか。何も、はるか雲の上に昇った姿ばかりが「上げられた」「昇られた」ということではないわけです。

すると今度は、福音朗読の言葉もしっくりきます。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」(28・18)これは、高く上げられたイエス、天に昇られたイエスをよく表しています。復活したキリストは天に昇り、いっさいの権能の上に高く立っておられるのです。

この復活したキリストが、弟子たちに「洗礼を授け」「教える」という使命を与えます。揺るぎない権能をイエスは今、帯びています。すべての人より、高くおられるのです。だれもが納得し、たたえる姿で私たちを派遣するのです。「なぜあなたは復活したキリストを告げるのか?なぜ洗礼を授け、イエスの命令を守るように教えるのか?」その問いに、「今やイエスは天に昇られたからだ。高くおられるからだ」と自信を持って答えることができます。

もし、高くいるだけでしたら、鼻持ちならないでしょう。「人を寄せ付けない方」なら、近くにいたらむしろ肩が凝って迷惑でしょう。復活した主は、そのような方ではありません。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28・20)のです。

宣教し、教えることに専念する人々を励ましてくださいます。子供に洗礼を授け、信仰の教えを守らせようとする両親のそばにいて力づけてくださいます。「高くおられる方」「天に昇られたイエス」は、かつてガリラヤで宣教しておられたときよりも、私たちのそばにいる心強い方となられたのです。

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‥次の説教は‥‥
聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23 )
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ちょっとひとやすみ
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▼イエスの宣教生活の背景には、四十日四十夜の断食がある。実際には40日は象徴的な数字で、旧約聖書のエジプト脱出の後にイスラエルの民が砂漠を40年さまよった、この出来事になぞらえているのかも知れない。
▼私は日数は問題ではなく、「飢えと渇きを実際に覚えられた」そういう日数の断食を経験されたということに意味があると考えている。十字架を経て、復活にいたることもそうだが、物理的にそれだけの「飢え」「渇き」「苦しみ」が必要なのだろうかとどうしても考える。
▼エジプト脱出を力強く導いてくれた神の僕モーセは、約束の地を目の前にして眠りについた。40年の間には一世代か、二世代は、「約束の地」を踏むことなくこの世を去っただろう。5月10日に書いた説教原稿にも繋がるが、「飢え」「渇き」「苦しみ」が、そのあとに来る「喜び」を深く理解させるものでなければ、とても耐えられないと私は思う。
▼そこで考えたのが、「緊急事態宣言解除」との関連である。これ以上無いと言うくらい、すべての人が試練にさらされた。心も身体も、限界まで「飢え」「渇き」「苦しみ」を味わった。これが「緊急事態宣言解除のそのあと」の喜びを深く理解させるものだったのだと考えたい。
▼司祭叙階式で当時「大崎教会」の主任であった先輩が、司祭叙階を受ける助祭にこう言ったのを忘れることができない。「司祭叙階までの準備は、ミサを献げるという尊い務めのためのものでした。たとえミサを一度献げただけで、叙階された新司祭がこの世を旅立ったとしても、それまでの長い準備は報われるのです。それほど、これから取り扱うミサは尊い務めなのです。」
▼だれもが、何かの務めに召されている。その務めが楽しいうちは悩みもないし、務めの重みもないだろう。しかしその務めがどうしても果たせなくなったとき、たとえば一年とか二年とか、務めから離れなければならなくなって、それから復帰したとする。
▼すると召された務めがただ楽しいだけではなくなり、務めに尊さがが増すことになる。この緊急事態宣言期間を、すべての人が、召されている務めの尊さを深く噛みしめる時期となることを願ってやまない。当然私も、ミサの尊さを噛みしめて、これから献げていくつもりである。

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今週の1枚
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第671回目。聖母月。見事に「バラ」がマリア様を囲んでくれている。

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今週の「笑える」
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「肉でも魚でもサルサミコスで決まり!」「・・・『バルサミコ酢』だよね」
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文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
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復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)あなたがたをみなしごにはしておかない

2020-05-16 | Weblog
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□□□小声でお知らせ□□□
OFUSE(御布施)というサイトを利用し始めました。
「投げ銭」の仕組みに似ています。活動に応援メッセージを
寄せてくださると、「一文字2円」の御布施となる仕組み。
https://ofuse.me/users/knkouji2020
クリエイター名「コウジハカープファン」で活動を報告して
お待ちしております。
□□□小声でお知らせ□□□

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こうじ神父
「今週の説教」
2020/5/17(No.1063)
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復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)
あなたがたをみなしごにはしておかない
‥‥‥†‥‥‥‥
【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。
https://youtu.be/Z0wO2HKkRPg

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復活節第6主日、予定では来週「主の昇天」から田平教会聖堂でのミサが再開されます。新しい生活の工夫をしながら日常生活を取り戻し、その中に宗教活動であるミサの再開も含まれます。中田神父からは、これまでミサを中止していた期間の意味づけをもう一度示して、ミサの再開までに見えない心の部分での準備を整える手助けをしたいと思います。

心の準備をするために、与えられた福音朗読の中ですぐに目に留まるのは、14章18節「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」この箇所をよく理解することが鍵になるでしょう。この箇所が納得できれば、私たちが自宅で辛抱してミサ再開を待ち、自宅で何とかして日曜日の恵みを探し続け、不安の中で過ごしたことに意味を見いだせるはずです。

単純なたとえから入りたいと思います。土を掘り起こしたとしましょう。配水管を埋めるとか、建物の基礎を地面に置くためとか、何かしらの理由で土を掘り起こしました。すると見た目にはそれまであった土はなくなって、大きな空洞が生じます。しかしながら当然、掘り起こした土はどこかに存在するわけです。消えて無くなったりはしません。

掘り起こされた土は、必要な所で、また新しい目的のために用いられます。場合によっては保管されて、必要になったときに使われます。なかには悪意のある人が掘り起こした土は、不法に捨てられ、放置されるかも知れません。いずれにせよ、掘り起こされた土は掘ったその場所からはなくなっても、どこかにあるのがふつうです。

さて、このたとえを私たちが中止していたミサに当てはめてみましょう。田平教会の聖堂に集まって、それぞれの意向で与り、ミサの中で献金をお献げして、恵みも頂いて帰りました。ミサの中での恵みはすべて、司祭の手を通して、司祭を道具として、イエス・キリストが配ってくださった恵みです。3月29日の公式ミサ以降、およそ50日間、教会の典礼にたとえればご復活後40日のご昇天のその先、50日目の聖霊降臨くらいの期間、ミサの恵みを奪われてしまいました。

田平教会の神の民は、ミサが取り上げられ、「みなしご」になったのでしょうか?決してそうではありません。取り去られた恵みは消えてしまうのではなく、どこかですでに配られている。少なくとも恵みの出番を待ってどこかに保管され、出番が来たらいつでも配られる。きっとそうに違いないと私は考えています。

ではどこに、取り去られた恵み、奪われた期間の恵みは運ばれているのでしょうか。教区内すべての教会聖堂で配られていたはずの日曜日ごとの恵みは、地面から掘り起こされた土のように、どこかで活用されたのでしょうか。

明らかに、ここに運ばれたという場所を一つ紹介します。それは大司教館です。大司教館には髙見大司教様、中村補佐司教様、秘書の神父様、他にも引退の神父様方がおられますが、すでにご存知の通り、大司教館で聖木曜日から今週復活節第6主日まで、大司教様か補佐司教様の司式でミサの中継が行われてきました。司教様方が勇気を出して、利用できる手段を躊躇せず使ってくださったことで、一つのミサで最大2900回も、司教様のミサに参加したのです。

これは内緒の話ですが、司教様司式のミサが浦上教会で行われても、2千人を超える信徒・修道者・司祭が集まることはまずありません。直接のミサで、恵みははるかに多いはずですが、浦上教会を満杯にするなど、聞いたことがありません(あくまでも小声で話しています。大司教様の耳に入ったらえらいことです)。

その点を踏まえると、最大2900回、ミサの動画が利用されたというのは驚くべきことでしょう。大司教様が司式する堅信式のミサや、教区主催の各地のミサは完全に奪われてしまいましたが、その恵みは消えて無くなったのではなく、大司教館の、参列者が誰もいない小さなチャペルで、より多くの人を惹きつけていたのです。

長崎教区だけではありません。大阪教区、東京教区も同じような取り組みをしました。調べてはおりませんが、ほかにも世界中多くの国で、いろんな特色あるライブ中継ミサが行われたことでしょう。現代でなければ、このような取り組みは不可能でしたし、司教様方やお付きの方々、教区本部事務局の方々の尽力があって実現しました。教区内のすべての小教区聖堂で受ける恵みは奪われていましたが、その恵みがそっくり大司教館に運ばれて、教区全体のために配られていたのです。

今週の朗読でイエスは「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」と弟子たちに約束なさいました。もしかしたら、大司教様、補佐司教様が決断しなかったら、長崎教区民は「みなしご」の状態になっていたかも知れません。けれどもイエスはそのような状態を決してお許しにならず、いろんな人を動かして、「復活していつも共にいるイエス」を示してくださったのです。

長崎教区、日本の教会だけではありません。「全世界の教会で、恵みは奪われてしまったように見えたかも知れないけれど、決して無駄に終わったのではないよ」と、証明してくださったのです。説教の中では一つだけしか例を挙げることができませんでしたが、ほかにも「イエスが私たちをみなしごにはしない」その証を見ることができます。

教会学校でも、実際の教会学校であれば一度参加した内容を繰り返してもらうことは不可能でした。けれどもこの機会に、「オンライン教会学校」を開いたカテキスタたちもいるでしょう。動画が保存、あるいはダウンロードされれば、繰り返し学び直すことも可能です。今までは不可能だった恵みの分配のしかたが、「みなしご」になったように思えたこの期間に実現したのです。

復活して、いつも共にいてくださるイエスの計り知れない力と恵みを、あらためて知ったミサ中止の期間でした。運び去られたかのように思われたもの、恵みも社会生活のさまざまなものも、三位一体の神の深い計らいによって、必ず巡り会うのです。イエスは決して、私たちを「みなしご」にはしないのです。

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‥次の説教は‥‥
主の昇天(マタイ28:16-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼ご存知の方もおられると思うが、期間限定ではあるが「説教動画」を公開している。時間を与えられているから、何かの形で恩返しをしたいと思ったのが理由だ。映像で説教している中田神父を見ると興味を失ってしまう人もいるかも知れないが。
▼三脚をセットし、カメラを据えて、カメラの背景に拡大コピーした説教原稿を置く。それに目を通しながら撮影しているので、当然カメラから視線が外れていることが多い。どんなふうに映っているのか、メガネが乱反射しているのではないか、気になることを挙げればキリが無いが、恵みを受け取るチャンスを広げる糸口になれば幸いである。
▼この前、墓参に来た方々からの電話を受け取った。電話は墓の目の前からかけていたのだが、私はそれが誰か、途中で気がつくことになる。毎年5月の命日に墓参に来ている二つの会社の代表だった。
▼「お墓参りをさせていただきたいのですが。」「現在ごらんの通り規制をかけておりますが。」「自分たちで手を合わせて帰るだけで構いませんので、よろしくお願い致します。また例年通り、御ミサの奉納金をお預けしたいのですが。」
▼ここでようやく誰が来ているのかを理解した。私が赴任してから毎年5月の命日に墓参に来て、ミサを依頼していく亡くなった社員の親会社の人たちだった。墓参に来た時は欠かさず「墓前の祈り」を唱えてあげているグループだった。
▼ここで一気に事態を飲み込んだ。「急いで準備して、『墓前の祈り』を唱えに伺います。路上駐車を避けて、安全な場所に車を駐めてからおいでください。」それからしばらく墓前の祈りを唱え、今年も命日に関係者の方々と会えたことを喜び、ミサの依頼を無事に受け取って別れた。
▼ちなみにこの日は午前中釣りに出かけていた。ミサ奉納金がまったく当てにできないこの時期、司祭館に戻っていたのは神様の深い計らいに違いない。

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今週の1枚
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第670回目。近いうちに今村教会を電車と徒歩で訪ねよう(巡礼)と思っている。

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今週の「笑える」
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「台所のゴタク、きれいになったでしょ。」それ、「五徳(ゴトク)」じゃ?
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復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)イエスは「御父」という出口戦略への道を示す

2020-05-09 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/5/10(No.1062)
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復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)
イエスは「御父」という出口戦略への道を示す
‥‥‥†‥‥‥‥
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https://youtu.be/X_N-_zBbwpI
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「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」(14・12)緊急事態宣言、外出自粛規制、カトリック教会では公式ミサの中止。こうしたかつて無い試練の中で復活節第5主日を迎えております。

聖週間から公式ミサを中止しています。例えて言えばイエス様の荒れ野での四十日を体験しているわけです。イエスは荒れ野での試練を経て三年間の宣教活動につなげていきました。私たちの乗り越えるべき試練ももう少しの辛抱です。主の昇天あたりからは、公式ミサを再開したいと考えております。もちろん、教区の決定を待った上でのことです。

過ぎた週、目を丸くする出来事がありました。中田神父は現在六つ目の教会でお世話になっておりますが、これまでお世話になった教会からはその教会の様子を知ることのできる教会報が毎月届いております。二つの教会報を受け取っています。その一つを読んでいました。

すると、「説教を聞きたいと思ったら?」と書かれている記事に目が留まりました。そこには、私が継続して活動している「話の森ホームページ」と、東京教区の神父さんのホームページが紹介されていました。

紹介されていたというのはていねいな言い方でして、私の記憶では「掲載してもいいですか?」という許可願いは受けておりません。私もお世話になった小教区なのでさすがにクレームまでは付けませんが、「え~?許可願いの連絡ぐらい取ってよね」と正直思いました。

ただ、今現在公式のミサが完全に閉ざされている状態です。司祭の説教を、録音ではあっても聞くことができる。あるいはもっと踏み込んで、録画した動画を見て説教に触れることができるというのは、時機を捉えていると思います。20年以上続けていることではありますが、個人的には「やっと日の目を見たなぁ」という思いです。

某小教区報に掲載された件、見方を変えるとこれはイエスの予言の実現です。「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。」(マタイ10・27)私は高所恐怖症なので屋根には登れませんが、某小教区の広報委員の方々が屋根の上に登ってくださり「中田神父のホームページで録音の説教がいつでも聞けるよ」と知らせてくださったわけです。

どんな状況にも、救いはあるのだと感じます。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(12・1)誰もが、教会でのミサの中止に気落ちしています。特に高齢の方々は、週に一度の楽しみ、場合によっては子供達が月に一度だけ教会に連れて行ってくれるので月に一度の楽しみという方もおられるでしょう。そうした高齢者にとっては、数少ない楽しみが奪い去られたわけです。

それでも、救いはある。今回、某小教区広報の方々が思いがけず私の活動を取り上げてくださったのを見て、「私の知らない所で、私の活動が今の困難をいくらかでも和らげてくれている。」そう思ったのです。掲載に至る手続きの問題を横に置けば、私が緊急事態宣言の中でもこれまでと変わらず貫いてきたことは、もっと大きな実りを人々に与え始めているわけです。

今週の福音朗読の結びはとても印象的です。「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」某小教区報に掲載されたことは、今後大きな影響を及ぼすことでしょう。どんな状況にあっても、イエスが語るみことばを告げ知らせる。その一貫した態度が、今回のようにもっと大きな業に繋がるのです。

パウロもテモテに言います。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(2テモテ4・2)これは、説教をあらゆる方法でミサに参加できない信徒に伝えようとしている司祭への呼びかけにとどまりません。信徒も、家庭の中で、「折が良くても悪くても、信仰に関わることをとがめ、戒め、励まし、忍耐強く、十分に教える」こうしたことは十分に可能なのです。

日曜日に集まって礼拝をささげ、宣教のための恵み、知恵と力を受けることのできない今、これまで以上に私たちは「見える形の礼拝」にこだわらず、イエス・キリストに固く結ばれ、生きていくことが求められています。これまでの信仰が、日曜日のミサに繋がることしか考えたことのなかったものであれば、この難局は私たちの信仰を問い直す機会になったわけです。

洗礼を受けた信仰の先輩たちは、いつか宣教師が来て、告白を聞いてくれるに違いない。ミサを献げてくれるに違いない。そう信じて迫害の時代を過ごしました。何世代もの人々が、洗礼を受けてから一度も告白を受けられず、ミサに参加することもできないまま生涯を終えました。

実際には迫害の初めに生きていた人々と、迫害の終わりに生きていた人だけが、宣教師の赦しの秘跡とミサのお世話に与ったに過ぎません。そうしてみると私たちが耐えなければならない今の困難は、はるかに限られた期間です。必ず、この試練は実りをもたらします。必ず、私たちの忍耐はもっと大きな業を成し遂げる基礎になります。

今私たちは、トマスと同じ言葉をきっと叫んでいることでしょう。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」(12・5)。出口が見えないまま、長い忍耐を強いられました。けれども私たちはこの試練を受けとめました。忍耐することから逃げませんでした。

だから不安になる必要はありません。私たちはイエスが示す出口に向かって、忍耐の中を歩いているのです。イエスへの信頼に留まっている人は、今も、いつも、「わたしは道であり、真理であり、命である。」(14・6)と断言するイエスと、真の出口である御父への道を歩いているのです。

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‥次の説教は‥‥
復活節第6主日(ヨハネ17:1-11a)
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ちょっとひとやすみ
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▼録音説教を聞けば分かるが、赴任したことのある小教区の新聞に、「説教を聞きたい方はこちら」として私のホームページが掲載されていた。掲載に当たって許可願いの連絡も無かったし、もちろん掲載を許可した覚えもない。
▼今頃この「ちょっとひとやすみ」を読んだ某小教区の信徒が小教区の広報委員会に「本人の了解も得ずに掲載しちゃったの?」と問合せが殺到(?)しているだろう。このご時世、生の説教が聞きたい気持ちは十分理解できるが、権利者の権利保護とか、プライバシーとか、そういったことにちゃんと配慮することはおろそかにしてほしくない。
▼それにしても、いい宣伝にはなった。田平小教区の何倍も信徒が所属している小教区だから、宣伝効果はあるだろう。私も知らぬ間に掲載されて黙って見てはいない。これを機に、動きを起こそうと考えた。
▼この二ヶ月ほど、公式のミサが中止された。途中8日間ほど実施された期間もあったが、世の中の出来事同様、個人のミサの依頼もストップしたし、主日のミサの献金もゼロとなった。収入(と言ってよいのか分からないが)はゼロである。
▼しかしミサは続けている。誰もいなくても主日のミサの録音はしている。録音したデータをインターネットで利用して「自宅でミサ参加」している人もいるだろう。その人たちもひょっとしたら「献金」をしても構わないと考えているかも知れない。
▼ネットで調べたら、「投げ銭」のような仕組みがいくつかあって、おじいさんおばあさんには敷居が高いかも知れないが、「投げ銭」の仕掛けを用意すれば、公式ミサが中止されている間も支援を得られそうである。今後、ミサが再開されても、「こうじ神父を支援する」という人が存在するかも知れない。
▼そこで、投げ銭システムの中で、「OFUSE(オフセ)」というサイトを利用することにした。無料メルマガ(無料ブログ)を閲覧している人の中で、ネット上の決済ができそうな人は、「OFUSE」の中の虫眼鏡のようなアイコンをクリックしてほしい。
▼「クリエイター検索」という画面になるから、そこで「コウジハカープファン」という名前を入れる。すると私のTwitterの自己紹介が現れる。この画面をクリックすると、ブログでの活動履歴と「OFUSEする」というオレンジのバーが出るので、利用してもらえたら幸いだ。この説明で分からない人は、どこかで出会ったときに直に「投げ銭」を。

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今週の1枚
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第669回目。スクショは、法的には問題があるのだろうか。「OFUSE」の画面

詳細は、ホームページ:http://ss104313.stars.ne.jp/にて。
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今週の「笑える」
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「この社長、手を開きすぎ!」「それ、『手を広げすぎ』じゃ?」
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ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため

2020-05-02 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

●●●重要なお知らせ●●●
ホームページサーバーを変更しました。「お気に入り登録」など
新しいURLに切り替えてください。ご不便をおかけしますが、
どうかよろしくお願いいたします。新しい「話の森」URLは、
http://ss104313.stars.ne.jp/
です。ブログのみの利用者の皆様は変更の必要はありません。
●●●重要なお知らせ●●●

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/200503.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/5/3(No.1061)
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復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)
羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。
https://youtu.be/S38boBKl7OA
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「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」(10・10)復活節第4主日に与えられた箇所でイエスが結びに言われている宣言は、新型コロナウィルスですっかり教会でのミサがご無沙汰になっているこの時期、とても重く響いてきます。司祭はイエスのこの言葉を真摯に受けとめ、イエスが命を与えるために働いておられることを実感できるように工夫しなければなりません。

5月1日、福岡教区笹丘教会から電話がありました。笹丘教会にカトリック信者の方が相談に来たのですが、籍が自分たちの教会にないので、洗礼、初聖体、堅信までの記録を送ってもらい、笹丘教会でこの信徒を受け入れたいという用件でした。

分かっているのは名前と生年月日、両親の名前だけです。確かに田平教会で堅信まで受けたということでしたので、電話をかけてきた神父様には「一時間で返事をします。お待ちください」と伝えました。私には、一時間で返事ができる理由がありました。

幸いに中田神父は、田平教会で洗礼を受けた人に関して、司祭館にいなくても調べることができるよう、3年かけて教会台帳のパソコン入力をしてきました。ですから仮に外出先でも、手元のスマートフォンで主要な秘跡の記録を調査することができます。それでも120歳とか、130歳の人のデータにはまだ手を付けておりませんが、今回依頼を受けた人の情報はすぐに調べがつきました。

30分ほどで必要な情報を整え、笹丘教会に送りました。笹丘教会も大型連休中の相談にすぐに対応してもらえるか、大変心配していたと思いますが、対応が早かったことでとても喜んでもらえました。6200人ほどの洗礼とそれ以後の記録のデータ化を、私以外にも力を借りながら完成させておいて本当に良かったと思います。

「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」教会の台帳は、羊の命の記録です。ある場合は生死に関わり、一分一秒を争うこともあるでしょう。それでも司祭もいろんな事情で司祭館を出ていることもあります。そんな時、羊の命の記録の問合せに、出先でも答えることができるとすれば、イエスの使命にいくらかでもお役に立てるのではないかと思っています。

田平教会の信徒の皆さんは、命の記録が必要になったとき、主任司祭からすぐに情報を提供してもらえます。たとえ主任司祭が出かけていても、連絡を取ればいつでも調べてもらえます。すぐに対応できる体制になっていることを、今回初めて聞いた人もいるかも知れません。初耳の方はぜひ、周りの人に知らせてください。少なくとも、霊魂の命の記録に関しては、周囲の教会よりも、豊かに受けることができます。

ただ、今話した内容も、今般の新型コロナウィルスの事態においてはなかなか情報が届かないかも知れません。今週の説教を聞くことができる人は、田平教会の信者の中でいったいどれくらいいるでしょうか。私は毎週でも、この説教のプリントを配りたい気持ちでいます。地域には公民館があるので、すべての公民館にミサの録音CDを一枚ずつ用意しても構いません。

ですがそれはさまざまな制約のため無理かも知れません。せめて、情報に触れることのできる人が、「田平教会のあの人、この人にも、今週の説教を届けよう。」そう思って足を延ばしてくれたらと願うばかりです。ミサの録音CDが個人的に必要な人は、土曜日に司祭館に連絡をください。日曜日午前中までに必要な枚数を用意します。

ミサの様子は、毎週録音しています。それは月に一度病人訪問をしている方々のうち何軒かの家庭は知っています。全世帯ではありませんが、聖週間のミサのCDをお届けした家庭があります。病人訪問を受けている家庭、知り合いの方がおられるならぜひ訪ねてみてください。すると病人訪問を受けている人から、思いがけずミサと説教の恵みを受けることになるでしょう。

主任司祭の力はわずかかも知れません。それでも、羊飼いの声を知っている人が所々にいて、この新型コロナウィルスの危機の中でも羊飼いについてきてくれているのです。この、羊飼いの声を聞き分ける羊とすべての田平教会家族は繋がって過ごしてください。そうすることで主任司祭の声も聞けるし、何より真の羊飼いであるイエス・キリストの声を聞くことができると思います。

感染症がどんなに恐ろしく、猛威を振るっていても、門であるイエスは私たちを守ってくださいます。門を通って出入りするなら、経済の手を差し伸べる人たちとは別に、魂の命のために手を差し伸べてくれる人の声を聞き、恵みに触れることができるでしょう。教会に通うことができない今でも、復活したイエスは私たちの門として、私たちを迎え入れてくださいます。主任司祭も門番として、懸命に頭をひねってできるお世話を考えます。

「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」私が出入りする門は、この世の門、経済を救ってくれる門だけでは足りません。教会に通うことができない今こそ、私たちはイエスという門、心と身体の両方から成り立っている人間全体に関わる門を出入りして、恵みの牧草を得るのです。

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‥次の説教は‥‥
復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)
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ちょっとひとやすみ
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▼「洗礼を受けたいのです」という人がやって来た。現在、田平教会は県道に沿ってパイロンと柵で入場を制限している。観光の方々を含め、不要不急の人々は敷地内にも入れない。その状態の中で、ある人が「洗礼を受けたいのです」とやって来た。
▼真偽のほどは別として、「これはチャンス!」と素直には思えなかった。失礼にならないように親身になって話を聞いたが、同時に私の頭には「用心した方が良さそうだ」という気持ちもあった。田平教会よりも近い、本人が言う住所から管轄だと思われる教会に取り次いでその場を別れた。
▼入場を厳しく制限している中でも、カメラを構えて入ってくる人がいる。パイロンと柵をしているのに、カメラを構えて敷地内に立っている人の気持ちが理解できない。「入場できません。出てください」と少なくとも2回は注意した。
▼私のほかにも、自宅待機させられている案内所の職員が植物の世話をしに来たときにたまたま声をかけたケースや、教会役員が敷地内の清掃にやって来たときにたまたま声をかけたケースもある。柵をしているのを乗り越えてくる人が、今週の福音朗読と重なった。
▼田平教会の洗礼・堅信・婚姻・死亡それぞれの台帳は、説教で触れたようにデータ化されている。3年の歳月がかかっている。信頼しているチームでデータ化を進めたおかげである。個人的には、私の行く場所すべてで、同じ作業が必要になると考えている。私がしなければ誰もしないと言えば大袈裟かも知れないが、実際そうかも知れない。
▼クラウドに置かれているので外出先でも問合せに応対できる。もちろんクラウドデータを100%信頼はできない。だから最終的には紙の台帳の更新を怠ってはいけない。また自分自身の落ち度で、第三者にデータを盗まれたり、閲覧されてもいけない。取り扱いは慎重に。

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今週の1枚
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第668回目。「中田藤吉師、藤を愛でる」の構図。たんに部屋から撮っただけ。

ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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日曜日ミサ説教動画

2020-05-02 | Weblog
日曜日の説教動画だけ先に収録しました。もっと早く気づくべきでした。
https://youtu.be/S38boBKl7OA
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