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こうじ神父
「今週の説教」
2021/5/30(No.1124)
‥‥‥†‥‥‥‥
三位一体の主日(マタイ28:16-20)
日常こそ、三位一体の神の豊かさに触れる場所
‥‥‥†‥‥‥‥
三位一体の主日を迎えました。毎年繰り返していますが、一連のお祝い日を順番通りに覚えて欲しいと思います。「主の昇天」「聖霊降臨」「三位一体」「キリストの聖体」「イエスのみ心」この五つです。「イエスのみ心」だけは日曜日と重ならないですが、毎週続くお祝い日の季節として、五月六月は思い出してください。
去年から今年にかけて、緊急事態宣言などで公式のミサがなくなって個人的にミサをささげている期間に、頭に浮かんでは消えることがありました。それはミサの式文の中で、「人の名前に結びつく箇所が結構あるなぁ」ということです。名前が出てくる人はうらやましいです。
分かりやすい例から並べてみましょう。「恵み」という単語は、皆さんも「なるほど」と思うでしょう。今日この場所に「めぐみ」という人がいらっしゃるのではないでしょうか。他にも分かりやすい単語としては、「愛」とか、「光」などがあります。
さらに注意深く眺めると、他にも人の名前を連想させる単語があります。「使徒信条」には「信じます」も含め「しんじ」が四回登場します。パンとカリスを供える場面では、「実り」が出てきますし、第二奉献文の冒頭は、「まことに」ですから、「まこと」の名前を連想するでしょう。他にも、今週は三位一体の主日で、叙唱には「わたしたちは父と子と聖霊の栄光を等しくたたえ」とあり、「ひとし」が登場します。「ひとし」君、せめて三位一体の主日のミサには来てほしいですね。
あと一つ紹介しますが、答えは説教では言いません。ミサの後半部分で、言い間違えたふりをしてその言葉を繰り返したいと思います。当てはまる名前の人は、「全集中」でその瞬間を待っていてください。もしその時点で私が忘れていたらごめんなさい。その場合は思い出した日、本人があずかっている時にあらためて披露します。
ここ数年、三位一体の主日には「御父」「御子」「聖霊」いずれかの特徴を取り上げていましたが、今年は福音朗読の組み立てに注目して話したいと思います。この歳になって朗読箇所の組み立てに気付くわけですからつくづく鈍い頭だと思いますが、先週の聖霊降臨でイエスは慰め多い言葉を語っておられます。
「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」(ヨハネ16・12-13)私のように鈍い者は、長い年月かけて一つずつ悟るのだと思います。
あらためて福音朗読を読み返すと、イエスは「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28・18)と話し始め、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28・20)で話し終わっています。話し始めの「一切の権能を授かっている」ここですぐ分かるのは、「権能を授けてくださった御父がおられるよ」と含みを持たせているということです。
次に、話し終わりの部分「いつもあなたがたと共にいる」が成り立つには、当然聖霊の働きが必要です。今週の朗読には「弟子たちを派遣する」という小見出しが聖書本文に付けられています。弟子たちの派遣は、三位一体のあふれ出る豊かさがあって初めて可能だということです。
その、三位一体の神は何を指示しておられるのでしょうか。言うまでもなく、イエスの話し始めと話し終わりに挟まれた部分が、弟子たちへの指示です。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(28・19-20)
私はこう考えます。三位一体の神を理解するためには、三位一体の神の豊かさに触れなければなりません。それは学問研究によって行われるよりも、実践によって行われます。イエスの話し始めと話し終わりに挟まれた弟子たちへの指示を実行することで、キリスト者は例外なく三位一体の神の豊かさに触れる、三位一体の神を理解し始めるのです。
すべての人をイエスの弟子にすること。父と子と聖霊の名によって洗礼を授けること。命じておいたことを守るように教えること。この三つが、三位一体の神の豊かさに触れる「鍵」です。三つすべてを持ち合わせているに越したことはありませんが、その一つでも私たちは三位一体の神の豊かさに触れ、理解し始める鍵となるでしょう。
私の出会った人が、イエス・キリストと、キリスト者に関心を示すようになった。もちろんすべての人が良い反応とは限りません。「どうして教会はそんなに面倒なのか?」「どうして毎週教会に行く必要があるのか?」良い反応ではなくても、知ろうとしている人が私を通して現れました。ていねいに説明すれば、理解してくれるかも知れません。
中には日常の関わりを通して、洗礼を受ける人が現れるかも知れません。それは配偶者であったり、自分の両親かも知れません。長い時間がかかったとしても、父と子と聖霊の名によって洗礼を受ける人が与えられた時、私たちは三位一体の神の豊かさに触れているのです。
キリスト者としての生き方を教えること。もしかしたらこれがいちばん難しいのかも知れません。五月の連休で、教会敷地全体を観光の方に立ち入り禁止としていました。明らかに看板を立てているのに、道路に車を停めて柵を跨いで中に入り、教会堂を背に記念写真を撮ってサッと帰って行きます。
「ちょっと柵を越えただけだ」「誰にも注意されなかった」たぶんこれが、日本人の平均的な感覚なのでしょう。この人たちに「禁止の看板があるのに柵を越えるのは、神様の前に正しいでしょうか?」と考えさせるのは至難の業だと思います。けれども諦めなければ、それによって三位一体の神の豊かさに触れることが出来るのです。
三位一体の神に触れる場面は、学問的な場所以上に、日々の行いの中にあります。ごく日常の場所に、三位一体の神の豊かさに触れるチャンスがある。持ち帰ってこの一週間何が出来るか思い巡らしてください。日常的な生活は、中田神父よりも信者の皆さんが余程知り抜いています。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
キリストの聖体(マルコ14:12-16)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼ネタばらし。第二奉献文の最後に「また、復活の希望を持って・・・」以下続く中に、次の文章がある。「なお、わたしたちをあわれみ、神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒とすべての時代の聖人とともに永遠のいのちにあずからせてください。」この中に答えがあるが、分かるだろうか?
▼これは田平教会での説教。田平教会のミサ参加者を頭に描けないと解けない難問!答えは「ナオ」である(なお、わたしたちをあわれみ、・・・」)。古風な名前が他にも隠れているが(「タチ」とか、「オトメ[トメ]」など)、今回の正解は「ナオ」ということにする。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
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第731回目。YouTube動画作成にはいずれ必要になる。リングライトデビュー!
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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三位一体の主日を迎えました。毎年繰り返していますが、一連のお祝い日を順番通りに覚えて欲しいと思います。「主の昇天」「聖霊降臨」「三位一体」「キリストの聖体」「イエスのみ心」この五つです。「イエスのみ心」だけは日曜日と重ならないですが、毎週続くお祝い日の季節として、五月六月は思い出してください。
去年から今年にかけて、緊急事態宣言などで公式のミサがなくなって個人的にミサをささげている期間に、頭に浮かんでは消えることがありました。それはミサの式文の中で、「人の名前に結びつく箇所が結構あるなぁ」ということです。名前が出てくる人はうらやましいです。
分かりやすい例から並べてみましょう。「恵み」という単語は、皆さんも「なるほど」と思うでしょう。今日この場所に「めぐみ」という人がいらっしゃるのではないでしょうか。他にも分かりやすい単語としては、「愛」とか、「光」などがあります。
さらに注意深く眺めると、他にも人の名前を連想させる単語があります。「使徒信条」には「信じます」も含め「しんじ」が四回登場します。パンとカリスを供える場面では、「実り」が出てきますし、第二奉献文の冒頭は、「まことに」ですから、「まこと」の名前を連想するでしょう。他にも、今週は三位一体の主日で、叙唱には「わたしたちは父と子と聖霊の栄光を等しくたたえ」とあり、「ひとし」が登場します。「ひとし」君、せめて三位一体の主日のミサには来てほしいですね。
あと一つ紹介しますが、答えは説教では言いません。ミサの後半部分で、言い間違えたふりをしてその言葉を繰り返したいと思います。当てはまる名前の人は、「全集中」でその瞬間を待っていてください。もしその時点で私が忘れていたらごめんなさい。その場合は思い出した日、本人があずかっている時にあらためて披露します。
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「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」(ヨハネ16・12-13)私のように鈍い者は、長い年月かけて一つずつ悟るのだと思います。
あらためて福音朗読を読み返すと、イエスは「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28・18)と話し始め、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28・20)で話し終わっています。話し始めの「一切の権能を授かっている」ここですぐ分かるのは、「権能を授けてくださった御父がおられるよ」と含みを持たせているということです。
次に、話し終わりの部分「いつもあなたがたと共にいる」が成り立つには、当然聖霊の働きが必要です。今週の朗読には「弟子たちを派遣する」という小見出しが聖書本文に付けられています。弟子たちの派遣は、三位一体のあふれ出る豊かさがあって初めて可能だということです。
その、三位一体の神は何を指示しておられるのでしょうか。言うまでもなく、イエスの話し始めと話し終わりに挟まれた部分が、弟子たちへの指示です。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(28・19-20)
私はこう考えます。三位一体の神を理解するためには、三位一体の神の豊かさに触れなければなりません。それは学問研究によって行われるよりも、実践によって行われます。イエスの話し始めと話し終わりに挟まれた弟子たちへの指示を実行することで、キリスト者は例外なく三位一体の神の豊かさに触れる、三位一体の神を理解し始めるのです。
すべての人をイエスの弟子にすること。父と子と聖霊の名によって洗礼を授けること。命じておいたことを守るように教えること。この三つが、三位一体の神の豊かさに触れる「鍵」です。三つすべてを持ち合わせているに越したことはありませんが、その一つでも私たちは三位一体の神の豊かさに触れ、理解し始める鍵となるでしょう。
私の出会った人が、イエス・キリストと、キリスト者に関心を示すようになった。もちろんすべての人が良い反応とは限りません。「どうして教会はそんなに面倒なのか?」「どうして毎週教会に行く必要があるのか?」良い反応ではなくても、知ろうとしている人が私を通して現れました。ていねいに説明すれば、理解してくれるかも知れません。
中には日常の関わりを通して、洗礼を受ける人が現れるかも知れません。それは配偶者であったり、自分の両親かも知れません。長い時間がかかったとしても、父と子と聖霊の名によって洗礼を受ける人が与えられた時、私たちは三位一体の神の豊かさに触れているのです。
キリスト者としての生き方を教えること。もしかしたらこれがいちばん難しいのかも知れません。五月の連休で、教会敷地全体を観光の方に立ち入り禁止としていました。明らかに看板を立てているのに、道路に車を停めて柵を跨いで中に入り、教会堂を背に記念写真を撮ってサッと帰って行きます。
「ちょっと柵を越えただけだ」「誰にも注意されなかった」たぶんこれが、日本人の平均的な感覚なのでしょう。この人たちに「禁止の看板があるのに柵を越えるのは、神様の前に正しいでしょうか?」と考えさせるのは至難の業だと思います。けれども諦めなければ、それによって三位一体の神の豊かさに触れることが出来るのです。
三位一体の神に触れる場面は、学問的な場所以上に、日々の行いの中にあります。ごく日常の場所に、三位一体の神の豊かさに触れるチャンスがある。持ち帰ってこの一週間何が出来るか思い巡らしてください。日常的な生活は、中田神父よりも信者の皆さんが余程知り抜いています。
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▼ネタばらし。第二奉献文の最後に「また、復活の希望を持って・・・」以下続く中に、次の文章がある。「なお、わたしたちをあわれみ、神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒とすべての時代の聖人とともに永遠のいのちにあずからせてください。」この中に答えがあるが、分かるだろうか?
▼これは田平教会での説教。田平教会のミサ参加者を頭に描けないと解けない難問!答えは「ナオ」である(なお、わたしたちをあわれみ、・・・」)。古風な名前が他にも隠れているが(「タチ」とか、「オトメ[トメ]」など)、今回の正解は「ナオ」ということにする。
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