当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2022/1/2(No.1158)
‥‥‥†‥‥‥‥
主の公現(マタイ2:1-12)
キリストに接ぎ木されて世界に広がっていく
‥‥‥†‥‥‥‥
新年の気分も抜け切れてない中、主の公現の祝日を迎えました。このミサを終えたらゆっくり、と言いたいところですが、今年は帰省した人の黙想会を控えています。ミサを終えて続けて黙想会があるので、きっとぐったり疲れて、夜にお酒を飲んだら寝坊する可能性があります。3日月曜日の朝6時のミサはお休みさせてもらって、あとでゆっくりささげようと思います。
昨日の神の母聖マリアの祭日にも少し話しましたが、フランシスコ教皇様は中村倫明司教様を次の長崎大司教に任命しました。ローマ教会法典によると、大司教は次の後継者を事前に指名して、後継者指名を受けた司教が後を継ぐことになっています。司祭たちの間では、いつ頃中村倫明司教様を後継の大司教に指名するのかなと気を揉んでおりました。
なぜ気を揉むかというと、例えば大分教区は現在司教座が空位になっていますから、教皇フランシスコが中村司教様を大分の教区長に任命する可能性もあったわけです。そうならないためには、明確に後継指名をしておく必要があります。
後継者の指名は本当に大切です。島本要大司教様は現在の髙見司教様を補佐司教にいただいた後、後継指名をする前に亡くなってしまいました。ここでも、ローマが違う司教を大司教に任命する可能性もあったわけです。髙見大司教様が後継者として中村司教を指名しないので、ローマがしびれを切らしたのでしょうか?この話は勝手な推測なのでここだけにしておいてください。
福音朗読に戻りましょう。占星術の学者たちがエルサレムに来て、ヘロデ王にはっきりと告げます。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(2・2)
占星術の学者たちは、王であるイエスを拝みに来ました。「礼拝する」ということは、単に挨拶だけではありません。自分たちがひれ伏す相手として認めることです。ユダヤ人の王と、理解するだけではなく、立場を明確にして、繋がりたいと伝える態度が「礼拝する」ということです。
私は、イエスの次の言葉を思い出しました。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネ15・4)
飼い葉桶に眠る幼子は、人間としてはまだ何も語ることはできませんが、中田神父には「わたしにつながっていなさい」という言葉を語っておられるのが聞き取れました。神の独り子は、成長して全能の神なのではありません。全知・全能・永遠で慈しみ深い神が、すでに占星術の学者たちに働きかけ、「わたしにつながっていなさい」と呼びかけてくださったのです。
幼い頃私は、母親がカボチャの茎にスイカの枝を接ぎ木しているのを見ました。私は子供だったので、カボチャに接ぎ木したらスイカの枝にカボチャが実るのではないか?と心配しましたが、母親の話では、カボチャの茎は強力に水を吸うので、スイカの成長に良いのだという話でした。
「接ぎ木」ということで、わたしにはこの体験しかないので例に挙げましたが、私たちが何に接ぎ木されるかは非常に大事な問題です。占星術の学者たちが、わざわざやって来て幼子イエスに接ぎ木されようとしているのに、ヘロデはイエスに繋がることを拒み、命を狙いました。本当に大切な存在と繋がることを受け入れることができなかったので、消し去ろうとしたのです。
私たちはどうでしょうか。目の前に大切なことがあっても、それを打ち消すために他のことに目を向けて避けていないでしょうか。それは小さなことでは掃除をしたくないためにテレビにかじりついたり、仲直りを面倒に思って外出したりするなどです。
大きなことでは、信仰の大切な務めを避けるために、他のことで時間を費やしたり、自分が必要とされている場所があると無理に言い聞かせて礼拝を遠ざけたりするなどです。こうしたことの積み重ねが、ついにはイエスに接ぎ木されることを拒み、枝は枯れ、もはや集められて火に投げ入れられる運命になってしまいます。
占星術の学者たちは、幼子イエスを礼拝し、それぞれの国に帰っていきました。しかもヘロデには挨拶せず、別の道を通っていきます。彼らはイエスに接ぎ木されたので、もはやヘロデと関わることを必要としなかったのです。これは、私たちへの教訓でもあります。
私たちは、どなたに接ぎ木されて成長したいでしょうか。どなたから養われたいでしょうか。イエス・キリストに接ぎ木されること以上に、確実な成長の道はありません。生涯、養ってくださるイエス・キリストとの絆を、ミサの中で確かなものとしましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
主の洗礼(ルカ3:15-16,21-22)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼実家が古くて、トイレはため池のような方式。以前はこのトイレで問題なく用を足せていたのだが、最近は洋式トイレが多くなり、実家のトイレで用を足すのが難しくなった。トイレのためだけに、スーパーに出かける。
▼いわゆる「ポットントイレ」は衛生面だけではない。家グモがウロウロしたりヤモリがウロウロしたりしている。自分はそれはしかたないと諦めていたが、甥っ子にはそれも含めて耐えられなかったようだ。2年前に遊びに来たときはスーパーでトイレを借りていた。
▼それがどうだろう。甥っ子は成長し、実家のトイレですべての用を足せるようになっていた。家グモもウロウロしているというのに、それでも大も小もできたという。立派なもんだ。たくましく思えた。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第765回目。新成人と記念写真。今年は対象者が12人。たくさん集まった。
http://ss104313.stars.ne.jp/220102.jpg
ホームページもご覧ください。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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なぜ気を揉むかというと、例えば大分教区は現在司教座が空位になっていますから、教皇フランシスコが中村司教様を大分の教区長に任命する可能性もあったわけです。そうならないためには、明確に後継指名をしておく必要があります。
後継者の指名は本当に大切です。島本要大司教様は現在の髙見司教様を補佐司教にいただいた後、後継指名をする前に亡くなってしまいました。ここでも、ローマが違う司教を大司教に任命する可能性もあったわけです。髙見大司教様が後継者として中村司教を指名しないので、ローマがしびれを切らしたのでしょうか?この話は勝手な推測なのでここだけにしておいてください。
福音朗読に戻りましょう。占星術の学者たちがエルサレムに来て、ヘロデ王にはっきりと告げます。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(2・2)
占星術の学者たちは、王であるイエスを拝みに来ました。「礼拝する」ということは、単に挨拶だけではありません。自分たちがひれ伏す相手として認めることです。ユダヤ人の王と、理解するだけではなく、立場を明確にして、繋がりたいと伝える態度が「礼拝する」ということです。
私は、イエスの次の言葉を思い出しました。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネ15・4)
飼い葉桶に眠る幼子は、人間としてはまだ何も語ることはできませんが、中田神父には「わたしにつながっていなさい」という言葉を語っておられるのが聞き取れました。神の独り子は、成長して全能の神なのではありません。全知・全能・永遠で慈しみ深い神が、すでに占星術の学者たちに働きかけ、「わたしにつながっていなさい」と呼びかけてくださったのです。
幼い頃私は、母親がカボチャの茎にスイカの枝を接ぎ木しているのを見ました。私は子供だったので、カボチャに接ぎ木したらスイカの枝にカボチャが実るのではないか?と心配しましたが、母親の話では、カボチャの茎は強力に水を吸うので、スイカの成長に良いのだという話でした。
「接ぎ木」ということで、わたしにはこの体験しかないので例に挙げましたが、私たちが何に接ぎ木されるかは非常に大事な問題です。占星術の学者たちが、わざわざやって来て幼子イエスに接ぎ木されようとしているのに、ヘロデはイエスに繋がることを拒み、命を狙いました。本当に大切な存在と繋がることを受け入れることができなかったので、消し去ろうとしたのです。
私たちはどうでしょうか。目の前に大切なことがあっても、それを打ち消すために他のことに目を向けて避けていないでしょうか。それは小さなことでは掃除をしたくないためにテレビにかじりついたり、仲直りを面倒に思って外出したりするなどです。
大きなことでは、信仰の大切な務めを避けるために、他のことで時間を費やしたり、自分が必要とされている場所があると無理に言い聞かせて礼拝を遠ざけたりするなどです。こうしたことの積み重ねが、ついにはイエスに接ぎ木されることを拒み、枝は枯れ、もはや集められて火に投げ入れられる運命になってしまいます。
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▼それがどうだろう。甥っ子は成長し、実家のトイレですべての用を足せるようになっていた。家グモもウロウロしているというのに、それでも大も小もできたという。立派なもんだ。たくましく思えた。
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