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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/10/1(No.1258)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第26主日(マタイ21:28-32)
父なる神の願いに、生き方を割いているか
‥‥‥†‥‥‥‥
10月に入りました。聖書愛読はしばらくお休みして、ロザリオの月を充実させるためロザリオの信心に取り組みます。きっと、5月・10月だけでなく毎日ロザリオを唱えている方もいるでしょう。今月はそんな方々も、唱える人が増えることに感謝してロザリオを唱えましょう。
今週与えられた「二人の息子のたとえ」の朗読箇所で、兄と弟の時間の使い方に注目してみました。兄が父親から「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」(21・28)と呼びかけられ、「いやです」と言ったのは、父親のために時間を割きたくなかったのだと考えてみました。
弟も父親から同じように言われました。弟も、父親のために時間を割きたくなかった。ここまでは同じですが、弟は色よい返事をして最後まで父親のために時間を割きませんでしたが、兄は後で考え直して、時間を割いたのです。ここで差が付きました。
たとえ話は親子の間でしたが、「人のために」「誰かのために」時間を使うことと考えても良いでしょう。人間は基本的に自分のために時間は使いますが、人のためには使いたがりません。たとえ話の兄(ここでは善良な人の代表だと思います)、この兄も父親のために時間を割きたくなかったのですが、後で考え直して父の願いに応えたのでした。
来週、福江文化会館で中村哲医師のドキュメンタリー映画が上映されます。初めパキスタンとアフガニスタンで医療活動に従事していましたが、そもそも清潔な水が得られないのでさまざまな病気が発生する。その解決のために畑違いの水路を引く事業に心血を注ぎ、貧しい人々の健康に寄与しつづけました。ところが志半ばで凶弾に倒れます。
中村哲さんの思いを理解できず、苦々しく思っていた人たちに未来を断たれたのですが、彼の意志は、今もアフガニスタンで生き続けています。それは、純粋にアフガニスタンの人々のために時間を使ってくれたからです。人生の多くの時間を、アフガニスタン国民の向こうに見える父なる神のために割いて捧げてくださったからです。
洗礼者ヨハネが示した「義の道」も、利己的な生き方を棄てて積極的に人のために自分の持ち物や時間を割いていく生き方でした。それがそのまま父なる神のために持ち物や時間や都合を割く生き方につながりました。当時の宗教指導者たちは、その生き方を受け入れませんでした。
私たちはどうでしょう。今回「人のために時間を割く」という切り口で考えてみました。実は私たちの周りには、お手本になる生き方の人がちゃんといらっしゃいます。神と人のために時間を割く生き方を生涯貫く人たちがいます。また、それを天職としている人もいます。
たとえその生き方が、途中で断たれたとしても、たくさんの人が「あの方は、父なる神のために時間と都合を割く『義の道』を示してくれた」と覚えていてくださいます。覚えられているなら、これからも「後で考え直して生き方を学ぶ」そういう人も現れるに違いありません。
中田神父は特に、自分を戒めなければならない生き方に召されました。父なる神のために働かなければ、私の働きは意味が無いのです。人のための働きでなければ、働きには意味が無いのです。召された生き方を、自分が食べるための働きにした時、私の価値は下がるのです。
ミサにお集まりの皆さんも、生活の中で人のために時間や都合を割いているなら、神に感謝しましょう。あなたは先に神の国に入る生き方をしています。もし、自分のためにしか時間や都合を割いていないのなら、「後で考え直せるように導いてください」とお願いしましょう。私たちは神の国に入れなくなることだけは避けなければなりません。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第27主日(マタイ21:33-43)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼人の名前を覚えるのに、得意不得意があるのだろうか。記憶力が優れている人は、人の名前も難なく覚えることができるだろうか。そもそも、名前だを覚えようというのが虫が良すぎる話か。
▼いつも顔を合わせるのに名前を覚えない。「お名前なんとおっしゃいますか」と声を掛ける。しかし覚えられない。もう一度聞くわけにもいかない。ほとんどこうした繰り返しである。あ、手帳に書けば良いのか。
▼一つだけ、よく覚える方法がある。ミサを依頼してくる人は「あの人は・・・あ、◯◯さんだ」すごくよく覚える。もし可能なら、ミサをおささげすることで名前を覚えて、長くお付き合いさせていただきたい。先日も、「ほぼ毎日会うのに」と思っていた人からミサの依頼があり、「なるほど。◯◯という方だったのね」と分かった次第。赴任して半年となった。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第865回目。彼岸花。水田の脇にずらっと並ぶ彼岸花と違い、けなげに見える。
ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/10/1(No.1258)
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年間第26主日(マタイ21:28-32)
父なる神の願いに、生き方を割いているか
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10月に入りました。聖書愛読はしばらくお休みして、ロザリオの月を充実させるためロザリオの信心に取り組みます。きっと、5月・10月だけでなく毎日ロザリオを唱えている方もいるでしょう。今月はそんな方々も、唱える人が増えることに感謝してロザリオを唱えましょう。
今週与えられた「二人の息子のたとえ」の朗読箇所で、兄と弟の時間の使い方に注目してみました。兄が父親から「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」(21・28)と呼びかけられ、「いやです」と言ったのは、父親のために時間を割きたくなかったのだと考えてみました。
弟も父親から同じように言われました。弟も、父親のために時間を割きたくなかった。ここまでは同じですが、弟は色よい返事をして最後まで父親のために時間を割きませんでしたが、兄は後で考え直して、時間を割いたのです。ここで差が付きました。
たとえ話は親子の間でしたが、「人のために」「誰かのために」時間を使うことと考えても良いでしょう。人間は基本的に自分のために時間は使いますが、人のためには使いたがりません。たとえ話の兄(ここでは善良な人の代表だと思います)、この兄も父親のために時間を割きたくなかったのですが、後で考え直して父の願いに応えたのでした。
来週、福江文化会館で中村哲医師のドキュメンタリー映画が上映されます。初めパキスタンとアフガニスタンで医療活動に従事していましたが、そもそも清潔な水が得られないのでさまざまな病気が発生する。その解決のために畑違いの水路を引く事業に心血を注ぎ、貧しい人々の健康に寄与しつづけました。ところが志半ばで凶弾に倒れます。
中村哲さんの思いを理解できず、苦々しく思っていた人たちに未来を断たれたのですが、彼の意志は、今もアフガニスタンで生き続けています。それは、純粋にアフガニスタンの人々のために時間を使ってくれたからです。人生の多くの時間を、アフガニスタン国民の向こうに見える父なる神のために割いて捧げてくださったからです。
洗礼者ヨハネが示した「義の道」も、利己的な生き方を棄てて積極的に人のために自分の持ち物や時間を割いていく生き方でした。それがそのまま父なる神のために持ち物や時間や都合を割く生き方につながりました。当時の宗教指導者たちは、その生き方を受け入れませんでした。
私たちはどうでしょう。今回「人のために時間を割く」という切り口で考えてみました。実は私たちの周りには、お手本になる生き方の人がちゃんといらっしゃいます。神と人のために時間を割く生き方を生涯貫く人たちがいます。また、それを天職としている人もいます。
たとえその生き方が、途中で断たれたとしても、たくさんの人が「あの方は、父なる神のために時間と都合を割く『義の道』を示してくれた」と覚えていてくださいます。覚えられているなら、これからも「後で考え直して生き方を学ぶ」そういう人も現れるに違いありません。
中田神父は特に、自分を戒めなければならない生き方に召されました。父なる神のために働かなければ、私の働きは意味が無いのです。人のための働きでなければ、働きには意味が無いのです。召された生き方を、自分が食べるための働きにした時、私の価値は下がるのです。
ミサにお集まりの皆さんも、生活の中で人のために時間や都合を割いているなら、神に感謝しましょう。あなたは先に神の国に入る生き方をしています。もし、自分のためにしか時間や都合を割いていないのなら、「後で考え直せるように導いてください」とお願いしましょう。私たちは神の国に入れなくなることだけは避けなければなりません。
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‥次の説教は‥‥
年間第27主日(マタイ21:33-43)
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ちょっとひとやすみ
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▼人の名前を覚えるのに、得意不得意があるのだろうか。記憶力が優れている人は、人の名前も難なく覚えることができるだろうか。そもそも、名前だを覚えようというのが虫が良すぎる話か。
▼いつも顔を合わせるのに名前を覚えない。「お名前なんとおっしゃいますか」と声を掛ける。しかし覚えられない。もう一度聞くわけにもいかない。ほとんどこうした繰り返しである。あ、手帳に書けば良いのか。
▼一つだけ、よく覚える方法がある。ミサを依頼してくる人は「あの人は・・・あ、◯◯さんだ」すごくよく覚える。もし可能なら、ミサをおささげすることで名前を覚えて、長くお付き合いさせていただきたい。先日も、「ほぼ毎日会うのに」と思っていた人からミサの依頼があり、「なるほど。◯◯という方だったのね」と分かった次第。赴任して半年となった。
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今週の1枚
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第865回目。彼岸花。水田の脇にずらっと並ぶ彼岸花と違い、けなげに見える。
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† 神に感謝 †