こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第22主日(ルカ14:1,7-14)末席に座ってあなたと食事を共にしたい

2022-08-26 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/8/28(No.1196)
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年間第22主日(ルカ14:1,7-14)
末席に座ってあなたと食事を共にしたい
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今週は都合により公開ミサを中止しております。ミサ中止は日曜日までですので、月曜日からは再開したいと思います。私の心の中では、よからぬ思いと本来のあるべき思いと両方があります。「よからぬ思い」とは、7月24日に公開ミサを止めて非公開のミサをささげ、それをYouTubeにアップしましたが、通常80回ほどの視聴回数が240回を超えていました。

一人で喜びたいなら、非公開のミサを選ぶでしょう。こんなにたくさんの方に観てもらえるのですから。しかし、一人でミサをささげる寂しさはたとえようもありません。もちろん、参加できないすべての人と、心を合わせていますが、人間ですからそれを目で確認できないのは気持ちの入り方が違う気がします。

「招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。」(14・10)「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。」(同13)この箇所を読み返しながら、今回初めて、自分が浦上教会に赴任して間もない頃の出来事を思い出しました。

もう30年も前のことです。広い管轄区域の信徒と親睦を深めるため、宴会の席もしばしば開かれていました。司祭の霊名のお祝い会、敬老会、さまざまな機会に食事とお酒の席が設けられました。浦上に入って一年目、主任神父様と先輩の助任神父様たちはそれぞれ思い思いの席に出向いて、信徒の皆さんに飲み物を勧めていました。司祭に飲み物を注がれた信徒はきっと嬉しかったでしょう。

しかし私は、先輩たちのように気軽に信徒の席に飲み物を勧めに行くことができませんでした。まだ誰も、顔を覚えていない中で、お酌をしに行くのは私には不可能でした。それはそれはショックだったことを覚えています。会場は賑やかに盛り上がり、宴もたけなわなのに、私一人司祭の座る席から動くこともなく、茫然としていたからです。

あとで分かりました。先輩たちも新人の時に同じ思いをしたし、当てもなく注ぎに行っているのではなく、声をかけてもらえるのを待っている信徒に上手にお酌をしに行っていたのです。そうやって先輩も自分たちの姿を見せながら、私の巣立ちを促していたわけです。しかし私はなかなか巣立ちができませんでした。そこは本当に苦労した点でした。

主任司祭に、または助任司祭に飲み物を注いでもらうだけで、信徒がどれだけ嬉しいか、今ならよく分かります。初めての主任司祭を経験した太田尾小教区で、お祝い会の席で民謡とかの出し物があると、よくスータン姿のまま飛び入りで混じったものでした。本来なら私が入ると調子を狂わせてしまうはずですが、いつも歓迎してもらい、会場は大盛り上がりでした。民謡を踊った後に一通り飲み物を注いで回ると、いろんな人からふだん聞けない話を聞くことができたのです。

「招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。」(14・10)「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。」(同13)末席まで座りに行くと、この日の会場の様子が手に取るように分かります。様々な不自由を抱えている人に来てくれてありがとうと感謝を伝えると、会場全体が喜びで満たされます。

何かを当てにしているのではありません。一人一人に、私はあなたのそばにいるよ。今日あなたが来てくれて嬉しいよと素直に伝えたい。そのためだけに末席まで行き、飲み物を注ぎ、すべての人と同じ食事を食べるのです。

もちろん、こんな経験を積めば、生まれ変わったように社交的な人になれるかと言うとそうではありません。私は基本的には社交的ではない人間です。だからこそ分かるのです。末席まで出向いて座ることは、どんな知識や経験よりも人を納得させるということを。
初めに受けたショック。主任神父様も先輩助任神父様も末席に座って嬉々としているのに、自分は浦上教会の広い信徒会館で一人ぼっちになっている。そのショックが、末席に座る大切さ、お返しのできない人を招く大切さを痛いほど教えてくれました。

今は、コロナの時代でなかなか会食もままなりません。いちばん楽しかった時代が、もう一度やって来ることを心から願っています。末席に座ってお酒を酌み交わし、嬉々として宴会を楽しむ日が一日も早く来るように、「へりくだる者を高められる」主に願いましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第23主日(ルカ14:25-33)
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ちょっとひとやすみ
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▼54勝61敗3分。8月25日時点でセ・リーグ五位。いつも浮かれていたリーグ三連覇の時からすると、寂しい成績である。テレビ観戦のために、J-Sportsまで契約した。勝った日の試合は録画を残し、スポーツニュースも最後の時間まで観る。
▼しかし負けた日は録画した番組を消し、スポーツニュースも全く観ない。今年は運よくファンクラブの単年会員まで手にしたのに、試合観戦は夢のまた夢。会員は先行予約と年間を通しての予約を押さえることができるのに、このままだと年会費は無駄になりそう。

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今週の1枚
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第803回目。第三弾?ひらどプレミアム商品券。一セット1万円で1万3千円分。

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年間第21主日(ルカ13:22-30)人はしばしば自分で戸口を狭いものにする

2022-08-20 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/8/21(No.1195)
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年間第21主日(ルカ13:22-30)人はしばしば自分で戸口を狭いものにする
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「お前たちがどこの者か知らない」(13・25)こう言われた経験があるでしょうか。経験がなければ、一度早めに経験しておいたほうがよいと思います。早めに経験していれば、取り返すチャンスがあります。

もし一度も経験せずに人生を終えたら、審判の日にこの言葉を聞かされるかもしれません。「御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです」(13・26)。最後の場面でこんな主張をしても、何の説得力もありません。生きている間に一度でも、この場面に立たされていたら、準備のしようもあったでしょうに。

あるいはこう言い張ったとしましょう。「日曜日のミサに来ましたし、説教も聞きました。聖体拝領もしたのです。」しかし心の内も見通される神が、「お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ」(13・27)と言うとしたら、何を言っても無駄です。中身のない、うわべだけの信仰では通用するはずがありません。

私は、司祭としての出発点で、「お前たちがどこの者か知らない」と言われた経験があります。その苦い経験が、私の司祭生活の薬になっています。大神学院の神学課三年生の時、老司教会に実習に出かけました。小学六年生の受け持ちで、堅信式を受ける学年でした。

一人、ものすごく手のかかる子供がいました。出席数が少なく、出席していても身が入らず、毎週この子供のことで頭を痛めていました。それでもようやく堅信式を受けるだけの準備ができて、私は堅信式の当日を迎える前に実習を終えて、私自身の助祭叙階の準備に入りました。

さらに助祭としての一年が過ぎて無事司祭となり、お礼参りの初ミサに老司教会に行ったのです。そこに立派な中学生になったあの子供がいました。仮に太郎君としましょう。懐かしさでいっぱい、毎週苦労させられたこともすっかり忘れて「おー太郎君。立派になったねぇ」と声をかけた時でした。「すみません。神父様が誰か分かりません。」

心の中で叫んでいました。「冗談やろ~?お前のために俺がどれだけ頭を悩ませて、心配したと思っているの?」何と言いますか、司祭になって最初のショックが、最大のショックだったわけです。この時のことが今も薬となっていまして、以来三十年が経ちましたが、何かの形で覚えてもらえる働きでなければ意味がないとつくづく思ったものです。

神は私たちに対して、義理立てすることなど何もありませんから、「お前たちがどこの者か知らない」と言うことも全く自由です。しかし、私たちの働きがうわべだけでなく報いを当てにしない真の奉仕であれば、何かを取り繕ったりせずとも、神は私たちを覚えてくださるでしょう。

前もって苦い思いをしておくことは役に立ちます。そこから残りの人生で、神に覚えてもらえる生き方に立て直していきましょう。今であればまだ十分時間があります。うわべだけでない真の信仰生活は、事情説明などしなくても神に覚えてもらえるからです。


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‥次の説教は‥‥
年間第22主日(ルカ14:1,7-14)
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ちょっとひとやすみ
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▼どうも朗読される福音の箇所で説教が湧いてこなくて、過去の説教を当たってみた。良い内容の説教もあった。それを使うことも考えた。しかし、今の説教が思い当たらない苦しい思いをうまく反映できていないと思って使うのをやめた。
▼今回の内容は、皆さんの期待に添わないかもしれないが、自分自身が「お前たちがどこの者か知らない」とされることのないように、よく読み返しておきたい。

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今週の1枚
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第802回目。玄関の扉にカマキリ。身構えている感じがかっこいい。

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† 神に感謝 †
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聖母の被昇天(ルカ1:39-56)被昇天は私たちが天に上げてもらう道の準備になった

2022-08-14 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/8/15(No.1194)
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聖母の被昇天(ルカ1:39-56)
被昇天は私たちが天に上げてもらう道の準備になった
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聖母の被昇天を迎えました。神のメシアを送る計画は、救い主の母となるマリアに計画の始まりがあるのではなく、その準備の段階から始まっていました。メシアの到来の準備のために、神はエリサベトに働きかけ、時間をかけて前に進めることを望まれました。

神の計画、神の働きかけが、準備の段階から始まっているということを信じるならば、私たちは神により深く信頼を寄せることができると思います。しばしばこの世で起こることは、準備の段階で関わった人と完成の段階で関わる人とが違うことがあります。それでも、準備と完成の両方に神の働きかけがあると信じるなら慰めがあります。

聖母被昇天には、どのような神様の計画があるのでしょうか。マリアが天に挙げられた、それだけの計画だったのでしょうか。そうではないと思います。マリアのように、常に神に心を開いて生きる者が、必ず神のあわれみといつくしみにあずかる。その先駆けとして与えられた栄誉なのです。

神が、ご計画に準備の段階から関わってくださることを考えるなら、聖母の被昇天は何かの準備かもしれません。私は、聖母の被昇天がすべての人が天に上げてもらうための模範であり、準備だと思うのです。

マリアは、全生涯を神に心を開いて生きた人でした。人間的には受け入れるのが難しい出来事でも、神に心を開いてその意味が理解できる時を待ちました。神に心を開いて生き抜いたので、神から体も魂も天に上げられたのです。

これは神が私たちすべてに示された模範であり、準備でした。私たちが、マリアの模範に倣って神に心を開いて生きることを選ぶなら、私たちも天に上げてもらえるはずです。そして、マリアによって天に上げてもらう道が既に準備されているとしたら、私たちはより神を信頼できるようになるのではないでしょうか。

神は準備の段階からご計画に関わっておられます。そして私たちは今からでも、神に心を開く生き方を考えることができます。先に子を宿したエリサベトにマリアが出かけて行ってお手伝いしたように、人の手伝いを買って出ること。神に心を開いたエリサベトとともに神をたたえたマリアのように、私たちも集まってともに神をたたえること。これらは、私たちが神によって天に上げてもらえる近道です。

マリアが、その道を先にたどってくださいました。神がマリアを通して、先に準備してくださいました。もし一つ、これに付け加えるなら、私たちより先に旅立った先祖のためにも、力を尽くしてあげましょう。私たちは今からでも生き方を選べますが、先祖はそれができないからです。

日本の良い習慣に倣って、墓地で先祖とともに、集まって神をたたえるなら、天に上げてもらえるお手伝いをすることができます。聖母を通して私たちが天の栄光に上げてもらえる準備をしてくださった神に、今日心から感謝することにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第21主日(ルカ13:22-30)
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ちょっとひとやすみ
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▼長崎市では8月15日は「精霊流し」が盛大に行われる。カトリックの行事ではないが、カトリックの人もこの「行事」を利用していると感じる。「精霊船」に、「この船の依頼者はカトリックだろうな」と思わせる工夫を凝らしているときがあるからだ。
▼日本でカトリックが圧倒的に広がらなかったのはなぜか、いろいろ考えるが、日本人のお祭り好きを活用できなかったことが、一つの原因だと言ったら間違いだろうか。日本人は本当にお祭り好きで、この日のために会社を休み、故郷に帰り、ふだんでは考えられない犠牲を払う。そこをうまく取り込めたなら良かったのに。

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今週の1枚
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第801回目。私たちはマリアに倣う子なので、マリアとともに、天に上げられる

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年間第20主日(ルカ12:49-53)「硬く冷たい心を溶かす火を投じる」

2022-08-13 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/8/14(No.1193)
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年間第20主日(ルカ12:49-53)
「硬く冷たい心を溶かす火を投じる」
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記録的な暑さと、記録的な新型コロナの感染者を日々体験している今年の夏です。この年間第20主日と次の聖母被昇天、手短に説教を終えたいと思います。かつて主任司祭であった川添猛神父様は3分で説教を終わった「猛者」ですが、そこまではいかなくとも、今日は早かったなぁくらいにはしたいと思います。ひょっとしたら天国の川添神父様も、「おー、暑かせん、そいがよか」と言っておられるかもしれません。

私が子供の時、簡単な釣り道具は父親が作ってくれていました。アラカブ(カサゴ)釣りをするような釣り道具です。竿は切ってきて乾燥させた竹竿、道糸はヨマと呼ばれる漁師の網を修理するためのエンジ色の紐、ハリスはナイロン、針は何百本も袋に入った大きめの針でした。

これに一つ足りないのがオモリですが、父親は定置網で使用する鉛を少し切って、それを溶かして思い通りの形に整えて取り付けてくれました。それが釣り道具の基本でした。ただ父親は当時遠洋漁業でしたので、すぐ船に乗っていなくなります。そこからは一度だけ見た道具作りを、自分で再現する日々です。

竹竿、ヨマ、ハリス、針はあります。しかしオモリがありません。そこで父親がしていた通りに、定置網用の鉛を切って、缶詰の缶に入れ、台所のガスで溶かしてみました。鉛の融点は327.5度です。子供でも溶かすことができました。しかし思い通りに成形することができず、苦労した記憶があります。

これは一つの例です。鉱物には、すべて融点があると思います。スズとか、溶けやすいものもありますが、多くのものは簡単には融けないでしょう。イエスは「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」(12・49)と言われました。あらゆるものを溶かし、神の御望みの形に整えるために、イエスご自身が火を投じに来たのです。

その火は簡単に燃え移り、中から溶かしたかというとそうではありませんでした。弱い立場にある人々には火が燃え移り、硬い心を和らげていきましたが、指導的立場にある人たちは冷淡な態度をとりました。子供のような心で受け入れることができず、火は燃え移りませんでした。そのため、苦しみと死を通して、ご自身を燃やし尽くされたのです。

私はかつて、信仰の火は投じれば簡単に燃え移るものだと思っていましたがそれは間違いでした。中には相当アルコールを注ぎ足さなければ燃えない人もいました。結局くすぶって燃えない人もいました。

心を溶かし、神様の望む生き方に人を導く。そういう司祭の完成形はまだはるか先です。けれども、私自身の命を差し出し、燃やしてでも、一人でも多くの人の心を燃やして、神様の望む生き方を選ぶ信者に導いていく。それが、変わらない私の使命だと思っています。一人ひとりの心の融点まで、共に歩んであげたいと思っています。

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‥次の説教は‥‥
聖母の被昇天(ルカ1:39-56)
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ちょっとひとやすみ
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▼「釣り道具」は父親が手ほどきしてくれたが、不思議と「釣り餌」は母親がよく知っていた。「塩サバ」「キビナ」「イカの足」などが磯釣りでは重宝するが、それを教えてくれたのは母親だ。
▼「道具」「餌」を整えてもらっても、釣れるとは限らない。小学生が適当に磯で糸を垂らしても、そこに魚がいるとは限らない。前任地、浜串教会で親子で港の中を移動しながら釣りをしている光景をよく見た。この経験が足りず、釣った魚を食卓に並べるまでにはかなりの時間を要した。その時にはもう父は他界していた。

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今週の1枚
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第800回目。高原検査キット。もしも具合が悪い時は検査してみる。結構お高い

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年間第19主日(ルカ12:32-48)「通り過ぎる」はずが「そばに来て」世話してくださった

2022-08-06 | Weblog
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2022/8/7(No.1192)
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年間第19主日(ルカ12:32-48)
「通り過ぎる」はずが「そばに来て」世話してくださった
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8月6日、広島原爆の日。8月9日、長崎原爆の日。多くの犠牲者、今も苦しみ悲しみを背負って生きておられる方のことを心に留めて、説教に務めたいと思います。私たちは平和な世界を決して諦めません。一人一人が平和のためにできることを、今週の福音の中で持ち帰りたいと思います。

生まれて初めて、ギックリ腰かな、という痛みに襲われました。座椅子に座っていて左を向いたときに、経験したことのない痛みが腰に走ったのです。痛みは通り過ぎず、今もずっとそばにとどまっています。周りの皆さんに迷惑がかからないか心配しております。

福音朗読では、「目を覚ましている僕」という箇所が選ばれました。用意を怠らず、婚宴に招待されている主人が帰ってきて戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさいと勧めます。

この物語では、主人と僕の行動に注目する必要があります。時代背景を考えれば、主人にとって、僕は身分の低い存在です。婚宴の席から主人が帰ってきて、家の戸をたたいた時に僕に開けてもらったとしても、それをいちいち感謝したりねぎらったりする必要はありませんでした。

ここで主人が仮に、ねぎらいの言葉もなく僕のそばを通り過ぎたとしても、主人に特別難される点はありません。また僕が、主人に不平を漏らすべきでもありません。黙って通り過ぎるのがむしろ普通のことだったかもしれません。しかしイエスは、この主人が僕の心がけを高く評価して、予想もできない形でねぎらってくれるだろうと言うのです。「はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。」(12・37)

当時の時代背景だけでなく、現在に至るまで、「主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましている」(12・38)そうであっても主人が僕に給仕してくれるということは考えられません。ねぎらいの言葉はあったとしても、ここまでのねぎらいは普通では考えられないことです。ではなぜ、イエスはこのような姿をたとえの中で語られたのでしょうか。この地上で考えられないとすれば、このようなたとえに意味があるのでしょうか。

この地上では、主人の帰りを常に目を覚まして待つ僕に特別な待遇が与えられなくても、天の国では同じとは限りません。そうだとすれば、このたとえは天の国での報いを教えているのではないでしょうか。通常であれば、通り過ぎるだけで終わる場面に、そばに来て給仕してくださる。この特別な出来事が天の国の姿なのです。

この姿を、地上で垣間見せてくれた場面があります。皆さん見当がつくでしょうか。最後の晩餐で、イエスが食事の途中で弟子たちの足を洗う場面です。地上では起こりえないこと、「先生」とか「師」とか呼ぶその方に、通常では考えられないもてなしをしてもらうこと。これはイエスを通してすでにこの世で始まっているのです。

私は今週の福音朗読と、広島長崎の原爆投下の出来事を少し重ねてみました。原子爆弾を投下した兵士たちの行動は、上空を通って爆弾を投下した、その一瞬の出来事です。投下された原子爆弾がさく裂したのも一瞬の出来事です。惨劇に巻き込まれた多くの人は、自分のことで精いっぱいで、誰が誰を見たとしても通り過ぎてしまったことでしょう。

しかしその中に、通り過ぎるだけで終わらず、そばに来て世話してくださる人々が少なからずいたのです。通り過ぎることなく、そばに来て給仕してくださった。そばに来て何かしら世話してくださった。自分以外誰も助けられなかった残酷なこの世の現実の中で、通り過ぎずに近寄って世話をする。そこに、神の国の出来事がすでに始まっていたわけです。

原子爆弾が投下された惨状の中、長崎では、永井隆さんや秋月辰一郎さんなどの医師が被爆者の治療に奔走したことが知られています。彼らに代表されるような勇気ある人々が、絶望の中にある人に近寄ってお世話をすることで、どんなに希望の持てない現実の中でも、神の国は始まっている。神は必ず、心ある人を使って出来事を一過性のものにせず、絶望の中に希望を与えてくださると証明してくださったのだと私は考えました。

どれだけ忠実に務めを果たしても、それでも当たり前のこととして通り過ぎてしまうことが多い世の中です。そんな中で、私たちは世の中を変える術を今週の福音朗読から読み取ることができます。この世では考えられないお世話をすれば、私たちは神の国の出来事をすでにこの世で始める者となるのです。

ルカ福音書第6章35節に次のような勧めがあります。「しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。」天の国は、敵を愛し、何も当てにしないで行動する人々からすでに始まっています。

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‥次の説教は‥‥
年間第20主日(ルカ12:49-53)
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ちょっとひとやすみ
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▼長崎県も新型コロナ感染者が2千人を超える日々が続くようになった。10万人当たりの新規感染者数の上位に九州がずらり並んでいて、いつ長崎がこの中に入るのかと冷や冷やしながら眺めている。
▼8月6日午前8時15分、長崎市ではサイレンが鳴り、黙祷が呼びかけられたという。しかし平戸市ではこの時間のサイレンは鳴らなかった。長崎県でも、対応が違うのだと改めて感じた。サイレンが鳴らなくても広島のことを片時も忘れたことはない。

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今週の1枚
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第799回目。三年ぶりに地区でカテキスタ養成講座が始まる。使用するテキスト。

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日頃はウェブリブログをご利用いただき、ありがとうございます。2004年3月にサービスを開始したウェブリブログは、来年2023年1月31日に終了します。


† 神に感謝 †
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