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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/210926.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2021/9/26(No.1141)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第26主日(マルコ9:38-43,45,47-48)
「わたしたちの家」からこぼれる人が出ないように
‥‥‥†‥‥‥‥
「世界難民移住移動者の日」を迎えた年間第26主日です。「難民」「移住者」「移動者」のことを意識しながら今週の福音を読むと、どのようなメッセージが見えてくるでしょうか。
本日、境内内外清掃です。今回、「田平工務店」という業者に入ってもらうことにしました。先週「すべての命を守る月間」にちなんで実施した海岸清掃に参加した方々は何を言っているかお分かりでしょう。もし誰かから尋ねられても「いや~、主任司祭が個人的に依頼したことは把握しておりません」ととぼけておいてください。9時ミサの後、作業前の全体説明をする時に「田平工務店」がどこの業者か、ひと目で分かると思います。どうぞお楽しみに。
さて田平小教区は中田神父の発案で3年前から「移住記念碑」を設置している地区に行って記念ミサをしております。今年も実施できることに感謝します。私たち田平の神の民の始まりは、ド・ロ神父様とラゲ神父様の手引きで外海地方と黒島からやって来た「移住者」でした。この歴史は、私たちにとって忘れてはいけない大事な出来事です。
ですから「世界難民移住移動者の日」は田平教会にとって身近な問題と言えるでしょう。移住者として扱われた私たちの先祖たちと、すでに生活しておられた人々の両方に関心を持つことは、互いが互いを受け入れ、よい関係を保つために必要なことです。
苦労したことは容易に想像できます。生計を立てる当てがあって移住してきたのではありませんでした。宣教師が前もって購入してくれていた山野があっただけで、そこを開拓し、生活の糧を得て、定着するだけでも大変だったでしょう。その上さらに、地域との良好な関係を築くのは並大抵ではなかったはずです。
なぜそれらを中田神父が容易に想像できるかと言うと、何より私自身、難民移住者の子孫だからです。中田神父の先祖も、外海地方から海を渡って五島列島に移住してきたわけです。外海地方は多くがカトリックであったため人口が目に見えて増えていました。
統治者は人口の急激な増加を恐れて人口抑制に舵を切ります。それは生まれたばかりの子に危害を加えるという悲しい出来事にも繋がる政策でした。キリシタンは当時の政策に協力できなかったので、新月の夜に小舟に乗り、海の藻屑となる危険も顧みずに五島へと逃げたのでした。
私の知る限り、上五島では平らな土地や漁港周辺に住み着いているのはカトリックでない人たちです。カトリックの人たちは概ね、急な山の斜面に張り付くようにして家を建て、住み着きました。道路も整備されておらず、畑も切り立った「猫の額」のような場所を開墾して段々畑を整備し、サツマイモを植えていたのです。
幼い頃私は、どうしてカトリックの人たちはサツマイモが主食でカトリックでない人たちはお米が主食なのだろうと不満に思っていたものです。私自身は経験がありませんが、学校の運動会の時、カトリックの子供の中には、みんなの前で弁当を開きたがらなかった子がいたのです。カトリックでない子供と差があったからです。それは山間部にしか居場所を見つけられなかったというかつての事情があったからでした。
また、これもさすがに中田神父の時代にはなかったことですが、先祖達は「耶蘇」とか、「アーメンソーメン」と呼ばれて嫌われていました。キリシタンであったがゆえの「難民」「移住者」のレッテルは、長い間生活を脅かしていたわけです。3年前の2018年に田平教会聖堂献堂百周年を祝うにあたり、「移住者」の苦労を資料で読む中で、起こった一つひとつの出来事が私には他人事には聞こえませんでした。
私たち田平教会の神の民は、多少なりとも難民移住移動者の気持ちに寄り添うことができる体験を通ってきています。これから私たちが目を向けるべきことがあります。それは「私たちが、かつて味わった体験を味わわせてはいけない」ということです。
教会が建てられて百年以上経てば、すでに私たちは地元の人になっています。これから、新しく入ってくる人たちや工場労働者で入ってくる諸外国の人たちに、疎外感を感じさせてはいけないということです。
「あの人はよそから来た人よ」とか「あの人は外国人よ」など、あなたの言葉は「目」から入った情報が言わせています。イエスはこう言っているではありませんか。「もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。」(9・47)
今日はより実感を込めて伝えるためにおもちゃのハサミを小道具として用意しています。難民移住移動者だという理由で「あの人には手を貸さない」と言うのですか?イエスはこう言っているではありませんか。「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。」(9・43)イエスはこんな大きなハサミであなたの腕を切り捨ててでも、片方の手を差し伸べるように促しているのです。
私たちは、かつて先祖が難民や移住移動者であったことを忘れてはいけません。それは今後私たちが接する人に同じ思いを味わわせないためです。何よりもまず、ベツレヘムを追われ、エジプトに避難して難民となった幼子イエスのことを思い出すべきです。
私たちが接する人に過ちを犯すなら、その人を幼子イエスと同じ目に遭わせたことになります。過去に学び、未来に活かす。そうすればきっと、私たちは出会う人すべてと望ましい関係を築く道筋を開くことができるでしょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第27主日(マルコ10:2-16)
‥‥‥†‥‥‥‥
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ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼釣りに行くとほとんどと言っていいほど日焼けして帰ってくる。日焼けを気にすることは決してないが、最近「日焼けで疲れる」こちらの方が気になってきた。翌日以降、日焼けで疲れが残るようになってきたわけだ。
▼「日焼けで疲れを残さない」そのケアを思いがけず教えてもらい、鏡を見ながら実行してみた。これが予想以上に気持ちが良い。日焼けを沈めてくれ、翌日にも疲れが残らなかった。翌日精力的に仕事をして、一日を終えた時に「あ、疲れが残っていない」と実感した次第。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
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第748回目。恥ずかしながら、美容のお世話に。背に腹は代えられない。
http://ss104313.stars.ne.jp/210926.jpg
ホームページもご覧ください。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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こうじ神父
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さて田平小教区は中田神父の発案で3年前から「移住記念碑」を設置している地区に行って記念ミサをしております。今年も実施できることに感謝します。私たち田平の神の民の始まりは、ド・ロ神父様とラゲ神父様の手引きで外海地方と黒島からやって来た「移住者」でした。この歴史は、私たちにとって忘れてはいけない大事な出来事です。
ですから「世界難民移住移動者の日」は田平教会にとって身近な問題と言えるでしょう。移住者として扱われた私たちの先祖たちと、すでに生活しておられた人々の両方に関心を持つことは、互いが互いを受け入れ、よい関係を保つために必要なことです。
苦労したことは容易に想像できます。生計を立てる当てがあって移住してきたのではありませんでした。宣教師が前もって購入してくれていた山野があっただけで、そこを開拓し、生活の糧を得て、定着するだけでも大変だったでしょう。その上さらに、地域との良好な関係を築くのは並大抵ではなかったはずです。
なぜそれらを中田神父が容易に想像できるかと言うと、何より私自身、難民移住者の子孫だからです。中田神父の先祖も、外海地方から海を渡って五島列島に移住してきたわけです。外海地方は多くがカトリックであったため人口が目に見えて増えていました。
統治者は人口の急激な増加を恐れて人口抑制に舵を切ります。それは生まれたばかりの子に危害を加えるという悲しい出来事にも繋がる政策でした。キリシタンは当時の政策に協力できなかったので、新月の夜に小舟に乗り、海の藻屑となる危険も顧みずに五島へと逃げたのでした。
私の知る限り、上五島では平らな土地や漁港周辺に住み着いているのはカトリックでない人たちです。カトリックの人たちは概ね、急な山の斜面に張り付くようにして家を建て、住み着きました。道路も整備されておらず、畑も切り立った「猫の額」のような場所を開墾して段々畑を整備し、サツマイモを植えていたのです。
幼い頃私は、どうしてカトリックの人たちはサツマイモが主食でカトリックでない人たちはお米が主食なのだろうと不満に思っていたものです。私自身は経験がありませんが、学校の運動会の時、カトリックの子供の中には、みんなの前で弁当を開きたがらなかった子がいたのです。カトリックでない子供と差があったからです。それは山間部にしか居場所を見つけられなかったというかつての事情があったからでした。
また、これもさすがに中田神父の時代にはなかったことですが、先祖達は「耶蘇」とか、「アーメンソーメン」と呼ばれて嫌われていました。キリシタンであったがゆえの「難民」「移住者」のレッテルは、長い間生活を脅かしていたわけです。3年前の2018年に田平教会聖堂献堂百周年を祝うにあたり、「移住者」の苦労を資料で読む中で、起こった一つひとつの出来事が私には他人事には聞こえませんでした。
私たち田平教会の神の民は、多少なりとも難民移住移動者の気持ちに寄り添うことができる体験を通ってきています。これから私たちが目を向けるべきことがあります。それは「私たちが、かつて味わった体験を味わわせてはいけない」ということです。
教会が建てられて百年以上経てば、すでに私たちは地元の人になっています。これから、新しく入ってくる人たちや工場労働者で入ってくる諸外国の人たちに、疎外感を感じさせてはいけないということです。
「あの人はよそから来た人よ」とか「あの人は外国人よ」など、あなたの言葉は「目」から入った情報が言わせています。イエスはこう言っているではありませんか。「もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。」(9・47)
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私たちは、かつて先祖が難民や移住移動者であったことを忘れてはいけません。それは今後私たちが接する人に同じ思いを味わわせないためです。何よりもまず、ベツレヘムを追われ、エジプトに避難して難民となった幼子イエスのことを思い出すべきです。
私たちが接する人に過ちを犯すなら、その人を幼子イエスと同じ目に遭わせたことになります。過去に学び、未来に活かす。そうすればきっと、私たちは出会う人すべてと望ましい関係を築く道筋を開くことができるでしょう。
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▼釣りに行くとほとんどと言っていいほど日焼けして帰ってくる。日焼けを気にすることは決してないが、最近「日焼けで疲れる」こちらの方が気になってきた。翌日以降、日焼けで疲れが残るようになってきたわけだ。
▼「日焼けで疲れを残さない」そのケアを思いがけず教えてもらい、鏡を見ながら実行してみた。これが予想以上に気持ちが良い。日焼けを沈めてくれ、翌日にも疲れが残らなかった。翌日精力的に仕事をして、一日を終えた時に「あ、疲れが残っていない」と実感した次第。
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今週の1枚
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第748回目。恥ずかしながら、美容のお世話に。背に腹は代えられない。
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