こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

待降節第4主日(ルカ1:26-38)マリアの答えが想定を上回っていたので去って行った

2023-12-23 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/24(No.1270)
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待降節第4主日(ルカ1:26-38)
マリアの答えが想定を上回っていたので去って行った
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人間も還暦が徐々に近づいてくると、非常にずる賢くなるようです。誰かが自分に説明して聞かせているとしましょう。その話の中身を、話している相手よりも数倍詳しく知っているのに、「ほぉ。そうか。なるほど」と、初めて聞いた話であるかのように聞いたりします。

内心は「誰に向かって話しよるとや」と思っているのですが、それを顔に出さず、「おお。お前詳しいんだな」と返したりします。話している相手は大満足です。思い返すと中田神父も、30年前には主任神父様に同じように何かを得意になって話していたのかも知れません。

主の降誕がもうそこまで来ています。準備を急ぎましょう。イエスの誕生の予告が、本日の福音朗読箇所です。朗読で目に留まったのは、天使ガブリエルとマリア、ともに「言った」場面が二度ありまして、マリアの語られた言葉が、特に印象的です。

天使ガブリエルが神から託された言葉は、心の清いマリアでさえも、戸惑い、考え込むほどでした。一般的に何かの挨拶は、相手を間違えていない限り、思い当たることがあって、「あー、そうなんだな」と受け入れることができるのですが、「いったいこの挨拶は何のことか」(1・29)と感じたのです。

マリアの一回目の「言った」では、天使ガブリエルの二度の「言った」を受けとめるため、マリア自身を完全に解き放ちました。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(1・34)これは心を閉ざす方向にではなく、何とかして受けとめようと、心を解き放って尋ねた言葉でした。

そして天使ガブリエルが答えます。天使の答えを聞いて、マリアの二度目の「言った」は次の通りです。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(1・38)ご自身をすっかり委ねるマリアの言葉は、天使に託された言葉を包み込むものでした。

マリアの「言った」が十分だったので、天使は満足し、これ以上何も語る必要がないので去って行きました。人間の言葉が、神から託された言葉を包み込むほどであったのは、これが最初で最後だったことでしょう。マリアは二度の「言った」の中で、心を神に向けて完全に解放し、ご自身をすっかり委ねたのです。

これが、私たちに示されたご降誕への最後の準備です。ご降誕は目の前です。私の心を御子の住まいとして、完全に解放しておきましょう。「準備しますから、しばらくお待ちください」ではありません。すぐに泊まっていただけるように、完全に解放しておきましょう。

そして、御子イエスの願いに、自分自身をすっかり委ねましょう。新生児に必要な場所は、静かで温かみのある部屋です。いざとなったら、イエスのとどまる部屋を保つためにこの世の騒がしさから逃れましょう。「お言葉どおり、この身に成りますように。」神に自分を委ねる決意をささげて、夜半のミサに備えましょう。

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‥次の説教は‥‥
主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
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ちょっとひとやすみ
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▼五島市では、車に「雪対策(冬対策)」が必要らしい。「◯◯自動車に、相談してみてください」と勧められた。考えると、井持浦教会までは何度か峠を越えるので、冬用タイヤは必要かもしれない。近いうちに電話かけなきゃ。

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今週の1枚
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第877回目。ルルドのイルミネーション。ほぼ一人で、製作している模様。

ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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4 コメント

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Unknown (massimo)
2023-12-24 09:07:23
どうか「誰に向かって話しよるとや」と思われませんように…(^^);

「2815人」の記事を読みました。データベース化の後継者も育てられ、取り組みの輪が広がりますように。また「3000人を記録する日」の夢が叶えられますように。

趣は少し異なりますが、聖イグナチオ・麹町教会の主任司祭を20年ほど務められた、ヘルマン・ホイヴェルス神父(イエズス会)が洗礼を授けた信者は3000名を越えるそうです。私の家族もそのうちの一人です。

今年の年間第25主日(2023/9/24)に掲載された写真が、とても印象に残っています。
福江の街灯りの上に一点の光(金星)が輝き、希望を感じさせます。東方の三博士を導いたのも、2000年後の今でもこうして輝いている金星だったのでは…と思わせる光景です。
この写真を拝見して以来、夜空を見上げては宵の明星、明けの明星を探すことが増えました。

よいクリスマスをお迎えください。
Unknown (knkouji)
2023-12-30 22:39:10
近くにいる教会の皆さんよりも、近くに感じます。コメントありがとうございます。
誰かが反応してくれたらと思って方言とかいれるのですが、反応がないのです。

上五島の人間は、下五島では理解されないのかもしれません。
Unknown (massimo)
2023-12-31 14:01:55
方言が入ると、とたんに生きた言葉となり親近感を感じますね。こちらこそ馴れ馴れしくてすみません。「釈迦に説法」にならぬよう気をつけます(^^)

いつも身近な例え話でよく工夫されているなと感心します。掴みはバッチリと思いますが…
また「60を過ぎんば話せんこつがあっとぞ」の境地に近づいておられるように感じます。読む側もますます楽しみです。

26聖人殉教祭で凍えながら聴いた説教が生涯心に残るものとなり、そんな説教のできる司祭になりたいと語った相手(初任地で仕えた主任司祭でしたか)の「あん時に説教ばしよったのは、こん俺たい。司祭になってくれてありがとう」のエピソードなど、女子パウロ会から1冊の本が出てもおかしくないほどです。
こうして歴史は繰り返され、こうじ神父の説教も語り継がれて行くのでしょう。


大司教の2024年「年頭の手紙」にあるように、まずは身近な人との絆や連帯を再確認することが大事であると感じます。
こうじ神父の「ミサの帰りに青年バザーも覗いてね」「たまには平日朝のミサにもいらっしゃい」なども、これに通ずることでしょう。

長崎にはまだ、たくさんの希望(の種)が残されていると感じます。
この一年もいい話を聴かせていただき、ありがとうございました。

P.S.
聖家族の日に思い出しましたが、山田洋次監督、倍賞千恵子主演の「家族」の冒頭は、伊王島教会が登場しますね。こうじ神父は、いろんな巡り合わせをお持ちではないかと感じます。
Unknown (knkouji)
2024-01-25 20:31:17
中田神父は、上五島(行政の呼び方では新上五島町鯛ノ浦郷)の生まれです。実は五島弁(長崎弁)と言っても上五島と下五島とでは違いがあり、「通じなかったかな」と感じる瞬間があります。

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