こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第30主日(マタイ22:34-40)無関心を捨て、神への愛と隣人への愛に力を注ぐ

2023-10-28 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/10/29(No.1262)
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年間第30主日(マタイ22:34-40)
無関心を捨て、神への愛と隣人への愛に力を注ぐ
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10月のロザリオ、本当にご苦労さまでした。朝ミサ前のロザリオも立派でしたが、月・水・土曜日の子どもたちのロザリオは、本当に立派だったと思います。中田神父は子どもたちが集まってロザリオしていることに途中で気づき、何回か参加しました。教会の動きにまだついて行けず、申し訳なく思っています。

今週の福音朗読で律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねます。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」(22・36)これがなぜ「試している」となるのか。律法の専門家は、神が守るように示した律法を、どんな些細なことも漏らさず守ろうと努力していました。それが正しい道であり、それをできない人々は神の救いから外れていると考えていたのです。

そのような律法の専門家ですから、「どの掟が最も重要でしょうか」と尋ねたのは巧妙な「罠」でした。律法のうちのどれかを指して「これが最も大事だ」とイエスに答えさせて、「イエスは律法を漏らさず守ろうとしていない」と非難する口実を得ようとしていたのです。

律法の専門家たちの偽善が、ここに見えます。彼らは神が人をこよなく愛しておられること、人を愛しておられるから神は掟を守るように期待している、この点には関心がなかったのです。神が人を愛しておられることを何より大切に考えなければならないのに、掟だけを切り離して考え、掟を忠実に守っている自分にしか関心がなかったのです。

神が私たちを愛しておられることを心から感じられるなら、神の愛に、生活や掟で精一杯答えようとするでしょう。しかし神の愛に無関心であるなら、私たちは神の計らいに何も答えようとしないでしょう。

同じように、神が身近にいる人を心から愛しておられるのだから、自分もその身近な人を心から愛するように期待されています。しかし身近な人に無関心であれば、その隣人を愛そうとしないでしょう。神が時代時代に私たちを心から愛して働いてくださっているのに、私たちが隣人に目を向けず、手を差し伸べないとしたら、神は悲しむことでしょう。

掟だけを切り離して考える人は、掟を守ろうとする目の前の人が見えなくなり、無関心になります。先日教皇はイスラエルとパレスチナの住民のために、祈りと断食を呼びかけました。私たちはどうしても、テレビの中で起こっている出来事として切り離して考えてしまいます。

神が愛しておられる身近な人として見るために、教皇は祈りと断食を呼びかけました。今からでも遅くはありません。教皇がイエスの代理として、身近にいる人ですと示されたイスラエルとパレスチナの人々のために、祈りと犠牲をささげましょう。

掟には、神の愛が込められています。神を心を尽くして愛する。その答えとして、十戒や教会の掟を理解します。今泣いている人、今悲しんでいる人を神はいちばん近くにいる人として愛しておられます。その神に答えるために、私たちも泣いている人、悲しんでいる人を愛しましょう。そして具体的に手を差し伸べましょう。

神が私たちを愛してくださっている、そこに根ざして生活を整えていく時、私たちはイエスの愛の掟に生きる人になっていきます。

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‥次の説教は‥‥
年間第31主日(マタイ23:1-12)
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ちょっとひとやすみ
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▼上五島に「中ノ浦教会」という桐小教区の巡回教会がある。海辺の教会で、時折写真愛好家がシャッターチャンスを待つ姿を見かけることがあった。母親の顔を見に上五島に上陸し、奈良尾港から鯛ノ浦に弟の車で運んでもらう時だった。
▼その日は特別穏やかで、海面を揺らす風も吹かない。「これはもしかして、中ノ浦教会の『アレ』が見ることができるかも」と思いながら国道を走っていた。予想通りで、中ノ浦教会の「アレ」を見ることができた。それが「今週の1枚」。

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今週の1枚
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第869回目。中ノ浦教会の「アレ」。風がない、快晴の日に見られる光景。

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† 神に感謝 †
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年間第29主日(マタイ22:15-21)生き方で神のものは神に返す

2023-10-21 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/10/22(No.1261)
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年間第29主日(マタイ22:15-21)
生き方で神のものは神に返す
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「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」(22・18-19)イエス様のように私も問いかけてみましょう。「皆さん。ふだん使っているお金を見せなさい。」たとえば千円札は、だれの肖像と銘でしょうか。

毎日利用しているお金ですが、このお金に刷られている人物と私たちは、いったいどれくらい関わりがあるのでしょうか。千円札には野口英世が印刷されていますが、果たしてどれくらいお世話になった人物でしょうか。

「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(22・21)ユダヤの国をローマは征服し、支配していました。生活に行き渡っていた貨幣にはローマ皇帝の肖像が刻まれていましたが、当時の刻印技術ではぼんやりとした姿だったでしょう。そのように、人々とローマ皇帝との結びつきと言っても、ぼんやりしたものに過ぎませんでした。

それでも、何かしらの便宜は得ていたでしょうから、必要に応じて貨幣を使用することで世話になった分は返します。しかしそれよりも大事な「神のもの」は、どのように神に返せばよいのでしょうか。イエスは「できれば返してね」と言っているのではなく、強い命令として「神のものは神に返しなさい」と言っておられます。

ここで「どれが神のものか」を考えるのはあまり意味がありません。私たちの命は私たちが手に入れたものではないし、私たちに用意されている時間(人生と言っても良いですが)も、私たちが工面したものではありません。命と、どれくらい生きられるかの時間。どちらも神のものです。ですから私たちは命ある限り生きて、神にお返しをしなければなりません。

神にお返しをする生き方にもさまざまな形があります。森の木々は、成長する中で枝を伸ばしていきます。枝を切っても、また枝が伸びます。枝を神さまにお返しするものと考えるなら、木の幹は失わずに神さまにお返しすることができます。両立した生き方で神のものを神に返します。

ある人は、木の幹も最後に神さまにお返しします。自分の人生があるのは神様のおかげだったのだから、ありったけのものをお返しして構わない。幹の部分も喜んでお返しする人もいるでしょう。海外での話ですが、2022年、「パタゴニア」というキャンプ用品メーカー創業者が、すべての株式を環境団体に譲渡したことが話題になりました。毎年100億円を売り上げるメーカーですが、枝ではなく木の幹を手放しました。神さまが作られたこの地球環境のために、すべてを神に返したのです。

ここまでできる人はそんなにいませんが、これほど偉大な人でも、本人が生活に困るわけではありません。生きられなくなるわけではありませんし、時間も残されています。もし、本来なら残るはずの時間まで「神のものは神に返しなさい」と要求されたらどうなるでしょうか。

ほとんどの人は、「全財産を手放したのだから、時間まで手放す必要があるのですか?」と考えるでしょう。少なくとも、納得できないと返せないと考えるでしょう。人間ですから、「私の人生の残りの時間を、こんな形で返せと言われても困ります」そんな場面もあるでしょう。

無理とも思えるような形で「神のものは神に返しなさい」と言われて、私たちは従うことができるのでしょうか。「なぜですか」とさえ言いたくなる求めに、英雄的な形で応えた人々がいます。続きは、「牢屋の窄殉教祭」で話しましょう。どうぞ、おいでください。
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‥次の説教は‥‥
年間第30主日(マタイ22:34-40)
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ちょっとひとやすみ
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▼22日(日)は午後から牢屋の窄殉教祭のミサがある。打ち合わせもしっかりしたのに、私は殉教祭ミサの典礼を当日の朗読箇所と思い込んでいた。よく26聖人とか諸聖人とかで選ばれる「幸い」についての箇所だった。
▼年間第29主日の福音朗読に合わせてささっと原稿を書いて、Facebookにもアップしていたのだが、余裕の構えをしている時に限って何かが起こるものだ。慌てて修正を掛けること2時間。何とか、それらしく直した原稿ができあがった。神様は楽をしている人には厳しいのだとつくづく感じた。

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今週の1枚
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第868回目。キンモクセイ。香りを思い出せる植物の一つ。季節はすっかり秋。
http://ss104313.stars.ne.jp/231022.jpg

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† 神に感謝 †
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年間第28主日(マタイ22:1-14)救いを成し遂げてくださった方を証明する生き方が必要

2023-10-14 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/10/15(No.1260)
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年間第28主日(マタイ22:1-14)
救いを成し遂げてくださった方を証明する生き方が必要
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私たちの教会は、定期的に巡礼団が来てミサをささげますが、今月特別な方がおいでになります。大阪高松大司教区の教区長となられた前田万葉枢機卿様が28日(土)巡礼団と一緒においでになって、午後3時50分から福江教会でミサをささげてくださいます。浜脇教会でも、29日夕方4時からミサをささげてくださいます。特に浜脇教会では主任司祭を務められた方です。可能でしたらそれぞれ参加してください。

今週の福音朗読は、天の国を「王子の婚宴」にたとえています。「王子」は、イエス・キリストでしょう。ただ、イエス様のご生涯のどの部分を「婚宴」と言っているのでしょうか。イエス・キリストのとても大事な場面に、招いておいた人々は来ようとしなかったのです。

また、見かけた人はだれでも集められたと言うのですが、どの場面が当てはまるのでしょうか?中田神父は、「婚宴」が王子の生涯の決定的な場面であるなら、それはイエス・キリストの十字架の場面なのではないか、と考えました。

たとえ話の「招いておいた人々」は、おそらくユダヤ人です。先に、ユダヤ人が救われるはずでしたが、彼らは心を開くことなく、イエスを死に追いやったのです。

一方で、町の通りで見かけた人はだれでも婚宴に連れて来られました。当時の習慣では、貧しくて礼服を持たない人がいれば、招いた側が礼服も用意してあげることになっていました。しかし客の中に、礼服まで調えたのにそれを拒んだ人がいたのでしょう。その人は目の前にあったチャンスをみすみす逃しました。

これは、イエスの十字架上の出来事を振り返るとよく当てはまります。イエスの十字架のそばには、犯罪人も十字架にかけられていました。そして一人は回心して救われ、一人はそれをみすみす逃したのです。

ここで私たちは考える必要があります。「礼服」とは一体何だったのか、ということです。中田神父はこの「礼服」を、「救いを成し遂げてくださったイエスを証明する生き方」と受けとめました。「救い」そのものはイエスが十字架上で成し遂げてくださいました。しかしその救いは、私たちが生き方で証してこそ、一人ひとりに実現するものなのです。「イエス様が救ってくださったのだから、私たちは堕落した生き方をしても構わないのだ」ではない、ということです。

あらたまった場所に紺のスーツとネクタイをして出席すれば、ふだんは汚れが付いても気にしない人も、スーツにブラシをかけたりして常に良い状態を保とうとします。それはその人が、招かれていることを態度で証しているわけです。そのように、自分がイエスによって救われていることを忘れず信仰の良い状態を保とうとする時、私たちの救いは確かなものとなるのではないでしょうか?

私たちは一人残らず、イエスの十字架によって救いの宴に招かれたのです。私たちにできる生き方で、救いに招かれた者であることを証しましょう。あなたがどこででも十字架の印ができる。その一つ取っても、礼服を身につけているのだとすべての人の前で証明することになります。

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‥次の説教は‥‥
年間第29主日(マタイ22:15-21)
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ちょっとひとやすみ
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▼健康診断。内視鏡検査でポリープができていないか、毎年チェック。必要があればメスで切る。年に一度だが、しっかり診てもらう。それが5万円かかっても、健康診断は必要だ。肺がんで父を亡くしてから、ようやく人間ドックを受けることにした。
▼司祭団は小さな集団の割には重大な病気になる確率が高い。何と言っても検診。健康診断。命あっての物種である。絶対に過信してはいけない。あなたが先送りにしたことが引き金になって、命を落とすことになりかねない。

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今週の1枚
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第867回目。大司教館玄関の聖母像前にロザリオが趣ある形で置かれていた。

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年間第27主日(マタイ21:33-43)捨てられた御独り子を拾って救いの計画の親石とした

2023-10-07 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/10/8(No.1259)
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年間第27主日(マタイ21:33-43)
捨てられた御独り子を拾って救いの計画の親石とした
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今週の福音朗読箇所「ぶどう園と農夫のたとえ」は、先週の朗読箇所に引き続き、社会で指導的立場にあった「祭司長」や「民の長老たち」への強い非難が込められています。先週は、「あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じなかった」と非難します。

今週の朗読では「だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」と非難します。イエスはただ単に非難しているわけではなく、耳を傾けてもらいたくて強く言っているのです。

このような結果になるには、それなりの原因があるでしょう。今週の朗読で言えば、ぶどう園の主人が農夫たちに送った人々をすべて拒絶した、もっと強い言葉で言えば、捨てたことが原因です。農夫たちは三度捨てます。しかも、順を追うごとに強く捨て、ぶどう園の主人の悲しみは深くなっていくのです。

「これを捨てるのですか?」何を捨てられてガッカリするかは人によって少し違うかも知れませんが、誰が見ても「これは捨ててはいけないでしょう」というものはあると思います。ぶどう園の主人が送った僕を捨てることは、どう見てもやってはいけないことでした。捨ててはいけないものを捨てられて悲しんでいるのに、それでもぶどう園の主人は農夫からの収穫を期待しているのです。

人間的には、「いい加減にしろ」と叫びたくなる状況です。それを、ぶどう園の主人にたとえられている父なる神は、赦そうとしておられます。父なる神は、より深く捨てられたのにより深く赦し、実りに変えてくださる憐れみ深い方なのです。この神に、すべての人は心を開き、耳を傾けるべきです。

中田神父も、自分の感覚では決して捨てるはずのないものを捨てられているのを見て心を痛めたことがあります。結局そのときは中身を開けて取り出しました。私は人間に過ぎないので、「いい加減にしろよな」と思ったものです。しかし同時に、捨てられていたものを拾ったのだから、必ず収穫に変えて神さまにお返ししたいとも決意しました。

もちろん、中田神父が捨てたもので人を悲しませたり、神を悲しませたりしたことがあったかも知れません。もしそうであれば、ゆるしを請う以外にありません。捨ててはいけないものを捨ててしまった弱い人間を神が赦してくださったのですから、心を開き、耳を傾ける日々を積み重ねることにしましょう。

神は、御独り子を遣わし、捨てられても諦めませんでした。捨てられたのにみずから御独り子を拾い、隅の親石とし、救いを完成してくださいました。今日も私たちは、この憐れみ深い神に赦され、愛されて生きています。

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‥次の説教は‥‥
年間第28主日(マタイ22:1-14)
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ちょっとひとやすみ
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▼内線の問題。記憶力が低下して、助任2人の内線番号を覚えることができない。最近も内線番号を間違え、「あ~すまん。間違えたみたいだね」というケースがあった。こんな人は、よく使われる方法「冷蔵庫にメモを貼り付ける」という方法を試すべきかもしれない。
▼あちこちに貼り付けておけば、そもそも覚える必要など無いのかも知れない。しかし習慣的に記憶に頼る悪い癖は、簡単には直らない。手帳を買っても、1年間何も書かない年もある。手帳に確実にメモする人間にはとても変われそうにない。
▼実家に先月末に帰って驚いた。母親は、手帳を愛用していた。「感心だなぁ」と思ったのも束の間、手帳を引き出しにしまう様子を見て驚いた。今年の手帳と思われる物が10冊くらい並んでいた。今年10冊目に到達したのだと信じたい。

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今週の1枚
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第866回目。背景に一工夫した家庭祭壇のマリア様。渦を巻いているものは何?

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† 神に感謝 †
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