こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第22主日(マタイ16:21-27)示された道はだれも選ばない道

2011-08-28 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/08/28(No.550)
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年間第22主日
(マタイ16:21-27)
示された道はだれも選ばない道
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最近いろいろとついてないです。大雨の中250ccのバイクで走っていてバイクが故障し、業者に引き取ってもらおうと、その場で携帯電話から連絡を取っていたら、携帯電話も使えなくなりました。今バイクは何とか引き取ってくれる業者が見つかり、携帯電話は新しいものを手に入れましたが、ここ半年のデータを失ってしまいました。これ以上悪いことが続かないことを願っています。

バイクと言えば、道路を走る時、みなさんは前にだれかがいると邪魔だなぁと思うでしょうか。都合がいいなと思うでしょうか。わたしはよほど急いでいるとき以外は、前にだれかがいるのは都合がいいなと思います。

なぜかと言うと、前の車が、いろんな情報を早めに知らせてくれるからです。障害物があって、それを交わさなければならない時、先にいる車やバイクが交わしている様子を見て、「あ、何かがあるのだな」と前もって知ることができます。速度を守るためにも、前の車についてけばかなり楽でもあります。そういうわけで、わたしは先を行く車がいた方が安心します。

長距離のロードレースに参加したことのある人は経験があるでしょう。長い道のりを1人で走り抜くよりも、だれか適当な人にくっついて走り、勝負どころまで力を温存させた方がはるかに楽に走ることができます。前を行く人の後ろにつくというのは、たくさんの点で有利なのです。

今週の福音朗読で、イエスはご自分の死と復活を予告し、それを聞いたペトロが「主よ、とんでもないことです。」(16・22)と答えました。イエスはそのペトロを「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(16・23)とお叱りになります。この一連のやり取りは、「道を行くイエス」という見方で考えると、説教の初めに考えたことが生きてくると思います。

イエスがご自分の死と復活を予告したこと、これは、ご自分の歩く道を示したと考えることができます。復活に至る前に、十字架上で死ななければならない。このような道を示したのはイエスが初めてです。この先どんなことが待っているかわからないのですから、わたしたちの経験から言うと、イエスの後を従うことが大切です。

ところが、ペトロは「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」と答えました。これは、イエスに待っているこれからの道に、後をついていく態度ではなくて、前に立ちはだかり、道をふさごうとする態度だったのです。これから何が起こるかもわからないのに、イエスの前に立ちふさがっては、人は神の望みを全うすることはできないのです。

そこでイエスは、あえてペトロにきつい言葉をかけました。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」御父への道、救いの完成への道、復活への道を歩き通すには、あなたはわたしに従うべきである。この道がどのように続くのか、わたしの歩く姿を見て、学びながらついてきなさいと諭しているのです。

イエスは明らかに、自分の後ろに引きさがれと求めます。イエスの後を従う時、イエスの思いを理解するようになります。なぜ、十字架上の死を通る必要があるのか、だれも分からないのですから、後に従って学ぶ以外にありません。

わたしたちは、イエスの後に従う生き方を受け入れることができるでしょうか。イエスの後に従う生き方が、御父の思いを知る生き方、イエスの思いを知る生き方だと、固く信じてついていくことができるでしょうか。

もしかしたら、イエスが示す道は、この日本で誰も選ぼうとしない道かもしれません。自分を捨てて、自分の十字架を背負ってついていく道です。誰も、喜んで選ぼうとしないかもしれません。

けれども、イエスが示す道を、イエスの後から従う人がいなければ、自分の命を救うこともできないでしょうし、多くの人の命を救うこともできません。だれか、イエスが示す道を選んで生きてみようと、決心してほしい。心からそう願います。

本当に、だれも選ぼうとしない道かもしれません。だれかに相談しても、何でそんな生き方を選ぶの?そんなの間違っていると、ペトロのように心配して言ってくれる人がいるかもしれません。けれども、イエスが示す道は、確かにあるのです。

たとえばそれは、司祭を目指す道や、シスターを目指す道です。今この日本で、司祭やシスターを目指すと言ったらだれも理解してくれないかもしれません。同級生も、学校の先生も、家族も、理解できないと言うかもしれません。けれども、この道はイエスのために自分の命を失って、それを得る生き方です。

1人くらい、だれにも理解できない生き方を選ぶ人がいてもよいではありませんか。1人くらい、イエスのために命を失って生きる道を選んでもよいではありませんか。だれも理解できない道を、もし選んでくれるなら、わたしはずっと応援します。物心両面で応援します。

そして、だれも選ばなかった道が間違っていないのだと、人々の前に証明しましょう。イエスが示した道を選んで、最後まで歩き通す人が現れるよう、ミサの中で願うことにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第23主日
(マタイ18:15-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼ついてないけれども、人とたくさん出会った1週間だったかも。250ccバイクに乗っているときに、今年流行の「局地的な豪雨」に見舞われ、水が入ってはいけない部分に水が入り、3度エンストを起こして動かせなくなった。さんざん電話して、中古車販売をしている若い青年社長にバイクを見てもらえることになった。本人がバイク好きだという。
▼雨の中で、カバンに入れていたものはすべて水に濡れてしまった。携帯電話も使えなくなり、5000円も払って交換する羽目になった。2011年以降のデータはすべて失ってしまった。それでも、ケータイを失ったおかげで知り合えた人もいた。同じ経験をした人だったり、子供たちが同じ経験をしたんだと話しかけてくれる人だったり。嬉しかった。
▼先週も、巡礼者が来てくれた。今回の巡礼者はかなり五島に入れ込んでいる方で、巡礼帳にほぼすべてのスタンプが押されていた。船をチャーターしででもお目当ての教会に行こうという熱意には頭が下がる。本来の職業の話や、どのようにして自分がカトリックの信仰に導かれていったのか、カトリックの信仰ゆえに思い悩んでいることとか、勢いよく話してくれた。
▼日本では、カトリックの信仰は現実には少数派だ。1億2千万人以上いる中で、日本人のカトリック信者は40万人くらいだろう。100分の1で120万人。さらにその3分の1なのだから、0.33%しかいないのである。1000人いて、3人か4人なのである。特に首都圏では、カトリック信者に出会った場合、カトリック教会を知る窓は、出会った希少なその人がすべてとなる可能性がある。
▼わたしは、先週来てくれた人と言い、その前に来てくれた人と言い、カトリック教会を知る窓として十分に役割を果たすことのできる人たちだと思う。願わくは、もっともっとたくさんのカトリック信者が、自分自身は最初で最後、出会うかもしれないカトリックを知る窓なのだと思って、日々を過ごしてほしい。

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新企画今週の1枚
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第157回目。今年も巡礼に来てくれました。ほぼすべての教会を巡り記念の一枚。
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年間第21主日(マタイ16:13-20)揺るぎない信仰を見て、イエスは鍵を授ける

2011-08-21 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/08/21(No.549)
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年間第21主日
(マタイ16:13-20)
揺るぎない信仰を見て、イエスは鍵を授ける
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聖母被昇天の8月15日、今年は月曜日で翌火曜日が夕方のミサだったこともあってお休みを取らせてもらい、鯛ノ浦の実家に泊まりに行きました。実は末っ子でたった1人の妹がお産のために里帰りしておりまして、様子を見に行きたいという理由もありました。

妹はあと1カ月で出産の予定でして、よほどお腹が大きくなっているのだろうと見に行きましたら、わたしのお腹とたいして変りないくらいの大きさでした。わたしが適当に名前を付けてやろうかと妹に言いましたら、冗談じゃないと断られました。

さて今週の福音朗読は、ペトロがイエスへの信仰を言い表す場面です。ペトロが信仰を言い表した時の言葉と、イエスがペトロに約束してくれた天の国の鍵を授けることと、2つについて考えてみましょう。ペトロはイエスへの信仰を次のような言葉で言い表しました。「あなたはメシア、生ける神の子です。」(16・16)

非常に短い信仰宣言です。一言で言い表した、と言ってもよいでしょう。そこには、「あなたはわたしにとってすべてです」という力強い信仰が込められているのだと思います。

もう1人、立派に信仰を言い表した弟子として、復活後のトマスを挙げることができます。彼は最初イエスの復活を信じなかったのですが、最終的に「わたしの主、わたしの神よ」(ヨハネ20・28)と答えました。これも、「あなたはわたしのすべてです」という気持ちが込められていると思います。

ペトロの信仰告白を聞いたわたしたちは、まず、「あなたはわたしたちのすべてです」という信仰を表すことができるか、考えてみる必要があります。「イエスさま、あなたはわたしのすべてです」と言い表すことは、生活のすべての場面に、イエスさまへの信頼を優先させるということです。

家庭で、親が子供に何を第一だと教えるかは大切なことです。「勝つことがすべてだ」「何をしても自分が生き残ることがすべてだ」どんな原則を教えることも可能ですが、「イエスに信頼することがすべてだ」と教えることができたら、どんなに素晴らしいことでしょう。

わたしも、大いに反省するところがあります。1週間を区切りとして、「イエスがわたしのすべてだ」と考えて過ごしてきたかと振り返ると、実行できていないと恥ずかしくなります。釣りに行きたいなぁと思えば鉄砲玉のように飛んでいくし、説教を今よりももっと時間をかけることができるのに、いよいよになるまで準備を後回しにするし、本当に恥ずかしい限りです。

わたしたちにとって、ゆるぎない確信のもとに「イエスさまこそわたしのすべてです」と言い切ることができるなら、わたしの生活は表面的には今のままでも中身がすっかり変わるのではないでしょうか。

「イエスさま、あなたはわたしのすべてです。」このような信仰を言い表したペトロに、イエスは天の国の鍵を授けてくださいました。この、天の国の鍵は、人々を天の国に入りにくくするための鍵ではなく、1人でも多くの人を天の国に案内するための特別な権能、そう理解してよいのではないかと思います。

わたしの中には、「この人の心をすっかり天の国に向かわせたい」と思っている人がいます。地上には目を奪われそうな魅力的なものがたくさんあって、わたしが思っているその人を特にひきつけているものが何であるかもおおよそ分かっています。それでも、目を奪われている地上のものから離れて、天の国を見つめて生きる決心をさせたい人がいるのです。そのためには、わたしも、イエスから鍵を授けてもらう必要があると考えています。

「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」この言葉を、わたしもイエスから掛けてもらいたいと思っています。天の国を一心に見つめて生きていくように導く魔法の鍵といいますか、そういうものを授けてもらいたい。そう思うのです。

そのためには、説教の初めに考えたことが深くかかわっていると考えます。すなわち、わたしの信仰です。「イエスはわたしのすべてです」と、揺らぐことなく言い切る。その信仰をイエスが受け入れてくださった時、わたしにも天の国の鍵が授けられるのではないかと思っています。

ペトロは、1人でも多くの人を天の国に導くために鍵を授かりました。わたしは、1人でも2人でも、天の国をひたすら見つめて生きる人を掘り起こすために、イエスから鍵を授けてもらいたいと切望します。そのためにも、いつも、どんな場面でもイエスが優先するという生き方を全うしたいと思います。

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‥次の説教は‥‥
年間第22主日
(マタイ16:21-27)
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ちょっとひとやすみ
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▼今年も●●県から、懐かしい人がやって来てくれた。さんざん他愛のない話をした。この時点ですでに今週の説教と生き方の姿勢がずれていると思われるかもしれない。ただ、何でもない話を山のようにしたことで、すべてを笑い飛ばすあの自由さは、いったいどこから来るのだろうかと考えてもらうきっかけになればよいと思っている。
▼今月は●●県からもう1人来訪者の予定がある。その人とも1年ぶりの再会だ。再会前に、期待を膨らませ過ぎてしまったので、当日までに予定していた計画はちょっと難しくなったことを伝えなければならない。こういうお調子者の面が、まだまだ足りない部分、欠点なのだと思う。
▼ここからは興味ある人と興味ない人でまったく分かれる話。最新のコピー機はたいていスキャンしてPDFのデータに変換する機能を持っているが、ここ浜串でもわたしはその恩恵に十分浴している。大量のPDFデータのうち、今いちばん力を発揮してくれているのは説教の材料にしている資料だ。
▼これまでは、面倒でもその資料となる本を持ち運んだり、該当する日曜日のページだけをコピーして持ち歩いたりしていた。ところがそれもだんだん負担となって来て、PDFデータならどんなに助かるだろうかと考えていた。今は本当に助かっている。
▼ただ、このPDFのデータ化に若干の難がある。なぜか、サイズの小さな本をスキャンすると、B5か、A4の大きさでスキャンしてしまう。例を挙げれば、B6なのにB5横としてデータ化するため、左半分が本来のスキャンデータ、右半分が無地の空白というデータになってしまう。A5のスキャンの場合も同じ。
▼そこで、データに加工を加えることになる。すべての頁で、右半分は無駄なので、左半分だけを画像の中で切り取って画像として1頁ずつ保存し、最後にすべての頁を合成して本来願っていた形のデータとする。こんな面倒なことを、ちまちまと繰り返している。これも専門の事務員に頼みたいところだ。
▼その作業の中で、いちばん面倒なのが、全体から必要な半頁だけを切り取って保存し直す作業である。その他の作業は省略のしようがないが、この部分だけ、何とかならないかと思っていたら、意外なところに解決の糸口が見つかった。
▼Windowsだけに限った話なのだが、Windowsの標準ソフトに、「ペイント」というソフトがある。どういうわけか、このソフトは画像の四辺につまむ部分があり、右辺のつまみをつまんで中央部分までスライドさせると、画像そのものを左半分だけに縮めることができる。
▼これは便利だ。今までは左半分を切り取って、新しい画像として保存するか、切り取った画像を新しい画像として表示させ、もとの切り取られて白紙になった画像に上書きするか、どちらかしかなかったのである。
▼おかげで、本のデータ化はすこぶる順調。順調とは言っても、手持ちの●千冊の本でデータ化にふさわしい本をすべてデータ化するには、道のりは遠いのだが。専属の事務員がいたらなぁ・・・。

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新企画今週の1枚
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第156回目。「来客の見送り。うるうる来ました」という写真の予定。
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聖母の被昇天(ルカ1:39-56)マリアに模範を仰いで今日を過ごす

2011-08-15 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/08/15(No.548)
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聖母の被昇天
(ルカ1:39-56)
マリアに模範を仰いで今日を過ごす
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聖母の被昇天の祭日を迎えました。福音は、マリアがエリザベットを訪問した場面と、その時にマリアの口からほとばしり出た賛美です。わたしは、朗読された出来事の中に聖母被昇天を予感させる点があると考えました。

マリアは、先に身ごもった親戚のエリザベットを訪問します。他にも、エリザベットを訪ねて行った親戚がいたのかどうか、はっきり書いていませんが、少なくとも、マリアは自分のことを横においてでも、エリザベットの身の回りのお世話をすることを優先させました。自分のことを横において、人のことを優先する。これは言うのは易しいですが、実行するのは難しいのです。

マリアは、エリザベットと時を過ごしている間に、神が自分になさったことを賛美します。大胆に神をたたえたのです。心の中でつぶやくのではなく、神がなさったことはすばらしいと、だれもが耳にするようなはっきりした態度で、神をたたえました。これも、わたしたちにできそうでできない、立派な態度です。

これらを考え合わせると、マリアは、生きておられる時からわたしたちに優れた模範を示しておられたことがわかります。隣人を自分のように愛する姿、心をつくし、力を尽くし、思いを尽くして神を愛する姿。そのどちらも、わたしたちのお手本となってくださったのです。

ですから、マリアが天に上げられたというのも、人類にお手本として示された栄冠なのだと、わたしは考えました。人は皆、天の国の栄冠を目指しています。天の国はわたしたちが最終的に目指すところですが、マリアはその目指すべき場所におられるということです。

もっと大胆に言うと、わたしたちが目指すすべての場所に、マリアはおられるのではないでしょうか。神を愛する、その最高到達点に、マリアがおられる。隣人を、自分のように愛するその最高到達点に、マリアがおられる。

わたしたちがたどり着くべきすべての場所に、マリアがおられる。わたしたちの目標のすべては、マリアをお手本とすべきだと、今日聖母被昇天のお祝いを通して、神は教えてくださっているのだと思います。

そこで、わたしたちのことを振り返ってみましょう。8月15日は、わたしたちにとってどんなことを思い出す日でしょうか。太平洋戦争が終わったということでしょうか。戦争が終わって、平和のありがたさを強調する日でしょうか。

わたしは今年初めて知ったのですが、同じ8月15日は、聖フランシスコ・ザビエルが日本に上陸した記念日なのだそうです。そうすると、今日というこの日は、わたしたちが宣教活動を意識する日と考えてもよいと思います。

いろいろ、意識する日があるわけですが、わたしたちが意識するすべてのことの理想、お手本として、今日マリアを思い出す必要があると思います。これまで考えて来たように、マリアはすべてのことにおいて、わたしたちのお手本として輝いています。今日8月15日をどのように意識し、過ごしていくか。その模範として、マリアを思い描くことは素晴らしいのではないでしょうか。

わたしたちも、マリアに倣って神をたたえましょう。その中で、わたしたちの模範としてマリアを与えてくださったことを加えて神をたたえましょう。わたしたちが目指すべき天の国に、わたしたちのどんな目標の先にも、マリアは常にそこにいてくださいます。マリアに模範を仰いで、今日一日を過ごしましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第21主日
(マタイ16:13-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼ひとりごと。8月9日夜の平和祈願ミサに参加し、教区報「よきおとずれ」の編集作業をし、紙面に割りつけて印刷所に回す。この一連の作業のため、9日(火)から12日(金)午前中までずっと大司教館に滞在していた。
▼大司教館には最上階に引退司祭の居住スペースがあり、引退司祭のためなのか、小さなチャペルも設置されている。わたしは滞在中の水・木・金、個人的なミサをした。こんなに立て続けに個人的なミサをしたのは初めてである。
▼「主は皆さんと共に」「また司祭と共に」どちらも自分で言わなければならないのだが、わたしの脳裏には、はっきりと浜串の平日のミサに参加している人たちが浮かんでいた。わたしは浜串に来てまだ1年半も経っていないのだが、わたしが思い浮かべることができたのは浜串の人々だけだった。
▼嬉しいというか、習慣は恐ろしいというか、長く滞在し、記憶している人々ではなく、目の前の人々が思い浮かんだことを、驚きつつも感謝しながらミサをささげた。面白いことに、「主は皆さんと共に」「また司祭と共に」と一人で口ずさんでも調子が出てこない。ましてや長い長い奉献文を一人で唱えていると、いつも同じ言葉なのに続きが出てこない。いてもいなくても、司祭は一人で唱えているはずなのに、いないと続かないのである。
▼やはり、みなさんと共にミサをささげるということは、素晴らしいことなのだと気づかされた。大司教館に、長崎のことをするためにいるのに、浜串に戻りたい気持ちになった。自分の居場所というか、待っていてくれる場所は、今は浜串なのだと、あらためて実感したひと時だった。

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新企画今週の1枚
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第155回目。ハウステンボス、行きたかったなぁみたいな。やや、意気消沈?
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年間第20主日(マタイ15:21-28)神の与えるパンに養われ導かれる

2011-08-14 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/08/14(No.547)
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年間第20主日
(マタイ15:21-28)
神の与えるパンに養われ導かれる
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小学生の皆さん、ドッヂボール大会は本当に惜しかった。予選1位通過が最初の関門だったけれども、予選2位通過になってしまって、ちょっとハウステンボスは届かなかったね~。代わりに、少し価値は下がるけれども、全員ソフトクリームを帰りに食べることができたので、良かったですね。来年、もっとレベルアップして、予選1位通過でもっと上位を狙いましょう。

イノシシの話は、もうすでに広まっているでしょうか。たぶん、噂が噂を呼んで、全員がこの話はご存知でしょうから、省略します。イノシシに車をぶつけてしまって、修理にかかった費用は76230円でした。

最近食べ物のことでわたしが気になることが1つあります。トウモロコシのことですが、最近のトウモロコシはなぜか甘いですよね。果物みたいとは言いませんが、塩味のトウモロコシしか知らないわたしには、ちょっと違和感があります。しかも、生でもかじることができるくらい、やわらかい。

そこから話がつながっていくのですが、一般に、人は親が与える味付けの食べ物を食べるものです。とうもろこしにしろ、卵焼きにしろ、親がつけた味が、食べ物の味として子どもに植え付けられていきます。人は、親が与える「食べ物」を食べるのです。

今週の福音朗読に当てはめてみましょう。イエスがカナンの女に語ったたとえの中に、「パン」が出てきました。「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」(15・26)人は、親が与える「パン」を食べるものです。

ここで言われている「パン」はもちろん食べ物としてのパンでもありますが、わたしは、「親が与える生き方、考え方」と考えてもよいと思います。人は、親から与えられる生き方、考え方を食べて育っていくのです。

イエスが念頭に置いて話している親子関係は、ユダヤ人社会の中での親子関係です。ですから、ユダヤ人の親が子に与える「パン」、言いかえるとユダヤ人が親から子に伝える考え方、生き方は、「神の望みにかなう考え方、生き方」のことです。

この「神の望みにかなう考え方、生き方」を、ユダヤ人の親がその子に与えずに、わが子を差し置いて外国人に与えるということは考えられない態度のはずです。わが子を神の望みに向かわせようとしないまま、外国人を神の望みに向かわせようとするのは物事の順序を外れています。

ですから、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになったのです。すべてのユダヤ人が、神の望みにかなう生き方を身につけてから、外国人にも同じ生き方の門が開かれるべきだと、イエスは原則を説いたわけです。

ところが、カナンの女性は見事に食い下がりました。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(15・27)イエスが諭された原則はもっともなのですが、外国人も、唯一の神の望みにかなう考え方、生き方を教えていただいて、唯一の神をたたえることはゆるされるはずです。カナンの女性はその点をイエスに認めてもらいました。

わたしたちにも、カナンの女性の信仰が必要です。機転の利いた答えばかりに目を奪われがちですが、その中心にある考え方は、「わたしたちは、神の望みにかなう考え方、生き方をいただいて養われたいのです」という願いです。

イエスに願うのは、今の苦しみから逃れたいとか、目の前の困難を避けて通りたいとか、初めはそうした願いかもしれません。けれども、目の前のことをいくつ解決しても、きりがないのです。それは買い物と同じです。目の前の必要を満たす買い物をどれだけしても、買い物にきりはないのです。

むしろ、「今の困難の中で、神の望みにかなう生き方ができるよう、導いてください」と声を上げることが大事です。これが、カナンの女性の信仰につながっていきます。「どれだけ買い物してもきりがありません。物の多い少ないでわたしの価値は変わったりしないことを、教え導いてください」と、声を上げたいものです。

小学生の皆さん、ドッヂボールで来年もっと上位になれるように祈ってください。あわせて、この大会で神さまはわたしをどこに導いてくださるのですか、もしかしたら神父さまやシスターになるように導いてくださいますかと、尋ねてみてほしいと思います。

神は今日、目の前のパンだけでなく、永遠の命に至るパンも与えようとしておられます。神が与えてくださるパンを食べ、神の招きに気付いて日々歩んでいくことができるよう、ミサの中で願いましょう。

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‥次の説教は‥‥
聖母の被昇天
(ルカ1:39-56)
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ちょっとひとやすみ
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▼イノシシはこわい。どこから飛び出すか分からない。峠を上り、下った瞬間に、イノシシとぶつかった。ごろっと転がしてしまった。その日は11時の船にどうしても乗る必要があって、そのまま放置して移動した。
▼無責任なことをしたせいか、車はオーバーヒート。急いで招いた自動車整備工場の店員によると、ラジエーターが破れてしまい、エアコンも壊れているらしい。車は引き取ってもらい、保育所の園長にも来てもらって、自分はターミナルに連れて行ってもらった。
▼修理にどれくらいの費用と日数が必要か分からないが、場合によっては買い換えることになるかもしれない。保険会社にも状況を説明したが、「車両保険」というのを掛けていないと、修理費は出ないらしい。「対人対物賠償」というのを掛けていた記憶があるので大丈夫かもと思っていたが、役に立たなかった。
▼1日経過して、修理工場から電話がかかった。修理費用はおよそ7万5千円になるという。7万5千円なら、買い換えまではいかない。辛抱して、あと一度車検を通すことにした。一時は、三菱自動車の「デリカ●●」を買ってみようかなぁ、とまで考えたのだけれども、実現しなかった。
▼「イノシシ保険」という専用の保険があるとかないとか。上五島では、「イノシシ」「シカ」が頻繁に道路に出てくるので、保険が必要だと思う。イノシシで車を取られることを思えば、2千円とか、3千円保険料が上がっても、それは我慢できる。2倍になるなら話は別だ。
▼今年10月に、車検が切れる。まあ、車検を通したとして、あと2年乗れば上等だろう。次回検討してみたい車は、ハイブリッド車。まだ電気自動車は時期尚早。もちろん、電気自動車という選択肢もないわけではないが、何せ車種が限られる。それなら、燃費もかなりよくなっているガソリン車でも構わないだろう。2年後に、またこの話をする予定。

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新企画今週の1枚
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第154回目。車も凹み、心も凹んだ。
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年間第19主日(マタイ14:22-33)イエスは手を伸ばして捕まえてくださる

2011-08-07 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/08/07(No.546)
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年間第19主日
(マタイ14:22-33)
イエスは手を伸ばして捕まえてくださる
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先週、雲仙で開催された「召命フェスティバル」に、小学5・6年生の4人を連れていきました。もっと下の学年から連れて行ってもよかったのですが、司祭・修道者への神さまの呼びかけを真剣に考えるためには、今回の判断は適当だったと思っています。
もちろんすぐに司祭になりたい、シスターになりたいと言い出す子供はいないと思いますが、今回の集いで見たこと、考えたことは、これから召命を考える財産になると思います。

いろいろな修道会のシスターたちを見ましたし、司祭が身近なところできっかけをつかんで神学校に行くようになるということも、分かりやすく教えてもらったと思います。あとは、自分の身近なところで、神さまの特別な呼びかけを見つけてほしいと願っています。

今週は、ペトロが湖の上を歩くイエスに近づこうとする話です。弟子たちはイエスに促されて舟に乗り込み、向こう岸へ渡ろうとしています。舟は逆風のために波に悩まされます。舟はまた、「教会」の象徴とも言われています。嵐にほんろうされる舟は、教会の姿でもあるわけです。

そこへイエスが、湖の上を歩いて弟子たちに近づきます。ペトロがイエスに信頼を置いて舟から湖に乗り出し、イエスに近づこうとしますが、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたのでイエスに助けを求めました。これも、降りかかる試練や迫害に怖くなって助けを求める教会の姿でもあります。

そんな信仰の薄いペトロを、イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「なぜ疑ったのか」と声をかけました。イエスは、ペトロが怖くなったことを責めたりはしません。むしろ励ましました。ペトロは信仰を持っていなかったのではなく、信仰が薄かったので、励まして、本来の信仰に立ち返らせようとしたのです。

今もイエスは教会に手を伸ばし、「なぜ疑ったのか」と声をかけます。教会の民は信仰が薄いために怖くなることがありますが、「主よ助けてください」と呼び掛ける者には、すべて励ましの言葉を与えてくださいます。怖くなったことを叱るのではなく、怖くなっても信じ続ける信仰をイエスは求めているのです。

イエスへの信仰を持たないことと、信仰が薄いこととは違いがあります。イエスへの信仰がない人は、イエスに導いてもらうことをしませんが、信仰が薄い人であれば、イエスの導きを求めてきます。ペトロは、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」(14・28)と願いました。教会もまた、迫害や異端に悩まされたり道をそれた時、イエスに導きを願いました。

信仰がなければ、イエスに助けてくださいと叫ぶこともありませんが、ペトロは怖くなったときにイエスに助けを求めました。教会も、危険を前にして常にイエスに助けを求め、手を伸ばして捕まえてもらっています。わたしたちはみな、信仰を持っていないのではなく、信仰が薄いために道をそれたり怖くなったりしているのです。

常に、一歩を踏み出す必要があります。イエスがわたしたちに「来なさい」と呼び掛けるときは必ず、そばにいてくださるのです。怖くなり、沈みかけた時にすぐに手を伸ばして捕まえることができるように、近くにおられるのです。そのことを信頼し、常に一歩を踏み出すことが、今週わたしたちにも求められているのではないでしょうか。

家庭で、祈りの習慣が身につかないと悩んでいる人もいます。教会に足を向けてくれないと心配している保護者がいます。一歩を踏み出す必要があるのです。あなたが一歩を踏み出す時、もしも沈みかけて怖くなったら、イエスは必ず手を伸ばして捕まえてくださいます。信頼して、今日の一歩を踏み出しましょう。

司祭を目指す子供たちが少ないと、教区全体でとても心配しています。召命フェスティバルに参加したことで浜串教会も一歩を踏み出しました。思い悩んで沈みそうになったら、助けてくださいと正直に叫びましょう。きっとイエスが助けてくださいます。

わたしたちが、イエスへの信仰を生活の柱に据えて生きる。この決意で一歩を踏み出しましょう。不安が生じ、怖くなった時は助けを求めましょう。いつもイエスは、手を伸ばして捕まえる距離を保って、わたしたちを導いてくださいます。

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‥次の説教は‥‥
年間第20主日
(マタイ15:21-28)
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ちょっとひとやすみ
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▼「8月7日は日曜日のミサが7時から6時に変わったんだって」いつの間にかそういう話が出回って、ミサの時間で混乱している御年配がいると聞いた。2人の人が「ミサの時間が変更になったと聞いたそうですが」と尋ねて来た。
▼どうやら8月9日の夕方のミサを、朝8時に変更したことが、いつの間にか日曜日のミサを変更したことになっているらしい。この「はっきりしないミサ時間」を触れ回った人と、その話を聞いて惑わされた人は、主任司祭に名乗り出てほしい。主任司祭はお知らせの効果がなかったのだろうかとけっこうショックを受けている。
▼お知らせはしっかり入れているし、主任司祭の出張予定の表にも、同じことが書かれている。これ以上何を、どうお知らせしたらよいのだろうか。お知らせのメモを用意しなければならないのか?
▼お知らせのメモを毎週用意していたら、わたしは週末、雑用ばかりで説教を考えることができなくなる。事務を専門に扱う人を雇いたいのは山々だが、それを可能にする人件費はどこにもない。
▼今回の件では本当に心を痛めている。お知らせして、混乱している。どうすれば正確にお知らせが伝わるのだろうか。わたしは内心は、ミサの時間を6時と聞き違えた人は、6時からずっと待っていてほしいと思っている。つまり、わたしは悩みたくないのである。

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新企画今週の1枚
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第153回目。召命フェスティバルに行った子供たち。神ノ島の聖母像の前で。
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ホームページもご覧ください。
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