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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/30(No.1235)
‥‥‥†‥‥‥‥
復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)
「門」「門番」になってくれる人を支えてほしい
‥‥‥†‥‥‥‥
「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(10・9)「門」は、「門番」でもあります。すべての人がこの門、また門番を通って豊かに命を受けます。中田神父は「見える姿の門番」として、井持浦小教区・浜脇小教区・福江小教区に派遣されました。
三十年の司祭生活を経て、ようやくこの小教区の門番を任されました。この門を出入りして、この教会のみことばと御聖体で、説教で、豊かに命を得ることができるように、精一杯尽くしたいと思います。今日は「世界召命祈願の日」ですから、召命に結びつけて話したいと思います。
中田神父がこの教会の門を開くまでに、たくさんの出会いをしました。たくさんの人に助けられてきました。その最初の出会いと言える体験を、今日は話したいと思います。今から四十年以上前の話です。
当時私はすでに神学生でした。夏休みの終わり、8月31日、五島から神学校に帰る日のことです。前の日に私は荷物を準備し、翌日いつものように神学校に帰る予定でした。ところが8月30日の夜中に、弟がひどい熱を出して、救急車で病院に運ばれていきました。
母もいっしょに病院に行きました。その時母は、「自分で何とかして帰りなさい」とだけ言って病院に行ったのです。けれども困ったことに私は母親からお金を1円も預かっていなかったのです。バス代も、船賃もありませんでした。
悪いことは続きます。バス停に行ってみると、もうバスは出発していました。私が時間を間違えたのかも知れません。当時、鯛ノ浦から奈良尾フェリーターミナルに行くためには、バスに2時間以上乗らなければなりませんでした。お金は持っていないので、もうほかに港に行く方法はありませんでした。
悲しくなって、バス停に立ち尽くしていると、知らないおじさんが声をかけてきました。「あんた、輝明さんとこの神学生やろ」「はい」「神学校に今日帰っとね?」「はい、けれども、バスに乗り損ねて行けなくなりました。」私は前の日からのことを話して、もうバスもいないし、帰ることが出来なくなったと話しました。泣きたい気持ちでした。
すると、そのおじさんはポケットからお金を出して、私に握らせてくれました。一万円でした。当時の一万円です。今なら五万円の価値があるでしょう。おじさんは私に、「タクシーばつかまえてすぐ港に行かんね」と言ってくれました。
私はお礼を言わなければいけないので、「おじさん、名前を教えてください」と言いました。するとそのおじさんは、「おじさんはおじさんたい。子どもは心配せんでよか。はよう行け」と言って、いなくなってしまったのです。
今でも、そのおじさんの名前は分かりません。生きているのかどうかも分かりません。けれども、そのおじさんは神学生になったばかりの私、海の物とも山の物とも知れぬ私に大金をくださったのです。四十年前の一万円を、惜しげも無く、「この子が将来司祭となって、イエス様の代理として教会の門番になってくれればそれでいい」ただそれだけで、差し出してくれたのです。
そのおじさんは、実際には聖書や信仰のことを話したわけではありません。けれども、イエスの教えを完全に実行したと思っています。災難の前に打ちひしがれている哀れな神学生を見て、私より先にイエス様の「門」「門番」になってくれて、神学校に無事に導いてくれたのです。「あなたもこのような門番になれ。迷える羊の羊飼いになれ。」姿で、教えてくださったのです。
当時のおじさんのことを、私は決して忘れません。おじさんは私に、羊の門であるイエス様をはっきりと示してくれたのです。私のように、途方に暮れている人を見つけて、一人でも多く教会の門をくぐらせてくれよと、態度で教えてくれたのです。
タクシー代を持たせてくれたおじさんに、私は返すものが何もありませんでした。一万円よりも尊いものを、私は持っていなかったのです。けれども、私が司祭を目指している。イエスのために長崎で勉強している。それでおじさんには十分だったので、託してくれたのです。
さて今日は、「世界召命祈願の日」です。イエスは今でも、私たちに声をかけて、「わたしについて来なさい」と言っています。父や母を愛することは当然のことです。親が、息子や娘を愛することも当然のことです。それでも、神のことを優先する人がいます。神の招きが何よりも大切だと感じた人は、今までいちばん大事だと思っていたものでも、順番を一つ下げることができるのです。
そしてそれはイエスの時代だけでなくて、今でも続いているのです。私が出会ったおじさんは、ポケットの一万円を、他のことにも使えたはずです。けれども考えていた順番を一つ下げて、神学校に帰れなくなって困っている少年に使うことにしたのです。神様のためにお金を使うことを、順番を最優先にしてくれたのです。
長崎教区で、社会人から神学校に入った人たちがいます。私の知っている人を二人挙げます。上五島・曽根教会の青田神父様、また大村・水主町教会の山田良明神父様。いずれも社会人としてすでに立ち位置があった人でした。能力もあり、社会で成功できる人でした。それを、神のために順番を一つ下げて、神の招きを最優先にして司祭となられたのです。喜んで、イエスに仕える人になったのです。
私たちも、見倣うことができると思います。イエスが期待しておられることに照らして、自分の生活で何が優先なのかを考える。いざとなったら、今まで最重要だった目の前のものの順番を一つ下げる。それは痛みを伴うかも知れませんが、実行すれば周囲の人を驚かせる証になると思います。「カトリック信者は、今目の前のことよりも、神様のことを優先できる人なんだな」と、尊敬してくれると思います。
「この世のものの価値を、永遠のものの価値と置き換えることはできません。これが私の信仰です。」この一言だけ、イエスに返事をして今週も生活に戻っていきましょう。その答えがあれば、生活すべてに、神の心にかなう順番を付けることができるようになるはずです。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼いまだ、YouTubeのミサ動画を再開できていない。福江教会の信徒総会を経たら、何とか再開できるかも知れない。今週は福江教会ではなく、井持浦教会で主日のミサの司式をしている。三つの小教区の主任なので、せめて月に一度は、井持浦と浜脇の主日ミサの司式をしたい。
▼それにしても手が足りない。こまごまとした作業をいちいち助任司祭にさせるわけにもいかず、かと言って放っておくことのできる性分でもない。今すぐにでもアシスタントを雇いたいが、私の要望を叶えてくれるアシスタントは、そう簡単には見つからないのだ。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第842回目。心はささくれ立っているが、せめて花を愛でて心を取り戻したい。
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† 神に感謝 †
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復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)
「門」「門番」になってくれる人を支えてほしい
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「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(10・9)「門」は、「門番」でもあります。すべての人がこの門、また門番を通って豊かに命を受けます。中田神父は「見える姿の門番」として、井持浦小教区・浜脇小教区・福江小教区に派遣されました。
三十年の司祭生活を経て、ようやくこの小教区の門番を任されました。この門を出入りして、この教会のみことばと御聖体で、説教で、豊かに命を得ることができるように、精一杯尽くしたいと思います。今日は「世界召命祈願の日」ですから、召命に結びつけて話したいと思います。
中田神父がこの教会の門を開くまでに、たくさんの出会いをしました。たくさんの人に助けられてきました。その最初の出会いと言える体験を、今日は話したいと思います。今から四十年以上前の話です。
当時私はすでに神学生でした。夏休みの終わり、8月31日、五島から神学校に帰る日のことです。前の日に私は荷物を準備し、翌日いつものように神学校に帰る予定でした。ところが8月30日の夜中に、弟がひどい熱を出して、救急車で病院に運ばれていきました。
母もいっしょに病院に行きました。その時母は、「自分で何とかして帰りなさい」とだけ言って病院に行ったのです。けれども困ったことに私は母親からお金を1円も預かっていなかったのです。バス代も、船賃もありませんでした。
悪いことは続きます。バス停に行ってみると、もうバスは出発していました。私が時間を間違えたのかも知れません。当時、鯛ノ浦から奈良尾フェリーターミナルに行くためには、バスに2時間以上乗らなければなりませんでした。お金は持っていないので、もうほかに港に行く方法はありませんでした。
悲しくなって、バス停に立ち尽くしていると、知らないおじさんが声をかけてきました。「あんた、輝明さんとこの神学生やろ」「はい」「神学校に今日帰っとね?」「はい、けれども、バスに乗り損ねて行けなくなりました。」私は前の日からのことを話して、もうバスもいないし、帰ることが出来なくなったと話しました。泣きたい気持ちでした。
すると、そのおじさんはポケットからお金を出して、私に握らせてくれました。一万円でした。当時の一万円です。今なら五万円の価値があるでしょう。おじさんは私に、「タクシーばつかまえてすぐ港に行かんね」と言ってくれました。
私はお礼を言わなければいけないので、「おじさん、名前を教えてください」と言いました。するとそのおじさんは、「おじさんはおじさんたい。子どもは心配せんでよか。はよう行け」と言って、いなくなってしまったのです。
今でも、そのおじさんの名前は分かりません。生きているのかどうかも分かりません。けれども、そのおじさんは神学生になったばかりの私、海の物とも山の物とも知れぬ私に大金をくださったのです。四十年前の一万円を、惜しげも無く、「この子が将来司祭となって、イエス様の代理として教会の門番になってくれればそれでいい」ただそれだけで、差し出してくれたのです。
そのおじさんは、実際には聖書や信仰のことを話したわけではありません。けれども、イエスの教えを完全に実行したと思っています。災難の前に打ちひしがれている哀れな神学生を見て、私より先にイエス様の「門」「門番」になってくれて、神学校に無事に導いてくれたのです。「あなたもこのような門番になれ。迷える羊の羊飼いになれ。」姿で、教えてくださったのです。
当時のおじさんのことを、私は決して忘れません。おじさんは私に、羊の門であるイエス様をはっきりと示してくれたのです。私のように、途方に暮れている人を見つけて、一人でも多く教会の門をくぐらせてくれよと、態度で教えてくれたのです。
タクシー代を持たせてくれたおじさんに、私は返すものが何もありませんでした。一万円よりも尊いものを、私は持っていなかったのです。けれども、私が司祭を目指している。イエスのために長崎で勉強している。それでおじさんには十分だったので、託してくれたのです。
さて今日は、「世界召命祈願の日」です。イエスは今でも、私たちに声をかけて、「わたしについて来なさい」と言っています。父や母を愛することは当然のことです。親が、息子や娘を愛することも当然のことです。それでも、神のことを優先する人がいます。神の招きが何よりも大切だと感じた人は、今までいちばん大事だと思っていたものでも、順番を一つ下げることができるのです。
そしてそれはイエスの時代だけでなくて、今でも続いているのです。私が出会ったおじさんは、ポケットの一万円を、他のことにも使えたはずです。けれども考えていた順番を一つ下げて、神学校に帰れなくなって困っている少年に使うことにしたのです。神様のためにお金を使うことを、順番を最優先にしてくれたのです。
長崎教区で、社会人から神学校に入った人たちがいます。私の知っている人を二人挙げます。上五島・曽根教会の青田神父様、また大村・水主町教会の山田良明神父様。いずれも社会人としてすでに立ち位置があった人でした。能力もあり、社会で成功できる人でした。それを、神のために順番を一つ下げて、神の招きを最優先にして司祭となられたのです。喜んで、イエスに仕える人になったのです。
私たちも、見倣うことができると思います。イエスが期待しておられることに照らして、自分の生活で何が優先なのかを考える。いざとなったら、今まで最重要だった目の前のものの順番を一つ下げる。それは痛みを伴うかも知れませんが、実行すれば周囲の人を驚かせる証になると思います。「カトリック信者は、今目の前のことよりも、神様のことを優先できる人なんだな」と、尊敬してくれると思います。
「この世のものの価値を、永遠のものの価値と置き換えることはできません。これが私の信仰です。」この一言だけ、イエスに返事をして今週も生活に戻っていきましょう。その答えがあれば、生活すべてに、神の心にかなう順番を付けることができるようになるはずです。
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復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)
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ちょっとひとやすみ
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▼いまだ、YouTubeのミサ動画を再開できていない。福江教会の信徒総会を経たら、何とか再開できるかも知れない。今週は福江教会ではなく、井持浦教会で主日のミサの司式をしている。三つの小教区の主任なので、せめて月に一度は、井持浦と浜脇の主日ミサの司式をしたい。
▼それにしても手が足りない。こまごまとした作業をいちいち助任司祭にさせるわけにもいかず、かと言って放っておくことのできる性分でもない。今すぐにでもアシスタントを雇いたいが、私の要望を叶えてくれるアシスタントは、そう簡単には見つからないのだ。
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