こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)「門」「門番」になってくれる人を支えてほしい

2023-04-28 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

■■YouTubeチャンネル登録はこちら■■
https://www.youtube.com/channel/UCYRgrlA29PNjJmB0gngYQqA

↓↓聖週間の説教一覧はこちらから↓↓
ご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/230430.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/30(No.1235)
‥‥‥†‥‥‥‥
復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)
「門」「門番」になってくれる人を支えてほしい
‥‥‥†‥‥‥‥

「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(10・9)「門」は、「門番」でもあります。すべての人がこの門、また門番を通って豊かに命を受けます。中田神父は「見える姿の門番」として、井持浦小教区・浜脇小教区・福江小教区に派遣されました。

三十年の司祭生活を経て、ようやくこの小教区の門番を任されました。この門を出入りして、この教会のみことばと御聖体で、説教で、豊かに命を得ることができるように、精一杯尽くしたいと思います。今日は「世界召命祈願の日」ですから、召命に結びつけて話したいと思います。

中田神父がこの教会の門を開くまでに、たくさんの出会いをしました。たくさんの人に助けられてきました。その最初の出会いと言える体験を、今日は話したいと思います。今から四十年以上前の話です。

当時私はすでに神学生でした。夏休みの終わり、8月31日、五島から神学校に帰る日のことです。前の日に私は荷物を準備し、翌日いつものように神学校に帰る予定でした。ところが8月30日の夜中に、弟がひどい熱を出して、救急車で病院に運ばれていきました。

母もいっしょに病院に行きました。その時母は、「自分で何とかして帰りなさい」とだけ言って病院に行ったのです。けれども困ったことに私は母親からお金を1円も預かっていなかったのです。バス代も、船賃もありませんでした。

悪いことは続きます。バス停に行ってみると、もうバスは出発していました。私が時間を間違えたのかも知れません。当時、鯛ノ浦から奈良尾フェリーターミナルに行くためには、バスに2時間以上乗らなければなりませんでした。お金は持っていないので、もうほかに港に行く方法はありませんでした。

悲しくなって、バス停に立ち尽くしていると、知らないおじさんが声をかけてきました。「あんた、輝明さんとこの神学生やろ」「はい」「神学校に今日帰っとね?」「はい、けれども、バスに乗り損ねて行けなくなりました。」私は前の日からのことを話して、もうバスもいないし、帰ることが出来なくなったと話しました。泣きたい気持ちでした。

すると、そのおじさんはポケットからお金を出して、私に握らせてくれました。一万円でした。当時の一万円です。今なら五万円の価値があるでしょう。おじさんは私に、「タクシーばつかまえてすぐ港に行かんね」と言ってくれました。

私はお礼を言わなければいけないので、「おじさん、名前を教えてください」と言いました。するとそのおじさんは、「おじさんはおじさんたい。子どもは心配せんでよか。はよう行け」と言って、いなくなってしまったのです。

今でも、そのおじさんの名前は分かりません。生きているのかどうかも分かりません。けれども、そのおじさんは神学生になったばかりの私、海の物とも山の物とも知れぬ私に大金をくださったのです。四十年前の一万円を、惜しげも無く、「この子が将来司祭となって、イエス様の代理として教会の門番になってくれればそれでいい」ただそれだけで、差し出してくれたのです。

そのおじさんは、実際には聖書や信仰のことを話したわけではありません。けれども、イエスの教えを完全に実行したと思っています。災難の前に打ちひしがれている哀れな神学生を見て、私より先にイエス様の「門」「門番」になってくれて、神学校に無事に導いてくれたのです。「あなたもこのような門番になれ。迷える羊の羊飼いになれ。」姿で、教えてくださったのです。

当時のおじさんのことを、私は決して忘れません。おじさんは私に、羊の門であるイエス様をはっきりと示してくれたのです。私のように、途方に暮れている人を見つけて、一人でも多く教会の門をくぐらせてくれよと、態度で教えてくれたのです。

タクシー代を持たせてくれたおじさんに、私は返すものが何もありませんでした。一万円よりも尊いものを、私は持っていなかったのです。けれども、私が司祭を目指している。イエスのために長崎で勉強している。それでおじさんには十分だったので、託してくれたのです。

さて今日は、「世界召命祈願の日」です。イエスは今でも、私たちに声をかけて、「わたしについて来なさい」と言っています。父や母を愛することは当然のことです。親が、息子や娘を愛することも当然のことです。それでも、神のことを優先する人がいます。神の招きが何よりも大切だと感じた人は、今までいちばん大事だと思っていたものでも、順番を一つ下げることができるのです。

そしてそれはイエスの時代だけでなくて、今でも続いているのです。私が出会ったおじさんは、ポケットの一万円を、他のことにも使えたはずです。けれども考えていた順番を一つ下げて、神学校に帰れなくなって困っている少年に使うことにしたのです。神様のためにお金を使うことを、順番を最優先にしてくれたのです。

長崎教区で、社会人から神学校に入った人たちがいます。私の知っている人を二人挙げます。上五島・曽根教会の青田神父様、また大村・水主町教会の山田良明神父様。いずれも社会人としてすでに立ち位置があった人でした。能力もあり、社会で成功できる人でした。それを、神のために順番を一つ下げて、神の招きを最優先にして司祭となられたのです。喜んで、イエスに仕える人になったのです。

私たちも、見倣うことができると思います。イエスが期待しておられることに照らして、自分の生活で何が優先なのかを考える。いざとなったら、今まで最重要だった目の前のものの順番を一つ下げる。それは痛みを伴うかも知れませんが、実行すれば周囲の人を驚かせる証になると思います。「カトリック信者は、今目の前のことよりも、神様のことを優先できる人なんだな」と、尊敬してくれると思います。

「この世のものの価値を、永遠のものの価値と置き換えることはできません。これが私の信仰です。」この一言だけ、イエスに返事をして今週も生活に戻っていきましょう。その答えがあれば、生活すべてに、神の心にかなう順番を付けることができるようになるはずです。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼いまだ、YouTubeのミサ動画を再開できていない。福江教会の信徒総会を経たら、何とか再開できるかも知れない。今週は福江教会ではなく、井持浦教会で主日のミサの司式をしている。三つの小教区の主任なので、せめて月に一度は、井持浦と浜脇の主日ミサの司式をしたい。
▼それにしても手が足りない。こまごまとした作業をいちいち助任司祭にさせるわけにもいかず、かと言って放っておくことのできる性分でもない。今すぐにでもアシスタントを雇いたいが、私の要望を叶えてくれるアシスタントは、そう簡単には見つからないのだ。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第842回目。心はささくれ立っているが、せめて花を愛でて心を取り戻したい。

http://ss104313.stars.ne.jp/23★■.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/


† 神に感謝 †
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活節第3主日(ルカ24:13-35)大阪ではふつうに「エマオでの道で」をやってたぞ

2023-04-22 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

■■YouTubeチャンネル登録はこちら■■
https://www.youtube.com/channel/UCYRgrlA29PNjJmB0gngYQqA

↓↓聖週間の説教一覧はこちらから↓↓
ご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/230423.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/23(No.1234)
‥‥‥†‥‥‥‥
復活節第3主日(ルカ24:13-35)
大阪ではふつうに「エマオでの道で」をやってたぞ
‥‥‥†‥‥‥‥

これからこの福江教会でお世話になります中田輝次神父です。出身教会は上五島の鯛ノ浦教会です。「あっぱよ」「ざーまよ」「ほんなごてや」「なんのそーん」「およおよ」「およさよ」全て通訳なしで理解できます。しかし「ばえ~」だけは上五島は使いません。ここに居る間に通訳なしで「ばえ~」と言えるようになりたいです。

スマホをいじっている方はYouTubeの「こうじ神父」というチャンネルで、すでに中田神父のことをご存知の方もおられるでしょう。もし登録がお済みでなかったら必ず「こうじ神父」でチャンネル登録をしてください。他にも、日曜日の説教を、文字で読むことができます。同じく「こうじ神父」でブログを検索してください。

今週の説教は、一つのことを伝える。これだけ実行してくだされば結構です。盛りだくさんの内容に目移りせず、持ち帰ってほしいのは一つです。福音朗読で弟子たちが、歩きながらイエスさまについて起こった一切の出来事について話し合い論じ合ってエルサレムからエマオという村に出かけていった。これを実行してほしい。これだけです。

さて中田神父も、この福江教会に着任するまでに一連の出来事がありました。中村大司教様は私を含め50代後半の神父に、地区長の教会に赴任するよう打診しました。浦上教会、滑石教会、青方教会、福江教会です。ある神父様は「考えさせてほしい」と保留し、ある神父様は「無理です。務まりません」と言いました。中田神父はたまたま直接お目にかかったときに打診を受けたのですが、「大司教様の決めたことですから、何も異存はありません」と答えました。それが正しかったかどうかは、今後の結果が全てだと思っています。

辞令を公式に発表することができる3月19日、「瀬戸の花嫁」の替え歌を歌いました。歌っていいですか?ダメと言われても歌うつもりでした。小学校の時から音楽は「2」、小神学校と大神学校での聖歌隊試験もことごとく落第しましたが、いつもこの歌をその教会に合わせて替え歌して歌ってきました。

田平教会を離れるときは、四弦の「一期一会」という、三味線とギターの「間の子」の楽器で「島人ぬ宝」の替え歌で離任しました。一節だけ披露しましょう。「ぼくが赴任する下五島のことをぼくはどれくらい知ってるんだろう。浜脇教会も井持浦教会も名前を聞かれても分からない」

正直に話します。下五島地区のことを中田神父は何も知りません。下五島地区のカトリック信者がどんな暮らしぶりをしているのか。長崎の町の教会と比べて、重い負担を担っていたりしないか。信者としての恩恵を下五島地区が教区の中で公平にあずかれているのか。いろいろ心配していたらこんなにハゲてしまいました。

中田神父は付き添いの人と一緒に19日夜の12時ちょっと前に博多港からフェリー太古に乗り、20日の朝8時15分に福江港に着きました。船の中でお付きの人たちとあれこれ話しながら、議論しながら向かったのです。実はそこに、復活したイエスさまがおられたのです。「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」(24・17)。不安や心配やさまざまな疑問、課題を、人間の知恵だけでああでもない、こうでもないと議論していたのです。

イエスははっきりと道を示してくださいました。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」(24・25-26)復活したイエスがどこに行ってもどこにいてもそばにいてくれる。何を戸惑うことがあろうか。何を恐れることがあろうかと。

大阪に、上五島仲知教会出身の前田万葉枢機卿様がおられますね。私は枢機卿新任のお披露目ミサに参加したのですが、教会近くまで途中電車に乗りました。その電車で、信じられない光景を見ましたよ。こんな感じでした。

「前田さんは枢機卿になったんやてなぁ」
「そうや、教皇様から選ばれたんや」
「そしたら、忙しゅうて大阪のことには手が回らんようになるんかいな?」
「んなことはあれへん。枢機卿を補佐するようにて、司教を二人付けてくれはったんやから」
「ほな、前田さんが枢機卿なら、教皇様になる可能性もあるんちゃうか?」
「そらないやろ。教皇様は世界の教会のリーダーやけど、日本の教会はまだ世界をリードする教会には育ってへんからな」

中田神父はこの会話を、真向かいに座って聞いていたのです。大勢の人がいる電車の中ですよ?すぐにエマオの弟子の物語を思い出しました。そしてこう考えたのです。「大阪には道すがら、自分たちの枢機卿の話をして帰る『エマオの弟子』みたいな人がいるんだ。」

なぜこの話を持ち出したと思いますか?皆さんも、真似をしてほしいからです。今日、家に帰るまでに、今週、家から職場に出かけるまでに、公共の乗り物の中で枢機卿様の話をしていた大阪の信徒のように、皆さんも「福江に中田神父が来た。中田神父はどんなことを私たちのためにしてくれるだろうか」と、声に出して欲しいのです。

エマオの弟子たちが、イエスのことを話し、議論していた。議論しても答えは出なかったけれども、復活したイエスがそばで支え、導いて、彼らはイエスの復活の証人になりました。皆さんも、復活したイエスの証人になる。ならなければいけません。

何かを知らせるために、イエスさまは中田神父を福江教会に派遣しました。下五島地区に派遣しました。私が皆さんに最初に知らせたいことは一つです。あなたも、あなたも、エマオの弟子のように今起こっていることを帰り道話題にしてほしいのです。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
復活節第4主日(ヨハネ10:1-10)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼福江教会に着任した。親子ぐらい離れた助任司祭が二人も与えられて、親子関係を構築し始めているところ。親が変わった子どもたちは、どう思っているのだろう。
▼まずは、自分の荷物をほどかなければならない。自分の荷物じゃないものもちらほら見えるのがちと気になるが、荷物を少しずつほどくことで、福江に来たと実感できると思う。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第841回目。その、山のような荷物の一部。ここから何か一つを見つける難しさ

http://ss104313.stars.ne.jp/230423.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/


† 神に感謝 †
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)イエスが鳴らす教会の鐘に応えるのはあなた

2023-04-15 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

■■YouTubeチャンネル登録はこちら■■
https://www.youtube.com/channel/UCYRgrlA29PNjJmB0gngYQqA

↓↓聖週間の説教一覧はこちらから↓↓
ご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/230416.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/16(No.1233)
‥‥‥†‥‥‥‥
神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)
イエスが鳴らす教会の鐘に応えるのはあなた
‥‥‥†‥‥‥‥

皆さまと主日のミサをささげるのも最後となりました。今週は「神のいつくしみの主日」と名付けられた主日です。長崎教区で転勤の絡む教会は、ほとんど、今週がお別れの説教となっていることでしょう。

福音朗読は復活のイエスが弟子たちに現れる場面、特にトマスにあらためて現れる場面が選ばれます。今日の説教、わたしたちすべてが神のいつくしみを感じるための助けになればと思います。

イエスがお亡くなりになった後、弟子たちは心を閉ざし、家の戸にも鍵を掛けて隠れるようにしていました。誰に従って生きていけばよいのか、何を頼りに生きていけばよいのか、全く分からなかったからです。

そこへ、復活したイエスが現れてくださいました。戸に鍵が掛けてあるのにおいでになったのですから、心理的・物理的、あらゆる形で自分を閉ざしていても、復活した主はおいで下さり、わたしたちを解放してくださることが分かります。

復活したイエスはすべてを閉ざしていた弟子たちに現れて、何を仰ったのでしょうか。いちばん印象的な言葉は、「あなたがたに平和があるように」(20・19)というものでした。この点に絞って、わたしの考えをまとめたいと思います。

復活した主がおいでになる前、弟子たちの心は不安でいっぱいだったでしょう。「不安」は「平安」がない状態です。どんな平安が奪い去られていたのでしょうか。何より、従っていく相手を失ったことです。エマオに向かう弟子たちは、次のようにイエスを言い表しました。「この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。」(ルカ24・19)誇りを持って、胸を張って従っていく。その相手を失ったのです。

従っていく相手を失ったことで、何を頼りに生きていけばよいのか、全く分からなくなりました。かつて2人ずつ組になって町々に出かけ、宣教しましたが、今はそのことも思い付きません。「わたしたちにも祈りを教えてください」(ルカ11・1)と願って教えていただいた「主の祈り」を唱えてみることも思い付きませんでした。何かの抜け殻のようになっていたのです。

そこへイエスが現れ、「あなたがたに平和があるように」と仰いました。何もかも奪い取られ呆然としていた弟子たちに、復活したイエスが現れ、すべてを取り戻してくださったのです。弟子たちはこれまで通り従っていく相手を取り戻し、頼りにすべき道標を取り戻したのです。

イエスは「あなたがたに平和があるように」と言いました。すなわち、不安のどん底に突き落とされていた弟子たちを、まずは引き上げてくださったのでした。細かいことを言う前に、根本的な部分に救いの手を差し伸べてくださったのです。

「弟子たちは、主を見て喜んだ」(ヨハネ20・20)とあります。喜びが満ち始めれば、あとは問題ありません。必要な指示を与えさえすれば、弟子たちは本来の姿に立ち帰っていきます。

心が喜びに満たされたところで、イエスは弟子たちに指示を出します。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(20・21)「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(20・22-23)弟子たちはもはや以前の抜け殻ではなく、よく準備された状態にすっかり戻っていたので、イエスの指示に耳を傾けることができたのです。

トマスは、イエスの最初の出現に立ち会うことができませんでした。それでも、トマスもその後のイエスの出現で「信じない者ではなく、信じる者に」(20・27)変わります。トマスの中にも喜びが満ちて、「わたしの主、わたしの神よ」(20・28)と答える人に変わっていきます。

喜びが満ちあふれれば、人は、イエスの証し人として十分働けるようになります。イエスの復活後の弟子たちがそうでした。同じことはわたしたちにも当てはまります。わたしたちの心が平安であり、喜びが満ちあふれているなら、イエスの証し人として働くことができるのです。

問題は、どのようにしてわたしたちが平安を得て、喜びに満ちた人に変わるかということです。答えは身近にあります。ふだんの生活で、当たり前のように実行していることです。「どこに、何があるかを知っていること。」これは信仰生活にも当てはまります。

わたしたちが信仰者として必要なものが、どこにあるかを知っているなら、当然そこへ行くことで平安を得て、喜びが満ちあふれるはずです。信仰者に必要なものは、どこへ行けば手に入るのでしょうか。疑いもなく、教会へ行くということです。「ここに、イエスさまのところに連れていきましょう」

教会は司祭の手を通して皆さんを招き、集会祭儀を開き、秘跡を授け、恵みを与えます。その最初の合図は、本来は教会の鐘だと思います。今は田平教会は鐘の修理が必要で鳴らすことができませんが、心の中では教会の鐘の音が聞こえていると思います。教会の鐘は始まりを知らせ、信仰者を集めるのです。

今から鳴らすのは、献堂百周年の頃に録音しておいた田平教会の鐘の音です。この鐘、修理が済めばいつか鳴らすことができるようになるでしょう。

そこで、皆さんへの置きみやげに、歌を歌って説教の結びとしたいと思います。「あの鐘を鳴らすのはあなた」和田アキ子さんの代表曲です。わたしがこの歌に込める思いは、信仰者を呼び集め、秘跡を執行して恵みを授ける、そのしるしとなる教会の鐘を鳴らす人がこれからもずっと必要で、鳴らすのはあなたですよ、ということです。

実際に鐘を鳴らしているのはシスターや数人の信徒だけですが、鐘を鳴らす人の背中を押し続けているのは皆さんお一人お一人です。イエスさまがあなたを教会に呼んでいますよ、あの鐘の音に応えるのはあなたですよ。そういう気持ちを込めて歌いたいと思います。

「あの鐘を鳴らすのはあなた」
作詞 阿久 悠
作曲 森田公一

まもなく、新しい主任司祭がやってきます。次の主任司祭も、皆さんを祭儀に招き、秘跡を執行し、恵みを届けます。わたしも、新しい教会の鐘を鳴らすために、旅立ちます。


‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
復活節第3主日
(ヨハネ21:1-19)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼木は、その成長に応じて植え替えたりする。わたしはもうすぐ神の手によって植え替えられ、新しい土地に根を下ろす。新しい土地の養分をいただいて、新しい芽を出し、皆に利用してもらうことになる。木の周りに集まる人々にとって、わたしの存在自体はたいしたことではない。大切なのは「キリストという木に繋がれている枝かどうか」ということだ。
▼こだわりがあるとすればこうだ。「日曜日のミサ説教が、キリストという木に繋がった枝としてキリストの養分を人々に届けているかどうか。」ただ一つのこだわり。ここがわたしの存在意義であり、新しい土地でもそのことを決して忘れずに精進しよう。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第840回目。田平教会の鐘も、最後に聞いておきたかった。修理後が楽しみだ。

http://ss104313.stars.ne.jp/230416.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/


† 神に感謝 †
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)後任の神父様も、田平教会に「来なさい」と呼ばれた

2023-04-09 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

■■YouTubeチャンネル登録はこちら■■
https://www.youtube.com/channel/UCYRgrlA29PNjJmB0gngYQqA

↓↓聖週間の説教一覧はこちらから↓↓
ご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/230409.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/9(No.1232)
‥‥‥†‥‥‥‥
復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
後任の神父様も、田平教会に「来なさい」と呼ばれた
‥‥‥†‥‥‥‥

あらためて主の復活おめでとうございます。復活徹夜祭は、中村倫明大司教様の復活の喜びの手紙をお借りして届けました。この復活の主日日中のミサの説教は、私の言葉で伝えたいと思います。

復活徹夜祭の説教を通して、私たちは復活したイエスさまの「おはよう」を聞ききました。イエスさまの「おはよう」「平和があるように」を聞いた人たちは、自分のしなければならないことにすぐに気づき、動き出します。マグダラのマリアは弟子たちのところに走って行きました。

ヨハネ福音書ではありませんが、エマオに向かう弟子たちもイエスから使命を託され、すぐに使徒たちのもとへ走って行きました。ここでは「おはよう」「平和があるように」以外のほかの言葉でしたが、復活したイエスから声をかけられた人は、使命を感じて出かけていくのです。

では私たちはどこで、イエスの声を聞くのでしょうか?「おはよう」「平和があるように」またはその他の声かけを、どこで聞くのでしょうか。いろんな考えがあるかも知れませんが、私たちを田平教会聖堂に集めてくださる声が聞こえた場所が、「復活したイエスが声をかけてくださった場所」ではないか。そう考えています。

中田神父は七年間、評議会の役員に一つの声をかけ続けました。「困った困った。」「お酒があるぞ」とか「おいしいケーキがあるぞ」ではありません。いつも「困った困った」と声をかけていました。するといつもすぐに役員の誰かが「どうしましたか?」と飛んできてくれました。

中田神父の「困った困った」は、評議会の役員からすれば、「あー。すぐに来い」ということだなと理解して、本当にすぐに来て用件を聞き、対処してもらいました。福江にこのまま連れて行きたいくらいです。

イエスも、皆さんを田平教会聖堂に集めるために、巧みに声をかけてくださっています。私たちはただ単に「来なさい」と言われてもすぐには動かないことが多いのです。そこで、一人一人、気が付いたら田平教会聖堂に集められている。そんな仕掛けを、復活したイエスさまは用意するのです。あなたがどうしても、この聖堂に集まって復活を祝う気になるように、工夫して声をかけておられるのです。

「中田神父は、あと2回しか田平で日曜日のミサをしないよ。行く?行かない?」そんな形で「来なさい」と呼びかけるかも知れません。「今年は何回、ミサに行ったかな?」そういう呼びかけかも知れません。「家族のために、みんなで祈ってもらったら?」この声かも知れません。

つまり、復活したイエスの声は、日常生活の中で聞こえるということです。その声はあなたを田平教会聖堂に導きます。あなた自身をこの聖堂に導くだけではありません。あなたの家族も、あなたの友人も、導きを必要としているすべての人も、「来なさい」と呼ばれています。

田平教会聖堂には、復活したイエスから、もう一人「来なさい」と声をかけられました。それは後任の主任神父様です。後任の神父様は初めて平戸地区で司牧活動を始めます。どうか、惜しみない協力をお願い致します。復活したイエスの声に、田平教会家族はきっと応じてくれる。そう信じています。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼「郷に入っては郷に従え。」57歳にもなって、何かを変えたり従ったり、そんな必要があるのかと思うが、すでにやり方を変えなければならないと感じた。それを受け入れるために、きっと時間がかかるだろう。
▼変えたくないものもある。それを変えてまで新しい環境を受け入れなければならないのだろうか。変えてでも、捨ててでも、新しい環境に入る価値があるのだろうか。見させてもらおう。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第839回目。復活徹夜祭動画オープニングに使用した。イエスは「おはよう」と

http://ss104313.stars.ne.jp/230409.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/


† 神に感謝 †
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活徹夜祭(マタイ28:1-10)「おはよう」

2023-04-09 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

■■YouTubeチャンネル登録はこちら■■
https://www.youtube.com/channel/UCYRgrlA29PNjJmB0gngYQqA

↓↓聖週間の説教一覧はこちらから↓↓
ご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/230408.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/8(No.1231)
‥‥‥†‥‥‥‥
復活徹夜祭(マタイ28:1-10)
「おはよう」
‥‥‥†‥‥‥‥

主の御復活おめでとうございます。今年は中村大司教様の「ご復活の喜びの手紙」を復活徹夜祭の説教としたいと思います。手を加えるのは最小限にとどめて、大司教様の皆様への手紙を読み上げます。

2023年 ご復活の喜びの手紙
「おはよう」
大司教 ペトロ 中村 倫明

子どもたち、青年の皆さん、大人の皆さま、イエスさまのご復活おめでとうございます。
(質問)復活のイエスさまが 一番初めに話された言葉は何?
のっけから申し訳ございません。イエスさまがご復活なされて、一番初めに話された言葉はどんな言葉でしたか?マタイの福音書に記してあります。どうぞ聖書を開いて確かめてみてください。

復活されたイエスさまが、ご自分のことを最初に示されたのは、女性の方々にでした。それは、女性たちが、安息日が終わるとすぐにイエスさまのご遺体のところに向かったからかもしれません。いくつかの聖書によれば、「香料と香油を塗るために」(マルコ、ルカ)とあります。

ところが、イエスさまは墓の中にはおいでになりませんでした。復活なさったことを天使から知らされた女性たちは、そのことを弟子たちに伝えに向かう時に、イエスさまは女性たちに現われて、「おはよう」と声をかけてくださいました(マタイ28・9参照)。イエスさまが復活されて、最初に話された言葉は「おはよう」です。

確かに、別の福音書(ヨハネ福音書)では、イエスさまのご遺体が墓にないことを悲しんでいるマグダラのマリアに「なぜ泣いているのか」(ヨハネ20・13)という言葉をかけておられて、この言葉がご復活後のイエスさまの一番初 めの言葉として登場しています。

この言葉にも、わたしたちに対するイエスさまの深いいつくしみを感じますが、より「おはよう」という言葉にはそれを感じますし、やはり一番初めの言葉は「おはよう」ではなかったかと思います。このことは、その後、弟子たちにイエスさまがご出現なされた時におっしゃった言葉からも、想像できそうです。

イエスさまが弟子たちにおっしゃった言葉
弟子たちは、イエスさまを十字架に付けたユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ隠れていました。そこにイエスさまが現れておっしゃいます。「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19,26、ルカ24・36)。

この時にイエスさまが用いられたヘブライ語は「シャローム」ではなかったかと思われます。シャロームは、文字通りには「平和」を意味する言葉ですが、人々は「おはよう」とか「こんにちは」などのあいさつとして使っている言葉です。ですから、やはり、「おはよう」という言葉を、復活後のイエスさまは、一番初めに語っておられたのではないでしょうか。

わたしたちが普段に使う言葉
わたし中村倫明大司教は今年の新年号でお願いしました。「声をかけていこう」と。
声をかけておられますか。教会の行き帰りに、出会う人たちに声をかけていますか。その中でも、「おはよう」という言葉は、出会う時の普段の一番初めのあいさつの言葉です。この普段のあいさつを大切に丁寧にしているでしょうか。出会う人を無視したり、無愛想で笑顔でなかったりしていませんか。ちゃんとわたしたちは基本的なあいさつや対応ができているでしょうか。

聖書の「おはよう」
面白いことにこの普段の基本的な「おはよう」という言葉は、聖書の中では、ご復活の場面にしか登場しません。もちろん、普段の言葉ですので、ことさら記述することもなかったでしょう。ならば、ご復活の時の特別な記述の「おはよう」には特別の含みがあるはずです。

英語では「グッドモーニング」(良い朝)。「良い朝ですね。良い日になりますように」という思いがあるのでしょう。雨が降っても「グッドモーニング」です。そして、ご復活の時の「おはよう」は、まさに「おはよう」の中の「おはよう」です。

だってイエスさまは3日前に亡くなって、墓に葬られていました。「おはよう」と言える朝が来るなんてありえない「おはよう」なんです。あるいは、もしそこに言葉が存在するなら、「おはよう」よりも「うらめしや」「おれを見捨てたな」「呪い殺してやる」の言葉が人間の世界かもしれません。でも復活の世界は、何もなかったかのように、いつものように「おはよう」で始まっていきます。

以前、聖フランシスコ病院の玄関に立つ機会がありました。ある日、知っている方がやってきて、笑顔で「おはようございます」と声をかけてもらいました。「何事ですか?」と尋ねると、「おふくろが危篤で呼び出されました」。わたしは言葉が出ませんでした。

次の日、「おはようございます」と同じ方でした。「どうでしたか」勇気を出して尋ねました。「まだ頑張っています」うれしかったです。3日目、同じ方が「おはようございます。お世話になりました。今から葬儀の準備です。お祈りください」。悲しいのにつらいはずなのに、感謝を知っている人の「おはよう」でした。

ならば、復活の主に出会ったなら、どんな時だって「おはよう」です。苦しくつらい時も悲しい時も、過ちや罪を犯しても、どんな時だって、復活された主はともにおられます。

あらためてお願いいたします。「主はともにおられます」「主の平和がありますように」の思いを込めての、わたしたちの「おはよう」の声かけを復活させていきましょう。

子どもたちへ
「オッハー!」(だいぶふるいかなぁ)

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼「司祭館の中で揉めていたら、どうしてその小教区が立ちゆくでしょうか。」私は司祭館の中の統率を取る責任を託された。助任が二人。彼らが納得して協力し、互いに仕え合うことができる司祭館を模索しなければならない。
▼厳しく礼儀を教える司祭の話を聞いた。時代に合わないのではないかと疑問を感じた。しかし今になって、「礼儀」も司祭管内の統率を取る大切な様相だと感じ始めている。失礼なことをしていたら謝らなければならない。失礼を詫びる道を教えなければならない。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第838回目。イエスの聖心にささげられた福江教会。20日からお世話に。

http://ss104313.stars.ne.jp/230408.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/


† 神に感謝 †
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)イエスは神の国の生き方で私たちを救われた

2023-04-07 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

■■YouTubeチャンネル登録はこちら■■
https://www.youtube.com/channel/UCYRgrlA29PNjJmB0gngYQqA

↓↓聖週間の説教一覧はこちらから↓↓
ご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/230407.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/7(No.1230)
‥‥‥†‥‥‥‥
聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)イエスは神の国の生き方で私たちを救われた
‥‥‥†‥‥‥‥

「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」(18・9)。中田神父はイエスの語られたことばに下を向くしかありません。一つは、イエスのことばを、私は今日まで見つけることができなかったからです。もう一つは、田平教会の七年間で、きっと何人もの人を失った、父なる神様が与えてくださった人を何人も失ったからです。

今年も私は受難の典礼を始めるにあたり、床にひれ伏しました。ただ今年は、「わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです」そういう思いからひれ伏してはいませんでした。ただひたすら、「あなたが与えてくださった人を何人も失いました」その後悔と、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そして、主イエスが成し遂げたことに比べて、私が果たせたことはあまりにもつたないと感じたのです。主は「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言っているのに、私は「何人かは失ったかも知れない。けれどもその代わりにこれこれのことを成し遂げた」と強がっているのです。

主イエスは「一人も失いませんでした」と父なる神に感謝しますが、ご自身の命を失ってしまいました。主イエスにとって、ご自身の命をなげうってでも、御父が与えてくださった人々を一人も失わないことは大切でした。それなのに中田神父は、「何人かは失ったが、それを上回ることをした」と言い張っているのです。

どんなにイエスの思いから遠かったことでしょう。イエスの思いを知らずに、こんなにも長い間主イエスに成り代わって祭壇上でいけにえをささげていたのです。どんなに恥知らずだったことでしょう。そんな愚かな司祭のためにも、主イエスは十字架にかかってくださったのです。

ここにお集まりの皆さんが、中田神父と同じような体験をしていたら、ここに集まっていることはすばらしいことです。今の今まで私たちは、自分だけは生き残ろうとしてきました。生きようとする人にとってそれは自然なことですが、この世の生き残り方では誰かが犠牲になってしまいます。私たちはどこかでそれに目をつむってきたのです。目をつむってきた私を、ここに、イエスさまのもとに連れていきましょう。

この世の生き残り方では、私もイエスを十字架に付けてしまいます。イエスは「羊のためにいのちを捨てる」方です。神の国の生き方で私たちを救ってくださったのです。私たちは神の国の生き方を忠実に生きられない弱さを認めます。

今はただ感謝しましょう。一人も失わないために、主は自らを犠牲にしてくださったのですから。私たちは一人も失わないよう全力を尽くしてくださった主によって生かされているのです。「生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」(ローマ14・8)胸を打ちながら「主は私たちの救い」と唱えて、今日の典礼に最後まで参加することにしましょう。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
復活徹夜祭(マタイ28:1-10)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼「私が気に入らないなら、いつでも大司教に主任司祭を替えてくださいと願い出なさい。」信徒たちと主任司祭の関係がギクシャクしてきて、主任司祭がこの発言をしたという話を聞いたことがある。
▼私は「いつでも大司教に願い出ていいよ」とはとても言えないが、思いが高じて信徒とぶつかる可能性はあると考えている。「理解してくれない信徒が引き下がるべきだ」と一方的に言うつもりはないが、説明を尽くせば通じるのではないだろうか。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第837回目。「逆さ」連想するはペトロの「逆さはり付け」。それも救いの杯。

http://ss104313.stars.ne.jp/230407.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/


† 神に感謝 †
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖木曜日(ヨハネ13:1-15)あなたにも、わたしは模範を示した

2023-04-06 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

■■YouTubeチャンネル登録はこちら■■
https://www.youtube.com/channel/UCYRgrlA29PNjJmB0gngYQqA

↓↓聖週間の説教一覧はこちらから↓↓
ご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/230406.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/6(No.1229)
‥‥‥†‥‥‥‥
聖木曜日(ヨハネ13:1-15)
あなたにも、わたしは模範を示した
‥‥‥†‥‥‥‥

聖木曜日と聖金曜日は、形は違いますが、イエスが弟子たちにすべてを与え尽くす一日です。聖木曜日は過越の食事の儀式を通して、聖金曜日は命をかけてです。今日、イエスは食事の中でご自身を与えるために、できるすべてのことをしてくださいました。

まずイエスは、この最後の晩餐の席をご自身用意してくださいました。そして食事が始まると、仕えられる者という態度を捨てて、進んで仕える者となられたのです。弟子たちにすべてを与え尽くすため、「先生」という立場さえもご自分のもとに残さなかったのです。

すべてを与え尽くされたイエスが最後に言われたみことばはこうです。「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」(13・15)

先生がするようなことではなく、使用人がするようなことを模範として示された。それは、委ねられた務めの中で、出し惜しみをしてはならない。報いすらも期待してはならない。そうしてすべてを与える者となりなさい。これが最後に与えられた命令だったのです。

イエスが最後に残された模範を見るために、私たちは今晩ここに集まりました。このあと、洗足式があります。何人かの人が弟子の役割をお願いされています。足を洗ってもらうこ方々は、自分は教会の中で、どうやって惜しみなく自分を与えることができるだろうか、考えるチャンスを与えられました。

実は足を洗ってもらう様子を見るほかのすべての参列者も、足を洗ってもらっている人を通してあなたも足を洗ってもらっているのです。足を洗ってもらっている人を見て自分も考え、どうやって惜しみなく自分を与えることができるだろうか、見ている間ずっと考えるのです。

聖木曜日に見たことを、私たちはどこで見倣ったら良いのでしょうか。まずは自宅です。自宅で同居する人との間で、仕えられる者ではなく仕える者となりましょう。「家庭で何かしらの手伝いをする」それでも良いでしょう。あるいは一緒に暮らす人に「これまでかけてこなかった言葉をかけてあげる」でも良いでしょう。私たちは仕える者となるための何かができるはずです。

次、もう一度私たちが聖堂に集まるのは聖金曜日です。「ここに、イエスさまのところに連れていきましょう」年間テーマを実行すべきです。交通手段がなくて聖金曜日に来ることのできない人もいるかも知れない。「私がその人の車椅子となり、杖となってあげる」こうして自分を砕いてお手伝いしてあげてください。そうすれば必ず、弟子たちの足を洗ってくれたイエスに倣うことができるでしょう。

ペトロは自分の足を洗おうとするイエスにこう言いました。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」(13・9)イエスの模範に倣うためには、頭も、一から洗い直さなければならないのでしょう。イエスが私たちの不足を洗い流し、主の晩さんにふさわしいものとしてくださるよう、心を合わせて祈りましょう。洗足式にあずかり、また見ることによって、イエスの模範を確かに受け取りましょう。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼洗足式を実施した。洗足式も、コロナ禍の影響で中止した年があった。それでも聖週間の典礼を祝えなかった年もあったので、まだましだが、洗足式は司祭にとっては「仕える」またとない機会なので、実施できて良かった。
▼かつて中田神父は「12人集めてきてください」とお願いしていたが、最近は12人集めるのが大変という声もあるし、また12人にこだわる確たる理由もないし、集められる人数で構わないと納得している。6人が選ばれた。前もって、足をきれいにしてくるのだろうか?

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第836回目。司祭になるまでの最後の時期を、この先輩司祭と過ごした。大恩人。

http://ss104313.stars.ne.jp/230406.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/


† 神に感謝 †
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖週間の説教はURLをクリックしてください(*^o^*)

2023-04-01 | Weblog
聖週間の説教はURLをクリックしてください(*^o^*)
http://ss104313.stars.ne.jp/holyweek2023.pdf
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受難の主日(マタイ27:11-54)今年、自分をイエスのもとに連れて行こう

2023-04-01 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

■■YouTubeチャンネル登録はこちら■■
https://www.youtube.com/channel/UCYRgrlA29PNjJmB0gngYQqA

↓↓聖週間の説教一覧はこちらから↓↓
ご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/230402.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/4/2(No.1228)
‥‥‥†‥‥‥‥
受難の主日(マタイ27:11-54)
今年、自分をイエスのもとに連れて行こう
‥‥‥†‥‥‥‥

受難の主日は、聖なる一週間、その中のさらに聖なる三日間を先取りし、平日の参加が難しい人のために十字架による救いのわざを思い起こす大切な日曜日です。あとで聖なる三日間に参加する人には、受難の主日に参加することで直前の心の準備にあてることにもなります。

田平教会の今年の年間テーマは「ここに、イエス様のところに連れていきましょう」です。今日の場面に私たちが連れて来られたら、私たちは最後まで留まることができるでしょうか。怖くてイエス様のもとに留まれないかも知れません。キレネ人のシモンのように、通りかかっただけで十字架を担がされるかも知れない。そうなるとますます、「イエス様のそば近くに」というのはおとぎ話かも知れません。

弟子たちはどこに行ったのでしょうか?受難の主日に選ばれる福音朗読では弟子たちは姿を現しません。聖金曜日のヨハネによるイエス・キリストの受難では、十字架のもとに母マリアと愛する弟子とが立っていました。弟子たちはいったいどこに行ったのでしょうか。

弟子たちが見当たらないのは、福音記者が弟子たちをあえて登場させていないのでしょう。弟子たちでさえも、怖くてイエスのそばに留まることができなかった。それを伝えたくて姿が見えない。そうだとしたらイエス様の悲しさはどれほどでしょう。悲しんでくれる人さえ見当たらない中で、イエスはご自分の命をささげるのです。

しかし、わずかの希望はあります。本日の朗読からは見えませんが、百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と言ったその直後にこう記されています。「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」(27・55-56)

「遠くから見守っていた。」これは火の粉を浴びないためです。自分が可愛いからです。私たちも同じです。怖くて遠巻きにしか眺めることができないでいます。「ここに、イエス様のところに連れていきましょう」どころか、「私は遠慮します」と、覚悟も何も見られないのです。

それでも、私たちはこの一週間を過ごします。聖なる三日間に参加する人もいます。今日は怖くて近づけない自分であっても、聖金曜日の受難の典礼には、イエスの母と愛する弟子のように、イエスの十字架のそばに立つ人になりましょう。

今週一週間は、遠くにいる人からそばに立つ人になるための一週間です。怖くて近づけない私をゆるしてくださり、愛してくださるイエスが一日ごとに私たちを引き寄せ、聖なる三日間に招いてくださいます。あなたがもし、生涯一度も聖なる三日間の典礼にあずかったことがないとしたら、今年が初めて参加する年です。今年、自分をイエスのもとに連れて行く歩みが始まるのです。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
聖木曜日(ヨハネ13:1-15)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼聖週間が始まった。「紙の説教案は作らない」と言ったが、28セット作った。こんなことなら「少し作る」と言っておけば良かったかな。
▼思いは二つに分かれる。田平教会と福江教会。次に託す思いと、新しい期待。あまり長い時間、この時間は過ごしたくない。
▼長崎は「船」での別れがある。船を見送る人も船から別れを告げる人も、長い時間手を振る。長い別れの時間も、なかなか辛いものだ。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第835回目。箱詰め。60箱?80箱?結構な数だ。詰めるのも、開くのも大変。

http://ss104313.stars.ne.jp/230402.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/


† 神に感謝 †
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする