当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/210829.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2021/8/29(No.1137)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第22主日(マルコ7:1-8,14-15,21-23)
いつでもどこでも、清い手を挙げて神を賛美したい
‥‥‥†‥‥‥‥
今週の説教は、2018年版をもとにしています。全国的に猛烈な感染拡大の中、中田神父は五島の母親の顔もなかなか見に行くことができずにいます。2年くらい見てないかも知れません。もう3年前になるでしょうか、侍者・先唱者の子供達と福江に巡礼に行きました。水ノ浦教会の敷地内に、野外の十字架の道行が設置されていました。私はこれを見てすぐに、「あー、これが田平教会にあったらいいなぁ」と思いました。
野外の十字架の道行は魅力的です。歩きながら、キリストの十字架の道をお供する。もちろん聖堂内でも十分な恩恵を受けることができますが、これが田平教会の野外でできたらどんなに素晴らしいだろうと思いました。場所は信徒会館の裏手になりますが、土地の所有者の寛大な協力の結果、目処が立ちつつあります。あわせて樹脂製の十字架の道行のレリーフを譲り受けたので、第一流を刻むのももうすぐそこまで来ていると感じています。
今週の福音朗読に「昔の人の言い伝え」をなぜ守らないのかとイエスの弟子たちにファリサイ派の人々が詰め寄る場面があります。「昔の人の言い伝え」を大事にするファリサイ派の人たちは必ずしも言い伝えに凝り固まった人たちではなく、もともとは聖書の教えを実生活に生かそうと努力した人たちでした。
ところが彼らの向かった先は、実際には神の思いを実生活に活かすところまでたどり着いてなかったのです。「清い手で食事をすること」はたしかに神の望みですが、家のもの一切合切洗い清めて食事をしなさいとは望んでおられないのです。細かな規則を作りすぎたあまり、「清い手で食事をする」ことから遠く離れ、「家財道具一切を洗い清めること」に終始してしまっていました。
冒頭で話した十字架の道行ですが、みなさんが十字架の道行で思い出すことはどんなことでしょうか。「イエスの十字架への道のりを偲び、黙想する」ことはもちろんですが、もしかしたら「十字架の道行は四旬節にするもの」「条件が整えば免償を得られる」そういった事かもしれません。
今並べた2つのこと「十字架の道行は四旬節にするもの」「条件が整えば免償を得られる」が、もし十字架の道行の信心に取り組むのを難しくしているとしたらどうでしょうか。「十字架の道行きは四旬節にするもの」という考えがこの信心業を私たちから遠ざけているなら、私たちもファリサイ派の人たちと同じ過ち、「伝統や習慣に縛られている」という過ちに陥っているのではないでしょうか。
十字架の道行は、イエスの受難・復活までの場面を思い起こす信心業のはずです。もっと頻繁に、この信心に加わって、イエスのご受難・ご死去・ご復活を黙想できたらと思うのです。十字架の道行を終えて疲れたと感じるのではなく、喜びを感じて帰ることができれば。十字架の道行をしながら実際に歩く。ルルドでロザリオをして時間を過ごすことに負けず劣らず、充実した時間を過ごせるでしょう。この教会に野外で十字架の道行を設置したいと思っている私の狙いです。
十字架の道行のような伝統的な典礼のわざ、またロザリオや連祷といった信心業に興味を失っている人は多いと思います。こんな流れだからこそ、神への忠実を呼び覚ます典礼のわざや信心業を次の世代に伝える工夫が必要だと思います。個人的な信心業は、神の思いを実生活に活かす助けとなります。私の在任中に、たとえば十字架の道行のできる「祈りの園」を設けて、親から子に、重荷ではなく喜びと感じられるような伝え方を学ぶ一助ができればと願っています。
「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。」(7・14)イエスは神の思いが何であるかを確実に教えてくださる唯一のお方です。私たちが神の望みをどのように実生活に活かすことができるのか、常に教え導いてくださいます。私も、この教会と平戸地区のために熱望している「祈りの園」の計画が本当に神の思いを学ぶ場所になりうるのか、イエスの照らし、導きに心を開いて教えを請いたいと思います。
実現に向けて、まだ課題があることも事実です。田平教会聖堂は、耐震工事を必ず施さなければなりません。ひょっとしたら、信徒会館の裏手の土地は、耐震保修工事関連の土地使用が先に来るかも知れません。ただ、聖堂が使用できなくなるのが間近に迫っているのに、十字架の道行ができないのは教会の典礼活動にとって多大な損失です。どうかご理解いただき、皆さんの声で、計画を前に進めていただきたいと思います。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第23主日(マルコ7:31-37)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼ワクチン接種は予想以上に影響を受けた。2日間は腕が腫れたし、1週間経った今でも違和感がある。幸か不幸か、長崎教区は私がワクチン接種をした週から公開ミサが中止になり、その5日後には政府が長崎県を「まん延防止等重点措置」の対象に加えて、期間は9月12日までとなった。
▼実は9月11日が2度目の接種に当たっており、公開ミサの中止は9月6日までだったのだが、主任司祭の事情を加えて12日まで中止としていた。たぶん、後から公開ミサの中止が延長され、「予定調和」となるだろう。
▼ワクチンの影響は2回目が強い反応が出ると聞いている。1回目であの調子だから、2回目はどうなるだろうか。それにしても、ワクチンの影響を軽く考えなかったのは本当に良かった。ついでの話だが、公開ミサの中止が決まってから、説教は9月12日分まで、すらすらと書けた。不思議なものだ。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
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第744回目。ふだん漫画を読まないが、これは面白い。「よしもとこうじ」作(笑)
http://ss104313.stars.ne.jp/210829.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/
【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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こうじ神父
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今週の説教は、2018年版をもとにしています。全国的に猛烈な感染拡大の中、中田神父は五島の母親の顔もなかなか見に行くことができずにいます。2年くらい見てないかも知れません。もう3年前になるでしょうか、侍者・先唱者の子供達と福江に巡礼に行きました。水ノ浦教会の敷地内に、野外の十字架の道行が設置されていました。私はこれを見てすぐに、「あー、これが田平教会にあったらいいなぁ」と思いました。
野外の十字架の道行は魅力的です。歩きながら、キリストの十字架の道をお供する。もちろん聖堂内でも十分な恩恵を受けることができますが、これが田平教会の野外でできたらどんなに素晴らしいだろうと思いました。場所は信徒会館の裏手になりますが、土地の所有者の寛大な協力の結果、目処が立ちつつあります。あわせて樹脂製の十字架の道行のレリーフを譲り受けたので、第一流を刻むのももうすぐそこまで来ていると感じています。
今週の福音朗読に「昔の人の言い伝え」をなぜ守らないのかとイエスの弟子たちにファリサイ派の人々が詰め寄る場面があります。「昔の人の言い伝え」を大事にするファリサイ派の人たちは必ずしも言い伝えに凝り固まった人たちではなく、もともとは聖書の教えを実生活に生かそうと努力した人たちでした。
ところが彼らの向かった先は、実際には神の思いを実生活に活かすところまでたどり着いてなかったのです。「清い手で食事をすること」はたしかに神の望みですが、家のもの一切合切洗い清めて食事をしなさいとは望んでおられないのです。細かな規則を作りすぎたあまり、「清い手で食事をする」ことから遠く離れ、「家財道具一切を洗い清めること」に終始してしまっていました。
冒頭で話した十字架の道行ですが、みなさんが十字架の道行で思い出すことはどんなことでしょうか。「イエスの十字架への道のりを偲び、黙想する」ことはもちろんですが、もしかしたら「十字架の道行は四旬節にするもの」「条件が整えば免償を得られる」そういった事かもしれません。
今並べた2つのこと「十字架の道行は四旬節にするもの」「条件が整えば免償を得られる」が、もし十字架の道行の信心に取り組むのを難しくしているとしたらどうでしょうか。「十字架の道行きは四旬節にするもの」という考えがこの信心業を私たちから遠ざけているなら、私たちもファリサイ派の人たちと同じ過ち、「伝統や習慣に縛られている」という過ちに陥っているのではないでしょうか。
十字架の道行は、イエスの受難・復活までの場面を思い起こす信心業のはずです。もっと頻繁に、この信心に加わって、イエスのご受難・ご死去・ご復活を黙想できたらと思うのです。十字架の道行を終えて疲れたと感じるのではなく、喜びを感じて帰ることができれば。十字架の道行をしながら実際に歩く。ルルドでロザリオをして時間を過ごすことに負けず劣らず、充実した時間を過ごせるでしょう。この教会に野外で十字架の道行を設置したいと思っている私の狙いです。
十字架の道行のような伝統的な典礼のわざ、またロザリオや連祷といった信心業に興味を失っている人は多いと思います。こんな流れだからこそ、神への忠実を呼び覚ます典礼のわざや信心業を次の世代に伝える工夫が必要だと思います。個人的な信心業は、神の思いを実生活に活かす助けとなります。私の在任中に、たとえば十字架の道行のできる「祈りの園」を設けて、親から子に、重荷ではなく喜びと感じられるような伝え方を学ぶ一助ができればと願っています。
「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。」(7・14)イエスは神の思いが何であるかを確実に教えてくださる唯一のお方です。私たちが神の望みをどのように実生活に活かすことができるのか、常に教え導いてくださいます。私も、この教会と平戸地区のために熱望している「祈りの園」の計画が本当に神の思いを学ぶ場所になりうるのか、イエスの照らし、導きに心を開いて教えを請いたいと思います。
実現に向けて、まだ課題があることも事実です。田平教会聖堂は、耐震工事を必ず施さなければなりません。ひょっとしたら、信徒会館の裏手の土地は、耐震保修工事関連の土地使用が先に来るかも知れません。ただ、聖堂が使用できなくなるのが間近に迫っているのに、十字架の道行ができないのは教会の典礼活動にとって多大な損失です。どうかご理解いただき、皆さんの声で、計画を前に進めていただきたいと思います。
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▼ワクチン接種は予想以上に影響を受けた。2日間は腕が腫れたし、1週間経った今でも違和感がある。幸か不幸か、長崎教区は私がワクチン接種をした週から公開ミサが中止になり、その5日後には政府が長崎県を「まん延防止等重点措置」の対象に加えて、期間は9月12日までとなった。
▼実は9月11日が2度目の接種に当たっており、公開ミサの中止は9月6日までだったのだが、主任司祭の事情を加えて12日まで中止としていた。たぶん、後から公開ミサの中止が延長され、「予定調和」となるだろう。
▼ワクチンの影響は2回目が強い反応が出ると聞いている。1回目であの調子だから、2回目はどうなるだろうか。それにしても、ワクチンの影響を軽く考えなかったのは本当に良かった。ついでの話だが、公開ミサの中止が決まってから、説教は9月12日分まで、すらすらと書けた。不思議なものだ。
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