こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

復活節第3主日(ヨハネ21:1-19)何度問われても「あなたを愛しています」

2022-04-30 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/5/1(No.1178)
‥‥‥†‥‥‥‥
復活節第3主日(ヨハネ21:1-19)
何度問われても「あなたを愛しています」
‥‥‥†‥‥‥‥

飯塚教会に4月に異動になった福岡教区の同級生、「ちょっと遅れて叙階した」無二の親友を訪ねてきました。カーナビでは近くに来ているはずなのに約束の時間も過ぎて冷や汗をかきました。途中、「麻生病院」「スーパーASO」「麻生看護大学校」など、えらく「麻生」の付く建物が多いなと思っていたら、麻生一族は飯塚の出身のようです。

復活節第3主日は長崎教区に限って言えば転勤した教会で新しく赴任した主任司祭が主日ミサデビューする日です。私もこれまでの転勤でいろいろ思い出がありますが、二つだけ取り上げるなら、浜串教会でのミサと田平教会でのミサです。

浜串教会には赴任するため長崎港からフェリーに乗って奈良尾港に降り立ちましたが、自分で車を運転していたのでそのまま港の広い駐車場に出てしまいました。ところが小教区の皆さんは乗船客が乗り降りするターミナルの中で、花束を準備して今か今かと待ち構えていたのです。

私は「あれ、いないなぁ。教会で待っているのかな?」と思ってそのまま車を走らせ、浜串教会に向かいました。ターミナルで待機していたたくさんの信徒、シスター、上五島地区の神父様方を置き去りにしていったのです。これは取り返しのつかないしくじりとなりました。そのことを含めて、復活節第3主日ミサで説教したわけです。

田平教会での復活節第3主日は、皆さんも昨日のことのように覚えているでしょう。「中田神父は現在、薬を3種類服用しています」このセリフを言えば、あーそうだったと思い出してくれるでしょう。もう7年も前の話なので許してくれると信じておりますが、説教を準備し始めたのは赴任する2ヶ月前からでした。

今年、平戸地区も紐差教会で司祭の異動があり、私より10歳若い鶴崎神父様が着任しました。地区の司祭団で紐差教会に行って出迎えてきました。平均年齢が若くなります。着任早々、司祭館建設の事業が待ち構えています。大変だとは思いますが、きっとやり遂げてくれるでしょう。今日、ミサの説教ではどんなことを話しているでしょうか。

福音の学びに移りましょう。前半は、不思議な大漁の物語です。ヨハネ福音書6章の五千人の人にパンを食べさせる奇跡と重ねて考えると良いと思います。どちらの場合も、弟子たちは必要な食べ物を準備できませんでしたが、イエスがそれを準備してくださいました。

ヨハネはこの様子、つまり「必要な食べ物を用意できないでいたときに、自分たちに代わって用意してくれた」その様子を見てペトロに、「主だ」と言ったのでした。もう少し踏み込んで考えると、背景に旧約時代からの信仰があるかも知れません。

福音記者ヨハネは旧約聖書に明るい人物でした。創世記22章を思い出したはずです。アブラハムはイサクをささげるよう神に命じられます。最終的に木の茂みに角をとられていた雄羊を捕まえ、イサクの代わりにささげ、その場所を「ヤーウェ・イルエ」(主は備えてくださる)と名付けました。この出来事と不思議な大漁が重なったことでしょう。

次に、今週の朗読の後半部分は、イエスとペトロの深い信頼関係が見えます。ペトロは、イエスが三度目も「わたしを愛しているか」と言われたので悲しくなったとありますが、それでも互いの信頼関係は壊れません。イエスがペトロに「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(マルコ8・33)と言ったときでさえ、互いの信頼関係が傷付くことはなかったのです。

一つ疑問に思うのは、ペトロは本当にイエスから三度「わたしを愛しているか」と言われるまで何も考えなかったのだろうか、ということです。中田神父が同じ立場だったら、三度目には「あ、これは何かを気付かせようとしているのだな」と考えますね。ペトロは正真正銘、真っ直ぐな人だったのだと思います。

「悲しくなった」文字通りに取れば「理解してもらっていないのだろうか」と感じたわけですから、よほど正直な人だったのでしょう。私であれば、イエスが気付かせようとしているのはどの出来事だろうか、あれこれ考えたことでしょう。イエスの最期の場面で三度「知らない」と言ったことを思い出させようとしているのだろうか。

あるいはマタイ18章22節「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」あの言葉を思い出させて、イエスから何度「愛しているか」と問われても「愛しています」と答えることを求めておられるのだろうか。いろいろ考えるでしょう。

案外、そのどれも違うのかも知れません。あらゆることをペトロに考えさせて、考えたことのさらにその先、考えたことをすべて横に置いて、「わたしを愛しているか」とお尋ねなのかも知れません。

「わたしを愛しているか。」私はどう答えるでしょうか。「はい」と答えると思いますが、期待に応えることなどできないことは分かりきっています。それでも「はい」と答え続けること。イエスはきっと、その覚悟をお求めなのです。

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‥次の説教は‥‥
復活節第4主日(ヨハネ10:27-30)
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ちょっとひとやすみ
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▼五月になった。聖母月である。ロザリオの祈りにより親しむ月。信心深くない中田神父はロザリオの30分がいまだに長く感じる。当然のことだが、「長く感じない」という境地に達しなければ、ロザリオを語る人としては失格だろう。
▼五月連休はどうして過ごす?いちばん背を向けてきたことから始めるのが良いだろう。部屋の片付けもその一つ。部屋の片付けと関連するが、書類の整理整頓もだろう。部屋が片付いていれば、たいていの場合書類も片付いているに違いない。これから平戸地区で働くあの司祭に、部屋がきれいなうちに、どうか私のような「汚部屋」にならないでと願わずにはいられない。

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今週の1枚
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第785回目。片付かない部屋をと思ったりもしたが、楽しい将来を見て過ごす。

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神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)復活したイエスは弟子たちの真ん中に立ってくださった

2022-04-23 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/4/24(No.1177)
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神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)
復活したイエスは弟子たちの真ん中に立ってくださった
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教皇聖ヨハネ・パウロ二世から「神のいつくしみの主日」と名付けられた復活節第二主日を迎えました。この日は「トマス」が最も目立つ福音朗読です。私もトマスに注目して説教をまとめてみましたが、今年は新しい気付きもありました。

朗読の中で、トマスが目立っていて見落としてしまう記述があります。それは20章26節です。「さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」

トマスも一緒にいたという家は、またもや「戸にはみな鍵がかけてあった」のです。八日前に、復活したイエスが弟子たちの集まる場所に現れ、「弟子たちは主を見て喜んだ」(20節)はずでした。一週間も経たないのに、弟子たちが皆集まったその家の戸にはみな鍵がかけてあったというのです。弟子たちの喜びは何だったのでしょうか。

そうしてみると、出遅れた感のあるトマスでしたが、ほかの弟子たちとの差は大した差では無かったのかも知れません。先に復活の主と出会った弟子たちの心は、まだまだ弱いままだったのですから。この点は、30年同じ聖書の箇所を読み返して、初めて気づいた点です。

実は私には、一緒に神学校に入学したけれども叙階が私より遅れた同級生が二人います。一人は長崎教区の司祭、一人は福岡教区の司祭です。私の中では、今の今まで、少し遅れたその同級生に、「私たちは先に司祭になった」という意識があったかも知れません。

事実としてはそうですが、今週の福音朗読と重ねて考えるとき、「叙階の日付が多少違っていても、その差は大した差ではなかった。ほんの少しでも優越感を持っていたとしたら、とんでもない勘違いだった」そう思い始めています。

トマスが頑なな態度を取ってその弱さを表しましたが、ほかの弟子たちも八日経ってご出現に立ち会うとき、家の戸には鍵をかけていた、そんな弱さの中にいました。誰も、自分が優れていると人に威張ることなどできません。トマスだけが弱い信仰を持っていたのではなく、すべての弟子が未熟な信仰しか持ち合わせていなかったのです。

皆、何かしらの弱さを持っていますが、復活したイエスは弱い私たちを強めるために、真ん中に立ってくださいます。朗読の中に二度とも描かれていますが、「イエスが来て真ん中に立ち、「『あなたがたに平和があるように』と言われた」(19節26節)のです。

「真ん中」とはどの場所でしょうか。それは生活の真ん中にということです。自分のことで精一杯だったり、誰かを犠牲にして自分が成り立っていたり、さまざまな弱さがある。その生活の真ん中に復活したイエスが立って、私たちの信仰を強め、復活の証人にしてくださるのです。あとは私たちの生活の中心にイエスを迎えることができるように、場所を用意しておく必要があるのではないでしょうか。

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‥次の説教は‥‥
復活節第3主日(ヨハネ21:1-19)
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ちょっとひとやすみ
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▼受難の主日から復活の主日(日中)までを一気に書き終えていたせいか、いざ通常のように説教案を準備しようとすると、使える時間が少ないことに驚く。さらにその上に、葬儀ミサが土曜日に入ってしまい、使える時間はいよいよ少なくなる。
▼「切迫する前に、金曜日までに書けば良いではないか。」そう考える人も多いだろう。それがそうも行かない。説教はある意味「降ってくる」もので、金曜日の余裕のある時間では説教は降ってこない。なんとも悩ましい。
▼昨晩(金曜日の晩)風呂に入って温まっていたら説教が降ってきた。ある程度、その降ってきた言葉を書いたのが今週の説教である。


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2022年黙想会講話
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2022年3月に小教区黙想会を依頼され、「イエスと共に歩む人」というテーマで4回の講話をしたものをYouTube「ナカダコウジ」チャンネルにアップしています。ただ、YouTubeが視聴できない方のために、DVDでお分けすることが可能です。4回分、1700円(送料、専用封筒代込み)で受け付けます。ご希望の方はメールで「お名前」と「黙想会DVD希望」と書いてthomas.k.nakada@gmail.comまで連絡ください。追って連絡します。


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今週の1枚
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第784回目。契約が満了し、複合機の新規契約を組んだ。人感センサーで起動。

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復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9))あなたは復活の証人に造り変えられた

2022-04-17 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/4/17(No.1176)
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復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
あなたは復活の証人に造り変えられた
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あらためて主の御復活おめでとうございます。この説教もまた、さっきまで徹夜祭の説教を書いていて、その後に準備したものです。よくまぁ頭が切り替わるものだと感心します。

復活の主日日中のミサで朗読される箇所はヨハネ福音書20章です。典礼暦がABC年あるのにほかの選択肢はありません。「空の墓」がさらに強調されています。そして弟子たちは、復活徹夜祭の説教で触れたように、何はともあれ「空の墓」を訪ねることから始めます。

今年の聖週間説教は、テーマを決めて準備にかかりました。それは「イエス・キリストによる人類の和解」です。多少テーマに合わせようと無理をしたかも知れません。それでもあえて、「和解」をもたらす方は「仲介者イエス」を置いてほかにないことを確認したかったからです。

ウクライナの凄惨な映像の中で、教会が映っていました。テレビに映っていた教会の中でも「イエス・キリストによる和解」を祈り続けていたと思います。今年の聖週間は、ロシアのウクライナへの侵攻が終わって、両国が和解できるように皆さんと一緒に祈りたかったのです。

そしてこの聖週間の締めくくりとなる日中のミサの中で、空の墓を訪ねたペトロともう一人の弟子とともに、復活の証人に造り変えられたいのです。どんな人にも和解の手を差し伸べるイエスを捜し求めたが墓は空だった。それでもイエスは和解のために手を差し伸べてくださるはず。それはどこでどのように行われるのか。

イエスが愛しておられたもう一人の弟子は気づきました。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」と。和解を必要としているすべての人は、これからは墓に納められたイエスではなく、復活してくださったイエスと和解させてもらうのだということです。

この後弟子たちはガリラヤへ行くように言われます。ガリラヤはイエスと弟子たちが宣教活動を繰り広げた場所です。今回ガリラヤは復活したイエスと和解するための場所となります。復活節第二主日の朗読では「あなたがたに平和があるように」とイエスが招いています。

復活したイエスから和解の手を差し伸べられて、人は断ることができるでしょうか?私たちはその手を黙って握り、新たな気持ちでイエスについていく。できることはこれだけです。

私たちの至らなさを十字架にはりつけ、復活して私たちをゆるしの恵みで覆って証し人に造り変えてくださる。「忙しくてイエスを人に伝える暇が無い」と、本当に言えるでしょうか。

復活したイエスは、私たちが生活の中心にしている場所、「私たちのガリラヤ」で待っておられ、和解の手を差し伸べてくださいます。あなたはその手を、暇を見て握るのでしょうか。真っ先に手を取り、生活の中心にお迎えするのでしょうか。あなたが本当にイエスを信じているかが、今問われているのです。

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‥次の説教は‥‥
神のいつくしみの主日(ヨハネ20:1-9)
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ちょっとひとやすみ
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▼主の御復活おめでとうございます。早い時期の台風の影響か、聖週間の間強風続きでミサ参加者にも影響したかも知れない。荒れた天気の聖週間という記憶が無いので、これが何を意味するのか、警告を発しているのか、考えてしまった。
▼聖香油ミサで、叙階の節目を迎えた司祭のお祝いも行われた。銀祝を迎えた司祭のあいさつがとても印象深かった。三人の同期と話し合って、記念カードに「だれを捜しているのか」(ヨハネ18・4)という聖句を用いたそうだ。イエスを捜し求める司祭として生きていきたいということだろう。
▼その答えは驚くほど身近にあったというあいさつだった。助任司祭として浦上で務めていたとき、先輩の助任司祭のまっすぐな行動を見て、「私はこんな身近にお手本がいたのに、模範を遠くにあるものと思って捜していた」と考えたという。ここでは手短に書いているが、なかなかのあいさつをする後輩だった。


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2022年黙想会講話
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今週の1枚
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第783回目。今年の聖週間の実り。傾向としてB年は、復活祭が最も早いようだ

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復活徹夜祭(ルカ24:1-12))開かれた手を受け入れ、和解のために働こう

2022-04-16 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/4/16(No.1175)
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復活徹夜祭(ルカ24:1-12))
開かれた手を受け入れ、和解のために働こう
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主の御復活おめでとうございます。毎年同じ事の繰り返しですが、復活徹夜祭の説教は、聖金曜日説教準備の後30分も経たずに取りかかっていまして、人間的なことを言うと、さっきまで「十字架の手は開かれていますよ、あなたはこれを見てどう答えますか」と考えていたのに、切り替えが早いなぁという思いはあります。

そしてこうも思います。復活徹夜祭の福音朗読は、A年こそ復活したイエスが現れますが、B年C年の朗読では「天使の出現」と「空の墓」で延々、復活おめでとうございますと説教するのです。どうにかならないものかなぁと思います。皆さんに言ってもしかたのないことですが。

しかし空の墓でも、香料を持って出かけた婦人たちを動かすに十分でした。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」輝く衣を着た人は、イエスは復活なさったと証言し、婦人たちを次の行動に駆り立てたのです。

それでも、婦人たちに勇気を与えている力はどこから来るのでしょうか。もちろん復活したイエスが与えてくださっているでしょうが、何か見える「しるし」があるでしょうか。

やはり私は、金曜日の出来事をイエスとともに辿ってきた。そのことが婦人たちを行動に駆り立てているのだと思います。

婦人たちは選ばれた弟子たちよりも近くでイエスの最期を見届けました。開かれた和解の手、血まみれの手を取り、イエスによる和解に加わりました。和解のために手を開いて十字架の上で命をささげ、復活し、イエスはその手を取った人と今ここでともにいて、次の行動へと駆り立てているのです。

婦人たちの次に和解のために差し伸べられた手を取り、呼びかけに応じる相手は弟子たちです。そのため婦人たちは復活したイエスに送り出され、弟子たちのもとに急ぎました。

出来事を告げられたペトロは墓へ行き、何をなすべきかを考えます。ペトロは私たちすべての象徴です。何をするにも力が足りない私たちが、イエスのために何かお手伝いするにはどうすれば良いのか。考える必要があります。

それは、何はともあれ空の墓を訪ねて、その後復活したイエスに和解の手を差し伸べてもらい、その手を取ることです。和解のために差し出された手は、まだ釘跡の生々しい手かも知れません。その手に釘を押し当てたのは私の罪だったかも知れません。

そうと分かっていても、私たちは復活したイエスの手を取らなければ、イエスの弟子でなくなってしまいます。私たちがその手に釘を押し付けたのに、それでも復活の主は私たちに手を差し伸べてくださいます。私たちはそのいつくしみによって、死んだも同然の状態から造り変えられ、復活の証人としてもらえるのです。

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‥次の説教は‥‥
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ちょっとひとやすみ
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▼ウクライナを蹂躙しているロシア。ロシア兵の間の通信を傍受したとされる録音を聞いたとき、「こんな命令に従わないといけないのか?」と人間性を疑った。「指示をください」と確認を求める兵士に「ためらうことなく撃て。相手が誰であろうと撃つんだ」という上官の声が聞こえ、「はい分かりました」と返事をしていた。
▼しかし、どれだけ証拠が揃っても、ロシアの責任者たちを裁くことができるのか、はなはだ疑問である。日本でインタビューを受けているロシア人女性の言葉がとても胸を打った。「ロシアは犯したことの償いをこれから果たさなければなりません。どうか、ロシアを見捨てないでください。」復活したイエスは、誰も見捨てないために、十字架にかかられた。イエスは誰も見捨てたりしないのだから、私たちも同じ道を歩まなければ。


‥‥‥†‥‥‥
2022年黙想会講話
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今週の1枚
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第782回目。青と黄色の服で連帯を表してみた。主は皆さんとともにおられる。

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聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)和解のためにイエスは十字架を取られた

2022-04-15 | Weblog
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聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)
和解のためにイエスは十字架を取られた
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聖木曜日、イエスはイスカリオテのユダにも、和解への道を示そうとされました。聖金曜日、ご自身を犠牲にして、罪の責任を負わなくて済む方法を探っていた残酷な宗教指導者たちにも和解の道を残してくださいました。

十字架上の死をもってしても指導者たちは和解に応じなかったのですが、唯一「イスラエルの教師」とイエスから呼ばれたニコデモは、アリマタヤ出身のヨセフとともにイエスの遺体をユダヤ人の習慣に従って埋葬してくれました。ニコデモはイエスのうちに光を見いだし、初めてイエスを訪ねたときから光に照らされて生きていたのです。

さて「ヨハネによる主イエス・キリストの受難」の朗読全体を見渡したとき、「働きかけるイエスの姿」が受難の主日の朗読よりも強調されているのに気づきます。兵士たちと下役がイエスを捕らえようと近づいてきたとき、イエスは声をかけました。「だれを捜しているのか。」

イエスを兵士たち下役たちから守ろうと大祭司の手下に打ってかかったペトロにも声をかけました。大祭司カイアファのぶしつけな質問にもていねいに答弁します。ピラトにも、問いかけの何倍もの返事をしています。

裁判が終わって十字架のもとでも、母マリア、愛する弟子に声をかけます。これらはすべて、和解のための働きかけとなったのです。イエスをあからさまに拒む人にも、怖くてイエスの弟子であることを公にできない人にも、泣きながらイエスに従う人にも、和解のためにイエスの働きが必要です。ご自分の人としての最後の時間をすべて使って、和解の手を差し伸べてくださったのです。

「和解の手を差し伸べるイエス」は、最後に十字架にはりつけにされました。実際にそうだったかは別として、手のひらに釘を打たれた姿は、「和解の手」「差し伸べられた手」が、今も私たちのために開かれているからでしょう。

この釘打たれ、開かれたままの手を見て、ここに集まった私たちは何を考えるでしょうか。中田神父は、「差し伸べた私の手を取り、和解に応じて欲しい」と願っているように思えます。血まみれになって和解の手を差し伸べてくださる主に比べると、自分はなぜ血まみれになろうとしないのか。恥ずかしくなります。

「恥も外聞も捨てて」という言い方があります。イエスが十字架の上で示す姿そのままです。私たちはいつになったら、信仰のためならイエスと同じ姿になっても構わないと考えるのでしょうか。信仰によって招かれた生き方に、いつになったら命をかけ、血まみれになる覚悟ができるのでしょうか。

私たちはすべてを与えられた者なのに、すべてを与えてくださった方にすべてを委ねきることができないあわれな身分です。それでも十字架上のイエスは、今も手を開いて、私たちに和解の手を差し伸べておられます。開かれたイエスの手を取るか否かは、私たちに委ねられています。

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‥次の説教は‥‥
復活徹夜祭(ルカ24:1-12))
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ちょっとひとやすみ
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▼「センス・オブ・何だぁ?」の続き。「感じて育つ」という副題からすると、「育つ世代」を抱えている人たちにこの本をお勧めしたいと思う。保育園とか、幼稚園とか。あるいは小学生中学生を抱えている保護者にも読んでもらいたい。
▼聖なる三日間の典礼が始まっている。実は聖木曜日の朝、司祭館が停電した。時々停電するのでまたかと思ったがどうも復旧の兆しはないし、周囲での停電も起こっていない。電気関係に評議会議長が詳しいので忙しい中調べてもらったら、外部に電気を引いている箇所(イルミネーション等の電源ボックス、トイレ)で障害が発生しているらしい。私一人だったら「まだ聖木曜日なのに復活徹夜祭のローソクの儀式」を強いられるところだった。


‥‥‥†‥‥‥
2022年黙想会講話
‥‥‥†‥‥‥
2022年3月に小教区黙想会を依頼され、「イエスと共に歩む人」というテーマで4回の講話をしたものをYouTube「ナカダコウジ」チャンネルにアップしています。ただ、YouTubeが視聴できない方のために、DVDでお分けすることが可能です。4回分、1700円(送料、専用封筒代込み)で受け付けます。ご希望の方はメールで「お名前」と「黙想会DVD希望」と書いてthomas.k.nakada@gmail.comまで連絡ください。追って連絡します。


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今週の1枚
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第781回目。YouTube動画の冒頭タイトル。数ある中で見つけてもらえるように

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【重要なお知らせ】teacup. byGMOのサービス終了につきまして
いつもteacup.をご利用いただき、誠にありがとうございます。
長年にわたりご愛顧いただきましたteacup.ですが、2022年8月1日(月)13:00をもちまして、サービスを終了させていただくこととなりました。
teacup.の終了に伴い、ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解、ご了承いただきますよう、お願い申し上げます。

【重要なお知らせ】ウェブリブログサービス終了のお知らせ
ウェブリブログは、2023年1月31日をもちましてサービスを終了いたします。
日頃はウェブリブログをご利用いただき、ありがとうございます。2004年3月にサービスを開始したウェブリブログは、来年2023年1月31日に終了します。


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聖木曜日(ヨハネ13:1-15)互いに足を洗い合い、イエスの食卓に着く

2022-04-14 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/4/14(No.1173)
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聖木曜日(ヨハネ13:1-15)
互いに足を洗い合い、イエスの食卓に着く
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聖木曜日、イエスはイスカリオテのユダにも和解への道を示そうとされました。「皆が清いわけではない」と明言されても、足を洗ってくださり、誰も取り残されないように心を砕かれたのです。

イエスは「先生と弟子」の関係を超えて、和解のために僕の仕事を引き受けました。模範を示して、イエスが再び食事の席に着かれたことに目を留めましょう。これは過越の食事ですが、先生ができるのだから、弟子がそれをできないはずがない。そのことを確かめる席に着いたという意味もあるでしょう。身を低くすれば、できない和解はないのです。

この晩さんの席に着いた十二人の弟子たちは、心ではさまざまな思いが渦巻いていました。イエスが王座に着いたら右と左に座りたいと考える弟子がいました。財布を預かっていて中身をごまかしている弟子もいました。だれがいちばん偉いだろうかと議論したりもしていました。

ペトロはその中で最も素朴な弟子だったかも知れません。「あなたのためなら命を捨てます」と言えました。実際そうなる運命でしたが、もちろん自分の力ではありません。いよいよの場面ではイエスを「知らない」と三度否認します。それでも、ペトロの正直さは特別でした。

ペトロはイエスから足を洗ってもらうとき、「主よ、足だけでなく、手も頭も」と求めました。何かを表しているのではないでしょうか。「手」は人間の働きを、「頭」は人間の考えを、それぞれ表しているのではないでしょうか。働きのすべて、考えのすべてをイエスに清めてもらう。食卓に着く準備、一つのテーブルに着く準備がここに示されているのだと思います。

イエスの食卓に、名誉を求めている人、財布の中身をごまかす人、どこまでも素朴な人、さまざまな人が食卓に着きました。イエスが用意してくださる食卓には、どんな人でも席に着くことができます。ただ、食卓に着くすべての人が、互いに相手よりも低くなる、互いに仕え合う、その準備が必要です。

今日ここに集まった私たちすべてが、イエスの食卓に着くことができます。準備として、互いに相手よりも低くなることを引き受ける覚悟があるでしょうか。「あの人よりはマシだ」と考える人がいないでしょうか。その人の足を洗う、その人に仕える覚悟があるでしょうか。

こうしている今も、ウクライナとロシアは停戦交渉をしていることでしょう。イエスがおられるテーブルで一つになって、交渉をまとめてほしいと切に願います。イエスがおられるテーブルであれば、どんな事情があっても席について話し合えると信じます。聖木曜日、主の晩さんの食卓を囲みながら、世界中の人々が一日も早く平穏な日々を取り戻せるよう、心を合わせて祈りましょう。

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‥次の説教は‥‥
聖金曜日(ヨハネ18:1-19:42)
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ちょっとひとやすみ
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▼「センス・オブ・何だぁ?」という本を読んでいる。すぐに「センス・オブ・ワンダー」をもじったものかなと思って読み始めたが、これは日本版「センス・オブ・ワンダー」そのものだと思った。
▼驚きと発見、感動と喜び。こうした感覚が良く伝わってくる本だ。読み始めると、幼い頃に体験したことがよみがえってくる。裸足で走り回ったことがあるので、「足の裏のアンテナ」(15頁)はすぐに理解できた。
▼「雨を聞く」時間についても、自然豊かな敷地内に教会があるので、雨の中でも盛んに鳴き声を交わしている鳥たちに思いを馳せ、「鳥たちは、雨をどう思ってるのかな?」と、この本を読んでから考えるようになった。実に読み応えのある本なので、いろんな人にお勧めしようと思う。


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2022年黙想会講話
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2022年3月に小教区黙想会を依頼され、「イエスと共に歩む人」というテーマで4回の講話をしたものをYouTube「ナカダコウジ」チャンネルにアップしています。ただ、YouTubeが視聴できない方のために、DVDでお分けすることが可能です。4回分、1700円(送料、専用封筒代込み)で受け付けます。ご希望の方はメールで「お名前」と「黙想会DVD希望」と書いてthomas.k.nakada@gmail.comまで連絡ください。追って連絡します。


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今週の1枚
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第780回目。田平教会でミサをしていると、「ウクライナ」を想起する場面が。

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受難の主日(ルカ23:1-49)御父は和解の道のりを見守っておられる

2022-04-09 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/4/10(No.1172)
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受難の主日(ルカ23:1-49)
御父は和解の道のりを見守っておられる
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四旬節中、ミサの奉献文に「ゆるしの奉献文(二)」を使うようにしてきました。この奉献文には「人類の和解」という明確なテーマがあります。この奉献文で中田神父が第一に祈ってきたことは、ウクライナとロシアの人々の和解です。敵対することをやめて、和解できるように、和解のその時まで、私はこの奉献文を使い続けようと思っています。

「ゆるしの奉献文」の中に「キリストこそ救いのみことば、罪人に差し伸べられる手、まことの一致への道です」という祈りがあります。和解のためには敵対する両者が手を取り合わなければなりません。両者の手を握らせるのが、まことの一致への道であるキリストなのです。

和解のためには、敵対する両者が歩み寄らなければなりません。今日の受難の朗読の中でも、指導的立場にある人、群衆、イエスを信じる人々、すべてがイエスに引き寄せられています。イエスこそ、まことの一致への道です。どのような形であれ、イエスに近づき、歩み寄らなければ、一致点は見いだせないのです。

本日朗読された「ルカによる主イエス・キリストの受難」は、御父の側から和解の道を見守っておられると感じます。「和解のいけにえ」として差し出されたイエスの姿を、私たちは朗読を通して辿ってきたのです。イエスは「和解のいけにえ」なので、ご自分を弁護しません。

ちなみに、聖金曜日の「ヨハネによる主イエス・キリストの受難」は、御子イエス・キリストのほうから和解のために手を差し伸べる描き方です。イエスから語りかけられるたびに、兵士と千人隊長、大祭司、総督、ユダヤ人たちが和解の席に着き、導かれていくのです。

もちろん、完全に導かれ、過ちを認めるのではありません。それでもイエスは和解のために最後まで力を尽くされ、人間の努力で足りない部分は、ご自身の命によってあがなってくださいました。ロシアの戦争行為も、人間の反省だけでは和解にたどり着けません。人間の努力で足りない部分を、今もイエスはご自分の命であがなってくださるのです。

本日受難の主日は、聖木曜日、聖金曜日の典礼に参加できない人のための典礼でもあります。イエスこそ、自分たちの言い分を一歩も引かずに歩み寄れない人たちの一致への道です。イエスこそ、過ちを認めることのできない弱い人間を和解させる救いの手です。イエスの力により頼みましょう。

和解は、目に見える形では敵対する人が近づき、手を取り合うことで実現しますが、見えない部分ではイエスの力がなければ実現しません。この一週間、御復活の日まで「救いのみことば、罪人に差し伸べられる手、まことの一致への道」であるイエスに祈り続けましょう。和解の席に、人類すべてが座ることができますように。

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‥次の説教は‥‥
聖木曜日(ヨハネ13:1-15)
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ちょっとひとやすみ
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▼聖なる一週間が始まった。説教を、復活の主日(日中)まですでに書き上げた。リンクが張られているのでどうぞ。すでに説教を書き上げているので中田神父の聖なる一週間は終わったようなものだが、もう一度一週間過ごしていく。そして見えていなかった部分を見つけ、拾い上げていこうと考えている。
▼今年も新しいシスターが入れ替わりで入ってきた。聖週間を終えておいでになるとバタバタしないわけだが、修道会には修道会なりの事情がある。致し方ないので、それを織り込んで聖週間のお手伝いをお願いすることになる。協力して、一年間典礼の充実を図りたい。人の入れ替わりは、必ず化学反応を起こすから、何が起こるか楽しみだ。


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2022年黙想会講話
‥‥‥†‥‥‥
2022年3月に小教区黙想会を依頼され、「イエスと共に歩む人」というテーマで4回の講話をしたものをYouTube「ナカダコウジ」チャンネルにアップしています。ただ、YouTubeが視聴できない方のために、DVDでお分けすることが可能です。4回分、1700円(送料、専用封筒代込み)で受け付けます。ご希望の方はメールで「お名前」と「黙想会DVD希望」と書いてthomas.k.nakada@gmail.comまで連絡ください。追って連絡します。


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今週の1枚
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第779回目。受難の主日用の枝が刈り取られた。
これをスポーツ刈りと言うのか、モヒカンと言うのだろうか。

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† 神に感謝 †
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四旬節第5主日(ヨハネ8:1-11)ウクライナとロシアの人々ともイエスはともにおられる

2022-04-02 | Weblog
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(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/4/3(No.1171)
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四旬節第5主日(ヨハネ8:1-11)
ウクライナとロシアの人々ともイエスはともにおられる
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(説教の枕「エイプリルフールの夢」の後)とりとめのない話にお付き合いくださり、ありがとうございます。説教に入りましょう。「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。」(8・9)最後に、イエス一人と、真ん中にいた女性が残りました。ここに私は目を留めたいと思います。

今年、チャンスを頂いて紐差教会で黙想会の話をしました。皆さんの中にもすでにYouTubeで講話の様子を視聴された方もおられるでしょう。紐差教会での黙想会のテーマは「イエスとともに歩む」でした。イエスが私たちとともに歩いてくださるから、イエスに信頼して、誰かのために一緒に歩いてあげる人になってください。そういう展開でした。

実は今週の福音朗読でも、「ともに歩いてくださるイエス」の姿が描かれています。姦通の現場で捕らえられたという女性を排除し、追い詰めようとしている人々の中で、イエスだけはこの女性に寄り添ってくださいます。そして最後に、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(8・11)と言ってくださいました。

ここには直接触れられていませんが、「これから」についても、イエスは女性とともに歩んでくださることを匂わせています。女性は、その場を切り抜けられてホッとした、それ以上の支えをイエスから受け取ったはずです。罪に押しつぶされそうな人に誰も寄り添ってくれないことを見せつけられたのですが、そんな中でもイエスは寄り添ってくださる、ともに歩いてくださることを証明してくださったのでした。

紐差教会の黙想会の中で、ふと思ったことがあります。ロシアがウクライナに軍事侵攻して、ウクライナでは子供を含む民間人が多数犠牲になりました。ウクライナ兵を含めて、三千人以上犠牲になったかも知れません。また同時に、戦争を仕掛けたロシア軍の、前線にいる兵士達は、報道によるとウクライナ国民の数倍の犠牲者が出ていると言われています。

仮に、ウクライナ国民の犠牲者が三千人、ロシア軍の兵士の犠牲者がその二倍を超える七千人だとしましょう。一ヶ月で一万人の犠牲者は、過去のどの戦争よりも犠牲者の出るスピードが速いのです。これだけの犠牲者が不必要に出たことを見て、ある人たちは「神様は本当にいるのだろうか」と考えたことでしょう。そう考えるのも無理はありません。

しかし私はすぐにこう考えたのです。イエスは、ウクライナ国民にもロシア国民にも、ともに歩いてくださっている。ウクライナ国民が爆撃や砲弾の中を逃げ惑うあいだ、イエスもともに逃げ惑い、怯える人々とともにいてくださっている。そして残念ながら犠牲者が出ると、その犠牲者と同じだけのイエスが死んでくださっているのだ。そう考えました。

またウクライナの国土を踏みにじっているロシア兵とも、イエスはともに歩いてくださって、まるでエマオに向かって一緒に歩いていた弟子たちのように、一緒に歩いていることを気づいてくれなくとも辛抱強く説明し、心に語りかけたように、攻撃を止めないロシア兵に辛抱強く語りかけ、正しい心を取り戻すように呼びかけておられる。そしてロシア兵にも犠牲者が出ると、ともに歩んでおられるイエスもロシア兵とともに死なれているのだ。私はそのように考えたのです。

ですから「この戦争を見て『神様は本当にいるのだろうか』と疑う人に、『ウクライナ国民とロシア国民のために一万回死んでくださるイエスが神でなくて誰でしょうか?生と死を、寄り添ってともにしてくださる方は、神でなくて誰でしょうか?』」と答えたいのです。

来週から聖なる一週間が始まります。イエスが私たちのために十字架にかかって死んでくださり、復活なさる聖なる一週間ですが、いまだにイエスの十字架上の死を神がなぜ引き受けなければならないのか疑問に思う人もいるかも知れません。今週の説教が、そのことを理解する助けになればと思っています。ウクライナ国民にもロシア国民にもともに歩んでくださり、亡くなっていく人々とともに今も死んでくださる慈しみ深い方が、私たちの信じる神なのです。

最後に、ミサ依頼を貼る掲示板には、2022年度の教区司祭人事異動を掲載しております。中田神父は6年前の4月6日に田平に赴任し、6年が過ぎたのでひょっとしたら異動かもしれないなぁ、と思っておりました。しかし結果は、一覧表の通りでほんのわずかの人事異動だけが発令されただけでした。大司教様が考え抜かれた結果だと思います。

私も気持ちを入れ直して、田平教会の皆さんと、この一年をともに歩み、喜びと悲しみ、収穫と、場合によっては苦しみも、ともにしたいと思います。どうか今年も一年よろしくお付き合い願います。

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‥次の説教は‥‥
受難の主日(ルカ23:1-49)
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ちょっとひとやすみ
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▼エイプリルフールに夢を見た。脈絡も無いまま二つの「組」の事務所を訪ねていって「ナカダコウジと申します」と言ったかと思うと短刀を抜き、「グサッ」と組長を襲撃。組員が慌てふためく中を黙って歩いて帰ってきた。
▼あれは何だったのだろうか?実はその数日前にも面白い夢を見て、「少年ジャンプ」に出てくるようなヤンキーカップル二組が「よお神父さん。結婚さしてくれや」とやって来た。教会での結婚には、教会が考える結婚観を理解してもらうために勉強会が必要なことと、申込書を書いてくれと言って書かせているうちに私は司祭館の勝手口から逃げ出すという夢だった。
▼どちらも奇妙な夢だが、何か背景があるのかも知れない。どちらも二組だし、どちらも過激な人たちだ。何か思い当たることがあれば、後日書き加えたい。


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2022年黙想会講話
‥‥‥†‥‥‥
2022年3月に小教区黙想会を依頼され、「イエスと共に歩む人」というテーマで4回の講話をしたものをYouTube「ナカダコウジ」チャンネルにアップしています。ただ、YouTubeが視聴できない方のために、DVDでお分けすることが可能です。4回分、1700円(送料、専用封筒代込み)で受け付けます。ご希望の方はメールで「お名前」と「黙想会DVD希望」と書いてthomas.k.nakada@gmail.comまで連絡ください。追って連絡します。


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今週の1枚
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第778回目。教会敷地の桜が満開。人数限定で花見をしたいものだ。

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