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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2021/10/31(No.1146)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第31主日(マルコ12:28b-34)
「遠くない」という評価で満足できますか?
‥‥‥†‥‥‥‥
今週の福音朗読は「最も重要な掟」という小見出しが付けられている箇所で、律法学者が適切な答えをしたとして、イエスから「あなたは、神の国から遠くない」(12・34)と称賛される場面です。
福音書の中で律法学者はほとんど敵対する勢力として描かれていますが、この律法学者は偏見なしに、謙虚にイエスに耳を傾け、掟に込められた神の愛を正しく理解し、神に応える道も理解します。ただ、「あなたは、神の国から遠くない」というイエスの答えは、やや引っかかります。
説教の途中ですが、ミサの始めにお知らせしたとおり、福岡教区のドミニコ田川清美神父様が10月17日に亡くなり、司祭のみで18日通夜、19日葬儀ミサが福岡教区の司教座聖堂カトリック大名町教会で行われました。
中田神父がFAXの通知に気付くのが遅れ、通夜葬儀に参列できなかったばかりか、弔電も香典も届けることができなかったのは痛恨の極みです。代わって、本日と11月3日の墓地ミサと、来週のミサ、合計3回、ミサをささげたいと思います。申し訳ありませんでした。
田川神父様の経歴を見ると、隠退生活23年を除く現役の司祭生活44年のうち、いくつかの教会の助任として9年間務めたのち、あとの35年間は馬渡島教会と呼子教会の主任だけを務めておられます。珍しい経歴です。馬渡島教会と呼子教会に交互に2回ずつ赴任です。考えさせられるものがあります。
福音に戻りましょう。登場する律法学者は、「あらゆる掟の根本となる掟」をイエスから示され、それを十分に理解しました。彼は「先生、おっしゃるとおりです」(12・32)と言っていますから、手放しでイエスの答えに同意したのでしょう。ただ、「遠くない」という評価にとどまりました。
十字架にはりつけにされた犯罪人の一人は、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)と約束してもらいました。ある百人隊長には、その部下のいやしを願う中で「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(マタイ8・10)と宣言します。
それからするとイエスの「遠くない」という表現は、やや評価が低いような気がします。何がその原因なのでしょうか。あえて、その「差」を考えるなら、律法学者は十分な理解ができていたのにイエスに自分を委ねるための一歩を踏み出せなかった、ということかも知れません。
そう思って読み返すと、律法学者は「これからイエスの答えに添えるよう生きていきます」とは言っていません。「『すべてに超えて神を愛し、隣人を自分のように愛する生き方』を十字架上の死に至るまで貫くイエスに従ってまいります」そんな態度表明もありません。それでイエスも、「あなたは、神の国から遠くない」という称賛にとどまったのかも知れません。
高校生の時の体験を思い出しました。高校には物理という授業がありまして、名前は思い出せませんが風変わりな先生がこの授業を担当していました。授業中に、「女の子を完璧に口説く方法を教えてあげよう。」そんな、授業とはおよそ関係のない話を大真面目にしていました。物理の授業は全く役に立ちませんでしたが、「女の子の口説き方」はその後、人を説得する時に大いに役に立ちました。
学期末試験の時のことです。勉強した内容がズバリ的中し、手応えのある答案を出すことができました。答案を返してもらう際、みんなの前で「100点」と呼ばれたのでやったねと思っていたら、別の生徒が「P」と呼ばれたのです。
先生から「P」と発表された生徒は、私が逆立ちしても成績を上回れない神学生仲間でした。「100点ではなく、『P』とは何だ?」としばらく考えて分かりました。「P」とは「パーフェクト」という意味で、私は一カ所、教科書のとおりに書いてなかったのです。私の答案は100点ではあるけれどもパーフェクトではなかった、ということのようでした。
あの体験は「あなたは、遠くない」という意味をのちに理解する出来事だったと思います。最後まで私は、その先生の科目で「P」を取ることはありませんでした。思い出すたびに今も「あなたは、遠くない」という言葉の意味を考えるのです。私は自分の務めに、あと一歩踏み込めていないのではないかと。
仮に50年、司祭職を務めさせてもらうとすると、あと20年ほど残っています。イエスは「第一の掟は、これである」「第二の掟は、これである」と示されました。司祭職の中で、神を力を尽くして愛する20年を生きる。司祭職の中で、隣人を自分のように愛する20年を生きる。どちらも表裏一体なのだと思います。言い換えれば、司祭職を愛し抜く。これが、第一の掟と第二の掟を同時に果たす生き方なのだと思います。
お一人お一人、「この二つにまさる掟はほかにない」とイエスが示された掟を自分に当てはめて考えましょう。「掟」としてだけ当てはめるのではなく、「生き方」として当てはめる時、この二つの掟は神をより深く愛するためにイエスによって示されたのだと理解できるでしょう。
神をより深く愛するための掟であるから、一歩踏み出すのは自然なことです。一歩を踏み出さず、「あなたは、神の国から遠くない」で終わる人生にすべきではありません。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第32主日(マルコ12:38-44)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼大阪から懐かしい親子が訪ねてきた。かつては田平教会の名物おじさんだったので、田平の多くの人が知っている。しばらく談笑し、時間が戻った感じだった。田平教会の恩人。
▼前晩のミサを収録し、また録音して「動画の製作」「ミサ録音CD製作」をしていたが、最近の動画撮影カメラは優秀なのでそちらの音声を「録音CD製作用」に回してみた。遜色ない音源だった。
▼これまで両方用意して、両方編集していたわけだが、ちょっと無駄な労力だったかも。時間は24時間と限られている。無駄に時間を失いたくないので、これからは撮影の際に収録された音源をそのまま録音CDに使っていく。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第753回目。洗濯に出そうと上着を抜こうとしたら抜けなくなり、こんなことに。
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【文庫本の問い合わせについて】
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ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
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2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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今週の福音朗読は「最も重要な掟」という小見出しが付けられている箇所で、律法学者が適切な答えをしたとして、イエスから「あなたは、神の国から遠くない」(12・34)と称賛される場面です。
福音書の中で律法学者はほとんど敵対する勢力として描かれていますが、この律法学者は偏見なしに、謙虚にイエスに耳を傾け、掟に込められた神の愛を正しく理解し、神に応える道も理解します。ただ、「あなたは、神の国から遠くない」というイエスの答えは、やや引っかかります。
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十字架にはりつけにされた犯罪人の一人は、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)と約束してもらいました。ある百人隊長には、その部下のいやしを願う中で「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(マタイ8・10)と宣言します。
それからするとイエスの「遠くない」という表現は、やや評価が低いような気がします。何がその原因なのでしょうか。あえて、その「差」を考えるなら、律法学者は十分な理解ができていたのにイエスに自分を委ねるための一歩を踏み出せなかった、ということかも知れません。
そう思って読み返すと、律法学者は「これからイエスの答えに添えるよう生きていきます」とは言っていません。「『すべてに超えて神を愛し、隣人を自分のように愛する生き方』を十字架上の死に至るまで貫くイエスに従ってまいります」そんな態度表明もありません。それでイエスも、「あなたは、神の国から遠くない」という称賛にとどまったのかも知れません。
高校生の時の体験を思い出しました。高校には物理という授業がありまして、名前は思い出せませんが風変わりな先生がこの授業を担当していました。授業中に、「女の子を完璧に口説く方法を教えてあげよう。」そんな、授業とはおよそ関係のない話を大真面目にしていました。物理の授業は全く役に立ちませんでしたが、「女の子の口説き方」はその後、人を説得する時に大いに役に立ちました。
学期末試験の時のことです。勉強した内容がズバリ的中し、手応えのある答案を出すことができました。答案を返してもらう際、みんなの前で「100点」と呼ばれたのでやったねと思っていたら、別の生徒が「P」と呼ばれたのです。
先生から「P」と発表された生徒は、私が逆立ちしても成績を上回れない神学生仲間でした。「100点ではなく、『P』とは何だ?」としばらく考えて分かりました。「P」とは「パーフェクト」という意味で、私は一カ所、教科書のとおりに書いてなかったのです。私の答案は100点ではあるけれどもパーフェクトではなかった、ということのようでした。
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お一人お一人、「この二つにまさる掟はほかにない」とイエスが示された掟を自分に当てはめて考えましょう。「掟」としてだけ当てはめるのではなく、「生き方」として当てはめる時、この二つの掟は神をより深く愛するためにイエスによって示されたのだと理解できるでしょう。
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▼前晩のミサを収録し、また録音して「動画の製作」「ミサ録音CD製作」をしていたが、最近の動画撮影カメラは優秀なのでそちらの音声を「録音CD製作用」に回してみた。遜色ない音源だった。
▼これまで両方用意して、両方編集していたわけだが、ちょっと無駄な労力だったかも。時間は24時間と限られている。無駄に時間を失いたくないので、これからは撮影の際に収録された音源をそのまま録音CDに使っていく。
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