こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

聖家族(ルカ2:22-40)イエスは、ご自分が触れるすべてを聖別してくださった

2023-12-25 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/31(No.1273)
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聖家族(ルカ2:22-40)
イエスは、ご自分が触れるすべてを聖別してくださった
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今年は12月31日が聖家族の祝日となりました。一年納めの日が日曜日でした。中田神父にとってまるまる一年ではありませんが、皆さんのお祈りとお支えによって何とか今日を迎えることができました。感謝いたします。8ヶ月で、何年分もの経験をさせてもらいました。最近気づいてビックリしたのは、もみあげが白くなっていました。苦労も経験させてもらったということでしょうか。

この一年でいちばん新しさを経験したのはミサの儀式書です。皆さんはずいぶん慣れてきたでしょう。司祭たちは儀式書の細かいところまで注意して唱えるので、この一年大変な思いをして唱えてきました。助任司祭のように若くて記憶力も衰えていなければ、変更点にもすぐ慣れていくかも知れません。しかし私のような30年選手には、今回の儀式書の変更にはずいぶん手こずりました。何せ30年同じ唱え方をしてきたことを切り替えるわけですから簡単ではありません。

今もって悔しいのは、これまで顔を上げて唱えていた部分も、顔を上げてささげることができない、ということです。去年までは、皆さんの顔を見ながら、第二奉献文を唱えることができていたのです。「まことにとうとくすべての聖性の源である父よ・・・」ところが今は儀式書を見て唱えないと不安になります。唱え始めて一年しか経っていないからです。30年選手の威厳も貫禄も見せられない。そこがいちばん悔しいです。もっと上の先輩は、もっと悔しがっていることでしょう。

ところで、奉献文の中でパンの聖別の言葉があります。「皆、これを取って食べなさい・・・」司祭は、大きなホスチア一枚だけを手に取って唱えていますが、この聖別の言葉で、祭壇の上にあるすべてのホスチアが聖別されます。イエス様は、司祭を通して、触れている物だけでなく、祭壇上のすべてのものを聖別してくださるのです。

今日、福音朗読はイエス様が神殿で献げられる場面の朗読でした。中田神父はここにも、パンの聖別と同じことが起こっている。そう考えたのです。律法によれば、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるわけです。出エジプト記13章2節「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである」これがもとになっているのでしょう。

しかし、神の独り子イエス・キリストの神殿奉献は、これまでとは違ってイエスによって触れるものすべてが聖別された、そう考えてみたのです。幼子を抱いて、ヨセフとマリアが神殿に出向きます。幼子イエスによって、ヨセフとマリアが聖別された。両親が連れて来た幼子を、シメオンが抱きました。

シメオンは幼子イエスによって聖別されました。のちに女預言者アンナも、幼子イエスに聖別されます。もっと言うなら、エルサレム神殿と、すべての聖所が、イエスによって聖別された。司祭を通してイエスが祭壇上のすべてのパンを聖別なさるように、イエスによって聖別された。私はそう考えたのです。

さてこのイエスによって聖別されるすべての中に、皆さんは含まれないのでしょうか。説教の流れをよくご理解の皆さんでしたら分かるでしょう。私たちも、幼子イエスによって聖別され、聖家族に加えられるのです。聖体拝領が可能なら、拝領することで私たちが聖別されます。もし何らかの事情で聖体拝領できない人でも、ここに集まっていることで聖別される。そう言って良いのではないでしょうか。

もちろん、幼子イエスによって私たちが聖別されたとしても、私たちはいつか罪によって聖なる状態を失ってしまいます。それで私たちは、頻繁にミサに与り、聖体を拝領するのです。12月10日に触れましたが、日曜日だけミサに参加していた人は年に一度でも良いから、平日のミサ参加を考えてください。あなたの生活全体を、イエスは聖なるものとしてくださるはずです。

誕生日や、結婚記念日、年に一度の日にぜひ検討してください。私たちはイエスによって聖なるものとされ、聖家族に加わる。このことを今週の糧として持ち帰りましょう。説教が長くなってしまいました。

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‥次の説教は‥‥
神の母聖マリア(ルカ2:16-21)
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ちょっとひとやすみ
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▼2023年は、まれに見る忙しい年を経験させてもらった。会議で言えば、「カテキスタ会議」「典礼委員会」「評議会役員会」「評議会」「地区評議会」「教区評議会役員会」「教区施設統廃合検討会議」「司祭評議会」「顧問会」など。これでもいくつか載せていない。
▼福江小教区・井持浦小教区・浜脇小教区、三つの小教区のこともある。まぁ簡単に言えば、私には背負いきれない、ということだ。助任司祭が助けてくれている。その助任司祭も、一人は4年目を過ごしていて、一人は3年目を過ごしている。

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今週の1枚
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第880回目。堂崎福江間司祭団マラソン中間地点。聖家族も典礼暦の折り返し。

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† 神に感謝 †
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主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)毎日眺めてもよい救い主です

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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/25(No.1272)
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主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)
毎日眺めてもよい救い主です
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あらためて主の降誕おめでとうございます。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(1・14)ここにお集まりの皆さんは、「誕生の喜び」を特別に知っている方々だと言えます。夜半のミサでご降誕を祝い、翌日の日中のミサも続けて来てくださっているからです。

中田神父は経験できないことですが、自分に家族がおられて、誕生の喜びを分け合ったことがあるなら、新しい命がずっと見ていても見飽きないという経験を持っているのではないでしょうか。鯛ノ浦に住んでいる私の母親は、妹夫婦に男の子が生まれ、祖母となった時に、毎日見ても見飽きないと、素直に喜びを表していました。

毎日眺めていると、小さな変化にも気がつくことでしょう。日々の成長を、細かく記憶していることでしょう。その体験は、今日ご降誕の日中のミサを祝うために大いに役立ちます。なぜなら、救い主としてお生まれになったイエスは、これから日々成長して、神と人とに愛されるようになります。

私たちは、昨晩に続けて幼子イエスを訪問に来たのですから、イエスの成長と共に、私たちも前に進んでいきましょう。イエスは神殿に奉献され、幼いときに命を狙われ、エジプトに避難します。12歳の時には神殿で学者と議論します。

さまざまな場面が、人となられた神の子の成長を確かめる場所です。私たちは、その一つ一つの出来事にミサの典礼の中で立ち会いたいと願っているでしょうか。それぞれの出来事に私たちが立ち会うなら、私たちにとっても霊的に成長する糧をいただくことになります。

降誕夜半のミサで、具体的には触れませんでしたが、何十年もルカ福音書の誕生物語を朗読し、説教しているわけです。その中で「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」(ルカ2・7)これはどういうことだろうと毎年考え抜くのです。

たまたま、宿が満席だったのでしょうか。面倒を避けたくて、宿屋が泊めさせてくれなかったのでしょうか。金持ちが何部屋も貸し切って、宿を取れなかったのでしょうか。中田神父が20代30代だったとき、面倒を避けようとしたことは想像できませんでした。金持ちが何部屋も貸し切ったかもしれないという発想は、50代になるまで浮かびませんでした。けれども想像したどの理由も、人間の世の中ではあり得るのです。

何十年も思い巡らして気づくこともあります。だから、イエスの一つ一つの出来事に、私たちもついて行くことは意味があるのです。毎週あずかっているミサは、同じ事の繰り返しですが、何年何十年と参加して参列者が気づくこと、ミサをささげる司祭が気づくこともあるのです。

日中のミサで朗読されたヨハネ福音書の始まりの部分も、何十年も朗読してきましたが、今年、初めて次の箇所に目が留まりました。「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」(1・16)とっくにこの箇所に目が留まり、取り上げていてよいはずですが、この歳になって特別に目が留まったのです。

今年のクリスマス、一人の神父様は大腸がんという大病を患った中でミサをおささげします。だれがそんなことを想像できたでしょうか。けれども私は、ヨハネ福音記者が捉えた「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」このメッセージは今年のためにあると、信じたいのです。

わたしたちの間に宿られたみことば、イエス・キリストのおかげで、例外なく皆が、恵みの上に、更に恵みを受けた。絶対にそうなんだと、言い聞かせています。あなたにとって、おいでくださったイエスは毎日眺めてもよいと思える救い主でしょうか。来年また見に来ます。そのような存在でしょうか。今日ここにお集まりの皆さんは、毎日眺めていたい、毎日私の心に留まっていてほしいと願っている、そんな皆さんに違いないと信じております。

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‥次の説教は‥‥
聖家族(ルカ2:22-40)
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ちょっとひとやすみ
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▼日中のミサが「仕事で参加できません」と返事する人が増えてきたのはいつ頃からだろうか。少し前だと、クリスマスに参加できる化できないかを悩む人は少なかったのではないか。福江教会では日中のミサが6時と9時と二回あるので、ほぼ問題なさそう。

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今週の1枚
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第879回目。クリスマスに関係ないけど、あの人は何歳?何年生まれ?

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† 神に感謝 †
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主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)にぎやかな場所から少し離れてお生まれになった

2023-12-24 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/25(No.1271)
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主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
にぎやかな場所から少し離れてお生まれになった
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主の降誕おめでとうございます。中田神父にとっては初めて、福江教会でクリスマスを迎えます。夜半のミサでは、宿屋ではなく家畜小屋で生まれた救い主を強調したいと思います。

朗読では次のように記されています。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(2・6-7)

住民登録で自分の町に戻っていたヨセフでしたが、宿屋に恵まれませんでした。マリアのことを考えると、宿屋を見つけられなかったことはどんなに辛かったでしょう。けれども、ヨセフとマリア、もうすぐお生まれになるイエスに泊まる場所は与えられなかったのです。

しかし、イエスの誕生の場所は確保されました。「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」家畜小屋に、誕生の場所が恵まれました。ここは、人々でにぎわう真ん中ではなく、にぎやかな場所から少し離れた場所でした。私はこう考えます。神様の計画は、人々でにぎわう真ん中ではなく、そこから少し離れた場所で、始まっていくのです。

救い主誕生の知らせが、まず羊飼いに知らされました。羊飼いも家畜を飼っているので、人々の真ん中には住みません。家畜が、少し離れた場所で飼われているように、羊飼いもにぎやかな場所から少し離れたところで暮らす人々です。救い主誕生は、この「にぎやかな場所から少し離れた人」に、まず知らされたのでした。

ご降誕夜半のミサが示していることを、私たちもよく考える必要があります。クリスマスがやって来る、そう言って世界中の人々が浮き足立っています。クリスマスの飾りを用意しましたが、豪華なものはほかにもあるでしょう。しかし私たちキリスト者は、そのにぎやかな場所から少し離れた場所に、目を留めなければなりません。

中には、「それは私の人生と重なる」と考えている人もいるかも知れません。これまで、にぎやかな場所からは少し離れた、あまり目立たない場所に置かれていた人もいるでしょう。自分の居場所がないまま、何とかその日その日を暮らしてきた人もいるでしょう。

そうしたにぎやかさから少し離れた人生だった人には、救い主の誕生は強く心を惹きつけるはずです。イエスは、あなたと同じようにして生まれました。にぎやかさから離れた場所、あなたのような人生だった人のすぐそばで生まれた。飼い葉桶に眠る幼子は、それを全身で伝えようとしているのです。

福江教会で今ご降誕のミサをしています。同じ時間に、私たちよりも商店街は人が集まっているかも知れません。にぎわっているかも知れません。私たちはお生まれになった救い主を、そのにぎやかな場所に探すのではありません。そこから少し離れた、この聖堂に、救い主を探しに来たのです。

闇を照らす光を、まぶしい光に満ちた場所に探し求めるのではなく、ほかに頼る光もない私たちは、静かな場所に探しに来ました。そして、暗闇を照らす唯一の光を見つけたのです。この光は、私たちから決して奪われることのない光です。救い主誕生を、正しい場所で確かめたので、私たちの喜びは決して奪われることがないのです。

天使から救い主誕生を知らされた羊飼いは、直ちにその姿を確かめに急ぎました。この夜半の朗読にはそのことは書かれていません。そう考えると、現代の私たちこそ、救い主を最初に礼拝する人ではないでしょうか。

私たちは降誕節のうちに、いただいた喜びを出会う人に届ける必要があります。にぎやかな場所から少し離れた人々は、私たちの受けた光、受けた喜びを今の時代にも必要としているのです。

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‥次の説教は‥‥
主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)
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ちょっとひとやすみ
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▼福江教会のイルミネーションはかなり派手だ。質素でも派手でも、メリットはあるだろうから特に意見はしない。マリア様のルルドで、お祈りができるかちょっと心配したが、天の大軍が賛美を唱えている姿と思うことにしよう。

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今週の1枚
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第878回目。小さな小さな、クリスマス。それぞれの家庭に主はおいでになる。

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待降節第4主日(ルカ1:26-38)マリアの答えが想定を上回っていたので去って行った

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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/24(No.1270)
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待降節第4主日(ルカ1:26-38)
マリアの答えが想定を上回っていたので去って行った
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人間も還暦が徐々に近づいてくると、非常にずる賢くなるようです。誰かが自分に説明して聞かせているとしましょう。その話の中身を、話している相手よりも数倍詳しく知っているのに、「ほぉ。そうか。なるほど」と、初めて聞いた話であるかのように聞いたりします。

内心は「誰に向かって話しよるとや」と思っているのですが、それを顔に出さず、「おお。お前詳しいんだな」と返したりします。話している相手は大満足です。思い返すと中田神父も、30年前には主任神父様に同じように何かを得意になって話していたのかも知れません。

主の降誕がもうそこまで来ています。準備を急ぎましょう。イエスの誕生の予告が、本日の福音朗読箇所です。朗読で目に留まったのは、天使ガブリエルとマリア、ともに「言った」場面が二度ありまして、マリアの語られた言葉が、特に印象的です。

天使ガブリエルが神から託された言葉は、心の清いマリアでさえも、戸惑い、考え込むほどでした。一般的に何かの挨拶は、相手を間違えていない限り、思い当たることがあって、「あー、そうなんだな」と受け入れることができるのですが、「いったいこの挨拶は何のことか」(1・29)と感じたのです。

マリアの一回目の「言った」では、天使ガブリエルの二度の「言った」を受けとめるため、マリア自身を完全に解き放ちました。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(1・34)これは心を閉ざす方向にではなく、何とかして受けとめようと、心を解き放って尋ねた言葉でした。

そして天使ガブリエルが答えます。天使の答えを聞いて、マリアの二度目の「言った」は次の通りです。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(1・38)ご自身をすっかり委ねるマリアの言葉は、天使に託された言葉を包み込むものでした。

マリアの「言った」が十分だったので、天使は満足し、これ以上何も語る必要がないので去って行きました。人間の言葉が、神から託された言葉を包み込むほどであったのは、これが最初で最後だったことでしょう。マリアは二度の「言った」の中で、心を神に向けて完全に解放し、ご自身をすっかり委ねたのです。

これが、私たちに示されたご降誕への最後の準備です。ご降誕は目の前です。私の心を御子の住まいとして、完全に解放しておきましょう。「準備しますから、しばらくお待ちください」ではありません。すぐに泊まっていただけるように、完全に解放しておきましょう。

そして、御子イエスの願いに、自分自身をすっかり委ねましょう。新生児に必要な場所は、静かで温かみのある部屋です。いざとなったら、イエスのとどまる部屋を保つためにこの世の騒がしさから逃れましょう。「お言葉どおり、この身に成りますように。」神に自分を委ねる決意をささげて、夜半のミサに備えましょう。

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‥次の説教は‥‥
主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
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ちょっとひとやすみ
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▼五島市では、車に「雪対策(冬対策)」が必要らしい。「◯◯自動車に、相談してみてください」と勧められた。考えると、井持浦教会までは何度か峠を越えるので、冬用タイヤは必要かもしれない。近いうちに電話かけなきゃ。

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今週の1枚
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第877回目。ルルドのイルミネーション。ほぼ一人で、製作している模様。

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待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)私たちの教会に光について証しする人はいますか

2023-12-15 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/17(No.1269)
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待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)
私たちの教会に光について証しする人はいますか
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この前、青年会のミニバザーに参加して愛のわざを実践しましょうと言ったら、去年の二倍の参加者だったそうです。宣伝しすぎましたかね?青年会もとても喜んでくれました。ありがとうございました。

今年は待降節が短いです。来週待降節第4主日ですが、その日のうちに主の降誕・夜半になります。12月3日から、待降節は3週間しかありませんでした。先週と今週、洗礼者ヨハネの証しを通して私たちはご降誕の準備をしています。洗礼者ヨハネは光について証しをします。

クリスマスが近づくと、決まって一種類の電話が繰り返しかかってきます。この時期に、うんざりするほどかかってくる電話です。この前の電話はこうでした。「24日のミサは何時ですか?」中田神父は意地悪なので、「24日朝は6時と9時です。」と答えます。

すると、「それってクリスマスのミサですか?」と聞き返してきます。「いいえ。待降節第4主日ミサです。」すると更に聞き返してきます。「クリスマスのミサはないのですか?」「ありますよ。夜半のミサは夜7時からです。」「ちなみに25日はミサはありますか?」「25日は朝6時と9時です。」この電話がずっと続きます。

この電話の応対で、私は罪に罪を重ねてしまいそうです。「そんなことでいちいち教会に電話かけてくるな」とか、「全部のミサに来ないくせに、ミサの時間を全部聞く必要があるのか」など、罪深いことを心の中で叫んでいます。

ここでようやく、洗礼者ヨハネの使命に思いが向かいます。「彼は光ではなく、光について証しをするために来た。」(1・8)中田神父は光ではなく、光について証しをするための存在です。「クリスマスのミサは何時ですか?」この電話はきっと、イエス・キリストに出会いたいから電話をかけているのでしょう。電話の応対は光について証しをすること、光である御子イエスの誕生に導くこと。そう自分に言い聞かせて、何度同じ事を聞かれようとも、誠実に対応しなければと思いました。

洗礼者ヨハネは、一度も自分に誉れを受けることなく、光であるイエスに誉れがもたらされるように働き続けました。彼はほかの箇所でこうも言っています。「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。」(3・29)

イエス・キリストがおいでになるために、洗礼者ヨハネの働きはどうしても必要でした。彼の働きはのちにイエスから「ヨハネは、燃えて輝くともし火であった」(5・35)と称賛しています。世間的には「日の目を見ない働き」と映るかも知れません。それでも、救い主の準備のために、必要な人なのです。私たちの教会がイエス・キリストの輝きを映し出す鏡になるためにも、洗礼者ヨハネのような働きが必要です。

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‥次の説教は‥‥
待降節第4主日(ルカ1:26-38)
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ちょっとひとやすみ
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▼YouTubeにアップする動画をカメラ一台で作っていたが、今週からカメラを二台使うことにしている。祭壇上の撮影、カメラを動かして説教台の撮影、またカメラを戻して祭壇上の撮影。これは面倒だし、カメラの位置を間違う危険が増すことになる。カメラ二台でお金はかかるが、まぁ元は取れるだろう。

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今週の1枚
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第876回目。カメラ二台とそのリモコン。早くからそうすればよかったのに。


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† 神に感謝 †
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待降節第2主日(マルコ1:1-8)主の道を整え、道筋を真っ直ぐにせよ

2023-12-08 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/10(No.1268)
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待降節第2主日(マルコ1:1-8)
主の道を整え、道筋を真っ直ぐにせよ
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「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」(1・3)イザヤのことばは、洗礼者ヨハネによって実現しました。曲がりくねった道、ああ言えばこう言う、これが現実です。それでもヨハネは、ダメなものはダメと、曲がったことと決して妥協せずに救い主到来を準備させました。

しかし周りを見れば、曲がったことと妥協したり折り合いを付けたりして生きています。たとえ人の道に反すると思っていても、「人の道に反しています」とはっきり指摘を受けてさえも、臆病になり真っ直ぐにすべきことができない、哀れな現実があります。洗礼者ヨハネの、竹を割ったような真っ直ぐな歩き方に合わせることができない人は、うつむくばかりです。

しかし、あとから来られる救い主は、弱くて道筋を真っ直ぐにできない哀れな人にも、憐れみをかけ、赦しを与えようとされます。私たちはその方を今まさに待ち望んでいるのです。仮に「悔い改めます」と、日に七度告白するような人にも、希望を持たせてくれるお方です。

まことの罪の赦しを届けに来る救い主は、どんなに有難いことでしょう。洗礼者ヨハネの洗礼は、「悔い改めの洗礼」と言われました。ヨハネの洗礼は、律法に背く状態から、律法にかなう状態に改めるところまででした。一方、後から来られる救い主は、掟によっては救えないような深い闇に住む人々にも光となってくださる方です。

先週から、クリスマス前の赦しの秘跡を案内しています。全員クリスマスの前に受ける必要は無いかも知れませんが、この秘跡は自分の努力だけでは道を真っ直ぐに歩けない私たちを赦して、大きな愛で包んでくださるイエス様の恵みです。よりよい降誕祭を迎えるために、積極的にあずかりましょう。

赦しの秘跡で、償いとして「愛のわざを一つ果たしてください」と言われたら皆さんどうしますか。もし、今日でしたら9時のミサ後に青年会がミニバザーを用意しています。ミニバザーに顔を出して協力してくださるなら、それは確実に「愛のわざ」となります。ほかにも、主日のミサ参加にとどまっている人が、月曜日から土曜日、平日のミサに一回でも参加するなら、それは立派な「愛のわざ」だと思います。

平日のミサに参加するには眠気に打ち勝ったり、忙しい時間をやりくりしたり大変だと思いますが、それをあえて引き受ける。その「愛のわざ」は、ご降誕のその日に必ず、報いとなって返ってくる。中田神父はそう思います。バザーに顔を出すか、平日のミサに参加する。私は具体例を示しました。どちらでもけっこうです。

「歩く道を真っ直ぐにするように、私たちは期待されている。」あなたがそう思うなら、ぜひ自分にできることを考え、実行しましょう。待降節にささげた私たちの愛のわざに、おいでになる救い主ははるかに優れた喜びで報いてくださいます。洗礼者ヨハネもこう言っているのです。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。」(1・7)

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
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▼今年2023年もあと少し。今年自分にとっていちばん大きな変化は、主任司祭かつ地区長という「置かれた場所」の重みだった。与えられた使命を十分に果たせず、うつむく日々。引き受けたのだから向き合って過ごしてはいるが、今さらながら「果たせていないよなぁ」と弱音を吐いてしまう。
▼島本大司教様がいつも励ましの言葉にしていたのは「大工は大工をしながら大工になる」ということだった。しかし八ヶ月が過ぎたが、「地区長をしながら地区長に」なっている実感はない。初めてのことがこんなに重くのしかかるとは思いもしなかった。
▼それでも、前に進まなければならない。もし私が今引き受けていることが「自分の十字架」であるなら、必ず神はそれを見ていてくださる。今週の福音朗読に光を見つけた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。」この方が、私の思い煩いを吹き飛ばすほどの喜びを携えて、馬小屋においでくださる。

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今週の1枚
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第875回目。主は神としての身分さえ横に置いた。私が「ゆず」れないのは何?

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† 神に感謝 †
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待降節第1主日(マルコ13:33-37)気を抜かずに祈り、救い主を待つ

2023-12-02 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/3(No.1267)
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待降節第1主日(マルコ13:33-37)
気を抜かずに祈り、救い主を待つ
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待降節、イエス様の誕生を心待ちにして過ごす季節が始まりました。朗読の最初と最後に、「目を覚ましていなさい」とあります。気を抜かずに、待ち構えている人のようにして過ごす必要がありますが、私たちはどれくらいの時間だったら、気を抜かずにいられるのでしょうか。30分でしょうか。

11月15日から、司祭団マラソン大会に向けてトレーニングに入りました。今は、福江教会から片道30分で3.4キロ先のバス停、南河原口(なんごうらぐち)まで行って往復しています。最終的には、堂崎天主堂から福江教会まで約9キロ、1時間でゴールしたいと思っています。

中田神父は、本来は運動嫌いです。トレーニングに行くのもおっくうなのですが、一つのことを組み合わせて外に出る動機づけにしています。それは、ある三人の人の健康回復を願って祈りながら往復することです。三人のうち一人は大腸がんです。あと二人は病気の親子です。

祈りながら、トレーニングも緩めずに往復できるか。気を抜かずにいるのは難しいです。気分転換でなくトレーニングですから、楽に歩くわけにはいきません。平坦な道も上りも下りも速度に気を配ります。それでいて、気になる三人の健康回復の為、「AさんとBさんとCさんの健康回復をどうかお願いいたします」とイエスに繰り返し願っています。

好きではない運動も、お祈りと結びつけて続けられるようになりました。しかしすぐに気が緩み、どちらかを忘れてしまいます。歩く速さが緩んできて、「ペースを上げなければ」と考えるし、さっきまで祈っていたのにしばらくお祈りが止まって「お祈りを続けなければ」となります。呼吸するようにお祈りできたらなぁと願っています。

途中、私を知っている人ともすれ違います。福江教会の信者なのか、「神父様」と声をかける人と会います。ただどこで会うのか分かりません。調子が出ているときに会えば、「さっそうと歩いている。さすが」と思うでしょうが、トボトボと歩くときに出会うかも知れません。

同じく私の祈りにいつイエスが耳を傾けてくださるかも分かりません。意識しているときなら良いですが、景色に気を取られたり、トレーニングに気を取られているときに耳を傾けているかも知れません。せっかくなら、いつ耳を傾けてくださってもよいように、目を覚まして祈り続けたいです。トレーニングしながらでも、目を覚まして祈ることができるようになれば、生活のどんな場面でも気をつけて、目を覚まして祈り続けることができるかも知れません。いちばん難しいときに祈れたら、どんな時にも祈ることができるでしょう。

皆さんも生活のどこかで、「気をつけて、目を覚ましていなさい」このイエスの呼びかけを体験してほしいと願っています。でも本当に忙しい生活の中にあって、ゆっくりとイエスの呼びかけを体験する時間は取れないかも知れません。

そうであるなら、いっそのこと必ずしなければならないことと組み合わせて、「気をつけて、目を覚ましていなさい」この呼びかけを体験するのが良いと思います。中田神父は、今はマラソン大会のための練習をどうしてもしなければならないので、これと組み合わせてみました。

皆さんの生活でも、どうしてもしなければならないこと(買い物とか、掃除、洗濯、通勤の行き帰りなど)があって、その時間と、「気をつけて、目を覚まして」イエスの誕生に備えることを組み合わせたらと思っています。

イエスの誕生を、ただ待つのではなく、その時に備える、気をつけて、目を覚ましてその日を迎える。このための日々として、これからの待降節を過ごしていきましょう。

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‥次の説教は‥‥
待降節第2主日(マルコ1:1-8)
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ちょっとひとやすみ
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▼司祭団マラソン大会のトレーニングが始まった。二週間過ぎて、疲労も溜まってきていると思うが、外に出るのは苦痛ではなくなった。戻ってきたときの気持ちよさがあって、「今日も出かけて良かった」と思えるくらいになってきた。
▼欲を言えば、見た目に変化が出て来たり、目標タイムを持ったり、ただ行って帰ってくるトレーニング、それ以上の効果があればと願っている。当日の大会は、今のレベルをどれだけ上げても表彰を受けることは叶わないので、せめて納得のいく結果になれば。

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今週の1枚
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第874回目。修道院ミサ後祭服着用前にまとうケープを司祭館まで着けて帰った

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† 神に感謝 †
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