こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第31主日(マタイ23:1-12)「実行するだけで、言わない人」のいる教会

2011-10-30 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/10/30(No.559)
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年間第31主日
(マタイ23:1-12)
「実行するだけで、言わない人」のいる教会
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先週は上五島地区カトリック婦人会のミニバレー大会ご苦労さまでした。まずは、練習のときから参加してくださった皆さんと、当日応援に来てくださった方々にお礼申し上げます。

結果は、浜串教会が強いところとばかり当たって、グループBの4位、福見・高井旅は練習以上の力が本番で出て、チーム始まって以来のグループA準優勝でした。わたしは福見・高井旅からどこかに連れて行ってとせがまれています。嬉しい悲鳴です。

今週の福音朗読に、「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。」(23・11)とあるのですが、浜串チーム、今回はほかのチームに仕える者になってくれたのだと思っています。仕える者になってくれたのですから、いちばん偉いと思います。

では福音の学びに入りましょう。福音書で、だれのことかをはっきり書かないときがあります。イエスが語った山上の説教、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ5・3)以下の部分では、はっきりだれと指定していません。

似たようなことは、たとえ話の中でも出てきます。「旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」(ルカ10・33-34)「あるサマリア人」と書いてはいますが、それがだれのことかは実際には伏せられています。

今週の福音朗読でもそうです。「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(23・11-12)「あなたがた」と言っているので、弟子たちのだれかを言っているように聞こえますが、ではだれなのかと突き詰めると、断言はできなくなります。

こういう場合、1つの考え方を持っているとよいと思います。それは、わたしたちのうちのだれかを探すよりは、イエス・キリストに当てはめるほうが分かりやすい、ということです。「心の貧しい人々は、幸いである。」もちろん当てはまる人がいるとは思いますが、まずそれは、イエス・キリストに当てはまっている生き方です。

旅をしていたあるサマリア人の取った行動は、だれかも同じような態度を取るかもしれませんが、真っ先に、イエス・キリストがこのたとえのサマリア人の態度を取ってくださった方です。そのように考えると、「仕える者になりなさい」というのも、イエス・キリストがそもそも「仕える者」となってくださったのだと考えると、大きな学びを得ることができると思います。

ですから、聖書をぼちぼち読み続けている方にお勧めしたいのは、「これはだれのことなのかなぁ」と考えるようなときは、まずイエス・キリストに当てはめてみると、理解が深まりますよ、ということです。どんな人に当てはめるよりも、イエス・キリストに当てはめて考える方が、聖書の生き方は説明がしやすいのです。

では今週の朗読に当てはめて、イエスはどのようにして「仕える者」となってくださったのでしょうか。いちばん印象的な場面は、最後の晩餐で、弟子たちの足を洗う場面でしょう。シモン・ペトロは「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」(ヨハネ13・6)と驚いています。今週の福音朗読を逆手に取って表現すると、「そのすることは、すべて人に見せるためのものではない」となるでしょうか。

イエスの「仕える姿」には、自分の利益や満足のためではない、自分を無にした「無私」の姿があります。さらに言うと、人に見せない、「隠れた奉仕」の姿があります。この2つの点は、「仕える者」になるための大切な点かもしれません。これも朗読箇所からヒントを得て言うと、「実行するだけで、言わない」態度と表現できるでしょう。

そこで今週の福音朗読からのまとめとして、「実行するだけで、言わない人」という姿を持ち帰りたいと思います。律法学者やファリサイ派の人々と正反対の態度、イエスが常に実行した態度です。わたしたちも、「実行するだけで、言わない人」でありたいと思います。

わたしがこれまでに出会った人の中で、「実行するだけで、言わない人」を2人紹介しましょう。1人は、これまで何回か話に出したかもしれませんが、わたしが神学校の中学生だったときに出会ったおじさんです。母親が弟の急病で有川病院に行き、奈良尾行きのバスが来る時間だったにもかかわらず、わたしはバス賃を受け取らずに取り残されました。

中野のバス停でションボリしていると、「あんた神学生やろ」と声をかけてくれる人がいました。奈良尾まで行けなくなったのだと話すと、1万円札を渡してくれて、「これでタクシーを捕まえて奈良尾に行きなさい」と言ってくれたのです。「おじさん名前は?」と尋ねましたが、「おじさんはおじさんたい。心配せんちゃよか」と言って、わたしを助けてくれました。一生の恩人ですが、今もだれなのか分かりません。

もう1人は、病人訪問で出会ったおばあちゃんです。この人は自分の病気のために祈ることも忘れて、自分の所属している教会が栄えますようにと、ひたすら祈ってくれているのです。わたしがその話を聞くことがなければ、またわたしがこの話を公にしなければ、きっとだれにも知られず、ひっそりと祈り続けていたことでしょう。このおばあちゃんもまた、「実行するだけで、言わない人」ではないかと思います。

わたしたちの教会は、「たがいに仕え合う者」の集まりでしょうか。「実行するだけで、言わない人」がどこかにいるでしょうか。そうした人が、本当の意味で教会を支えてくれているのだと思います。「たがいに仕え合う者」の集まる教会、「実行するだけで、言わない人」がいる教会は、イエスの目に価値ある教会です。わたしたちの教会も、そんな目標をもって関わっていきましょう。そのための勇気と行動力を、ミサの中で願いましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第32主日
(マタイ25:1-13)
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ちょっとひとやすみ
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▼人を接待するのは何と難しいことだろう。仙台からある家族が浜串を訪ねて来てくれた。聞けば、説教のブログでわたしを知り、ぜひ訪ねたいということで今回の訪問が実現したのだという。
▼説教のブログを読んでいる人はたくさんいるわけだが、その中でもこの家族は特にわたしの説教のブログとかかわりを持っていた。所属している教会は、毎週日曜日に司祭がミサをささげるわけではなく、月のうち半分は「みことばの祭儀」をするそうだ。
▼訪ねてきた家族の息子さんは、その教会の主任司祭から「みことばの祭儀」の担当を任され、福音朗読の後に何かの話をしなければならないそうで、インターネット上で説教を公開しているホームページをあれこれ検索し、最終的にわたしの説教を使おうと決めたのだという。
▼数あるカトリック司祭の公開された説教の中で、わたしが準備したものを使ってくれて本当にありがたい。一度お会いして、感謝の気持ちを伝えたいという思いで、今回仙台から訪ねて来てくれたのだそうだ。
▼わたしは、ご家族の話を聞きながら、頭の中では「何か接待をしなければ」ということがグルグル回っていて、マルタとマリアの姉妹の、マルタの気分だった。ところが実際は、これといった接待もできず、ただただ話に聞き入って、顔を見ていただけだった。
▼あとになって考えれば、大震災の体験をしたご家族なのだから、その時のことをもっと詳しく聞くこともできただろうし、「みことばの祭儀」がどのように進められているのか、もっと掘り下げて聞いて、可能なら「こういうことも加えるといいですね」といったアドバイスもできたかもしれない。
▼そう思うと、人形のように相手をしていたことが残念でならない。「今度は仙台で」というあいさつを受けて、家族を見送った。11月に岩手に視察と研修に行くのだが、そのときは無理かもしれないが、あらためて仙台に行く機会があれば、ぜひ伺いたい。

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新企画今週の1枚
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年間第30主日(マタイ22:34-40)律法全体と預言者が基づいているものとは

2011-10-23 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/10/23(No.558)
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年間第30主日
(マタイ22:34-40)
律法全体と預言者が基づいているものとは
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婦人会のミニバレーの試合があるので、ふだんよりも10秒だけ話を短くしています。バイクの話の続きを1つします。小学生をカトリック神学院1日体験入学に送りました。とても楽しい体験ができたそうです。日曜日の午後3時15分にジェットフォイルで奈良尾に到着するので、ちょっとびっくりさせてやろうと思ってバイクで迎えに行きました。リュックサックにもう1つヘルメットを入れて、本人が乗りたいと言ったら乗せてあげようという魂胆でした。

奈良尾ターミナルに引率の大人と体験入学を終えた子供が帰って来たので、「ご苦労さん。バイクに乗って帰らないか?」と尋ねると「乗る」と言ってくれました。「ヘルメットがリュックの中にあるので、取り出してかぶってくれ」と言いますと、しばらく探した揚句に「神父さま、何も入っていませんよ」と言います。そんなはずはないと言いましたが、「神父さまのリュック、ファスナーが全開になっていますよ」と言われ、何かが起こったのだと悟りました。どうやら、途中でヘルメットを落としてきたようです。

ガッカリして、引率の大人に子供をお願いして、失意のうちに帰り始めました。ヘルメットは、確かに落ちていました。道路の中央、白線の上に置いてあったのですが、落ちているヘルメットを誰か親切な人が中央の白線の上においてくださったのだと思います。またもや恥をかいてしまいました。

さて喜ばしい話が1つあります。日本の典礼の暦に、福者ヨハネ・パウロ2世教皇の記念日を祝う認可がローマから与えられまして、10月22日、お祝い日となりました。わたしたちが目で見た人が、福者として祝うことができるのはすばらしいことだと思います。

マザーテレサも、コルベ神父も、あまり見た人はいないと思いますが、ヨハネ・パウロ2世教皇を見た人はたくさんいるでしょう。これは、ヨハネ・パウロ2世のような生き方が現代に求められていること、わたしたちの模範としてとても必要であることを意味しているのだと思います。今年10月22日は土曜日で、浜串教会でのミサでした。来年10月22日は月曜日ですので、福見教会で祝うことになります。

今週の福音に目を留めましょう。イエスはファリサイ派のうちの1人、律法の専門家が「律法の中でどの掟が最も重要でしょうか」と問いかけた時、神を愛することと、隣人を自分のように愛することを示した上で、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(22・40)とお答えになりました。

問いかけと答えの、わずかな違いが実は大きな違いです。質問をしかけた律法の専門家は、「律法の中で」と尋ねました。これは、律法だけを取り出して考えていることをうかがわせます。それは、「ミサの中でどこが大切ですか」と、ミサの部分にこだわっているようなものです。ミサのすべてが大切ですが、パンとぶどう酒の聖別の言葉の部分に、ミサ全体は基づいていると答えたいと思います。同じようにイエスも、律法だけを取り出しての議論には意味がないとして、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」とお答えになったのでした。

イエスが言う「律法全体と預言者」というのは、旧約聖書すべてを表す表現です。神の掟と、その掟を守ろうとしてきた神の民の歴史全体を指しているのです。イエスが言った「律法全体と預言者」という表現には、律法の専門家が思っていた狭いとらえ方ではなく、神が歴史の中で行った救いの業全体が含まれていたのです。

ところで、「律法全体と預言者」という表現は、イエスご自身にも当てはまるとわたしは思っています。イエスは、神が歴史の中で行った救いの業の完全な形です。神は、歴史の中で様々な救いの業を行いましたが、御子イエスをこの世に遣わしたことが、救いのわざの究極の働きです。そしてイエスは、ただ1人、「神を愛すること」と「隣人を自分のように愛すること」を完全に果たされたお方でした。

すると、次のように言えるのではないでしょうか。「律法全体と預言者は、『イエス・キリスト』に基づいている。」つまり、神である主を愛し、隣人を愛することを極みまで生きたイエス・キリストこそが、「最も重要な掟」だということです。

イエス・キリストが「律法の中で最も重要な掟」であるなら、わたしたちには何が必要でしょうか。それは、「イエス・キリストをもっとよく知ること」です。あらゆる方法で、イエス・キリストをよりよく知るように、努力しなければなりません。祈りの時に、わたしたちは「祈るイエス・キリスト」を知ることができます。わたしたちの心がけひとつで、ただ単に祈るだけではなく、父なる神にひたすら心を向けるイエス・キリストを身に受けることができるのです。

わたしたちはだれかに対して教えることがあります。教会学校で子供たちに教える、親が子に対して教会の務めを教えるなどです。そうした時に、わたしたちは単に教えるだけでなく、「教えるイエス・キリスト」を身に受けることになります。わたしたちの信仰生活の様々な場面が、実はイエス・キリストをよりよく知る機会となり得るのです。

「律法全体と預言者」神がわたしたちに示そうとするすべてのものは、実はイエス・キリストに基づいています。イエスをよりよく知るために、いろんな場を活用しましょう。主日のミサ前に続けている聖書朗読に耳を傾ける時間も、どうぞ活用してください。そして、イエス・キリストをより身近に感じることで、「あらゆることが、イエス・キリストに基づいています」と、人々に証しすることへと、今週一週間を整えていきましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第31主日
(マタイ23:1-12)
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ちょっとひとやすみ
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▼新上五島町に「情報化推進室」という担当がある。また利用しているプロバイダーのことで悩むことがあり、プロバイダーにじかにFAXが通らない、もし情報化推進室が指導・監督しているなら、何とかしてくれとまたも不平を漏らしてみた。
▼間もなくして、情報化推進室長という方からていねいなメールが届いた。この方は現在のプロバイダーを利用し始めた時の対応のまずさに不満をぶちまけたこともよくご存じだったようで、そのことも含めてとても親切に問い合わせに返事を下さった。
▼この情報化推進室長は、本当に話の分かる人だと感じた。利用者の目線というか、利用者が喜ぶツボをよく押さえていて、今回のことでプロバイダーにこれこれの指示を出し、徹底するように通知しましたと、どんな対応をしてくれたのかがよく見える返事をもらうことができた。
▼やはり、どの世界にも、話のよくわかる人はどこかにいるものだと思った。だれもかれもが話がわかるとは思わないが、自分の言いたいこと、感じていること、こうあるべきだという方向性など、分かってもらえないと嘆くことばかりではない。どこかで、「あー、この人話ができる」そういう人と巡り合うものだ。今回の情報化推進室長はそういう人だと思った。
▼人はそれぞれ見たいもの感じたいもの、知りたいもの持ちたいもの、いろいろ違っている。同じ感性の人はそう簡単には見つからない。だが、探していればいつかたどり着くものだ。「求めなさい、そうすれば、与えられる」(マタイ7・7)というものなのだろう。
▼日常生活のこともそうだが、心の奥深くの悩みとか、願いに応えてくれる人もなかなか見つからない。満足できる回答が得られない。本当に与えられたという実感がない。けれども、わたしはそうした心の飢え渇きに答えてくれる人を1人知っている。「この人は話せる。この人は話がわかる」そういう人を確信を持って言うことができる。そこに信頼を置いて日々を過ごせるなら、どれだけ多くの人が幸せな日々を送ることができるだろうか。

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年間第29主日(マタイ22:15-21)神のものなのだから、神にきっちり返す

2011-10-15 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/10/16(No.557)
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年間第29主日
(マタイ22:15-21)
神のものなのだから、神にきっちり返す
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すでにご覧になった方もいらっしゃるかも知れません。ちょっと派手なバイクを手に入れまして、これから乗り回そうと思っています。以前乗っていたものは廃車にしまして、今度は乗りやすいものに変えました。

フェリーで運び込みましたが、出発の20分前には待機していないといけないのに、出発10分前になってターミナルに帰ってきてみると、係の人がわたしを手招きでせかしていました。さらに都合の悪いことに、大波止ターミナルの館内放送で、「バイクでご出発のナカダコウジさま、バイクでご出発のナカダコウジさま、至急バイクにお戻りください。」と放送しているではないですか。ターミナルの中も外も、スピーカーで声が響いていました。きっと、わたしの名前を知っている人もいたでしょうから、えらい恥をかきました。

今週は「皇帝への税金」という問題を持ち込んで、ファリサイ派の人々がイエスを陥れようとする場面です。イエスは彼らの罠を見抜き、それ以上に大切なことにも目を向けさせるために、次のように答えました。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(22・21)

このイエスの答えは、いろいろに説明できるようです。そのすべてをここで紹介はできませんが、可能な説明のうちの1つを参考に、話してみたいと思います。イエスは質問に答える前に、銀貨を見せなさいと願って、「これは、だれの肖像と銘か」(22・20)と確認しました。

「肖像」とは、「似姿」のことです。人間には、人としての似姿と、神の子としての似姿があると思います。ですから、人としての似姿がある以上、人間からの要求に応えなければなりません。ローマに税金を納めることを苦々しく思っていても、普段の生活ではその銀貨を使って買い物をすることを何とも思っていないのですから、皇帝が神とあがめられていたとしても、気にせず税金を納めれば良いではないかと仰ったのでした。

それよりも大事なことは、人間には神の子としての似姿があって、神の子として、神に果たすべき責任は果たしなさいというのがイエスの答えの中心です。イエスの答えは、「神のものは神に返しなさい。」こちらのほうに重きを置いているという解釈に、わたしも同じ意見です。

イエスが「神のものは神に返しなさい。」と仰ったとき、ファリサイ派の人々はどう思ったのでしょうか。きっと、自分たちが神に返すべきものを返していないということにはっとさせられたのだと思います。宗教指導者でありながら、律法の解釈にばかり熱中して、本来神に返すべき「愛」を、なおざりにしていることに恥じ入ったはずです。

わたしたちも、今日のイエスとファリサイ派のやりとりを、自分のこととして考えてみましょう。わたしたちが生きている社会で、社会人として果たすべきことはほぼ果たしていると思います。しかし、神の似姿として、わたしたちが果たすべきことが、きちんと果たされているでしょうか。

そこで、神の似姿が刻まれているわたしたちは、何が神のものなのかを見極めておく必要があります。すると、神に返すべきものも見えてくるはずです。まず、わたしたちが神に祈るきっかけを思い起こしましょう。わたしたちが今朝目を覚ましたということ、これは十分に神に祈るきっかけとなる出来事です。

わたしたちは自分で自分に今日を与えることができません。それは神が与えてくださるものです。神が与えてくださらなければ、わたしたちは今日を迎えられないのです。すると、今日という日は、神のものであって、本来わたしのものではないのです。与えていただいた1日を感謝するために、神のものである1日に感謝するために、時間をちょっと作って祈る、神に返すことはごく自然なことではないでしょうか。

次に、神のために働くということを考えてみましょう。わたしたちが現在手に入れている地位とか、安定した暮らしとか、ほとんどはわたしたちの手で、努力して手に入れたものだと思います。ただ、今日まで働き続けることができたことや、今日までの暮らしをだれにも妨げられずに楽しむことができたのは、もとはといえば神の保護があったから、神の見守りがあったからではないでしょうか。

そうであれば、わたしたちは、今日までの暮らしに感謝して、神のために何かをしてお返しすべきだと思います。神のために働くべきだと思います。もちろん多くの人が、神のために何かをしてくださっているのですが、家族全員で、小教区全体で、地区全体で、教区全体で、神のために何かをして働いているでしょうか。

そこにさらに、「神のものを一切合切神にお返しする」そういう生き方があっても良いと思います。わたしたち家族が皆、神のためにすべてをかけてお返しすることはできないけれども、家族の中から1人、神にすべてをかけてお返しする人を準備します。小教区がすべてをかけてお返しできないけれども、小教区から1人、神にすべてをかけてお返しする人を準備します。そういう生き方があっても良いと思うのです。

イエスは今のわたしたちにも、「神のものは神に返しなさい」と呼びかけていると思います。わたしたちが寛大に、「もともとすべてが神のものなのだから、神にお返ししましょう」と気持ちを切り替えてみる。そんなチャンスをいただけるように、ミサの中で祈ることにしましょう。

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▼嵐のような一週間だった。11日、バイクをデポに受け取りに行って、教区本部で保健指導、午後はマリア文庫の定例会議。12日、教区ホームページ会議とよきおとずれ割り付け準備会議。午後はバイクで伊王島にお忍びでツーリング。16日(日)に馬込教会の行事があることを聞きつけたが、案内も何もなかったので動けず。残念無念。
▼13日、バイクを連れていったん五島に帰る。フェリー積み込みが20分前からなのに、食事で時間を取られて遅れて待機場所に行ってみると、係の人から「早くしろ!」という手招き。さらに、大波止ターミナルの館内放送は、「バイクでご乗船のナカダコウジさま、至急バイクのほうにお戻りください。バイクでご乗船のナカダコウジさま・・・」と放送され、恥ずかしい思いをした。
▼五島に帰ると、夕方の福見ミサと子どもの要理、さらに教区報よきおとずれの原稿を1つ書く。日曜日の説教も書きたかったが、疲れて着替えもせずに畳の上で大の字。気がついたら14日朝で、朝ミサを済ませてまた長崎へ。船の時間まで説教を書く。
▼だいたいメドがついたので、午後の教区報よきおとずれの割り付け会議が終わって五島に帰ってからミニバレーに参加したあとメルマガ発行をしようと考えていたら、14時45分に15時45分のジェットフォイルの欠航が決まり、五島に帰れなくなってしまった。
▼五島に日帰りできないとなると、今度は予定が変わったことをいろんなところに連絡する必要が出てくる。まず船会社に、帰りの切符を変更する電話。帰ってから作り置きの夕食を食べる予定だったので、夕食のお断りの電話。翌日朝、ミサができないのでミサが休みになることを漁協の放送で流してもらうための電話。修道院へも電話(しなかったけど)。
▼おまけに、15日(土)からカトリック神学院1日体験入学に参加を予定していた子どもの1人が吐き気の症状があり、休ませてほしいとの連絡あり。それで、同行してくれる大人の信徒に、「1人不参加が出たので2人だけ連れて行ってほしい」と連絡。すると同行する大人から、「子どもの船の予約は、こちらでキャンセルしておきます」という連絡。あー、その連絡もしなければならなかったのだった。気が利くなぁ。
▼さらにさらに。15日(土)は、実は地域のミニバレー大会に参加予定だったので、参加できなくなった旨の連絡。メンバーからは「できれば帰ってきてほしいなぁ」と言われたが、こればかりは何とも。これから、日曜日のミサの時のお知らせを作らなきゃ。

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こうじ神父
「今週の説教」
11/10/09(No.556)
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年間第28主日
(マタイ22:1-14)
イエスが求める婚礼の礼服を着続ける
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来週の土日でカトリック神学院、昔で言う小神学校の体験入学がありまして、対象が5・6年生なのでひとまず全員行って来いと声をかけました。高井旅の子はどうしても行けない理由があるそうで、それでは仕方がないということになり、今年は5年生1人、6年生2人を送り込むことにしました。

九州商船は小学生だけを船には乗せてくれないらしくて、同伴の大人を1人お願いしていくことにしています。子供たちが何を見て来て、どのように感じるのか、やはり主任司祭としては気になります。

わたしたちの時代は、もちろん体験入学などというものはありませんでした。体験もせずに新学校に入学して、ある同級生は家が恋しくてしくしく泣き、ある同級生は神学校にいられなくなるために悪さをし、ある人は神父さまになる気はないのに居心地がよいとかいろんな勉強ができるとか下心があって留まり、いろんな形で中学高校時代を過ごしました。

それでも、神さまは何人かは、ご自分の身分を受けて働く司祭を選ばれ、イエスのために喜びも苦しみも分かち合う人を最終的に残してくださいます。わたしたちは入学時点でたぶん17人いたと思います。

翌年編入生があって18人、その中で司祭になったのは4人、今でも司祭であるのは3人です。これまで14年の準備期間と、その後の19年半の司祭生活を思う時、福音朗読のいちばん最後、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(22・14)というみ言葉は、考えさせられるものがあります。

イエスの最後の締めくくりの言葉に至るまでに、たとえ話が用いられていました。ある王が、王子のために婚宴を催しましたが、招待された人々はそれを断りました。

本来招かれるべき人々は、招待状を書くほどの身分であるとか、学歴であるとか、社会的地位であるとか、いろんな優先事項があったに違いありません。けれども、彼らは王の招待を最優先には考えませんでした。

教会が保たれていくために、信徒を導く司祭が必要なことは百も承知ですが、有名大学に入れるとか、将来会社の後を継いで大勢の社員を引き連れていく人とか、何かの分野に長けている人たちは、ほとんどの場合社会での活躍が優先となってしまいます。まずこの時点で、社会で活躍することを目指す人は神学校に入学しないのです。

それでも王は婚宴に人を招くために、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来ます。神学校に入学することになる子供たちも、社会貢献が見込まれる最優先の家庭からではなく、通りに普通に住んでいる家族の中から、空の手で、神学校に入学します。神学校に入ったら、たとえにあるような、礼服を着ていない人はほうり出されることになります。

同級生18人のうち、1人は中学3年生で病気のために命を落としました。中学3年生になり、高校受験を控えると、神学生として上の学年に上がるのではなく、公立高校に入って別の道を目指す人が現れてきます。それでも、12人は留まりました。高校3年生の時に7人減って5人となり、5人で大神学校に入り、4人は司祭に叙階されましたが、今は3人です。

いろんな場面で、人数が減っていくのを今振り返る中で、「礼服」とは何だったのだろうと考えました。司祭に期待される部分を拾ってみると、祈る人という部分が必要ですが、わたしはそんなに祈る人でもないし、今年などはこの19年半の司祭生活の中で自分の教会でミサをするのがいちばん少ないのですから、祈る人ではないのです。去った人の中でわたしより祈る人はいたのです。

よく学ぶ人という部分も必要でしょう。わたしよりもよく学んでいた人が、中学で1人、高校で2人別れていきました。3人は、常にわたしよりも成績が良かったのに、選ばれませんでした。礼服は、よく祈るということだけでもないし、よく勉強するということだけでもないようです。

まじめな人柄という部分も必要でしょう。それもまた、そのまま礼服を意味するわけではないようです。2年前に、南山高校卒業20周年で同窓会が開かれ、懐かしい人に会いましたが、彼が母親の介護をするために神学校を去ったことを初めて聞き、ふまじめだったから去ったのかと思っていたわたしは、申し訳なかったなぁと思いました。ふまじめと言うなら、わたしは同級生の中でいちばんふまじめです。

結局、「礼服」とは、「わたしがあなたを選んだのだ」という招きを最優先にする気持ちではないかと思いました。自分でついていくには、ふさわしくないと感じることが多々あります。大きな躓きを抱えていたり、判断を誤って神の望みを踏みにじったりしているのですが、それでもイエスは「わたしがあなたを選んだのだ」と仰ってくださいます。

選んでくださったことで、喜ぶこともありますが苦しむことはその数倍あり、しばしば悩み、うつむいてしまうのです。申し訳ないと、何度も思いますが、「わたしがあなたを選んだのだ」という声を、最優先にするしか生きる道を考えられないのです。そういう繰り返しが、「婚宴に着る礼服」なのではないでしょうか。

結婚生活にも、修道生活にも、「婚礼に着る礼服」が必要でしょう。結婚した人が苦しまないということは決してありません。修道生活もそうです。けれども、苦しみがあっても、「わたしがあなたを選んだ」と仰るイエスの言葉を、最優先にするしか生きる道はないと考えてほしいのです。

あなたが、置かれた生活を全うするには、イエスの招きを最優先にする、その思いを「礼服」として着続ける必要があると思います。神学院体験入学を来週体験する子供たちが、自分にふさわしい「礼服」を見つけ出すことができるように、祈り続けたいと思います。
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‥次の説教は‥‥
年間第29主日
(マタイ22:15-21)
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ちょっとひとやすみ
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▼先週のアンケート開始はすぐに反応があった。詳しいことは載せられないが、これからも続けて頑張れと激励してくださったものと受け止めている。「今のメルマガに不足していることは何ですか」という質問にも、「あー、足りないよね」と率直に思った。これからも続けて、アンケートを出してもらえたら幸いである。
▼ツイッターの話。これも、案外早くにわたしの書き込みを見つけてくれて、面識のない方のフォローを受けている。何を書けばよいかも少しコツがつかめて来て、要するに今思ったことを参考に書けば、「つぶやいた」ことになるというのがわかって来た。まだまだだとは思うが、ツイッターのようなコミュニケーションの道具はますます広まるだろうから、しっかり学んでいきたい。
▼先週、メルマガをきっかけに浜串のわたしにお会いしたいという人がいることを浜串の信者から聞いた。人づてに聞くのがいちばん嬉しい。なぜかということ、浜串の信者もメルマガの詳しい活動は知らないのに、その人から会いたい人のことを伝言してもらうのだ。
▼よほどその会いたいという人がわたしのことを浜串の信者に説明して聞かせたのだろう。浜串で会うなら、海もある。山も少しある。教会もある。魚もある。その日はぜひ空けて、楽しみに待ちたいものだ。
▼しかし、メルマガにこう書いたことを根掘り葉掘り聞いて、その人とはいつ会うのですか、どんな人ですかとしつこく追及する人、放っておいてほしい。これまでもあれこれチクチク言われたが、何の関係があるのかと言いたい。
▼thomaskikanshaは、「機関車トーマス」から発想を得たもので、自分の洗礼名がトマスだから、これが面白いのではないかと思ってツイッターのハンドルネームにした。でもこれを探索の手がかりに、また根掘り葉掘りスパイのように嗅ぎまわるのだろうなぁ。

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新企画今週の1枚
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第163回目。長崎は今、おくんち一色です。
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年間第27主日(マタイ21:33-43)収穫の時期を一緒に過ごす僕

2011-10-02 | Weblog
メルマガも500号を超え、ちょっとした長寿メルマガに育ってきました。
ここでアンケートを実施し、みなさんの声を少しでもメルマガに反映
させたいと思いました。実施は、10月1日から年内いっぱいを考えて
います。アンケートの集計結果はこうじ神父だけに届きます。性別を
お尋ねする項目はありますが、匿名で実施します。

アンケートのURLと内容は以下の通りです。内容をお読みになり、もし
ご理解を得られましたら、アンケートにご協力ください。

■■アンケートURL http://www.efeel.to/survey/knkouji/ ■■

Q.1 メルマガ「こうじ神父今週の説教」は、何曜日にお読みになって
   いますか。(土・日・その他)
Q.2 どんな目的でこのメルマガをお読みになっていますか。
   全角50文字以内でお書きください。
Q.3 このメルマガで役に立っている部分はどんなことですか。
   全角50文字以内でお書きください。
Q.4 このメルマガに足りないことは何ですか。
   全角50文字以内でお書きください。
Q.5 性別だけお聞かせください。 (男性・女性)


□□□□□□□□

当メルマガをご購読いただき、ありがとうございます。

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こうじ神父
「今週の説教」
11/10/02(No.555)
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年間第27主日
(マタイ21:33-43)
収穫の時期を一緒に過ごす僕
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先週司祭団のソフトボール大会に出かけてきました。五島チーム、長崎チーム、佐世保平戸チーム、浜口司教さま率いる大分連合チームの4チームで試合をしました。優勝は五島チームでした。

五島チームはメンバーが15人くらいいましたが、浜口司教さまが連れて来た大分連合チームは7人しかいなくて、五島チームから選手を譲ってくれという話になり、五島チームでレギュラーに入れないわたしは、真っ先に大分連合チームに奉公に出されました。

試合は、初めに佐世保平戸チームと五島チームから始まって、五島チームが力の差を見せつけての勝利でした。次に長崎チームとわたしが奉公に出された大分連合チームとで試合をしまして、接戦で大分連合チームが長崎チームを下しました。このときわたしに2回打席が回ってきまして、最初の打席でヒットを打てたので安心しました。

午後からは、1敗したチーム同士の試合を先に始めまして、長崎チームが勝利。これで佐世保平戸チームが2敗、長崎チームが1勝1敗です。次に午前中に1勝したチーム同士試合をして、どちらか2勝したチームを優勝とすることになりました。

わたしは大分連合に奉公に出されていましたが、優勝をかけた午後の試合では呼び戻されて五島チームに入り、代打で呼ばれるのをじっと待っていました。試合は一方的な展開で、五島チームが初回に9点入れて、早々にわたしに代打が回ってきました。

来た球を思い切り強打したのですがファーストの浜口司教さまが逆シングルでキャッチして、ヒットを1本損してしまいました。五島チームの選手の中には、本番でも力を発揮した選手もいましたが、わたしのように本番では結果につながらず、苦戦した人もたくさんいました。

それでも、全体としてはけがもなく、本当に楽しい大会でした。試合の終盤にはわれらが大司教さまも応援に駆け付けて、嫌がるのを無理に打席に立たせたりもしました。ヒットは打てませんでしたが、出てくれただけで大盛り上がりでした。総じて、楽しい大会になりました。

今週の福音朗読ですが、押さえておきたい点を話してみたいと思います。ぶどう園の主人は、「収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。」(21・34)とあります。収穫のちょうどの時ではなくて、「収穫の時期が近づいた時」ということは、もう少ししたら収穫という意味です。まだ収穫できないのに、なぜ僕たちを送ったのでしょうか。

考えてみたのですが、僕たちは収穫の時期が近づいたころから農夫たちと一緒に過ごし、農夫の苦労を一緒に分かち合い、農夫の気持ちを理解しようとして、早めに送り込まれているのかもしれません。収穫だけを持ち去る冷たい主人ではなくて、一緒に苦労も分け合う主人の姿を教えたかったのではないでしょうか。

ところが、農夫たちはその僕たちを受け入れません。一緒に苦労を分け合いたい。一緒に喜びを分け合いたいという主人の思いを農夫たちのよこしまな気持ちで無にしてしまいます。同じ思いで、他の僕たちを送りましたが、それでも主人の思いを信じようとしませんでした。

ぶどう園の主人は最後に、自分の息子を農夫のところに送ります。本当に、農夫たちと喜びあいたいという気持ちの表れでした。けれども、その最後の願いも踏みにじられてしまいます。

実はこの僕たちは旧約の預言者たちでした。神は、神に従う生き方を人間と分かち合いたくて、預言者たちに義の道を示す活動のために送りましたが、イスラエルの人々は預言者を常に迫害しました。神に従う生き方を受け入れて喜びを分かち合おうとしなかったのです。

最後には、独り子イエス・キリストを遣わして、神に従う生き方は喜びにつながりますと知らせたのですが、イスラエルの人々はイエスの示す生き方を拒み、エルサレムの町はずれのゴルゴタでイエスを十字架にかけてしまいます。

預言者を送り、時間をかけて、神の望みを示して、幸せな生き方を喜び合いたかったのに、人々はそれを拒みました。イエスも、たとえを語り、わたしたちのもとに来て一緒に暮らし、時間をかけて神の望む生き方を示してくれました。
わたしたちが、もしイエスの示す生き方を拒み続けるなら、ぶどう園で働く農夫と同じ過ちを犯すことになります。そして、ぶどう園の外に放り出されてしまいます。ぶどう園の主人として現れる父なる神もおん独り子イエス・キリストも、実りを催促したのではありません。苦労も分かち合うから、喜びを分かち合いたいと期待しただけなのです。

精一杯の世話をしても、分かってもらえないなら悲しいものです。わたしたちにも同じ経験があるかもしれません。そんなとき、「親の気持ちがどうして分からないんだ」と腹を立てたりするかもしれません。もし、こうした経験を持っているなら、わたしは神に、同じ思いをさせていないか、考えることにしましょう。

神は、精一杯の世話をして、時間の猶予も与えて、わたしたちが神の望みに応えてくれるように待っています。神の深い思いやりに答える生き方を選び取ることができるように、ミサの中で願いましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第28主日
(マタイ22:1-14)
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ちょっとひとやすみ
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▼「ついに」と言うか「遅まきながら」と言うか、ツイッターを使い始めた。「え~、今頃?」と言われそうだが、今回ばかりは「ツイッターの何が便利なの?ツイッターでどんな便宜が得られるの?」との疑念がぬぐい切れず、ためらっていた。
▼使い始めたのは実は半年ほど前だと思うが、何の反応もなく、何の注目も浴びず、自分も何が面白いのかさっぱり分からず、書き込んだものも削除してしまって、しばらく放置していた。しかしこれではこうじ神父の名折れと思い、参考書を1冊読み上げて、最近ようやく再開した。
▼いろいろこれまでの苦闘を書くこともできるが、それは面白くないのでやめておく。むしろ、今もう一度ツイッターに向き合っている自分を褒めてやりたい。4ヶ月近く放置して、後で考え直したのだから。もちろんツイッターを操れるまでには至っていないが、放置はしないと思う。
▼ツイッター上の名前は「中田こうじ」または「thomaskikansha」ということにした。これから何をするとか、特別決めているわけではないが、面白いよと人に教えることができるまでにはなりたいと思っている。長崎教区司祭にはケータイメールすら受信だけ可能で返事が書けない人がゴロゴロいる。その中で、わたしはトップランナーでありたい。

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新企画今週の1枚
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第162回目。司祭団ソフトボール大会。撮影したこうじ神父は当然写っていない。
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