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↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/200830.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2020/8/30(No.1079)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第22主日(マタイ16:21-27)
後ろに回ってみて見えるものがある
‥‥‥†‥‥‥‥
【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。
チャンネル登録歓迎します。
(ミサ再開のため、現在は古いもののみ視聴可)
‥‥‥†‥‥‥‥
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」(16・26)全世界を手に入れるくらいの熱意で、自分の命を失わないように努力すべきだ。イエスのみことばを私はこのように理解しました。自分の命を守るために、どこから始めれば良いのでしょうか。
私は、教皇フランシスコが定めたラウダート・シ特別年(今年5月24日~来年5月24日)の期間に、日本の司教団が設けることとした「すべてのいのちを守るための月間」(毎年9月1日~10月4日)この呼びかけに応えることから始めたら良いのではないかと思います。教皇様は、「すべての命を守る取り組みが、結果的に自分の命を守る大切な一歩になるのだ」と私たちに行動を呼びかけておられると思うからです。
日本の教会は、司教団の決定を受けて今年から毎年9月の第一日曜日を「被造物を大切にする世界祈願日」と定め、全国で一斉に祈り、各教区あるいは共同体の単位で具体的な行動を起こすことが求められています。このことについては、長崎教区報8月号の3頁目で、詳しく取り上げられています。どうか自宅に帰ったら、もう一度読み返してください。
田平教会は、8月の評議会でこの点を取り上げ、「海岸清掃を行うこと」としました。どこの海岸かと言うと、田平教会のレンガを運んできた海岸です。私は土地の者ではありませんが、聞いた範囲ではこの浜に船でレンガを運び、二つの山道を利用して、片方を上り専用、もう片方を下り専用と決め、大人も子供も競ってレンガを運んだそうです。
このレンガを運んできた浜も、今は立ち寄ることが難しくなっていると思います。幸いに、下り専用にしていた道からは浜に近づけるようですので、もう一度、この浜に下り立って、海岸清掃をしましょう。海岸の環境を少しでも知ることで、すべての命が繋がっていて、おろそかにしてはいけないことに気づくと思います。
またこの清掃活動を通して、私たちの先祖が苦労して運んだレンガ、苦労して建てた聖堂の重みを感じ、いつかまた、上り専用の道についても、関心を深めるきっかけになればと思っています。
これから毎年、9月の第一日曜日に具体的な取り組みをすることになりますから、教会下の浜の清掃を毎年すれば、何か、田平教会の歴史の扉を開く道に通じるかも知れません。この時期は台風の季節でもありますので、あとは天気だけが心配です。
福音に戻りましょう。「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(16・21)弟子たちにはこの言葉が理解できません。あまりに悲観的だからです。山上での光り輝く姿、ペトロ自身の信仰告白「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16・16)これらに照らし合わせても、とても受け入れがたかったのです。
「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」(16・22)イエスを思う熱意からペトロはこう言いましたが、イエスに叱責を受けました。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(16・23)イエスは復活の栄光まで、通るべきすべての道を尊いもの、かけがえのないものと見ていますが、ペトロはその視点を持ち合わせていませんでした。
私は、二度自動車学校のバイク教習に通っています。今になって思うと最初から大型バイクの教習に通っておけばよかったと後悔する日々ですが、このバイク教習は大変役に立ちました。バイクの教習は自動車の教習と比べ大きな違いがあります。それは、バイクは同じ一つの乗り物に乗って指導を受けることができないということです。
たとえばバイクの教官がお手本を見せて、それを見倣うとすると、生徒たちはそれを後ろからついて行ってまねることになります。また、教官は生徒たちの実技を後ろから眺めて、ここがいけないからこうしなさいと、具体的に指摘することができます。後ろに付くことで、先を行く人の教えを学び取ります。後ろに回ることで、正しい方法を知るのです。
ペトロはイエスを遮りました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」ペトロはイエスの見ているものを見ることができなくなっていました。それは、イエスの後ろに付かなかったからです。イエスの後ろに回らなければ、復活の栄光を受けるまでの正しい道を知ることはできなかったのです。
「だから大型バイクの教習に皆さん行ってきなさい」と、私は言いたいくらいですが、必要ない人も多いでしょうから、気持ちだけ受け取ってください。人は、後ろに付かなければ正しく理解できない道もあるのです。後ろに回らなければ、先を案内してくれる人がどのように見ているのか見えないこともあるのです。
イエスが見ているように見なければ、私たちは自分の命を失うことになります。イエスが「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(16・24)と言うなら、いったん自分の考えを横に置いて、後ろに付かなければなりません。
イエスの後ろに控えて、イエスが見ているように見る努力をする。これは易しいことのようで実は大変難しいことなのです。幸いに9月6日、海岸清掃をします。海岸清掃に出ることができない人は、身近な場所の清掃をしてみてください。最終的にすべての場所が海に繋がります。
自然環境の後ろに私たちは一度回ってみましょう。各自、命の背後にある自然環境を見ることで、自分の命がすべての命と繋がっていることをはっきり理解するでしょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第23主日(マタイ18:15-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼「ポケトーク」というヒット商品がある。自国語で話して、それを相手の言葉に翻訳してくれる翻訳機だ。翻訳機と聞くと、かつては「使い物にならないひどい誤訳」という印象だったが、さまざまな環境が整ったことで、使い物になるようだ。
▼大きさは、小型の空調リモコンくらいか。本来であればこの本体内に膨大なデータを取り込んで、場面に対応するわけで、無限に広がる状況や場面に対応できるものではない。
▼だから使い物にならなかったわけだが、現在はネット環境が充実して、本体内に翻訳辞書を置く必要がなくなっている。辞書はネット上にあり、無限とも言える場面に適した翻訳を、ネット上に繋がった無数のコンピューターが考えて答えを示してくれる。
▼便利な時代になったものだ。こうなれば、誰が外国語を勉強するのだろうか。外国語を勉強する人はいなくなるのではないだろうか。そんな心配すらしてしまう。私が教えられた「外国語を勉強する理由」は、「違う文化を学び、そこから戻って自国の文化を再認識する」ということだったが、さすがに「ポケトーク」頼みではここは達成できないか。
▼この前驚くべきものをテレビで見た。「翻訳するマスク」だった。まぁ要するに「ポケトーク」の原理を応用したものだろう。みながマスクをする時代、マスクに付加価値を付けて勝負に出た。出たあとに、「その手があったか」と気づくもので、開発者はさすがである。
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今週の1枚
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第686回目。これだけ晴れているのに、ザーザー降り。にわか雨に興味を持った。
ホームページもご覧ください。
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今週の「笑える」
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「守護の聖人、保護の天使」「実に面白い!『守護の天使、保護の聖人』」
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† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/8/30(No.1079)
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年間第22主日(マタイ16:21-27)
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「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」(16・26)全世界を手に入れるくらいの熱意で、自分の命を失わないように努力すべきだ。イエスのみことばを私はこのように理解しました。自分の命を守るために、どこから始めれば良いのでしょうか。
私は、教皇フランシスコが定めたラウダート・シ特別年(今年5月24日~来年5月24日)の期間に、日本の司教団が設けることとした「すべてのいのちを守るための月間」(毎年9月1日~10月4日)この呼びかけに応えることから始めたら良いのではないかと思います。教皇様は、「すべての命を守る取り組みが、結果的に自分の命を守る大切な一歩になるのだ」と私たちに行動を呼びかけておられると思うからです。
日本の教会は、司教団の決定を受けて今年から毎年9月の第一日曜日を「被造物を大切にする世界祈願日」と定め、全国で一斉に祈り、各教区あるいは共同体の単位で具体的な行動を起こすことが求められています。このことについては、長崎教区報8月号の3頁目で、詳しく取り上げられています。どうか自宅に帰ったら、もう一度読み返してください。
田平教会は、8月の評議会でこの点を取り上げ、「海岸清掃を行うこと」としました。どこの海岸かと言うと、田平教会のレンガを運んできた海岸です。私は土地の者ではありませんが、聞いた範囲ではこの浜に船でレンガを運び、二つの山道を利用して、片方を上り専用、もう片方を下り専用と決め、大人も子供も競ってレンガを運んだそうです。
このレンガを運んできた浜も、今は立ち寄ることが難しくなっていると思います。幸いに、下り専用にしていた道からは浜に近づけるようですので、もう一度、この浜に下り立って、海岸清掃をしましょう。海岸の環境を少しでも知ることで、すべての命が繋がっていて、おろそかにしてはいけないことに気づくと思います。
またこの清掃活動を通して、私たちの先祖が苦労して運んだレンガ、苦労して建てた聖堂の重みを感じ、いつかまた、上り専用の道についても、関心を深めるきっかけになればと思っています。
これから毎年、9月の第一日曜日に具体的な取り組みをすることになりますから、教会下の浜の清掃を毎年すれば、何か、田平教会の歴史の扉を開く道に通じるかも知れません。この時期は台風の季節でもありますので、あとは天気だけが心配です。
福音に戻りましょう。「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(16・21)弟子たちにはこの言葉が理解できません。あまりに悲観的だからです。山上での光り輝く姿、ペトロ自身の信仰告白「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16・16)これらに照らし合わせても、とても受け入れがたかったのです。
「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」(16・22)イエスを思う熱意からペトロはこう言いましたが、イエスに叱責を受けました。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(16・23)イエスは復活の栄光まで、通るべきすべての道を尊いもの、かけがえのないものと見ていますが、ペトロはその視点を持ち合わせていませんでした。
私は、二度自動車学校のバイク教習に通っています。今になって思うと最初から大型バイクの教習に通っておけばよかったと後悔する日々ですが、このバイク教習は大変役に立ちました。バイクの教習は自動車の教習と比べ大きな違いがあります。それは、バイクは同じ一つの乗り物に乗って指導を受けることができないということです。
たとえばバイクの教官がお手本を見せて、それを見倣うとすると、生徒たちはそれを後ろからついて行ってまねることになります。また、教官は生徒たちの実技を後ろから眺めて、ここがいけないからこうしなさいと、具体的に指摘することができます。後ろに付くことで、先を行く人の教えを学び取ります。後ろに回ることで、正しい方法を知るのです。
ペトロはイエスを遮りました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」ペトロはイエスの見ているものを見ることができなくなっていました。それは、イエスの後ろに付かなかったからです。イエスの後ろに回らなければ、復活の栄光を受けるまでの正しい道を知ることはできなかったのです。
「だから大型バイクの教習に皆さん行ってきなさい」と、私は言いたいくらいですが、必要ない人も多いでしょうから、気持ちだけ受け取ってください。人は、後ろに付かなければ正しく理解できない道もあるのです。後ろに回らなければ、先を案内してくれる人がどのように見ているのか見えないこともあるのです。
イエスが見ているように見なければ、私たちは自分の命を失うことになります。イエスが「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(16・24)と言うなら、いったん自分の考えを横に置いて、後ろに付かなければなりません。
イエスの後ろに控えて、イエスが見ているように見る努力をする。これは易しいことのようで実は大変難しいことなのです。幸いに9月6日、海岸清掃をします。海岸清掃に出ることができない人は、身近な場所の清掃をしてみてください。最終的にすべての場所が海に繋がります。
自然環境の後ろに私たちは一度回ってみましょう。各自、命の背後にある自然環境を見ることで、自分の命がすべての命と繋がっていることをはっきり理解するでしょう。
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ちょっとひとやすみ
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▼「ポケトーク」というヒット商品がある。自国語で話して、それを相手の言葉に翻訳してくれる翻訳機だ。翻訳機と聞くと、かつては「使い物にならないひどい誤訳」という印象だったが、さまざまな環境が整ったことで、使い物になるようだ。
▼大きさは、小型の空調リモコンくらいか。本来であればこの本体内に膨大なデータを取り込んで、場面に対応するわけで、無限に広がる状況や場面に対応できるものではない。
▼だから使い物にならなかったわけだが、現在はネット環境が充実して、本体内に翻訳辞書を置く必要がなくなっている。辞書はネット上にあり、無限とも言える場面に適した翻訳を、ネット上に繋がった無数のコンピューターが考えて答えを示してくれる。
▼便利な時代になったものだ。こうなれば、誰が外国語を勉強するのだろうか。外国語を勉強する人はいなくなるのではないだろうか。そんな心配すらしてしまう。私が教えられた「外国語を勉強する理由」は、「違う文化を学び、そこから戻って自国の文化を再認識する」ということだったが、さすがに「ポケトーク」頼みではここは達成できないか。
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第686回目。これだけ晴れているのに、ザーザー降り。にわか雨に興味を持った。
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今週の「笑える」
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「守護の聖人、保護の天使」「実に面白い!『守護の天使、保護の聖人』」
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† 神に感謝 †