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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/200927.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/9/27(No.1083)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第26主日(マタイ21:28-32)
外に立つ人に近づく時、イエスに会わせてもらえる
‥‥‥†‥‥‥‥
【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。チャンネル登録歓迎します。
https://youtu.be/S38boBKl7OA
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「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」(21・28)。ぶどう園の所有者が二人の息子にかけた声です。二人の息子は、「つらい場所で働きたくない」単純に、そのようなことだったかも知れません。父親の思いを探ってみましょう。
本日、午後3時から、江里山の移住記念碑前で、田平教会の基礎となってくれた移住者たちの記念ミサをおこないます。9月の「世界難民移住移動者の日」に、移住者である先祖たちに思いを馳せるのはふさわしいことです。
せっかくですので、与えられた福音朗読を移住者のことも少し念頭に置いて考えると、「ぶどう園」で息子たちが働けば、当然ぶどう園の労働者に出会うことに繋がっていきます。父親の思いはそこにあるのではないでしょうか。息子たちがぶどう園の労働者に出会えば、労働者を通して父親をより深く知り、愛することができるようになるはずです。
今年の「世界難民移住移動者の日」に当たって発表された教皇様のメッセージも、これとぴったり当てはまります。教皇様は、難民に思いを寄せ、「『服は破れ、足は汚れ、顔はゆがみ、からだは傷つき、ことばも通じない彼らの中に、主を見ることが難しかったとしても』、避難民はわたしたちを主に会わせてくれるのです」と仰っています。わたしたちはこの司牧的な課題に具体的な行動で応える必要があります。教皇様が発表されたメッセージから、ぶどう園で息子たちが労働者と出会ってほしいと考えたたとえ話の父親、また父である神の思いに触れることにしましょう。六つの具体的な行動で弱い立場にある人たちに近づくように促しています。以下、引用いたします。
理解すること。理解するためには、知らなければなりません。イエスご自身がそれを教えておられます。「話し合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(ルカ・24・15-16)。移住者と避難民のこととなると、話題に上るのは数ばかりです。しかし、そこにいるのは人なのです。彼らに会えば、彼らを知るようになります。彼らのこれまでの歩みを知れば、彼らを理解できるようになります。わたしたちがこのパンデミックの中で耐え忍んできた明日をも知れない状況は、今まさに避難民が抱えている状況です。
仕えること。仕えるためには、寄り添わなければなりません。善いサマリア人のたとえです。「ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見てあわれに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した」(ルカ10・33-34)。恐れと偏見は、わたしたちを他者から遠ざけ、「寄り添う」こと、愛をもって仕えることを妨げます。仕えるために近くにとどまるということは、単なる義務の先にある行為です。弟子たちの足を洗う際、イエスはそのもっとも偉大な模範を示してくださいました。上着を脱いでひざまずき、手を汚されたのです(ヨハネ13・1-15参照)。
和解すること。和解するためには、耳を傾けなければなりません。神ご自身が、そのことを示しておられます。神は御子をこの世に遣わすことにより、人間の耳をもって、人類のうめきに耳を傾けたいと思われたのです。和解して相手を助ける愛は、耳を傾けることから始まります。現代世界において、謙虚に注意深く耳を傾けることだけが、真の和解をもたらすことができるのです。避難民というもっとも脆弱な立場にある人々と、ひどく病んでいるわたしたちの地球の叫びに耳を傾けることで、隣人、多くの見捨てられた人、自分自身、そしていつくしみを絶えず与えてくださる神と和解する機会を得たのです。
ともに成長すること。成長するためには、共有しなければなりません。初期のキリスト教共同体は、共有することをその本質的な要素としていました。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだという者はなく、すべてを共有していた」(使徒言行録4・32)。神は、この地球の資源がごく一部の人のためだけに活用されることをお望みになりません。だれも排除することなくともに成長するためには、共有することを学ばなければなりません。今回のパンデミックは、わたしたち皆が、同じ舟に乗っていることを思い起させました。真に成長するには、もっているものを共有し、ともに成長しなければなりません。
促すこと。促すためには、巻き込まなければなりません。それは、まさにイエスがサマリアの女になさったことです(ヨハネ4・1-30参照)。主は近づき、耳を傾け、心に語りかけ、それから真理へと導き、良い知らせを告げる人に変えておられます。他者のために尽くしたいと思うあまり、相手の豊かさに目がいかなくなることがよくあります。助ける相手を真に促したいと思うなら、その人を巻き込んで、その人自身をそのあがないの主役にしなければなりません。今回のパンデミックは、共同責任がいかに重要であるか、そして、軽視されがちな人々も含め、あらゆる人が貢献してはじめて危機に立ち向かえるということに気づかせてくれます。
築き上げること。築くためには、協力しなければなりません。神の国を築くことは、すべてのキリスト者に共通の使命です。だからこそ、嫉妬や不和や分裂への誘惑に負けずに協力することを学ばなければなりません。わたしたちの共通の家を守り、神の原初の計画にいっそう近づけるためには、だれをも排除しないかたちで、国際協力、世界的な連帯、地域レベルでの取り組みを確実なものとするよう努めなければなりません。
ぶどう園に行けば、労働者と汗まみれになります。それが、今日イエスに出会うことにつながります。今日、イエスに出会って「考え直し」、神の心に留まろうとするなら、私たちのどのような過去も、明日は救いに変わってゆくのです。
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‥次の説教は‥‥
年間第27主日(マタイ21:33-43)
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ちょっとひとやすみ
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▼配信を続けているメルマガの中に「ミニまぐ」という発行形態がある。文字数2000字以内で発行している。これまで十数年、「まぐまぐ!」を削って2000文字に収める作業をしてきたが、今週の原稿を2000字に収めようとすると、教皇様のメッセージはもはや教皇様のものではなくなってしまう。ただでさえ、無理して説教時間の制約の中に収めているから、これ以上無理はできない。
▼困ったと思っていたが、「待てよ」というアイディア(別の方法)が浮かんだ。たとえば(A)と(B)みたいに分けて配信すれば、全部を届けることができる。そうすることで、私が無理に無理を重ねて2800文字にもなるもとの原稿を短くする必要もなくなる。
▼ひとまず、この形で「ミニまぐ」は再スタートしようと思う。どうしても困るという声があれば、またその時考えよう。もとの原稿で表現したい内容を、体験談を削ったりして配信するのは不本意だったのだから、両方得をするはずだ。
▼毎日、体重計で体重を見ている。毎日点検することが大事。ライザップのように見違える体型にはならないけど、病院で体重計に乗って初めて体重を知るようなことではいけないと思っている。少し歩き始めてもいるし、そのうちに体重計に乗るのが楽しくなるだろう。
▼雨が降る日はどうしているか。15年くらい前に買った「Wii Fit」を引っ張り出した。台所の出窓くらいのボードに乗って、ゲームに釣られて体を動かしている。55に近づいているオジサンが、フラフープのゲームやスキーのスラロームを、ボードの上でしているのを想像すると、ちと気味が悪いが。
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今週の1枚
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第690回目。平戸の聖地の一つ安満岳。別ルートで下りたら「通行止」だった!
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/
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今週の「笑える」
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「NHKの古畑さんの番組面白い」「え??『古館さん』だと思うけど。」
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† 神に感謝 †
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「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」(21・28)。ぶどう園の所有者が二人の息子にかけた声です。二人の息子は、「つらい場所で働きたくない」単純に、そのようなことだったかも知れません。父親の思いを探ってみましょう。
本日、午後3時から、江里山の移住記念碑前で、田平教会の基礎となってくれた移住者たちの記念ミサをおこないます。9月の「世界難民移住移動者の日」に、移住者である先祖たちに思いを馳せるのはふさわしいことです。
せっかくですので、与えられた福音朗読を移住者のことも少し念頭に置いて考えると、「ぶどう園」で息子たちが働けば、当然ぶどう園の労働者に出会うことに繋がっていきます。父親の思いはそこにあるのではないでしょうか。息子たちがぶどう園の労働者に出会えば、労働者を通して父親をより深く知り、愛することができるようになるはずです。
今年の「世界難民移住移動者の日」に当たって発表された教皇様のメッセージも、これとぴったり当てはまります。教皇様は、難民に思いを寄せ、「『服は破れ、足は汚れ、顔はゆがみ、からだは傷つき、ことばも通じない彼らの中に、主を見ることが難しかったとしても』、避難民はわたしたちを主に会わせてくれるのです」と仰っています。わたしたちはこの司牧的な課題に具体的な行動で応える必要があります。教皇様が発表されたメッセージから、ぶどう園で息子たちが労働者と出会ってほしいと考えたたとえ話の父親、また父である神の思いに触れることにしましょう。六つの具体的な行動で弱い立場にある人たちに近づくように促しています。以下、引用いたします。
理解すること。理解するためには、知らなければなりません。イエスご自身がそれを教えておられます。「話し合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(ルカ・24・15-16)。移住者と避難民のこととなると、話題に上るのは数ばかりです。しかし、そこにいるのは人なのです。彼らに会えば、彼らを知るようになります。彼らのこれまでの歩みを知れば、彼らを理解できるようになります。わたしたちがこのパンデミックの中で耐え忍んできた明日をも知れない状況は、今まさに避難民が抱えている状況です。
仕えること。仕えるためには、寄り添わなければなりません。善いサマリア人のたとえです。「ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見てあわれに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した」(ルカ10・33-34)。恐れと偏見は、わたしたちを他者から遠ざけ、「寄り添う」こと、愛をもって仕えることを妨げます。仕えるために近くにとどまるということは、単なる義務の先にある行為です。弟子たちの足を洗う際、イエスはそのもっとも偉大な模範を示してくださいました。上着を脱いでひざまずき、手を汚されたのです(ヨハネ13・1-15参照)。
和解すること。和解するためには、耳を傾けなければなりません。神ご自身が、そのことを示しておられます。神は御子をこの世に遣わすことにより、人間の耳をもって、人類のうめきに耳を傾けたいと思われたのです。和解して相手を助ける愛は、耳を傾けることから始まります。現代世界において、謙虚に注意深く耳を傾けることだけが、真の和解をもたらすことができるのです。避難民というもっとも脆弱な立場にある人々と、ひどく病んでいるわたしたちの地球の叫びに耳を傾けることで、隣人、多くの見捨てられた人、自分自身、そしていつくしみを絶えず与えてくださる神と和解する機会を得たのです。
ともに成長すること。成長するためには、共有しなければなりません。初期のキリスト教共同体は、共有することをその本質的な要素としていました。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだという者はなく、すべてを共有していた」(使徒言行録4・32)。神は、この地球の資源がごく一部の人のためだけに活用されることをお望みになりません。だれも排除することなくともに成長するためには、共有することを学ばなければなりません。今回のパンデミックは、わたしたち皆が、同じ舟に乗っていることを思い起させました。真に成長するには、もっているものを共有し、ともに成長しなければなりません。
促すこと。促すためには、巻き込まなければなりません。それは、まさにイエスがサマリアの女になさったことです(ヨハネ4・1-30参照)。主は近づき、耳を傾け、心に語りかけ、それから真理へと導き、良い知らせを告げる人に変えておられます。他者のために尽くしたいと思うあまり、相手の豊かさに目がいかなくなることがよくあります。助ける相手を真に促したいと思うなら、その人を巻き込んで、その人自身をそのあがないの主役にしなければなりません。今回のパンデミックは、共同責任がいかに重要であるか、そして、軽視されがちな人々も含め、あらゆる人が貢献してはじめて危機に立ち向かえるということに気づかせてくれます。
築き上げること。築くためには、協力しなければなりません。神の国を築くことは、すべてのキリスト者に共通の使命です。だからこそ、嫉妬や不和や分裂への誘惑に負けずに協力することを学ばなければなりません。わたしたちの共通の家を守り、神の原初の計画にいっそう近づけるためには、だれをも排除しないかたちで、国際協力、世界的な連帯、地域レベルでの取り組みを確実なものとするよう努めなければなりません。
ぶどう園に行けば、労働者と汗まみれになります。それが、今日イエスに出会うことにつながります。今日、イエスに出会って「考え直し」、神の心に留まろうとするなら、私たちのどのような過去も、明日は救いに変わってゆくのです。
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▼困ったと思っていたが、「待てよ」というアイディア(別の方法)が浮かんだ。たとえば(A)と(B)みたいに分けて配信すれば、全部を届けることができる。そうすることで、私が無理に無理を重ねて2800文字にもなるもとの原稿を短くする必要もなくなる。
▼ひとまず、この形で「ミニまぐ」は再スタートしようと思う。どうしても困るという声があれば、またその時考えよう。もとの原稿で表現したい内容を、体験談を削ったりして配信するのは不本意だったのだから、両方得をするはずだ。
▼毎日、体重計で体重を見ている。毎日点検することが大事。ライザップのように見違える体型にはならないけど、病院で体重計に乗って初めて体重を知るようなことではいけないと思っている。少し歩き始めてもいるし、そのうちに体重計に乗るのが楽しくなるだろう。
▼雨が降る日はどうしているか。15年くらい前に買った「Wii Fit」を引っ張り出した。台所の出窓くらいのボードに乗って、ゲームに釣られて体を動かしている。55に近づいているオジサンが、フラフープのゲームやスキーのスラロームを、ボードの上でしているのを想像すると、ちと気味が悪いが。
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今週の1枚
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第690回目。平戸の聖地の一つ安満岳。別ルートで下りたら「通行止」だった!
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今週の「笑える」
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「NHKの古畑さんの番組面白い」「え??『古館さん』だと思うけど。」
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† 神に感謝 †