こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

三位一体の主日(マタイ28:16-20)送り出す方、送られる方、永遠に続く

2024-05-25 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2024/5/26(No.1298)
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三位一体の主日(マタイ28:16-20)
送り出す方、送られる方、永遠に続く
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フランシスコ教皇様は、今年、世界子どもの日を定め、5月25日と26日二日間にわたって子供たちとの集いを開きます。この日に合わせてメッセージも発表なさいました。年齢は離れていますが、教皇様はローマに集まった世界中の子供たちに、慈しみ深い父として接してくださり、すべての子供がイエス様に愛されていることを届けてくださいます。

本日、三位一体の主日です。叙唱に次のようにあります。「聖なる父、全能永遠の神、(中略)あなたは御ひとり子と聖霊とともに唯一の神、唯一の主です。わたしたちは父と子と聖霊の栄光を等しくたたえ、三位一体の神を信じ、礼拝します。」中田神父はこの神秘を、「唯一の神の中に御父・御子・聖霊を見る」そのように説明したいと思います。

神がお一人であることは、何人も神様がいるより、理に適っています。神様が何人もいるというのであれば、ある一つのことの神様がいて、また別のことの神様がいることになります。なぜ、両方のことをお一人の神様ができないのでしょうか。そう考えると、神がお一人であることは十分納得できます。

その上で私たちキリスト者は、唯一の神の中に、御父・御子・聖霊を見るわけです。唯一の神ですが、三つの面を持っています。例えてみましょう。井持浦にルルドの泉があります。泉の中に、湧き出させる力があり、湧き出る水があり、水が豊かであればいつまでも湧き続けます。

湧き出させる力、湧き出る水、いつまでも湧き出ること。この三つが一つになって、井持浦のルルドが成り立っています。もちろん完全な泉は存在しないので、永遠に湧き続けることはできないかもしれません。

そのように唯一の神の中に、救い主を送り出す方、救い主として送り出される方、永遠に続く救いの働きは一つなのです。誰かが別の誰かを送り出しているのではなく、唯一の神の中に、送り出す働き、送られる働き、永遠に続く働きがあるのです。御父・御子・聖霊の姿を見るとは、そういうことではないでしょうか。

十分な説明は、きっと誰にもできないと思います。不完全ですが、毎年こうして思い巡らすことは大切です。そしてもう一つ大切なことがあります。思い巡らすだけでなく、三位一体の神の働きを、私たちが見倣うことも大切なことです。私たちが、「送り出す働き、送られる働き、その働きを続けていくこと」この三つを教会生活の中に取り込むことが、頭で理解すること以上に大切なのだと思います。

私たちの教会生活に、この三つが見いだせるでしょうか。じつはミサは、この三つの働きを実現する場所なのです。「行きましょう主の平和のうちに」「神に感謝」ミサの最後は派遣です。派遣の中に、送り出す働きがあり、送られる働きがあり、その働きを続けていくこと、この三つがすべて含まれています。

私たちが三位一体の神秘を頭で理解しようとする、それ以上に体験によって実践によって、三位一体の神が私たちの救いのためにすべて必要なことをしてくださったその愛を学びたいものです。

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‥次の説教は‥‥
キリストの聖体(マルコ14:12-16,22-26)
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ちょっとひとやすみ
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▼三位一体の主日は、私たち自身の多様性における一致を探る大切な機会だと考えている。主任司祭、助任司祭、預かっている助祭。この三者は多様性があるがイエス・キリストを伝えることでは一つである。
▼多様性は、表面的な一致よりも深くなる。理解しようと努めなければならないし、自分と違うことを受け入れなければならない。一人でいるときよりも、もっとイエス・キリストを伝えるために努力が必要になった。

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今週の1枚
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第905 目。青年と大司教様との集い。大司教様は62歳かな?実にタフである。

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† 神に感謝 †
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聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる

2024-05-18 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2024/5/19(No.1297)
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聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)
あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる
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「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。」(16・12)長崎教区で聖書愛読の取り組みが始まって、もう20年くらいなるでしょうか。よく「カトリック教会の人はプロテスタント教会の人に比べて聖書を読む量が少ない」と思われています。

実際そうかもしれません。それでも、遅ればせながら聖書愛読や聖書の分かち合いが教会の中で、小共同体の中で進められた結果、聖書の物語の箇所が思い出せる人もいらっしゃるでしょう。

たとえばルカ福音書の15章は「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえ、「放蕩息子」のたとえです。もう一歩踏み込んで、ルカ15章15節の「聖句」を覚えている方はおられるでしょうか。ここはカトリック教会の人々の弱い部分です。プロテスタント教会の人々は、物語の一節一節まで覚えている人が多いです。頭が上がらないです。

疑問は早めに解決しておきましょう。ルカ福音書15章「放蕩息子」のたとえ、その中の15章15節は「それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた」でした。あまり見栄えのしない箇所に見えますが、物語は弟が畑に送り込まれて豚の世話をした、そこから大きく展開していきましたから、その意味では覚えておいてよいでしょう。

ほかにも、聖書愛読などを通して覚えた聖句があるかもしれません。または、3月の黙想会で話したように、登場人物に結び付けて聖句を覚えた人もいるかもしれません。ここで一つ問題があります。学んだり覚えたりしたその聖句は、どこで使えばよいのでしょうか?

諺や、四字熟語は覚えたものをすぐに生活に活かせるかもしれません。しかし聖書の言葉、聖句は、生活にはなかなか結び付かないと思われがちです。いつ、覚えた聖句の出番はやって来るのでしょうか。

福江教会には今年助祭が派遣されています。助祭はミサがまだできないし、ゆるしの秘跡もまだできません。「仕事の場所が限られてくるなぁ」と心配していたのですが、すぐにそれを補うすばらしいものを持っていることに気付きました。それは、「聖書の言葉を思い出させ、理解させてくださる」ということです。

こんなことがありました。「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」(使6・4)これは使徒言行録の中で、今で言う助祭を選び出したあとに使徒たちが語った言葉です。言葉自体は聖書を何度も読む中で覚えていましたが、生活の中で生きてくる場面があるなどとは夢にも思いませんでした。

助祭様が来てすぐ、ミサの打ち合わせをしました。主任司祭はこの部分をしますから、助祭はこことここを受け持ってください。そういう打ち合わせです。その中で「聖体拝領は助祭ができることなので助祭がしてください」とお願いしたのですが、「でも助祭に丸ごと聖体拝領を任せたら、偉そうに見えるかなぁ」と言いましたら、助祭様がこう答えたのです。「いえ、主任神父様は席で待っていてください。『わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします』あれです。」確かにそうだなぁと思いました。

これは、聖霊が助祭を通して語ってくれたことでした。聖霊は使徒たちの時代から変わらず私たちに注がれて、聖書の言葉を解き明かしてくれるのです。聖書の言葉が私たちの生活に染み渡ることを教えてくれるのです。生活の出来事の中に、聖書で表せる部分があるわけです。

そこで、聖霊降臨の主日にちなんでもう一箇所覚えていってください。ルカ福音書12章12節です。こう書かれています。「言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」すばらしいと思いませんか。聖霊降臨の主日に、最高の聖句を与えていただきました。

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‥次の説教は‥‥
三位一体の主日(マタイ28:16-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼聖体拝領を助祭がしている間、主任司祭はそれこそ「祈りと御言葉の奉仕に専念」しているのだが、祭壇の上のものを片付ければ時間短縮になると思うこともある。
▼ただ一方では、「いずれ司祭になって単独でミサをすれば一人でしなければならなくなるのだし、今のうちに訓練させておこう」という思いもあり、そのままにしている。
▼助祭時代の準備過程にしなければならないことのリストを受け取った。こんなに必要なのかと思ったりもする。これから助祭を預かった者として、この養成準備を見守っていく。司祭叙階まで、本人も見守る側もそれぞれ気を引き締める。

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今週の1枚
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第904回目。ルルド祭の直前、浜串教会の皆さんが私を訪ねに来てくれた。

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† 神に感謝 †
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主の昇天(マルコ16:15-20)洗礼式は、すべての造られたものに伝えられた福音

2024-05-10 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2024/5/12(No.1296)
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主の昇天(マルコ16:15-20)
洗礼式は、すべての造られたものに伝えられた福音
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今日、浜脇教会に大きな喜びが与えられました。教会としては大きくないかも知れません。けれども神様は、浜脇教会家族にも大きな喜びを与えてくださるのです。典礼は、主の昇天を祝っています。天に昇られたイエス様は、私たちに大きな喜びを与える力を持つお方です。

復活したイエス様が、天に上げられる前に弟子たちに語ったことは、三年間一緒に暮らす中で語られたどの言葉よりも大胆なものでした。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(16・15)福音とは、神がイエス・キリストを通して私たちのためにおこなってくださったすべてのことです。

それは、聖霊によっておとめマリアから生まれ、ことばと行いで神の国を告げ知らせ、十字架にかけられて死に、三日目に復活し、天に昇り、聖霊を送って、生者と死者を裁くために来られる。これらのことです。この福音を全世界で、すべての造られたものに宣べ伝えるのです。

ではどのようにして「全世界に」宣べ伝えるのでしょうか。すべての国の言葉で福音を知らせるとき、全世界に宣べ伝えることになります。現代ではすでに、あらゆる国のあらゆる言葉で、イエス様の救いの働きが宣べ伝えられています。私たちは私たちの言葉で、宣べ伝えます。

もう一つ、どのようにして「すべての造られたものに」福音が宣べ伝えられるのでしょうか。一つの例が、今日行われる洗礼式です。人間の命は、小さな命ですが、すべての造られたものの中で最も複雑で神秘的です。これほど複雑で神秘的な命に洗礼の恵みを注ぐことは、すべての造られたものに向けてのすばらしい福音宣教だと思います。

こうして私たちは、現代にあって、全世界に福音を宣べ伝え、すべての造られたものに福音を宣べ伝えています。いただいた恵みを大切に守っていきましょう。「守る」方法は二通りあります。誰にも見つからないように隠しておくか、恵みを育んでいくかです。洗礼の恵みを守るとはどちらを意味しますか?もちろん育んでいく方法のことです。

幼児洗礼は初めのうちは、御聖体をいただくことも、聖書の言葉を味わうこともできません。しかし聖体拝領の列に並んで、頭に司祭の手を置いてもらい、祝福をいただきます。これは立派な「恵みを育む道」です。徐々に恵みに近づき、イエス様から養ってもらう準備になります。

教会に近づいて恵みを育むことは、天に昇ったイエス様に近づいて育んでもらうことでもあります。今や「天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28・18)イエス様が、私たちとともに働き、宣教の使命を続けさせてくださいます。

先週浜脇教会からの帰りぎわ、洗礼を控えたご家族のお子さんが私を見て「アーメン、アーメン」と言っていました。「彼らは新しい言葉を語る。」(マルコ16・17)十分に、この子は「信じる者には次のようなしるしが伴う」(同)とのイエスの予言を実行していると思いました。

天に行かれるイエス様が、これからも聖霊を通して恵みを注ぎ続けてくださいます。その恵みを、あなたは誰にも見つからないように隠して守り続けますか、育んで守っていきますか。どんなことでも、隠し続けることはできません。個人で、家庭で、教会家族で恵みを育んで、守っていきましょう。天に昇られたイエス様もそれを望んでおられます。

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‥次の説教は‥‥
聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)
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ちょっとひとやすみ
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▼木曜日にカトリックのミッション校が井持浦教会とルルドに巡礼に来て、前もってお願いされていたので教会案内とルルドの説明をしようと待機していた。2班に分かれていて、昼前の班は私が説明をしたが、昼からの班は私が聖堂で待っているとガイドの人がルルドに誘導して、ガイドが説明をし始めた。「じゃあ必要ないじゃん」と思った。
▼修学旅行生は中学3年生だったが、聖堂内でよく話を聞いてくれた。感心だった。話の終わり、「5月12日にルルド祭125周年行事があります。天気を心配しています。良かったら、君たちからも行事が無事にできるように祈ってもらえないだろうか?」そう言って今回の125周年のために用意した祈りのカードを配り、祈ってもらった。

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今週の1枚
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第903回目。この画像を見た人、ぜひダウンロードしてお祈りしてください。

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復活節第6主日(ヨハネ15:9-17)あなたも「互いに愛し合いなさい」に招き入れられる

2024-05-04 | Weblog
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「今週の説教」
2024/5/5(No.1295)
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復活節第6主日(ヨハネ15:9-17)
あなたも「互いに愛し合いなさい」に招き入れられる
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五月になりました。教会は五月を「聖母月(マリア様の月)」と呼びます。いつもより30分早くミサに来て、マリア様にささげるロザリオの祈りに参加しましょう。イエス様は「わたしの愛にとどまりなさい」(15・9)と招いています。五月はロザリオを唱えることで、マリア様を通してイエス様の愛に留まることにしましょう。

五月五日は「こどもの日」です。今日は、子供たちにも届いてほしいなぁという気持ちで話しています。与えられた福音朗読のいちばん最後をもう一度読みましょう。「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(15・17)

これは、今日の福音のまとめだけでなくて、イエス様が私たちに求める生き方のまとめでもあると思います。ちょっと言い方を変えると、「互いに愛し合うこと」は、イエス様が私たちに求めている「必要なこと」です。

「必要なこと」と言いました。ルカ福音書の中の「マルタとマリア」の物語を思い出しました。イエス様はマルタにこう言います。「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10・42)「互いに愛し合う」ことは、イエス様が私たちに求める「ただ一つの必要なこと」そう言えるかもしれません。

「ただ一つの必要なこと」が「互いに愛し合うこと」なのですが、「互いに愛し合うこと」は、そんなに簡単ではありません。学校やクラブで、仲良くできる人よりも仲良くできない人の方が多いかもしれません。仲良くできない人が多いとしたら、「互いに愛し合う」ことは非常に難しいです。それなのにイエス様は、「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」と言っています。「できればお願いします」と言っているのではありません。「命令です」と言っているのです。

イエス様は、無理と分かっているのに命令する方だと思いますか?中田神父はそうは思いません。難しい命令かもしれませんが、必ずやり遂げるための力と助けを与えてくださいます。仲良くできない人の方が多いとき、イエス様の力と助けがなければ、命令をやり遂げることはできません。どこで、その力と助けをいただけるのでしょうか。

力と助けをいただく場所、それは今参加しているミサの中なのです。ミサに参加し、聖書の言葉と御聖体でイエス様に交わり、いただいたイエス様の愛を人々に分かち合いに行く(「宣教」のことです)。今参加しているミサが、仲良くできている人ともできていない人とも互いに愛し合う力と助けをいただく場所なのです。いただいたイエス様の愛を分かち合うことで、愛し合うことができるようになります。

今日の説教は「こどもの日」を少し意識して話しました。目の前で話を聞いた子供たちは少ないかもしれません。けれどもこのミサの説教をあとで見たり聞いたりした人が、もう一度子供たちと一緒に観たり聞いたりしてくれたら嬉しいです。一人でも多くの人が、「互いに愛し合いなさい」というイエス様の声に、耳を傾けることができますように。

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‥次の説教は‥‥
主の昇天(マルコ16:15-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼浜脇小教区から、二家族の洗礼の申込を受けている。小教区としては小さな家族だが、大きな喜びを生み出す小教区と言える。私たちは「大家族」だった時代を知っているから、どうしても小さな家族になったときに戸惑ってしまう。
▼しかし、こうして小さな教会家族に大きな喜びが与えられるのは、「教会が生きている」証拠である。どの教会にも当てはまると思うが、「大きな喜び」がそこにあるとき、その教会家族は「生きている教会」なのだ。それぞれ、「大きな喜び」を見つけてほしい。

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今週の1枚
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第902回目。子供のように受け入れなければ、天の国に入ることはできない。

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