こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

神の母聖マリア(ルカ2:16-21)イエスに繋がるものを心に留めて生きる

2020-12-31 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2021/1/1(No.1099)
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神の母聖マリア(ルカ2:16-21)
イエスに繋がるものを心に留めて生きる
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新年あけましておめでとうございます。神の母聖マリアの守るべき大祝日から2021年が始まります。マリアの人としての偉大さをあらためて心に刻み、今年一年の模範としましょう。田平小教区の皆さんにはこの場を借りて新年の挨拶に代えさせていただきます。

田平教会は幸いに、新年もミサを祝って始めることができました。佐世保市内、長崎市内ではすでに、クリスマスからミサが停止している教会があり、新型コロナウィルスの影響を思い知らされています。今日のミサでは説教のあとには新成人の祝福式もあり、喜び合える一日となったことを心から神に感謝したいと思います。

思い返すと30年以上前、私も新成人として祝ってもらいました。故郷での成人式を終えると、小学校の同級生が学校の体育館に招かれました。一通り祝ってもらってから、卒業時に埋めたタイムカプセルを、わいわい言いながら掘り起こしました。それぞれ思いの込められたものでしたが、私が埋めたものはあまり見たくないものでした。

多くの同級生は、「二十歳になった自分に送る品物」をタイムカプセルに収めましたが、私は「二度と見たくない物」を埋めました。それは父親から買ってもらった野球のグローブでした。私は運動音痴だったので、聖書の物語にある「一タラントン預かって、埋めてしまった」あの僕のように、自分から遠ざけたくて埋めたのです。いざ二十歳になって掘り起こす時、「考え方が間違っていたなぁ」と痛感しました。

さて福音朗読でマリアは出来事を思い巡らしました。イエスが責任ある大人になり、たとえば会堂で聖書を読む年齢になった時、幼子だった時のことをマリアも人々も思い出すわけです。マリアは出来事に納得します。中田神父が暗い過去として封印した記憶とは違い、マリアが思い巡らした出来事はあとで思い返して納得する出来事・先で楽しみとなる出来事になったのでした。

私たちは人生の節目で記憶に刻む出来事を迎えます。何を記憶に刻むかは大切です。私のタイムカプセルは反面教師です。新成人を迎える方は「あとで思い返すのが楽しみ」そんな出来事をこれから重ねてください。マリアは幼子が生まれた時、「思い巡らす価値がある」そう思って出来事を納めました。その結果、救いの完成をマリアは見届けます。

場合によっては、一つを手に入れるために、一つを手放さなければならないかも知れません。その時のお手本はマリアです。マリアはイエスに繋がる出来事を残し、イエスに結びつかない出来事を手放しました。一つ手に入れるけれども、何かを捨てなければならない。その時はためらわずにイエスと結びつかないものを手放しましょう。これから権利と義務を手にして歩む新成人への、先輩からの言葉になればと思います。

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‥次の説教は‥‥
主の公現(マタイ2:1-12)
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ちょっとひとやすみ
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▼新型コロナウィルスはこの一年世界をどん底に落とした。よく言われる「どん底まで落ちたら上昇に変わる」そう信じたい。この一年でたくさんの人が命を落としている。神のもとに受け入れられ、2020年ならではの苦しみを慰めてくださると信じる。
▼2020年に自分はどん底だったか?いや、まだそこまでではない。地面を這う、そこまでの苦しみを受けてはいない。だからこの恵まれた状況を、今年は還元したい。それと、地を這う苦しみ痛みを分かってあげられなかったことを謝りたい。

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今週の1枚
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第706回目。新年明けましておめでとうございます。

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† 神に感謝 †
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聖家族(ルカ2:22-40)腕に幼子を抱いているなら

2020-12-26 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/12/27(No.1098)
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聖家族(ルカ2:22-40)
腕に幼子を抱いているなら
‥‥‥†‥‥‥‥
【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。チャンネル登録歓迎します。
https://youtu.be/S38boBKl7OA
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聖家族の主日を迎えました。ご降誕からすぐなので、慌ただしい感じです。来年は土曜日がクリスマスなので、さらに慌ただしくなるでしょう。ただ再来年は、日曜日がクリスマスなので、ホッとしています。来年のクリスマス、果たして新型コロナウィルスの感染は終息しているでしょうか。

他愛のない話を先にしますが、司祭たちは「月曜会」という夕食会を時々しています。たいてい四人です。先月の月曜会で、ある先輩神父様が、「今年から来年は説教が連続するから大変だ。クリスマス夜半の説教、クリスマス日中の説教、そのあとすぐに聖家族の祝日、やっと終わったと思ったら神の母聖マリア。そうこうしていたら1月3日は御公現だ。息つく暇も無い」と言っておりました。毎年のことですが、確かに余韻に浸ることはできませんでした。

考えると、ヨセフとマリアの夫婦も、イエスの誕生の余韻に浸る時間は無かったかも知れません。占星術の学者の訪問のあと、すぐにエジプトに避難しなければならなかったのはご存知でしょう。そもそも、マリア自身、これから起こることを「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」と思ったわけですし、ヨセフもマリアのことを表沙汰にすることを望まず、密かに離縁しようと考えていました。こうした思いを引きずらずに、すぐに神の望みに従っていったのはすごいことです。

私たちに与えられた福音朗読は、幼子が神殿で献げられる場面の物語でした。シメオンが両親に連れられた幼子を見つけ、幼子を腕に抱きます。そして「神をほめたたえ」、それから両親を「祝福」します。おそらく、「主が遣わすメシア」(2・26)にお目にかかる瞬間を今か今かと待ち望んでいたわけですから、その時にどんな声をかけようか、何かしらのことばを用意していたかも知れません。それらも、いざお目にかかってみればすべて吹き飛んでしまったかも知れません。

しかし、シメオンは「聖霊が彼にとどまっていた」(2・25)ので、新しいことばが口をついて出たのです。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(2・29-32)これら一連の出来事には、共通したものがあると考えました。それは「腕に幼子を抱いている」ということです。

マリアが天使のお告げを聞いた時、「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」と尋ねましたがそれでもすぐに出来事を神に委ね、受けとめました。腕に抱いていたわけではありませんが、すでに「幼子を抱いている」と言える状態だったからでしょう。

ヨセフも思い悩むのをやめて、マリアを妻として迎えました。「腕に幼子を抱きかかえる」決心がついたからでしょう。シメオンも、女預言者アンナも、祝福のことばを口にできたのは「腕に幼子を抱いている」預言者だったからこそできたわけです。

すでに、私たちは今週の学びを頂いたようなものです。問題山積、外では新型コロナウィルス、内では教区内の司祭の不祥事。心も身体もくたくたになる一年でした。それでも、「腕に幼子を抱いている」人は失望しません。救い主イエスは私たちが本来手にできない宝だったのに、私たちの手に収まる姿でおいでくださったからです。

よく考えると、「腕に幼子を抱いている」なら、一歩歩くのにも十分気を付けるでしょう。何かが起こっては大変だと、全神経を集中して守ろうとするでしょう。私たちが聖家族から受け取る模範は、「腕に幼子を抱いている」ということは、全神経を幼子に向ける覚悟も、聖マリアと聖ヨセフに倣って求められているということです。私がイエスにつながって日々を過ごし、成長していくためには、「腕に幼子を抱いている」つもりで信仰の務めを果たす覚悟も求められているのです。

簡単に言えば、「腕に幼子を抱いている」その人は、決して他のことに気を散らしてはいけないということです。その幼子と一緒に成長していきたいなら、「腕に幼子を抱いている」そのことを片時も忘れてはいけないのです。中田神父はすべての人に同じことを求めるわけではありませんが、あなたが気にしていることや悩んでいることは「腕に幼子を抱いている」その幼子よりも大事なのですか?これをよく考えて日々を過ごしましょう。

新型コロナウィルスの影響をまともに受けた一年でした。家庭での時間が多くなりました。家庭で中心にあったものは何でしたか。あなたは何を腕に抱いて過ごしましたか。私は今年のコロナ禍で、覚悟を新たにしました。「腕に幼子を抱いている」これを忘れずに日々を過ごしたいと自分に言い聞かせました。

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‥次の説教は‥‥
神の母聖マリア(ルカ2:16-21)
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ちょっとひとやすみ
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▼田平教会「瀬戸山の風」という小教区報を毎月発行している。12月末には次の年の「1月号」を発行する。こちらに来て「そうなんだ」と思ったことの一つが、「年間の目標を立てる」ことだ。
▼十分想像できることだが、「年間の目標」を立てるのは主任司祭である。毎年、次の一年を想像しながら「年間目標」を示す。広報委員から「今年の年間目標も提出願います」と言われ、「しばらく待ってほしい」と時間を稼いで、考え始めた。
▼昔ちょっと流行した「ブレインストーミング」という方法でありったけの材料を出してから考える。今年流行したこと。そこから来年に繋がること。すぐに思い浮かんだ。今年の流行語大賞は「3密」だった。ここからヒントをもらおう。しかし教会用語で「密」はそんなに存在しない。
▼それなら枠を広げて「みつ」でくくることのできるものを。ここまで来ると答えにたどり着くのは難しくない。三つ並べて2020年田平教会信徒が蓄えるべき目標とした。「信望愛の充『満』」「恵みの甘い『蜜』」「救い主の栄『光』。これらを求め、力を合わせていきたい。

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今週の1枚
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第705回目。キビナゴを一夜干し。おいしかったのだが、なぜか日本酒を思い出す
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今週の「笑える」
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「今年最後の買い物。ABCマートでお安くコップを買ってきた」
「それABCマートじゃなくて『ACB(アシベ)』だね。」
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† 神に感謝 †
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主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)聖体より先に、みことばが

2020-12-24 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/12/25(No.1097)
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主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)
聖体より先に、みことばが
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あらためて、主のご降誕おめでとうございます。私たちはミサをささげて、主の降誕を祝いました。昨日話しましたように、都市の封鎖(ロックダウン)のため教会でミサをささげることもできなかった国があります。身近な関係者が感染したためにミサが中止になった教会もあります。私たちはこうした残念な思いで今日を迎えた人、打ちひしがれている人のことも心に留めて、心を込めてミサをささげるべきです。

主の降誕日中のミサは、ヨハネ福音書の冒頭「言(ことば)が肉となった」という箇所で、抽象的に見えます。毎年、この朗読箇所を日中のミサは取り上げています。この朗読と、今年の新型コロナ感染の状況が、私の中では見事に結びつきました。感染拡大の中、ミサを中止せざるを得なかった教会のために、この朗読箇所が人々を慰めてくれます。

それは、冒頭のひとことで十分です。「初めに言(ことば)があった。」(1・1)そうです。初めに、神のことばが響き渡ったのです。これは天地創造の初めから、救い主が人となり、時が満ちて宣教活動を始めた際も、「初めに言(ことば)があった」のです。イエスはいきなり最後の晩餐を制定して弟子たちに委ねたのではなく、ことばで人を見たし、ことばの食卓が3年間あってから、聖体の食卓が用意されたのです。

これは、イエスがこの世におられた時だけのことでしょうか?いいえ、今も同じことです。ミサの前半はみことばの食卓です。ミサの後半が聖体の食卓です。私たちはみことばの食卓に預かってから、聖体の食卓にあずかっているのです。

夜半のミサから、ミサが中止となった教会があります。その方々はご家庭で、ミサに参加できなかったと唇を噛みしめて残念がっているかも知れません。しかしイエスは、すでに二千年前に予告しておられたのです。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」と。言(ことば)によって人間は照らされ、命を得ることになると、二千年前から約束してくださっていたのです。

今日私たちは、ヨハネ福音書の冒頭の朗読で、「みことばであるイエス」を確認しました。もし「聖体のイエス」だけが私たちに残されていたなら、ミサに参加できなかった人は慰めを得られず、「闇に住む民」のままだったでしょう。そうではなく、イエスは「みことば」として、「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与え」(1・12)、今も慰めと希望を与え続けておられるのです。

実は私たちの小教区にも、「みことばであるイエス」が宣べ伝えられることを今か今かと待ち望んでいる人たちがいます。私は今日の日中のミサを「瀬戸山の風」に載せて、全世帯に届けます。あなたも、誰かのためのメッセージとなって、降誕の喜びを届けに行きましょう。

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‥次の説教は‥‥
聖家族(ルカ2:22-40)
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ちょっとひとやすみ
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▼長崎教区内でミサが中止になった教会と、ミサを実施できた教会とに分かれてしまった。私たちはどちらの場合でも、「最も弱い立場にある人に救い主は先に出会ってくださっている」と信じている。ミサに参加できた人はそのメッセージを届けて欲しい。参加できなかった人は救い主が近くにいてくださることを固く信じて欲しい。
▼全国的にも、ミサが中止になった教会があると思う。クリスマスカード(ポスター形式)が大阪大司教区で面識のある神父様から届いた。希望にあふれた笑顔が印象的だった。どんな困難のときにも、救い主の到来は希望のメッセージである。今年、日本でそのことが少しでも伝わり、広まればコロナ禍でも宣教の実りはあったわけだ。
▼多くの人が、年末年始の帰省を控えることになった。ドイツのメルケル首相の圧倒的なメッセージを思い出す。「今年のクリスマスが、祖父母と会えた最後のクリスマスとならないように、あらゆる対策をしなければなりません。」こんな感じで、机を叩いて訴えていたと思う。もしも油断したり、ましてや軽率な行動のために、本当に会える人と会えなくなるなら、悔やんでも悔やみきれない。
▼新型コロナウィルスが無かったことにはならない。この体験が過去のものとして過ぎ去ることもおそらくない。クリスマス、神の母聖マリア、決して忘れない2020年2021年としたい。

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今週の1枚
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第704回目。馬小屋飾り完成。神に感謝。お手伝いくださった皆様にも感謝。

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今週の「笑える」
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「水族館でペンギンが魚を丸呑みしてるシーンが放送されている!」
「それ『ペリカンが魚を丸呑みしてるシーン』だね。ペンギンではちと無理。」
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† 神に感謝 †
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主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)月が満ちて、神の愛があふれ出た

2020-12-23 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/12/24(No.1096)
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主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
月が満ちて、神の愛があふれ出た
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主の降誕おめでとうございます。新型コロナウィルスに振り回された一年でしたが、お生まれになった救い主は私たちの所に来てくださいました。しかも、「できるだけ近くに」来てくださいました。「近くに来てくださる」救い主を、福音朗読から感じて持ち帰りましょう。

「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」(2・6-7)今年のクリスマスに中田神父はこの箇所を選びました。特に「月が満ちて」という言葉に惹かれました。もちろんここでは、出産予定の月に達するということですが、満ち足り欠けたりする月の、「満月」も想像させます。

「満ち満ちた状態」から私が考えるのは、「あふれ出る」ということです。それは温泉が湧き出たり、地下水が湧き出たりする様子に似ているでしょうか。神の愛は、御子イエス・キリストとなって母マリアを通してあふれ、私たちに幼子として現れてくださった。私が今年伝えたいメッセージはこれです。

神の愛は、人間の救いという計画のためにあふれ出ました。全能の神が、無力な幼子になられました。あふれ出る愛がなければ、全能のお方が弱く小さな者になることは不可能でした。ヘロデが命を狙っています。最後は十字架にはりつけにされます。あふれ出る愛がなければ、これらの危険が待ち構えている世界に身を置くことは不可能なのです。

このあふれ出る神の愛を最初に受け取るのは誰でしょうか。それは、夜半ミサに参加している私たちです。神の愛が溢れ、わき出ている馬小屋に、私たちは導かれているからです。ミサを祝ったら、あらためて馬小屋に近づきましょう。あふれる様子は源泉に近づくことで確認できます。私たちも幼子を間近に見て、神のあふれ出る愛に触れましょう。

神の愛に触れたなら、私たちには使命が与えられます。それは、「私たちも神の愛に満たされたのだから、あふれ出る愛をより多くの人に届ける」ということです。今年は、健康に不安がある方のミサ参加を自粛しております。県外からの家族が帰省していたり、県外に出張などで出かけた方もミサの参加を自粛しております。これまでであれば問題なく参加できた人でも、参加できない場面が生じています。

何かの形で、こうした人とつながって、降誕の喜びを届けて欲しいのです。中田神父はミサが終わって一時間半もすれば、必ずミサの様子を録音で聞けるように準備します。ひらがなで「こうじ」それに神父を付けて、「こうじ神父」で検索すれば、ブログやホームページを見つけると思います。これが私なりの、「神の愛があふれ出て、人々に届ける方法」です。皆さんも何か考えて、「神の愛はあふれ出て、私たちに届きました」この喜びをひとりでも多くの人に届けることにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)
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ちょっとひとやすみ
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▼ご降誕おめでとうございます。コロナ禍で迎えたクリスマスは、生涯忘れないでしょう。この状況の中でも祝うことができたことを、まず神様に感謝します。弱り切った人類に、公平に喜びを届けてくださいました。神のあふれる愛に感謝しましょう。
▼先週の厳しい寒さが少し和らぎ、今週は日差しを楽しむことができている。もちろん朝晩はとても寒く、早朝ミサではマスクでメガネが曇り、ミサに支障を来している。釣りは中途半端な時期なのか、2.5キロの思いがけない鯛が釣れたかと思えば、塩焼きや吸い物程度の大きさの鯛しか釣れない日もある。
▼寒いと着る物が増えたり、重ねたりする必要があるので困る。早く冬を越して春になってほしい。その前に年賀状だ。今年の年賀状はぶっ飛んでいる。「ちょうど一年前・漁師から牛飼いに・昨日のことのように・今はっきりと思い出す」このセリフはちょっと前に話題になった補佐司教様の「教皇来日一周年ミサでの替え歌」の、「さらにパクり」だ。
▼本音を言うと、来年の干支が「牛」なので、さっきの替え歌を載せたのだが、漁師が牛飼いになるのはちょっと無理がある。私の父はそうなったが、私は牛飼いにはなれそうもない。飼っている牛を、少しずつ切り取りながら飼うことができるなら、牛飼いでも構わないが。

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今週の1枚
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第703回目。夜半のミサで手作りのキャンドルを御子さまにおささげ。楽しそう。

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今週の「笑える」
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「『あさひばた』って何?」「うーん。何を読み間違えたのか。」
「この漢字のことだけど」「ほぉ!『旭日旗』をユニークな読み方したね」
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† 神に感謝 †
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待降節第4主日(ルカ1:26-38)小教区再編

2020-12-19 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/12/20(No.1095)
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待降節第4主日(ルカ1:26-38)
小教区再編
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待降節第4主日、天使のお告げでマリアにイエスの誕生が予告される場面が福音朗読に選ばれました。今回説教は2014年の原稿をもとにしています。マリアは人間の知恵では完全に把握できない出来事を受け入れようとします。人間が知恵を巡らせても把握できないとき、どのようにして出来事を受け止めるのか、マリアは教えてくださいます。

聖堂入り口に、先週から「アンケート」とその「回収箱」を置きました。お知らせをしなかったのは失敗でしたが、内容は「小教区再編について」です。すでに教区報などでも取り上げられていますが、現状で77ある小教区すべてに主任司祭を派遣できておりません。小教区の数より主任司祭の数が少ないのです。この状態は一時的なものではなく、これからもずっと続くことが予想されます。

そこで、二つの質問を書いたメモを用意しました。平戸地区は小教区が8つあり、そのすべてに主任司祭が派遣されています。しかしこの状態は恵まれているのであって、ひょっとしたら次の人事異動では、8つの小教区に対して7人(あるいは6人)の主任司祭しか派遣できないと言われるかも知れません。そうなった時、田平小教区の信徒としてどんなことを要望したいですか、書いてみてください。

あるいは、これからの司祭減少傾向に対応するため、平戸地区を7つの小教区(または6つの小教区)に組み直すかも知れません。そうなった時、田平小教区の信徒としてどこまでは受け入れられますか、どんなお願いをしたいですか、考えて書いてみてください。

こんなお願いをして、「いきなりそんなこと言われても困る」と気を悪くされるかも知れません。ですが一歩引いて考えてみてください。「無い袖は振れない」のです。「平戸地区はずっと8人の主任司祭が与えられて当然です」とばかり言えなくなっています。「平戸地区の小教区を減らすなんてとんでもない」とばかり言えなくなっているのです。

長崎教区の神学生が、中学・高校・福岡の大神学院、合計12学年で25人くらいしかいなくて、彼らが12年間でかろうじて半数司祭まで辿り着く。しかしその頃までに同じだけの数、いやそれ以上の現役の司祭が引退する。明らかに、司祭数は減少していきます。田平教会が助けてあげられること、田平教会がここまでは受け入れられるということ、それらを一歩引いて考えて、回答用紙に記入して投函してください。

福音に戻りましょう。今週はイエスの誕生が予告される場面が選ばれました。天使ガブリエルが、特別なメッセージを携えてマリアのもとに遣わされます。天使ガブリエルは、神から託されたメッセージをそのまま届けますが、マリアは出来事の大きさに戸惑います。自分が身ごもって男の子を産み、その子はいと高き方の子。ダビデの王座につき、永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがないと言うのです。

マリアは、天使のお告げが何のことか分かりません。天使が続けて説明してくれるかもしれないので、「どうして、そのようなことがありえましょうか」(1・34)と問いかけます。天使は、マリアの理解を超えるこの出来事は、聖霊の働き、いと高き方の力に包まれて起こることだと説明しました。

ここで、マリアが人間的な理解力に頼って判断しようとしていたら、判断を誤っていたかもしれません。出来事は人間の理解を超えることだったからです。人間が正しく判断できる事柄は、人間の理解が及ぶ出来事に限られます。それ以上のことを正しく判断するのは、もともと人間には不可能なのです。

そこで、マリアは一歩引いて考えました。自分は主のはしため、主の召し使いではないか。主人が自分をよいように計らってくださるはずではないか。それなら、自分の考えの及ばないことまで考えておられる主に信頼して委ねよう。

考えの及ばないことを示された時、一歩引いて考えるとよい判断にたどり着くことがあります。世の中に、騙されて泣く人がいますが、その人は自分だけで判断しようとして却って騙されるのです。もし一歩身を引いて、近親者や第三者にひとこと相談すれば、大金を騙し取られる人はもっと少なくなるでしょう。そのように、一歩引いて考えるとき、目の前だけでなく、もう少し広く見渡せるようになり、少し遠くを見通せるようになるわけです。

マリアは一歩引いて考えました。一歩引いたとき、主なる神が出来事の中心にいて、導いていることを知りました。出来事がどのように進んでいくのかは分からなくても、主なる神が中心にいて働かれるのだから信頼して受け入れよう、そう決断したのです。一歩引いて、見えなかったことが見えるようになり、恐れに囚われていた心が解放されました。

人間が知恵を巡らせても把握できない場面で、どのようにして出来事を受け止めるのか、マリアは教えてくださいます。それは一歩身を引いて考え、観察することです。思い通りにならないこと、いくら言っても理解してもらえないことなど、わたしたちの生活には「なぜ?」と言いたくなることがいろいろあるでしょう。

それら難しい出来事に、マリアはお手本を示してくださいます。あなたの立っている場所から、一歩引いてみなさい。そうすることで、見えなかったものが見えるはず。マリアは人類に与えられる救い主の母となる場面で、率先してお手本を示してくださったのです。「いや待てよ」とか「もう一回考えてみよう」と立ち止まったり一歩引いたりすることは、本当に必要なことを見極めるため必要な時があるのです。マリアがそれを教えてくださいました。

マリアが一歩引いて考えてくださったことで、神が人を救う計画がいよいよ実現しようとしています。歴史の中心に神が置かれて、歴史が動こうとしています。わたしたちも、神の計画の前に一歩身を引くことを学びましょう。人間が一歩引くことで神が出来事の中心になり、出来事は最高の結果をもたらし、わたしたちは喜びに満たされます。

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‥次の説教は‥‥
主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
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ちょっとひとやすみ
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▼東京の名誉大司教がお亡くなりになった。この時期に亡くなると、葬儀も大変だろう。お祈りし、これまでの働きを神が報いてくださることを願いたい。引退されていた司教様とは言え、影響は大きかっただろうから、東京大司教区のためにもお祈りしたい。
▼クリスマスはもう目の前。しかし、とても楽しみに待つ気分ではない。コロナ禍でのミサ参加者に対する配慮を思うと、無事にクリスマスと神の母聖マリアのミサが終わってくれれば、それでもう「御の字」である。
▼長崎県もジワジワと感染者が増加している。一人とか二人の感染者報告でもビビっていたが、18日は県内合計で18人の感染者が報告された。あと数日でクリスマスだが、最悪の場合公式のミサができなくなることも頭の隅にある。そうならないことを願うばかりだ。
▼急に寒くなった。長崎は豪雪地帯ではないが、先日の高速道路での立ち往生は、想定外の出来事とは言え、かわいそうでならなかった。30時間以上雪に閉じ込められ、どうにかならないのかと一人で気を揉み、責任追及を心の中でしてしまった。責任者も大変だったろう。
▼長崎教区の「教区報」で、新年から「わたしたちは何を目指すのか」という連載が二面で始まった。大変興味深い。新型コロナウィルスの影響をどう乗り越え、長崎教区がどう歩んでいくのか、依頼された方々の記事をみんなで分かち合いたい。

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今週の1枚
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第702回目。修道院の部屋の奥に眠っていた飾りが表舞台に。滑石の人の作か?

http://ss104313.stars.ne.jp/201220.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/
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今週の「笑える」
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「もう一度『はちまん岳』登りたい」「それ、『安満岳』だよ」
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† 神に感謝 †
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待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)私たちも証しをするために来た

2020-12-12 | Weblog
当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/201213.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/12/13(No.1094)
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待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)
私たちも証しをするために来た
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。チャンネル登録歓迎します。
https://youtu.be/S38boBKl7OA
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「彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。」(1・7)洗礼者ヨハネの使命をひとことで言い表しています。私たちの生活が、「証しをするため」の生活となるよう、今週も洗礼者ヨハネに学ぶことにしましょう。

中田神父がお世話になる教会の中で、徹頭徹尾、信仰に生きている人たちと出会うことがあります。今はもう天国にいますが、どこに行ってもどんな場所でも、何かを感謝するのに「マリア様感謝します!」と大声で叫ぶおじさんがいました。三度の食事よりお酒が好きな人で、病院に入院したそのおじさんを教会仲間が見舞った時、頼まれて仲間達がお酒を病院に持ち込みました。

そのおじさんが「持って来たや?」と言うと「持って来たぞ」と答えて、何と「マリア様感謝します!」と言って飲んだそうです。結局そのおじさんは戻ってくることはありませんでした。私は「『マリア様感謝します!』のおじさん」として告別のミサをしたのでした。

もう一人紹介しますと、恐れ多いのですが、すでに天国におられるとある神父様です。この方は「ビールは途中で注ぐな。飲みあげてから注げ」そんな方でしたが、よく「乾杯」と言わずに「主の平和」と言っていました。泣く子も黙る神父様でしたので、非常に印象に残っております。

こうした方々を思い出すたび、その人生は徹頭徹尾、キリスト教の信仰に支えられていたと感じます。社会的な貢献もいろいろあったことでしょう。けれども思い出すのは、それら社会的なことではなくて、いつも信仰にまつわる思い出なのです。

ここまで来ると、その人がどんな人だったかひとことで言い表せば、「信仰の人」ということになるでしょう。本人が生きている間は本人が、亡くなればこの人を思い出す人たちが「信仰の人だった」と証しをするわけです。

「彼は証しをするために来た。」ある人がこの世に生まれてきて、イエス・キリストを証しするために生きた。家庭や社会に貢献したことを証しするのではなく(もちろんそれも大切ですが)、あのキリスト信者もこのキリスト信者も、一人の人イエス・キリストを証しするために生きた。もしそうであるなら、イエス・キリストについての彼らの証しはどれほど確実でしょうか。

新型コロナウィルスの影響で、ふだんの教会活動はこの一年ほとんど実施できませんでした。しかし、だからと言って教会の歩みを止めてはいけません。イエス・キリストに託された「福音を宣べ伝えよ」という使命は、諦めてはならないのです。集まって何かを証しすることはできませんでしたが、その代わりに、一人ひとり何ができるかを考える機会となりました。

聖母月、集まってのロザリオは断念しました。代わりに、心を一つにするため、「夜7時」を目安に家庭でロザリオをしましょうと呼びかけました。それぞれの家庭が、各人が、証しをする場を与えられました。

他にも、教皇様をお迎えするために、家庭での祈りが呼びかけられました。小さな折り鶴を、祈りのしるしにしました。これも、集まって、大勢で証しするのではなく、小さな証しの力をお願いしたのでした。私たち一人ひとりは小さな者でも、「彼は証しをするために来た」その生き方はどんな環境にあってもできるのだと、今年学んだと思います。

実は今、教会に集まっているのも、これから家庭や社会に戻って、証しをする力を蓄えるために集まっているわけです。教会に来て、嘆きを訴え、自分が困っていることをすべて打ち明けるために来ている人もいるかも知れません。

それでも大丈夫です。あなたも、「証しをするために来た」のです。「嘆きを訴えるのはイエス・キリストしかいない」「悩みを打ち明けるのはイエス・キリストしかいない」その証しをするために来たと言えるでしょう。私たちは皆、「証しをするために来た」神の民なのです。私たちの証しは、まもなく来られる救い主によって、報われるのです。

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‥次の説教は‥‥
待降節第4主日(ルカ1:26-38)
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ちょっとひとやすみ
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▼長い年月を経たものはときに不思議な変遷を辿る。田平教会は正面に塔が一つ建つ鉄川与助氏が考える「教会らしい教会」の設計となっている。塔の先端部はお椀を逆さに載せたような形になっている。その上に十字架が載せられている。
▼12月8日、文化庁の審議官をお招きして耐震補強についての会合がもたれた。それ以前に文化財建造物保存技術協会(略して「文建協」)の方との準備会合をしてこの日に臨んだ。その中で、塔の先端部は、現在はコンクリート製で重量物が上にあるため、地震の際の危険が増しているが、創建時は木製であったことを聞かされた。
▼先端部が木製であったことは、もちろん私は知るはずもないが、集まった教会役員も詳しいことは知らない様子だった。これから資料を集め、「木製」であったことが証明されれば、耐震補強の中で木製に戻すことが望ましいと言われた。
▼相当な重量がかかっているものを軽くするから、確かに耐震補強の重要な補強点になるはずだ。しかし肝心の写真が、本当に集まるのか、これは甚だ疑問である。いつまでが木製で、いつどのような事情でコンクリート製になったのか。それを明確に答えられる教会役員はその場には居なかった。
▼ちょうど引退神父様が訪ねてきた。いい機会だと思って、「昔は木製でしたか?」と尋ねたら、「ああ。あそこには鳩が巣を作っていて、鳩の雛を盗んで食べたなぁ」と、違う話になって返ってきた。大きい声で聞いたのだが、聞こえなかったらしい。

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今週の1枚
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第701回目。少なくとも昭和40年以前の写真。この頃だと半円形の最上部は木製か。

http://ss104313.stars.ne.jp/201213.jpg
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今週の「笑える」
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「まつざかとうきが結婚した」「戸田恵梨香と結婚した人?そのと・う・り」
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† 神に感謝 †
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待降節第2主日(マルコ1:1-8)洗礼者ヨハネの証に倣って生きる

2020-12-05 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/201206.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/12/6(No.1093)
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待降節第2主日(マルコ1:1-8)
洗礼者ヨハネの証に倣って生きる
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。チャンネル登録歓迎します。
https://youtu.be/S38boBKl7OA
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待降節第2主日は、「洗礼者ヨハネ」と覚えたらほぼ間違いありません。同じような主日は、復活節第二主日「神のいつくしみの主日」です。これは、「トマス」と覚えたら間違いありません。

洗礼者ヨハネは神から「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」と言われた人物です。もし今の時代にも、「あなたよりも先に使者を遣わし、あなたの道を準備させる」そんな人が生きていれば、神の言葉は今の時代にも生きていることになります。

先週だったか、典礼暦の仕組みを小学生の子供達と学んでいて、クリスマスを準備するために「待降節」という期間があって、この「待降節」から教会の暦(典礼暦)は始まるのですよと説明していました。ホワイトボードにそれを説明書きしていたのですが、どうしたことか「クリスマス」を「クリスママ」と書いていました。

まるで教育評論家の「尾木先生が」「尾木ママ」と呼ばれているように、タレントのクリス松村さんが「クリスママ」になった。私にはそんなことを連想させました。せっかくなので楽しんじゃえということで、クリス松村さんを意識しながら「あらやだ!クリスマスをクリスママと書いちゃったのね。どうしましょ」と言ったら、子供達にはほとんど受けませんでした。クリス松村を知らなかったのか、クリスママそのものが面白くなかったので、残念です。

さて、洗礼者ヨハネが人々に伝えたメッセージの中心は、「わたしよりも優れた方が、後から来られる」(1・7)ということでした。自分自身が取り組んできた悔い改めの呼びかけは、十分称賛に値する働きでした。けれども自分の働きを決してひけらかすことなく、「わたしよりも優れた方」を素直に認め、その方に席を譲ることを躊躇しませんでした。

私たちはどうでしょうか。毎日の生活、毎日の取り組みの中で「わたしよりも優れた方」を認めているでしょうか。具体的に誰かをイメージしなくても構いませんが、「わたしよりも優れた方」を意識している人は、自分自身のわざをひけらかすことなく、謙虚になれる人です。

本当は、評価されて当然の働きをしてきたのですが、それを鼻にかけない。洗礼者ヨハネの姿を学ぶ人は、常にこのように自分に謙虚さを失わない人です。自分を持ち上げないことで、かえって自分の価値を高める生き方です。

私たち司祭は、ともすると自分のしてきたことを鼻にかけがちです。自分がいる間にこれこれのことをしたとか、自分が来るまでは誰も成し遂げられなかったことを、私だけは成し遂げたとかです。しかもその場にいる人にだけでなく、次に赴任した場所でも過去の働きを自慢して回る。そんな危険が大いにあります。

けれどもそんなことをしていたら、現代に洗礼者ヨハネはいなくなってしまいます。洗礼者ヨハネのように、常に「わたしよりも優れた方が、後から来られる」と言える人でなければ、イエス・キリストを告げ知らせる働きは価値が下がってしまうのです。喜んで、後から来られる方に席を譲れる。その覚悟で毎日自分の務めを果たさなければ、教会の中でよりよい働きはできないのです。

自分の働きを鼻にかけず、自分が残した実績も躊躇せず次の人に譲ることができる。その覚悟でなければ、どうして教会の中で良い働きができるでしょうか。もし私たち一人ひとりの働きが、洗礼者ヨハネのような潔い働きであれば、今このコロナ禍の中でもイエス・キリストは誰にでも分かりやすく伝わるでしょう。

あなたの働きを通して、「この人は遣わしてくださった方を証している。この方を遣わしてくださったイエス・キリストは本物だ」そのように理解することでしょう。さらに、遣わしてくださったイエス・キリストはもっと偉大な方だと理解するなら、立派に私たちは現代の洗礼者ヨハネの役割を果たしています。

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‥次の説教は‥‥
待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)
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ちょっとひとやすみ
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▼病人訪問で訪ねていく家庭の人が、入院してしまった。入院すると、厳しい面会制限を強いられるので訪問は断念することになる。訪問しない期間が半年を超え、その間に三人も神様のもとに旅立った。
▼コロナ禍の中で、最後のお見舞いもできずに送り出した人たちを思うと、申し訳ないのと力不足とで自分の無力さを痛感する。社会活動・経済活動の再開を叫んでいるが、病人訪問再開も立派な社会活動だと思うが、再開できないでいる。
▼新型コロナウィルスの感染はまだ収まらないだろう。ワクチンの使用認可が始まったけれども、「勇気のある人が接種している」そんな状況では安心して接種はできない。むしろ年末年始にかけて、「緊急事態宣言」が発動されるのではないか、こちらの方が気になる。
▼離れている家族にさえ会いに行くのがはばかられるこの病。病人訪問で会った女性の言葉が今も耳に残っている。「全世界に神さまは罰をお与えになったのでしょうか。全世界に神さまは償いを命じておられるのでしょうか。」
▼私も帰り際にこう答えた。「神さまは試練を与えておられるのでしょう。試練は、耐えられないほど大きなものはやってきません。一人では耐えられないかも知れないけれど、互いに試練を担い、より大きな試練を担える人が誰かの一部分も担って、きっと乗り越えることができると思います。イエス様も、私たちと試練を担うために、もうすぐおいでになります。」慰めになったなら良いのだが。

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今週の1枚
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第700回目。この日は寒さが厳しかった。地面が温まってしまう前の一瞬の光景。

http://ss104313.stars.ne.jp/201206.jpg
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/
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今週の「笑える」
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「この選手は・・・うりゅう」「惜しい。『きりゅうよしひで』また来週((笑))」
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† 神に感謝 †
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