こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第33主日(マルコ13:24-32)今この場で、救われる日を生きる

2018-11-17 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2018/11/18(No.972)
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年間第33主日
(マルコ13:24-32)
今この場で、救われる日を生きる
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「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」(13・32)今週の福音朗読の結びです。「だれも知らない」というのは「知る必要がない」そう考えた方がよいでしょう。報復とか、裁きであれば、備えておく必要があり、それがいつなのかを知っておくことは意味があります。しかし救いの日は、私たちがその日を知っていても知らなくても、「救われる日」なのです。

過ぎた週に、母親の兄であった繁一伯父さんの葬儀のため鯛ノ浦に出かけてきました。その間お祈りいただいた皆様には感謝申し上げます。火曜日の朝5時に息を引き取り、私の母親から連絡が入ったのは5時15分でした。火曜日は基本的に夜に修道院のミサです。水曜日の朝ミサの後の移動も考えましたが、朝の船に乗るのは時間的に難しいので、思い切って火曜日の修道院ミサの後博多に移動して、太古丸に乗りました。

火曜日夜の11時45分に博多を出た船は水曜日の朝5時40分に青方に着きました。実家で着替えを済ませ、個人的に伯父さんの家にお悔やみを伝えに行きました。通夜の祈りで出向く時は個人的な話はできないかもしれないので、前もって出かけました。亡くなった当時の様子などを聞くことができて、通夜の話をする助けになりました。

実家に戻ってから、何を話すかを考えました。考えながら、10年前に父親を送った時のことを思い返していました。私は父親に申し訳ないことをしたと思っています。10年前の葬儀ミサの説教は、原稿がしっかり残っています。それもそのはずで、亡くなる前から、父親の枕元で父親の顔を眺めながら葬儀ミサの説教を書いていたからです。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」人間の死は裁きを経て救いに招かれる時なのに、私は知らなくてもよいその時を待てずに、前もって準備をしていたのです。

「父親の時は、亡くなる前から葬儀ミサの説教を書いたなぁ」と思い出しながら、亡くなった伯父さんのための説教を考えました。両方を比べてみて思ったのですが、亡くなる前に考えた話と亡くなってから考える話とでは違いがあると感じます。今さらですが、父親の葬儀ミサ説教も、亡くなってから考えるべきだったかも知れません。

さて私たちの生きている時代も、「人の子が戸口に立っている」(13・29)時代と言えます。ただし、「裁きを思ってその日を恐れながら待つ」のではありません。人の子の到来の時は、「救いの日」なので、私たちがその日を知っていても知らなくても、「救われる日」なのです。すると私たちの日々の過ごし方は、その日に備え用心深く過ごすというよりも、「毎日を着実に生きていく、今日を神様の喜ぶように生きていく」その積み重ねなのだと思います。

今を着実に生きる中で、人の子が到来するとどう変わるのかは考えておいてよいと思います。イエスはご自分の再臨の時を悟らせるために、「いちじくの木のたとえ」という身近なものを使って話しました。できるだけ、身近なたとえを考えたいと思います。身体に注目してみました。私たちの手は、この世で生きるために「手を開いて」活動しています。それが再臨の時を迎えると「手を閉じる」ことになるでしょう。「手を閉じる」とは祈る姿ですから、神にのみ手を向けるということです。

この世では目を見開いて情報を得たり、判断したりします。それが再臨の時を迎えると「目を閉じる」ことになるでしょう。「神を顔と顔を合わせて眺める」ようになり、あちこちから情報を得る必要もなくなります。耳についても同じことです。耳を閉じて、ただ一つの声、神の呼びかけに耳を澄ますことになります。

他にもたとえることができると思いますが、これくらいでよいでしょう。そして私がたとえたようなことを、生きている間に体験しておくことは有益だと思うのです。手を開いて活動しているだけではなく、手を閉じて、手を合わせて神にのみ心を向ける。神に心を向ける時間が退屈で窮屈であれば、救われてからの私たちの時間はどれほど退屈でしょうか。

「人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。」(13・29)「天地は滅びるが、わたしの決して滅びない。」(13・31)神に心を向けるひとときが、退屈、窮屈と感じない人になりたいものです。

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‥次の説教は‥‥
王であるキリスト
(ヨハネ18:33b-37)
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ちょっとひとやすみ
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▼何があったのだろうか。11月に入ってからと思うが、利用しているホームページのサービスがダウンしていた。11月3日(土)に福岡での神学院祭に参加してホームページを更新しようとしても更新できない。
▼なぜだ?と思いサービス会社に連絡を取るも返事なし。「ひょっとして契約更新を怠ったか?」とも思ったがそうでもなさそう。結局10日後あたりから更新できる状態に戻っていて、何だか「私が更新し忘れた」みたいに思われて嫌だった。
▼問題山積。メルマガ更新も、FacebookはTwitter経由で連携が取れていたのに、最近連係が解除されている様子。おかげで複数の人から「Facebookでブログが見られなくなりました。更新をお休みしているのでしょうか。もしかしてご病気でしょうか」まで声が届いた。
▼そうではなく、Twitter経由の連携が解除されていたのを長らく知らずにいたわけだ。連携に関係する項目をいじってみたが、「Facebook SDKを読み込めませんでした。connect.facebook.netがブロックされていないかどうか、ご確認ください。」と、分かりづらい説明しかもらえなかった。Facebookは仕方がないから直接更新する。これでまた一手間増えた。
▼他にも、「メルマガが11月から配信されてきてない」とのこと。配信は休んでいないのだが、どこかのサーバーがため込んでいるのか?原因不明の不調で私のほうがどうかなりそうだ。
▼年末になる。典礼暦が入れ替わると説教の型紙も作り直さなければならない。それがメルマガの朗読箇所に転用されていく。これを例えば半年分くらい作ると目の前の煩雑さから逃れられる。以前は典礼暦のテキスト入力を引き受けてくれていた人がいたが、その人は天に旅立ってしまった。

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今週の1枚
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第579回目。11月15日。単年会員に入会したかったが、葬儀ミサで申し込めず。

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† 神に感謝 †
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