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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2025/4/20(No.1352)
‥‥‥†‥‥‥‥
復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
聖書の言葉は復活したイエスにすべての人の心を開く
‥‥‥†‥‥‥‥
あらためて主の復活おめでとうございます。この復活の主日(日中)で朗読された箇所の結びは、中田神父にとって非常に印象的です。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」(20・9)
復活徹夜祭で、「イエスの言葉だけが人々を納得させる力を持っています」と話したのですが、今日の復活の主日(日中)の先ほどの箇所を前もって読まずに準備したとはとても思えない、神の深い配慮を感じます。個人的には、これこそ「言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる」(ルカ12・12)これだと感じました。
復活徹夜祭で考えたことが、日中のミサでさらに深まりました。イエスと生活を共にした人々にとって、「イエスの言葉だけが人々を納得させる力を持っている」というのは理解できます。しかし、時間の経過と共に、イエスと生活を共にした人、イエスがおられた同時代の人々はいなくなります。その疑問に、日中のミサの朗読が答えてくれました。
「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」。聖書の言葉がはっきりと理解できたとき、イエスと生活を共にした人でなくても、イエスの復活を信じることができるということです。
実は今年の聖週間に、病床で洗礼をお受けになり、洗礼台帳の2824番として記録されました。病床でどのようにしてカトリックの信仰と出会い、イエスを信じ、洗礼を受けることになったのでしょうか。この説教を準備する時点でまだ洗礼式を終えてませんでしたので、おおよそこのようなことだろうという内容をまとめています。
洗礼を受けた方には配偶者がおられます。すると配偶者を通してカトリックの信仰に触れたことはすぐに分かります。しかし、配偶者がカトリックで自分はカトリックでないという方はいくらでもいらっしゃるでしょう。そのすべてが配偶者を通じて洗礼を受けるわけでもないですから、何かを理解したから洗礼を受けたのだと考えられます。
それは、やはり聖書の言葉だと思います。配偶者のどこかに聖書の言葉が刻まれていて、その聖書の言葉が照らし導いたのではないでしょうか。イエスと生活を共にしていなくても、イエスと同時代の人でなくても、聖書の言葉は「イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」ことを理解させ、ある人を洗礼の恵みへと導いていくのです。
最後に、徹夜祭では「復活賛歌」を歌い上げました。本日、復活の主日日中のミサでは「復活の続唱」が歌われました。復活の続唱はこれから一週間続きます。聖書の言葉を信じるなら、人は復活の主に出会い、その中には洗礼の恵みにあずかる人も現れる。そのことを信じて、これからも復活の主を世に向かって告げ知らせることにしましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼「そう言えば、そうだったかな」小教区内にある修道会経営の病院から「主任神父様、御復活のミサを病院でささげてください」とお願いされた。去年、何かの都合で私が行かなかったので、この日に予定が入っているのを忘れていた。
▼復活の主日に浜脇小教区が信徒総会を開く。まるまる被ってしまった。こういうときこそ助祭が、司祭に叙階されて非常に助かっている。新司祭の報告を受けて、これからの浜脇小教区のあり方を考える必要がある。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第959回目。大病を患い、この世の別れを覚悟したが驚くほど元気を取り戻した

ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2025/4/20(No.1352)
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復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
聖書の言葉は復活したイエスにすべての人の心を開く
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あらためて主の復活おめでとうございます。この復活の主日(日中)で朗読された箇所の結びは、中田神父にとって非常に印象的です。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」(20・9)
復活徹夜祭で、「イエスの言葉だけが人々を納得させる力を持っています」と話したのですが、今日の復活の主日(日中)の先ほどの箇所を前もって読まずに準備したとはとても思えない、神の深い配慮を感じます。個人的には、これこそ「言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる」(ルカ12・12)これだと感じました。
復活徹夜祭で考えたことが、日中のミサでさらに深まりました。イエスと生活を共にした人々にとって、「イエスの言葉だけが人々を納得させる力を持っている」というのは理解できます。しかし、時間の経過と共に、イエスと生活を共にした人、イエスがおられた同時代の人々はいなくなります。その疑問に、日中のミサの朗読が答えてくれました。
「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」。聖書の言葉がはっきりと理解できたとき、イエスと生活を共にした人でなくても、イエスの復活を信じることができるということです。
実は今年の聖週間に、病床で洗礼をお受けになり、洗礼台帳の2824番として記録されました。病床でどのようにしてカトリックの信仰と出会い、イエスを信じ、洗礼を受けることになったのでしょうか。この説教を準備する時点でまだ洗礼式を終えてませんでしたので、おおよそこのようなことだろうという内容をまとめています。
洗礼を受けた方には配偶者がおられます。すると配偶者を通してカトリックの信仰に触れたことはすぐに分かります。しかし、配偶者がカトリックで自分はカトリックでないという方はいくらでもいらっしゃるでしょう。そのすべてが配偶者を通じて洗礼を受けるわけでもないですから、何かを理解したから洗礼を受けたのだと考えられます。
それは、やはり聖書の言葉だと思います。配偶者のどこかに聖書の言葉が刻まれていて、その聖書の言葉が照らし導いたのではないでしょうか。イエスと生活を共にしていなくても、イエスと同時代の人でなくても、聖書の言葉は「イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」ことを理解させ、ある人を洗礼の恵みへと導いていくのです。
最後に、徹夜祭では「復活賛歌」を歌い上げました。本日、復活の主日日中のミサでは「復活の続唱」が歌われました。復活の続唱はこれから一週間続きます。聖書の言葉を信じるなら、人は復活の主に出会い、その中には洗礼の恵みにあずかる人も現れる。そのことを信じて、これからも復活の主を世に向かって告げ知らせることにしましょう。
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‥次の説教は‥‥
神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)
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ちょっとひとやすみ
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▼「そう言えば、そうだったかな」小教区内にある修道会経営の病院から「主任神父様、御復活のミサを病院でささげてください」とお願いされた。去年、何かの都合で私が行かなかったので、この日に予定が入っているのを忘れていた。
▼復活の主日に浜脇小教区が信徒総会を開く。まるまる被ってしまった。こういうときこそ助祭が、司祭に叙階されて非常に助かっている。新司祭の報告を受けて、これからの浜脇小教区のあり方を考える必要がある。
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