当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/210425.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2021/4/25(No.1119)
‥‥‥†‥‥‥‥
復活節第4主日(ヨハネ10:11-18)
あなたは自分の「カバン」をどこに置きますか
‥‥‥†‥‥‥‥
復活節第4主日を迎えました。4月の最後の日曜日でもあるので、「世界召命祈願日」とも重なります。福音朗読を、召命のテーマと結びつけて、話したいと思います。
もう一つ、4月25日は「聖マルコ福音記者」の祝日です。日曜日だったので、祝日表から消えています。けれども今年の典礼暦がB年で、マルコ福音書を中心に朗読することを考えれば、何も聖マルコ福音記者の祝日が消えなくても良いのに、と思います。
福音朗読に戻りましょう。最後の部分が物語全体の鍵だと思います。「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」(10・18)
皆さんは、「わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」という部分が引っかからないでしょうか。「捨てる」という表現は、あまり良い響きではありません。まるで命を投げ出すような感じに聞こえますが、本当にイエスは、そんなつもりだったのでしょうか?ここには、翻訳の壁があると思います。
私たちは聖書を日本語訳で読みます。するとどうしても、日本語からしか意味をくみ取れません。新約聖書が本来書かれたのはギリシャ語ですから、本来書かれた言葉にできるだけ近い翻訳をするのが理想です。それぞれの国が、その努力をしています。たとえば英語では、この部分を次のように翻訳しています。”I have authority to lay it down, and I have authority to take it again.”
何となく分かってもらえたでしょう。”to lay it down”は、「横に置く」とか「横たえる」という意味です。日本語で訳された「捨てる」とは聞こえ方がずいぶん違います。「わたしは命を置く権限を持っているし、命を取り戻す権限も持っている」日本で「捨てる」と翻訳した事情は分かりませんが、響きはずいぶん違います。
そこで、「命を置く」という理解で朗読を読み直してみましょう。すると、イエスが羊のために取った行動は、仕方なく取った行動ではないことがよく分かります。羊を救うために、喜んで命を置いたのです。
ではどこに、イエスはご自分の命を置いたのでしょうか。それは御父のご計画・御父のお望みに、置いたということです。「御父のご計画に命を捨てた」のではなく、「御父のご計画に命を置いた」のです。
イエスがご自分の命を置いた御父のご計画は、「狭い門から入りなさい」(マタイ7・13)とたとえられたような狭い道かも知れません。しかし、羊飼いとして確実に人々を導く道でした。反対に「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」(同7・13)とあるように、広々とした道に命を置いても、必ずしもそれが正解とは限らないのです。
今週は世界召命祈願日です。いくつかの修道会から、「紹介をしてください」とお願いされて、冊子を置いています。宣伝はそれだけではありません。すでに私たちの先輩達がいくつかの修道会に入り、司祭や修道者になっています。もちろん、教区司祭も田平教会は大勢います。この先輩方がそのまま、それぞれの召命の「生き証人」です。
今週の福音朗読と重ねて、召命を考えてみましょう。司祭や修道者への道が召命のすべてではありませんが、非常に分かりやすいのでここに焦点を当ててみましょう。司祭や修道者の召命を生きた人は、イエスが言われた「わたしは羊のために命を捨てる」という生き方の人です。
この場合も、「命を捨てる」という表現はふさわしくないでしょう。この世の生き方に「命を捨てる」生き方などないからです。「わたしは羊のために命を置く」それも「御父のお望みに命を置く」そういう生き方が司祭や修道者の召命なのだと思います。
「命を置く」これでも説明が足りないかも知れません。すべての人の召命に神様が呼びかける相手は、特に「青少年」だからです。青少年のために、もっと思い切ってかみ砕いてみましょう。青少年の皆さんが「置く」もので、何を思い出すでしょうか。神父様は青少年の時を振り返って、「カバン」を思い出しました。
さて、青少年の皆さんはカバンをどこに置きますか?カバンをお家に置いたまま学校には行きません。反対に学校に置いたままお家に帰ることもしません。カバンはどこに置くのでしょうか?カバンは、いつも、自分の目標の上に置くと思います。保育園の先生になりたいとか、歌手になりたいとか、目標を決めて、カバンを背負って頑張ると思います。
そこでお願いです。そのうちの何人か、「神様の導き」「神様の見守り」にカバンを置いて、勉強や部活をしてください。神様は、いつも皆さんを導いてくれます。その導きの上にカバンを置いて毎日の勉強や部活や習いごとをしてくれたら、ある人を神様の特別な働きに誘ってくれるはずです。
先週だったか、平日の侍者が足りなくなって困っていますとお話ししました。呼びかけに返事がありました。感謝します。神様の導きにカバンを置いてくれる人には、神様も特別な呼びかけをしてくれます。どうか、勇気を出して返事をしてください。
教会でミサをしている神父様に興味を持っている人もいるでしょう。もしかしたら、「神父様の仕事だったら、ぼくにもできそうだな」と思っているかも知れません。ぜひその人は、あなたのカバンを神様の導きに預けてみてください。きっと、特別な働きを与えてくれると思います。
あなたが大切にしているバッグやカバンを、あなたはどこに置きますか?あなたの目標に置きますか?あなたの夢に置きますか?神様の導きにあなたがそれを置くなら、想像を超える、真似のできない働きに、神様があなたを使ってくださいます。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
復活節第5主日(ヨハネ15:1-8)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼教会の祈りを英語版で唱えるととんでもなく時間がかかる。最近夜更かしが辛い年齢なのに、教会の祈りを完了するために起きていることが多い。何だか本末転倒な気もする。
▼日本語版と見比べてすぐに分かることがある。共同祈願だ。共同祈願だから先唱があって応唱があるわけだが、ページがまたがる場合に応唱の表記法が違っている。日本語版ではページがまたがるとごていねいに次のページにも応唱を印刷している。
▼しかし英語版は、いっさいそんな気配りがない。ドライなのだと理解はするが、日本人の細やかさには感心する。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
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第726回目。共同祈願のページの一部。またがっているページだが、応唱がない。
http://ss104313.stars.ne.jp/210425.jpg
ホームページもご覧ください。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
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こうじ神父
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復活節第4主日(ヨハネ10:11-18)
あなたは自分の「カバン」をどこに置きますか
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復活節第4主日を迎えました。4月の最後の日曜日でもあるので、「世界召命祈願日」とも重なります。福音朗読を、召命のテーマと結びつけて、話したいと思います。
もう一つ、4月25日は「聖マルコ福音記者」の祝日です。日曜日だったので、祝日表から消えています。けれども今年の典礼暦がB年で、マルコ福音書を中心に朗読することを考えれば、何も聖マルコ福音記者の祝日が消えなくても良いのに、と思います。
福音朗読に戻りましょう。最後の部分が物語全体の鍵だと思います。「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」(10・18)
皆さんは、「わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」という部分が引っかからないでしょうか。「捨てる」という表現は、あまり良い響きではありません。まるで命を投げ出すような感じに聞こえますが、本当にイエスは、そんなつもりだったのでしょうか?ここには、翻訳の壁があると思います。
私たちは聖書を日本語訳で読みます。するとどうしても、日本語からしか意味をくみ取れません。新約聖書が本来書かれたのはギリシャ語ですから、本来書かれた言葉にできるだけ近い翻訳をするのが理想です。それぞれの国が、その努力をしています。たとえば英語では、この部分を次のように翻訳しています。”I have authority to lay it down, and I have authority to take it again.”
何となく分かってもらえたでしょう。”to lay it down”は、「横に置く」とか「横たえる」という意味です。日本語で訳された「捨てる」とは聞こえ方がずいぶん違います。「わたしは命を置く権限を持っているし、命を取り戻す権限も持っている」日本で「捨てる」と翻訳した事情は分かりませんが、響きはずいぶん違います。
そこで、「命を置く」という理解で朗読を読み直してみましょう。すると、イエスが羊のために取った行動は、仕方なく取った行動ではないことがよく分かります。羊を救うために、喜んで命を置いたのです。
ではどこに、イエスはご自分の命を置いたのでしょうか。それは御父のご計画・御父のお望みに、置いたということです。「御父のご計画に命を捨てた」のではなく、「御父のご計画に命を置いた」のです。
イエスがご自分の命を置いた御父のご計画は、「狭い門から入りなさい」(マタイ7・13)とたとえられたような狭い道かも知れません。しかし、羊飼いとして確実に人々を導く道でした。反対に「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」(同7・13)とあるように、広々とした道に命を置いても、必ずしもそれが正解とは限らないのです。
今週は世界召命祈願日です。いくつかの修道会から、「紹介をしてください」とお願いされて、冊子を置いています。宣伝はそれだけではありません。すでに私たちの先輩達がいくつかの修道会に入り、司祭や修道者になっています。もちろん、教区司祭も田平教会は大勢います。この先輩方がそのまま、それぞれの召命の「生き証人」です。
今週の福音朗読と重ねて、召命を考えてみましょう。司祭や修道者への道が召命のすべてではありませんが、非常に分かりやすいのでここに焦点を当ててみましょう。司祭や修道者の召命を生きた人は、イエスが言われた「わたしは羊のために命を捨てる」という生き方の人です。
この場合も、「命を捨てる」という表現はふさわしくないでしょう。この世の生き方に「命を捨てる」生き方などないからです。「わたしは羊のために命を置く」それも「御父のお望みに命を置く」そういう生き方が司祭や修道者の召命なのだと思います。
「命を置く」これでも説明が足りないかも知れません。すべての人の召命に神様が呼びかける相手は、特に「青少年」だからです。青少年のために、もっと思い切ってかみ砕いてみましょう。青少年の皆さんが「置く」もので、何を思い出すでしょうか。神父様は青少年の時を振り返って、「カバン」を思い出しました。
さて、青少年の皆さんはカバンをどこに置きますか?カバンをお家に置いたまま学校には行きません。反対に学校に置いたままお家に帰ることもしません。カバンはどこに置くのでしょうか?カバンは、いつも、自分の目標の上に置くと思います。保育園の先生になりたいとか、歌手になりたいとか、目標を決めて、カバンを背負って頑張ると思います。
そこでお願いです。そのうちの何人か、「神様の導き」「神様の見守り」にカバンを置いて、勉強や部活をしてください。神様は、いつも皆さんを導いてくれます。その導きの上にカバンを置いて毎日の勉強や部活や習いごとをしてくれたら、ある人を神様の特別な働きに誘ってくれるはずです。
先週だったか、平日の侍者が足りなくなって困っていますとお話ししました。呼びかけに返事がありました。感謝します。神様の導きにカバンを置いてくれる人には、神様も特別な呼びかけをしてくれます。どうか、勇気を出して返事をしてください。
教会でミサをしている神父様に興味を持っている人もいるでしょう。もしかしたら、「神父様の仕事だったら、ぼくにもできそうだな」と思っているかも知れません。ぜひその人は、あなたのカバンを神様の導きに預けてみてください。きっと、特別な働きを与えてくれると思います。
あなたが大切にしているバッグやカバンを、あなたはどこに置きますか?あなたの目標に置きますか?あなたの夢に置きますか?神様の導きにあなたがそれを置くなら、想像を超える、真似のできない働きに、神様があなたを使ってくださいます。
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ちょっとひとやすみ
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▼教会の祈りを英語版で唱えるととんでもなく時間がかかる。最近夜更かしが辛い年齢なのに、教会の祈りを完了するために起きていることが多い。何だか本末転倒な気もする。
▼日本語版と見比べてすぐに分かることがある。共同祈願だ。共同祈願だから先唱があって応唱があるわけだが、ページがまたがる場合に応唱の表記法が違っている。日本語版ではページがまたがるとごていねいに次のページにも応唱を印刷している。
▼しかし英語版は、いっさいそんな気配りがない。ドライなのだと理解はするが、日本人の細やかさには感心する。
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今週の1枚
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第726回目。共同祈願のページの一部。またがっているページだが、応唱がない。
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† 神に感謝 †