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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
18/12/30(No.980)
‥‥‥†‥‥‥‥
聖家族
(ルカ2:41-52)
神様の時間割に合わせる
‥‥‥†‥‥‥‥
私たちが今日お祝いしている「聖家族」では、養父ヨセフの声は聞くことができません。その代わりに、心配して肝を冷やした母マリアの次の言葉を聞きました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(2・48)イエスの行動と、マリアの心の変化を学び、私たちの教会共同体に活かす道を確認し、新たな2019年に備えましょう。
「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(2・48)イエスの行動を簡単に言うと、どういう行動を取ったのでしょうか。結論から先に言ってもいいですが、もう少し状況を確かめてみましょう。「イエスが道連れの中にいるものと思い」とありますから、どうやら両親は懸命に探し回ったようです。
結果イエスは、両親が考えもしなかった神殿に留まっていました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(2・48)ではイエスはどうすればよかったのでしょうか。前もって、「わたしは神殿に留まりたいです。よろしいでしょうか?」と相談すればよかったのでしょうか。
もうそろそろ、イエスの行動を一言で言ってもよいと思います。イエスはいきなり行動に出たのです。両親にも相談せず、両親が心配するかも知れないのに、いきなり行動に出たのです。
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(2・49)イエスはいたって落ち着いています。イエスの答えから考えると、両親ヨセフとマリアの見ているものとは違う何かを、イエスは見ていたのでしょう。
ときおり、両親が「子供の行動や考えを理解できない」と感じることがあると思います。当の本人は、なぜそうしたのか分かっているのです。親は理解できずにうろたえますが、子供は平然としています。私はこのような場合、必ず次のように話してあげることにしています。
つまり、子供の成長には前もって時間割があるということです。どのような時間割で子供は成長していくのか。それは神様が計画している時間割に沿ってです。ふだんは子供のそばに両親がいて、子供の成長を両親が託されています。ただし、すべての子供には神が計画された成長の時間割があって、神がその時間割に沿って成長するように導いているのです。
もちろん、両親も我が子の成長に対して時間割を描いているでしょう。何歳になったらこんなことを体験させよう覚えさせよう。これくらいの年頃になったら、こんなことにも触れさせよう。しかし子供は、必ずしもその通りに成長するわけではありません。両親の期待よりも歩みが遅かったり、もっと後で生じてくると思っていたことが思いがけなく早くやってきたりするのです。
これに対して、両親は心配したり、驚いたりするのです。こんな場合でも私は、子供の取った態度が両親の思い描いている時間割から外れているだけであって、本当は、もっと違う時間割の中で子供は成長しているのですよ。そのように話してあげます。子供一人一人に備わっている神様の計画した時間割、その中で確実に歩み続けているのです。
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」イエスの言葉を聞いて、マリアはもう一度考えました。「イエスははっきり考えを持っている。私はイエスの考えに自分を合わせよう。」マリアはイエスの中にある父なる神の計画を感じ取り、今はイエスに備わった時間割を理解できないけれども、理解できる時が来るまで待とう。それが遠回りのようで近道になると判断したのだと思います。
「母はこれらのことをすべて心に納めていた。」(2・51)父なる神がイエスに用意された計画を、ヨセフとマリアでも十分理解することはできません。いつもイエスの行動の方が先を行くので、両親の考える時間割の枠に当てはまらず、困惑することばかりです。けれどもマリアが示した態度は、彼女を必ず御父がイエスに用意した計画を理解できるところまで成長させるでしょう。
なぜそのような行動に出たのだろうか。イエスのいきなりとも思える行動を前にして、両親という立場上「謝りなさい」と言う権利を持っていたかも知れません。けれどもヨセフとマリアは、どうやったら今回イエスが取った行動を理解できるだろうか、そのために思いを巡らすことにしたのです。
イエスにしてみれば、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言っているのですから、「父上母上とは違う捉え方です」ときっぱり言っているのです。ヨセフとマリアは、イエスが今回取った行動をもっと確かめようと、両親がよりどころにしていた考えを横に置いて、父なる神の計画を知ろうとしたのです。ルカはこの場面で、イエスが何者であるかを書き記そうとしただけではなく、神がイエスに用意した計画を思い巡らし始めた両親ヨセフとマリアも描こうとしたわけです。
イエスが何をしようとしていたのか、それを本当に知るためには父なる神の計画に完全に従おうとするイエスを見いだす必要がありました。ヨセフとマリアに倣い、父なる神の計画を、私たちも思い巡らす人になりましょう。思い通りに行かない時、その出来事のどこかに神が用意した時間割、神が用意した計画と少しずれがあるかも知れません。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
神の母聖マリア
(ルカ2:16-21)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼iPad(第三世代)を手放すことにした。iPadを動かすのはiOSであるが、現在のバージョンは12である。ところが手放すiPadはバージョン9.6.3であり、さまざまなアプリが動作しなくなってしまった。
▼出荷状態に戻す作業を施して、再就職先へ。初めから制約の多いタブレットであることを承知の上で引き取ってもらう人には感謝している。NHKの「らじるらじる」がインストールできたので、私だったら音楽プレーヤーとして使うかな。
▼実家のノートパソコンが不調になり、数字キーを押しても数字が出なくなったと、帰省している妹から連絡があった。ネット接続はできるようになったのに、機器がなくては役に立たない。そこでクリスマスプレゼントのつもりでiPadを買ってあげることにした。
▼当時は非常に高価だったタブレットも、ぐっと身近になっていた。最新のiOS12を搭載した状態で、うらやましい限り。きっとSkypeをインストールして、茨城に帰っていく孫とテレビ電話でもするのだろう。
▼ここ数年、新年をまたぐ時間に振り返りができていない。振り返りをしていた頃は、あれほどこの儀式を大切にしていたのに。状況が変わったと言えばそれまでだが、少しだけでも振り返りをして、新年を迎えたいものだ。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第587回目。聖家族。小さな命は、それだけで多くを引き寄せる。
ホームページもご覧ください。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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こうじ神父
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聖家族
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神様の時間割に合わせる
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私たちが今日お祝いしている「聖家族」では、養父ヨセフの声は聞くことができません。その代わりに、心配して肝を冷やした母マリアの次の言葉を聞きました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(2・48)イエスの行動と、マリアの心の変化を学び、私たちの教会共同体に活かす道を確認し、新たな2019年に備えましょう。
「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(2・48)イエスの行動を簡単に言うと、どういう行動を取ったのでしょうか。結論から先に言ってもいいですが、もう少し状況を確かめてみましょう。「イエスが道連れの中にいるものと思い」とありますから、どうやら両親は懸命に探し回ったようです。
結果イエスは、両親が考えもしなかった神殿に留まっていました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(2・48)ではイエスはどうすればよかったのでしょうか。前もって、「わたしは神殿に留まりたいです。よろしいでしょうか?」と相談すればよかったのでしょうか。
もうそろそろ、イエスの行動を一言で言ってもよいと思います。イエスはいきなり行動に出たのです。両親にも相談せず、両親が心配するかも知れないのに、いきなり行動に出たのです。
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(2・49)イエスはいたって落ち着いています。イエスの答えから考えると、両親ヨセフとマリアの見ているものとは違う何かを、イエスは見ていたのでしょう。
ときおり、両親が「子供の行動や考えを理解できない」と感じることがあると思います。当の本人は、なぜそうしたのか分かっているのです。親は理解できずにうろたえますが、子供は平然としています。私はこのような場合、必ず次のように話してあげることにしています。
つまり、子供の成長には前もって時間割があるということです。どのような時間割で子供は成長していくのか。それは神様が計画している時間割に沿ってです。ふだんは子供のそばに両親がいて、子供の成長を両親が託されています。ただし、すべての子供には神が計画された成長の時間割があって、神がその時間割に沿って成長するように導いているのです。
もちろん、両親も我が子の成長に対して時間割を描いているでしょう。何歳になったらこんなことを体験させよう覚えさせよう。これくらいの年頃になったら、こんなことにも触れさせよう。しかし子供は、必ずしもその通りに成長するわけではありません。両親の期待よりも歩みが遅かったり、もっと後で生じてくると思っていたことが思いがけなく早くやってきたりするのです。
これに対して、両親は心配したり、驚いたりするのです。こんな場合でも私は、子供の取った態度が両親の思い描いている時間割から外れているだけであって、本当は、もっと違う時間割の中で子供は成長しているのですよ。そのように話してあげます。子供一人一人に備わっている神様の計画した時間割、その中で確実に歩み続けているのです。
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」イエスの言葉を聞いて、マリアはもう一度考えました。「イエスははっきり考えを持っている。私はイエスの考えに自分を合わせよう。」マリアはイエスの中にある父なる神の計画を感じ取り、今はイエスに備わった時間割を理解できないけれども、理解できる時が来るまで待とう。それが遠回りのようで近道になると判断したのだと思います。
「母はこれらのことをすべて心に納めていた。」(2・51)父なる神がイエスに用意された計画を、ヨセフとマリアでも十分理解することはできません。いつもイエスの行動の方が先を行くので、両親の考える時間割の枠に当てはまらず、困惑することばかりです。けれどもマリアが示した態度は、彼女を必ず御父がイエスに用意した計画を理解できるところまで成長させるでしょう。
なぜそのような行動に出たのだろうか。イエスのいきなりとも思える行動を前にして、両親という立場上「謝りなさい」と言う権利を持っていたかも知れません。けれどもヨセフとマリアは、どうやったら今回イエスが取った行動を理解できるだろうか、そのために思いを巡らすことにしたのです。
イエスにしてみれば、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言っているのですから、「父上母上とは違う捉え方です」ときっぱり言っているのです。ヨセフとマリアは、イエスが今回取った行動をもっと確かめようと、両親がよりどころにしていた考えを横に置いて、父なる神の計画を知ろうとしたのです。ルカはこの場面で、イエスが何者であるかを書き記そうとしただけではなく、神がイエスに用意した計画を思い巡らし始めた両親ヨセフとマリアも描こうとしたわけです。
イエスが何をしようとしていたのか、それを本当に知るためには父なる神の計画に完全に従おうとするイエスを見いだす必要がありました。ヨセフとマリアに倣い、父なる神の計画を、私たちも思い巡らす人になりましょう。思い通りに行かない時、その出来事のどこかに神が用意した時間割、神が用意した計画と少しずれがあるかも知れません。
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ちょっとひとやすみ
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▼出荷状態に戻す作業を施して、再就職先へ。初めから制約の多いタブレットであることを承知の上で引き取ってもらう人には感謝している。NHKの「らじるらじる」がインストールできたので、私だったら音楽プレーヤーとして使うかな。
▼実家のノートパソコンが不調になり、数字キーを押しても数字が出なくなったと、帰省している妹から連絡があった。ネット接続はできるようになったのに、機器がなくては役に立たない。そこでクリスマスプレゼントのつもりでiPadを買ってあげることにした。
▼当時は非常に高価だったタブレットも、ぐっと身近になっていた。最新のiOS12を搭載した状態で、うらやましい限り。きっとSkypeをインストールして、茨城に帰っていく孫とテレビ電話でもするのだろう。
▼ここ数年、新年をまたぐ時間に振り返りができていない。振り返りをしていた頃は、あれほどこの儀式を大切にしていたのに。状況が変わったと言えばそれまでだが、少しだけでも振り返りをして、新年を迎えたいものだ。
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† 神に感謝 †