こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる

2024-05-18 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2024/5/19(No.1297)
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聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)
あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる
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「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。」(16・12)長崎教区で聖書愛読の取り組みが始まって、もう20年くらいなるでしょうか。よく「カトリック教会の人はプロテスタント教会の人に比べて聖書を読む量が少ない」と思われています。

実際そうかもしれません。それでも、遅ればせながら聖書愛読や聖書の分かち合いが教会の中で、小共同体の中で進められた結果、聖書の物語の箇所が思い出せる人もいらっしゃるでしょう。

たとえばルカ福音書の15章は「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえ、「放蕩息子」のたとえです。もう一歩踏み込んで、ルカ15章15節の「聖句」を覚えている方はおられるでしょうか。ここはカトリック教会の人々の弱い部分です。プロテスタント教会の人々は、物語の一節一節まで覚えている人が多いです。頭が上がらないです。

疑問は早めに解決しておきましょう。ルカ福音書15章「放蕩息子」のたとえ、その中の15章15節は「それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた」でした。あまり見栄えのしない箇所に見えますが、物語は弟が畑に送り込まれて豚の世話をした、そこから大きく展開していきましたから、その意味では覚えておいてよいでしょう。

ほかにも、聖書愛読などを通して覚えた聖句があるかもしれません。または、3月の黙想会で話したように、登場人物に結び付けて聖句を覚えた人もいるかもしれません。ここで一つ問題があります。学んだり覚えたりしたその聖句は、どこで使えばよいのでしょうか?

諺や、四字熟語は覚えたものをすぐに生活に活かせるかもしれません。しかし聖書の言葉、聖句は、生活にはなかなか結び付かないと思われがちです。いつ、覚えた聖句の出番はやって来るのでしょうか。

福江教会には今年助祭が派遣されています。助祭はミサがまだできないし、ゆるしの秘跡もまだできません。「仕事の場所が限られてくるなぁ」と心配していたのですが、すぐにそれを補うすばらしいものを持っていることに気付きました。それは、「聖書の言葉を思い出させ、理解させてくださる」ということです。

こんなことがありました。「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」(使6・4)これは使徒言行録の中で、今で言う助祭を選び出したあとに使徒たちが語った言葉です。言葉自体は聖書を何度も読む中で覚えていましたが、生活の中で生きてくる場面があるなどとは夢にも思いませんでした。

助祭様が来てすぐ、ミサの打ち合わせをしました。主任司祭はこの部分をしますから、助祭はこことここを受け持ってください。そういう打ち合わせです。その中で「聖体拝領は助祭ができることなので助祭がしてください」とお願いしたのですが、「でも助祭に丸ごと聖体拝領を任せたら、偉そうに見えるかなぁ」と言いましたら、助祭様がこう答えたのです。「いえ、主任神父様は席で待っていてください。『わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします』あれです。」確かにそうだなぁと思いました。

これは、聖霊が助祭を通して語ってくれたことでした。聖霊は使徒たちの時代から変わらず私たちに注がれて、聖書の言葉を解き明かしてくれるのです。聖書の言葉が私たちの生活に染み渡ることを教えてくれるのです。生活の出来事の中に、聖書で表せる部分があるわけです。

そこで、聖霊降臨の主日にちなんでもう一箇所覚えていってください。ルカ福音書12章12節です。こう書かれています。「言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」すばらしいと思いませんか。聖霊降臨の主日に、最高の聖句を与えていただきました。

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‥次の説教は‥‥
三位一体の主日(マタイ28:16-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼聖体拝領を助祭がしている間、主任司祭はそれこそ「祈りと御言葉の奉仕に専念」しているのだが、祭壇の上のものを片付ければ時間短縮になると思うこともある。
▼ただ一方では、「いずれ司祭になって単独でミサをすれば一人でしなければならなくなるのだし、今のうちに訓練させておこう」という思いもあり、そのままにしている。
▼助祭時代の準備過程にしなければならないことのリストを受け取った。こんなに必要なのかと思ったりもする。これから助祭を預かった者として、この養成準備を見守っていく。司祭叙階まで、本人も見守る側もそれぞれ気を引き締める。

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今週の1枚
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第904回目。ルルド祭の直前、浜串教会の皆さんが私を訪ねに来てくれた。

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† 神に感謝 †
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