こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第4主日(ルカ4:21-30)医者よ、自分自身を治せ

2022-01-29 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/1/30(No.1162)
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年間第4主日(ルカ4:21-30)
医者よ、自分自身を治せ
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「この人はヨセフの子ではないか。」会堂に集まった人々の驚き怪しむ声です。都エルサレムの、高貴な家の子、もしそうであったなら人々は納得したのでしょうか。「ヨセフの子」ということばの響きは、決してよい響きではありませんでした。

「どこそこの家の子」と呼ばれているとき、それはおそらく「近所の家の、取り立てて珍しくもない子」ということでしょう。会堂に集まった人々は、どこにでもいる家の者がイザヤの預言したことばを実現する者とはとても思えなかったのです。

「どこにでもいる・ある」と聞くと、次の聖書の言葉を思い出します。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」(マタイ21・42)

捨てられて踏みつけられるような石が大切な基礎の石になるのは信じがたいし、大工にとっては不都合です。イエスは人々から不都合な存在とみなされ、山の崖から突き落とされそうになるのです。

先週私は夢を見ました。最近よく違う場所で暮らしている夢を見るのですが、そういう夢の一つでした。私は福岡の大神学院に今の年齢のまま再度入学して授業を受けていました。最初の印象は「何で俺がまた勉強し直さんといけんとや?」と腹を立てていたのです。

教授陣は35年前のままでしたが、いざ授業を受けてみると、35年前の内容から研究はアップデートしていまして、新鮮な驚きをもって学ぶことができました。いったんは「こんな生活は受け入れられない」と憤慨したのですが、偏見を捨てた時、結果は違って見えたのです。

会堂に集まった人々もイエスを「その辺の人」と思っていたので憤慨したのですが、「すぐ隣の人が、もしかしたら預言を実現する人かも知れない」偏見を捨ててそう思えたなら、結果は違って見えたことでしょう。今週の朗読は先週の続きですが、神のことばの完全な答えであるイエスを受け入れるためには、前提なしに心を開く必要があります。

今週持ち帰って欲しい呼びかけは「医者よ、自分自身を治せ」ということです。自分自身に謙虚に向き合わなければ、心を開いてイエスのみことばに耳を傾けることはできません。例えば人柄を見るのに「あの人はこういう性格なのだ。それ以外の可能性はない」と決めてしまいがちです。その人の人柄を固定しているのは私の偏見かも知れない。私は、そんな私自身を治療する必要があります。

神のことばが私の心に豊かに宿るために、イエスの一つひとつのことばに全身全霊を傾けましょう。「ここには得るものは無い」と捨てた石を、私より遅れて洗礼を受けたあの人この人が拾い上げて豊かになるかも知れません。

憤慨した人々の間を通り抜けて立ち去られたイエスを、「さようなら」と見送るのではなく「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」(ヨハネ6・68)と言えますように。

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‥次の説教は‥‥
年間第5主日(ルカ5:1-11)
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ちょっとひとやすみ
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▼久しぶりに非公開のミサをささげて、活用出来るシーンがいろいろあることに気付いた。完全に一人でミサをすると、鈴(鐘)を鳴らしてもらえない。しかし音声だけだったら、以前のものから取り込める。そう言いながら、今週活用しなかった。非常に疲れたからだ。
▼活用と言えば、外部のマイク入力を活用して、場所全体の音を取るのではなく、祭壇の司祭の声に全集中で収録した方が非公開ミサの音声としてクリアになる。それは分かっていたのだがこれまで実行出来ていなかった。
▼このたび、眠っていた機器を掘り出して、外部マイク入力で祭壇の声を収録して動画を作成した。予想通り、クリアな音になった。非公開ミサの間は、これで続けていこうと思う。

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今週の1枚
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第769回目。より良い収録動画を作るために。すべては無駄にならない!

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年間第3主日(神のことばの主日)(ルカ1:1-4;4:14-21)イエスは今も、私たちの心の目を開いてくださる

2022-01-22 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/1/23(No.1161)
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年間第3主日(神のことばの主日)(ルカ1:1-4;4:14-21)
イエスは今も、私たちの心の目を開いてくださる
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残念ながら、田平教会もミサの中止を決断しました。一定の時間、何十人も集まる状態を今の感染状況で続けることはリスクが高いと判断したからです。それで説教は手短に、そしてカメラの向こうにいる皆さんを意識して届けようと思います。ちなみに先週からミサが中止になった教会に助けられてか、先週のYouTube動画視聴回数が激増しました。

教皇フランシスコは自発教令の形式による使徒的書簡『アペルイット・イリス(Aperuit illis)』を、2019年9月30 日に公布して、年間第三主日を「神のことばの主日」と名付け、「神のことばを祝い、学び、広めることにささげる」ことを宣言されました。以前にも聖ヨハネ・パウロ二世教皇が復活節第二主日を「神のいつくしみの主日」と定めました。教皇様の意向をよく汲んで、この一週間を過ごしたいと思います。

『アペルイット・イリス(Aperuit illis)』はラテン語でして、ルカ24章45節”Tunc aperuit illis sensum, ut intellegerent Scripturas.”(イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開い〔た〕)から引用されています。歴代教皇の文書はラテン語で発表されたものが公式文書です。そして公文書のタイトルはその文書の冒頭の単語二つがそのままタイトルになります。最近の回勅「兄弟の皆さん」もそうです。

福音朗読は、イエスがナザレの会堂でイザヤ書をお読みになる場面です。イザヤは、将来次のような日がやって来ると預言しました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。」(4・18)旧約の預言が、実現する日が来たことを、イエスははっきりと宣言しました。

「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(4・21)。イザヤが種を蒔き、蒔かれた種がイエスによって実を結びました。神のことばは、イエスによって完成するのです。イエスの登場によって、神のことばを完全に祝い、学び、広めることができるのです。

田平教会は、今年度聖書愛読の書巻として「ローマの信徒への手紙」を読み続けています。もしかしたらこのミサ中止によって読み終えることができないかも知れません。可能でしたら、ご自宅で続きを読んでください。神のことばは共にいるイエスのおかげで、家庭でも祝われ、学び、広めることができるようになったのです。聖霊の照らしによって、旧約の人々とは違って、十分に照らしをいただけるようになったのです。

私たちは今日からミサが中止になりました。けれども悪いことばかりではありません。この逆境を「神のことばの主日」をより深く考えるきっかけになったのだと考えましょう。イエスは今も、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と仰って、私たちの心の目を開いてくださいます。

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‥次の説教は‥‥
年間第4主日(ルカ4:21-30)
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ちょっとひとやすみ
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▼第6波の影響でミサが中止になった。原因が何であれ、ミサを妨害されている。どんな妨害を被っても、神が共にいて導いてくださる確信を奪い去ることなどできない。
▼葬儀ミサが入った。主日のミサは中止になるが、できるだけ旅立つ人を葬儀ミサで送ってあげたい。信仰を得て旅立つ人は、見えないもの・見えない価値を持って旅立つ人である。

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今週の1枚
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第768回目。寒い日でもバイクに乗る。そのためにはグローブにこだわりたい。
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年間第2主日(ヨハネ2:1-11)このぶどう酒がどこから来たのか

2022-01-15 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/1/16(No.1160)
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年間第2主日(ヨハネ2:1-11)
このぶどう酒がどこから来たのか
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降誕節から年間の主日に移りました。3月には四旬節に入るので、それまで、短い「年間の主日前期」と呼ぶことにします。年間の主日前期が終わると、四旬節と復活節です。ですから「年間の主日後期」は、復活節のあとからです。

「聖書と典礼」の表紙をご覧ください。「年間第2主日」となっています。年間第1主日という冊子は無かったはずです。なぜ年間第2主日から始まったのでしょうか?それは、過ぎた1週間が、年間第1週だからです。

教会の暦、「典礼暦」はガチガチに凝り固まった暦ではありません。例えば日本の祝日も、移動したり振り替えたりすることがあります。来年のことを一つだけ取り上げておきましょう。来年の神の母聖マリア1月1日は日曜日です。御公現の祭日は1月8日の日曜日です。

では主の洗礼の祝日は?このような暦の年は、主の洗礼は御公現の翌日、月曜日に祝われます。ご紹介したとおり、典礼暦はまるで生き物のように、やって来る一年にダイナミックに適応して祝われるのです。私は司祭として過ごす中で典礼暦のことをこう考えました。「典礼暦は暗記するものではなく、生きるものなのだ」と。

福音朗読に入りましょう。「カナでの婚礼」が朗読されました。水をぶどう酒に変える奇跡が行われました。私は、ぶどう酒を運んだ召使いについて「このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかった」(2・9)この点について考えてみたいと思います。

召使いが水がめからくんで宴会の世話役に運んだのですから、運んだ物は何の変哲も無い水だったはずです。しかしそれがぶどう酒に変わりました。しかも、最上のぶどう酒に変わったのです。この奇跡に何が関係しているのでしょうか。

何か、イエスが水に触れたとか、言葉を唱えたとか、そういう書き込みは全くありません。それでも、イエスが何らかの形で関わったから、水がぶどう酒に変わったはずです。指一本でも動かしたとか、何かしぐさがあったでしょうか?残念ながらそれもありませんね。

ではイエスはどのように関わったのでしょうか?大切なことを見落としていたかも知れません。イエスがこの婚礼に出席しておられることです。イエスがその場におられるという事実です。この事実こそが、水をぶどう酒に変えるのです。

イエスの奇跡にははるかに及びませんが、私たちは生活の中で似たような経験をしています。特別な料理でもないのに、料理をおいしくいただいた経験はないでしょうか?それは、料理は特別でなかったかもしれないけれど、一緒に食べた人との時間が特別だったので、おいしくいただけたのではないでしょうか?しばしば食事は、誰が一緒にいてくれたかで、違ってくるものです。

カナでの出来事も、イエスが婚礼の席にいたことで水がぶどう酒に変わったのです。実際にぶどう酒に変わったのでしょう。仮に水のままであったとしても(実際にはあり得ないことですが)、その水は今まで飲んだことのない、おいしい水に変わっていたのです。

「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」(2・11)イエスがその場におられるだけで、水はぶどう酒に変わります。ただの水、何の変哲もないものが、価値あるものに変わるのです。

これは、私たちにとっても「しるし」となります。私たちの中にイエスがおられ、イエスと共にいることを信じるなら、私たちの中で奇跡が起こりうる、ということです。いつもと変わりないもてなし、毎日の小さな犠牲、もっと言うと意味の見いだせないことさえ、価値あるものに変わるのです。イエスがそれらを変えてくださるのです。

先週は主の洗礼の祝日でした。イエスが洗礼をお受けになってから、それまでの悔い改めの洗礼に代わり、「聖霊による洗礼」に代わりました。カナの婚礼では、水がぶどう酒に変わりました。出エジプトの出来事を思い起こす食事だった過越の食事は、死から復活の栄光へと過ぎ越す食事に代わりました。イエスの十字架上の奉献によって、死は滅びではなく、新たな命への門となったのです。

「このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかった」(2・9)私たちは今日、喜びをもたらす「ぶどう酒」がどこから来たのか、知る者となりました。私たちは喜びの源が、イエスが私たちと生活を共にしてくださることにあると知りました。

しかし物語の中で、世話役はぶどう酒がどこから来たのか知りませんでした。今も、コロナ禍にあっても喜びが与えられると知らずに生きている人がいます。共にいて、喜びを与えてくれるイエスを知らない人がいます。私たちはその人たちに、ぶどう酒を運ぶのです。

イエスがその場にいてくださること。イエスが共にいてくださると信じること。これが奇跡を起こす力です。もっと、イエスがそばにいてくださることを信じる信仰を育てましょう。私たちに奇跡は起こせませんが、共にいてくださるイエスは、必要なときにためらうことなく奇跡を起こす方なのです。私たちはイエスというぶどう酒を運ぶ人なのです。

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‥次の説教は‥‥
年間第3主日(神のことばの主日)(ルカ1:1-4;4:14-21)
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ちょっとひとやすみ
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▼「ちょっと手順を変更するだけで、ブログ配信の効率が良くなった。「劇的に」と言っても過言ではない」と、ここまで先週のうちに書き留めておいたのだが、一週間経ってみるとどんな手順にしたことで効率が良くなったのか思い出せなくなった。
▼先週の時点では、カギ括弧の部分だけ書いておけば続きはかけると思ったのに、記憶力も相当衰えたものだ。残念だが、効率悪いままで今週もメルマガ、ブログ、ホームページの更新をすることになりそうだ。

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今週の1枚
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第767回目。NHK調べ。全国22000人超え。緊急事態宣言もさほど遠くないかも。

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主の洗礼(ルカ3:15-16,21-22)御父の声と御子とをつなぐ「鳩」

2022-01-08 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/1/9(No.1159)
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主の洗礼(ルカ3:15-16,21-22)
御父の声と御子とをつなぐ「鳩」
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9日は、命日が近い中田藤吉神父様始め、亡くなられた田平教会出身聖職者と亡くなられた歴代神父様のためにミサをささげております。ごく最近田川清美神父様が亡くなられたので、合計20名の神父様を追悼することになりました。私たち田平教会家族は、こうした神父様のご指導と、祈りによって支えられています。ミサの中で感謝をささげましょう。

1月4日にはたまたま、たくさんの神父様が田平教会を訪ねてきました。山内清海神父様もおいでになりました。その中で、山内豊神父様からていねいすぎる年始の挨拶を受けて、こちらが恐縮しました。「旧年中は、ひとかたならぬご恩を受けました。今年も命を長らえまして、主任神父様にはまたたいへんお世話になるかと思います。どうぞ今年もよろしくお願い致します。」私は身の置き場もないほどでした。

福音朗読に入りましょう。イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受ける場面です。もちろん悔い改めが必要だったわけではありません。人が悔い改めて、神に向かって歩き続ける、その先頭に立つために、洗礼を受けられた。そのように考えると良いでしょう。この場面で、私は特に「聖霊の働き」として現れた「鳩の姿」を取り上げたいと思います。

「鳩」が聖書で取り上げられる場面が、旧約聖書の中で一つあります。もしかしたらほかにあるのかも知れませんが、「ああなるほど」と思い当たるのは、ノアの洪水の物語です。洪水の後、ノアが鳩を放つと、「オリーブの葉」をくわえて持ち帰った、そういう場面があります。「鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。」(創8・11)

この場面は、タバコの「peace」という銘柄のデザインにもなっているので愛煙家にはよく知られていると思います。ノアの洪水の場面では、二度目に放った鳩が持ち帰ったのは「オリーブの葉」でした。もっと言うと、地上を覆っていた水が引いて、緑の大地が現れたことを匂わせる「しるし」を持ち帰ったのでした。

さて、主の洗礼の場面で現れた鳩は、どのような役割を果たしたのでしょうか。鳩と結びつけられているのは、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(3・22)という声が、天から聞こえたことでした。

天からの声は、御父の声でしょう。鳩はもちろん聖霊のかたどりです。そこに、洗礼を受けたイエスがおられるのですから、御父がご自分の意志を、御子に伝えているということになります。「心に適う」という言い方は、信頼して、委ねているということではないでしょうか。

ですから、この場面での「鳩」は、かつて洪水が引いたことを匂わせた「オリーブの葉」を届けに来たのではなく、「御父のすべての権限を御子に委ねる」その働きを担っているのだと思います。オリーブに結びつけて言うならば、「オリーブの葉」はオリーブのごく一部に過ぎませんが、イエスの洗礼で御父がもたらしてくれるものは、「オリーブのすべて」オリーブの実とか、オリーブオイルとか、オリーブの木とか、すべてを含むものだったのです。

オリーブは喜びをもたらすしるしでもあるでしょう。オリーブの葉がそうであるなら、洗礼を受けてくださったイエスは御父からの喜びをすべて届けてくださるはずです。主の洗礼の出来事は、これまで「預言」とか、「しるし」しか与えられていなかった神から来る喜びを、余すところなくもたらす出来事だったわけです。

ところで、洗礼を受けた私たちはどうでしょうか。私たちは、周りの人に対して、どのような存在なのでしょうか。「オリーブの葉」を届ける存在でしょうか。そうであるなら、僅かではあっても神が届けようとする喜びの担い手になっているわけです。しかしそれで十分でしょうか?

きっと、十分とは言えないと思います。私たちは洗礼を受けたにとどまらず、堅信も、その他の秘跡も受けて、神のもたらす喜びを届けるすばらしい器を頂いているはずです。そうであるなら、「オリーブの葉」だけではなく、オリーブの実も、届けることができるのではないでしょうか。

私たちはすでに、人々に届ける神の恵みを受け取る場所に集まっています。祭壇から、イエスは神の恵み、愛の極みである御聖体を分け与えてくださいます。みことばの食卓からも与えてくださいます。これらをそれぞれの生活で人に届けるのが私たちの働きです。

私たちが喜んで届ける人になるなら、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声を聞くことになるでしょう。今週も私たちは人々の中にあって、神のもたらす恵み、喜びを運ぶ「聖霊に導かれた鳩」となれるよう願いましょう。祭壇から食事を頂く私たちは、神と人とを繋ぐかけがえのない存在なのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼穏やかな天気が続いている。まぁそれもわずかのうちか。まだ2月にも入っていない。寒さはこれからだ。いつも「今がいちばんキツいときではない」と考えて過ごさなければ。
▼寒いと暖かい場所に根が生えたようになり、動くのがおっくうになる。司祭館で玄関チャイムが鳴ると、ひとまず出る必要がある。さっき出て、またチャイムが鳴る。やれやれと用が済んだと思ってもまたチャイムが鳴る。
▼それでも、顔を作り、「何か良いことが待っている」と思って玄関に出る。その積み重ねだ。たまには玄関に出るまでにもう一度チャイムを鳴らす人がいたりして顔をしかめて出ることもあるが、できるだけ顔を作るように心がけている。

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今週の1枚
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第766回目。スイセン。「水仙」の表記は「仙人」と関係があるのだろうか。

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