こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

四旬節第4主日(ルカ15:1-3,11-32)彼は我に返って言った

2022-03-26 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/3/27(No.1170)
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四旬節第4主日(ルカ15:1-3,11-32)
彼は我に返って言った
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「何もかも使い果たしたとき」(15・14)「彼は我に返って言った」(15・17)。ロシアのウクライナへの軍事侵攻には憤りを覚えます。今週の福音朗読「放蕩息子のたとえ」を読むとき、人間の姿は昔も今も変わらないのかと考えさせられます。それは、「何もかも使い果たしたとき」「我に返って」自分の愚かさに気付くのだと思います。
愚かさに気づくのは、「何もかも使い果たしたとき」です。命令通りに動く軍隊を使い果たし、命令通りに動く政権幹部が離れ去ったとき、彼は我に返ってくれるのかも知れません。今日は、ウクライナとロシアの平和を願って、「ロシアとウクライナをマリアの汚れなきみ心に奉献する祈り」を唱えます。10分以上かかる祈りですが、沈黙のうちに、静かに心を合わせてお祈りください。

(カトリック中央協議会ホームページより掲載)
https://www.cbcj.catholic.jp/2022/03/24/24408/
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四旬節第5主日(ヨハネ8:1-11)

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‥次の説教は‥‥
主日
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ちょっとひとやすみ
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▼なるほど。思わぬ落とし穴。YouTubeのチャンネル登録を促してもなかなか登録者数が増えない。その割には視聴者数は伸びている。どういうことだと思ったら、パソコンで動画を視聴している人がチャンネル登録するにはGoogleアカウントを取り、その上でログインが必要になる。この次点ですでに高いハードルになっている。
▼ここについては戦略を練らなければならない。たいていの人がスマホを所有しているのだから、スマホからのチャンネル登録をお願いするのが最も現実的だ。しかしだれもがスマホを持っているとは限らない。以前からのガラケーの人もまだおられるだろう。こうした人と、パソコン利用者のチャンネル登録を獲得するにはどうすればよいか。


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2022年黙想会講話
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2022年3月に小教区黙想会を依頼され、「イエスと共に歩む人」というテーマで4回の講話をしたものをYouTube「ナカダコウジ」チャンネルにアップしています。ただ、YouTubeが視聴できない方のために、DVDでお分けすることが可能です。4回分、1700円(送料、専用封筒代込み)で受け付けます。ご希望の方はメールで「お名前」と「黙想会DVD希望」と書いてthomas.k.nakada@gmail.comまで連絡ください。追って連絡します。


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今週の1枚
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第777回目。笑顔を取り戻す平和な日々がウクライナに早く与えられますように。

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四旬節第3主日(ルカ13:1-9)これから御聖体のイエスがともにいてくださる

2022-03-19 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2022/3/20(No.1169)
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四旬節第3主日(ルカ13:1-9)
これから御聖体のイエスがともにいてくださる
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本日は初聖体を受ける二名の子供たちのためにお話しします。あいにく、今週の福音朗読は初聖体の子供たちにはちょっと難しいし、内容が理解できたとしても、「悔い改めなければ、皆同じように滅びる」という厳しい警告をする内容なので、「中田神父様は紐差教会の黙想会指導のために出かけてきたよ。そして講話をしながら、神父様も一緒に心を入れ替えてきたよ。」それだけ話しておこうと思います。

さてこれからは、初聖体を迎えた子供たちと、今日大切なイエス様をお迎えするので、最後の心の準備をすることにしましょう。これまで保育園で、しっかり準備をしてきて、「御聖体にはどなたがおられますか?」と聞かれてもすぐに答えられるはずです。最終試験だけ、ここで終わらせておきましょう。一人ずつ、同じことを聞きます。一人ずつ答えてください。ペトロ山内晴くん。御聖体には、どなたがおられますか?ヨゼフ福井琉太くん。御聖体には、どなたがおられますか?

ちゃんと答えることができましたね。このミサの中で、今日初めていただく御聖体には、イエス様がおられるのです。私たちの中に来てくださって、私たちとこれからずっとともにいてくださいます。御聖体の見える形は、薄くて、すぐに溶けてしまうものなのだけれども、御聖体におられるイエス様は、皆さんの中に居てくださいます。

一つ約束をしてください。御聖体は、ミサに来て、ミサの中で拝領します。ミサに来なかったら、御聖体もいただけません。「一回もらったからもういいや」と言って、教会に来なくなったら、御聖体のお恵みも無くなってしまいます。約束してほしいことは、「これからも続けて、教会に来て、御聖体を拝領するよい子になりますか?」ということです。

一人ずつ、同じことを聞きます。一人ずつ答えてください。ペトロ山内晴くん。あなたはこれからも教会に来て、御聖体を拝領するよい子になりますか?ヨゼフ福井琉太くん。あなたはこれからも教会に来て、御聖体を拝領するよい子になりますか?立派な返事を聞きました。ここに集まった皆さんが、二人の返事の目撃者です。

さっきから神父様は、二人の名前にある言葉を付けて呼んでいますね。「ペトロ」山内晴くん。「ヨゼフ」福井琉太くん。この「ペトロ」とか「ヨゼフ」とか、この言葉は何ですか?もしかしたら、「分かりません」と答えるかも知れません。多分そうかも知れないと思って、今日説明します。よく理解してください。

この「ペトロ」「ヨゼフ」という言葉は、「霊名」とか「洗礼名」と言って、皆さんが洗礼を受けたときに付けてもらった聖人の名前なのです。洗礼式で神様の子供にしてもらった時に、聖人の名前を付けてもらって、その聖人に見倣うためです。晴くんは「ペトロ」を、琉太くんは「ヨゼフ」を見倣って立派な教会の人になってほしい。そう願って付けられた名前です。繰り返すけど、「霊名」とか「洗礼名」と言います。

では尋ねましょう。「ペトロ」ってどんな人ですか?「ヨゼフ」ってどんな人ですか?それから、「ペトロ」を思い出す特別な日がありますか?「ヨゼフ」を思い出す特別な日がありますか?ここまで説明して、初聖体の心の準備を完成させましょう。

ペトロは、イエス様に「わたしに従いなさい」と声をかけられて、弟子になった人で、十二人の弟子の一番弟子です。イエス様から信頼されて、「天の国の鍵」を授けられて、大切な「イエス様を信じる人の世話」を任せられました。イエス様から大きな仕事を任せられて、立派に仕事をした人です。そしてペトロを特別にお祝いする日は6月29日です。

ヨゼフは、イエス様のお母さんマリア様の夫で、神の独り子イエス様を大切に守り育てた方です。イエス様が生まれて、ヘロデに命を狙われたとき、マリア様とイエス様を連れてエジプトに避難して、守り抜きました。誰よりもよく働いて、イエス様が12歳になって立派に育つまで見守ってくれました。ヨゼフを特別にお祝いする日は3月19日です。

二人とも、すばらしい洗礼名をもらっているので、これからも楽しみに教会に来て、ミサに参加して御聖体をいただきましょう。今日初めて御聖体をいただきます。特別な味がするかも知れません。お父さんお母さんに「御聖体はどんな味だった?」と聞かれたら、「ヒミツだよ」と言って構いません。あなただけの、特別な御聖体、初めての御聖体だからです。これから自分の言葉で決意表明をして、感謝の祭儀に移ることにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第4主日(ルカ15:1-3,11-32)
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ちょっとひとやすみ
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▼黙想会をとある小教区主任司祭に依頼されて、本教会三日間、巡回教会二日間、連続五日間黙想会で講話をした。基本は本教会での三日間の中で話した四回分の講話だが、巡回教会ではそれを二日間で三回の講話に圧縮して話した。
▼正直に言うと、準備した内容をすべて盛ることができず、不十分な出来だったと思っている。それでも信徒の皆さんは熱心に耳を傾けてくれて、30分と指定されていた時間の枠は一度も守ることができず、40分、時には45分も話してしまった。
▼興味があれば、YouTubeで「ナカダコウジ」と入力して検索し、視聴して欲しい。そして感想などをコメントしていただけると嬉しい。その際、もし可能なら、チャンネル登録もお願いしたい。登録者の目標はでっかく1000人!!

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今週の1枚
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第776回目。某司祭館にピンクレディー。信じられないことでしょうけれど。

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四旬節第2主日(ルカ9:28b-36)父なる神のご意思、それは「イエス・キリスト」

2022-03-11 | Weblog
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「今週の説教」
2022/3/13(No.1168)
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四旬節第2主日(ルカ9:28b-36)
父なる神のご意思、それは「イエス・キリスト」
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四旬節第2主日は、「御変容(イエスの姿が変わる)」の場面が取り上げられる日曜日です。「祈るために山に登られた」(9・28)はタボル山でしょう。イスラエル巡礼の体験がよみがえります。

タボル山の頂上に登ると、辺り一帯を見渡すことができます。なぜならこの山のほかに小高い場所がないからです。そのため、この山ならではの気象現象が起こります。地表の高温で乾燥した空気が山にぶつかると、山頂では空気が急激に冷やされ、時に霧となって山を覆うのです。

「ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。」(9・34)もともとガリラヤ湖で漁をして生活していたペトロ、ヨハネ、およびヤコブは、この現象に大いに恐れを感じたことでしょう。

気象学的な説明をしなくても、三人の弟子が見た光景は、彼らを恐れさせるに十分だったと思います。ペトロの動揺ぶりは、「仮小屋を三つ建てましょう」(9・33)と提案したことにも現れています。

人が家を建てるのは、その場所に定住しようと決めたことを表しています。家は人が定住し、人生を完成させるための場所です。しかしイエスはこれまでもずっと、町や村を移動しながら神の国を宣べ伝えてきました。御父の望みをすべての人に伝え、救いの計画を完成させるために、一つの場所に留まり続けるわけにはいかないのです。

約60年前に開かれた第二バチカン公会議は、地上の教会のことを「旅する教会」と表現しました。それまでの教会の姿は「キリストの神秘体」という表現でした。それぞれ、教会の特徴を言い当てているわけですが、「旅する教会」という表現は「キリストの神秘体」という表現よりさらに「完成に向かって歩んでいる教会の姿」を表しています。

教会は立ち止まらない。現代の諸問題と正面から向き合って、すべての人を受け入れる場所となりたい。その決意が「旅する教会」に込められていました。イエスもまた、一時的に示された輝かしい場面に立ち止まらず、エルサレムで待ち受けている十字架上の栄光へと向かわれるのです。そして弟子たちもイエスに聞き従うことが求められます。「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」(9・35)。

「これこそイエスの本来の姿だ。」弟子たちは輝く姿のイエスを見て確信したでしょう。けれども御父がイエスを通して示そうとする御意思はもっと先にありました。弟子たちが「ここにある」と立ち止まった場所にではなく、イエスが最後に足を止めた場所、十字架上にあるのです。だからこれからもイエスに聞き従う必要があります。

父なる神の御意思、それは突き詰めると「イエス・キリスト」です。いまだに争い合い、対立し合う国があります。武力で解決しようと躍起になっている人がいます。平和な世界、平和な社会さえ、人間は維持することができない愚か者です。その人類を救うために、イエスは山上での栄光で足を止めず、エルサレムで待つ十字架へと向かうのです。

本日、ミサの奉献文は「ゆるしの奉献文(二)」を用います。テーマは「人類の和解」です。これから始まる感謝の祭儀、その心の準備として、「私たちの平和・キリスト」という聖歌を歌うのでしばらく聞いてください。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第3主日(ルカ13:1-9)
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ちょっとひとやすみ
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▼先週の続き。洗礼のために、額に三度、水を注いだ。直接接触しなくても授けることができて、神に心から感謝した。これが病者の塗油のように額に触れなければならないとしたら、たとえ緊急の洗礼でも授けることは叶わなかっただろう。
▼かつてのヨルダン川での洗礼のように、水に体を沈める洗礼は別として、ほんの少しの水によって、高齢のご主人は救いの恵みを受けた。ほんの少しの水を通して、神はその人のすべての罪を赦してくれた。自分が受けた洗礼の恵み、堅信の恵み、叙階の恵みの大きさを、あらためて知って恐れおののく体験であった。

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今週の1枚
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第775回目。ようやく公式のミサが再開された。日常がこれほど有り難いとは。

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四旬節第1主日(ルカ4:1-13)試練の中で「貧しい人の友イエス」を示してくださった

2022-03-05 | Weblog
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「今週の説教」
2022/3/6(No.1167)
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四旬節第1主日(ルカ4:1-13)
試練の中で「貧しい人の友イエス」を示してくださった
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2月23日、日本の教会はペトロ中村倫明長崎大司教の着座式ミサを祝いました。厳重な感染対策のため参列者は300人ほどでしたが、多くの人の目が中村大司教様に注がれている、そう感じさせる熱量がありました。あれはきっと聖霊の働きだったのでしょう。そして、その期待に十分応える決意表明をミサの中で示してくださいました。

いくつか、大司教様の決意表明と受け取れる部分を紹介します。一つは、大司教となられて新調された牧者の杖「バクルス」です。材質は「オリーブの木」でした。パレスチナ地方の実際の羊飼いが持っている杖をイメージしたと聞きました。聖書には「鉄の杖」という表現がありますが、それは力で押さえつける印象です。中村大司教様は、優しく教え導く姿を印象づけるために、材質を木にこだわったのでしょう。

あと一つ、大司教様の決意表明を感じさせたのは、ミサの「奉献文」です。ミサの式次第の中で「本体部分」と言える祈りです。通常、第一から第四の奉献文まで使用されています。皆さんの祈祷書には、その中でも特に使用頻度の高い「第二奉献文」「第三奉献文」が掲載されています。

ですが中村大司教様は、それら通常の奉献文ではなく、「種々の機会のミサの奉献文・四(貧しい人の友、イエス)」これを用いられたのです。手元にある儀式書によれば、2014年に増補版が発行されたときに「入手困難になっている奉献文であるため」掲載されたとあります。少なくとも8年前には目に触れることができたわけですが、この8年間、私は一度も唱えたことがありませんでした。

けれども着座式ミサで実際に唱えてみて、中村大司教様が、今の教皇フランシスコと同じく「貧しい人々の友となる」その決意を表明されたのだと確信しました。教会が、小さな者を心にかけることを忘れたら教会でなくなりますよと、この奉献文を司教司祭全員で唱えて、確認する機会としてくださったわけです。

最後になりましたが、今週は四旬節第一主日です。イエスが荒れ野で四十日間悪魔の誘惑を受け、それをすべてしりぞけていきます。この記事が福音書に収められているのはイエスご自身のためではありません。誘惑に何度も負け、打ちのめされる弱い人間のために、イエスが先頭に立って模範を示すことを教えるのが目的です。

人が飢えに苦しんで弱り果て、権力や富に目が眩んで自分を見失い、神を信じられなくなったとしても、それでもイエスは人間を見捨てることなく、常にともにいて父のいつくしみと母の優しさを注いでくださいます。イエスが貧しい人々の友となってくださったように、中村大司教様も友となってくださり、一緒に歩いてくださる。その決意表明が込められている。そう感じました。

今私たち人類は、四十日の荒れ野での試練の中にいるような状態です。それでも神は新たなリーダーを与えてくださり、希望を示してくださいました。復活のその時を信じて、私たちも中村大司教様とともに、神を信じ、神を証ししていくことにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第2主日(ルカ9:28b-36)
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ちょっとひとやすみ
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▼このすばらしい体験を話せるときがいつ来るのか分からない。先に、メルマガの読者と分かち合いたい。ある高齢者に洗礼を授けた。命の危険が迫っており、「緊急の洗礼」として入院している部屋で授けた。
▼この人にはカトリックの妻がいる。夫は「いつかは洗礼を受けて、同じ信仰のうちに人生を全うし、同じ墓に入りたい」と願っていたと言う。今はコロナ禍であり、家族以外の者が病室に入ることができるのか、大変気を揉んだ。
▼しかし、施設の責任者は制限付きでの入室を許可してくれた。「直接触れないでください」「時間は10分以内です」など、厳しい制約があったが、緊急の洗礼を授けることができた。もし家族しか入室できない場合も、家族に洗礼の授け方を伝えて授けてもらうつもりだった。(続く)

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今週の1枚
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第774回目。灰の水曜日に自分で枝を焼く。まわりが芝生。だから素人は怖い。

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