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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2022/10/30(No.1205)
‥‥‥†‥‥‥
年間第31主日(ルカ19:1-10)
イエスを迎え入れたザアカイの一日は千日の恵み
‥‥‥†‥‥‥‥
かつてローマで司祭に叙階され、福岡教区司教として聖務をまっとうして天に旅立った松永司教様は、叙階記念カードに次の言葉をラテン語で記したそうです。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(19・5)司教様は自分にもイエスの声がかかったことを、背が低かったザアカイになぞらえたのだと思われます。
今週の福音朗読は冒頭紹介した「徴税人ザアカイ」の物語です。イエスは物語の最後に「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(19・10)と言っていることからも、社会で罪人扱いされ、疎外感を感じている人を常に探しておられます。そんな折、徴税人ザアカイも「イエスがどんな人か見ようとした」(19・3)のでした。ここで「見る」と翻訳されている単語は、「捜す」という意味にもなる単語だそうです。失われたものを捜して救おうとされるイエスと、興味本位ではあっても捜したザアカイとは、必ず出会うことになっていたのです。
今日、一人のおばあさんとの出会いを追悼させてください。伊王島の馬込教会で5年間賄いをしてくれた人で、「坂田さん」という人です。私が田平に赴任した頃に高齢のため福祉施設に入り、その後養護老人ホーム「聖マルコ園」に入所していましたが、28日に肺炎のため日浦病院で亡くなりました。90歳でした。
坂田さんとの出会いは、私が馬込小教区に赴任した時、司祭館でお手伝いしてくれる人が居なくて、しかたなく最初は一人で自炊生活をしていたのですが、大明寺巡回教会、高島巡回教会も掛け持ちしながらの生活がだんだん難しくなり、信徒会長の池下さんに「誰か捜して」とお願いしたのです。
その頃坂田さんは社会福祉協議会の紹介で仕事を得ていたのですが、池下さんが無理を言って司祭館賄いに引き抜いてくれました。坂田さんは働き口を探し、社会福祉協議会で見つけたばかりでしたが信徒会長の説得があって司祭館で奉仕することになります。中田神父も働く人を探していて、信徒会長から「この人は信頼できます」と紹介された人を捜し当てました。今思うと必ず出会うことになっていたのだと思います。
私は退屈しのぎに、一年365日のうち364日、坂田さんをからかうのが日課でした。ある日は食事中にテレビを見ていて、料理を出すのと洗い物で台所にいる坂田さんを呼び、「見て見て。深堀さんがテレビに映ってるよ。懐かしいねぇ!」と嘘を言います。すると真面目な坂田さんは「知ってる人ですか?」と聞いてくるので「いや、知らん。」とオチを付けられ、「なぁんだぁ」となります。
あるとき宅配の荷物が届きました。若い頃郵便局で働いていた坂田さんは中身が見たくてたまりません。何を注文したか私は分かっていましたが、いっこうに開けないので気になって気になって「何が入ってるんですか?どうして開けないんですか?」と急かすのです。そこで私が箱の上に手をかざして、「ふむふむ。なるほど。分かった。これはデジタルカメラが入っているな」と言って、「開けてごらん」と促して坂田さんが箱を開けると、当然のごとくデジカメが出てくるわけです。それをまるで透視の術でもしたかのように、目を丸くして驚いてくれました。
こうして毎日からかうものですから、次第に警戒するようになり、後期高齢者になっても日々頭を忙しく回転させ、「今のは本当だろうか、嘘じゃなかろうか」と目を皿のようにして、耳を象の耳のようにして、私が見せる物、話すことに神経を集中させるようになりました。私としては、頭の体操になって良かったのではないかと思っております。
唯一、からかわない日がありました。それは4月1日、エイプリルフールでした。この日は朝ミサのあと朝ご飯を作るときから、「神父様、今日はエイプリルフールです。絶対に騙されませんからね」と勢い込んで言うものですから、私はこの日だけは騙したりからかったりしなかったのでした。ただ、転勤の辞令をいただいた年の4月1日には、「異動することになったんだ」とどうしても言わなければならず、「神父様、嘘だと言ってください」と言われたときは辛かったです。
晩年は、一人暮らしがままならなくなり、福祉施設を経て出津の聖マルコ園にお世話になりました。施設に入れば、私のように天井まで上げてオチを付けて落とす人もいないだろうと思い、「坂田さん。今日は田平からマルコ園の下の港までボートで来たよ」と言って「えー!こんな雨風の中、ボートを漕いで来たのですか?」「うそだよ」「なぁんだぁ」実は亡くなる一週間前にも偶然見舞いに行って、そんな笑い話をしたところでしたので、亡くなったことがとても信じられませんでした。
結婚して早くにご主人に先立たれ、それでも子供さんを立派に育て、信仰心を何より大事に生きられた人でした。司祭館で奉仕した5年間、人生で最も教会に近い生活ができました。若い主任司祭との親子漫才のような日々は大変だったかも知れませんが、教会の出来事をいちばんそば近くで見守り、思う存分祈りと奉仕ができたこと、90年の人生の中で宝物の一つになったのではないでしょうか。
旧約聖書・詩編の84編11節に次のような一節があります。「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」徴税人ザアカイも、ユダヤ人の端くれであれば、詩編くらいは会堂に行ったときに唱えていたでしょう。ですからこの一節は知っていたかも知れない。
ザアカイがイエスを家に迎えて過ごした一夜は、千日にもまさる恵みに感じられました。ですから、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」(19・8)と言えたのではないでしょうか。いま坂田さんも、司祭館での日々を懐かしく思いつつ、天国で「一日が千日のような恵みの時」を過ごしているだろうと思います。
私たちにも、一日が千日に感じられるような日々があったでしょうか。もしそんな一日が一度でもあったなら、神のもとでの一日はそれ以上です。いただいた恵みに、今日あなたはどのように応えようとしていますか。お賽銭でたとえるなら10円分ですか、100円分ですか?ミサの中で思い巡らしましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第32主日(ルカ20:27-38)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼今日は坂田さんのオンパレード。最後に面会した10月21日のこと。コロナ対策と称して面会人はマルコ園の外のテントに待機し、面会希望の人が園内の一室に招かれ、顔は窓越しに見て、声は電話で聞くという対応だった。まぁ、おしゃべりするだけならこれでも良かったが、握手はできない。
▼あまりの懐かしさに「あー神父様に会えてこれで思い残すことはない。死んでもいい」としきりに言うので、「死ぬ前に神父様にミサ100回分遺産分けをするって書いておくれ」と言ったら、都合の悪いことは聞き取れないらしく、「病気のせいで頭も耳も悪くなってしまってすみませ~ん」と逃げられた。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
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第812回目。司祭館上の県道脇のコスモス。坂田さん、天国から見えてますか?
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† 神に感謝 †
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イエスを迎え入れたザアカイの一日は千日の恵み
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かつてローマで司祭に叙階され、福岡教区司教として聖務をまっとうして天に旅立った松永司教様は、叙階記念カードに次の言葉をラテン語で記したそうです。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(19・5)司教様は自分にもイエスの声がかかったことを、背が低かったザアカイになぞらえたのだと思われます。
今週の福音朗読は冒頭紹介した「徴税人ザアカイ」の物語です。イエスは物語の最後に「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(19・10)と言っていることからも、社会で罪人扱いされ、疎外感を感じている人を常に探しておられます。そんな折、徴税人ザアカイも「イエスがどんな人か見ようとした」(19・3)のでした。ここで「見る」と翻訳されている単語は、「捜す」という意味にもなる単語だそうです。失われたものを捜して救おうとされるイエスと、興味本位ではあっても捜したザアカイとは、必ず出会うことになっていたのです。
今日、一人のおばあさんとの出会いを追悼させてください。伊王島の馬込教会で5年間賄いをしてくれた人で、「坂田さん」という人です。私が田平に赴任した頃に高齢のため福祉施設に入り、その後養護老人ホーム「聖マルコ園」に入所していましたが、28日に肺炎のため日浦病院で亡くなりました。90歳でした。
坂田さんとの出会いは、私が馬込小教区に赴任した時、司祭館でお手伝いしてくれる人が居なくて、しかたなく最初は一人で自炊生活をしていたのですが、大明寺巡回教会、高島巡回教会も掛け持ちしながらの生活がだんだん難しくなり、信徒会長の池下さんに「誰か捜して」とお願いしたのです。
その頃坂田さんは社会福祉協議会の紹介で仕事を得ていたのですが、池下さんが無理を言って司祭館賄いに引き抜いてくれました。坂田さんは働き口を探し、社会福祉協議会で見つけたばかりでしたが信徒会長の説得があって司祭館で奉仕することになります。中田神父も働く人を探していて、信徒会長から「この人は信頼できます」と紹介された人を捜し当てました。今思うと必ず出会うことになっていたのだと思います。
私は退屈しのぎに、一年365日のうち364日、坂田さんをからかうのが日課でした。ある日は食事中にテレビを見ていて、料理を出すのと洗い物で台所にいる坂田さんを呼び、「見て見て。深堀さんがテレビに映ってるよ。懐かしいねぇ!」と嘘を言います。すると真面目な坂田さんは「知ってる人ですか?」と聞いてくるので「いや、知らん。」とオチを付けられ、「なぁんだぁ」となります。
あるとき宅配の荷物が届きました。若い頃郵便局で働いていた坂田さんは中身が見たくてたまりません。何を注文したか私は分かっていましたが、いっこうに開けないので気になって気になって「何が入ってるんですか?どうして開けないんですか?」と急かすのです。そこで私が箱の上に手をかざして、「ふむふむ。なるほど。分かった。これはデジタルカメラが入っているな」と言って、「開けてごらん」と促して坂田さんが箱を開けると、当然のごとくデジカメが出てくるわけです。それをまるで透視の術でもしたかのように、目を丸くして驚いてくれました。
こうして毎日からかうものですから、次第に警戒するようになり、後期高齢者になっても日々頭を忙しく回転させ、「今のは本当だろうか、嘘じゃなかろうか」と目を皿のようにして、耳を象の耳のようにして、私が見せる物、話すことに神経を集中させるようになりました。私としては、頭の体操になって良かったのではないかと思っております。
唯一、からかわない日がありました。それは4月1日、エイプリルフールでした。この日は朝ミサのあと朝ご飯を作るときから、「神父様、今日はエイプリルフールです。絶対に騙されませんからね」と勢い込んで言うものですから、私はこの日だけは騙したりからかったりしなかったのでした。ただ、転勤の辞令をいただいた年の4月1日には、「異動することになったんだ」とどうしても言わなければならず、「神父様、嘘だと言ってください」と言われたときは辛かったです。
晩年は、一人暮らしがままならなくなり、福祉施設を経て出津の聖マルコ園にお世話になりました。施設に入れば、私のように天井まで上げてオチを付けて落とす人もいないだろうと思い、「坂田さん。今日は田平からマルコ園の下の港までボートで来たよ」と言って「えー!こんな雨風の中、ボートを漕いで来たのですか?」「うそだよ」「なぁんだぁ」実は亡くなる一週間前にも偶然見舞いに行って、そんな笑い話をしたところでしたので、亡くなったことがとても信じられませんでした。
結婚して早くにご主人に先立たれ、それでも子供さんを立派に育て、信仰心を何より大事に生きられた人でした。司祭館で奉仕した5年間、人生で最も教会に近い生活ができました。若い主任司祭との親子漫才のような日々は大変だったかも知れませんが、教会の出来事をいちばんそば近くで見守り、思う存分祈りと奉仕ができたこと、90年の人生の中で宝物の一つになったのではないでしょうか。
旧約聖書・詩編の84編11節に次のような一節があります。「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」徴税人ザアカイも、ユダヤ人の端くれであれば、詩編くらいは会堂に行ったときに唱えていたでしょう。ですからこの一節は知っていたかも知れない。
ザアカイがイエスを家に迎えて過ごした一夜は、千日にもまさる恵みに感じられました。ですから、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」(19・8)と言えたのではないでしょうか。いま坂田さんも、司祭館での日々を懐かしく思いつつ、天国で「一日が千日のような恵みの時」を過ごしているだろうと思います。
私たちにも、一日が千日に感じられるような日々があったでしょうか。もしそんな一日が一度でもあったなら、神のもとでの一日はそれ以上です。いただいた恵みに、今日あなたはどのように応えようとしていますか。お賽銭でたとえるなら10円分ですか、100円分ですか?ミサの中で思い巡らしましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第32主日(ルカ20:27-38)
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ちょっとひとやすみ
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▼今日は坂田さんのオンパレード。最後に面会した10月21日のこと。コロナ対策と称して面会人はマルコ園の外のテントに待機し、面会希望の人が園内の一室に招かれ、顔は窓越しに見て、声は電話で聞くという対応だった。まぁ、おしゃべりするだけならこれでも良かったが、握手はできない。
▼あまりの懐かしさに「あー神父様に会えてこれで思い残すことはない。死んでもいい」としきりに言うので、「死ぬ前に神父様にミサ100回分遺産分けをするって書いておくれ」と言ったら、都合の悪いことは聞き取れないらしく、「病気のせいで頭も耳も悪くなってしまってすみませ~ん」と逃げられた。
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今週の1枚
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第812回目。司祭館上の県道脇のコスモス。坂田さん、天国から見えてますか?
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† 神に感謝 †