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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
12/09/30(No.612)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第26主日
(マルコ9:38-43,45,47-48)
イエスとの繋がりを壊すものを切り捨てる
‥‥‥†‥‥‥‥
まずは今年の司祭団ソフトボール大会の結果報告です。優勝は長崎市内チームで、乱打戦を打ち勝ったという感じでした。当日はバックネットからセンターに向けて一日中強い風が吹いていました。到着してすぐ、ボールが高く上がると何かが起こりそうだなぁと思いました。
中田神父は、去年に引き続き修道会連合チームにレンタルに出され、五島チームで試合に出ることは叶いませんでした。これがあとで思わぬ結果を生むことになるのですが、「まぁ、奉公に出された場所で一生懸命プレーするしかない」そう思って試合に臨んだのです。
大会の始球式は、大司教さまが務めました。写真を玄関に貼り付けていますが、大司教さまが投げたボールはホームベースまでの半分も届きませんで、地面に落ちたあとコロコロと、キャッチャーのところへ転がっていきました。それを見た司祭たちからいっせいに「やり直し!」という厳しい声が掛かり、始球式をやり直して試合が始まりました。
最初の試合、長崎市内チームと五島チームが対戦しました。わたしは五島チームで試合に出られないので三塁コーチャーを引き受けました。たしか25対17で、長崎チームに負けました。
長崎チームは例年にない強打者揃いで、結局大会を終えた時には岡神父さんが3本、山添神父さんが3本、他にも1本打った神父さんが2人いて、これでは打ち合いで勝てないのも当たり前です。岡神父さんの勢いと言ったらもう・・・分かりますよね。
わたしは修道会連合チームで二試合に出ました。なぜかバッティングが調子良くて、ホームラン2本、ヒット2本、8打数4安打の大当たりでした。ホームラン2本のうち1本は、岡神父さんから打ってやったので、かなり気持ちよかったです。「あ~、説教で絶対言われそう」と言っていましたが、当然です。
夕食の時の懇親会で、五島チームのある司祭から「お前をよそに出さなきゃよかった」と声を掛けてもらいましたが、わたしからそれを言うわけにはいかないし、今日打てても明日打てるとは限りませんから、そう言ってもらえるだけでもありがたいことです。
さて今週の福音朗読で、今この年齢になってみて「あー、そう理解したほうが適切だよなぁ」と気がついた部分がありました。それは9章43節以下の部分です。
「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。」(9・43)
「もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。」(9・45)
「もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。」(9・47)
イエスさまがこの厳しい警告を実際に語ったのだとしたら、わたしたちはできるだけ素直に言葉の意味を考える必要があります。しかし、手や足を切り捨てるとか目をえぐり出すというのを文字通りに取るのは大変困難です。何か、手や足、目に該当するものを切り捨てる、えぐり出すというふうに考えたほうがイエスの考えていることに近いのではないでしょうか。
では、イエスが手とか足、目と言い表したものは何だったのでしょうか。イエスから切り捨ててしまいなさいと言われてもなかなか切り捨てることのできないものとは何でしょうか。それはわたしたちをあるべき姿から引き離そうとする「誘惑」ではないでしょうか。
たとえば、今日済ませなければならないものを明日に回すこと。それは誘惑のなせるわざです。わざわざ近づかなくてもよいものに、近づいてみること。あえて失わなくてもよいものを失って後悔すること。誘惑する材料はたくさんあって、それらはしばしば切り捨ててしまわなければ離れることはできないのです。誘惑となるものを近くに置いていながら、誘惑に陥らないように努力するのは時間と労力の無駄です。
さて誘惑について、福音書の別の箇所にはとても興味深いことが書かれています。イエスは誘惑に陥らないようにとマタイ・マルコ・ルカ福音書これら共観福音書のいずれでも仰っているのですが、そのどれもが、誘惑に陥らないように祈ることを教えています。
「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」(マルコ14・38)生活の中にたえず祈りが織り込まれている人は、誘惑に陥らずに済むと、イエスは言っておられるのです。これはよくよく肝に銘じたいと思います。
切れ目なく繋がっているわたしたちの身体。身体に関して言えば、その一部分を切り捨ててしまうことほど辛く耐えがたいことはないでしょう。イエスとわたしたちの繋がり、信仰生活と社会生活の繋がりも、本来は切れ目なく一体であるはずです。
つまずきや誘惑は自分や隣人をイエスとの繋がりから断ち切らせるものです。イエスは、ご自分との繋がりを危うくするものは、手や足を切り捨ててしまうくらいの決意でしりぞけるように命じます。つまずきとなるもの、また誘惑ときっぱり縁を切る。切り捨ててしまう。そうやってイエスとの繋がりをいつも良い状態に保ちましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第27主日
(マルコ10:2-16)
‥‥‥†‥‥‥‥
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ちょっとひとやすみ
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▼最近2つの特筆すべき事があった。まずインターネット通販で買い物をしようとして、2度ならぬ3度までキャンセルせざるを得ない状態になった。3回の買い物すべてを思い出せないので、災害時の非常用懐中電灯のことを書いてみる。
▼台風14号の際、五島列島は怖くて眠れないような時間を過ごした。台風のときに巡回先の教会付属の司祭館になくて困ったのが懐中電灯だ。これは必要だと思い、手回しで充電できる便利そうなものを見つけて注文した。
▼送料込みでだいたい2000円くらいだっただろうか。良心的な値段だと思い、1個注文してみた。しばらくして店舗から確認メールが来たのだが、五島列島に商品を届けるには、中継料が必要だという。しかも1000円も。
▼これでは高すぎる。仕方なくキャンセルの連絡をした。数時間で、「キャンセル承りました」という連絡が来た。「相変わらず早いなぁ。」それが最初の注文だった。実はこれに懲りずに、他社で似たような値段の同じ商品を見つけ、注文をかけてみた。送料込みで1980円。
▼するとこの会社からも、「中継料1000円をいただきます」ときた。冗談じゃない。広報委員会とかマリア文庫など、長崎で受け取ってくれそうな住所に送ってもよかったのだが、そこまでするほどの商品だろうかと思っているうちに注文する気持ちが薄れてきた。
▼もう一つは、亡くなった自分の父親が夢枕に立ったということだ。これまで一度も亡くなった父の夢を見たことはなかったが、先々週だったと思う、父と親しく話しをした。まったく内容は覚えていない。けれども一人の人間として、互いを尊重して和やかに会話した感触は残っている。
▼父は何か話したかったのだろうか。何か伝えたいことがあったのだろうか。父ともう一度夢で会えるなら、わたしは何を話そう。今どこにいるのかを聞くかもしれない。
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今週の1枚
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第219回目。ソフトボール大会。これがいちばん躍動的。
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===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===
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まずは今年の司祭団ソフトボール大会の結果報告です。優勝は長崎市内チームで、乱打戦を打ち勝ったという感じでした。当日はバックネットからセンターに向けて一日中強い風が吹いていました。到着してすぐ、ボールが高く上がると何かが起こりそうだなぁと思いました。
中田神父は、去年に引き続き修道会連合チームにレンタルに出され、五島チームで試合に出ることは叶いませんでした。これがあとで思わぬ結果を生むことになるのですが、「まぁ、奉公に出された場所で一生懸命プレーするしかない」そう思って試合に臨んだのです。
大会の始球式は、大司教さまが務めました。写真を玄関に貼り付けていますが、大司教さまが投げたボールはホームベースまでの半分も届きませんで、地面に落ちたあとコロコロと、キャッチャーのところへ転がっていきました。それを見た司祭たちからいっせいに「やり直し!」という厳しい声が掛かり、始球式をやり直して試合が始まりました。
最初の試合、長崎市内チームと五島チームが対戦しました。わたしは五島チームで試合に出られないので三塁コーチャーを引き受けました。たしか25対17で、長崎チームに負けました。
長崎チームは例年にない強打者揃いで、結局大会を終えた時には岡神父さんが3本、山添神父さんが3本、他にも1本打った神父さんが2人いて、これでは打ち合いで勝てないのも当たり前です。岡神父さんの勢いと言ったらもう・・・分かりますよね。
わたしは修道会連合チームで二試合に出ました。なぜかバッティングが調子良くて、ホームラン2本、ヒット2本、8打数4安打の大当たりでした。ホームラン2本のうち1本は、岡神父さんから打ってやったので、かなり気持ちよかったです。「あ~、説教で絶対言われそう」と言っていましたが、当然です。
夕食の時の懇親会で、五島チームのある司祭から「お前をよそに出さなきゃよかった」と声を掛けてもらいましたが、わたしからそれを言うわけにはいかないし、今日打てても明日打てるとは限りませんから、そう言ってもらえるだけでもありがたいことです。
さて今週の福音朗読で、今この年齢になってみて「あー、そう理解したほうが適切だよなぁ」と気がついた部分がありました。それは9章43節以下の部分です。
「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。」(9・43)
「もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。」(9・45)
「もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。」(9・47)
イエスさまがこの厳しい警告を実際に語ったのだとしたら、わたしたちはできるだけ素直に言葉の意味を考える必要があります。しかし、手や足を切り捨てるとか目をえぐり出すというのを文字通りに取るのは大変困難です。何か、手や足、目に該当するものを切り捨てる、えぐり出すというふうに考えたほうがイエスの考えていることに近いのではないでしょうか。
では、イエスが手とか足、目と言い表したものは何だったのでしょうか。イエスから切り捨ててしまいなさいと言われてもなかなか切り捨てることのできないものとは何でしょうか。それはわたしたちをあるべき姿から引き離そうとする「誘惑」ではないでしょうか。
たとえば、今日済ませなければならないものを明日に回すこと。それは誘惑のなせるわざです。わざわざ近づかなくてもよいものに、近づいてみること。あえて失わなくてもよいものを失って後悔すること。誘惑する材料はたくさんあって、それらはしばしば切り捨ててしまわなければ離れることはできないのです。誘惑となるものを近くに置いていながら、誘惑に陥らないように努力するのは時間と労力の無駄です。
さて誘惑について、福音書の別の箇所にはとても興味深いことが書かれています。イエスは誘惑に陥らないようにとマタイ・マルコ・ルカ福音書これら共観福音書のいずれでも仰っているのですが、そのどれもが、誘惑に陥らないように祈ることを教えています。
「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」(マルコ14・38)生活の中にたえず祈りが織り込まれている人は、誘惑に陥らずに済むと、イエスは言っておられるのです。これはよくよく肝に銘じたいと思います。
切れ目なく繋がっているわたしたちの身体。身体に関して言えば、その一部分を切り捨ててしまうことほど辛く耐えがたいことはないでしょう。イエスとわたしたちの繋がり、信仰生活と社会生活の繋がりも、本来は切れ目なく一体であるはずです。
つまずきや誘惑は自分や隣人をイエスとの繋がりから断ち切らせるものです。イエスは、ご自分との繋がりを危うくするものは、手や足を切り捨ててしまうくらいの決意でしりぞけるように命じます。つまずきとなるもの、また誘惑ときっぱり縁を切る。切り捨ててしまう。そうやってイエスとの繋がりをいつも良い状態に保ちましょう。
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▼最近2つの特筆すべき事があった。まずインターネット通販で買い物をしようとして、2度ならぬ3度までキャンセルせざるを得ない状態になった。3回の買い物すべてを思い出せないので、災害時の非常用懐中電灯のことを書いてみる。
▼台風14号の際、五島列島は怖くて眠れないような時間を過ごした。台風のときに巡回先の教会付属の司祭館になくて困ったのが懐中電灯だ。これは必要だと思い、手回しで充電できる便利そうなものを見つけて注文した。
▼送料込みでだいたい2000円くらいだっただろうか。良心的な値段だと思い、1個注文してみた。しばらくして店舗から確認メールが来たのだが、五島列島に商品を届けるには、中継料が必要だという。しかも1000円も。
▼これでは高すぎる。仕方なくキャンセルの連絡をした。数時間で、「キャンセル承りました」という連絡が来た。「相変わらず早いなぁ。」それが最初の注文だった。実はこれに懲りずに、他社で似たような値段の同じ商品を見つけ、注文をかけてみた。送料込みで1980円。
▼するとこの会社からも、「中継料1000円をいただきます」ときた。冗談じゃない。広報委員会とかマリア文庫など、長崎で受け取ってくれそうな住所に送ってもよかったのだが、そこまでするほどの商品だろうかと思っているうちに注文する気持ちが薄れてきた。
▼もう一つは、亡くなった自分の父親が夢枕に立ったということだ。これまで一度も亡くなった父の夢を見たことはなかったが、先々週だったと思う、父と親しく話しをした。まったく内容は覚えていない。けれども一人の人間として、互いを尊重して和やかに会話した感触は残っている。
▼父は何か話したかったのだろうか。何か伝えたいことがあったのだろうか。父ともう一度夢で会えるなら、わたしは何を話そう。今どこにいるのかを聞くかもしれない。
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