こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23)聖霊体験は身近なところにある。それを伝えよう

2023-05-27 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/5/28(No.1239)
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聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23)
聖霊体験は身近なところにある。それを伝えよう
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聖霊降臨の主日を迎えました。この祭日が終わると、教会の暦は復活節から年間の季節に移ります。「アレルヤの祈り」も聖霊降臨翌日から「お告げの祈り」に戻ります。「お告げの祈り」と「アレルヤの祈り」の切り替えは、幼い頃母親がていねいに教えてくれました。中学までしか卒業していない母ですが、今も人生の教師でいてくれます。有難いことです。

「お告げの祈り」「アレルヤの祈り」でも気づかれた方がおられると思いますが、聖霊降臨の出来事もご昇天の出来事同様に、復活したイエスとの結びつきを大切に考えて黙想するのが良いと思います。聖霊降臨の出来事は、イエスが教えておいたことをことごとく理解させ、悟らせる体験でした。

第一朗読で、あらゆる国からエルサレムに帰って来ていた信心深いユダヤ人たちは、地方出身の田舎者に過ぎない弟子たちが神の偉大な業を語っているのを聞いて、あっけにとられてしまったとあります。聖霊がとどまっていた弟子たちは、神の国の福音を、単なる読み聞かせとか受け売りのように語ったのではなく、「イエス・キリストの身分において」大胆に語りました。「霊」が語らせるままに語ったのです。

「霊」が語らせるままに語った。それは止まらないおしゃべりや、いつまでも続く世間話ではありません。弟子たちは、三年間共にいたイエス・キリストの教えを、聖霊の導きによって深く悟り、正確に語り始めたのです。聖霊は、イエスが弟子たちのそばにいたときと同じように、教え導いてくれるのです。

聖霊降臨の出来事を、中田神父の体験から「こうではないかな」と思う時があります。それは、一度にたくさんのことができたときです。たとえば、受難の主日の一週間、司祭たちはいくつもの説教を準備しなければなりません。受難の主日・聖木曜日・聖金曜日・復活徹夜祭・復活の主日(日中)と、一週間の合計で五つの説教を準備しなければならないのです。

すべて朗読が違っていれば、すべて違う内容を用意する必要があります。生涯に一度だけ、一週間に五回の説教を用意するのではありません。毎年、たぶん50年くらい用意しなければならないのです。50年分、材料がどこかにあれば良いですが、おそらくそんなものはどこにもないでしょう。この、聖なる一週間の準備を、すべての司祭がかろうじてできているのは、私は聖霊の働き、聖霊降臨の働きだと思っています。

芸術家や作家、画家や漫画家、こうした人が言うセリフがあります。「作品が降りてきた」と。中田神父も、そういう体験をしてきました。説教が降りてくることがあるのです。それは突然やって来て、まごまごしていたら去って行きます。突然降りてくる説教を、ただ私は書き留める。そんな体験がまれにあるのです。

もちろん、そんなにめったに起こるわけではありません。多くの説教は悪戦苦闘して、ばた狂いながら用意したものです。話しながら「納得はしていないのだけれども」と思いながら話していることも、実際にはあります。

それでも、聖霊降臨の恵みは十分信じるに値します。私たちは聖霊の照らしによって、自分では解決できなかったことを解決し、理解できなかったことを理解することがあるのです。それは間違いなく、聖霊が注がれて、あなたを助けてくれたのです。

口でどれだけ説明を受けても理解できなかったことが、ある日理解できるようになる。父親になる前は父親の話が理解できませんでした。母親になる前は母親の言い聞かせが理解できませんでした。いざ父親・母親になって、父母が教えてくれたことが理解できるようになる。そこには、聖霊の働きがあるのです。父親母親になれば誰でも理解できるようになる。そんなものではないのです。

私たちは、聖霊降臨を難しく考えていたかも知れません。復活したイエスの語る言葉がしみじみと分かるようになった。私たちはこのような形で、聖霊降臨の体験をしているのです。選ばれた人の、特殊な体験ではないということです。

聖霊を受けた弟子たちはあちこちで宣教するようになりました。私たちは堅信の秘跡によってすでに聖霊を受けた人ですから、宣教の務めは私たちにも向けられているのです。「いつかあなたが父親母親になったときに分かるよ。そのとき聖霊が働いて、理解させてくれるよ。」私たちの宣教は、こんな声かけから始まるのではないでしょうか。

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‥次の説教は‥‥
三位一体の主日(ヨハネ3:16-18)
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ちょっとひとやすみ
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▼「お前なぁ、60歳にならんと言えんこともあるとぞ。」最初に師事した主任神父様が個人的に忠告してくれた言葉がこれだった。もう少ししたら60歳になる。「いつかあなたが父親母親になったときに分かるよ。そのとき聖霊が働いて、理解させてくれるよ。」これに通じるものがある。
▼似たようなことかも知れないが、話している主任神父様は、おそらく浦上で初めて助任司祭を抱える主任司祭になったと思う。「いつかあなたが、助任司祭を抱える主任司祭になったときに分かるよ。そのとき聖霊が働いて、理解させてくれるよ。」私が今、同じ立場になって分かってきたこととは、いったい何だろうか。

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今週の1枚
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第846回目。福江教会は、どこから撮影したら見栄えのする写真が写せるのだろうか。

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† 神に感謝 †
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主の昇天(マタイ28:16-20)主は御父の右にいて、わたしたちと共にいてくださる

2023-05-19 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/5/21(No.1238)
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主の昇天(マタイ28:16-20)
主は御父の右にいて、わたしたちと共にいてくださる
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主の昇天の祭日を迎えました。来週の聖霊降臨を迎えるまでが典礼暦は「復活節」です。すると、ご昇天、聖霊降臨、ともにイエスの復活との繋がりを意識して思い巡らすべきです。少しそのことを意識して考えてみました。

中田神父が助任司祭時代に堅信組を受け持たせてもらい、いよいよその子たちが堅信前の直前の試験を受けることになりまして、私は口頭試験の部分を受け持ちました。その中で、「イエス様の御生涯を、自分の言葉で説明する」という項目がありました。

「イエスは人としてはマリアから生まれ、30歳の時に十二人の弟子を集めて宣教活動に入り、ことばとしるしで神の国の福音を告げ知らせ、苦しみを受け、十字架上でお亡くなりになり、死んで三日目に復活し、天に昇って御父の右に留まり、約束の通り聖霊を送ってくださいました。」

これを、文字通りには言えなくとも、言える範囲で信仰表明してほしい。そう言う狙いがありました。筆記試験で不合格になりそうな生徒を救ってあげるためのものでもありました。口頭試験ですから当然緊張します。上がってしまって、しどろもどろになることもあります。どの子も何とか自分の覚えている範囲で言って、それを聞いている私たちが少し助けてあげて、口頭試験での点数を増やしてあげていました。

ある堅信組生徒が、「マリア様から生まれ、十二人の弟子を集めて・・・」とすらすら答え始めたのですが、「死んで三日目に復活し」のあとをど忘れしたのか言葉が出てこなくなりました。「復活してどうした?」「復活したんだから、この世の体にはもう縛られないよ。どうなったかな?」

私の投げかけがさらに緊張させるのか、いよいよ黙ってしまいました。そこで緊張を解いてあげようと、次のヒントを出したのです。「ヒントをあげよう。『たったたたたたた、たった。たったたたたたた、たった。』神父様の歌で何か思い出さないか?」

我ながら、的確なヒントをあげたなぁと感心していたのです。ところがこの生徒、顔はほころびましたが答えには結び付きませんでした。私は歌を最後まで歌い上げました。それでもついに、「しょうてん」という言葉は出てきませんでした。「主の昇天」でも、落語の「笑点」でも、どちらでも点数を上げるつもりだったのですが残念でした。

まぁとにかく、私たちは「主の昇天」をイエスの復活との繋がりの中で考える必要があります。イエスの復活は、「死者の中から復活した」そのことに目が向かいますが、昇天の出来事は、救い主がもはやこの世の体や、時間や、場所にとらわれないお姿で私たちを守ってくださる。そのことに目を向けるきっかけにしてほしいのです。

考えてみてください。私たちは主日のミサを決まった時間にささげています。朝6時とか朝9時とか、決まっていますね。その、決まった時間にミサをささげて、「この祭壇の上にイエス様がおられますよ」と話した場合、もしこの世の体や時間や場所に縛られていたら、ほかの教会で全く同じ時間に主日のミサをささげているとき、そこには留まることができないわけです。

中田神父も、三つの教会の主任神父ですから、井持浦にも浜脇にも、定期的に姿を見せたいなと思っています。ただ人間である中田神父は、同じ時間に別の場所に存在することはできないのです。毎週福江教会の主日ミサをささげたいですが、復活し、昇天したイエス様と同じようにはいかないのです。

天に昇られたイエス様は、この世のすべての制約から解かれて、自由にすべての時間と場所にいてくださり、私たちのために配慮してくださいます。ですから私たちは、主の昇天を心から喜びます。復活された主が、御父の右におられるから、日本中で主日のミサに同時におられ、世界中で主日のミサに同時にいてくださいます。中村大司教様のささげるミサにも、私のささげるミサにもいてくださいます。心から感謝します。

この喜びは、教会に来たときだけのものでしょうか?朗読された福音を読み返してください。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28・20)あなたがたはだれでしょうか?使徒たちだけの話でしょうか?もちろん私たちもです。

私たちが聖母月のロザリオを唱えるとき、朝晩の祈りをささげるとき、食前食後の祈りの時も、この世の一切の制約から解き放たれて御父の右におられるイエスが、いつもあなたがたと共にいるのです。だから、主の昇天を喜びましょう。「復活したイエス様は、今や、いつも私たちと共にいてくださいます!」この信仰を携えて、今週一週間に入りましょう。

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‥次の説教は‥‥
聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23)
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ちょっとひとやすみ
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▼福江教会信徒のお世話で、船で釣りをすることができた。魚は修道院に。大漁だったのでかえって迷惑をかけたのではないかと思ったが、喜ばれたようだ。
▼散髪に行った。浜串教会でいちばん多い名前の理容院名だった。カタカナ名、「ヘアーサロン」とか「カットハウス」こういう名前の付かない条件で見つけた理容院。予想通り、ご主人は浜串出身の人で福江教会の信徒だった。これから散髪が楽しくなるぞ。

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今週の1枚
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第845回目。長崎「あぐりの丘」のバラ園に出かけた方の写真提供。心に潤いが。

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† 神に感謝 †
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復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)あなたが、これから人を喜ばせる「ルルド」になる

2023-05-11 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/5/14(No.1237)
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復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)
あなたが、これから人を喜ばせる「ルルド」になる
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復活節第6主日を迎えました。来週からの一連の祭日で復活節が締めくくられ、年間の主日に移っていきます。一連の祭日を覚えましょう。「主の昇天・聖霊降臨・三位一体・キリストの聖体」です。これに「イエスのみ心」も付け加えると、五つの祭日がこの順番でやって来て、典礼暦は復活節から年間へと移っていきます。典礼暦をお勉強している子どもたちには、すごく役に立つ知識です。

今週の福音朗読は、朗読の始まりが「わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(14・15)、朗読の結びが「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である」(14・21)となっていて、「イエスを愛することと掟を守ることは、互いに密接な関係がありますよ」そう教えてくれます。

イエスを心からお慕いし、敬っているなら、喜んで掟を守るでしょうし、神が示される掟を守る原動力は、いつもイエスへの愛から出ているのです。私たちが日々カトリック信者として実行している掟は、イエスを愛している証しにもなっています。さらにイエスへの愛と、守るべき掟は互いに関係して、聖霊の恵みが豊かに湧き出る泉となるのです。

5月14日、下五島地区で四年ぶりに地区の行事として井持浦ルルド祭が行われます。ルルドの由来は、1858年、ベルナデッタがマッサビエルの小さな洞窟で聖母の出現を受けて、近くに住む人々が集まるようになり、それから多くの巡礼者も集まって祈りの場所になっていった、そういう場所でした。

ベルナデッタは聖母マリアの出現の前も出現後も、変わらず真っ直ぐに神様を見つめる目を持っていました。澄んだ心と目を持っていた彼女に、聖母マリアは現れてくださいました。マリアはベルナデッタに、15日間続けて洞窟に来るようにお願いします。神様への敬虔な心を持っていた彼女は、素直にこのお願いに従いました。神様への愛が、約束を守るベルナデッタの原動力でした。

2月25日のご出現のときです。「そのお方」は水をすくって飲むようにお命じになります。けれども洞窟のくぼみに水はなく、近くの川に行って水を飲もうとしましたが、「そうではなく、洞窟から水を汲んで飲み、顔を洗いなさい」と促されました。

泥を手ですくってみますが、少しの水しかなく、しかも泥だらけです。三回、すくってはその水を捨てました。四度目に、ようやく水を飲んだのです。ベルナデッタの目には「水のない場所」でしたが、「そのお方」の言葉を信じ、神様への愛に動かされて、命じられたことを実行したのです。

実はこの日のうちに、二人の人が洞窟の水を瓶に詰めて持ち帰りました。一人は病気の父親に飲ませようと考えた人、もう一人は片方の目を病んで眼帯をしているたばこ屋の息子でした。二人目のたばこ屋の息子のほうは、何と数日経って眼帯が取れていました。

さて、2月25日の聖母マリアのご出現を中田神父はこう考えました。のちにルルドとして知られるこの洞窟では、水のない場所から水を飲んだのです。実際、水は見つけられず、ベルナデッタは別の川から水を飲もうとしていたのです。「水のないところから水を飲んだ。」それがルルドの最初の出来事だったのではないでしょうか。

私たちは、井持浦ルルド祭を祝っています。私たちがここをルルドと言うなら、それは「聖母マリアを通して、水のないところから水を与えてくれる神様を信じている」そういうことになります。ベルナデッタが、水なんて流れていないと考えていた場所を、神様は水の湧き出る場所にしてくださいました。聖母マリアを通して、それは実現しました。

私たちはこの一連の出来事を信じているでしょうか?この井持浦ルルドもまた、私たちに信仰の豊かな水を湧き出させてくれる場所だということを信じているでしょうか。そこからさらに、お一人お一人の生活そのものが、イエスを愛し掟を守るなら、聖霊の豊かな恵みが湧き出る泉となること、いわば「ルルド」となることを信じているでしょうか。

結婚生活に置かれている人は互いに相手を信じ、イエスを愛し掟を守ることで、この生活を聖霊の豊かな恵みが湧き出る泉、ルルドにすることができます。そのことを信じているでしょうか。親子での生活も、親が子どもを信じ、子が親を信頼する中で、家庭を聖霊の豊かな恵みが湧き出る泉、ルルドとしていくのです。

奉献生活者も、共同生活を続ける姉妹たちが、神への愛に根を張って掟を実践するなら、修道院は聖霊の恵みが湧き出るルルドとなるのです。人のことばかり言っていますが、中田神父も、主任司祭として自分の助任を信じて、互いに愛し合い、掟を守ることで、司祭館が聖霊の豊かな恵みの湧き出るルルドとなる。そう信じています。

今年、四年ぶりに地区行事として井持浦ルルド祭を祝うことができました。ルルドで起こった出来事を持ち帰り、生活の場所がこれからの「ルルド」となるようにしましょう。「わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」愛するイエスの示す掟を生きて、出会う人に恵みの水を飲ませる人になりましょう。

ベルナデッタの時のように、三回目くらいまでは、泥水かも知れません。ですがきっと四回目あたりには良い水が湧き出て、人を喜ばせることができるに違いありません。あなたが、これから人を喜ばせる「ルルド」になるのです。

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‥次の説教は‥‥
主の昇天(マタイ28:16-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼「声の奉仕会マリア文庫」というボランティア団体がある。朗読に支障をきたす方々に、録音をして情報を提供する活動をしている。依頼された本を読んだり、雑誌を読んだり、マリア文庫でまとめた定期的な録音物も発行している。
▼今回の人事異動で、中田神父がこの代表を今後も務めるのは困難だと判断した。今でも、目の前の状況について行くので必死になっている。これまで続けてきたこととは言え、小教区への配慮に割く時間は以前よりも多く、両立は難しそうだ。
▼代表を引き継ごうと考えているが、しかしこの「声の奉仕会マリア文庫」の今後の方針にも左右される。難しい判断を迫られている。難しいことばかりだ!

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今週の1枚
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第844回目。時間給で働く。タイムカードを導入。始めは使い方が分からん!

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復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)通らなければならない道をきっちり通りましょう

2023-05-06 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/5/7(No.1236)
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復活節第5主日(ヨハネ14:1-12)
通らなければならない道をきっちり通りましょう
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先週、教区評議会総会がありまして、前任地田平教会の新しい議長になられた方とお会いしました。その際お菓子を二種類頂きまして、そのうちの一つは「平戸こいしや」というお菓子でした。平戸ではよく知られたお菓子です。でも心の中でこう思ったんです。「これは、食っちゃいけない。」どうしてだと思いますか?

中田神父は意地悪な人間なので、答えを言わずに説教の本題に入ろうと思います。イエスはこう仰いました。「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」(14・4)けれどもトマスは理解していません。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」(14・5)

トマスが福音書で登場する場面が三つあって、そのうちの一つがここですが、トマスはどんくさいですね。三回とも、格好悪い役回りで登場します。トマスの霊名をいただいている中田神父は、一回くらいは格好いい場面で登場していたらとどんなに思ったことでしょう。

イエスはこのどんくさいトマスも含めて、どのようにして弟子たちが「父に至る道」を知ることができるかを教えてくださいました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(14・6)イエスを通ることで、弟子たちは「父に至る道」を知ることになります。これから、弟子たちは皆、イエスが通られた道を通って、御父に至るのです。

イエスが通られた道。それは易しい道ばかりではありません。「イエスがガリラヤ中をめぐって宣教された」それを同じように見倣うだけなら、そう難しくはないでしょう。しかしイエス様は血の汗を流すほど悩み苦しまれたのです。むち打たれ、茨の冠をかぶせられ、十字架にかけられ、槍で貫かれたのです。ありとあらゆる苦しみを通られたのです。

弟子たちも、この道を通らなければなりません。イエス様ですら、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイ26・39)と願った道ですが、それでも通らなければ御父に至ることは叶わないのです。

そしてこの、イエスが通られた「父に至る道」は、十二人だけに要求していることなのでしょうか?いいえ、違います。洗礼を受けてキリスト者になったすべての人にイエスは同じことを求めるのです。「あなたも、わたしを通らなければなりませんよ」今もイエスはそう言っておられるのです。

「こんな道は通れない。」誰にとってもそのような体験はあるでしょう。恥をかかされるようなことや、自分を捨てなければとても引き受けられないようなことを、あるとき強いられるかも知れません。しかし、キリスト者であればどんな人も、それぞれ置かれた場所で、イエスが通られた道を通らなければならないのです。同じ道を通らなければ、私たちは御父のもとにたどり着けないのです。

教区評議会を終えて、中田神父は三日間実家の鯛ノ浦に帰りました。茨城に住んでいる妹と、私の甥っ子になる妹の子が、里帰りしていました。甥っ子は小学六年生ですが洗礼を受けていません。カトリックのことを全く知りません。ですから私を呼ぶときに、「おー、こうじ神父。ひさしぶり」と呼びます。カトリックの中で育っている中田神父は「何を!」と思いますが、カトリックの中で育っていなければ、「こうじ神父。今度また会おうね」と言われてもしかたがありません。

そこで私は、木曜日と金曜日、甥っ子を朝5時半に起こして、ミサに連れて行きました。「わたしを見た者は、父を見たのだ」(14・9)これを体験させるためです。「こうじ神父」に過ぎない私を通して、何か聖なるもの、見えない何かに中田神父がお仕えしていることを感じさせるためです。いつか甥っ子も、「おーい神父」から「神父さん」と呼んでくれる日を、もっと言えば洗礼を受けて「神父様」と呼ぶ日を、ひたすら願い続けています。

冗談と思われるかも知れませんが、今週の説教をこう結びましょう。「主任神父様、なぜ『平戸こいしや』を食べてはいけないのか、わたしたちには分かりません。どうして、その理由を知ることができるでしょうか。」

中田神父は言った。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも私を理解できない。」これから数年間、中田神父の言葉と行いを通ってください。そうして初めて、私が皆さんをどんな方法で御父のもとに連れて行こうとしているのかが分かると思います。

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‥次の説教は‥‥
復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)
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ちょっとひとやすみ
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▼実家に連休で帰った。助任たちには留守をお願いした。妹とその子(甥っ子)が同じタイミングで帰省していた。今年はずっと雨。ちょっと不運だった。それでも一年で大きく成長した甥っ子を見ることができたのは良かった。
▼少し気持ちを緩めるために来たが、帰省している間にも福江教会で葬儀が入り、また、福江に戻ってみると教区司祭が命の危険にある状態という連絡が入った。本当にゆっくりするのはこの赴任地では難しいのかも知れない。

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今週の1枚
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第843回目。上五島で目に留まった。採取してよく食べた。ふるさとの味。

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