こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第7主日(マタイ5:38-48)希望の扉を開く家族になろう

2023-02-18 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/2/19(No.1222)
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年間第7主日(マタイ5:38-48)
希望の扉を開く家族になろう
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本日、親子での洗礼式が入りました。特にお子さんと一緒に洗礼を受けるお母さんは、朗読された聖書の言葉から、洗礼を受けた後の人生をどのように歩いたらよいか、汲み取ってほしいと思います。

朗読された箇所は、「敵に対してどのように振る舞うべきか」を教えてくれますが、いくつかは、「敵」ではなく「自分の子」に対してどのように振る舞うべきか、と受けとめて考えてみると良いと思います。

例を挙げましょう。「だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。」(5・41)一ミリオンはだいたい1480メートルだそうです。遊園地、例えばハウステンボスに出かけたとしましょう。すると子どもはあっちにも行こうこっちにも行こう、まぁ次々と両親を引っ張り回すと思います。子どもが行きたいと言っても、親は足が疲れたらいつまでも付き合えません。そんな事情を子どもは考えませんから、一日くたくたになるまで付き合わされることになります。

しかしもし、子どもに最後まで付き合って、子どものほうが降参するまで一緒に歩けば、子どもは親の深い愛を受けとめるでしょう。それは遊園地だけのことではありません。今日洗礼を受けるこの子は、二週間もすれば初聖体を受けます。初聖体を受け、卒園して小学校に上がると、教会では教会学校に通うでしょう。お母さんよりも早く、祈りを覚え、先へ先へと進む子どもと、ぜひどこまでも付き合ってください。

初聖体、その後の堅信へと、子どものカトリック信仰が成長し、先へ進むのに合わせて、お母さんもたとえ一ミリオンだろうが二ミリオンだろうが、ずっと一緒に歩いてほしいのです。

「求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」(5・42)これも子どもと親の間で当てはまります。ついこの前与えたばかりなのに、子どもは平気で壊したり無くしたりします。「あんまりひどいから、代わりの物はあげない。」そう言いたくなりそうですが、背を向けず、辛抱強く与えてください。

私は小学生の時、祈祷書を無くす困った子どもでした。「無くす」というよりは、教会バックを持って回るのが面倒くさかったのです。そのためどこで無くしたのかも分からず、母親を大変困らせていました。あまりにも無くすものだから、最終的に母親は、祈りを一つ覚えてからでないと外に遊びに行くのを許さなくなり、そのせいで中田神父はほとんどの祈りを覚えたのでした。ちなみに学校内での漢字の試験は、祈りを暗記する習慣が付いてから同級生に負けたことがありませんでした。

今日親子で洗礼を受けることで、親子はあらためて教会の扉を開いた、と中田神父は考えています。この扉は、洗礼を受けた親子と家族にとってどんな扉でしょうか。中田神父は「希望の扉」と言って良いと思います。洗礼によって希望の扉を開いた親子は、扉の先で、イエス・キリストからたくさんのお世話を受け、恵みで満たされるのです。扉の向こうにイエス・キリストが待っていて、迎えてくださるから「希望の扉」なのです。

ぜひこれからも、「希望の扉を開く家族」として成長していってください。教会でこれからお世話になる扉は、「向こうに誰が迎えてくれるのか分からない」そういう扉を開けようとしているわけではありません。扉の向こうで必ずイエス様が待っていて、恵みでいっぱいにしてくださいます。喜びでいっぱいにしてくださるのです。

日々の生活では、「この扉の向こうはどうなっているのだろう」そんな心配をしながら前に進むこともあるかも知れません。しかし教会でお世話になる扉は常に「希望の扉」です。安心して、信頼して教会生活を進めていきましょう。

できれば、家庭で一日の始まりにお祈りをちょっとして(たとえば家族で主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱を唱える)、一日の始まりも、神様に向かって扉を開いてくれると、希望に満ちた一日を始めることができると思います。

今日の洗礼式を通して、ご家族みなが「希望の扉を開く生活」がどんなものかを知りました。周りの方々も、どうか良いお手本となって、田平教会家族がそろって、「希望の扉を開く」教会家族となりますように。それではこれから、洗礼式を始めることにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第1主日(マタイ4:1-11)
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ちょっとひとやすみ
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▼大司教様、田平小教区を公式訪問してくださりありがとうございます。大司教様が訪問してくださったことで、田平小教区は勇気を持って目の前の難題に正面から立ち向かうチャンスを頂きました。
▼大司教様が公式訪問する機会は数年に一度なので、次に訪問されるときには今回の課題とすでに取り組んで、新しい課題や目標を見つけていることでしょう。大司教様がともに歩んでくださる姿を見せてくださることで、小教区は安心できます。
▼どうかこれからもお体に気をつけられて、この長崎大司教区を導くイエス様の見えるしるしとなってください。いつも考えていることは、大司教様が取り組んでいきたいことに、長崎教区民は全力で協力する、ということです。

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今週の1枚
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第829回目。もしチャンスがあれば、ミサの様子・信徒との集いの様子を。

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ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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