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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/7/30(No.1248)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第17主日(マタイ13:44-52)あらゆる出来事に神の働きを見る弟子になる
‥‥‥†‥‥‥‥
木曜日まで、中田神父が応援している広島カープが10連勝しまして、ついにセ・リーグの首位に立ちました。あまりの嬉しさに金曜日の朝ミサでは「主任司祭に何かおねだりするなら今ですよ」と話したのですが、金曜日のナイターでは阪神にメッタ打ちに遭い、一日で首位を明け渡してしまいました。今日何をおねだりしようとしても、もう手遅れです。
皆さんはどう思いますか。私は「あらゆる出来事に神の働きを見いだす人」が、世の中にはいるなぁと感じます。どんな些細な出来事からも、それがたとえ思い通りでない場合にも、あらゆる出来事に神の働きを見つけ、感謝したり謙虚に受け入れたりできる人です。
同じ場面でも、神の働きを見いだせない人には不平や不満、時には怒りが生じたりします。中田神父も、「ここは当然私の出番であろう」という場面に備えていたのに出番が無く、残念を過ぎて怒りを覚えた経験があります。しかしそんな場面にも神の働きは確かにあるわけで、備えが役に立つのはもう少し後なのかもしれないと思い直しました。
駆け出しの司祭の頃、主任神父様の説教を、告解場や香部屋で何度も聞いておりました。「あんな単純な説教なら、自分にだってできる」と思わせるような素朴な説教でした。実際には、易しい言葉で説教をするのは至難の業なのです。考えれば考えるほど、何かを参考にすればするほど、主任神父様の単純な語り口から遠のいていくのでした。
あれから30年が経ちました。今なら分かります。お仕えした主任神父様は「あらゆる出来事に神の働きを見いだす司祭」でおられたので、どんな些細なことからでも福音に繋げて話すことができていたのです。今まさに話題になっている出来事からでも、過去の出来事からでも、自由自在に天の国の、持ち物をすっかり売り払ってでも得たいと思わせる有難い説教を、届けることができたのでした。
今週の福音朗読に「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(13・44)また、「商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(13・45-46)とあります。ひとたびこのような宝物を手にしたら、他の物は一切横に置くことができる。これは本当だと思います。
中田神父は、この「畑に隠された宝」「高価な真珠」を中学生の時に見つけました。それは二十六聖人ミサの説教でした。その年、説教師に指名された神父様は冒頭次のように語りかけました。「あなたがたは何を見に、ここに集まったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。」
2月5日の夜、凍えるような寒空の中、神学生だったので義務的にミサに参加していた少年に、説教師の言葉は心を打ちました。「司祭になったら、いつかきっと今日の神父様のような心に残る説教をしたい」と思ったものです。当時は、説教中も「はよう終わらんかな」とばかりに下を向いていたので説教師がどなただったのか知りませんでした。
司祭になり、浦上教会の助任となり、最初の復活徹夜祭を無事に終えて司祭館食堂で一杯やろうということになりました。主任神父様がおもむろに「司祭になろうと決心した出来事を何か一つ皆で分かち合おう」と誘ったのです。先輩の助任神父様から順に体験を分かち合い、私の番になったので先ほどの二十六聖人の説教の話をしました。
その時初めて知ったのです。主任司祭の川添神父様が「その説教をしたのは私だ。よく司祭になってくれた」と答えたのでした。私は中学生の時に見つけた「高価な真珠」を手に入れ、すべてを横に置いて司祭になったわけですが、その高価な真珠にもう一度出会わせてくださったのは、単純素朴な説教でミサ参加者の心を掴んでいた川添神父様だったのでした。
「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」(13・52)一つの道も、歩き始めたときは真っ直ぐに前を見つめて歩くとは限りません。天の国のことを学び始めていてもこの世の景色もたくさん目に入り、よそ見をするかも知れません。
しかし「天の国のことを学ぶ」という一つの道を歩み始めたのなら、よそ見をせず、真っ直ぐに歩いてほしいと願っています。「天の国の宝」は「畑に隠された宝」であり、「高価な真珠」です。持ち物をすっかり売り払って手に入れるのにふさわしい宝なのです。中田神父はそのことを自信を持って言えるようになるまで30年かかりました。
天の国のことを学んで、一人前の学者になるには、もしかしたら数十年かかるのかも知れません。「自分の倉から新しいものと古いものを取り出す」これができる必要があるからです。「新しいもの」と「古いもの」両方を自在に使えるようになって、ようやく一人前ではないでしょうか。
新約聖書のヤコブの手紙1章25節に次のように書かれています。「しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。」
あなたが、人生という持ち物をすっかり売り払って手に入れるのにふさわしい宝であるイエス・キリストを見つけたのなら、ほかには目を向けず、一心に見つめましょう。すると、イエス・キリストがあらゆる出来事に働きかけてくれていることに気付くでしょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
主の変容(マタイ17:1-9)
‥‥‥†‥‥‥‥
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ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼地区全体での小中学生の黙想会が無事に終わった。一日黙想会という形で、小学生低学年・高学年・中学生の部に分かれて実施した。各小教区、その小教区の足跡をたどる学びを経てそれを模造紙にまとめるわけだが、福江教会の小学生低学年は「これまで18人の主任神父様が福江教会で働いてくれました。四月に19代目の主任神父様が来てくれました。顔と名前を覚えましょう。」この取り組みをした。
▼簡単に言うと似顔絵を描いた訳だが、その中に目を丸くするような絵を描いてくれた子がいた。聞けば、小学1年生だという。とても1年生の絵には見えない。県展に出品しても遜色ないのではないかというレベルだった。将来が楽しみだ。そして、いつまでも中田神父を描いてくれたことを忘れないでいてほしい。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第855回目。福江教会の小中学生黙想会の学びを模造紙にまとめた。頑張った。
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† 神に感謝 †
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木曜日まで、中田神父が応援している広島カープが10連勝しまして、ついにセ・リーグの首位に立ちました。あまりの嬉しさに金曜日の朝ミサでは「主任司祭に何かおねだりするなら今ですよ」と話したのですが、金曜日のナイターでは阪神にメッタ打ちに遭い、一日で首位を明け渡してしまいました。今日何をおねだりしようとしても、もう手遅れです。
皆さんはどう思いますか。私は「あらゆる出来事に神の働きを見いだす人」が、世の中にはいるなぁと感じます。どんな些細な出来事からも、それがたとえ思い通りでない場合にも、あらゆる出来事に神の働きを見つけ、感謝したり謙虚に受け入れたりできる人です。
同じ場面でも、神の働きを見いだせない人には不平や不満、時には怒りが生じたりします。中田神父も、「ここは当然私の出番であろう」という場面に備えていたのに出番が無く、残念を過ぎて怒りを覚えた経験があります。しかしそんな場面にも神の働きは確かにあるわけで、備えが役に立つのはもう少し後なのかもしれないと思い直しました。
駆け出しの司祭の頃、主任神父様の説教を、告解場や香部屋で何度も聞いておりました。「あんな単純な説教なら、自分にだってできる」と思わせるような素朴な説教でした。実際には、易しい言葉で説教をするのは至難の業なのです。考えれば考えるほど、何かを参考にすればするほど、主任神父様の単純な語り口から遠のいていくのでした。
あれから30年が経ちました。今なら分かります。お仕えした主任神父様は「あらゆる出来事に神の働きを見いだす司祭」でおられたので、どんな些細なことからでも福音に繋げて話すことができていたのです。今まさに話題になっている出来事からでも、過去の出来事からでも、自由自在に天の国の、持ち物をすっかり売り払ってでも得たいと思わせる有難い説教を、届けることができたのでした。
今週の福音朗読に「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(13・44)また、「商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(13・45-46)とあります。ひとたびこのような宝物を手にしたら、他の物は一切横に置くことができる。これは本当だと思います。
中田神父は、この「畑に隠された宝」「高価な真珠」を中学生の時に見つけました。それは二十六聖人ミサの説教でした。その年、説教師に指名された神父様は冒頭次のように語りかけました。「あなたがたは何を見に、ここに集まったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。」
2月5日の夜、凍えるような寒空の中、神学生だったので義務的にミサに参加していた少年に、説教師の言葉は心を打ちました。「司祭になったら、いつかきっと今日の神父様のような心に残る説教をしたい」と思ったものです。当時は、説教中も「はよう終わらんかな」とばかりに下を向いていたので説教師がどなただったのか知りませんでした。
司祭になり、浦上教会の助任となり、最初の復活徹夜祭を無事に終えて司祭館食堂で一杯やろうということになりました。主任神父様がおもむろに「司祭になろうと決心した出来事を何か一つ皆で分かち合おう」と誘ったのです。先輩の助任神父様から順に体験を分かち合い、私の番になったので先ほどの二十六聖人の説教の話をしました。
その時初めて知ったのです。主任司祭の川添神父様が「その説教をしたのは私だ。よく司祭になってくれた」と答えたのでした。私は中学生の時に見つけた「高価な真珠」を手に入れ、すべてを横に置いて司祭になったわけですが、その高価な真珠にもう一度出会わせてくださったのは、単純素朴な説教でミサ参加者の心を掴んでいた川添神父様だったのでした。
「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」(13・52)一つの道も、歩き始めたときは真っ直ぐに前を見つめて歩くとは限りません。天の国のことを学び始めていてもこの世の景色もたくさん目に入り、よそ見をするかも知れません。
しかし「天の国のことを学ぶ」という一つの道を歩み始めたのなら、よそ見をせず、真っ直ぐに歩いてほしいと願っています。「天の国の宝」は「畑に隠された宝」であり、「高価な真珠」です。持ち物をすっかり売り払って手に入れるのにふさわしい宝なのです。中田神父はそのことを自信を持って言えるようになるまで30年かかりました。
天の国のことを学んで、一人前の学者になるには、もしかしたら数十年かかるのかも知れません。「自分の倉から新しいものと古いものを取り出す」これができる必要があるからです。「新しいもの」と「古いもの」両方を自在に使えるようになって、ようやく一人前ではないでしょうか。
新約聖書のヤコブの手紙1章25節に次のように書かれています。「しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。」
あなたが、人生という持ち物をすっかり売り払って手に入れるのにふさわしい宝であるイエス・キリストを見つけたのなら、ほかには目を向けず、一心に見つめましょう。すると、イエス・キリストがあらゆる出来事に働きかけてくれていることに気付くでしょう。
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‥次の説教は‥‥
主の変容(マタイ17:1-9)
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ちょっとひとやすみ
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▼地区全体での小中学生の黙想会が無事に終わった。一日黙想会という形で、小学生低学年・高学年・中学生の部に分かれて実施した。各小教区、その小教区の足跡をたどる学びを経てそれを模造紙にまとめるわけだが、福江教会の小学生低学年は「これまで18人の主任神父様が福江教会で働いてくれました。四月に19代目の主任神父様が来てくれました。顔と名前を覚えましょう。」この取り組みをした。
▼簡単に言うと似顔絵を描いた訳だが、その中に目を丸くするような絵を描いてくれた子がいた。聞けば、小学1年生だという。とても1年生の絵には見えない。県展に出品しても遜色ないのではないかというレベルだった。将来が楽しみだ。そして、いつまでも中田神父を描いてくれたことを忘れないでいてほしい。
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第855回目。福江教会の小中学生黙想会の学びを模造紙にまとめた。頑張った。
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