映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ぼくの名前はズッキーニ(2016年)

2018-03-08 | 【ほ】



 絵を描くことが大好きなイカールは、大好きなママと暮らしていた。ママは、イカールのことをなぜか“ズッキーニ”と呼んでいて、イカールはその呼び名が大のお気に入りだった。でも、ママが好きなのは、ビールを飲むことで、ママがビールをたくさん飲むようになったのは、パパが“若い雌鶏”のもとに去ってしまったからだ。でも、ズッキーニは、ときどきママの癇癪に恐れおののきながらも、ママとの暮らしに満足していた。

 が、そんなある日、ハプニングでズッキーニのママは死んでしまう。そして、ズッキーニは、フォンテーヌ園という施設に預けられることになったのだが、、、。

   
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 予告編を見て、ちょっと不気味な人形が脳裏に焼き付いて気になっていたんだけれども、なかなかタイミングが合わず、どうしたものか、、、と思っていたところ、ようやっと先週、見に行くことが出来た次第。とはいえ、さほど期待していなかったんだけど、思いのほかグッときてしまった、、、。


◆嗚呼、ズッキーニ、、、。

 いきなり、ズッキーニのママが死んじゃうんだけれども、上記あらすじに書いた「ハプニング」ってのは、ズッキーニのしたことに原因があって、つまりは、ズッキーニがママを(もちろん故意ではなく)殺しちゃった、ってこと。がーん、、、。なんちゅう出だし。さすが、スイス・フランス制作、非常に毒のある展開。

 なので、ズッキーニはほんのちょっとだけど警察のお世話にもなるわけで、施設に連れてきてくれたのは、警察官のレイモン。このレイモンがイイ味出しているのよ。車中、寂しそうに、パパの絵を描いた凧を大事に抱えているズッキーニを見て、レイモンが「凧、上げて良いよ」というのね。すると、ズッキーニがちょっとこわごわ、車の窓から凧を出すわけ。短く持った糸の先に泳ぐパパの絵が描かれた凧。ううむ、、、もうここで既に涙腺が緩む。

 施設に着くと、先輩の子どもたちがお出迎え。ボス的存在がシモンで、いかにも一癖ありそうなキャラだけど、イイ奴だとすぐに分かる。その数日後に今度はカミーユという女の子が施設にやってくる。このカミーユが少し大人びたキャラでなかなかイケている。案の定、ズッキーニはカミーユに恋をするわけね。まあ、子どもたちのキャラ配置は、割とお約束に近いかも。

 でも、決して類型的ではない。

 とにかく、子どもたちの抱えている背景が、予想を上回る壮絶さ。父親が母親殺しちゃったり、親に性的虐待受けていたり、遺棄されちゃったり、親が移民で強制送還されて置き去りにされちゃったり、、、まあ、何でもありに近い。

 施設での描写がストーリーのほとんどを占めるんだけど、特段、何か事件らしい事件が起きるわけでなく、日常の生活の風景が丁寧に描かれ、その中で子どもたちが感受性豊かに成長していく様が実に素晴らしい。割と、性(セックス)についてのセリフや会話も多く、さすが、ヨーロッパだとその辺りは若干文化の違いを感じるが、でもそれがまたカギにもなっている。

 施設で働く大人たちの中に、一組の新婚夫婦がいて、彼らの愛情表現や妊娠・出産が、子どもたちの織りなすストーリーに寄り添うように語られる。これらを通して、子どもたちは、人間が生まれるということの神秘を知り、生まれたての赤ちゃんに触れることで、愛しく守りたい存在を実感するわけだ。自分たちは、親に必ずしもたくさんの愛情を注がれなかったけれども、愛しいという感情を抱くことで、少しずつ人を愛し愛されることも実体験していくということだろう。

 子どもの話だからといって、性をタブー視しないところはむしろ好ましく、日本でも今や小学生からあれくらいオープンな性教育をした方が子どもたちのためではないかとさえ感じさせられた。 

 強いて事件というと、カミーユが、叔母に養育費目当てにムリヤリ連れ帰られてしまうところ。ここで、子どもたちが協力し合って、カミーユを奪還するのだけど、なんとも微笑ましい。このときのキーマンが、実はレイモンだったりするのもツボ。この出来事を通じて、レイモンは、ズッキーニにとってカミーユが特別な存在であることを知り、その後、ズッキーニだけでなく、カミーユも一緒に引き取り、育てるという決断に至るわけだ。

 そのほか、施設でスキー合宿に行き、そのときの子どもたちの生き生きとした描写も素晴らしい。

 とにかく、ズッキーニの成長というタテ糸に、幾重にもヨコ糸が編まれていて、実に滋味深い、奥行きのある作品になっている。


◆ちょい不気味なのに愛くるしい。

 本作の特徴は、なんと言ってもその人形にある。特徴的な顔、……というより、とりわけ目が特徴的で、一見するとかなりヘンな目である。どの人形も、まん丸な目をしていて、目の回りをぐるりとラインが囲んでいて、瞳が完全にまん丸な状態で剥き出しであり、これ、かなり異様な造形である。おまけに、まぶたがまん丸な目の上側にちょっと重たく被さっていて、眠たそうな目になりそうなんだけれども、これがこの特徴的な目を怖くないようにしているんじゃないかなぁ、と感じた次第。

 あと、耳と鼻がちょっと赤い。これはキャラによって色も濃さも違うんだけれど。ズッキーニが一番赤いかな、耳も鼻も。

 パンフには、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のティム・バートンのキャラを思わせる、と書かれていたけど、私的には見ているうちに、どことなく、シュワンクマイエルのアニメと雰囲気が似ていると感じたのもツボだったかも、、、、。シュワンクマイエルほどぶっ飛んでいないし変態でももちろんないけれども、ちょっとグロテスクなところとか、世界観とか、通じるものがある気がしたんだよなぁ。

 何より、人形の動きがとっても繊細で感動的。手足の動きもだけど、やっぱりこちらも、目がポイント。この目(特に瞳)のちょっとした動きで、その心情まで見事に表現してしまう。これは素晴らしい。ズッキーニが絵を描くシーンがいくつも出てくるんだけど、これが何とも心に沁みる、、、。絵も可愛いしね。

 難癖を敢えて付けるとすれば、終盤の展開がやや甘いかな、というところ。一種のファンタジーになっているとも言える。……まあ、でも、私はそれでも十分、鑑賞後に幸福感に浸れたし、登場する子どもたち皆に愛着を感じられたので、ゼンゼンOKである。


◆トークイベント付きだった。

 見に行った回は、たまたま、上映後にトークイベントがあるとのことだった。エンドロールが終わって早々に、『この世界の片隅に』の監督・片渕須直氏と、アニメ特撮研究家・氷川竜介氏が登場。

 片渕氏は、本作のクロード・バラス監督とも対談されたそうで、その際のエピソードなどが披露された。ただ、トークを主導する氷川氏の合いの手を入れるタイミングがあまり良くなくて、片渕氏の話を途中で遮る形になるところが多々あり、本作に対する片渕氏の思いや視点など、もっと聞きたかったなぁ、というのが正直な感想。なので、トークの中身はハッキリ言って薄かった(残念)。

 劇場のホールに、ズッキーニの本物の人形が展示されていて、思わず写真撮っちゃったわよ。何かっていうとスマホ構えるの、正直言って嫌いなんだけど、こればかりは迷わず撮影。後ろ姿もキュートだったわ。思いのほか小さくて、ホント、繊細な扱いが求められそうな、、、。人間の子どもと同じだな、と思ったり。

 


 66分の作品。制作に2年を要したとか。むしろ、よく2年で作れたな、と思うほどの完成度。公式HPには、パイロットフィルも公開されていて、これがまたgoo。

 押しつけるのは主義に反するのだけど、多分、見て損はない映画だと思います。


 






施設に残ったシモンのその後がすごく気になる、、、。




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