映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

海と毒薬(1986年)

2020-12-05 | 【う】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv17574/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(長いので一部編集。青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 昭和20年5月、敗戦の色はもはや隠しようもなく、九州F市にも毎晩のように米軍機による空襲が繰り返されていた。F帝大医学部研究生、勝呂(奥田瑛二)と戸田(渡辺謙)の二人は、物資も薬品もろくに揃わぬ状況の中で、なかば投げやりな毎日を送っていた。

 当時、死亡した医学部長の椅子を、勝呂たちが所属する第一外科の橋本教授(田村高廣)と第二外科の権藤教授(神山繁)が争っていたが、権藤は西部軍と結びついているため、橋本は劣勢に立たされていた。橋本は形勢を立て直すために、結核で入院している前医学部長の姪の田部夫人のオペを早めることにした。簡単なオペだし、成功した時の影響力が強いのだ。

 ところが、オペに失敗した。手術台に横たわる田部夫人の遺体を前に呆然と立ちすくむ橋本。橋本の医学部長の夢は消えた。

 数日後、勝呂と戸田は、橋本らに呼ばれた。B29爆撃機の捕虜八名の生体解剖を手伝えというのだ。二人は承諾した。

 生体解剖の日、勝呂は麻酔の用意を命じられたが、ふるえているばかりで役に立たない。戸田は冷静だった。彼は勝呂に代って、捕虜の顔に麻酔用のマスクをあてた。うろたえる医師たちに向かって「こいつは患者じゃない!」橋本の怒声が手術室に響きわたった……。

=====ここまで。


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 『黒部の太陽』を見て、かなりイマイチだったんだけど、監督の熊井啓の作品をTSUTAYAで検索したら本作がヒット。しかも原作は遠藤周作。遠藤周作といえば、ちょっと前に見た『私が棄てた女』の原作者でもあり、そのあまりのマッチョ思想に驚愕したんだけど、本作は、あの悪名高い九大生体解剖事件がモチーフになっているとのこと、しかも、奥田瑛二と渡辺謙のW主演というので、見てみることにしました。


◆これって、、、、

 ううむ、、、もう何を書いても陳腐になりそうな、恐るべき話の映画である。

 これが戦争、戦争は人を人でなくする、、、などと本作の感想で書かれているのを目にしたが、そういうことなのか? 戦時中だから、彼らはこういうことをしたのだろうか? 平時ならそもそも軍から生体解剖の依頼そのものがないだろうと? いや、平時なら拒絶する判断力があったと? 

 ……そうだろうか。

 これは、戦争云々というより、組織の問題だろう。大学病院という、上が「白」といえば、「黒いものでも白くなる」ような上下関係の絶対的な組織において、上から、非人道的な、あるいは違法な行為をしろと強要されたときに、下の者たちはどうするのか、その行為にどう向き合うのか、、、が問われているんじゃないのか。

 そう考えると、現在進行形で、同じことが起きているではないか。言論の府で公然と虚偽答弁をする上のために、下の人間一人が死んでも、その上と組織を守るために、資料を改ざんしたり廃棄したり、白々しい嘘の上塗りで庇ったり、真相に迫ろうという人間を恫喝したり、、、。本作で描かれている話と、どう違うというのか。構図は全く同じだろう。

 いや、生体解剖=人殺しと、たかが資料の改ざん・廃棄は質が違うでしょ、、と? どーだか。たかだが資料の改ざんも拒絶できない人間が、人殺しなら拒絶できるとは思えませぬ。

 思うに、こういう“上下関係絶対の組織”に、自ら進んで属することを選ぶ人間というのは、そもそも“隷属気質”がある気がする。でなければ、そんな組織にはいられない。やってられないからだ。私の場合、自らの進路として、そもそも選択肢になかったが、友人・知人にはそういう組織に一旦属したものの、離れた人は多い。

 しかし、そういう組織にどっぷり浸かると、組織の論理が全てになって、一般的な理屈は後回しになるのだろう。それはある意味、当然の成り行きで、そうでないと組織で生き残れないからだ。そうまでしてでも、その組織に居場所を確保するためには、“隷属気質”は必要不可欠だろう。元々持っているか、後天的に醸成されるかは分からんが。隷属気質は、言い換えれば、自らを思考停止状態にすることに抵抗がない、ということだ。

 そんなことを言ったら、役所なんか機能しないじゃないか、と反論されるかも。実際、軍なんかは機能しなくなると思う。駒になりきれる人間を養成する組織なんだから。でも、それ以外の組織は、そこに属する人間を思考停止させるものがあるのなら、その組織の在り方が間違っているのであって、断じて思考停止に抵抗することが間違っているのではない。

 本作での勝呂は、生体解剖に関わったことについて、「もうどうでもよか、考えてもしょうのなかことと、私一人の力ではどうにもならないんだと、自分に言い聞かせた」と、まさに「思考停止になっていた」と言い訳をしている。実際そうだったんだろう。

 一方の戸田は、そんな勝呂に「俺もお前もこんな時代の医学部におったから捕虜を解剖しただけや。俺達を罰する連中だって同じ立場に置かれたらどうなるか分からへん」とうそぶく。しかもこの戸田は「あの捕虜を殺したことで何千人もの患者が救えると考えたらあれは殺したんやない。生かしたんや。人間の良心なんて考え方でどうにでも変わる」とまで言っている。もう、思考停止を超えて、洗脳されているというか、生来の気質なんじゃないかとさえ思えてくる。

 結局、下々が思考停止している方が、上は組織を動かしやすいってことに尽きる。今の政府が、一億総愚民化しようとしているのもそう。まったく、バカほど人を強権支配しようとするという典型。この映画を見て、そんなことを考えてしまうなんて、、、、我ながらイヤになる。


◆クリスチャンであれば、、、??

 原作者の遠藤周作は、どういう意図でこの小説を書いたんだろう。 ……と思って、ちょっとwikiを見たら、「日本人には確とした行動を規律する成文原理が無く、(中略)クリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うはずだが、そうではない日本人は同調圧力に負けてしてしまう場合があるのではないか──自身もクリスチャンであった遠藤がこのように考えたことがモチーフとなっている。」だそうだ。

 「クリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うはずだが」って、、、そうなの?? 本作内では、それを思わせるのが橋本教授の妻・ヒルダなんだが、この人は、やたらと「神様」を口にして、他人を断罪するようなことを平気で言うドイツ人女性という設定になっている。しかし、ヒルダは夫がしている人殺しについては知らないままのようで、結局、彼女が夫の行為を知った後、どういう態度をとるのか、ということについてはノータッチである。だから、原作のテーマ性は、映画ではほとんど描かれていないのだと思われる。

 日本が同調圧力の強い社会、というのは確かにそうだろうが、クリスチャンなら毅然と拒絶できる、ってのには懐疑的だ。別に、心に神の存在などなくても、自分と向き合うことができる人間は普通にいる。神がいる故に面倒なことになる場面だって、映画ではいっぱい描かれてきているのだからね。信仰についてとやかく言うつもりはないが、とかく、信仰を持つ人は信仰を持たない人に批判的になることがあるが、それは、ある意味で信仰の自由にも反すると思うのだけどどうだろう?

 まあ、原作を読んでいないので分からないから、信仰云々については原作を読んで、改めて考えてみたい。遠藤がどれくらいマッチョなのか、他の作品も読んでみたいしね。


◆その他もろもろ

 奥田瑛二も渡辺謙も若い。二人とも、なかなかの熱演だったと思う。

 奥田瑛二は、ときどき、キムタクに似ているなぁ、、、と思うシーンも多々あり、若い頃は二枚目だったんだね、、、と認識を改めました。渡辺謙は、独眼竜政宗より前になるのかな。方言が怖ろしく下手というか、板についていなくて、聞いていていたたまれなくなった。

 しかし、そんな主役二人を喰っていたのが、看護婦長の岸田今日子。無表情なんだが、すんごい怖い。橋本教授に惚れているらしく、もう、盲目的に従っている。解剖を終えた捕虜の遺体を運んで、暗い病院の廊下を歩いているシーンなど、ほとんどホラー。

 成田三樹夫は相変わらず悪役が似合う。独特の声が懐かしい、、、。彼のような俳優、今、いないような気がする。

 田村高廣も権力欲に取り憑かれた老いぼれ、という難しいところを巧みに演じていた。根岸季衣は、途中、脱いでいたけど、彼女はやっぱり本当にイイ女優さんだと改めて思った。こういう屈折した役はハマるよなぁ。

 ……と、何気にかなりの豪華キャスト。このキャストで、こんなセンシティブなテーマの映画が、よく撮れたなぁ、と感心する。1986年というと、昭和61年。あの頃は、こういう映画が制作できて、賞ももらえるようなご時世だったんだ、、、。今じゃムリだろうなー。歴史修正主義者たちが湧いてきそう、、、。

 『黒部の太陽』より、断然本作の方が良い映画だと感じた次第。

 

 

 

 

 


全編モノクロなのは解剖シーンが多いから?

 

 


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