たまおのページ

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あいすつづき

2008年07月28日 | Weblog
 7月 28日

 母の実家つづきです。

 ふんでクタクタになって着いた日の夕方。従兄弟が
「きょうの晩御飯、僕がカレーを作ってあげるよ。」でした。
 そいで従兄弟と近所の店までカレー粉と肉を買いに行きました。
<カレー、自分ちで食べるのはいつも豚肉だけど今日は
もしかして牛肉かなぁ?>
なんてワクワク期待しながら店の外で待っていたんです。
 でも従兄弟が手にしていたのは鯨の缶詰でしたよ。(最近は
高級になりましたがね)大和煮の鯨缶。それなりに好きでしたが
まさかカレーの具になるとは思っていませんでした。

 でもまあ食べたら美味しかったんですがね。(そのときだけ
ですね、鯨肉を使ったカレーを食べたの)

 アタイ、中学生になるまでは母の実家に何度も行きましたが
年上の従兄弟と川で泳いだりセミやカブトムシを捕ったりと
山の遊びをしていました。

 アタイの生家あたりでは、子どもが釣りのエサにしていたのは
ミミズでした。(どこにでもいくらでもいたしね)
 ところが従兄弟が川(けっこう流れが速くて、こんなところに
魚がいるのか?という幅が2mぐらいの小川)で探したエサは
蜘蛛でしたよ。
 アタイはダメでしたが、さすがに従兄弟は何匹も釣り上げて
いました。

 数十年も前の話ですが、アタイの生家(海が近い)あたりでは
子どもでも海パンでした。しかし母の実家あたりでは男の子も
女の子も普通の下着パンツで泳いでいましたよ。
 ふんで泳ぐ(遊ぶ)のは、もう少し大きい(といっても幅
5mぐらい)の川で、一箇所だけ流れが緩やかな場所でしたが、
それでも山の中(周りは木々に囲まれていました)。川の水は
冷たくて10分も入っていると唇が紫色になってきました。
(大きな岩の上で日光浴をして、体温回復でした)
 地元の子どもたちは低い水温に慣れているんでしょうね。いつ
までも元気に遊んでいましたよ。
 
 母の実家はスイカを作っていたので、おやつは毎日小川で冷やした
大きなスイカを半分に切ってガブリ!でした。
 (つうことでスイカは好きなのですが、最近は食べなくなり
ましたね。このころ一生分のスイカを食べたのかもしれません)
 そいでアタイも兄も甘いスイカより水分が多いスイカが好きなん
ですが、母の実家が作っているスイカが果汁タップリだったので、
そのためなんでしょうね。

 セミは昼間からでも捕れるのです。初めはウレシイけれど
そのうち飽きてしまいました。
 だっていくらでも手で捕れるんですから。そぉ~と近づいて
網でエィ! じゃないんですよ。
 そこらじゅうの木に何匹もへばりついて鳴いているのを、ヒョィ
と摘むだけですもの。

 カブトムシとクワガタは夜か早朝です。夜は家の明かりに
おびき寄せられて飛んできたりしましたよ。
 朝早く起きて、くぬぎや栗の木 樹液が出ているところに
数匹が塊になっているんです。

 過去の感傷にひたるようになると老化が進んできた証拠。などと
言いますが、夏になると必ず思い出すんですから、田舎道には
夏の光が溢れていたんでしょうね。
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