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えどしりよかんに

2018年10月06日 | Weblog
 10月 6日

 こないだ深川江戸資料館でした。その2

 昨日の続き。八百屋から米屋へ。
 米屋では40歳代ぐらいの女性が男性ガイドさんに説明を受けて
いました。
 「江戸時代は米をたくさん食べていました」とオジサンガイド。
 「どのくらい食べていたんですか?」と女性。
 「1日に成年男子で5合といわれています。しかしそこまでは食べて
いなかったようです」とガイドさん。

 「米が少し黒いというか白くないですね」と女性。
 「現代のような精米はできませんから、籾を搗いていました。その
ため薄皮や胚芽などは残ったままなので、茶色っぽい」とガイドさん。



     米屋の天井近くに鶏2羽

 「鶏がいますね。どうしてですか?」と横からアタイ。
 「米に虫がつくので、それを食べていた。とか、米ぬかやクズ米を
エサにして育てていたといわれています。江戸時代でも鳥や卵は食べて
ましたから」とガイドさん。
 こんな話をしてくれたし、このガイドさんの説明が分かり易かった
ので、いっしょについていくことにしました。

 「町木戸です。四ツ時に閉めます。それより遅くなったときは
木戸番に理由を言って開けてもらいます。産婆と医者はいつでも通れ
ました」

 木戸の横に小さな布が。
 「ここにある布きれは干してあるものじゃなく、端切れとして
売り歩いていたものです」とガイドさん。
 「棒手振り(ぼてぶり)ですね」とアタイ。
 「そうです。長い棒の両端に売り物を下げて町を歩くんですね」



     この模様が人気だった
     そうです。

 「ここが堀です。江戸は水路が発達していたので、荷物の運搬や
人の移動には船(舟)がよく使われていました。ここに舫ってある
のは猪牙舟(ちょきぶね)です」とガイドさん。
 「猪牙舟にしては大きいですね」とアタイ。
 「そうですね。これは10人ぐらい乗れそうですが、小ぶりな舟だと
3~5人ですね。まぁ水上タクシーですよね。これで深川から吉原へ
繰り込んだりすると、運び賃は今の値段で3000円ぐらいといわれて
います」とガイドさん。

 

     ちゃんと水が張ってあって
     舟は浮かんでいました。 

 「水が汽水(海水が混ざっている水)のほうが舟の保存にはいい
そうです。それに屋内展示なので雨が降りません」とガイドさん(笑)
 「どうして雨が降ったほうがいいんですか?」と女性。
 「舟は木造ですから、乾燥すると木材が縮んでしまい、隙間が
できるんです」とガイドさん。

 次は長屋です。いろいろな商売をしている人たちが狭い長屋に
肩寄せ合って暮らしていました。
 生活に余裕がある人もいましたが、そうでない人もたくさんいた
そうです。

 ということで、長屋のことなどは明日へつづく。(^_^)/
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