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みぜらぶるでしたに

2013年01月30日 | Weblog
 1月 30日

 レ・ミゼラブルを観てきました。その2

 この映画で感じたこと、思ったこと。

 あの時代のパリ。下層階級の暮らしが割とリアルに
映像化されているように感じました。
 (映画や小説、TV番組などから得た情報しか知らない
ので、どんな生活だったのか、アタイは詳しく知りませんが)  

 映画の中で、警官のジャベールがこんなようなことを何度か
言います。
「ジャン・バルジャン、お前のような人間はどうやっても
まともな生活はできない。また牢獄に戻ってくる。一生お前は
犯罪者だ。」

 パンを1つ盗んだだけで5年の刑は重い。って思いますか?
捕まったのはバン1個の盗みですが、あの時代の貧困層
にとって、盗みは犯罪ではありませんよ。生活の知恵ですね。

 たぶん、ジャン・バルジャンだけではなくって、殆どの人が
厳密にいえば犯罪となるようなことをしていたんでしょうねぇ。
(映画にも盗みの場面が何度も出てきます。そういう時代
だったんですよ。今だって、多くの国でスリやカッパライ
置き引き万引きは当たり前でしょ。気を抜いて盗まれる人が
バカなんだ。って考えなんだもの)

 あの時代より少し前のイギリスだと、軽犯罪者は強制的に
軍隊に入れられたりしたんですが、フランスは違ったんで
しょうかね。

 日本、江戸時代(あくまでも江戸時代ですからね)では
 捨て子、迷子、行き倒れ、旅人の病人、不慮の死人など
については、その場所(村や、長屋や町内など)または
そこに住んでいる人が面倒をみることになっていたので、
親が死んで孤児になったときには、飢えないように誰かが
子どもを引き取ることになっていました。
 町内や金持ち、寺や神社、子どもが欲しい人などだね。

 そうしないと、名主や町役人など全体責任で死刑を含めた
刑罰です。
 孤児をもらったけれど、やはり育てられなくて、また捨て
たりすると、その人は死刑です。

 旅人などが、病気や生き倒れになった場合、人別(今でいう
住民票とか戸籍)のある場所や、親類知人など、その人を
引き取ってくれそうな人が住んでいるところまで連れていく
ことになっていたんですよ。
(付き添いしたり、金がなければ費用は負担)

 心を入れ替えたジャン・バルジャン、官憲から逃げながらも
孤児となったコゼットを育てます。
 このあたりが 泣かせどころであり、缶類 訂正 感涙を
誘うところではあります。

 しかし、アタイは上記のように江戸と比較してしまうし、
飢饉の農村ではなく、大都市のパリだからこそ「無償の愛」
みたいなことが称賛されて、小説になって、ベストセラーに
なって、演劇や映画になるんでしょ。
 なんとか食べていくことができる都会であっても、慈善や
慈悲は珍しいんだよね。

 後半は革命を目指す(夢見る)若者たちの姿が描かれます。
でも、実はそれと直接対峙して、阻止するのも若者なんですね。
 どちらに属していても、闘って死んでいくのは若者です。
老練老獪な人々は後ろから見ているんだよね。
 
 闘いのあと、屍(しかばね)が。
 革命側の死体は並べてあり、体制側(兵士)は乱雑に戦闘
が終わったときのままにしてあります。
 ここでアタイは考えた。この戦いで勝ったのは軍隊なんだ
から、本当なら革命側の死体は道に山積みにしてあったり、
荷車に放り投げられたりするのが本当じゃないのか?
ってね。

 つうことで、実は民衆は革命側に加担していた。革命を
望んでいる。今の生活を変えたい。
 それを表現しているのが屍なんじゃないだろうか?ってね。
ナポレオンの共和制が倒れて、王政となっていた時代ですが、
混沌とした国内・国外情勢を背景とした物語でした。


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