今日はkameyaさん教室で3人。ただ、色々あって棟梁の画像を取り忘れちゃったのね。
ここはみんながアトリエに来るようになって、急に上手くなって来ていて、それが良く判る話が何個かあったんだけれど、そんな中での話の1つが、1枚目の画像の方が、会話の中で、だってみんなうまくなりたいじゃないですかぁ・・・って声に出して言ったのね。
そうね・・・こんな事を簡単に言える人には、何でも無い言葉なんだけれど、これがもしさくらだったとして、みんなの前で言ってみ・・・って言ったら、多分ハードルが高いと思うのね。けれど、棟梁のように、良しぃぃ、良いかもぉ・・・と自画自賛を出来る
のなら、何とも無い普通の事・・・。こんな違いがある。つまり普段黙々とやっている人が、自己主張をした事になるのね。それって深層心理的な話だけれど、みんな上手くなりたいじゃないですか・・・・は、みんな・・・つまり私も含まれる訳で。
でもその人は、棟梁とおかみさんは先輩としている訳だから、そこは上手くて当たり前・・・つまり、みんなと言いつつ、2枚目の方を指している気がするのね。つまり、その方が上手く見えた事もあっての発言にも聞こえるのね。
それが普段、自己主張を余りしない方の刺激になっている・・・そんな感じ。って、仮にそれが本当にそうであっても、無かったとしても、これだけ作れている人が、上手くなりたいじゃないですか・・・と声に出して言ったのね。
でも、すでにこれだけ出来たら、完成すれば単なる趣味には見えなくなって行く方向に充分あると思うのね。それなのに、まだ上手くなりたい・・・って、ある意味、楽しいよりも大変さを求めている気がしないかな?・・・・。
つまり楽しいだけじゃなくても、仮に大変であっても、時に進まなくても・・・そっちの楽しさじゃない楽しさに気が付いちゃったんだろうね・・・楽しさじゃなくて、大変さを超えた向こうの景色を知った人や、見て見たい人の発言だからね・・・。
それもこれも、kameyaさんだけであったなら、近所で楽しくモザイクやってます・・・だったんだろうけれど、棟梁との相席のアトリエでは、みんなの作品が置いてあったりして、それらの迫力は半端無いし、それとやっぱりアトリエでの指導は変わるしね。
そもそも、楽をするならkameyaさんを2回にすれば良いだけなのね。でもわざわざアトリエに来る。その違いは?タイルも豊富だし、色んな事が変わって来るだろうけれど、何より変わるのは、棟梁への指導も聞こえて来る事だと思うのね。
当然、上手い人への指導は当然厳しい事にもなるし、そもそもkameyaさんは楽しむ場所、アトリエは上手くなりたい場所みたいな違いがあったとしたら?・・・例え同じ顔触れだったとしても、指導が別人だったりもする。何せ意味が違うからね。
ただね、とは言え、体験教室は全く違う話で、それは何せ初めての事・・・つまりアトリエの体験ってのは、作家katsuの使う材料を使って豪華に楽しんでって・・・って感覚だから、楽しかった・・・のみで十分なのね。それが上手くなりたいって言うと、
作家katsuも使う材料を使うんだから、本気でやってよね・・・みたいな感覚になるのね。あはははは。まっ、いずれにせよ、それだけ意識が変わったって事であって、普段自己主張を余りしない方が言った・・・って話。
しかも、それをはっきり聞けば、例えそれが楽しむ場所のkameyaさんであっても、ここはこう直した方が良い・・・って言うような流さない指導ってのも出来る訳で・・・上手くなりたいのなら・・・ここはスルーさせられない・・・ってね。
それを何も言わなければ、悩んでいるのか?問題無いのか?耳からの判断が出来ないから、必ず目視で判断しないとならない。これが棟梁なら、ゲッ、やっちゃったぁ・・・とか、よぉぉぉぉぉしぃぃとか、声に出すから、見なくても何があったか?って想像を
しやすい。ってこんな違いがある。耳で判断出来る場合、しばらくほって置けるけれど、目視の場合、展開を見ていないと何が起こるか?判らないのね。つまり離れられないのね。しかも、以前なら切る事がおぼつかないから、進まないので離れられる。
けれど、今は上手くなった分、早くなったから、大丈夫だな・・・と離れて戻ると・・・あっ、そこそうしたかぁ・・・ってな事もある。まっ、上手くなったらなったで、先生としてやる事が変わるだけなんだけれどね。
いずれにせよ、そんな違いが感じられたって話。それがもう1人の方の場合は、昔はぺきぺきの作品を必ず自宅で1つ張り上げていて、目地したいんですけど・・・って感じだったのね。所がこの作品になってから、家で中々進めない・・・って言うのね。
まっ、簡単な話でプレッシャーなのね。上手く作りたいから・・・失敗したくない・・・失敗したくないから、悩んだらやらない・・・ってスタイルになって、まっ良いかっ・・・って進まなくなったからなのね。その分、失敗が少なくなったのね。
なのに、来るなり、あんまり進まなかった・・・しかも、ここ変ですよね・・・・って進まなかったやら、ダメ出しスタート。
かなりテンションが下がっているのね。でも、進まないのは普通だし、ダメと自分で言うのなら是正も判っている・・・。
完全に気持ちが下がっているのね。病は気から・・・そこを立て直さないとならないんだけれど、これがアトリエなら簡単に改善出来るのね・・・じゃテンション下がっているし、花でも華やかな色を使いませんか?とかね。
ただ出張では頼まれた色しか持ってはいけない・・・色んな規制が掛かるのね。つまり出張ではサンプル教室のように決まったものを作る材料の教室らしきものになるのね・・・・みんなの気分によっての支度が出来ないからね・・・。
ただそんな事もあって、1㎝タイルの混ぜこぜみたいな箱を持って行っていたのもあって、何とかしのげたんだけれど・・・。
それもこれも棟梁がタイルを持っているからなんだけれどね・・・まっ、何度と無く助けて貰っているのね。
って話を戻して、そもそも自宅で張り終われるぺきぺき作品で十分楽しめるのに、1㎝タイルで悩んでやってて、尚且つ進まないって話だじゃなくて、ダメ出し・・・自分に厳しくなっているのね・・・そりゃ上手くなるのね。
だって楽に出来る簡単な事よりも、悩んで難しい事にチャレンジしようとしているのだから。今までのスタイルのままで留まらないのだから・・・良くも悪くも新しい事が手に入る訳で・・・どう考えても成長著しいのね。
これもまた、アトリエに行って上手くなった・・・と思われているお花の方のお陰。そう思われている・・・ってお互いがお互いの向上に刺激を受けているのね。こんな事が、急にここの人達が上手くなった原因なのね。
そうなると、余り厳しい雰囲気にならないようにしないと・・・つまんなくなるのは困るからね。厳し過ぎる環境はへこたれちゃうからね・・・ってな感じの後、先日作ったディスプレイ台やら銘木作品やらに今まで置かせて貰っていたものと入れ替え。
少しそのコーナーの雰囲気替えをした後、急きょここから近いホームセンターに棟梁と娘さんと俺の3人で行く事になって・・・。
それが、娘さんって結婚するようなお姉さんなのね・・・何度も会った事はあるんだけれどね。
ただね、大人だなぁ・・・って感じなのね。でも棟梁には子供な訳で・・・。って事は、俺の子供でも年齢的には合っている。
それがどうも受け入れられないのね・・・不思議な感じなのね。今の俺には大学生の子供ってのも違和感があるのに・・・。
廻りのみんなの子供達が大学生になり、それもやっと慣れて来た・・・そんな感じ。それがこんな大人な子供がいてもおかしくない俺の年齢・・・正直、きついわっ・・・こんな大きな子供のの親なんて・・・想像が付かないのね。
むしろ付き合って・・・とお付き合いする方が普通に楽。つまり目線が一緒なら居られるが、自分が親のような上の目線でのお付き合いは非常に疲れるのね・・・何か緊張するのね。何かちゃんとしないと・・・でもこんな大人の子供よりもちゃんと・・・。
正直、みんな凄いわっ・・・って絶句ものなのね。ただそれが、習うって姿勢で臨まれて先生って思われた瞬間、例え何歳上であっても、技術は・・とか、所作とか・・・って話になると、そんなに劣ってはいないはず・・・と持ち直せる。
ただ、これが、家庭、子供、幸せ、愛・・・判るかなぁ?こう言うようなワードに関わる事に物凄く劣っているって気になる。
正直、中々こう言う機会は無いから、もはや俺にはキッザニア。体験教室なのね・・・。
それが、どうして棟梁はこんな大人な子供に対等以上で臨めるんだろう?・・・勿論当たり前なんだけれどね、親子なんだから。って判ってはいても、自分がもしこんな感じでお父さんなんて立場でいるとしたら?って考えると、とてもじゃないけれど、
居場所が無いな・・・この子に親として何が言えるのだろう・・・と考えたら、怖くなった。結局の所、その足りない分をモザイクで埋めるって話が今までだったんだろうが、まずここは受け入れて、さてさてって話。
出来なかった事や、仮想の話に潰される必要は無いし、むしろ受け入れた上で、楽しい事もあったんだろうなぁ・・・きっと。って思う事で、その時間を楽しむ事で帰宅となったけれど、それが無い人生も無い人の生き方がある。
きっとそれにも意味がある・・・そんな気がする。
ここはみんながアトリエに来るようになって、急に上手くなって来ていて、それが良く判る話が何個かあったんだけれど、そんな中での話の1つが、1枚目の画像の方が、会話の中で、だってみんなうまくなりたいじゃないですかぁ・・・って声に出して言ったのね。
そうね・・・こんな事を簡単に言える人には、何でも無い言葉なんだけれど、これがもしさくらだったとして、みんなの前で言ってみ・・・って言ったら、多分ハードルが高いと思うのね。けれど、棟梁のように、良しぃぃ、良いかもぉ・・・と自画自賛を出来る
のなら、何とも無い普通の事・・・。こんな違いがある。つまり普段黙々とやっている人が、自己主張をした事になるのね。それって深層心理的な話だけれど、みんな上手くなりたいじゃないですか・・・・は、みんな・・・つまり私も含まれる訳で。
でもその人は、棟梁とおかみさんは先輩としている訳だから、そこは上手くて当たり前・・・つまり、みんなと言いつつ、2枚目の方を指している気がするのね。つまり、その方が上手く見えた事もあっての発言にも聞こえるのね。
それが普段、自己主張を余りしない方の刺激になっている・・・そんな感じ。って、仮にそれが本当にそうであっても、無かったとしても、これだけ作れている人が、上手くなりたいじゃないですか・・・と声に出して言ったのね。
でも、すでにこれだけ出来たら、完成すれば単なる趣味には見えなくなって行く方向に充分あると思うのね。それなのに、まだ上手くなりたい・・・って、ある意味、楽しいよりも大変さを求めている気がしないかな?・・・・。
つまり楽しいだけじゃなくても、仮に大変であっても、時に進まなくても・・・そっちの楽しさじゃない楽しさに気が付いちゃったんだろうね・・・楽しさじゃなくて、大変さを超えた向こうの景色を知った人や、見て見たい人の発言だからね・・・。
それもこれも、kameyaさんだけであったなら、近所で楽しくモザイクやってます・・・だったんだろうけれど、棟梁との相席のアトリエでは、みんなの作品が置いてあったりして、それらの迫力は半端無いし、それとやっぱりアトリエでの指導は変わるしね。
そもそも、楽をするならkameyaさんを2回にすれば良いだけなのね。でもわざわざアトリエに来る。その違いは?タイルも豊富だし、色んな事が変わって来るだろうけれど、何より変わるのは、棟梁への指導も聞こえて来る事だと思うのね。
当然、上手い人への指導は当然厳しい事にもなるし、そもそもkameyaさんは楽しむ場所、アトリエは上手くなりたい場所みたいな違いがあったとしたら?・・・例え同じ顔触れだったとしても、指導が別人だったりもする。何せ意味が違うからね。
ただね、とは言え、体験教室は全く違う話で、それは何せ初めての事・・・つまりアトリエの体験ってのは、作家katsuの使う材料を使って豪華に楽しんでって・・・って感覚だから、楽しかった・・・のみで十分なのね。それが上手くなりたいって言うと、
作家katsuも使う材料を使うんだから、本気でやってよね・・・みたいな感覚になるのね。あはははは。まっ、いずれにせよ、それだけ意識が変わったって事であって、普段自己主張を余りしない方が言った・・・って話。
しかも、それをはっきり聞けば、例えそれが楽しむ場所のkameyaさんであっても、ここはこう直した方が良い・・・って言うような流さない指導ってのも出来る訳で・・・上手くなりたいのなら・・・ここはスルーさせられない・・・ってね。
それを何も言わなければ、悩んでいるのか?問題無いのか?耳からの判断が出来ないから、必ず目視で判断しないとならない。これが棟梁なら、ゲッ、やっちゃったぁ・・・とか、よぉぉぉぉぉしぃぃとか、声に出すから、見なくても何があったか?って想像を
しやすい。ってこんな違いがある。耳で判断出来る場合、しばらくほって置けるけれど、目視の場合、展開を見ていないと何が起こるか?判らないのね。つまり離れられないのね。しかも、以前なら切る事がおぼつかないから、進まないので離れられる。
けれど、今は上手くなった分、早くなったから、大丈夫だな・・・と離れて戻ると・・・あっ、そこそうしたかぁ・・・ってな事もある。まっ、上手くなったらなったで、先生としてやる事が変わるだけなんだけれどね。
いずれにせよ、そんな違いが感じられたって話。それがもう1人の方の場合は、昔はぺきぺきの作品を必ず自宅で1つ張り上げていて、目地したいんですけど・・・って感じだったのね。所がこの作品になってから、家で中々進めない・・・って言うのね。
まっ、簡単な話でプレッシャーなのね。上手く作りたいから・・・失敗したくない・・・失敗したくないから、悩んだらやらない・・・ってスタイルになって、まっ良いかっ・・・って進まなくなったからなのね。その分、失敗が少なくなったのね。
なのに、来るなり、あんまり進まなかった・・・しかも、ここ変ですよね・・・・って進まなかったやら、ダメ出しスタート。
かなりテンションが下がっているのね。でも、進まないのは普通だし、ダメと自分で言うのなら是正も判っている・・・。
完全に気持ちが下がっているのね。病は気から・・・そこを立て直さないとならないんだけれど、これがアトリエなら簡単に改善出来るのね・・・じゃテンション下がっているし、花でも華やかな色を使いませんか?とかね。
ただ出張では頼まれた色しか持ってはいけない・・・色んな規制が掛かるのね。つまり出張ではサンプル教室のように決まったものを作る材料の教室らしきものになるのね・・・・みんなの気分によっての支度が出来ないからね・・・。
ただそんな事もあって、1㎝タイルの混ぜこぜみたいな箱を持って行っていたのもあって、何とかしのげたんだけれど・・・。
それもこれも棟梁がタイルを持っているからなんだけれどね・・・まっ、何度と無く助けて貰っているのね。
って話を戻して、そもそも自宅で張り終われるぺきぺき作品で十分楽しめるのに、1㎝タイルで悩んでやってて、尚且つ進まないって話だじゃなくて、ダメ出し・・・自分に厳しくなっているのね・・・そりゃ上手くなるのね。
だって楽に出来る簡単な事よりも、悩んで難しい事にチャレンジしようとしているのだから。今までのスタイルのままで留まらないのだから・・・良くも悪くも新しい事が手に入る訳で・・・どう考えても成長著しいのね。
これもまた、アトリエに行って上手くなった・・・と思われているお花の方のお陰。そう思われている・・・ってお互いがお互いの向上に刺激を受けているのね。こんな事が、急にここの人達が上手くなった原因なのね。
そうなると、余り厳しい雰囲気にならないようにしないと・・・つまんなくなるのは困るからね。厳し過ぎる環境はへこたれちゃうからね・・・ってな感じの後、先日作ったディスプレイ台やら銘木作品やらに今まで置かせて貰っていたものと入れ替え。
少しそのコーナーの雰囲気替えをした後、急きょここから近いホームセンターに棟梁と娘さんと俺の3人で行く事になって・・・。
それが、娘さんって結婚するようなお姉さんなのね・・・何度も会った事はあるんだけれどね。
ただね、大人だなぁ・・・って感じなのね。でも棟梁には子供な訳で・・・。って事は、俺の子供でも年齢的には合っている。
それがどうも受け入れられないのね・・・不思議な感じなのね。今の俺には大学生の子供ってのも違和感があるのに・・・。
廻りのみんなの子供達が大学生になり、それもやっと慣れて来た・・・そんな感じ。それがこんな大人な子供がいてもおかしくない俺の年齢・・・正直、きついわっ・・・こんな大きな子供のの親なんて・・・想像が付かないのね。
むしろ付き合って・・・とお付き合いする方が普通に楽。つまり目線が一緒なら居られるが、自分が親のような上の目線でのお付き合いは非常に疲れるのね・・・何か緊張するのね。何かちゃんとしないと・・・でもこんな大人の子供よりもちゃんと・・・。
正直、みんな凄いわっ・・・って絶句ものなのね。ただそれが、習うって姿勢で臨まれて先生って思われた瞬間、例え何歳上であっても、技術は・・とか、所作とか・・・って話になると、そんなに劣ってはいないはず・・・と持ち直せる。
ただ、これが、家庭、子供、幸せ、愛・・・判るかなぁ?こう言うようなワードに関わる事に物凄く劣っているって気になる。
正直、中々こう言う機会は無いから、もはや俺にはキッザニア。体験教室なのね・・・。
それが、どうして棟梁はこんな大人な子供に対等以上で臨めるんだろう?・・・勿論当たり前なんだけれどね、親子なんだから。って判ってはいても、自分がもしこんな感じでお父さんなんて立場でいるとしたら?って考えると、とてもじゃないけれど、
居場所が無いな・・・この子に親として何が言えるのだろう・・・と考えたら、怖くなった。結局の所、その足りない分をモザイクで埋めるって話が今までだったんだろうが、まずここは受け入れて、さてさてって話。
出来なかった事や、仮想の話に潰される必要は無いし、むしろ受け入れた上で、楽しい事もあったんだろうなぁ・・・きっと。って思う事で、その時間を楽しむ事で帰宅となったけれど、それが無い人生も無い人の生き方がある。
きっとそれにも意味がある・・・そんな気がする。