katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイのクリスマスオーナメントと体験教室用のサンプル

2017-10-28 00:51:03 | モザイク教室
今日はキウイ教室。高洲のサークルの時の体験用に・・・なんて感じに作ってくれていたんだけれど、自分のも・・・ってこの他にも作っていたけれど、そっちはまだ未完成なんで、次回にするも、まぁどれもこれも素敵な仕上がりなのね。

こんなに素晴らしいと昨日の俺のサンプルは何だったのかな?・・・・と思う位で、正直これを見たら素敵だと思うだろうなぁと思うと、このレベルのサンプルが必要だったかな?・・・と勉強させられた感じなのね。

いつもサンプルの時に思うのは、その会場で真ん中のグレードになる位を目指すのね・・・いつも。例えば、キウイの作品をサンプルにした時、これを見た時にやって見たい・・・素敵だなぁ・・・って思う人はきっと多いと思うのね。

ただ実際に体験して見ると、きっとこんなに上手くは行かないだろうし、もっと言えば丸の数も相当減らしたくなる人も出ると思うのね・・・つまり会場で1番上手いのはキウイになる・・・そんな気がするのね。勿論、サンプルなのだから、上手くて当然だけど。

それを俺は真ん中くらいのグレードを目指すから、当然見栄えは落ちると思うのね。ただ、どんなに不器用なんて言われる人だったとしても、必ずそんな感じにはなるだろうし、そんなに難しいぃぃって感じにはならないと思うのね。

ただその分、手際の良い人だったり、器用な人にはサンプルを見ただけで、幼稚な感じ見えてしまう・・・そんな感じだろうな。ただね、それを見てもっと良いのが作れそう・・・と想像力があったりすると、当日にキウイばりの人がいたりして・・・・。

とは言え、あんまり簡単に思われると、やって見たい・・・って気持ちになって貰えないし・・・その辺のさじ加減ってとても難しいのね。でも、こうしてキウイのを見ると、成る程ね・・・と本当に参考になったのね。

そんな中、体験教室用のサンプルを作って見たのね。


まぁ、何と無く良さそうな感じになったような気はしてるんだけれど・・・いつもは切るってスタイルを前面に出すが故に、どうしても体験にはぺきぺきタイルを使いたくなるんだけれど、クラッシュにすると、割っただけに見えたりもする。

ここが問題で、・・・だけって表現。切る事が上手くなると、ついつい切らないものを張っただけ・・・となるし、狙って丸みたいに形を切れるようになると、流動的なクラッシュは割っただけ・・・みたいな気持ちになったりもする。

ただ上手くなると、どれもこれもそれにはそれの難しさはある・・・と感じられるが、逆にやった事が無かったりすると、ぺきぺきの作品は幼稚に見えたりもする。例えば、簡単な話でマンションの床・・・タイルと大理石どっちが高級?って思う?

って質問した時に、何も知らなくても恐らく大理石って人が多いと思うのね。だからマンションの床っていつしか大理石になったと思うのね・・・ただ、工程からしたら、方や大理石は山で見つける、崩す、形を整える・・・って感じ。

逆にタイルは山で土を見つける、固める、乾かす、釉薬を塗る、焼く・・・どう考えても工程が多いし、人の手が掛かる。つまり人件費や工程の多さからすれば、タイルの方が高級な感じがするが、お客さんは見た目の判断。

しかも今は昔と違って中国材だったりすると、石の方が安いなんてものもあったりするから、利益だったり見栄えだったり、人気だったりって考えて、今に至っているんだろうし・・・いずれにしても、見た感じって言うのは重要だったりする。

となると、サンプルももっとグレードを上げるべきなんだろうな・・・と考えさせられたのね。そうかと思えば、昔なら居候は、野菜、野菜、肉・・・みたいな食べ方で・・・とテレビなんかでも表現されたのは、肉を高級だった時代の話。

それが肉が安くなったり、無農薬野菜みたいにこだわりのものと比較すると、場合に寄っては、肉、肉、野菜になっちゃうのが常識になるのかも知れないし・・・明らかに昔のようにこれが常識・・・って1本化の方向では無い事は判ってはいたんだけれど。

確かに昔よりもモザイクの先生も増えて来たし、いくらか認知度も上がって来たと言うのなら、もっと見栄えを上げて行く事も大事になるだろうし・・・今日は教えたんじゃなくて、教わった気がしたのね。何せ昨日の今日。変えなきゃね・・・って話。

ただね、体験サンプルを見て、何の?何処が?って思われるだろうから、必要な人に・・・の説明としては、切るスタイルだから柔らかいぺきぺきを選びたくなる。けれど手慣れない人が切れる楽しさはあっても、良い事と悪い事は背中合わせ。

どうしても1cmタイル、ガラスタイル、大理石・・・と比較したら、見栄えが可愛く見える。嫌、幼稚と表現した方が判りやすくなるかな?そこで、今まで切るにこだわった事を切らなくても・・・に変更すると、どれもこれもが使える事になる。

そこで昔やった事がある、浦安のでっかいネズミのいる施設で使ったタイルで縁取りをして、文字タイルを使って文字も切らず、1cmも張るだけ・・・それで4枚だけ切って貰う・・・これでいつもとは違うスタイルにはなったと思うのね・・・。きっと。

下地も手作りできちんといつも通りも残しているし・・・俺風味も残っている。自分自身の全面否定にはなっていないだろうから、1つ目としてはまずまずだと思うのだけれど。しかし、こうして悩むとつくづく思うのは、アーチストを思い出すのね。

例えば最初は歌が好きな奴らが友達同士が集まってバンドを組んで、何かみんなで好きな歌を作って歌ってるんだろうね。それが認められたりして、プロになりヒットなんかすると、また、また・・・って繰り返す事になる。

所が繰り返していると当然同じ事をやり続けていると、新しいものが出て来たりして、新鮮さは薄くなる。勿論、現状維持をしていれば、まだ仲間もそのまま変わらずなんて事もあったりするが、場合に寄っては方向転換なんて話も持ち上がるだろう。

この時に今までのファンは今までが好きで残ってはくれるものの、当然飽きて離れる事もある。こんな仕組みが保守と革新。
こんな時、どうなるか?が問題で、仲間の中も賛否両論になるもので、恐らく音楽性の違い・・・なんて表現はこんな事だと思う。

これがそれでも続く場合、以前と新しいものが比較をされ、良ければ新規開拓であり、悪ければ昔のファンに昔の方が良かったと言われる事になる・・・まぁいずれにせよ残酷な話ではあるが、まさかそっちの世界に身を置く事になるとはね・・・。

今更ながらビックリではあるものの、とは言え、どの道どの仕事に付いたとしても、昔とは違ってみんなそう言う生き方になったのね・・・どの仕事もお客さんって言うのはサポーターだったり、ファンクラブの人だったり、檀家さんだったり、言い方が

違うだけで、ほぼそう言う人達の事であって、そう言う人達に支えられて明日が続けられるかどうか?って話であって、支えられている内に結果を出さないと呆れられるし、存続出来ないって事になる訳で・・・厳しさが身に染みる分、有難さも良く判る。

いずれにせよ、そんな事を判った上でのサンプル・・・・それでもそんなに悪く無く思えるから、ここからいくらか変わったにせよ、大きくは変わらない気がするのね。

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