katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

コープみらい東京さんでの出張教室

2021-12-06 01:59:31 | 出張教室

昨日、デジカメをかぐやに渡したままになってしまい、今日は朝早く遅れた投稿になってしまったんだけど、まずは土曜日は、かぐやとコープみらい東京さんで1日講座って事で、ペンギンの鍵掛けみたいなの・・・ご参加4名。

その内、3名がリピーターさんだったのね。

中々個性的になったんだけど、例えばサンプルとして提供したのは、水色だったのね。その時に好きな色に変えても良いですよ・・・って話で変える人と、あくまで冒険せず、サンプル通りにするって人・・・こんな違いがあったりする。

変えた場合、革新なんだから、自分の好きな色にする。その時に1つ参考程度に、その時に頭の方とお腹の2分割したとして、頭が濃くお腹を薄くすると、割とまとまった仕上がりになりますよ・・・なんてお知らせをするのね。

その時に、より個性的な場合、信号機の3色で危険察知をさせるのに、パンチがあるから赤が止まれなのね。同じ大きさなら、黄色や青より赤は目立つからなのね。そんな事で赤を選んだ人が2人。その時にね、お腹を薄味にピンクにした方と、

強い赤に、薄味にせずに、負けずに濃く緑を持って来た斬新なものを選んだ方・・・まぁこんな場合、餃子のタレだと思えば良いのね。醤油、ラー油、酢の3つが良くあるメンバーで、油の仲間が2つに、敵が1つみたいなくくりね。

つまり味付けが濃くなるって言うのなら、赤に緑の醤油にラー油どちらも引かない感じね。そして油じゃ無いものが入る。しかもどちらも負けずに引かずにね。そして酢の存在がそれらの2色では無く、違う色を入れる事で、モザイクな雰囲気が出せたりする。

逆に薄味と言うのなら、赤をより引き立たせる雰囲気で、ピンクとするのなら、醤油の引き立たせになるから、ラー油少な目・・・あくまで控えて・・・となる。って感じの違いがあるのね。そしてトッピング。

良く見るとハートが入ったり、難しいから足を木を彫る時に片足形を残して、ペンキで塗ったのとは違って、自力でしかも1枚切り・・・お見事なトッピングなのね。かと思えば忠実に水色な方もいたりする。でもみんなが革新になった事でね

逆に変えた革新とは違って、変えない事でみんなとは違うものになった。サンプル通りなのに、変えない事が革新になったのね。みんなが変えたからね。とても個性的にね。かと思えば、人のイメージの説明を、男性トイレは青、女性はピンクのような昭和の時代。

じゃ今は?なんて言えば、緑なんてのも出て来る。いずれにせよ、みんな個性的な仕上がりになって何よりだったね。そんな後に、さくらに会いたい・・・ってかぐや提案に、じゃこの辺で時間を潰すなんて話になり、かぐやの娘が迎賓館に、

以前独りで行った事があって・・・私も行ってみたい行く事にしたのね。まずは羽田並みの持ち物検査に始まり、ペットボトルの飲み物は、ここで1口飲んで見て・・・と毒検査。中々の徹底ぶりなのね。

そんなこんなで中に入ると、庭以外撮影禁止。

って具合に立派な建物である。これが100年前に外国の偉い人を招く場所として作った・・・って言えば、その当時のお金と技術を屈指した・・・って感じでしょ?しかも、戦争があった時代にね。こうした時代背景を踏まえて入場すると、

進路の矢印があって、ご案内のまま進む人達は、すぐに予定調和で部屋の中に入ろうとするのね。廊下は素通りなのね。さっきも言ったように100年前の屈指した・・・って前提なら、廊下も100年なのね。しかし、そこには見所として、

説明文も無く、言われた通りのご案内場所に急ぐ。ではその通路に何があるか?床は大理石のモザイクなのね。しかも傷が付かぬように、赤い絨毯が引かれているのね。そして両サイドが空いてて、ここにモザイクがあるって全部隠さずにね。

だからここの床はモザイクだ・・・って判るようにしてはある。つまり思い込ませは完了しているのね。つまり見せる側の意図は、事務的に一応モザイクがあって、見所は無しで、能率効率で傷を付けずに歩かせる単に通路としての扱い。

つまり悪意を持って説明すれば、前菜以下扱いになる。メインの肉はこちらです・・・とね。まぁ残念な事であるが、じゃどの程度のモザイクか?となると、折角なんで座ってじっくり見せて貰ったのね。まぁ見る価値無し。ざまあ無いのね。

へっぽこは単なる通路扱い。仕方無いのね。簡単な話、目地幅は適当、しかも右からも左からも張ってしまうから、中央に寸法の違うパーツが見る影無く、入っているのね。こんな張り方で合うはずが無いのは、当たり前なのね。

まぁどこもかしこも外国の要人を招くようなものでは無い。日本人として恥ずかしい限りである。物作りは残酷であるって言う象徴である。生き恥さらし。しかも入口で1500円を支払った。って事は1円位の価値かな?1円の価値は、良く頑張ったで賞。何故ならこんな場所に300円の価値を付ければ、メインは1200円かい?って事になる。

だから単なる通路扱いなのね。ただそんな中、突き当りの場所だけはね唯一、ロープで囲んだモザイクの場所がある。そこは見せようとしたんだね。つまり国は、モザイクの価値がある場所は、ここだけ・・・としたんだね。

何も説明はされてはいないが、見ての通りのざま・・・ここはくくった人の判断なのね。俺が口出しして悪意の説明を加えると、真意が伝わるでしょ?しかもそれは、見せる側に操作をされてしまうから、みんな通路として通り過ぎるのね。

俺とかぐやがそこに座り込みじっくり見ていると、次々に通過して行く人達・・・更に言えば、係員の不思議そうな目。恐らく迎賓館始まって以来の光景なんだろうね。簡単な話で、こんなモザイクだってね、時間は掛かるしね材料だって、

当時のお金としても大理石なのだから、今だって高いのに、いくら掛かってんだって話。大間のマグロをこのざまかよって話。ただ頑張っただけ。しかも頑張っただけだから、通り過ぎるだけの単なる廊下であって、能率効率の事務的に、

見なくて良いよ、こんな場所って操作されている。じゃ幼稚園扱いでも仕方無いのね。ではメインの部屋の中へ。この建物の中で一番大きなシャンデリア・・・とアナウンスが流れている。それだけ凄いものなのだろう。見れば判る。

モザイクは説明も無く、誰も気が付かない。アナウンスの価値が無いのだから。そして七宝焼きや絵画は名前が刻まれていて、日本を代表する人達である・・・と説明文がある。モザイクは誰がやったか判らない?その辺のチンピラなのかな?

そして天井を見ると絵画・・・ただ滑稽なのは、フランス人だったかな?・・・はぁ?何それ。そんな事に何故気が付かない?・・・例えば当時の日本の技術を屈指したんでしょ?そして融合として諸外国の力を借りた・・・って感じに。

じゃ日本代表のラクビーの選手って感じなら、七宝焼きはディフェンスの誰々って名前を言われて入場、絵画はサイドの誰々って言われて入場、そして天井画はフランス人・・・こんな紹介ある?何それ。おかしいでしょ?

そんな立派なメンバーの中に、名前無しって。これも残酷だわっ。だって、ミケランジェロなら、代表作品の名前も明記してあるだろうし、アナウンスだってある。つまりそんな凄いものが自分たちの国に山ほどあるヨーロッパの人達には、

はいはい・・・ってな具合にしか見えないだろうね。つまりここには素敵な食器の焼き物や七宝焼きの絵を見所としたんだね・・・椅子にしてもテーブルにしても、諸外国のものを輸入って言ってたし、大金で良く集めたね・・なのね。

そこを比較すると、絨毯の補修技術や金箔の張替え、復元としての技術の見事さは、もっとアピールすべきで、誰だか判らない、読み人知らずって・・・責めてミケランジェロは無理でも、外国の人がえっ?って言うようなビックネームが、

欲しかったね・・・要人をお迎えするんだから。ただフランス人って表記があるだけ、モザイクよりマシって扱いなんだろうけどね。しかも床は下を見るだけで、楽ちんなのに、天井画は見上げ続けないとならない。大変なのね。

でもそっちはみんな見ているのね。ただ不思議なのはね、四つ角には、イノシシやシカが横たわって討たれている。死んでいるのね。しかし色んな鳥たちは全部生きているのね・・・説明するならそこだろっ?って思うのは俺だけなの?

別に部屋の中じゃ無くても、通路の大理石の巾木だって、階段の手すりのカーブだって、扉のモールだって、当時の技術からしたら良く出来ているなぁ・・・って思うのね。そもそも俺の子供の時代だって、1ドル360円・・・100年前なんて

戦争しているような時代。鍋の鉄を玉にしちゃうような時代に・・・タイルって文化が100年なんだから、モザイクなんて誰がどうやったか?なんて、有り得ないだろうね。教えたのは誰?ってね。ただね、ただ、見様見真似って言うのならね俺とて一緒。

タイル屋の時に大理石は張ってもね、モザイク画なんて出来る人なんているタイル屋がいる訳無いし、俺は洋書を見ただけ。じゃ100年前と一緒じゃん。それどころか、昔の道具よりもしょぼいよ俺は。普通大理石のモザイクの道具は5.6万するのね。

そんなの要らない・・・俺の教える人達にそんなの買わせられないのね。一生本気でやるなら良いけど、お試し程度なら、3000円もありゃ十分。後は腕で解決。そう教えられれば良いだけ。そもそもサッカーからラクビーが生まれたのなら、

katsuってモザイクのやり方になれば良いだけなのね。後は受け入れる人がいるかどうか?ラクビーはいっぱいいたんだろうね。簡単な話。話は戻して、言いたい事は、迎賓館だから凄い・・・なんて思わない事。しっかり自分で判断をする。

その目利きを持つ事。全部が同じ腕では無い事。素晴らしいものと素晴らしくないものがある事。全ての権利を入場券を払って、見るも見ないも買ったって事。そして案内に操作されない事。でも楽しみ方は人ぞれぞれ。

でももし自分が物作りって側に立つのなら、その目利きを持つと、最初は真似から始まるもの。きちんと見分ける目を持っているのと、操作されたまま見てしまうのでは、大きな差になって行くのね・・・。勿論、作らず買っても目利きは一緒。

でも、俺にも操作される必要は無いのね。ただそんな見方もある・・・ってだけ。だから、竹原ピストルさんの、よーそこの若いのぉーって歌の歌詞のように、俺の言う事を聞いてくれと言いつつ、俺を含め、誰の言う事も聞くなって。

つまり予定調和じゃ個性は育たないって話ね。何の疑問も持たず、こっちだよの矢印の指すままでは、言われた通り。一体どいつがそんな操作したんだよ・・・しかも俺の目指している分野のモザイクの先人がそのざまかよってね。

あの程度なら、俺の教えた労作展の中学生だけで作れんぞって話。もっとプロなら、七宝焼きの人のような扱いされろよ・・・じゃ無いと、誰も気が付かないって。先人なら他分野を蹴散らかせよって話。

建築とて一緒。新建材に軽く負けんなよ・・・タイルは高級なんだろっ?タイル風なんて、まがい物に負けんなよって話。だから、あがかないとならないし、粘らないとならないのね。でもね、なら死なばもろとも。例え迎賓館とて許さない。

凄いものは凄い。へっぽこは一生へっぽこ扱いされろ・・・それがプロなのだから。物作りって言うのは残ってしまうもの。食のように食べて忘れる、音楽のように流れて行く、記憶の彼方にと違い、そのまま現存し続ける・・・。

だからこそ、凄ければ神扱い。へっぼこは、韻を踏んでゴミ扱い。一生恥じろ。そして見る人が甘やかすな。きちんと見極める事で、良いものはその対価の価値があり、悪いものを甘やかすな。一緒では無いと言う事。

自分の家もそう。大工さんがいて、左官、タイル、ペンキ、鳶、電気、設備・・・見劣りする職人いても良いのかな?一般家庭で嫌なら、迎賓館・・・良いはずが無いと思うんだけど。ただね、時代背景としてのその分野の歴史もある。

大工なら木の文化の日本。右官、左官と言う位の歴史の古さ。この2つよりも浅い100年の歴史のタイルでは、比較にならなくても仕方無いし、モザイクって分野が確立しているとは思えないのね。だから仕方が無いって言うのも判るのね。

もっと言えば野球だって、その当時なら元大リーガーなんて言う肩書で、ロートルのポンコツ選手が山ほどやって来た。逆に今は名も無く、実績も余り無くても、バリバリの若手がやって来たりして、逆に日本で活躍して大リーガーになる。

そんな選手もいたりする。昔って時代背景も判断する時に踏まえないと、安易に決めるのはどうか?とも思うのね。判断基準はそんな事も加味される。がしかし、そんな事を考慮せずに、本当に凄いものはそんな事も必要無し。

何も判らなくても、素人にも伝わるものなのね・・・野球を知らずとも大谷さんは凄いでしょ?逆にこの人って凄いの?って聞かれていては、結局その程度なのね。みんな正直だから。だから、迎賓館の中にも、代表にふさわしくない分野が、

ある・・・ってお知らせ。今日は前半の楽しむスタイルの物作りと、後半は最高のプロとして世界の要人を招く腕の集団なの?本当に?って見られるのがプロなのね。だから腐っても鯛なんじゃ無いのかな?本当に鯛だらけだったかな?って。

俺もあの中で見劣りしないものを作っていないと・・・って点では刺激になったのね。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« かぐやが来て・・・ | トップ | 蕨市歴史民俗資料館でモザイ... »
最新の画像もっと見る