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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ゆづが今年もやって来た・・・と3人相席教室

2018-04-02 08:10:31 | モザイク教室
今日はエイプリルフールなんだけれど、今年もゆづがやって来た。そんな3年目の相談日。これがまたゆづらしく、良い意味の気持ちいい裏の掻き方で、まぁ、こう来たかぁ・・・と思う下絵だったのね。いずれにせよ、楽しみな作品になりそうなのね。

そんなこんなの入れ替わりで久しぶりのさくらに、リピーターさんに更に班長と3人の相席教室となったのね。まずリピーターさんは、いきなり下地にサラサラって描き出して・・・相変わらずの達者な方で。そんな訳で張り始めると、スイスイ切ってしまうのだけれど、初めてじゃないかな?

あっ・・・って切るの失敗って。多分、1cmタイルの難しさを知った瞬間だったと思うのね。じゃ何処が難しいか?なんだけれど、そもそもクラッシュってスタイルは偶然の賜物みたいな形を都合良く並べるスタイル。所が丸に切る・・・となると、誰にも丸く見えないと下手っぴに見える。

こんな単純な事。ただ大抵初期は動物だの植物など、丸いのは目が2つとか、花の真ん中に1つとか、きちんとした形に狙って切るって必然の形はそんなに出て来ないから、数枚の必然と多量の偶然で作品作りは終了になる。所が段々と上手くなると、それを逆転させて行く訳で・・・。

つまり多量の必然と、少しの偶然みたいにね。となると、考え方はこんな風に変わったりするのね。最初は丸さえ切り抜ければ何とかなる・・・ってね。所が、多量の必然の場合、これが終わってもこれ、これが終わってもこれ・・・って難易度が変わらない事が多々起こる訳で。

そこで目は口ほどに物を言う・・・なんて言葉があるように、目はその作品の表情を決めるような場所。何か本来なら上手くなってから・・・と思いたい所なんだけれど、逆に言えば初日より謙虚だったり、心構えだったり、何かこれから・・・って感じの意気込みは腕うんぬんの前に期待出来る。

逆にもし最後の最後まで取って置いて、全てが終わった後に眼をやったとすると、これを失敗したら・・・そうね、心理的なもんね。ちはやふる的に5人の団体戦、最初に負けても4人がいる・・・って気分と、2対2の引き分け・・・後は自分に掛かっている・・・もっと上乗せなら全国大会決勝ってね。

あはははは。要するに、痛みの判らない状況で終わってしまえば、これ以上のプレッシャーは無いのね。つまり目よりも影響力のある場所は無いのだから。つまり逆を返せば、ここがこの作品の一番下手な場所になったとしても、この先、挽回して行けば良いだけ。

つまり1敗しただけであり、後、全部勝ちゃ良いのね。所がそんな大事なモノは後回しにして、段々と簡単な事を経て・・・って、一見正しいようなセリフの場合、じゃ簡単な場所って何?って事になる。そこまで判ったら、また上から読むと、要するに上手く見せるには必然を多くし、偶然を減らす。

となると、狙って切れるようにしないとならないのに、一体どうやって上手くなる気?って話になる。そこで、大胆かつ繊細に・・・なんて言葉があるように、大胆なんて時に無謀やら若さなんてもんに繋がっていたりする。ほら初めてばかり・・・勢いで乗り切っちゃいましょうなのね。

そんな気持ちで乗り切った目・・・どうかな?俺はまずまずに見えるのだけれど。って事は、でもね、この方はここが一番下手な場所で良いはずなのね。
なのにもし、良いじゃん・・・って思われたら、思ったら、自他とも認めた状況・・・このグレードを最低キープしたくなる訳で。

それを大変だと思うのか?了解ぃぃぃって思うのか?それもまた人の考え方1つ。一番愚かなのは腕だけで何とかなると思い込む事。るろうに剣心の中で、主役が死んでも会得しなくちゃ・・・と得ようとする秘儀を師匠に伝授を・・・と頼むシーンがあって、ちなみに師匠は福山君。

ならば・・・と師匠は本気で切り掛かる。死んでも・・・と言っていたのに、死が迫った時に、ここでは死ねない・・・って気が付くのね。そもそもが判っちゃいないのね。死んでも・・・と死ねない・・・全く意味の違うセリフ。確かにどちらも覚悟はあるが、一夜にして表現が変わった。

ここでまた戻ると、段々と上手くなってから・・・と最後までたどり着く前提で順調に進める・・・と言う考え方。確かに一理あるが、それは全てたどり着く前提となっているので、つまづく前提では無いのね。逆に死ねない・・・の発想は、生きなきゃ・・・であって、何とか感が上回る。

つまり一番難しい事をやってしまったって事は、この先、上手くなったとしても、この眼は直せない・・・そんな気持ちで乗り切る事が出来るのなら、生きなきゃ・・・であって、無駄にしないように・・・の心持ちのスタートは、この方が最後までたどり着く事が出来れば、見なくてもこの眼の

実力以上のパーツで埋め尽くされるはず。ならば、たどり着けば、良い作品になって当然。これこそが必然。心持ちがしっかりしていれば、ぶれる事も無いし、その目はずっと作り手を見続けるのだから・・・。良く言う心が宿るなんてのは、恐らくこうした心持ちから生まれるもの。


って話の後に、さくらの作品だと、両目を見開いている・・・ならば、しっかりと向き合うと良い・・・そもそもがさくらの作品の作り方は、心持ちのみ。技術うんぬんよりも、繰り返しの凄さなのだから。最初でも最後でもいつでも変わらない・・・ただ、言い方を変えれば頑固な感じでもあるが

・・・。ただ、そのさくらでも迷いがあるのなら・・・。離れて見れば一目瞭然。残っているのは、柔らかいぺきぺき部分。そこは三角に穴を開けて、丸いタイルを入れる繰り返し・・・以前のさくらが一番得意としていた事。ならば、終わりが見えて来た・・・と思えるはず。

しかし、もし今のさくらがあの時とは違っていたら?一番得意な事が上手く行かなかったり、悩みのタネだったりすると、それとは違う何か?を得ないと、無くしたままになってしまった気持ちだけが残る。教室は今年初めてだけれど、先日会った時よりは目は死んでいなかったが。



最後は班長。緑の部分に入った時、あぁ終わるぅぅと安心して、一旦気持ちが切れた瞬間、あっ・・・果てしないかもって思ってしまって、ガクッとした数回前からすると、今はまた白い時の繰り返し・・・って気持ちを立て直している分、安定感があったのね。

どの人もこれだけの作品をやれば、へこたれる事もあったり、上手く行かなかったりもする。いつでも順風満帆なんて事は無い。つまりそんな事がある前提で、いかに転んだ時に立て直すか?なのね。ただね、みんなもはや趣味の域を超えていると思うんだけれど・・・。


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