katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ユーミンママの新作蝶尾モザイク

2015-11-26 01:54:36 | モザイク作家
今日は朝から雨・・・更に寒いと来たら・・・・そう暖房器具ね。先日、買ったんでアトリエは万全。さてそんな中、昨日に引き続き作家katsuなんだけれど、ん・・・そうね、これは中々判って貰えるかどうか判らないんだけれど、先生ばかりをやっていると、いざ作家の時にこんな事がある。

例えば、普通は初めてのお客さんだから、どんな趣味趣向か判らず、家族構成やら好きなものやら聞いたりして、モチーフの数を家族の数を合わせたり・・・そんな事を踏まえて始めるんだけれど、今回は何作も作らせて貰っているユーミンママ。

となると、もうやり尽くした感があるのね。しかも前回小物の悩みもした。何しろ最初に頼まれた壁画は2mくらいはあった。それからどんどんと小さい作品になり、1つ前の作品はポストって言う規制があったり、その前は掲示板だから縁取りの幅がほぼ決まっていたり、そんな事の中で何とか逃げ切った。

しかも段々小さくなった事で、手を変え品を変えと、色々アイデアを絞ったんだけれど、実はこの最後の作品ありきで悩んで来たのね。
何しろ大作で始まっては、何か変った事をやらないと見慣れた分、驚きは少なくなる。だから変化球的な事をやって見たのね。

更にそもそも頼まれたのは出目金の3作だったのね。そんな訳で最後の3作目は必ずアイデアは枯れる前提で、最後にそっくりそのままリアルにシンプルに作る前提でやっていたので、ある意味これが一番悩まなくて済む予定だったのね。そうじゃなくてもしアイデアで望んだ場合、さっきも言ったように、

確実にアイデアでは厳しくなる。それが証拠にポストの時に、小さいが故の厳しさがあった。そう言う事を前提にリアルにシンプルに・・・を最後に持って来たつもり。最初からここは予定通り。しかも、寄木細工みたいなアイデアが思いも寄らぬ拾い物だった事で、より良くなっては来たのね。

そこは思わぬ拾い物で、正直以前の予定には無かった事で、ある意味あの時予定していた仕上がりよりも良くなる可能性は上がった。
こうして語ると色々あったが条件良いじゃん・・・・先生やっていると、いざ作家に何がある?って話なの?って事になる。

要するにそうやって条件を揃えて良い状況にすると、良い事は負担が少なくなり、ただモザイクをする・・・って感じになる。悪い事は、それにより知らぬ内に思いの他進んでしまう事を能率効率でやってはいないか?とか、自分の思っている進行具合よりも進んだ事に疑問が沸いたりする。

かと思うと、しばらく作家から離れた事により、自分と向き合う事をやっていなかった事が本来の自分の力量より過信したり、卑下したりその日の気分で左右してしまったとしても、それでも条件を揃えていた事で、例えどんな気持ちであってもそこそこ進んで行く・・・そんな力を持ったとしたら?

これで良いのか?と悩んでも、切る事に困らないのだから、切る悩みはほとんど無い訳で・・・・つまりどうしようか?の悩みも、下絵は描き込んであるし、寄木なんて初めてな事もそこそこ上手くこなした・・・・けれど、もっともっと・・・・と考えた所で図面がしっかりして大工に渡したら・・・

そりゃどんどん終わって当然なんだけれど・・・。実は今、かぐやが作品の写真が多くなった事で、古いアルバムを整理してコンパクトにまとめる作業をしているのね。けれどまだかぐやと出会った所まで来ていないので、色々と聞かれて・・・・話す事があって・・・。

すると、昔の作品について・・・・かぐやの感想として、何か昔の作品って・・・何か気迫って言うか、何か・・・って言うのね。あはははは、当たり前なのね。路上のパフォーマンスやったり、収入らしきものは無かったり・・・そんな中、たまに来た作品依頼をさして相談相手も無く作れば、

良くも悪くもただ必死なだけ。そうね必死なだけ・・・それがかぐやには新鮮に見えるんだろうね・・・。今の俺はあの頃と大きく変わった。
昔、日高氏が一緒にやるような時、最初の頃はお前のやりたい事をやるには、人も時間もお金も3倍掛かるって言われてた・・・・。

それがいつしか2倍って減って、今は何も言わなくなった。まっ、それだけの見極めとそれだけの経験値と、少しの腕は上がったとは思うのね。
ただそれが逆を言えば無謀とも言える3倍はやらなくなった・・・・って事じゃないのかな?・・・・ってかぐやに言うと・・・・。

まだそう言う本気って言うか、腕を振舞うって言うか、大舞台立って無いだろうし・・・・・って。そうね、まだこじんまり知る人ぞ知るって程度だしね・・・・でも、何でも拾って何でもやって来て、いつしかここまで来ているのは事実なのね。

見せるものもそこそこ出来たし、そろそろ出会い・・・・一体、これらを持って、誰と何処でどんな・・・・これが一番大事になって来た・・・・。
ただこんな事を考えられるって言うのは、良くも悪くもゆとり・・・・今、困らない程度の小銭があって、そこそこすぐにお金になる仕事もしつつ、

作品作りもしている・・・・そうね、話は飛ぶけれど、朝ドラって成功者の話じゃない?別に心配しなくても必ず自分達よりも成功するのね。
しかも必ず誰にも認められずにコツコツ積み上げて行くんだけれど・・・・2つ道があって、貧乏スタートとエリートスタートってね。

今の朝ドラはエリートスタートなんだけれど、そんな人が炭鉱で働く人に改革を進めるのに、一緒に働いて信用を得て行くなんて、今は感じなんだけれど、夢なんか持つのは成功者であって、貧乏は今を生きるのに必死・・・って言われたりするのね。

その癖、そう言った貧乏人に子供がいて、毎晩酒を吞んでいたりする。逆に成功者になる主人公は子供どころか、お金には困らないが毎日仕事漬けで、旦那とも離ればなれ・・・・月並みだけれど、何かを得るものは何かを捨ててやっている訳で・・・・。

ただ逆の言い方なら、お家を守ろうとして必死に働いているから、子供が生まれず生まれないから必死に働く・・・・の繰り返しだったりしたとしたら?別に捨てている意識も無く・・・・って話かもね。

そんなものを観ていたりすると、いつの世も心を打つには余裕のある人には初心を振り返るようなものだったり、毎日の生活に追われるような場合、一時でもほっとする・・・・そんな何かだったりする。それを発信するには、余りに苦しむ状況では観ている方も辛くなる・・・・。

ただ楽で勝ち取るものなど何処にも無く、そう言う葛藤をしつつ勝ち取って行く姿・・・・それを信じてやって行くしか無いとは思うのね。
こんな事を振り返る余裕がある事自体、追い込まれている程、追い込まれていないとは思うけれど・・・・果たしてそれが良いのか?悪いのか?

荒々しさが無くなったように見えるのかな?・・・・それとも今は備蓄・・・・その日が来るまでの・・・って温存なのか?きっとそんな事を考えている間に終わってしまう感じがする・・・・・。これもまた昔とは違った葛藤の1つ。



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